エッフェル塔百態 57  ポン・ヌフ

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  シテ島に架かるポン・ヌフ Pont Neuf のセーヌ右派流の橋上からのエッフェル塔。

セーヌ川下流に芸術橋、カルーゼル橋、ロワイヤル橋、シテ島下流端の緑地の向こうセーヌ左岸にフランス学士院、その右丸窓3つの国立美術学校・ボ・ザール、
エッフェル塔のずっと右にオルセー美術館、右端にルーブル河岸の緑地という配置だ。

1607年に竣工した石造のアーチ橋である<新しい橋>は今ではパリで最古の橋となっている。着工当時の国王アンリ3世はイングランドの女王エリザベス1世との結婚問題でも名を残している。
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芸術橋 Pont des Arts から上流側のポン・ヌフを見る。
中央のシテ島にコンシェルジュリやノートル・ダム寺院が、写真左のセーヌ右岸にはパリ市役所等が・・・

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ロータリーとモニュメント 46  ヴァンドーム広場

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  ヴァンドーム広場 Place Vendôme のモニュメントはナポレオンのオーステルリッツ (現チェコ) での戦勝記念柱だ。La Colonne とも Colonne Vendôme とも呼ばれる。

戦勝品の大砲を材料にしたPl. Vendôme-1ブロンズの浮彫がらせん状に円柱に巻きつけられ、塔頂にシーザーに扮したナポレオンの立像を配する。アウステルリッツの戦いはフランスとオーストリア・ロシアの3皇帝戦としても知られるナポレオンの戴冠式の一周年記念日にあたる1805年12月2日の会戦だ。1806年には凱旋門の建設を決定した。

リモージュ・ツールーズなどへの起点オーステルリッツ駅もこの会戦に由来する。トルストイの<戦争と平和>にも取り上げられている。広場の名はこの地が16世紀末にヴァンドーム公位を受けたアンリ―4世の妾の子セザールの館だったことに由来する。

写真の手前がチュイルリー公園で奥はラぺ通り、JCB プラザはラぺ通りの右側にある。下の写真は台座部分。台座の右が<リッツ>。

Pl. Vendôme-2

ライトアップされると・・・
2008年のクリスマスでカスティリオーヌ通りとサントノーレの交差点付近から。

Pl. Vendôme-3

2010年のクリスマス。右に<ショーメ>左に<ピアジェ>が見える。飾り付けは毎年異なるがこの一帯は統一されている。

Pl. Vendôme-4

小泉八雲記念公園

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Greece Flag 10月26日にギリシャ救済に向けたユーロ圏首脳の合意が成立し、ユーロの信頼問題はひとまず危機的状況を脱した。
<怪談>などで知られる小泉八雲 (ラフカディオ・ハーン) がギリシャ生まれであることを知っている人は少ない。彼はギリシャのレフカダ島の生まれで少・青年期をアイルランドのダブリンで過ごした。明治23年にアメリカの新聞記者として来日したがその後記者をやめ、松江・熊本・東京で教鞭をとる傍ら伝統的な日本文化を扱う名作を数多く世界に紹介した。記念公園は明治37年 (1904) 54歳で亡くなるまでの2年間を過ごした所 (新宿区大久保1-1) にあり、ギリシャ風の趣を込めた公園ということになっているのだが。。

* * *
レフカダ島には行ったことがないが、30年近く前ギリシャのアテネを訪れたことがある。当時のアテネは排気ガスが充満していて遺跡を含め建物は白いどころか真っ黒だったこと、貴重なものは何一つ残されていないのではと思える程考古学的に悲惨だったこと (例えば、パルテノン神殿のレリーフはすべて大英博物館にある。) 、空港に機関銃を構えた兵士が大勢いたこと等の記憶がある。また、当時既にギリシャの通貨ドラクマの信用はゼロで出国した途端に無価値 (他の通貨に交換不能) であった。

パラシュートの日 / モンソー公園

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モンソー公園 Parc Monceau にフレームレスのパラシュートの発明家であるAndré-Jacques Garnerin (1769-1823) を顕彰した銘板がある。
彼はモンソー公園で熱気球と絹製のフレームレス・バラシュートを備えたバスケットに乗り込み900メートルの上空まで上昇したのちバルーンを切り離しパラシュートを開いて無事地上に降り立つことに初めて成功したのだがその趣旨の記載がある。
レリーフはバルーン切り離し後パラシュートで降下中の場面で時は1797年10月22日だ。

因みに、10月22日は<パラシュートの日>なのだ。

エッフェル塔百態 56  ヴァルソヴィ広場

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トロカデロと11月11日広場からトロカデロ庭園に下りてイエナ橋右岸詰のヴァルソヴィ広場 Place Varsovie から。

