新年 2013 年 1 月 1 日より<ギャラリー・イグレックの日記帳-2>に移行。

   depuis  2001

<ギャラリー・イグレックの日記帳-1>は 12 月 31 日付の記事をもって終了します。

明、新年 1 月 1 日からは <ギャラリー・イグレックの日記帳-2> をご覧ください。

2015 年 9 月 1 日からは<ギャラリー・イグレックの日記帳-3>をご覧ください。

2018 年 2 月 1 日からは<ギャラリー・イグレックの日記帳-4>をご覧ください。

2021 年 1 月 1 日からは<ギャラリー・イグレックの日記帳-5>をご覧ください。

http://galeriey2.wordpress.com/

 ROSE-STAR

トラムウェイ/T3a & T3b Porte de Vincennes

   depuis  2001

トラムウェイが ポルト・ド・ヴァンセン ヌ Porte de Vincennes にやってきた。
パリ道から一直線でクール・ヴァンセンヌに繋がる Porte de Vincennes に T3 (T3a & T3b) のターミナルができ、12月15日から供用を開始した。

写真は T3a のポルト・ド・ヴァンセン ヌ駅に停車中の車両で7両連結。M とあるのがメトロ1号線の Porte de Vincennes 駅への乗換え口。 T3bにも連絡している。
Cours de Vincennes を挟んで対称に (右側に)  T3b の駅がある。写真の方向はナシオン。

Tramway T3a

070

* * *

今日は金曜日でしたが、お友達を招待して恒例の忘年会をしました。
日本から持参したミツバとショウガを使った明石焼き、高野豆腐、白身魚の南蛮漬け、カリフォルニヤ・ロール、ミニ御節などに頂いた数種のチーズとスパークリングワインを合わせました。デザートはこれもいただいた<パン・ド・スクレ PAIN DE SUCRE>のケーキと<ネスプレッソ>で締めました。綺麗なお花もいただきました。

フェルメールの展示/アムステルダム国立美術館

   depuis  2001

アムステルダム国立美術館は4点のフェルメール Johannes Vermeer (1632-75) を所蔵しているが、写真はその展示の様子。額縁はすべて異なる。

左から<小路><牛乳を注ぐ女><青衣の女>、写っていないがその右に<恋文>(写真下)。何気に展示されているのが良い。

<恋文>

<レースを編む女 La Dentellière (1669-71) >

Roue de Paris

   depuis  2001

ノエルの一環でパリの観覧車は、今、コンコルド広場にある。
Roue de Paris パリの歯車 (車輪) とある。

ロンドンでは目に見え、パリでは車輪に見える。
アントウェルペンではダイヤモンドに見えるらしい。

右側が凱旋門で左がチュイルリー公園。
左に見える馬の彫像は アントワーヌ·コワズヴォ Antoine Coysevox  (1640 – 1720) 作の<ペガサスに乗るメルキュール  Mercure monté sur Pégase (1699 – 1702) >。

 Maroc

Balançoires traditionnelles

モロッコのマラケシュ Marrakech の博物館で、
観覧車はアラブに起源を有するという説明を目にした。写真がそれ: 伝統のブランコ balançoires traditionnelles : で、この実物が展示されていた。

何よりも水が貴重な国の伝統のスパ(スーペリア)での4連泊は王侯貴族の気分を味わえて最高だった。お風呂も。モロッコの公用語はフランス語。フナ広場でその後乱射事件があった。

なお、カフェ/アン・キャンズでプリンに使用しているグラスはマラケッシュのもの。

パリの街燈 réverbère 15  ポン・ヌフ

   depuis  2001

セーヌ左派流のポン・ヌフと右派流のポン・ヌフ (1578-1607) の街燈。

騎馬像はアンリ4世で、シテ島の下流端近くにあリ上流を向いている。

手前の2つと奥の街燈との違いが分かる。

アンリ4世 (在位:1589-1610) の騎馬像は François-Frédéric Lemot (1772-1827) の作品。

ロータリーとモニュメント 76  コロネル・ブルゴワン広場

   depuis  2001

シャラントン通りをはじめ6道路の集まる12区の コロネル・ブルゴワン広場 Place du Colonel Bourgoin のモニュメントは噴水と四角い街燈だ。
大佐の付く広場には他に コロネル・ファビアン広場 がある。

ブルゴワン大佐  Pierre-Louis Bourgoin (1907-70) は第二次大戦時に自由フランスのシリア戦線やノルマンジー上陸作戦の空挺部隊で活躍した英雄で、戦後は第5共和国の12区選出下院議員を4期12年務めた。

パリの街燈 réverbère 14  ヴォ―ジュ広場

   depuis  2001

パリで一番古い広場 (1612) であるヴォ―ジュ広場 Place des Vosges の街燈は懸垂式。
落葉の進んだマロニエの秋色と背後の建物との調和がいい。

広場 (4区) と建物 (3区) の間の道は、左へ マレ地区 Le Marais の目抜き通り フラン・ブルジョワ通り Rue des Francs Bourgeois に繋がる。「フラン・ブルジョワ」の名は、市民税を払わないくて済むほど貧しい第三身分の平民 (ブルジョワ) をこう呼んでいたことによる。中産階級の人々が住んでいたという意味ではない。

エッフェル塔百態 82  アンドロ・シトロエン公園

   depuis  2001

ヨーロッパ病院  Hôpital européen Georges-Pompidou (2001) からのエッフェル塔。

撮影位置は ジョルジュ・ポンピドー病院 の玄関を入ったところで、緑の向こうがアンドレ=シトロエン公園 Parc André-Citroën の導入部で左手にセーヌ川に面する公園が開ける。

公園内に入ったところからセーヌ川を望む (奥の建物はセーヌ右岸) 。手前には大規模なカスケードと噴水があり子供たちの夏の格好の遊び場になっている。

パリのどこかでバルーンを見たらそれは写真の「 Air de Paris 」で、アンドレ=シトロエン公園から上がっている。

パリの街燈 réverbère 13  ルーブル宮

   depuis  2001

ルーブル宮 Palais du Louvre に面する街燈には頭部に十字が付いている。
ナポレオンの中庭 Cour Napoléon。
背後はドノン翼のモリアン館。
パヴィリオン Mollien の外壁は科学をテーマにした彫刻で覆われているが、左に半分だけ見えているのは<歴史と真実 L’Histoire et la Vérité>という  Pierre Loison による1857年の作品。

エッフェル塔百態 81 カルーゼル凱旋門/カルーゼル広場

   depuis  2001

カルーゼル広場のカルーゼル凱旋門 Arc de triomphe du Carrousel とエッフェル塔。

カルーゼル凱旋門はチュイルリー宮殿 (1871年に焼失) 前のカルーゼル広場にオステルリッツの3帝戦などでの ナポレオン・ボナパルトの戦勝 を記念して1809年に設置された。

凱旋門の頭部には当初、ナポレオンが ヴェネチア Venise のサン・マルコ寺院から奪った<サン・マルコの馬 Chevaux de Saint-Marc >が置かれていたが、
王政復古後の1828年に現在のものに置き直された。

フランソワ・ジョゼフ・ボシオ  François-Joseph Bosio により彫刻 (コピー) された
「凱旋と勝利を表すクアリガ Quadrige ( 4頭立ての一人乗り二輪戦車 )」の
両サイドに金色で平和の女神を配す。

オリジナルの<サン・マルコの馬>はヴェネチア美術館にある。 ナポレオン1世の皇帝章

東西冷戦時ベルリンの東西を分けた ブランデンブルグ門 にも 勝利の女神の乗った<クアドリガ>が置かれているが、この門をくぐったのはベルリンの壁が取り壊されて ( 1989年 ) 間もないころだった。
各所に壁の一部が残っていて、壁のコンクリート破片がお土産として売られていたころだ。

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今年の漢字は 「 金 」になりました。
ロンドンオリンピック 2012 や至近の山中伸弥京大教授からの連想が効いていると思います。

山中京大教授の買ったチョコ

   depuis  2001

現地時間で10日、ノーベル賞の授与式と晩餐会・舞踏会が催された。

写真は医学生理学賞を受賞した京大の山中伸弥教授が
1000枚購入したと報道されたチョコレート。

Nobel

ALFR NOBEL      1833-1896     と刻印。

このチョコは2006年の8月にストックホルムへ行ったときに購入したもの。
晩餐会の催された市庁舎のホールやの舞踏会の行われた黄金の間 (階段を昇ったところ) で
たばこ好きのフランス人のガイドからノーベル賞についての説明を受けたことが思い起こされます。

ロータリーとモニュメント 75 フランツ・リスト広場

   depuis  2001

いまだ彼を凌ぐピアニストはいないといわれるフランツ・リスト Frantz Liszt (1811-86) の名を冠したロータリー 、フランツ・リスト広場 Place Franz Liszt のモニュメントは円形の植え込みと 新古典様式のサン=ヴァンサン・ド・ポール教会 St-Vincent de Paul 。
ラ・ファイエット道りを初め7道路が集まる。

<La Campanella >の演奏で一躍有名になった頃、フジコ・ヘミング とCDG空港 (ロワシー空港) でたまたま話をする機会があった。以降、彼女のアルバムはすべて手に入れたし、リトグラフを買ったりもした。

1830年代前半パリにいたころ、ショパン (1810-49) の 「12の練習曲 作品10 」がリストに献呈されているが、これだけは楽譜を見てすぐには弾きこなすことができなかったという逸話がついている。

メトロ 7号線  ポワソニエール Poissonniere 下車。

ロートレック/オルセー美術館

   depuis  2001

改装なったオルセー美術館にロートレックを見に行った。
写真撮影がフラッシュなしでも禁止となったようだ。が、携帯で撮っている人は少なくない。
美術館ビジネスは日本程ではないにせよ世界中に蔓延している。有名どころはどこも人であふれていて昔のようにゆっくり見とれているというわけにはいかない。
学生や絵心のある人が模写している風景もあまり見かけなくなった。

メインの大作を二枚。これらは、                     2012.08.05.
いずれも1895年の トロン・フェア Foire du Trône での La Goulue (1866-1929) のブース正面を飾るパネルとして制作したもの。
分割された (1926) パネルの復元 (1930) 跡が痛々しい。
上のパネルは、「ムーランルージュでのダンス La danse au Moulin Rouge」、「La Goulue et Valentin de désossé(ダンサー)」、下のパネルは「ムーア人の踊り La danse mauresque」等と個別に呼ばれる。踊り手は何れもラ・グリュだ。

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17時18分 新宿で震度3を観測。震源地は三陸沖で、最大震度5弱、マグニチュード 7.3 と発表。気味悪い揺れで、震度3強という感じだった。

ノエル Noël の装飾                 ラ・ぺ通り・ヴァンドーム広場・カスティリオーヌ通り

   depuis  2001

ヴァンドーム広場を中心としてオペラに向かうラ・ぺ通り、チュイルリー公園に向かうカスティリオーヌ通りは電飾部材を各種に組み合わせた飾り付けで統一されている。

写真はヴァンドーム広場の様子で、広場に置かれた大きな集合飾りと、パーツを自在に組み合わせた左から宝石店 < Mauboussin> , <Chanel>, <Piaget >の装飾例を見れる。
右端はシーザー風ナポレオンを頂く Colonne の基部。

ショパン最後の家だった現< CHAUMET >の例 (右端) 。左端は PIAGET。
テントは据付け工事用の仮設。

ルイ14世騎馬像/ヴェルサイユ宮殿

   depuis  2001

前回来た時には宮殿の中庭にあったルイ14世の騎馬像が2006年から3年間の修復作業を経て前庭に移されていた。朝靄で霞んでいるが左手奥が ヴェルサイユ宮殿 Châtau de Versailles 。

