新年 2013年1月1日より<ギャラリー・イグレックの日記帳-2>に移行。

   depuis  2001

<ギャラリー・イグレックの日記帳>は12月31日付の記事を持って終了します。

明、新年1月1日からは <ギャラリー・イグレックの日記帳-2> をご覧ください。

2015年9月1日からは<ギャラリー・イグレックの日記帳-3>をご覧ください。

<ギャラリー・イグレックの日記帳>をご覧になる場合は
<BROGROLL>の<ギャラリー・イグレックの日記帳-1>か
固定ページの<ギャラリー・イグレックの日記帳>をクリックしてください。

http://galeriey2.wordpress.com/

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トラムウェイ/T3a & T3b Porte de Vincennes

   depuis  2001

トラムウェイがポルト・ド・ヴァンセン ヌ Porte de Vincennes にやってきた。

パリ道から一直線でクール・ヴァンセンヌに繋がる Porte de Vincennes にT3(T3a & T3b)のターミナルができ、12月15日から供用を開始した。

写真は T3a のポルト・ド・ヴァンセン ヌ駅に停車中の車両で7両連結。M とあるのがメトロ1号線の Porte de Vincennes 駅への乗換え口。 T3bにも連絡している。

Cours de Vincennes を挟んで対称に  T3b の駅がある。写真の方向はナシオン。

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* * *

今日は金曜日でしたが、お友達を招待して恒例の忘年会をしました。

日本から持参したミツバとショウガを使った明石焼き、高野豆腐、白身魚の南蛮漬け、カリフォルニヤ・ロール、ミニ御節などに頂いた数種のチーズとスパークリングワインを合わせました。デザートはこれもいただいた<パン・ド・スクレ PAIN DE SUCRE>のケーキと<ネスプレッソ>で締めました。綺麗なお花もいただきました。

フェルメールの展示/アムステルダム国立美術館

   depuis  2001

Netherlands Flag

アムステルダム国立美術館は4点のフェルメール Johannes Vermeer (1632-75) を所蔵しているが、写真はその展示の様子。

左から<小路><牛乳を注ぐ女><青衣の女>、写っていないがその右に<恋文>(写真下)。何気に展示されているのが良い。

フェルメール/アムステルダム国立美術館

<恋文>

フェルメール/恋文

Roue de Paris

   depuis  2001

ノエルの一環でパリの観覧車は、今、コンコルド広場にある。
Roue de Paris パリの歯車(車輪)とある。

ロンドンでは目に見え、パリでは車輪に見える。
アントワーペンではダイヤモンドに見えるらしい。

右側が凱旋門で左がチュイルリー公園。
左に見える馬の彫像は アントワーヌ·コワズヴォ Antoine Coysevox  (1640 – 1720) 作の<ペガサスに乗るメルキュール  Mercure monté sur Pégase (1699 – 1702) >。

Roue de Paris

Morocco Flag Maroc

モロッコのマラケシュ Marrakech の博物館で、
観覧車はアラブに起源を有するという説明を目にした。写真がそれ: 伝統のブランコ balançoires traditionnelles : で、この実物が展示されていた。

何よりも水が貴重な国の伝統のスパ(スーペリア)での4連泊は王侯貴族の気分を味わえて最高だった。お風呂も。モロッコの公用語はフランス語。フナ広場でその後乱射事件があった。

なお、カフェ/アン・キャンズでプリンに使用しているグラスはマラケッシュのもの。

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パリの街燈 réverbère 15  ポン・ヌフ

   depuis  2001

セーヌ左派流のポン・ヌフとパリの街燈/ポン・ヌフ

右派流のポン・ヌフ(1578-1607)の街燈。

騎馬像はアンリ4世で、シテ島の下流端近くにあリ上流を向いている。

手前の2つと奥の街燈との違いが分かる。

アンリ4世(在位:1589-1610)の騎馬像はFrançois-Frédéric Lemot(1772-1827)の作品。

ロータリーとモニュメント 76  コロネル・ブルゴワン広場

   depuis  2001

シャラントン通りをはじめ6道路の集まる12区の コロネル・ブルゴワン広場 Pl. du Colonel Bourgoin のモニュメントは噴水と四角い街燈だ。
大佐の付く広場には他に コロネル・ファビアン広場 がある。

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ブルゴワン大佐(Pierre-Louis Bourgoin 1907-70 は第二次大戦時に自由フランスのシリア戦線やノルマンジー上陸作戦の空挺部隊で活躍した英雄で、戦後は第5共和国の12区選出下院議員を4期12年務めた。

パリの街燈 réverbère 14  ヴォ―ジュ広場

   depuis  2001

パリで一番古い広場 (1612) であるヴォ―ジュ広場 Place des Vosges の街燈は懸垂式。

落葉の進んだマロニエの秋色と背後の建物との調和がいい。

広場(4区)と建物(3区)の間の道は、左へ マレ地区 Le Marais の目抜き通り フラン・ブルジョワ通り Rue des Francs Bourgeois に繋がる。フラン・ブルジョワの名は、市民税を払わないくて済むほど貧しい第三身分の平民(ブルジョワ)をこう呼んでいたことによる。中産階級の人々が住んでいたという意味ではない。

パリの街燈/ヴォ―ジュ広場

エッフェル塔百態 82  アンドロ・シトロエン公園

   depuis  2001

ヨーロッパ病院  Hôpital européen Georges-Pompidou (2001) からのエッフェル塔。

撮影位置は ジョルジュ・ポンピドー病院 の玄関を入ったところで、緑の向こうがアンドロ・シトロエン公園 Parc André-Citroën の導入部で左手にセーヌ川に面する公園が開ける。

Tour Eiffel / Parc André-Citroën

公園内に入ったところからセーヌ川を望む(奥の建物はセーヌ右岸)。手前には大規模なカスケードと噴水があり子供たちの夏の格好の遊び場になっている。

パリのどこかでバルーンを見たらそれは写真の Air de Paris で、
シトロエン公園から上がっている。

Parc André-Citroën

パリの街燈 réverbère 13  ルーブル宮

   depuis  2001

ルーブル宮 Palais du Louvre に面する街燈には頭部に十字が付いている。

Cour Napoléon。

背後はドノン翼。

パヴィリオン Mollien の外壁は科学をテーマにした彫刻で覆われているが、左に半分だけ見えているのは<歴史と真実 L’Histoire et la Vérité>という  Pierre Loison 1857 の作品。

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エッフェル塔百態 81 カルーゼル凱旋門/カルーゼル広場

   depuis  2001

カルーゼル広場のカルーゼル凱旋門 Arc de triomphe du Carrousel とエッフェル塔。

カルーゼル凱旋門はチュイルリー宮殿(1871年に焼失)前のカルーゼル広場にオステルリッツの3帝戦などでの ナポレオン・ボナパルトの戦勝 を記念して1809年に設置された。

凱旋門の頭部には当初ナポレオンが ヴェネチア Venise のサン・マルコ寺院から奪った<サン・マルコの馬 Chevaux de Saint-Marc >が置かれていたが、
王政復古後の1828年に現在のものに置き直された。

フランソワ・ジョゼフ・ボシオ  François-Joseph Bosio により彫刻(コピー)された
凱旋と勝利を表すクアリガ Quadrige (4頭立ての一人乗り二輪戦車)の
両サイドに金色で平和の女神を配す。