イエナ橋や旧陸軍士官学校などが見える。が、ここで注目したいのはエッフェル塔のアーチの上の  ---- に見える部分。
実はここにはフランスの数学者・物理学者・化学者・土木技術者など72名のの銘板が4面に張られている。写真の面には・・・

数学者ラグランジェ・ラプラス、化学者ラボアジェ、物理学者アンペールなどお馴染みの名前がある。

因みに、Varsovieとはワルシャワ、Cracovie (クラコヴィ) がクラクフ。クラコヴィはポーランドの古都で、観光地としてお勧め。
トロカデロと11月11日広場のモニュメントである騎馬像のフォッシュ元帥はポーランドの元帥でもあったので、2つの広場はセットになっているといってよかろう。

ロータリーとモニュメント 45  1940年6月18日広場

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 1940年6月18日広場 Place du 18 Juin 1940 には特段のモニュメントは無いが、あえて言えば広場の名称そのものがモニュメントだ。

ドイツ軍の侵攻により1940年6月15日パリ陥落、ド・ゴール将軍は直ちにロンドンに亡命して、亡命政府自由フランスを結成し、対独抗戦とヴィーシー政府への抵抗をを呼びかける歴史的演説をした日である6月18日を記念したものだ。

左に見える超高層ビルがモンパルナスタワーだ。

広場正面は工事中の写真で分かりづらいが、モンパルナス大通り Boulevard Montparnasse が広場を横切り、真ん前の通りがレンヌ通り Rue de Rennes でサン・ジェルマン大通り Boulevard Saint Germain まで一直線の緩い下り坂だ (オスマン計画) 。
尖がり帽子がゴシック様式のサン・ジェルマン・デ・プレ教会だ。

* * *
それから4年後・・

ルクレール将軍が1944年8月25日にドイツのパリ防衛軍の降伏文書に署名したのもここモンパルナス駅でだ。
ルクレール元帥記念博物館がモンパルナスタワーの向こうまで後退したモンパルナス駅にある。
25年前出張でリヨンでジュネーヴに駐在していた案内の同僚と落ち合う途中、ポルト・マイヨーから地下鉄を乗り継いでメトロのモンパルナスから SNCF のモンパルナス駅までの長い長い歩く歩道に戸惑ったことがある。日本では1970年の大阪万博で梅田に登場したのが最初だ。

パリのスズメ

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   パリのスズメ がハト並みに人懐っこいことをご存知の方は多いと思うが、モンパルナスのスズメは格別だ。

モンパルナス駅前のラウル・ドトリー広場と駅舎内を住処にしていて<ポール Paul >などで食餌しているのだが、パンくずなどを差し出してやると手に乗っかって啄むレベルだ。

パリのスズメ

ロータリーとモニュメント 44 エドゥアール・ルナール広場 

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Viet Nam Flag
ポニアトースキ、スール大通り、ドメニル大通りなど5本が集まるロータリー
エドゥアール・ルナール広場 Place Édouard Renard のモニュメントは
金色のアテナ神とカスケードの泉 Fontaine de la Porte Dorée だ。

モニュメントはインドシナ戦争庭園 Square des Combattants d’Indochine と呼ばれる。

1165アテナ女神 (兵士) 像 La statue de la guerrière Athéna は左写真。レオン= アーネスト・デュリヴィエ Léon-Ernest Drivier (1878-1951) の作品 (1931) 。
ロータリーが大きすぎて全体を写せないので分かり難いが、像の後ろが環状道路 Boulevards des Maréchaux のドレ門 Porte Dorée でその先はヴァンセンヌの森 Bois de Vincennes だ。
また、像の左手後方に熱帯水族館が広場に面してある。
庭園の両サイドはドメニル大通り。手前はポニアトースキ大通り Boulevard Poniatowsky、スール大通り Boulevard Soult で、トラムT3a  が走る。
1954年5月ディエンビエンフーが陥落、1956年6月インドシナから完全撤退、80年に亘るフランスによる植民地支配が終わる。<ディエンビエンフー陥落>が新聞各紙の大見出しのトップ記事であったのを鮮明に覚えている。以降アメリカによるベトナム戦争へと引き継がれてゆくことになる。
広場の名称 エドワール・ルナール はセーヌ県知事 (パリ県知事) の名。

* * *

(補足)
金色の「アテナ女神像」は、右手で平和を表すオリーブを絡ませた槍を持ち、
左手で<勝利の女神ニーケ/ニケ>を掲げている。
左の足元には楯を置き、後に王となる息子のエリクトニオスを暗喩する蛇が隠れていて顔を覗かせている。
フランスが植民地に平和と繁栄をもたらすという意味を持たせたといわれる。台座には帆船を刻む。