Pierre Cartellier (1757-1831) と Louis Petitot (1794-1862) の合作。
馬を ピエール・ Cartellier が、ルイ14世を ルイ・プティトーが彫像し 、
Charles Crozatier (1795-1855) がブロンズに鋳造した (1829) 。

最初は、コンコルド広場にあって革命後破壊された Edmé Bouchardon (1698-1762) 作のルイ15世の騎馬像を作り直す予定だった (1816年にルイ18世が指示) ものが、
途中でルイ14世の騎馬像に変更された経緯がある。

ノエル Noël の装飾                  ロワイヤル通り・マドレーヌ広場・サントノレ通り

   depuis  2001

ロワイヤル通り Rue Royale を中心に同一の飾りつけがされている。

写真はロワイヤル通りから東にサントノレ通りに入ったところにある< ロンシャン Longchamp >の例だ。ここでは3基が使用されている。左方向がロワイヤル通り。

Noël / Longchamp

エッフェル塔百態 80 オベリスク・海の泉/コンコルド広場

   depuis  2001

11月24日17時24分薄暮のコンコルド広場からのエッフェル塔 Tour Eiffel 。

ヒエログリフ (神聖文字) のオベリスク Obélisque / Obélisque de Louxor を右に、
そして左には海の泉 Fontaine des Mers  。

エッフェル塔は点灯したばかり。オベリスクはその前からライトアップされている。

Tour Eiffel / Obélisque / Place de la Concorde

* * *

 もう20年以上も前になりますが、香港の夕焼けと夜景を想い出します。最近の様子を知りたいものです。
35年も前ですが、マニラの夕日には感動しました。

ルイ14世騎馬像/ベルニーニ

   depuis  2001

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ (1598-1680) 原作のルイ14世騎馬像は1988年以来、ルーブル宮のピラミッドがあるナポレオンの中庭  Cour Napoléon にある(写真)。

バロックの巨匠ベルニーニ (イタリア・ローマ) に王自ら依頼したが、出来栄えが気に入らず破壊を命じたとされる。しかし、この原作にフランソワ·ジラルドン François Girardon (1628-1715) が帽子を被せ、足元に炎をあしらって残ったのがそれだ (レプリカ) 。
背景はルーブル美術館のドノン翼/ドノン館 Pavillon Denon 。

台座には作者として、「後に Le Berni と呼ばれた G.L.Bernini 」とあり、ジラルドンの名は無い。原像はベルサイユ宮殿にあるようだが、宮殿の前庭にある騎馬像は別物だ。

また、ジラルドン作のルイ14世騎馬像はヴァンドーム広場に置かれていたが、フランス革命後の1792年にヴィクトワール広場に置かれていたマルタン・デジャルダン Martin Desjardins (1637-1694) 作の騎馬像と同様に破壊された。ルーブル美術館にそのミニチュアが残っている。

ルイ14世騎馬像 / ベルニーニ

Au Pied de Cochon

   depuis  2001

パリの旧市場 レ・アール の一角で 1947年創業の<豚足 Au Pied de Cochon >で今回最後のデジュネをした。1947-2012    65 ans de vie Parisienne パリで 65年 とある。
豚料理がメインだが牛肉も魚もある24時間営業のブラッセリ― Brasserie で、日本語メニューもある。

メトロ 1号線  Louvre Rivori 下車、ルーブル通りを北へ歩いてナポレオンの造った円形の商工会議所の先を右に入ったところ。店の前が大規模に再整備中のレ・アール地区。
店の向こうにサントゥスタッシュ教会 St-Eustache その前がルネ・カサン広場

エッフェル塔百態 79  大河の泉/コンコルド広場

   depuis  2001

ノエルと新年に向けての準備が整い、
多くの観光客とパリ市民で賑う薄暮のコンコルド広場から見るエッフェル塔。
手前に写っているのは、
広場にある二つの噴水のうち<大河の噴水 Fontaine des Fleuves>と呼ばれるもの。

広場の設計をしたのは アンジュ=ジャック・ガブリエル Ange-Jacques Gabriel (1698-1782) だが、オベリスク/クレオパトラの針を挟んでセーヌ川側の<海の噴水  Fontaine des Mers >と対で噴水を配置した(1836)のは ジャック・イニャス・イトルフ  Jacques Ignace Hittorff (1792-1867) だ。パリ1区と5区の区役所、パリ北駅、フランツ・リスト広場の Église Saint-Vincent-de-Paul も彼の作品。

* * *

昨25日の昼は<フェルメット・マルブフ 1900>で星川君のパリ個展の成功裡での終了を祝した。来月のノエルまで暫しパリとお別れだ。

ウインドウショッピング 20           Louis Vuitton / Vendôme

   depuis  2001

ヴァンドーム広場のルイ・ヴィトンのノエル・ヴァージョン。

ペンギンが動くように仕組まれています。

広場のイルミネーションも点灯されていますが、これからもラペ通り・カスティリオーヌ通りを含め設置が続くようです。

聖カトリーヌ Sainte Catherine d’Alexandrie の日

   depuis  2001

モントロン公園 Square Montholon にある 大理石製 Julien Lorieux の作品 (1909) 。La Sainte Catherine    À l’ouvrière parisienne (聖カトリーヌ 働くパリジェンヌに) とある。
25歳を超えた未婚の女性 (当時 Catherinettes と言われていたらしい) が11月25日に帽子を被る伝統があり、その様を題材にしたもの。
サン・カトリーヌ (287-305) は若い女性の守護聖人で、本日が<聖カトリーヌの日>だ。
因みに、ジャンヌ・ダルクの日は5月30日、ROSEの日は8月23日だ。
Julien Lorieux (1876-1915) の作品で<Les Catherinettes (1908)>。

La Sainte Catherine

エッフェル塔百態 78  モンテーニュ大通り

   depuis  2001

ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼから直ぐの
モンテーニュ大通り Avenue Montaigne からのエッフェル塔。

ノエル(クリスマス)の飾りつけが施された
モンテーニュ大通りの左手にエッフェル塔が顔を覗かせる。

突き当たりのアルマ広場とそこから右手に始まるジョルジュ・サンク大通りと手前のシャンゼリゼ大通りとで囲まれる黄金の三角地帯には高級店がひしめく。

シャンゼリゼ大通り 2012.11.22.

   depuis  2001

11月21日の夜、シャンゼリゼ大通りのイルミネーションが点灯された。
昨年からこのタイプになった。

上の写真はロン・ポアン・デ・シャンゼリゼからジョルジュ・サンクの方に少し寄った辺りから凱旋門の方向を、下の写真はコンコルド広場の方を見たもの。

街燈の明かりが一直線にコンコルド広場に向かっている (下) のに比して、凱旋門に向かっては放物線を描いている (上) ことで凱旋門に向かっては上り勾配になっていることが伺える。

イルミネーションの両サイドには<マルシェ・ド・ノエル  Marchés de Noël(昼間も開店している夜店)>が連担しているのだから見物だ。。
この日もカメラを持った多くの観光客でごった返していた。

写真下右のロン・ポアン・デ・シャンゼリゼに近づいてみると。。。

<マルシェ・ド・ノエル>の様子。
写っている建物らしきものやテントは全て仮設だ。観覧車も。

ノエル(クリスマス)へ向けて準備進むパリ

   depuis  2001

エスパス・ジャポンで個展を開いているH君に<手作りのムール貝の白ワイン蒸し>の差し入れをした後、パリのノエル前の様子を見がてらぶらりしてみた。

ギャラリー・ラファイエット/オスマンは飾り付けが始まったところだが、隣のプランタンは終わったようだ (写真) 。
マドレーヌ広場のエディアールやキャヴィアの専門店 Caviar Kaspia 等とともに準備完了したマリアージュ・フレールでお客さんに頼まれていた買い物をした。
途中パトリック・ロジェのウインドウではチンパンジーのオブジェに見入ったりもした。
ロワイヤル・ヴィレッジもロワイヤル通りも飾り付けが終わっていた。日が暮れると電飾が点灯するのかどうかは定かでない。据付が終わるのと点灯とは必ずしも同時ではないから。

Antiquités Brocante LA BASTILLE / PARIS

   depuis  2001

年に2回、5月と11月にバスティーユで開かれる
大規模骨董市 Antiquités Brocante にはじめていってきた。

バスティーユ広場の南側部分 (メトロ1号線の駅上) とサン・マルタン運河の左右岸を利用した特設会場に350の古物商が店を張る。
8日から本日18日までの最終日とあって大勢の小金持ちで賑っていた。入場料:10€。
次回は来年5月3日から12日までの日程で開催される。

Antiquités Brocante LA BASTILLE / PARIS

パリの街燈 réverbère 12 リシャール・レノア大通り Bd.Richard Lenoir   

   depuis  2001

 リシャール・レノア大通りで催された<蚤の市>に出かけた。 メトロ5号線 Richqrd Lenoir 、大通りの中央分離帯の下はサン・マルタン運河。運河の上空を緑道公園化したのはオスマン知事。

街燈は大型でバスティーユ広場まで続く。

秋色のサン・マルタン運河もまた一興だ。奥右手がバスティーユ広場。

この日は写真手前で蚤の市が、奥でバスティーユの朝市が、バスティーユ広場の向こう(南側)では有料骨董市が開かれていた

2012.11.18.

パリの街燈 réverbère 11  Lescure

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コンコルド広場手前のリヴォリ通りを右へ Rue de Mondovi を入った突き当たりにあるレストラン Lescure 付近の街燈。
リヴォリ通りの街燈とは少し違う。
Lescure は1919年からの老舗で、デジュネのセット (アントレ・プラット・デザート・ワインハーフボトル) で25€ 。日本語メニューもある。

ジダンの頭突き / ジョルジュ・ポンピドー広場

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2006年のワールドカップ決勝戦での<ジダン Zinedine の頭突き事件>の瞬間のオブジェがポンピドーセンター前の広場に置かれた。

センターで開催中のアルジェリアの作家展の作品のひとつで、屋外に置かれたもの。
頭突きされているのはイタリアのマテラッツィ。
人種差別発言 (問題) かと騒がれたが両者とも否定、侮辱発言によるものだったというのが定説のようだが真相は定かでない。
ジダンは退場処分を受け、フランスはペナルティー戦に負けて優勝を逃した。
フランスのサッカーはこれ以降低迷が続いている。

ヴェルサイユ宮殿 Château de Versailles

   depuis  2001

オステルリッツ駅から RER C線 でヴェルサイユに行ってきました。

ヴェルサイユ宮殿の大改装は今なお継続中ですが、改装後の鏡の間 (写真) などを見てきました。20世紀の印象とさほど変わりは感じられませんでした。

帰りは宮殿正面のバス停から始発のバス 171 に乗り、終点のポン・ド・セーブル Pont de Sèvres  からはメトロ9号線と1号線を使いました。
この方が分かりやすく安全面でもお薦めの行き方です。

マンサール Jules Hardouin-Mansart (1646-1708) による後期バロック様式の建築  /  ルブラン Charles Le Brun (1619-90) による室内装飾 (ルイ14世様式) / ルノートル André Le Nôtre(1613-1700) によるフランス式造園で、1682年完成。
ルイ14世の絶対王政が確立し、彼をして<朕は国家なり>と言わしめました。

改装工事継続中の宮殿正面。金色になって昔とは大違いです。

フランスの11月11日は。。。La Fête de l’Armistice

   depuis  2001

フランスでは11月11日は第一次世界大戦休戦記念日の祝日だ。
トロカデロと11月11日広場 Place du Trocadero et du 11 Novembre はその記念広場だ。
今年は日曜日と重なった。