オリジナルのサン・マルコの馬はヴェネチア美術館にある。    ナポレオン1世の皇帝章

Germany Flag

東西冷戦時ベルリンの東西を分けた ブランデンブルグ門 にも 勝利の女神の乗った<クアドリガ>が置かれているが、この門をくぐったのはベルリンの壁が取り壊されて(1989年)間もないころだった。

各所に壁の一部が残っていて、壁のコンクリート破片がお土産として売られていたころだ。

* *

今年の漢字は「 金  」になりました。

ロンドンオリンピック2012や
至近の山中伸弥京大教授からの連想が効いていると思います。

山中京大教授の買ったチョコ

   depuis  2001

Sweden Flag

現地時間で10日、ノーベル賞の授与式と晩餐会・舞踏会が催された。

写真は医学生理学賞を受賞した京大の山中伸弥教授が
1000枚購入したと報道されたチョコレート。

Nobel

ALFR NOBEL      1833-1896     と刻印。

このチョコは2006年の8月にストックホルムへ行ったときに購入したもの。

晩餐会の催された市庁舎のホールやの舞踏会の行われた黄金の間(階段を昇ったところ)で
たばこ好きのフランス人のガイドから
ノーベル賞についての説明を受けたことが思い起こされます。

ロータリーとモニュメント 75 フランツ・リスト広場

   depuis  2001

いまだ彼を凌ぐピアニストはいないといわれるフランツ・リスト Frantz Liszt (1811-86)の名を冠したロータリー フランツ・リスト広場 Pl. Franz Liszt のモニュメントは円形の植え込みと 新古典様式のサン・ヴァンサン・ド・ポール教会 St-Vincent de Paul 。
ラ・ファイエット道りを初め7道路が集まる。

<La Campanella >の演奏で一躍有名になった頃、フジコ・ヘミング とCDG空港(ロワシー空港)でたまたま話をする機会があった。
以降、彼女のアルバムはすべて手に入れたし、リトグラフを買ったりもした。

1830年代前半パリにいたころ、ショパン(1810-49)の 12の練習曲 作品10 がリストに献呈されているが、これだけは楽譜を見てすぐには弾きこなすことができなかったという逸話がついている。

Pl. Franz Liszt

メトロ 7号線  ポワソニエール Poissonniere 下車。

ロートレック/オルセー美術館

   depuis  2001

改装なったオルセー美術館にロートレックを見に行った。
写真撮影がフラッシュなしでも禁止となったようだ。が、携帯で撮っている人は少なくない。
美術館ビジネスは日本程ではないにせよ世界中に蔓延している。有名どころはどこも人であふれていて昔のようにゆっくり見とれているというわけにはいかない。
学生や絵心のある人が模写している風景もあまり見かけなくなった。

メインの大作を二枚。これらは、                     2012.08.05.
踊っている ラ・グリュ La Goulue の家の装飾のために描いたパネル(1895)。
分割された(1926)パネルの復元(1930)跡が痛々しい。
上のパネルは、「ムーランルージュでのダンス La danse au Moulin Rouge」、「La Goulue et Valentin de désossé(ダンサー)」、下のパネルは「ムーア人の踊り La danse mauresque」等と個別に呼ばれる。踊り手は何れもラ・グリュだ。

* * *

17時18分 新宿で震度3を観測。震源地は三陸沖で、最大震度5弱、マグニチュード7.3と発表。

気味悪い揺れで、震度3強という感じだった。

ノエル Noël の装飾                 ラ・ぺ通り・ヴァンドーム広場・カスティリオーヌ通り

   depuis  2001

ヴァンドーム広場を中心としてオペラに向かうラ・ぺ通り、チュイルリー公園に向かうカスティリオーヌ通りは電飾部材を各種に組み合わせた飾り付けで統一されている。

写真はヴァンドーム広場の様子で、広場に置かれた大きな集合飾りと、パーツを自在に組み合わせた左から宝石店 < Mauboussin> , <Chanel>, <Piaget >の装飾例を見れる。

右端はシーザー風ナポレオンを頂く Colonne の基部。

ショパン最後の家だった現< CHAUMET >の例(右端)。左端は PIAGET。テントは据付け工事用。

ルイ14世騎馬像/ヴェルサイユ宮殿

   depuis  2001

前回来た時には宮殿の中庭にあったルイ14世の騎馬像が2006年から3年間の修復作業を経て前庭に移されていた。朝靄で霞んでいるが左手奥が ヴェルサイユ宮殿 Châtau de Versailles 。

Pierre Cartellier (1757-1831) と Louis Petitot (1794-1862) の合作。
馬を ピエール・ Cartellier が、ルイ14世を ルイ・プティトーが彫像し 、
Charles Crozatier(1795-1855) がブロンズに鋳造した(1829)。

最初は、コンコルド広場にあって革命後破壊された Edmé Bouchardon(1698-1762)作のルイ15世騎馬像を作り直す予定だった(1816年にルイ18世が指示)ものが、
途中で14世の騎馬像に変更された経緯がある。

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ノエル Noël の装飾                  ロワイヤル通り・マドレーヌ広場・サントノレ通り

   depuis  2001

ロワイヤル通り Rue Royale を中心に同一の飾りつけがされている。

写真はロワイヤル通りから東にサントノレ通りに入ったところにある< ロンシャン Longchamp >の例だ。ここでは3基が使用されている。左方向がロワイヤル通り。

Noël / Longchamp

エッフェル塔百態 80 オベリスク・海の泉/コンコルド広場

   depuis  2001

11月24日17時24分薄暮のコンコルド広場からのエッフェル塔 Tour Eiffel 。

ヒエログリフ(神聖文字)のオベリスク Obélisque を右に、
そして左には海の泉Fontaine des Mers 。

エッフェル塔は点灯したばかり。オベリスクはその前からライトアップされている。

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* * *

Hong Kong Flag

もう20年以上も前になりますが、香港の夕焼けと夜景を想い出します。最近の様子を知りたいものです。

Philippines Flag

35年も前ですが、マニラの夕日には感動しました。

ルイ14世騎馬像/ベルニーニ

   depuis  2001

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598-1680)原作のルイ14世騎馬像は1988年以来、ルーブル宮のピラミッドがあるナポレオンの中庭  Cour Napoléon にある(写真)。

バロックの巨匠ベルニーニ(イタリア・ローマ)に王自ら依頼したが、出来栄えが気に入らず破壊を命じたとされる。しかし、この原作にフランソワ·ジラルドン François Girardon (1628-1715)が帽子を被せ、足元に炎をあしらって残ったのがそれだ(レプリカ)。
背景はルーブル美術館のドノン翼/ドノン館 Pavillon Denon。

台座には作者として、後に Le Berni と呼ばれた G.L.Bernini とあり、ジラルドンの名は無い。

原像はベルサイユ宮殿にあるようだが、宮殿の前庭にある騎馬像は別物だ。

また、ジラルドン作のルイ14世騎馬像はヴァンドーム広場に置かれていたが、フランス革命後の1792年にヴィクトワール広場に置かれていたマルタン・デジャルダン Martin Desjardins (1637 – 1694)作の騎馬像と同様に破壊された。
ルーブル美術館にそのミニチュアが残っている。