ロータリーとモニュメント 43  カミーユ・ジュリアン広場

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カミーユ・ジュリアン広場 Place Camille Jullian の北端マルコポーロ公園 Jardin Marco Poro の一部 Place E.Denis のモニュメントはアフリカ、アメリカ、アジアとヨーロッパの女性4名が地球を支える噴水だ (1867-74) 。

モニュメントの奥はマルコ・ポーロ庭園 Jardin Marco Polo 、突き当りにリュクサンブール宮殿が見える。
写真手前の突き当りがパリ天文台 Observatoire de Paris で、この直線の通りは天文台大通り Avenue de l’Observatoire と呼ばれる。それでこのモニュメントは<天文台の噴水>とも呼ばれる。

モニュメントが大きすぎるので噴水部分を大写しにすると…ウミガメやクジラが水を噴いているのが分かる。なお、モニュメントは4名の彫刻家の合作らしい。

広場の名称になっている<カミーユ・ジュリアン>はフランスの歴史家で、ガリア史を書き換えたことで有名。

リュクサンブール宮殿の右上に見えるのはモンマルトルの丘の上のサクレ・クール寺院 (写真上) 。

あとさきになるが、カミーユ・ジュリアン広場 の中心にあるモニュメントは、コーチシナの植民地化につながるカンボジアなどメコン川流域の測量などをした探検家フランシス・ガルニエ Francis Garnier (1839-73) の胸像だ。台座からカンボジアを感じ取れよう。
彫刻家は台座に銘があるように デニス・ピュエシュ Denys Puech (1854-1942) で<フランシス・ガルニエの灰を含むモニュメント>と名付けられている (1898) 。ガルニエはコーチシナで虐殺された。
このモニュメントは真っ直ぐパリ天文台を向いており、モニュメントの背後は一直線でリュクサンブール宮殿だ。
上記のモニュメントはその線上にあり見えない。

また、上の写真で左の並木の左には、皇帝ナポレオンに<勇者の中の勇者 le Brave des braves >と愛称された ミッシェル・ネイの立像がある。台座正面に<ミッシェル・ネイ帝国元帥の記憶のために A La Memoire du Maréchal Ney >とある。François Rude (1781-1855) の作品 (1853) 。
エルチンゲン公爵でもあり、モスクワの王子でもあった。
ワーテルローの戦いで完敗しいわゆるナポレオンの100日天下が終わっておよそ6ヶ月後の1815年12月7日、この天文台大通りにおいてルイ18世への不敬罪で銃殺刑に処せられた。

最後の言葉は<フランス万歳 Vive la France !>だったという。

寿芳さんへの想い

   depuis  2001

 パリから、四国のこと・・っというよりお寿司のこと、想ってます・・・猛烈に(笑)
秋、美味しいお魚の季節ですね、あ~飛んで帰りたい!
おじいちゃんのおうちに行くと、寿芳のちらし寿司をとって待っていてくれてちょっと甘いご飯に海老のおぼろ、コリコリしたお魚、のり・・・美味しかった。
食べ物の記憶はいつまでも残りますね。
いまでも想い出の味が食べられるということは幸せなことです。
一緒に色々な記憶がよみがえります。
いつまでも皆さんお元気でいらしてください。

エッフェル塔百態 55  プロムナード・プランテ

   depuis  2001

旧ヴァンセンヌ鉄道の廃線敷を利用した緑道であるプロムナード・プランテ La Promenade Plantée からのエッフェル塔。
プロムナードの延長は約4キロメートルで、始発駅だった現バスティーユの新オペラ座からパリの外郭環状道路の緑地帯まで。
右の写真は旧ドメニル広場に近いリュイリィ通りからでプロムナードと立体交差している。見えている約400メートル区間は特別で両サイドにヴィヴァルディ通りが付属している。
エッフェル塔の右下に見える時計台はリヨン駅。

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下に降りれば写真2 。
標準形は写真3で高架の鉄道敷いっぱいに緑や流れになっている。

ここを通っていた電車は Boissy-Saint-Léger (現在RER A線の駅)まで通じていました。

 

 