第二次世界大戦でドイツが降伏した5月8日も
< La 8 Mai  La Fête de la Victoire>と呼ばれる祝日だ。

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ヴァンセンヌ出身の戦没者の慰霊塔への献花。このエリアは常時立ち入り禁止になっている。

ヴァンセンヌでの慰霊行事の様子。手前の市庁舎横を行進する鼓笛隊 (当列の前) 等。

パリへ

   depuis  2001

早朝に新宿を出てパリに向かいます。

ギャラリー・イグレックが支援している
クレパス画家 星川 孝 君のパリ個展  (11月13日~17日、20日~24日 13時~19時 (土は18時) : エスパス・ジャポンにて)  に同行します。

在仏の日本人の方、日本に関心をお持ちのフランス人等の方やこの期間にパリ滞在予定の方の御来場 (入場料 : 無料) をお待ちいたしております。

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フリージャ  Freesia と アザミ Chardon の花が迎えてくれました。

BOUILLON CHARTIER

   depuis  2001

オスマン大通りの下を走るメトロ 8号線  、9号線 グラン・ブルヴァール Grands Boulevards で下車し、フォーブル・モンマルトル通りを北に進んで左側に<ブイヨン・シャルティエ >がある (11時30分開店) 。
20世紀初めの雰囲気があり (1896) 、早くて・安い店として観光客に人気の店らしい。
多国籍の客でいつも混んでいるので身の回りには気を付けることをお勧めする。

店を出て左に少し歩くと左手がパッサージュ・ヴェルドー、パッサージュ・ジュフロア、パッサージュ・パノラマとパッサージュが連なっているので是非行ってみよう。

BOUILLON CHARTIER

ロータリーとモニュメント 74 ピエール・Lafue 広場

   depuis  2001

ドレフュス事件 (1894-1906) についてはこれまでにいくつか紹介してきた。
(下にある<タグ>をクリックしてもらえば一覧が表示される)

彼のブロンズの立像が ラスパイユ大通り Boulevard Raspail に6本の道路が集まるロータリー ピエール・Lafue 広場 Place Pierre Lafue にある。
漫画家・彫刻家だった ティム Louis Mitelberg dit TIM (1919-2002) の作品で、
文化とフランス語圏省が1985年に調達し設置した。
ドレフュス大尉に捧ぐ Hommage au Capitaine Dreyfus     TIM (サイン) と台座にある。折れた剣を眼前に掲げているように見える。
また、案内板には ” Si tu veux que je vive,fais moi rendre mon honneur “ との記載が・・

Pl. Pierre Lafue

 Pierre Lafue (1895-1975) はフランスの作家でジャーナリスト。

メトロ 12号線 ノートルダム・デ・シャン Notre-Dame des Champs 下車。

パリの街燈 réverbère 10 エリゼ宮 Palais de l’Élysée

   depuis  2001

エリゼ宮の街燈。  フォーブル・サントノレ通りの街燈が付いていないのは当然だ。

パリの街燈/エリゼ宮

エリゼ宮殿はアーマンド・クロード・モレ Armand-Claude Mollet の建築による1722年完成の古典主義の建物で、1873年 (1870年から第3共和政) 以降大統領官邸となった。

ポンパドール夫人 (1753-64?) やナポレオン1世と皇后ジョセフィーヌ (1805) の邸宅であったこともある。

パリの街燈 réverbère 9 フォーブール・サントノレ通り

   depuis  2001

フォーブール・サントノレ通り Rue Faubourg Saint Honoré 、サントノレ通りの街燈は通りが狭いので沿道の建物に吊下げ型で付置されている。
写真はフランス内務省横の例で、左下に内務省の街燈も見える。

フランス革命後の1790年にルーブル宮にあった内務省は1861年に現在の オテル・ド・ボーヴォ Hôtel de Beauvau (1770 竣工)  (門扉の後方) に移った。パリ西部の200人余りの小さな町マルセイユ Beauvau の騎士の後裔であるボーヴォの元帥 Le maréchal de Beauvau が1770年に名付けて賃借した。
手前のエリゼ宮との間、5本の道路が集まるロータリーは ボーヴォ広場 Place Beauvau という。

パリの街燈/フォーブル・サント・ノーレ

門扉はルイ15世様式 (風)  ferronnerie Louis XV 。柱 (列柱) はトスカーナ風。

ロータリーとモニュメント 73 ジャック・マレット 広場

   depuis  2001

3叉路のロータリーである ジャック・マレット 広場 Place Jacques Marette のモニュメントは2頭の雄牛 (元はトロカデロ庭園にあった) と写ってはいないが手前にある花壇だ。

広場 (公園の前庭でもある) の奥はジョルジュ・ブラッサンス公園 Parc Georges Brassens だ。ジャック・マレット はここ15区選出の上院議員で郵政大臣を務めた。

左右二頭の<牡牛Taureau (1838) >は イシドールジュール·ボヌール Isidore Jules Bonheur (1827-1901) の作品。

 

 

 

 

 

フランスの詩人でシャンソン歌手だったジョルジュ・ブラッサンス (1921-81) はこの近くに住んでいた。公園内に彼の胸像がある (入ってすぐ左側の広場の奥) 。

鐘楼は公園になる以前馬のオークションが行われていた名残。

Parc Georges Brassens

ロータリーとモニュメント 72           ポール·ヴェルレーヌ広場

   depuis  2001

完全円形ロータリーであるイタリア広場から出るボビヨ通り Rue Bobillot を含めて10本の道路が集まるロータリー、ポール·ヴェルレーヌ広場 Place Paul Verlaine のモニュメントはジュール・ボビヨ 軍曹の胸像や掘り抜き井戸 (自噴水) だ。

ジュール・ボビヨ Jules Bobillot 工兵軍曹 (1860-1885) は中国のトンキン Tuyen-Quan での戦いで要塞の建設を指揮中に殉職した英雄。写真では後ろ向きに写っている。

ポール·ヴェルレーヌ の掘り抜き井戸は1863年にオスマン知事が掘削を許可し、1872年に供用開始した。現在では写真で見られるようにモダンな水汲み場となっていて三々五々ポリタンクを持参した人が行き交っている。

ポール·ヴェルレーヌ (1844-96) は知る人ぞ知るフランスの詩人。
リュクサンブール公園に彼の立像がある。

Pl. Paul Verlaine

ロータリーとモニュメント 71           ジョルジュ・ギヨマン広場

   depuis  2001

ジョルジュ・ギヨマン広場 Place Georges Guillaumin のモニュメントはバルザックの顕彰碑だ。
アントワーヌ・ブールデル Antoine Bourdelle (1861-1929) を教えたアレクサンドル・ファルギエル Alexandre Falguière (1831-1900) の作品 <Honoré de Balzac (1902) >。

Sociéte des gens de lettres (フランス文学者協会 / 作家の著作権協会) は バルザック Honoré de Balzac (1799-1850) の発案により ヴィクトル・ユーゴー、アレクサンドル・デュマ (大デュマ) 、ジョルジュ・サンドが参加して1838年に設立された。

手前の通りはフリドラン大通り Avenue Friedland で左が凱旋門、右はオスマン大通り Boulevard Haussmann に共に一直線。6本の内坐像の後ろを建物に沿って右斜めの道路はバルザック通り Rue Balzac で左斜めに広場を横切る。
石積み擁壁の上はオテル・サロモン・ド・ロートシルト Hôtel Salomon de Rothschild の庭園部分が公園として開放されていて美しい。

Pl. Gilbert Guillaumin

ブラッセリー 梅宮/北鎌倉

   depuis  2001

北鎌倉に行ってきました(2012.10.30)。

円覚寺・建長寺への最寄り駅の横須賀線北鎌倉近くの<ブラッセリー 梅宮>でお友達と昼食をとりました。

御浸し・茶わん蒸し・お吸い物・ごはん・香の物が付いています。

左が入口。奥の右にお庭があります(下の写真)。

因みに、オーナーは梅宮辰夫さんの弟さんだそうですがちっとも似ていません。弟さんの方が素敵。

北鎌倉

パリの街燈 réverbère 8   クレマンソー広場

   depuis  2001

クレマンソー広場 Place Clemenceau の街燈。

オテル・ド・ヴィル広場と同一のもの、シャンゼリゼ大通りのもの、メトロの街燈、 マルセル・プルーストの並木道 Allée Marcel Proust (プルーストは<失われた時を求めて>の作者でカフカとともに20世紀を代表するフランスの作家) の街燈と広場の高い街燈の5種が見える。

手前がウィンストン・チャーチル大通りで並木道の左にグラン・パレがあり、左右の通りがシャンゼリゼ大通りでその向こうも並木道だ。広告塔では2012年秋の催し案内がされている。

パリの街燈/クレマンソー広場

パリの街燈 réverbère 7  アルマ橋 Pont de l’Alma

   depuis  2001

アルマ橋の街燈。
低い交通標識のようなのがアルマ橋の街燈で左手橋詰のレジスタンス広場の街燈でもある。高い方が右岸橋詰のアルマ広場の街燈

橋脚の像は勢力の衰えたオスマントルコの利権をナポレオン三世のフランス、ヴィクトリア女王のイギリス等の同盟軍がロシアと争ったクリミア戦争 (1853-56) で活躍したズアーヴ兵 zouaves (アルジェリア人、チュニジア人で編成したフランス陸軍歩兵) だ。
フランス軍はこの外人部隊でクリミア半島での最初の戦いである<アルマの戦い (1854)>に勝利した。旧アルマ橋はその勝利を記念して架けられた (1854-56) 。
戦後、仏英の発言力は高まり、サルデーニャ王として参戦したヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は5年後の1861年にイタリア統一を果たす。

1910年のセーヌ川の歴史的な大洪水時にはズアーヴ兵の肩まで水位が上がったという。
Georges Diebolt (1816-61) の作品 (1858) 。

  • 2016.06.02.のセーヌ川
-6キャプチャ.PNGアルマ橋
Statue de Zuavues / Pont de l’Alma / La Seine

エッフェル塔百態 76  国民会議(ブルボン宮殿)

   depuis  2001

ブルボン宮殿はルイ14世の庶子ルイーズ・フランソワーズ・ド・ブルボン Louise Françoise de Bourbon (1673-1743) により建造 (1728) されたが、フランス革命により接収 (1791) され下院にあたる国民会議の議場となる (上院にあたる元老院はアンリ4世の王妃でルイ13世の母、マリー・ド・メディチ改築 (1631) のリュクサンブール宮殿) 。

Tour Eiffel / Assemblée Nationale (Palais Bourbon)

 

ロータリーとモニュメント 70 テオドール・ヘルツル広場

   depuis  2001

テオドール・ヘルツル広場 Place Theodor Herzl のモニュメント。複雑なロータリー。
<ハーモニー Harmonie > Antoniucci Volti (1915-89) の作品。

   Theodor Herzl (1860-1904) はハンガリーの (ブタ) ペスト生まれのユダヤ人ジャーナリストで、パリ特派員として係ったドレフュス事件 (ユダヤ人のフランス陸軍大尉ドレフュスのドイツスパイ冤罪事件) 1894-1906 を通じてユダヤ国家の建設を主張するに至った。
案内板には「ジャーナリストで作家 ユダヤ人国家の主唱者」とある。

Pl. Theodor Herzl

広場の中にある メトロ 3号線 、11号線 アールゼ・メティエ Arts et Métiers 下車。

自由の女神像の原像が保管されている<国立技術博物館>は目の前。

パリの街燈 réverbère 6  ヴァンドーム広場

   depuis  2001

ヴァンドーム広場 Place Vendôme の街燈

背後はオテル RITZ の玄関口でその門燈も写っている。

下は広場入口角の街燈。後ろは法務省。

パリ市庁舎前の街燈と同じだが、この写真でパリの市章がついているのが分かる。

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右上の写真で、金色の王冠の下にダブルエルLL。左にフル―ル・ド・リス。