Au Pied de Cochon

   depuis  2001

パリの旧市場 レ・アール の一角で1947年創業の<豚足 Au Pied de Cochon >で今回最後のデジュネをした。1947-2012    65 ans de vie Parisienne パリで65年 とある。

豚料理がメインだが牛肉も魚もある24時間営業のブラッセリ― Brasserie で、日本語メニューもある。

メトロ  -  PDF  - 新規ウィンドウ地図地下鉄1号線をダウンロード  Louvre Rivori 下車、ルーブル通りを北へ歩いてナポレオンの造った円形の商工会議所の先を右に入ったところ。店の前が大規模に再整備中のレ・アール地区。

店の向こうにサントゥスタッシュ教会 St-Eustache その前がルネ・カサン広場

エッフェル塔百態 79  大河の泉/コンコルド広場

   depuis  2001

ノエルと新年に向けての準備が整い、
多くの観光客とパリ市民で賑う薄暮のコンコルド広場から見るエッフェル塔。

手前に写っているのは、
広場にある二つの噴水のうち<大河の噴水 Fontaine des Fleuves>と呼ばれるもの。

広場の設計をしたのは アンジュ=ジャック・ガブリエル Ange-Jacques Gabriel (1698-1782)だが、
オベリスク/クレオパトラの針を挟んでセーヌ川側の<海の噴水  Fontaine des Mers >と対で噴水を配置した(1836)のは ジャック・イニャス・イトルフ  Jacques Ignace Hittorff (1792-1867) だ。

パリ1区と5区の区役所、パリ北駅、フランツ・リスト広場の Église Saint-Vincent-de-Paul も彼の作品。

* * *

昨25日の昼は<フェルメット・マルブフ 1900>で星川君のパリ個展の成功裡での終了を祝した。来月のノエルまで暫しパリとお別れだ。

ウインドウショッピング 20           Louis Vuitton / Vendôme

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ヴァンドーム広場のルイ・ヴィトンのノエル・ヴァージョン。

ペンギンが動くように仕組まれています。

広場のイルミネーションも点灯されていますが、これからもラペ通り・カスティリオーヌ通りを含め設置が続くようです。

聖カトリーヌ Sainte Catherine d’Alexandrie の日

   depuis  2001

モントロン公園 Sq. Montholon にある 大理石製 Julien Lorieux の作品(1909)。La Sainte Catherine    À l’ouvrière parisienne (聖カトリーヌ 働くパリジェンヌ)とある。

25歳を超えた未婚の女性 (当時 Catherinettes と言われていたらしい) が11月25日に帽子を被る伝統があり、その様を題材にしたもの。

サン・カトリーヌ(287-305)は若い女性の守護聖人で、本日が<聖カトリーヌの日>だ。

因みに、ジャンヌ・ダルクの日は5月30日、ROSEの日は8月23日だ。

Julien Lorieux (1876-1915) の作品で<Les Catherinettes (1908)>。

La Sainte Catherine

エッフェル塔百態 78  モンテーニュ大通り

   depuis  2001

ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼから直ぐの
モンテーニュ大通り Av. Montaigne からのエッフェル塔。

ノエル(クリスマス)の飾りつけが施された
モンテーニュ大通りの左手にエッフェル塔が顔を覗かせる。

突き当たりのアルマ広場とそこから右手に始まるジョルジュ・サンク大通りと手前のシャンゼリゼ大通りとで囲まれる黄金の三角地帯には高級店がひしめく。

シャンゼリゼ大通り 2012.11.22.

   depuis  2001

11月21日の夜、シャンゼリゼ大通りのイルミネーションが点灯された。

昨年からこのタイプになった。

上の写真はロン・ポアン・デ・シャンゼリゼからジョルジュ・サンクの方に少し寄った辺りから凱旋門の方向を、  下の写真はコンコルド広場の方を見たもの。

街燈の明かりが一直線にコンコルド広場に向かっている(下)のに比して、凱旋門に向かっては放物線を描いている(上)ことで凱旋門に向かっては上り勾配になっていることが伺える。

イルミネーションの両サイドには<マルシェ・ド・ノエル  Marchés de Noël(昼間も開店している夜店)>が連担しているのだから見物だ。。
この日もカメラを持った多くの観光客でごった返していた。

写真下右のロン・ポアン・デ・シャンゼリゼに近づいてみると。。。

<マルシェ・ド・ノエル>の様子。
写っている建物らしきものやテントは全て仮設だ。観覧車も。

ノエル(クリスマス)へ向けて準備進むパリ

   depuis  2001

エスパス・ジャポンで個展を開いているH君に<手作りのムール貝の白ワイン蒸し>の差し入れをした後、    パリのノエル前の様子を見がてらぶらりしてみた。

ギャラリー・ラファイエット/オスマンは飾り付けが始まったところだが、隣のプランタンは終わったようだ(写真)。マドレーヌ広場のエディアールやキャヴィアの専門店 Caviar Kaspia 等とともに準備完了したマリアージュ・フレールでお客さんに頼まれていた買い物をした。

途中パトリック・ロジェのウインドウではチンパンジーのオブジェに見入ったりもした。

ロワイヤル・ヴィレッジもロワイヤル通りも飾り付けが終わっていた。日が暮れると電飾が点灯するのかどうかは定かでない。据付が終わるのと点灯とは必ずしも同時ではないから。

Antiquités Brocante LA BASTILLE / PARIS

   depuis  2001

年に2回、5月と11月にバスティーユで開かれる
大規模骨董市 Antiquités Brocante にはじめていってきた。

バスティーユ広場の南側部分(メトロ1号線の駅上)とサン・マルタン運河の左右岸を利用した特設会場に350の古物商が店を張る。

8日から本日18日までの最終日とあって大勢の小金持ちで賑っていた。入場料:10€。

次回は来年5月3日から12日までの日程で開催される。

Antiquités Brocante LA BASTILLE / PARIS

パリの街燈 réverbère 12 リシャール・レノア大通り Bd.Richard Lenoir   

   depuis  2001

 リシャール・レノア大通りで催された<蚤の市>に出かけた。 メトロ5号線 Richqrd Lenoir 、大通りの中央分離帯の下はサン・マルタン運河。運河の上空を緑道公園化したのはオスマン知事。

街燈は大型でバスティーユ広場まで続く。

秋色のサン・マルタン運河もまた一興だ。奥右手がバスティーユ広場。

この日は写真手前で蚤の市が、奥でバスティーユの朝市が、バスティーユ広場の向こう(南側)では有料骨董市が開かれていた

2012.11.18.