ちなみにこの散歩道は朝8時半から開いていて閉まる時間は月によります。
10月1日からは 19h30 で閉まるようです。

芝苺展~銀座にて

   depuis  2001

 知り合いのガラス作家の方が銀座で初の個展を開きます。銀座にお立ち寄りの方は是非足を運んでみてください。
ムリーニ法という手法で作られた宙吹きガラスの作品の数々。

会期 2011年10月25日(火)~10月30日(日)
会場 ギャラリー悠玄 東京都中央区銀座6-3-17  詳細はこちらから

ロータリーとモニュメント 42  マドレーヌ広場

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ロワイヤル通り、マドレーヌ大通り、マルセルブ大通りなど8本が集まるマドレーヌ広場 Place de la Madeleine のモニュメントはマドレーヌ寺院 (下) だが、

2009年にはテンポラリーに…..(下) Louis Derbré (1925-2011) の作品。リュクサンブール公園のメディチの泉にあったこともある。
寺院正面の通りがロワイヤル通りで手前がコンコルド広場。下の写真は寺院裏側で、左に<フォーション>、右に<エディアール>が広場に面している。
また、ロワイヤル通りの左側には<ラリック><クリストフル><マキシム><ベルナール>などの高級店が連なっている。<バカラ>は正面左手で広場に面している。

最近ユーロ安が進んでいるがもっと円高だった頃ラリックに通い詰たのが懐かしいが、掛かりつけだったB.Y.さんはその後どうしているのだろう?景気の低迷で店舗を縮小してから久しい。
マリアージュ・フレール>のお店もエディアールの横にあります。ただしマドレーヌ店はブティックのみ。サロン・ド・テはないので、お茶をしたい場合はフォーションか<ラデュレ>となりますか・・

* * *

マドレーヌ寺院の正面からブルボン宮を見ると (2006年8月) ・・ロワイヤル通り Rue Royale

ロータリーとモニュメント 41  ドミニカ共和国広場

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クールセル大通りを合わせ7本の道路が集まるドミニカ共和国広場 Place de la République Dominicaine のモニュメント。
現在はモンソー公園 Parc Monceau が完全に交通遮断されていて写真のようにモニュメント/ロタンダ (円形の建物) La rotonde の真ん中に囲障柵がある。

新古典主義の建築家クロード・ニコラ・ルドゥー Claude-Nicolas Ledoux (1736-1806) による建築。パリに入る農産物への通行税徴税のために<シャルトルの関門 Barrière de Chartres >として建設された (1785-88) 。

Pl. de la République Dominicaine

モンソー公園内からの写真でゲートの前が広場。モニュメントは無料トイレとして使用されている。

モンソー公園は土地の一部を資産家に売却することによって公園整備と合わせて周辺の超高級住宅地を実現したことで有名。代表例が Nissim de Camondo で、銀行家としてフランスに貢献しながら助けることができず家族をアウシュビッツで失うこととなったユダヤ人迫害の悲劇を邸宅 (ニシム・ド・カモンド美術館  Musée Nissim de Camondo) で偲ぶことができる 。

邸宅はアール・デコ、ニシムは第一次大戦で戦死した息子の名。恨みつらみを越えてフランスに寄贈しているのだから素晴らしい。

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モンソー公園の出入り口の鉄柵はサンミッシェルやフランソワ1世広場の噴水等を手掛けた折衷主義の建築家、ガブリエル・ダヴィウ Gabriel Davioud (1823-81) の作品。

Parc Monceau-1

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エッフェル塔百態 54  ジャック・リュフ広場

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      ジャック・リュフ広場 Place Jacques Rueff からのエッフェル塔。

恐らく観光客のすべてが撮ると思われるエッフェル塔。少し見上げている感じ。

ジャック・リュフ Jacques Rueff は
フランスのエコノミスト(ケインズ学派)でEU の前身 EC  の成立に貢献した。

ロータリーとモニュメント 40 ジャック・リュフ広場

   depuis  2001

シャン・ド・マルス公園 Parc du Champ de Mars の中にあるカルーゼル広場と同種のロータリー、ジャック・リュフ広場 Place Jacques Rueff のモニュメントは花壇だ。
100mx 30m 位のスケールなので右側の一部しか写っていない。
池と花壇部分だけを見ると・・10/07/2015

Place Jacques Rueff

市内観光バスや観光バスが必ず通りかつ一時停車してくれる、車窓からのエッフェル塔の撮影ポイントになっている。

バスに乗ったつもりでエッフェル塔を見れば・・・

エッフェル塔百態 53  ニュー・ヨーク大通り

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Eiffel-Av. de New Yorkアルマ橋からのセーヌ川右岸道路であるニュー・ヨーク大通り  Avenue de  New York  からのエッフェル塔。

左側は直ぐセーヌ川、対岸の左岸道路はケ・ブランリィで撮影地点は丁度ケ・ブランリィ美術館の対岸あたり。右端に写っている橋がエッフェル塔正面のイエナ橋で白いテント群は土産物店。