サマータイム終了、気温は10度以下の日も・・

   depuis  2001

昨日の夜中にサマータイムが終わり、本日日曜日から日本とパリの時差は8時間になります。
先週末あたりから気温がぐっとさがってコートを着る人、手袋をする人の姿もちらほら・・
もちろん暖房もつけていて愛猫ROSEは暖房前のスペースをしっかりキープ、笑
11月半ばにパリにこられる際にはさらに気温がさがっていると思いますので、みなさん寒さ対策はしっかりしてらしてくださいね。

エッフェル塔百態 75  サン・ランベール公園

   depuis  2001

15区にあるサン・ランベール公園 Square St-Lambert (左の樹木の左側) 横のジャン・フォルミジェ通り Rue Jean Formige からのエッフェル塔。

聖ランベール (669-705) は現ベルギーのリエージュ司教領を守った聖人。

Tour Eiffel / Sq. St-Lambert

30度に迫る絶好の晴天 (2012.08.17.)とあって、公園では。。。

Sq. St-Lambert

パリの街燈 réverbère 5 アレクサンドル3世橋 Pont Alexandre III

   depuis  2001

アレクサンドル3世橋 Pont Alexandre III の街燈。
<ピラミッド広場のジャンヌダルクの騎馬像>の作者、
エマニュエル・フレミエ Emmanuel Frémiet (1824-1910) の装飾デザイン。

左岸上流側から右岸を見たもので背後は Cours de la Reine の緑道と
左にグラン・パレ右にプチ・パレの建物。

クール・ラ・レーヌは1616年にマリー・ド・メディシスにより造られたパリ最古の緑地公園でコンコルド橋からアルマ橋の間が女王の間と呼ばれていた。第一次大戦時以降アンヴァリッド橋下流区間は同盟国ベルギーの国王の名を付けクール・アルバートI世となる。

左端にアンヴァリッドから橋を越えてクール・ラ・レーヌまで続く街燈も見える。

Marché Vernaison

   depuis  2001

メトロ  4号線 ポルト・ド・クリニャンクールから蚤の市 を通り過ぎてパリ市を出たところの  サン・トゥアン市に 骨董市 (蚤の市)  Le Marché aux Puces < Marché Vernaison >がある。

写真がその入り口で店舗の案内図が掲げられている。
9000㎡の敷地に300店舗が密集している。
道路の手前側にも美術品や家具・調度品を扱う店が集積している。
以前は雑然としていた手前側も今や立体化されて、パレ・ロワイヤル広場の超高級アンティケには及ばないものの高級骨董店の呈をなしてきている。

 Marché Vernaison

Rue des Rosiers の左側少し先で
パリ在住のお友達がひったくりに遭ったこともあるので要注意。

バスなら 85系統リュクサンブール行き のバス停がここで、
右の方へシャトレを通ってリュクサンブール公園まで行く。

ロータリーとモニュメント 69  コスタ・リカ広場

   depuis  2001

コスタリカ広場 Place de Costa-Rica のモニュメントは円形の花壇と時計付きの街燈だ。

正面真っ直ぐがパッシー通り Rue de Passy でオスマンによる三角形公園であるラヌナグ公園を経てブーローニュの森に至る。周辺は日本の駐在が多く住む高級住宅地だ。
左の Rue Raynouard  を暫く行くと<バルザックの家>が、反対に真っ直ぐロータリーを越えて Rue Bennjamin Franklin を行くと直ぐ<クレマンソー記念館>がある。
7本の道路が集まっているので通りの名前を確認するのが賢明だ。
バルザックの家がわざわざ急な崖地にあるのは債権者からの逃げ易さを重視したためだったといわれている。

Pl. de Costa-Rica

メトロ 6号線 Passy 駅下車。

メトロはセーヌ川を高架で渡ってパッシー駅から直ぐトンネルに入り広場のはるか下を通っている。つまりここは相当な高台なのだ。

ハイジュエリーという名の芸術展

   depuis  2001

今日は<パリ装飾芸術美術館>で行われている、
ヴァン クリーフ&アーペルの展覧会にいってきました。

まばゆい宝石が400点以上も集められ、でるのはため息ばかり・・
個人的には30-40年代の作品が一番印象にのこりました。
会期は2/10日までなので、パリにお立ち寄りの際はぜひ。
日本語版サイトもあります。↓

http://www.artdelahautejoaillerie-vancleefarpels.com/#

ギャラリー・イグレック の花々 96         セイタカアワダチソウ

   depuis  2001

セイタカアワダチソウ は戦後の復興期に秋になると大阪周辺から関西以西の荒地を覆い尽くしていたものです。ギャラリー・イグレックでお目にかかったのは初めてです。

今年の ダイダイ が背後に写っています。

ギャラリー・イグレック の花々 95 ヒイラギモクセイ

   depuis  2001

3種ある モクセイ属の内の一つです。台風の影響による大雨での落花で開花に気付きました。

ヒイラギモクセイはモクセイ科モクセイ属の常緑樹。ヒイラギ (柊) とギンモクセイ (銀木犀) との雑種。キンモクセイと似た芳香を漂わせます。
今年は例年になく香りが強いようです。       2013.10.30.

星川 孝 パリ個展 出品作品展示会         /ギャラリー・イグレック

   depuis  2001

川之江在住の <クレパス画家 星川 孝> さんがこの11月13日(火)から24日(土)までの日、月を除く10日間にわたって パリのエスパス・ジャポン にて個展を催されます。

ギャラリー・イグレックではそれに先立って、
10月19日(金)から21日(日)の3日間(10時~17時) .  星川 孝 パリ個展 への出品作品の展示会を企画して壮行することといたしました。

多数の皆様にご来館いただき(無料)、激励していただける場となればと思っています。

ギャラリー・イグレック 店主

なお、この3日間 <テ と カフェ > の営業をいたします。どうぞご利用くださいませ。

***

終了しました。ご来館頂いた方々にお礼を申し上げます。

ギャラリー・イグレックはパリ個展に同行いたしますので、勝手ながら11月のカフェ/アン・キャンズはお休みさせていただきます。

パリに行かれる方、パリに居られる方は是非立ち寄っていただきたいと存じます。

展示会の様子。50点の作品が展示されました。

星川孝パリ個展< OVNI >に広告出る

   depuis  2001

パリの日本人向け情報誌<OVNI>に広告が出ました。

星川孝・クレパス画展「郷愁浪漫」

11月13日~24日

伊予のクレパス作家が描く日本とパリの懐かしくも幻想的な風景画展

とあります。

   

パリ個展を催す パリ日仏文化センター:エスパス・ジャポン

<espace Japon> のホームページでの案内はこちらをクリック!

パリの街燈 réverbère 4  コンコルド広場 Place de la Concorde

   depuis  2001

エトワール凱旋門からシャンゼリゼ大通りを下って終点のコンコルド広場には複数の種類の街燈がある。広めに俯瞰すると・・・

金色の<クレオパトラの針>と呼ばれるオベリスクがシャンゼリゼ大通りからの中心で、シャンゼリゼはグラン・パレの方向に街路樹の切れ目のところを右斜めに走る。

手前2連の街燈はリヴォリ通りのもの (広場は擁壁から右) でオテル・ド・ヴィルのそれと同タイプ。その右の街燈がシャンゼリゼ大通りの街燈と同タイプ。
金色の街燈はコンコルド広場だけのもの。

コンコルド広場に設置されている金色の吻側・燭台型街燈。ヒットルフ Jacques Ignace Hittorff (1792-1867) の作品。左端の噴水/海の泉の左がシャンゼリゼ大通り。

ツール・ド・フランスの周回コースはシャンゼリゼからこの噴水の左へセーヌ河岸に出て、右のほうからシャンゼリゼに入る。街燈の手前は金色のゲートを通ってチュイルリー公園だ。

下はシャンゼリゼと同タイプの3連街燈。オベリスクから左端の方角にシャンゼリゼ。

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暗くなると。。。

ギャラリー・イグレック の花々 92  ムサシノハギ

   depuis  2001

今秋植えた ムサシノハギ の花。

萩の季節になると、9月中頃に岡町から歩いて15分位の曽根(豊中市)の手前にある<萩の寺>に母親に連れられて萩の花をもらいに行っていた子供の頃を思い出す。
秋の床の間に欠かせない花の一つだ。

東光院萩の寺は、天平7年(735)行基開創による曹洞宗別格地寺院。萩は行基の供養花。

川之江秋祭り/ギャラリー・イグレック前

   depuis  2001

ギャラリー・イグレック前の<第六號 農人町太鼓台/舞鶴>の朝9時15分の様子です。
<御花>に対する御礼のパフォーマンスをしているところです。

農人町太鼓台(舞鶴)/ギャラリー・イグレック

この後市内を回って12時に川之江港で行われる海の神事に集合します。終れば太鼓台を持つ町内を回って関船と12台の太鼓台が列を成して川之江八幡神社への奉納に向かいます。付近では、写真の奥 (右端) のところ (讃岐街道) を左から右へ通過します。八幡神社はもう直ぐです。太鼓台を担いで神社へと急ぎます。

川之江八幡神社への奉納を済ませた後、八幡神社の関船(八幡丸) を先頭に12基の太鼓台が提灯を付けて、ギャラリー・イグレックの前を巡行します。写真はその内の<舞鶴>です。

第六号農人町太鼓台/ギャラリー・イグレック前

第六號 農人町太鼓台 ギャラリー・イグレック前を通過 川之江秋祭り 2013

パリの街燈 réverbère 3             シャンゼリゼ大通り Av. des Champs-Élysées

   depuis  2001

シャンゼリゼ大通りの街燈は二段構えになっている。

プラタナスの葉陰に収まる昔ながらの街燈とプラタナスの街路樹を上回る高さの新式の街燈の2層構造だ。

右はシャルル・ド・ゴール広場と同じタイプの低層街燈で、背景はシャンゼリゼに面する クルチザンヌのパイヴァ公爵夫人の館 Hôtel de la Païva 。右側がエトワール凱旋門。

左は左端に凱旋門のシャンゼリゼ大通りで、刈り込まれたプラタナスの下に右上の街燈が、プラタナスの上には今風のデザインの街燈が見える。街路樹の右側はシャンゼリゼの広い歩道になっているのだが、街燈はよくみると二股になっていて同じものが歩道側にもあることを窺える。

ギャラリー・イグレック の花々 91   アオジソ

   depuis  2001

今日13日から15日まで<川之江の秋祭り 2012>です。

第六號 農人町太鼓台(舞鶴)がギャラリー・イグレックの属す山車です。
川之江八幡神社に奉納します。

写真は最終日川之江港での神事を終えて、いよいよ市内各町を巡回して神社に向かう直前の様子。唯一傘を持っているのが農人町太鼓台です。

川之江秋祭り/2012.10.15.