パリの街燈 réverbère 11  Lescure

   depuis  2001

コンコルド広場手前のリヴォリ通りを右へRue de Mondovi を入った突き当たりにあるレストラン Lescure 付近の街燈。

リヴォリ通りの街燈とは少し違う。

Lescure は1919年からの老舗で、デジュネのセット(アントレ・プラット・デザート・ワインハーフボトル)で25€。日本語メニューもある。

ジダンの頭突き / ジョルジュ・ポンピドー広場

   depuis  2001

2006年のワールドカップ決勝戦での<ジダン Zinedine の頭突き事件>の瞬間のオブジェがポンピドーセンター前の広場に置かれた。

Algeria Flag

センターで開催中のアルジェリアの作家展の作品のひとつで、屋外に置かれたもの。

頭突きされているのはイタリアのマテラッツィ。

人種差別発言(問題)かと騒がれたが両者とも否定、侮辱発言によるものだったというのが定説のようだが真相は定かでない。

ジダンは退場処分を受け、フランスはペナルティー戦に負けて優勝を逃した。

フランスのサッカーはこれ以降低迷が続いている。

ヴェルサイユ宮殿 Château de Versailles

   depuis  2001

オステルリッツ駅から RER C線   でヴェルサイユに行ってきました。

ヴェルサイユ宮殿の大改装は今なお継続中ですが、改装後の鏡の間(写真)などを見てきました。20世紀の印象とさほど変わりは感じられませんでした。

帰りは宮殿正面のバス停から始発のバス 171 に乗り、終点のポン・ド・セーブルPont de Sèvres  からはメトロ9号線と1号線を使いました。
このほうが分かりやすく安全面でもお薦めの行き方です。

マンサール Jules Hardouin-Mansart  (1646-1708) による後期バロック様式の建築  /  ルブラン Charles Le Brun (1619-90) による室内装飾 (ルイ14世様式) / ルノートル André Le Nôtre (1613-1700) によるフランス式造園で、1682年完成。
ルイ14世の絶対王政が確立し、彼をして<朕は国家なり>と言わしめました。

改装工事継続中の宮殿正面。金色になって昔とは大違いです。

フランスの11月11日は。。。La Fête de l’Armistice

   depuis  2001

フランスでは11月11日は第一次世界大戦休戦記念日の祝日だ。

トロカデロと11月11日広場 Pl. du Trocadero et du 11 Novembre はその記念広場だ。

今年は日曜日と重なった。

第二次世界大戦でドイツが降伏した5月8日も
< La 8 Mai  La Fête de la Victoire>と呼ばれる祝日だ。

* *

ヴァンセンヌ出身の戦没者の慰霊塔への献花。このエリアは常時立ち入り禁止になっている。

ヴァンセンヌでの慰霊行事の様子。手前の市庁舎横を行進する鼓笛隊(当列の前)等。

パリへ

   depuis  2001

早朝に新宿を出てパリに向かいます。

ギャラリー・イグレックが支援している
クレパス画家 星川 孝 君のパリ個展 (11月13日~17日、20日~24日 13時~19時(土は18時) : エスパス・ジャポンにて) に同行します。

在仏の日本人の方、日本に関心をお持ちのフランス人等の方やこの期間にパリ滞在予定の方の御来場(入場料 : 無料)をお待ちいたしております。

* * *

フリージャ  Freesia と アザミ Chardon の花が迎えてくれました。

BOUILLON CHARTIER

   depuis  2001

オスマン大通りの下を走るメトロ  - PDF - 新規ウィンドウ地図地下鉄ライン8をダウンロード  マップメトロライン9をダウンロード - PDFファイル - 新規ウィンドウ グラン・ブルヴァール Grands Boulevards で下車し、フォーブル・モンマルトル通りを北に進んで左側に
<ブイヨン・シャルティエ >がある(11時30分開店)。

20世紀初めの雰囲気があり(1896)、早くて・安い店として観光客に人気の店らしい。

多国籍の客でいつも混んでいるので身の回りには気を付けることをお勧めする。

店を出て左に少し歩くと左手がパッサージュ・ヴェルドー、パッサージュ・ジュフロア、パッサージュ・パノラマとパッサージュが連なっているので是非行ってみよう。

BOUILLON CHARTIER

ロータリーとモニュメント 74 ピエール・Lafue 広場

   depuis  2001

ドレフュス事件(1894-1906) についてはこれまでにいくつか紹介してきた。
(下にある<タグ>をクリックしてもらえば一覧が表示される。)

彼のブロンズの立像が ラスパイユ大通り Boulevard Raspail に6本の道路が集まるロータリー ピエール・Lafue 広場 Place Pierre Lafue にある。

漫画家・彫刻家だった ティム Louis Mitelberg dit TIM (1919-2002) の作品で、
文化とフランス語圏省が1985年に調達し設置した。

ドレフュス大尉に捧ぐ Hommage au Capitaine Dreyfus     TIM (サイン) と台座にある。

折れた剣を眼前に掲げているように見える。

また、案内板には ” Si tu veux que je vive,fais moi rendre mon honneur “ との記載が・・

Pl. Pierre Lafue

 Pierre Lafue (1895-1975) はフランスの作家でジャーナリスト。

メトロ  - PDF - 地図地下鉄ライン12をダウンロード新しいウィンドウ ノートルダム・デ・シャン Notre-Dame des Champs 下車。

パリの街燈 réverbère 10 エリゼ宮 Palais de l’Élysée

   depuis  2001

エリゼ宮の街燈。  フォーブル・サントノレ通りの街燈が付いていないのは当然だ。

パリの街燈/エリゼ宮

エリゼ宮殿はアーマンド・クロード・モレ Armand-Claude Mollet の建築による1722年完成の古典主義の建物で、1873年(1870年から第3共和政)以降大統領官邸となった。

ポンパドール夫人(1753-64?)やナポレオン1世と皇后ジョセフィーヌ(1805)の邸宅であったこともある。

パリの街燈 réverbère 9 フォーブール・サントノレ通り

   depuis  2001

フォーブール・サントノレ通り Rue Faubourg Saint Honoré 、サントノレ通りの街燈は通りが狭いので沿道の建物に吊下げ型で付置されている。
写真はフランス内務省横の例で、左下に内務省の街燈も見える。

フランス革命後の1790年にルーブル宮にあった内務省は1861年に現在の オテル・ド・ボーヴォ Hôtel de Beauvau(1770竣工)(門扉の後方)に移った。

パリ西部の200人余りの小さな町マルセイユ Beauvau の騎士の後裔であるボーヴォの元帥 Le maréchal de Beauvau が1770年に名付けて賃借した。

手前のエリゼ宮との間、5本の道路が集まるロータリーはボーヴォ広場 Pl. Beauvau という。

パリの街燈/フォーブル・サント・ノーレ

門扉はルイ15世様式(風) ferronnerie Louis XV 。柱(列柱)はトスカーナ風。

ロータリーとモニュメント 73 ジャック・マレット 広場

   depuis  2001

3叉路のロータリーである ジャック・マレット 広場 Pl. Jacques Marette のモニュメントは2頭の雄牛(元はトロカデロ庭園にあった)と写ってはいないが手前にある花壇だ。

広場(公園の前庭でもある)の奥は
ジョルジュ・ブラッサンス公園 Parc Georges Brassens だ。

ジャック・マレット はここ15区選出の上院議員で郵政大臣を務めた。

左右二頭の<牡牛Taureau (1838) >は イシドールジュール·ボヌール Isidore Jules Bonheur (1827-1901) の作品。

フランスの詩人でシャンソン歌手だったジョルジュ・ブラッサンス(1921-81)はこの近くに住んでいた。公園内に彼の胸像がある(入ってすぐ左側の広場の奥。)。

鐘楼は公園になる以前馬のオークションが行われていた名残。

Parc Georges Brassens

ロータリーとモニュメント 72           ポール·ヴェルレーヌ広場

   depuis  2001

完全円形ロータリーであるイタリア広場から出るボビヨ通り Rue Bobillot を含めて10道路が集まるロータリーのポール·ヴェルレーヌ広場 Pl. Paul Verlaine のモニュメントはジュール・ボビヨ 軍曹の胸像や掘り抜き井戸(自噴水)だ。