エッフェルが請け負った<自由の女神像>が建つニューヨークがエッフェル塔の前にあるのだ。

ニューヨーク大通りになる前は東京大通りと呼ばれていた。第一次大戦の同盟国であったからだ。
東京大通りと呼ばれていた頃に建てられた<市立近代美術館  Musée d’Art Moderne de la Ville de Paris >の入っているパレ・ド・トキョー Palais de Tokyo にその名残が見られる。

ロータリーとモニュメント 39  ユーロップ広場

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 クロード・モネの<サン・ラザール駅>で有名なサン・ラザール駅構内の橋上ロータリーである ユーロップ広場 Place de l’Europe のモニュメントは小さなビオトープだ。

広場の下はサン・ラザール駅構内の線路で手前が駅舎で前方はノルマンジー。

1837年に開業した最も古い鉄道で、ピサロのポントワーズ、シスレーのルーヴシエンヌ、モネのジヴェルニー・アルジャントゥイユ、ゴッホのオーヴェル・シュル・オワーズなど印象派の巨匠たちが制作の拠点としたのはいずれもこの沿線だ。

ロータリー (ヨーロッパ広場) には6本の道路が入っていていずれもヨーロッパ各地の都市名を冠している。右の建物沿い右にサン・ペテルスブール通り、時計回りにリエージュ通り、ロンドレ通り、ヴィエンヌ通り、マドリッド通り、コンスタンチノープル通りだ。

周辺にもローム通り、ダムステルダム通り、モスコウ通り、リスボン通り、、ブダペスト通り等多数ある。

モネの<サン・ラザール駅>はオルセー美術館にあるが、今夏のロンドン・ナショナルギャラリーで別作を鑑賞した。

皆さんありがとうございます。

   depuis  2001

 あらためて・・今回たくさんの方にご来場いただき、また色々な方のブログにロートンヌ展のことをかいていただき、とてもうれしく拝見させていただきました。
まだなかなか手がまわらず、御礼もままならぬ状況ですが、改めて御礼申し上げます。

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今回参加していただいた写真家の きまま かふぇ さんのサイトにはステキな写真が・・http://kimamacaf.jugem.jp/
私たちも何度か絵になるような写真をとろうとチャレンジしては失敗していましたが、やっぱり写真をやっている方が撮影されると同じ写真でも趣のあるものになりますね。ステキな写真をとっていただいてありがとうございました。

エッフェル塔百態 52  ケ・ブランリィ美術館

   depuis  2001

    アフリカ・アジア・オセアニアなどの原始美術を展示する
ケ・ブランリィ美術館 Musée  du quai Branly からのエッフェル塔。

ブランリィ河岸はアルマ橋からエッフェル塔の前を通り過ぎてビル・アケム橋までの左岸道路で、パリ市長、フランス大統領を務めたシラク肝いりの美術館はアルマ橋からすぐのところだ。

これらの写真は2006年8月のもので、オープン後2か月の頃だ。造園家の Patrick Blanc による建物外壁の緑<生きた壁>は当時まだ珍しかった (写真:下左) 。

河岸名になっている Branly は1890年に後にコンダクターと呼ばれるようになるコヒーラーという一種の検波器を開発した発明家・物理学者であり、ラジオ開発の初期を飾る人物の一人だ。

下写真の右上はエッフェル塔側から見た美術館入り口で前の道路が Quai Branly で
並木の左がセーヌ川、右下はリュクサンブール公園にある彼の彫像。

ご来場ありがとうございました。

   depuis  2001

 3日間のロートンヌ展が本日無事終わりました。川之江だけではなく、四国全域から、そして遠方からもたくさんの方々に来ていただいたようで、驚きとうれしさでいっぱいです。ご来場どうもありがとうございました。
参加していただいた作家の皆様方々、今回は諸事情により色々とご迷惑をおかけいたしました。無事展覧会までたどり着け、無事終了してとにかくホッとしています。これも皆様のご協力のほかなりません。本当にありがとうございました。

二日目を終えて・・

   depuis  2001

 店主怪我のため、更新がままなりませんが、ロートンヌ展はおかげさまでたくさんの方にご来場いただいております。本当にありがとうございます。

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早いものでロートンヌ展2日を終え、残るところあと1日となりました。
どうぞ明日も皆様是非お越しください。

今日から3日間 2011/ ロートンヌ展 開催。

  depuis que 2001

 今日10月1日土曜日から3日の月曜日まで3日間、2011年のロートンヌ展を催します。是非お誘い合わせの上多数のご来場をお待ちいたしております。

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