* * *

アオジソ(青紫蘇)の花。シソ科シソ属。

パリの街燈 réverbère 2  凱旋門 Arc de Triomphe

   depuis  2001

シャルル・ド・ゴール広場の街燈の一つ。

オテル・ド・ヴィル広場の街燈と同種のデザインだが少し異なる。
背景は エトワール凱旋門 Arc de triomphe de l’Étoile で、手前がシャンゼリゼ大通りでアーチを潜ればグランド・アルメ大通り。
レリーフは<1810年の勝利 Le Triomphe de 1810>と名付けられているもので、オステルリッツの戦いでのナポレオンの勝利を表す。
Arc のEU 旗とフランス国旗は EU発足15周年記念 のため。

下の街燈は別タイプの新しい街燈で左に比して高さが著しく高い。背後のレリーフは左と同じ。

ギャラリー・イグレック の花々 90   ヨモギ

   depuis  2001

葉裏がさほど白くないなど普通の ヨモギ とはちょっと違う ヨモギの蕾です。

開花を待っているうちに刈ってしまっていました。

花の終った ヨモギには
ヨモギクキワタフシ という綿塊が付いていて見栄えが良くありません。

ギャラリー・イグレック の花々 89  ハルタデ

   depuis  2001

春に咲くタデ科の花 ハルタデ はギャラリー・イグレックの環境では秋に咲きます。

葉の中央に斑紋があることで イヌタデ と区別します。

ギャラリー・イグレックからのお知らせ :10月のカフェ/アン・キャンズの営業は本日で終了しました。多数のご来店有難うございました。

10月19日から21日まで3日間の企画展開催の間は<テ と カフェ>のみですが営業いたします。

パリの街燈 réverbère1  パリ市庁舎 Hôtel de Ville

   depuis  2001

パリの街中にはいろいろなデザインの街燈 réverbère があります。
それぞれが風景に溶け込んでいますので、街燈に目が行く人は少ないかもしれません。
そこで、街燈だけに注目して紹介してみることにしました。

まずは オテル・ド・ヴィル Hôtel de Ville パリ市庁舎の街燈からです。

背後の建物が市庁舎で、時計の下に左から<自由・平等・友愛>の文字が見えます。また、左の市旗と国旗とユーロ旗の下には<たゆたえども沈まず>の市章を見ることができます。
なお、樹木は
2008年8月のテンポラリーな造作 (パリ・プラージュと同趣旨でヴァカンスのため) 。

2008年は EU 発足15周年 でした。

手紙と筆記の美術館へ

   depuis  2001

秋晴れのパリの午後、Musée des lettres et manuscrits へいってきました。
サンジェルマン大通りにひっそりとたたずむこの美術館は、私立美術館です。

王政時代の王様の手紙から、フランスを代表する文豪、画家、科学者、音楽家の手紙がたくさん展示されていました。
トゥールーズ・ロートレックの手紙もありましたが、写真を撮り損ねてしまいました・・が、こちらでその一部をみることができます。
http://www.museedeslettres.fr/public/sous-thematique/les-post-impressionnistes/91
小さな美術館ですが、みごたえはたっぷりありました。

ギャラリー・イグレック の花々 86   ノゲシ

   depuis  2001

ノゲシ(野芥子)は春から咲き始めますが、
ハルノゲシ と呼ばれたりもするのに10月に入っても咲いています。

オニノゲシ と似ていますが葉が柔らかなことで違いが分かる雑草です。

ロータリーとモニュメント 68  ディアギレフ広場

   depuis  2001

バレエ・リュス Ballets Russes の創設者で芸術プロデューサーだった
セルゲイ・ディアギレフ Serge de Diaghilev (1872 – 1929) の名を冠した
ディアギレフ広場  PlaceDiaghilev はオペラ座の裏手にある。

1906年のプチ・パレに始まりオペラ座やシャトレ座で絵画展、音楽会、バレエ公演等をロシアの芸術家を使ってプロデュースしパリを中心に活動し成功を収めた。
例えば、リムスキー・コルサコフ、ラヴェル、ラフマニノフ、スクリャービン、プロコフィエフ、ストラヴィンスキー、チャイコフスキー等ロシアの作曲家を世界に紹介した。
フランスでは、ピカソ、マチス、ローランサン、ドビュッシー、ココ・シャネル等も関った。

Pl. Diaghilev

6道路が交差し混雑が常態のロータリーで、モニュメントは植木鉢と街燈。
左の建物がオスマン大通りに面する <ギャラリー・ラファイエット Galerie Lafayette >、
右がオペラ座の裏。
真ん中の建物はいわゆるオスマン様式のそれで2層(3階と6階)のバルコニーがある。

  一般的にオスマン様式といわれるアパートは、日本風でいうところの3階と6階部分にバルコニーがついているタイプのもので、不動産市場でも高く、人気があります。

ロータリーとモニュメント 67 オスマン男爵(広場)

   depuis  2001

<ギャラリー・ラファイエット>と<プランタン>の前を通るオスマン大通りにその名を残すオスマン男爵 Baron Georges Eugène Haussmann (1809-1891) の立像はオスマン大通りとミロメニル通りとが交差する7本の道路が集まるロータリーにある。オスマン広場と呼ぶべきかと思うが何故か広場に名は付いていないようだ。

オスマン男爵 Baron G.E.Haussmann はナポレオン3世のもとでパリを含むセーヌ県知事 (1853-1870) としてパリを現在の形に改造し、世界に都市計画の範を垂れた人物だ。
彼の目はオスマン大通りからフリドラン大通りを通して一直線に凱旋門を見ている。

手前がオスマン大通りで右に行けばプランタンなどオペラ方面へ、像の向こうのラボルド通りを行けばサント・ギュスタン教会前を通ってサン・ラザール駅前へ出る。

クレマンソー広場にあるクレマンソーの立像の彫刻家 François Cogné の作品 (1889) 。

Baron G.E.Haussumann

ブキニスト 3  シャンジュ橋下流右岸

   depuis  2001

ブキニスト Bouquinistes の多くは観光客目当てのポスターや絵葉書・写真を扱う店になってきたが、写真のブキニストは昔の雰囲気を残しているように見える。

シャトレ広場からシテ島に架かるシャンジュ橋 Pont au Change 直下流右岸で、後方にシテ島にある コンシェルジュリー Conciergerie の尖がり帽子が見える。
後ろがセーヌ川で、前が一方通行で上流に向かう幹線道路 メギッスリー河岸通り Quai de la Mégisserie で下流側に向かう リヴォリ通り と対を成す。

Bouquinistes

ギャラリー・イグレック の花々 84  バジリコ

   depuis  2001

旬を過ぎたバジリコ(バジル)  basilic の花です。

ギャラリー・イグレックからのお知らせ:

カフェ/アン・キャンズは本日1日から10日までの10日間オープンしています。

お越しをおちしております。

ギャラリー・イグレック の花々 82  コシロノセンダングサ

   depuis  2001

雑草狩りで衣服について往生する ヒッツキムシ はコシロノセンダングサの実です。

右が花(花びら5枚のものが多い)ですが、左には開く直前の実が見えます。
除草の限界点です。

ヒッツキムシの東の横綱 オナモミ も同じキク科ですが、庭で見かけたことはありません。

ギャラリー・イグレック の花々 77  ヘクソカズラ

   depuis  2001

若木や潅木に纏わりついて成長を妨げるので、
その除去に苦労しっぱなしの ヘクソカズラ の花です。

小さな花ですがこうしてみるとやっぱり根性がありそうですね。

ノウゼンカズラ の花は撮るのを忘れてしまいました。今年の夏は終わりました。

ギャラリー・イグレック の花々 75  ヒガンバナ

   depuis  2001

今日は秋分の日です。今年のお彼岸は入りが19日で明けが25日です。
昨日の朝起きてみると 白の彼岸花 (シロバナヒガンバナ) が咲いていました。
赤い彼岸花 (曼珠沙華) は先週には咲きはじめていました。

ここ数日日中でも30度を下回る過ごしやすい日が続き、
暑い暑い夏もようやく終わりのようです。

ギャラリー・イグレック の花々 74  ベゴニア

   depuis  2001

シュウカイドウと同じベゴニア属の花ですが、雌雄異株です。繁殖力も違っています。退治しきったと思っていましたが、隅のほうでまた花をつけていました。

ルイ14世時代の1700年にフランスの植物学者プリュミエが命名したそうです。

ギャラリー・イグレック の花々 72  カンナ

台風一過の今日の天気は晴れ、気温は30度未満、少しばかり過ごしやすい昼過ぎです。夜は虫の音、昼にはツクツクボウシが鳴いています。
今年の春に徹底的に抜いたはずなのに・・・夏の花 カンナ

9月のカフェ/アン・キャンズで使わせていただきました。もう終わりです。

風車の国の太陽光発電/I amsterdam

   depuis  2001

アムステルダム国立美術館の周辺この一帯は以前2度訪れた時とは風景がまるで変ってしまっていて戸惑いを隠せなかった。お目当ての店がこの辺りにあって、2度目の時は近々閉店するように言っていたのだが。。

このモニュメントから手前は水面を伴う広大な広場になっていて、地下は各種のツアーバスの発着場になっている。ただ、出来上がって間もないせいで樹木が小さく日陰に乏しい。

背景がアムステルダム国立美術館 (入口は左側) だが、見ての通り新築かと思うほどの全面改修で太陽光パネルがびっしりと屋根を覆っている。

I amusterdam

エッフェル塔百態 74  カルーゼル公園

   depuis  2001

カルーゼル公園 Jardin du Carrousel からのエッフェル塔。

前の人の流れは左手のカルーゼルの凱旋門から右手のチュイルリー公園へ、
あるいはその逆の動き。
手前の植え込みは迷路のようになっている。
公園内では複数の<マイヨール Aristide Maillol の彫像>を見れる。
写真では左手に Aristide Maillol 、右手に Le vase Médicis 。

Tour Eiffel / Jardin du Carrousel

少し右方向に移動して振り返ると。。。

中央にマイヨールの Air と題する作品、背景はルーブル美術館で左がリシュリュー翼、右がドノン翼、奥がシュリ―翼、彫像の右にカルーゼルの凱旋門。灌木の植え込みが迷路。

Jardin du Carrousel / Aristide Maillol

ウインドウショッピング 19  Le Bon Marché

   depuis  2001

パリのファッションデザイナーである ソニア・リキエル、 イザベル・マラン、 ジャンポール・ゴルチェ  ブランドの商品を展示 (左より右へ) している。
履いている左右のパンプス escarpin はアントウェルペンのファッションデザイナーの一人  ドリス・ヴァン・ノッテン  のブランド商品のようだ。1ユーロ100円で勘定しても、靴まで入れると一式 20万~35万円。

2012.07.24.