ジュール・ボビヨ Jules Bobillot 工兵軍曹(1860-1885)は中国のトンキンTuyen-Quan での戦いで要塞の建設を指揮中に殉職した英雄。写真では後ろ向きに写っている。

ポール·ヴェルレーヌ の掘り抜き井戸は1863年にオスマン知事が掘削を許可1872年に供用開始した。現在では写真で見られるようにモダンな水汲み場となっていて三々五々ポリタンクを持参した人が行き交っている。

ポール·ヴェルレーヌ(1844-96)は知る人ぞ知るフランスの詩人。
リュクサンブール公園に彼の立像がある。

Pl. Paul Verlaine

ロータリーとモニュメント 71           ギルバート・ギョーマン広場

   depuis  2001

ギルバート・ギョーマン広場 Pl. Gilbert Guillaumin のモニュメントはバルザックの顕彰碑だ。

アントワーヌ・ブールデル Antoine Bourdelle (1861-1929)を教えたアレクサンドル・ファルギエル Alexandre Falguière (1831-1900) の作品 <Honoré de Balzac (1902) >。

 Sociéte des gens de lettres (作家の著作権協会)は バルザック  Honoré de Balzac (1799-1850) の発案により ヴィクトル・ユーゴー、アレクサンドル・デュマ(大デュマ)、ジョルジュ・サンドが参加して1838年に設立された。

手前の通りはフリドラン大通り Av. Friedland で左が凱旋門、右はオスマン大通り Bd. Haussmann に共に一直線。6本の内坐像の後ろを建物に沿って右斜めの道路はバルザック通り Rue Balzac で左斜めに広場を横切る。
石積み擁壁の上は庭部分が公園として開放されていて美しい。

ギルバート・ギョーマン(1801-64)はエコノミスト誌の創設者。

Pl. Gilbert Guillaumin

パリの街燈 réverbère 8   クレマンソー広場

   depuis  2001

クレマンソー広場 Place Clemenceau の街燈。

オテル・ド・ヴィル広場と同一のもの、シャンゼリゼ大通りのもの、メトロの街燈、 マルセル・プルーストの並木道 Allée Marcel Proust (プルーストは<失われた時を求めて>の作者でカフカとともに20世紀を代表するフランスの作家)の街燈と広場の高い街燈の5種が見える。

手前がウィンストン・チャーチル大通りで並木道の左にグラン・パレがあり、左右の通りがシャンゼリゼ大通りでその向こうも並木道だ。広告塔では2012年秋の催し案内がされている。

パリの街燈/クレマンソー広場

パリの街燈 réverbère 7  アルマ橋 Pont de l’Alma

   depuis  2001

アルマ橋の街燈。

低い交通標識のようなのがアルマ橋の街燈で左手橋詰のレジスタンス広場の街燈でもある。高い方が右岸橋詰のアルマ広場の街燈

  Ukraine Flag Turkey Flag Tunisia Flag アルジェリア 国旗

橋脚の像は勢力の衰えたオスマントルコの利権をナポレオン三世のフランス、ヴィクトリア女王のイギリス等の同盟軍がロシアと争ったクリミア戦争(1853-56)で活躍したズアーヴ兵 zouaves (アルジェリア人、チュニジア人で編成したフランス陸軍歩兵)だ。

フランス軍はこの外人部隊でクリミア半島での最初の戦いである<アルマの戦い(1854)>に勝利した。旧アルマ橋はその勝利を記念して架けられた(1854-56)。

戦後、仏英の発言力は高まり、サルデーニャ王として参戦したヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は5年後の1861年にイタリア統一を果たす。

1910年のセーヌ川の歴史的な大洪水時にはズアーヴ兵の肩まで水位が上がったという。

Georges Diebolt (1816-61) の作品(1858)。

  • 2016.06.02.のセーヌ川
-6キャプチャ.PNGアルマ橋
Statue de Zuavues / Pont de l’Alma / La Seine

エッフェル塔百態 76  国民会議(ブルボン宮殿)

   depuis  2001

ブルボン宮殿はルイ14世の庶子ルイーズ・フランソワーズ・ド・ブルボン Louise Françoise de Bourbon (1673-1743) により建造(1728)されたが、フランス革命により接収(1791)され下院にあたる国民会議の議場となる (上院にあたる元老院はアンリ4世の王妃でルイ13世の母、マリー・ド・メディチ改築 (1631) のリュクサンブール宮殿)。

Tour Eiffel / Assemblée Nationale (Palais Bourbon)

 

ロータリーとモニュメント 70 テオドール・ヘルツル広場

   depuis  2001

テオドール・ヘルツル広場 Pl. Theodor Herzl のモニュメント。複雑なロータリー。

<ハーモニー Harmonie > Antoniucci Volti (1915-89)の作品。

Hungary Flag   Theodor Herzl(1860-1904)はハンガリーの(ブタ)ペスト生まれのユダヤ人ジャーナリストで、パリ特派員として係ったドレフュス事件(ユダヤ人のフランス陸軍大尉ドレフュスのドイツスパイ冤罪事件)1894-1906を通じてユダヤ国家の建設を主張するに至った。

案内板には「ジャーナリストで作家 ユダヤ人国家の主唱者」とある。

Pl. Theodor Herzl

広場の中にある メトロ  - PDF - 新規ウィンドウ地図地下鉄ライン3をダウンロード  - PDF - 新規ウィンドウ地図地下鉄ライン11をダウンロード アールゼ・メティエ Arts et Métiers 下車。

自由の女神像の原像が保管されている<国立技術博物館>は目の前。

パリの街燈 réverbère 6  ヴァンドーム広場

   depuis  2001

ヴァンドーム広場 Place Vendôme の街燈

背後はオテル RITZ の玄関口でその門燈も写っている。

下は広場入口角の街燈。後ろは法務省。

パリ市庁舎前の街燈と同じだが、この写真でパリの市章がついているのが分かる。

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右上の写真で、金色の王冠の下にダブルエルLL。左にフル―ル・ド・リス。

エッフェル塔百態 75  サン・ランベール公園

   depuis  2001

15区にあるサン・ランベール公園 Sq. St-Lambert (左の樹木の左側)横のジャン・フォルミジェ通り Rue Jean Formige からのエッフェル塔。

聖ランベール(669-705)は現ベルギーのリエージュ司教領を守った聖人。

Tour Eiffel / Sq. St-Lambert

30度に迫る絶好の晴天(2012.08.17.)とあって、公園では。。。

Sq. St-Lambert

パリの街燈 réverbère 5 アレクサンドル3世橋 Pont Alexandre III

   depuis  2001

アレクサンドル3世橋 Pont Alexandre III の街燈。
<ピラミッド広場のジャンヌダルクの騎馬像>の作者、
エマニュエル・フレミエ Emmanuel Frémiet (1824-1910) の装飾デザイン。

左岸上流側から右岸を見たもので背後はCours de la Reine の緑道と
左にグラン・パレ右にプチ・パレの建物。

クール・ラ・レーヌは1616年にマリー・ド・メディシスにより造られたパリ最古の緑地公園でコンコルド橋からアルマ橋の間が女王の間と呼ばれていた。第一次大戦時以降アンヴァリッド橋下流区間は同盟国ベルギーの国王の名を付けクール・アルバートI世となる。

左端にアンヴァリッドから橋を越えてクール・ラ・レーヌまで続く街燈も見える。

Marché Vernaison

   depuis  2001

メトロ   - PDF - 新規ウィンドウマップメトロライン4をダウンロード ポルト・ド・クリニャンクールから蚤の市 を通り過ぎてパリ市を出たところの  サン・トゥアン市に 骨董市(蚤の市) Le Marché aux Puces < Marché Vernaison >がある。

写真がその入り口で店舗の案内図が掲げられている。
9000㎡の敷地に300店舗が密集している。

道路の手前側にも美術品や家具・調度品を扱う店が集積している。

手前側も以前は雑然としていたが今や立体化されてパレ・ロワイヤル広場の超高級アンティケには及ばないものの高級骨董店の呈をなしてきている。

 Marché Vernaison

Rue des Rosiers の左側少し先で
パリ在住のお友達がひったくりに遭ったこともあるので要注意。

バスなら 85行 のバス停がここで、
右の方へシャトレを通ってリュクサンブール公園まで行く。

ロータリーとモニュメント 69  コスタ・リカ広場

   depuis  2001

コスタリカ広場 Pl. de Costa-Rica のモニュメントは円形の花壇と時計付きの街燈だ。

正面真っ直ぐがパッシー通り Rue de Passy でオスマンによる三角形公園であるラヌナグ公園を経てブーローニュの森に至る。周辺は日本の駐在が多く住む高級住宅地だ。

左の Rue Raynouard  を暫く行くと<バルザックの家>が、反対に真っ直ぐロータリーを越えて Rue Bennjamin Franklin を行くと直ぐ<クレマンソー記念館>がある。

7本の道路が集まっているので通りの名前を確認するのが賢明だ。

バルザックの家がわざわざ急な崖地にあるのは債権者からの逃げ易さを重視したためだったといわれている。

Pl. de Costa-Rica

メトロ   - PDF - 新規ウィンドウ地図地下鉄ライン6をダウンロード Passy 駅下車。

メトロはセーヌ川を高架で渡ってパッシー駅から直ぐトンネルに入り広場のはるか下を通っている。つまりここは相当な高台なのだ。

ギャラリー・イグレック の花々 95  ヒイラギ

   depuis  2001

3種ある ヒイラギ の内の一つです。台風の影響による大雨での落花で開花に気付きました。

ヒイラギ(柊)はモクセイ科モクセイ属の常緑樹。キンモクセイと似た芳香を漂わせます。

今年は例年になく香りが強いようです。                              2013.10.30.

星川孝パリ個展< OVNI >に広告出る

   depuis  2001

パリの日本人向け情報誌<OVNI>に広告が出ました。

星川孝・クレパス画展「郷愁浪漫」

11月13日~24日

伊予のクレパス作家が描く日本とパリの懐かしくも幻想的な風景画展

とあります。

   

パリ個展を催す パリ日仏文化センター:エスパス・ジャポン

<espace Japon> のホームページでの案内はこちらをクリック!

パリの街燈 réverbère 4  コンコルド広場 Place de la Concorde

   depuis  2001

エトワール凱旋門からシャンゼリゼ大通りを下って終点のコンコルド広場には複数の種類の街燈がある。広めに俯瞰すると・・・

金色の<クレオパトラの針>と呼ばれるオベリスクがシャンゼリゼ大通りからの中心で、シャンゼリゼはグラン・パレの方向に街路樹の切れ目のところを右斜めに走る。

手前2連の街燈はリヴォリ通りのもの(広場は擁壁から右)でオテル・ド・ヴィルのそれと同タイプ。その右の街燈がシャンゼリゼ大通りの街燈と同タイプ。
金色の街燈はコンコルド広場だけのもの。

コンコルド広場に設置されている金色の吻側・燭台型街燈。ヒットルフ Jacques Ignace Hittorff (1792-1867)の作品。左端の噴水/海の泉の左がシャンゼリゼ大通り。

ツール・ド・フランスの周回コースはシャンゼリゼからこの噴水の左へセーヌ河岸に出て、右のほうからシャンゼリゼに入る。街燈の手前は金色のゲートを通ってチュイルリー公園だ。

下はシャンゼリゼと同タイプの3連街燈。オベリスクから左端の方角にシャンゼリゼ。

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暗くなると。。。

ギャラリー・イグレック の花々 92  ムサシノハギ

   depuis  2001

今秋植えた ムサシノハギ の花。

萩の季節になると、9月中頃に岡町から歩いて15分位の曽根(豊中市)の手前にある<萩の寺>に母親に連れられて萩の花をもらいに行っていた子供の頃を思い出す。
秋の床の間に欠かせない花の一つだ。

東光院萩の寺は、天平7年(735)行基開創による曹洞宗別格地寺院。萩は行基の供養花。

パリの街燈 réverbère 3             シャンゼリゼ大通り Av. des Champs-Élysées

   depuis  2001

シャンゼリゼ大通りの街燈は二段構えになっている。

プラタナスの葉陰に収まる昔ながらの街燈とプラタナスの街路樹を上回る高さの新式の街燈の2層構造だ。

右はシャルル・ド・ゴール広場と同じタイプの低層街燈で、背景はシャンゼリゼに面する クルチザンヌのパイヴァ公爵夫人の館 Hôtel de la Païva 。右側がエトワール凱旋門。

左は左端に凱旋門のシャンゼリゼ大通りで、刈り込まれたプラタナスの下に右上の街燈が、プラタナスの上には今風のデザインの街燈が見える。街路樹の右側はシャンゼリゼの広い歩道になっているのだが、街燈はよくみると二股になっていて同じものが歩道側にもあることを窺える。

パリの街燈 réverbère 2  凱旋門 Arc de Triomphe

   depuis  2001

シャルル・ド・ゴール広場の街燈の一つ。

オテル・ド・ヴィル広場の街燈と同種のデザインだが少し異なる。

背景は エトワール凱旋門 Arc de triomphe de l’Étoile で、手前がシャンゼリゼ大通りでアーチを潜ればグランド・アルメ大通り。

レリーフは<1810年の勝利 Le Triomphe de 1810>と名付けられているもので、オステルリッツの戦いでのナポレオンの勝利を表す。

Arc のEU 旗とフランス国旗は EU発足15周年記念 のため。

下の街燈は別タイプの新しい街燈で左に比して高さが著しく高い。背後のレリーフは左と同じ。

パリの街燈 réverbère1  パリ市庁舎 Hôtel de Ville

   depuis  2001

パリの街中にはいろいろなデザインの街燈 réverbère があります。

それぞれが風景に溶け込んでいますので、街燈に目が行く人は少ないかもしれません。

そこで、街燈だけに注目して紹介してみることにしました。

まずは オテル・ド・ヴィル Hôtel de Ville パリ市庁舎の街燈からです。

背後の建物が市庁舎で、時計の下に左から<自由・平等・友愛>の文字が見えます。また、左の市旗と国旗とユーロ旗の下には<たゆたえども沈まず>の市章を見ることができます。
なお、樹木は
2008年8月のテンポラリーな造作(パリ・プラージュと同趣旨でヴァカンスのため)。