ルーベンス/ヴァン・ダイク/テニールス

   depuis  2001

この3人は世界に知られている画家で、いずれもアントウェルペン生まれだ。

ヴァン・ダイク Antoon van Dyck (1599-1641) はイギリスの画家だと思っている人がいるほどイングランド王室の宮廷画家として1632年以降のイギリスの画壇を牽引した画家。

また、テニールス David Teniers (1610-1690) も当時ブリュッセルを支配していたオーストリア大公の宮廷画家として異国のブリュッセルで活躍した。

ルーベンス Petro Paulo Rubens (1577-1640) もイタリアのマントヴァ公とスペインのイサベラ王女の宮廷画家を務めた。スペイン王室の宮廷画家ベラスケスはヴァン・ダイクと同年の生まれだ。

アントウェルペンの目抜き通りと、隣接する広場に3人の立像がある。2人が教えを受けた先輩ルーベンスの像は広場にあり、没200年の1840年の記念碑で、背景はアントウェルペン大聖堂だ。

パリの消防/SAPEURS POMPIERS DE PARIS 追補・再掲

パリの消防/SAPEURS POMPIERS DE PARIS

   depuis  2001

パリの消防は フランス陸軍の消防工兵部隊で平時は内務省とパリ警視総監の指揮下にあるパリ消防旅団 Brigade des sapeurs-pompiers de Paris (BSPP)  に委ねられている。

パリ1区の消防署(兵舎) Caserne Pompers の建物と消防車に SAPEURS POMPIERS DE PARIS (パリ消防士) とあり、また、大きく SAPEURS (工兵) の表示があるのがその辺の事情をうかがわせている。

7月14日の革命記念日のシャンゼリゼ大通りでのパレードではトリを務める。

入口上部のガレー船の船首は (消防がスポンサーによって運営されていた時期の) 当スポンサーのシンボルではないかと・・・

リヨン駅 Gare de Lyon 近くにある12区の Caserne Pompers 。正面左右に門番がいるが、これは消防服を着用した人形。従来は工兵が常駐していたのだろう。

セーヌ川の女神(寓意)/Louis Petitot

   depuis  2001

セーヌ川 La Seine の恵みを寓意する女神像だ。

ヴェルサイユ宮殿のルイ十四世の騎馬像の作者
Louis Petitot (1794-1862) による1846年の作品(石造)。

セーヌ川左岸とルーブル美術館を結ぶポン·デュ·カルーゼル Pont du Carrousel の左岸下流側の橋柱にあり、顔はやや左岸上流を向いている。
左脇に置かれた水瓶から溢れる水がセーヌの恵みを表す。

左右岸の上下流に置かれたそのほかの3体、産業 L’Industrie 、豊饒 L’Abondance 、パリの街 La Ville de Paris の寓意像とセットになってパリを誇る。
後ろはルーブル美術館ドノン翼、下流の橋はロワイヤル橋。

La Seine

 

 

ウインドウショッピング 18           Louis Vuitton de l’avenue des Champs-Élysées

   depuis  2001

猛虎宰相クレマンソーの亡くなった1929年に生まれたファッション・デザイナーの 草間 彌生 (画家・彫刻家) は例の水玉模様でルイ・ヴィトンとコラボレートしています。

<ラ・フェルメット・マルブフ1900>で食事した後、BVLGARI / George V、HERMES / George V や LOUIS VUITTON / Champs-Élysées の ウインドウショッピング を楽しみました。

写真の上段は、ルイ・ヴィトン本店のシャンゼリゼ大通りに面する大型ショウウインドウ。
下段は、ジョルジュ・サンク大通りに面するウインドウ。
なかなかの人気のようで日本人に限らず多くの観光客がカメラを向けていました。

2012.08.04.

ロータリーとモニュメント 66  クレマンソー広場

   depuis  2001

日本で猛虎といえば阪神タイガースだが、
フランスではクレマンソーのことを猛虎宰相と呼ぶ。

「行動を自問するようでは行動的人間とは言えない。」と うそぶいたといわれるクレマンソー Georges Clemenceau (1841-1929) は   第一次世界大戦時のフランスの首相であり、
戦時並びにヴェルサイユ条約締結時のドイツへの強硬姿勢で知られる。

また、ジャーナリストとしてドレフュス事件でドレフュスを擁護した人権派としても有名。
エミール・ゾラ の 「われ、弾劾す。 1898 」は彼の主幹する新聞で公開された。
革命以後のフランスの栄光を代表する行動的政治家でありジャーナリストだ。

グラン・パレ、プチ・パレ、エリゼ宮の面するシャンゼリゼ大通りにクレマンソー広場 Place Clemenceau があり、クレマンソーの像 (François Cogné (1876-1952) の作) と噴水がモニュメントとしてある。2000年以降、反対側にド・ゴールの像もある。

後ろの建物はプチ・パレ、右側に見える通りがウィンストン・チャーチル大通り Av. W.Churchill で、その右手がシャンゼリゼ大通り、左手がセーヌ川でアレクサンドル3世橋からアンヴァリッドへと続く。

地下には メトロ1号線、13号線 Champs-Élysées Clemenceau 。

Pl. Clemenceau

経済学者ケインズはヴェルサイユ条約締結時におけるフランス(クレマンソー)のドイツに対する強硬姿勢をローマのカルタゴに対するそれに例えて<カルタゴ式平和>と揶揄した。

カルタゴは三次にわたるポエニ戦争の結果、徹底的にローマに滅ぼされる(紀元前146年)まで地中海を支配した海洋都市国家だが、現在のチュニジアの首都チュニスにあたる。

本日、当時アフリカといえばカルタゴのことであったといわれる現チュニジアからのアクセスがあった。アフリカからは今年の2月25日以降で初めでだ。

エッフェル塔百態 73  オステルリッツ橋

   depuis  2001

ヴァルベール広場 Place Valhubert 前のセーヌ川に架かるオステルリッツ橋からのエッフェル塔。

セーヌ川の下流方向を見ていて、
左の左岸側にオステルリッツ駅 Gare  d’Austerlitz 、パリ植物園があり、右岸を直ぐ右折してディドロ大通り Boulevard Diderot に入ればリヨン駅 Gare de Liyon 前だ。

真ん中にエッフェル塔、左にパンテオン、そして右にパリ・ノートルダム寺院 (シテ島) という配置で、下流に見える橋はサン・ルイ島に架かるシュリ―橋だ。サン・マルタン運河は下流右岸直ぐのところから始まる。
ジュシ―タワー Tour Jussieu (Tour  Zamansky) と呼ばれる高層の建物と前、横の建物群はパリ第 VI 大学 /ピエール・エ・マリー・キュリー大学。

May Milton / Toulouse-Lautrec

   depuis  2001

かねてから鑑てみたいと思っていたロートレックのリトグラフ< May Milton >(1895) にアムステルダムのゴッホ美術館で遭遇した。平凡な構図だが、なぜか親しみやすい。パリでの公演時に次のニューヨーク公演のためのポスターとしてロートレックに依頼したもの。

イギリスのダンサーであった彼女はこのポスターのお蔭でその名を今に残しているが、風貌も才能もいまいちであったようだ。ロートレックがこのように描いているところを見れば美人だったように思えるが。

ウインドウショッピング 16  Le Passage des Princes

   depuis  2001

おはようございます。 昨日川之江に帰ってきました。
パリ・アミアン・アントウェルペン・アムステルダム等で手に入れた品々も持ち帰りました。

イタリアン大通りからリシュリュー通りに抜けるパッサージュ・デ・プランスの鉛筆屋さんのウインドウです。
このパッサージュにはプラモデル屋さん、フィギュア屋さんなどもあり楽しいです。

これだけの生きたサンゴが。。Hotel Estheréa

   depuis  2001

3連泊したアムステルダムの Hotel Estheréa のロビーにいるサンゴの数々。写真では分からないが、すべてのサンゴが生きていて休むことなく動き続けているのには驚いた。

世界遺産に登録されているアムステルダムの地区内にある、運河に面した昔ながらのクラシックな四つ星ホテルで、何とも居心地がよかった。シャンデリア、ランプなど古くからのものに良き時代の贅を感じた。
部屋に冷蔵庫はあるがミニバーはなく、ロビーでカフェ・テ等のドリンク・菓子のサービスがあるのも珍しかった。

写真の上段が中央、中段が左側、下段が右側。

運河に面するホテルの外観だが、古のアムステルダムの風情そのままのところがよい。

ここからほど近い、面影を無くした<アンネ・フランクの家>を筆頭に激変するアムステルダムなのだが。。

揺蕩えども沈まず/追補・再掲

   depuis  2001

 サン・ドニ門からサン・ドニ通りをパリの中心部に向かって歩いて右側にパッサージュ Passage du Grand Cerf を通り抜けたところでパリ市の市章を見つけた。

市立の保育園/幼稚園 e’cole maternelle の建物だ。

市章の上には国旗が、その上には自由・平等・友愛の文字が埋め込まれている。

<たゆとうとも沈まず> 帆船が市章になっているのは船頭の組合長が代々シテ島を支配してきたことに由来するといわれる。

もともと、パリの守護聖人 聖ジュヌヴィエーヴがフン族の侵略からパリを守った故事(464年)に起源するともいわれる。

.メトロ1号線 の Hôtel de Ville  のタイル張り壁面にある市章は色つきでわかりやすい。

パリの市庁舎 Hôtel de Ville の2枚の飾り窓にある市章は。。。

オルセー美術館 Musée d’Orsay にある市章は。。。

15区区役所の市章
 まだまだあります。

アミアンのアール・ヌーボー/ジュール・ヴェルヌの家

   depuis  2001

SF小説の元祖といわれている<海底二万里 Vingt mille lieues sous les mers >の作者ジュール・ヴェルヌ Jules Verne (1828-1905) は晩年を市会議員としてパリの北方ピカルディー地方の首府アミアン Amiens で過ごしたが、その屋敷はアール・ヌーボー様式で、現在でもその面影が残っている。
今は退役している世界初のアメリカの原子力潜水艦ノーチラスは誰でも知っているが、そもそもノーチラスはナポレオンが1800年に設計を命じた潜水艦の名で、海底二万里 (1870) でもその名が使われている。
海底二万里は潜水艦ノーチラスに乗船した主人公の海洋生物学者の海底冒険小説でアトランティス大陸等も登場する。

 

タリス Thalys に乗ってみよう

   depuis  2001

この夏パリからアントウェルペン、アムステルダムに小旅行するのにタリス Thalys を利用した。以前にもブラッセルからの帰りに使ったことがある。ケルンへも行ける。

お勧めは<一等車で早めに予約を取っておく>ことで、インターネット上で簡単に手続きできる。TGV 並の高速性と座席、車内サービスが気に入っている。

パリ・ノルド7時25分発、アントウェルペン9時27分着で、朝食が付く (写真上) 。さらに、途中、ブラッセルを過ぎると茶菓のサービスがある。
アムステルダム13時16分発、パリ・ノルド16時35分着で軽食 (ワイン・ビール・ドリンク各種) が付く (写真下) 。やはり、途中、茶菓のサービスがある。
アントウェルペンからアムステルダム1時間強でも軽食が出る。

今回取った切符の値段はアムステルダム・パリの例で8000円弱 (シニア割引適用) だったが、もっと早くに取れればもう少し安い。日本の常識では信じがたいだろうが、日本の新幹線も航空機も高すぎるのだ。なお、シニア割引を使った場合はパスポートまたはその写しを持参しておくこと。

ウインドウショッピング 15  Van Cleef & Arpels

   depuis  2001

ヴァンドーム広場のVan Cleef & Arpels。反射で写っている写真左端が リッツ Ritz で改装工事中、まだしばらくかかる。右端のディオールも工事中。
オーステルリッツの三帝戦を制したナポレオンの立像が、中央に見える戦利品で建造した円柱 Colonne の上からカスティリオーヌ通り(Dior の左) を通してチュイルリー公園を望む。

Van Cleef & Arpels / Pl. Vendôme

ロータリーとモニュメント 65  カトルー将軍広場

   depuis  2001

マルゼルブ大通り Boulevard Malesherbes と ヴィリエール大通りとが斜めに交差し長方形のロータリーに7本の道路が集まる カトルー将軍広場 Place Général Catroux 。旧名はマルゼルブ広場。
愛称が長らくトロワ・デュマ広場であっただけにモニュメントは<岩窟王 / モンテクリスト伯>のアレクサンドル・デュマ(大デュマ)、<椿姫>のアレクサンドル・デュマ (息子デュマ) 等のモニュメントがある大広場だ。

大デュマ Alexandre Dumas (1802-1870) はナポレオンの配下にあった父デュマ将軍が白人と黒人とのハーフであったことで代々人種差別を受けていたことでも知られるフランスの著名作家。大デュマは生誕200周年の2002年になってやっとパンテオンに祀られたが、その際シラクは人種差別の事実に言及し謝罪したという。

ドレ Paul Gustave Doré Louis Christophe (1832-83) の作品 (1883) 。

Pl. Général Catroux

< 足枷/手枷 Fers >
ナチ占領下の1913年に破壊されたデュマ将軍の功績碑に代わるものとして、功績碑と合わせて2008年にパリ市が設置した。

fers

カトルー Georges Catroux (1877-1969) 将軍は第一次、第二次大戦のフランス、自由フランス陸軍の職業軍人であり外交官。

ロータリーとモニュメント 64 ジャンヌ・ダルク広場

   depuis  2001

7本の道路が集まるロータリー ジャンヌ・ダルク広場 Place Jeanne d’Arc の真ん中に Notre Dame de la Gare がある。パリ市に編入される以前の地区の聖母教会だ。広場名は編入時から。

下の写真は教会前からジャンヌ・ダルク通り Rue Jeanne d’Arc を見たもの。ジャンヌ・ダルク通りはジャンヌ・ダルクの立像のあるサン・マルセル大通り Bd. St-Marcel まで一直線。その先に、聖人ジャンヌ・ダルクの眠るパンテオンが見える。影は教会のもの。

左の写真は教会内にある彫像で十字剣を持つジャンヌダルクだと思われるが、何の記載も説明もない。

ロータリーとモニュメント 63  ケベック広場

 depuis 2001

サン・ジェルマン・デ・プレ教会横のケベック広場 Place du Québec のモニュメント。
最近修復された。地震でタイル舗装が隆起し地下水が噴き出ているようなオブジェなので、清掃を欠かせない。

左右に横切るのがサン・ジェルマン大通り  Boulevard St-Germain で、モニュメントに沿って左からレンヌ通り Rue de Rennes が合流し、右からボナパルト通り Rue Bonaparte が教会前のサン・ジェルマン・デ・プレ広場 Place St-Germain des Prés  へ突き抜ける。さらに真っ直ぐ進めばボザールの横を通ってセーヌ川に出る。

左端に見えるのがレ・ドゥ・マゴ Les Deux Magos でその左のカフェ・ド・フロール Café de Flore とともにサルトルのカフェとして有名な老舗カフェだ。

Pl. du Québec

 

パリで好きな現代アートがおいてある広場のひとつです。記事にあるとおり、ブロンズでできた Fontaine (泉)となっていて、1984年にケベック州から寄贈されました。その後、1980年にこの広場はケベック広場の名称で呼ばれることとなりました。建築家アルフレッド Gindre と彫刻家チャールズ Daudelin とによる作品で、噴水は、セントローレンス川で春に崩壊する氷塊を表現しています。探検家ジャック·カルティエのカナダ発見450周年の記念。ブルトン人カルティエの胸像はカナダ広場にあります。

***

デ・プレ教会 (右端) 横のサン・ジェルマン大通りから見た両カフェ。2008.02.07.

Les Deux Magots / Café de Flore

レ・ドゥ・マゴには数回はいったことがありますが、カフェ・ド・フロールはまだありません。カフェ・ド・フロールのほうが最近は、若い人に人気のような感じです。日本人のギャルソンもいるようですよ。カフェ・ド・フロールの隣には日本食屋さん、「円」があります。

エッフェル塔百態 72                         ロータリーとモニュメント 62  レジスタンス広場

   depuis  2001

アルマ橋の左岸詰の レジスタンス広場 Place de la Résistance には5本のアヴェニューと1本のルーが集まる。RER の Pont de l’Alma の駅もある。

右側にセーヌ川が流れていて、アルマ橋を渡れば自由の炎のモニュメントのあるアルマ広場だ。

広場から緑の間を少し下流へケ・ブランリィ Quai Branly を行けばシラクの<ケ・ブランリィ美術館>だ。

ロータリーとモニュメント 6  レピュブリック広場

   depuis  2001

長方形ロータリーの レピュブリック広場  Place de la République

タンプル通り Rue du Temple & Rue du Faubourg du Temple が
中央を横切っている双子ロータリーだ。

広場にはホームレスなどもいるので、
この辺りではキョロキョロ・ウロウロしないのが賢明だ。
2012年2月現在、広場の改修中。終われば、観光客を取り戻せるかも。

1879年に第三共和国の発足 (1870) を記念して設置されたモニュメント。

フランス共和国を寓意するマリアンヌの像を<自由><平等><友愛>を象徴する3つの像が支え、さらにそれらを1789年のフランス革命時の「テニスコートの誓い」や「バスティーユの襲撃」など12のレリーフが支える設計になっている。
加えて、<勇気>を暗示するライオンを正面に配している。

右が「自由の女神像」で左手で自由の炎をかざしている。左が「平等の像」で右手に三色旗を持っている。マリアンヌが右手でかざしているのは平和を表すオリーブの木、
被っている帽子は自由を表すフリジア帽だ。

建築家と彫刻家のモーリス兄弟の作。

***

2012年8月現在の広場の状況。

マリアンヌ像の左右の交通も遮断し広場全体を囲っての大改修中で、ロータリーの通行もこれまでとは全く違っている。もともと分かり難いのに変更されたバス停を覚えるのに一苦労だ。

看板に描かれている完成後の広場の予想図をみると、
横断する道路を廃して左右一体の大広場となるようだ。

工事期間は、2012年1月から2013年春までとなっている。
パリの他例から察すればきっと遅れることだろう。

Pl. de la République /2012.08.05

改装工事は終了し、バリアフリーの大広場として再生した。  2013.07.28.

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ロータリーとモニュメント 2  ナション広場

   depuis  2001

ナション 広場  Place de la Nation のモニュメントは Monument de la République だ。

Monument de la République -Nation

エメージュ・ダル― Aimé-Jules Dalou が20年をかけたといわれる代表作 Le Triomphe de la République (共和国の勝利あるいは共和国の凱旋) (1899) で女性はフランス共和国を象徴するマリアンヌだ。フリジア帽を被っている。

1889年のフランス革命100周年を記念したもので、自由・正義・教育・平和 を寓意したものだ。落成式の挙行された1899年は<ドレフュス事件>に転機が訪れた年でもある。歴史の妙というべきか?

像の向きはフォーブル・サン・アントワーヌ通りをとおしてバスティーユ広場、その先はエッフェル塔だ。

メトロ2号線、6号線の始発駅であり、1号線、9号線とRER  A線 の停車駅である Nation はエトワールと対をなす大型円形ロータリーの地下だ。12本の放射道路のうちヴァンセンヌへ一直線の Cours de Vincennes で開かれる朝市は規模の大きさで有名だ。

ニューヨークのバッテリーパークで到着列車が折り返すのではなくそのままぐるっと回って始発列車になるのに驚いたことがあるが、メトロ2号線は到着列車が進行方向を変えることなくそのまま始発列車になる。広場の大きさが想像できようというものだ。

* * *

ここしばらく続いていたナション広場の改修がほぼ一段落し、大木の伐採と潅木花木の植栽でモニュメントの見通しもよくなった。また同時に進行していた像後方の玉座の円柱 Colonnes du Trône の改装も終了した (写真2枚目の2本の円柱) 。Cours de Vincennes の大規模改良もトラムの新設工事に関連する部分を除き概成した。(2011年8月)

ポルト・ド・ヴァンセンヌ Port de Vincennes を通るトラムの工事はレールの敷設に続き架線も引き終わり植栽もされて開通が間近い。(2012年8月)

* * *

2011/07/23 の朝市で・・ウサギ Lapin と花

ロータリーとモニュメント 47  ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼ

   depuis  2001

   ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼ Rond- Point des Champs-Élysées のモニュメントは6つの噴水と四季折々の花で彩られた花壇とマロニエの樹々だ。
ただここ数年噴水が出ているのを見た記憶がない。
チュイルリー公園やベルサイユ宮殿の造園家、
ル・ノートル Andre le Notre (1613-1700) の作 (1670) 。

拡大して見て欲しいが、シャンゼリゼ大通りの左右に花壇が見えるところが ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼ で、地下はメトロ1号線と9号線のフランクリン・ドラノ・ローズヴェルトの駅になっている。

左は2011年8月

*

右は2011年4月

このロータリーの正式名は Rond- Point des Champs-Élysées-Marcel Dassault (シャンゼリゼのロータリー:マルセル・ダッソウ) と長いのだが、マルセル・ダッソウは第一次世界大戦で使用されたフランス軍のプロペラ機を発明した航空実業家で第二次世界大戦後にはフランス一の軍用機メーカを設立した人物だ。第二次大戦占領下のフランスでドイツの協力要請を拒否したことでも知られる英雄でもある。

2012年8月4日
建物は最上段の写真でシャンゼリゼ大通りとロータリーとの角の建物。

Rond- Point des Champs-Élysées

エッフェル塔百態 71               ジョルジュ・サンド/ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ

   depuis  2001

パリ16区のジョルジュ・サンド通り Rue George Sand と ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ通り Rue Jean de la Fontaine との交差点から見えるエッフェル塔。

ジョルジュ・サンドはショパンやリスト等と浮名を馳せた誰もが知る女流作家で、銘板には< ジョルジュ・サンドとして知られるオーロール・デュパン Aurore Dupin (本名) 1804-1876  / 作家 >とある。

写っている通りはジャン・ド・ラ・フォンテーヌ通りで、交差するジョルジュ・サンド通りを左に行くと直ぐ Villa George Sand がある。

もう一方は、<すべての道はローマに通ず>でも、また、寓話詩人としても知られる(カラスとキツネで紹介した)ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ Jean de la Fontaine  の名を冠したもので、< ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ  Jean de la Fontaine  1621-1695 / 寓話作家 >とある。

ロータリーとモニュメント 61  ラ・ソルボンヌ広場      秩序と進歩/ブラジル国旗

   depuis  2001

ブラジルの国旗ブラジルの国旗  にある<秩序と進歩 Ordem e Progresso>は
フランス革命後の社会の混乱を背景にその秩序と進歩を探求した 社会学の元祖オーギュスト・コント Auguste Comte(1798-1857) の言葉だ。

ブラジルが共和制になったのは1889年、フランス革命後100年目にあたる。

サンミッシェル大通り Boulevard St-Michel に面する ラ・ソルボンヌ広場 Place de la Sorbonne  に彼のモニュメントがある。<全てに(色々)有難う>の落書きがみえる。
永遠を寓意する棕櫚を捧げているのは聖母子に擬えたクロティルデ・ド・ヴォー Clotilde de Vaux (1815-46) で、コントが熱烈に愛した (1844-46) 詩人。右は学習中のプロレタリア。

ミラボー橋の4彫像の作者、Jean-Antoine Injalbert (1845-1933) の作品 Monument à Auguste Comte (1902) 。

POMZE で 最後のデジュネ déjeuner

   depuis  2001

今回パリ最後の昼食を POMZE でとった。             レストラン POMZE

天気が良かったので、メトロ 1号線 のシャンゼリゼ・クレモンソー Champs-Élysées Clemenceau からエリゼ宮の西側 (マリグニー大通り) に沿ってプラタナスの落ち葉を踏みながらサントノーレ通りまで、さらにギャラリーの多いミロメニル通りをオスマン大通りまで歩いた。さすがに、ギャラリーの大半はヴァカンスで閉店していた。

フランス人受けを狙った日本人シェフの創作料理で、小部屋もあり、主に接待に使われているようだ。

飲み物は リンゴ  pommes  のシードル にして、

アントレ は・・・

ガスパッチョ・リンゴ入り

カツオ・わらいぶし

サバ・あぶり

プラットは・・・

エビのリゾット

牛ヒレ肉・ジャガイモ添え

鴨のマグレ

パリ の ヴァカンス も終わり

   depuis  2001

今、パリの現地時間で朝8時30分。室内気温26度。
窓を開けると冷気が入り込んで寒いほどの爽やかな朝です。観光客はまだまだ多いですが、市民のためのパリ・プラージュも終わり、オテル・ド・ヴィル前特設のリゾートや給水所も片づけが始まりました。保育園なども今週はじめから始まりました。今週いっぱい休んでいるお店もありますが、ぼちぼち街中も普段のパリに戻ってきつつあります。
私たちも明日夕方の便で東京に戻ります。

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今年の夏は恒例のツールドフランス観戦からはじまり、アミアン、ロンドンオリンピック、
アントワープ、アムステルダム、ミュゼ、ベルギーからのお友達とのパリでの再会、
お友達とのホームパーティ・・などもりだくさんの夏休みとなりました。

大きなアクシデントもなく無事すごせてホッとしていますが日本との気温差が心配です。
まだまだ暑さが厳しいようですので、皆様もお体ご自愛ください!