2008年は EU 発足15周年 でした。

ロータリーとモニュメント 68  ディアギレフ広場

   depuis  2001

バレエ・リュス Ballets Russes の創設者で芸術プロデューサーだった
セルゲイ・ディアギレフ Serge de Diaghilev (1872 – 1929 )の名を冠した
ディアギレフ広場  Pl.Diaghilev はオペラ座の裏手にある。

1906年のプチ・パレに始まりオペラ座やシャトレ座で絵画展、音楽会、バレエ公演等をロシアの芸術家を使ってプロデュースしパリを中心に活動し成功を収めた。

例えば、リムスキー・コルサコフ、ラヴェル、ラフマニノフ、スクリャービン、プロコフィエフ、ストラヴィンスキー、チャイコフスキー等ロシアの作曲家を世界に紹介した。

フランスでは、ピカソ、マチス、ローランサン、ドビュッシー、ココ・シャネル等も関った。

Pl. Diaghilev

6道路が交差し混雑が常態のロータリーで、モニュメントは植木鉢と街燈。

左の建物がオスマン大通りに面する <ギャラリー・ラファイエット Galerie Lafayette >、
右がオペラ座の裏。

真ん中の建物はいわゆるオスマン様式のそれで2層(3階と6階)のバルコニーがある。

一般的にオスマン様式といわれるアパートは、日本風でいうところの3階と6階部分にバルコニーがついているタイプのもので、不動産市場でも高く、人気があります。

ロータリーとモニュメント 67 オスマン男爵(広場)

   depuis  2001

<ギャラリー・ラファイエット>と<プランタン>の前を通るオスマン大通りにその名を残すオスマン男爵 Baron Georges Eugène Haussmann (1809-1891) の立像はオスマン大通りとミロメニル通りとが交差する7本の道路が集まるロータリーにある。オスマン広場と呼ぶべきかと思うが何故か広場に名は付いていないようだ。

オスマン男爵 Baron G.E.Haussmann はナポレオン3世のもとでパリを含むセーヌ県知事(1853-1870)としてパリを現在の形に改造し、世界に都市計画の範を垂れた人物だ。

彼の目はオスマン大通りからフリドラン大通りを通して一直線に凱旋門を見ている。

手前がオスマン大通りで右に行けばプランタンなどオペラ方面へ、像の向こうのラボルド通りを行けばサント・ギュスタン教会前を通ってサン・ラザール駅前へ出る。

クレマンソー広場にあるクレマンソーの立像の彫刻家 François Cogné の作品 (1889) 。

Baron G.E.Haussumann

ブキニスト 3  シャンジュ橋下流右岸

   depuis  2001

ブキニスト Bouquinistes の多くは観光客目当てのポスターや絵葉書・写真を扱う店になってきたが、写真のブキニストは昔の雰囲気を残しているように見える。

シャトレ広場からシテ島に架かるシャンジュ橋 Pont au Change 直下流右岸で、後方にシテ島にある コンシェルジュリー Conciergerie の尖がり帽子が見える。
後ろがセーヌ川で、前が一方通行で上流に向かう幹線道路 メギッスリー河岸通り Quai de la Mégisserie で下流側に向かう リヴォリ通り と対を成す。

Bouquinistes

風車の国の太陽光発電/I amsterdam

   depuis  2001

Netherlands Flag

アムステルダム国立美術館の周辺この一帯は以前2度訪れた時とは風景がまるで変ってしまっていて戸惑いを隠せなかった。お目当ての店がこの辺りにあって、2度目の時は近々閉店するように言っていたのだが。。

このモニュメントから手前は水面を伴う広大な広場になっていて、地下は各種のツアーバスの発着場になっている。ただ、出来上がって間もないせいで樹木が小さく日陰に乏しい。

背景がアムステルダム国立美術館(入口は左側)だが、見ての通り新築かと思うほどの全面改修で太陽光パネルがびっしりと屋根を覆っている。

I amusterdam

エッフェル塔百態 74  カルーゼル公園

   depuis  2001

カルーゼル公園 Jardin du Carrousel からのエッフェル塔。

前の人の流れは左手のカルーゼルの凱旋門から右手のチュイルリー公園へ、
あるいはその逆の動き。

手前の植え込みは迷路のようになっている。

公園内では複数の<マイヨール Aristide Maillol の彫像>を見れる。

写真では左手に Aristide Maillol 、右手に Le vase Médicis 。

Tour Eiffel / Jardin du Carrousel

少し右方向に移動して振り返ると。。。

中央にマイヨールの Air と題する作品、背景はルーブル美術館で左がリシュリュー翼、右がドノン翼、奥がシュリ―翼、彫像の右にカルーゼルの凱旋門。灌木の植え込みが迷路。

Jardin du Carrousel / Aristide Maillol

ウインドウショッピング 19  Le Bon Marché

   depuis  2001

パリのファッションデザイナーである ソニア・リキエル、 イザベル・マラン、 ジャンポール・ゴルチェ  ブランドの商品を展示(左より右へ)している。

履いている左右のパンプス escarpin はアントウェルペンのファッションデザイナーの一人  ドリス・ヴァン・ノッテン  のブランド商品のようだ。

1ユーロ100円で勘定しても、靴まで入れると一式 20万~35万円。

2012.07.24.

ルーベンス/ヴァン・ダイク/テニールス

   depuis  2001

Belgium Flag

この3人は世界に知られている画家で、いずれもアントウェルペン生まれだ。

ヴァン・ダイク Antoon van Dyck  (1599-1641)  はイギリスの画家だと思っている人がいるほどイングランド王室の宮廷画家として1632年以降のイギリスの画壇を牽引した画家。

また、テニールス David Teniers (1610-1690)  も当時ブリュッセルを支配していたオーストリア大公の宮廷画家として異国のブリュッセルで活躍した。

ルーベンス Petro Paulo Rubens (1577-1640) もイタリアのマントヴァ公とスペインのイサベラ王女の宮廷画家を務めた。スペイン王室の宮廷画家ベラスケスはヴァン・ダイクと同年の生まれだ。

アントウェルペンの目抜き通りと、隣接する広場に3人の立像がある。2人が教えを受けた先輩ルーベンスの像は広場にあり、没200年の1840年の記念碑で、背景はアントウェルペン大聖堂だ。

パリの消防/SAPEURS POMPIERS DE PARIS 追補・再掲

パリの消防/SAPEURS POMPIERS DE PARIS

   depuis  2001

パリの消防は フランス陸軍の消防工兵部隊で平時は内務省とパリ警視総監の指揮下にあるパリ消防旅団 Brigade des sapeurs-pompiers de Paris(BSPP) に委ねられている。

1区の消防署(兵舎) Caserne Pompers の建物と消防車に SAPEURS POMPIERS DE PARIS (パリ消防士) とあり、また、大きく SAPEURS (工兵) の表示があるのがその辺の事情をうかがわせている。