ラ・フェルメット・マルブフ1900 でのデジュネ déjeuner

   depuis  2001

アミューズ・ド・ブッシュ は アボガド と クリームチーズのムース に 焼きチーズ乗せ。

飲み物は キールロワイヤル と シャブリ。

お皿は リモージュ焼き、ナイフ と フォーク は クリストフル。

アントレ は ガスパッチョ….

夏野菜のサラダ….

ムール貝のクリームソテーパイ皮挟み….

プラット は 鱈 と サーモンのデュオ….

鴨のソテー・パスタ添え

2012.08.19

エッフェル塔百態 70  ラ・フェルメット・マルブフ1900

   depuis  2001

アールヌーボースタイルのレストラン <ラ・フェルメット・マルブフ1900> の正面から見えるエッフェル塔です。

街灯の建物がレストランの正面右側でマルブフ通りに面しています(Marbouf  は17世紀のバロック詩人の名です)。

左右の道をレストランに沿って右すぐにジョルジュ・サンク大通り、また、マルブフ通りを直進すれば写真の左の建物がジョルジュ・サンク大通りに面しています。

ところで、この美しいアールヌーボー式のレストランは、Langham邸のダイニングがベースとなっていて、今はSalle 1900という名称がついています。

1898年に当時の若い才能あふれる建築家と画家がこの館のダイニングの改装を手がけたのですが、長い間そのまま放置され、約80年ほどのときを経て1978年に建物に再び手がはいった際に、壁を壊したところ、このアールヌーボー式のキッチンが当時の形のままで見つかったという、なんとも御伽噺のようなストーリーがかくされているのです。

1993年にこの建物は歴史的建造物として登録されましたが、1982年に以前の姿を知るある紳士がこの Salle 1900 をみたいとたずねてきた際に「まったく当時と同じだ!」と驚愕したそうです。

5000枚ものタイルをはめなおして行われた大改装工事の末、1898年そのままの姿でよみがえったレストランでは、手ごろな価格で定番のフランス料理が美味しくいただけます。

レストラン内部の様子は単調な造りでありませんのでなかなかお伝えするのが難しいです。。

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本日とったランチは、menu du marché  ( Entrée + Plat )  23.5 euros で、
前菜・メインとも3品から選べます。前菜はガスパッチョ・サラダ・ムール貝、メインは生牛肉のタータル・鴨・鮭と鱈のグリルのそれぞれ3品です。

2012.08.19

天井

054

フランスの国鳥/雄鶏 Coq    追記・再掲

   depuis  2001

日本の国鳥はキジですが、フランスはニワトリ(雄)coq です。

今回のパリ滞在で何となくパリらしいニワトリ(雌) poule の置物に出会ったので購入してみました。50ユーロはちょっと高かったかな?

雄鶏 coq はもっと高くて手が出ませんでした。

アン・キャンズ・カフェでお出迎えいたします。

2011.11.29

このたびの滞在で、雄鶏 coq を買いました。

9月にはアン・キャンズ・カフェでお出迎えします。

    2012.07.28

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エリゼ宮の門扉に輝く雄鶏 coq 。

羽を広げて踏ん張っています。

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Coq / Château de Saint-Germain-en-Laye

Coq / Château de Saint-Germain-en-Laye

 サン・ジェルマン・アン・レー城で時を告げる Coq を捉えました。
座っていたのに鳴く時には立ち上がります。
この Gaulois Dorée が<ガリアの雄鶏 Coq gaulois>に最も近い品種だとされている。

2014.07.26.

パリ猛暑 2012

   depuis  2001

こちらパリの8月18日から19日にかけて今夏最高の猛暑日でした。
8月に入ってからはいわゆる残暑で、夕方の西日がきつい日々が続いてきましたが、日が暮れる21時頃には気温が下がり始め、寝苦しいということはありませんでした。

土曜日の18日は気温が30度を上回る予報もあって、昼間の外出を避けて夕食をメトロ 7号線 ゴブラン Les Gobelins 下車直ぐの <Au Petit Marguery> で19時半に予約し、18時半頃出かけました。風はそれなりにあったものの西日がきつく、猛暑でしたが、東京と違って汗ばむ程度で、フランス人も暑そうにしてはいますが汗を拭っている姿を見かけません。

行きはバス、帰りはメトロを乗り継いで23時前に帰宅して就寝してからが大変でした。
夜中の2時前に目が覚め温度計を見ると室温がなんと29.7度。窓を開けても温度が下がりません。寝苦しいのも無理ありません。1時間ほど扇風機で涼んだ後眠りにつき、朝7時に起床すると室温は27.5度まで下がっていました。いつもの爽やかな朝に戻っていました。
それにしても今回の滞在の中で最も暑い夜ではありました。

朝市/バスティーユ

   depuis  2001

バスティーユの朝市はバスティーユ広場に面している立地の良さと規模の大きさで知られる。店舗の下はサンタンヌ運河だ。記念柱の向こう、運河上にメトロ1号線のバスティーユ駅 がある。
写真は16日の木曜日のもので、朝市の真ん中付近で広場のモニュメントである「7月革命記念柱」をのぞんだ。つまり、手前に同等の店があるわけだ。

ヴァカンス中とあっていつもより店数が少なく、雑貨店が多い印象だった。バスティーユ活性化のマルシェとして土曜日は全て10時から17時までオープンだそうだ。

朝市/Bastille

ウインドウショッピング 13  オメガ OMEGA

コンコルド広場とマドレーヌ広場間、ロワイヤル通りにあるRoyal Quartz  の ウインドウ。

オリンピックのオメガ を アピール。

オリンピック LONDON  2012は終わったが、ヴァカンスで休業とあってウインドウはそのまま。

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   depuis  2001

デルフトブルーの夜警/レンブラント Rembrandt

   depuis  2001

レンブラント Rembrandt van Rijn (1606-1669) の代表作で、
かつ、名作の誉れ高い通称<夜警>、
実の名は<フランス・バニング・コック隊長の市警団>のデルフト焼きによる陶板画です。

Royal Delft の作品で、自慢の<デルフトブルー>が冴えています。

レンブラント/夜警

アムステルダム国立美術館の至宝<フランス・バニング・コック隊長の市警団 1642>は・・・

レンブラント/夜警

因みに、レンブラントの描いた原画はこれより大きく、1715年にダム広場の市役所に移した際に特に左側と上・下部をカットしたと言われています。

明らかにそれ以前のLundens (1622-83) による模写 (下の写真) がそれを裏付けています。

ルーベンス/夜警

デルフト/フェルメール Johannes Vermeer

   depuis  2001

デルフト焼きとフェルメールでお馴染みのデルフトを訪れました。日本の近代治水では<神は人間を創ったが、国土はオランダ人が造った>というオランダから多くを学んだのだそうですが、そのデルフト工科大学もあります。

デルフト焼きはオランダ東インド会社を擁した17世紀に日本・中国の影響を受けつつ発展した陶器です。現在残っている二つのうちの一つ Royal Delft の工房を訪ねました。

フェルメールの地元とあって、フェルメールの<真珠の耳飾の少女><ワイングラスを持つ娘>のほか、デルフトの街を描いたたった2枚の風景画の内の一枚<小路>の陶板画が展示されていました。

同時代を生きたレンブラントの代表作<夜警>(オランダ国立美術館所蔵)の陶板画は圧巻でした。

フェルメールの作品は30数点に過ぎないとされていますが、そのうち4点をアムステルダム国立美術館が所蔵しています。すべて来日したことがあります。

デルフトと接するデン・ハーグの「マウリッツハイス美術館」は<ディアナとニンフたち><真珠の耳飾りの少女>の2点を所有していますが、現在全面改装中で閉館、その間、2点はいずれも日本でお仕事中です。デン・ハーグにも寄りましたが現地では見れませんでした。

「アムステルダム国立美術館」は改装が終わって、所蔵の4点<青衣の女><恋文><牛乳を注ぐ女><小路>とも在席でした。9時の開館と同時に入館しましたのでゆっくりと鑑賞することができました。

アントウェルペン と ルーベンス ~ネロ と パトラッシュ の物語

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フランスでは、今日8月15日は聖母昇天祭の祝日です。聖母マリアが肉体と霊魂を伴って天国にあげられたという<聖母被昇天>を記念する祝日です。

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アムステルダムに行く前に、途中、ベルギーのアントウェルペン (アントワープ) Anvers に立ち寄りました (2012.08.8-9) 。アントウェルペンは最近ではモードの街として一躍有名になりましたが、ダイヤモンド取引の町、ルーベンスの生まれ故郷として知られてきました。

アントウェルペン大聖堂では<フランダースの犬>にも登場する ルーベンスの絵 (聖母被昇天・キリストの昇架・キリストの降架・キリストの復活) を鑑賞することができます。

大聖堂の前にはトヨタから寄贈されたフランダースの犬の石碑モニュメントが設置されていて、今上天皇・皇后両陛下も来られたということです。しかし、観光局 (Office du tourisme)の人に話しを聞いてみたところ、日本人によってこの物語が逆輸入されたもののベルギーでの知名度は低いというのが実のところのようです。
日本人には涙を誘うネロとパトラッシュの悲哀の物語も、西欧人にはよく知られた厳しい中世の時代のごくありふれた日常だったのかもしれません。

大聖堂中央に位置する<聖母被昇天 1625-26>
こちらはオープンなのでネロも見ることができました。

ルーベンス/聖母被昇天

こちらがクローズされていてお金が無くては見れなかった
<キリストの昇架 1609-10><キリストの降架 1611-14>で、
当時から拝観料が必要だったため、貧しいネロは観たくても観れませんでした(涙)。

今は入場料 (5€) を払わなければ聖母被昇天すら観ることができません。教会で有料の他例を知りませんが、拝観料のおかげで大聖堂の大改装ももう一息とのコメントがありました。カンタベリー大聖堂が有料でした (2017.08.)。

ルーベンス/キリスト昇架

ルーベンス/キリスト降架

パリで 絵が明るくなった ゴッホ/ゴッホ美術館

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故国オランダとベルギー・アントウェルペン時代の一貫して暗いゴッホ Vincent van Gogh (1853-90)の絵は1886年にパリ・モンマルトルに移って以降一転して明るくなった。

写真の上段は代表作のひとつ、<ジャガイモを食べる人々>(1885) でオランダ時代、
下段二枚はモンマルトルの風車を描いたフランス・パリ時代の作品 (1887) 。

ゴッホ/ジャガイモを食べる人々

ゴッホ/モンマルトルの風車ゴッホ/モンマルトルの風車

The Blute-Fin Windmill,Montmartre (1886)

パリに移り住んだ1886年にモンマルトルの風車を描いた<The Blute-Fin Windmill,Montmartre (1886)>がグラスゴーの<Kelvingrove Art Gallery and Museum>にあった。

2013.08.02.

Moulins et jardins à Montmartre (1886)

パリの「オランジュリー美術館」で開かれていた「ブリヂストン美術館の名品−石橋財団コレクション展」で、同時期の作品<モンマルトルにて風車と公園 Moulins et jardins à Montmartre (1886)>の展示があった。

2017.08.06.