7月14日の革命記念日のシャンゼリゼ大通りでのパレードではトリを務める。

入口上部のガレー船の船首は(消防がスポンサーによって運営されていた時期の)当スポンサーのシンボルではないかと・・・

リヨン駅 Gare de Lyon 近くにある12区の Caserne Pompers 。正面左右に門番がいるが、これは消防服を着用した人形。従来は工兵が常駐していたのだろう。

セーヌ川の女神(寓意)/Louis Petitot

   depuis  2001

セーヌ川 La Seine の恵みを寓意する女神像だ。

ヴェルサイユ宮殿のルイ十四世の騎馬像の作者
Louis Petitot (1794-1862) による1846年の作品(石造)。

セーヌ川左岸とルーブル美術館を結ぶポン·デュ·カルーゼル Pont du Carrousel の左岸下流側の橋柱にあり、顔はやや左岸上流を向いている。
左脇に置かれた水瓶から溢れる水がセーヌの恵みを表す。

左右岸の上下流に置かれたそのほかの3体、産業 L’Industrie 、豊饒 L’Abondance 、パリの街 La Ville de Paris の寓意像とセットになってパリを誇る。
後ろはルーブル美術館ドノン翼、下流の橋はロワイヤル橋。

La Seine

 

 

ロータリーとモニュメント 66  クレマンソー広場

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日本で猛虎といえば阪神タイガースだが、
フランスではクレマンソーのことを猛虎宰相と呼ぶ。

「行動を自問するようでは行動的人間とは言えない。」と うそぶいたといわれるクレマンソー Georges Clemenceau (1841-1929) は   第一次世界大戦時のフランスの首相であり、
戦時並びにヴェルサイユ条約締結時のドイツへの強硬姿勢で知られる。

また、ジャーナリストとしてドレフュス事件でドレフュスを擁護した人権派としても有名。

エミール・ゾラ の 「われ、弾劾す。 1898 」は彼の主幹する新聞で公開された。

革命以後のフランスの栄光を代表する行動的政治家でありジャーナリストだ。

グラン・パレ、プチ・パレ、エリゼ宮の面するシャンゼリゼ大通りにクレマンソー広場 Pl. Clemenceau があり、クレマンソーの像(François Cogné(1876-1952)の作)と噴水がモニュメントとしてある。2000年以降、反対側にド・ゴールの像もある。

後ろの建物はプチ・パレ、右側に見える通りがウィンストン・チャーチル大通り Av. W.Churchill で、その右手がシャンゼリゼ大通り、左手がセーヌ川でアレクサンドル3世橋からアンヴァリッドへと続く。

地下には メトロ -  PDF  - 新規ウィンドウ地図地下鉄1号線をダウンロード -  PDF  - 新規ウィンドウ地図地下鉄ライン13をダウンロード Champs-Élysées Clemenceau 。

Pl. Clemenceau

Tunisia Flag

経済学者ケインズはヴェルサイユ条約締結時におけるフランス(クレマンソー)のドイツに対する強硬姿勢をローマのカルタゴに対するそれに例えて<カルタゴ式平和>と揶揄した。

カルタゴは三次にわたるポエニ戦争の結果、徹底的にローマに滅ぼされる(紀元前146年)まで地中海を支配した海洋都市国家だが、現在のチュニジアの首都チュニスにあたる。

本日、当時アフリカといえばカルタゴのことであったといわれる現チュニジアからのアクセスがあった。アフリカからは今年の2月25日以降で初めでだ。

エッフェル塔百態 73  オステルリッツ橋

   depuis  2001

ヴァルベール広場 Pl. Valhubert 前のセーヌ川に架かるオステルリッツ橋からのエッフェル塔。

セーヌ川の下流方向を見ていて、
左の左岸側にオステルリッツ駅 Gare  d’Austerlitz 、パリ植物園があり、右岸を直ぐ右折してディドロ大通り Bd.  Diderot に入ればリヨン駅 Gare de Liyon 前だ。

真ん中にエッフェル塔、左にパンテオン、そして右にパリ・ノートルダム寺院(シテ島)という配置で、下流に見える橋はサン・ルイ島に架かるシュリ―橋だ。

サン・マルタン運河は下流右岸直ぐのところから始まる。

ジュシ―タワー Tour Jussieu (Tour  Zamansky)と呼ばれる高層の建物と前、
横の建物はパリ第VI大学。、

May Milton / Toulouse-Lautrec

   depuis  2001

Netherlands Flag

かねてから鑑てみたいと思っていたロートレックのリトグラフ< May Milton >(1895)にアムステルダムのゴッホ美術館で遭遇した。平凡な構図だが、なぜか親しみやすい。パリでの公演時に次のニューヨーク公演のためのポスターとしてロートレックに依頼したもの。

イギリスのダンサーであった彼女はこのポスターのお蔭でその名を今に残しているが、風貌も才能もいまいちであったようだ。ロートレックがこのように描いているところを見れば美人だったように思えるが。

これだけの生きたサンゴが。。Hotel Estheréa

   depuis  2001

Netherlands Flag

3連泊したアムステルダムの Hotel Estheréa のロビーにいるサンゴの数々。写真では分からないが、すべてのサンゴが生きていて休むことなく動き続けているのには驚いた。

世界遺産に登録されているアムステルダムの地区内にある、運河に面した昔ながらのクラシックな四つ星ホテルで、何とも居心地がよかった。シャンデリア、ランプなど古くからのものに良き時代の贅を感じた。

部屋に冷蔵庫はあるがミニバーはなく、ロビーでカフェ・テ等のドリンク・菓子のサービスがあるのも珍しかった。

写真の上段が中央、中段が左側、下段が右側。

運河に面するホテルの外観だが、古のアムステルダムの風情そのままのところがよい。

ここからほど近い、面影を無くした<アンネ・フランクの家>を筆頭に激変するアムステルダムなのだが。。

揺蕩えども沈まず/追補・再掲

   depuis  2001

 サン・ドニ門からサン・ドニ通りをパリの中心部に向かって歩いて右側にパッサージュ Passage du Grand Cerf を通り抜けたところでパリ市の市章を見つけた。

市立の保育園/幼稚園 e’cole maternelle の建物だ。

市章の上には国旗が、その上には自由・平等・友愛の文字が埋め込まれている。

<たゆとうとも沈まず> 帆船が市章になっているのは船頭の組合長が代々シテ島を支配してきたことに由来するといわれる。

もともと、パリの守護聖人 聖ジュヌヴィエーヴがフン族の侵略からパリを守った故事(464年)に起源するともいわれる。

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メトロTélécharger le plan Métro Ligne 1 - PDF - Nouvelle fenêtre の Hôtel de Ville  のタイル張り壁面にある市章は色つきでわかりやすい。

パリの市庁舎 Hôtel de Ville の2枚の飾り窓にある市章は。。。

オルセー美術館 Musée d’Orsay にある市章は。。。

15区区役所の市章
 まだまだあります。

アミアンのアール・ヌーボー/ジュール・ヴェルヌの家

   depuis  2001

SF小説の元祖といわれている<海底二万里 Vingt mille lieues sous les mers >の作者ジュール・ヴェルヌ Jules Verne 1828-1905 は晩年を市会議員としてパリの北方ピカルディー地方の首府アミアンAmiens で過ごしたが、その屋敷はアール・ヌーボー様式で、現在でもその面影が残っている。

今は退役している世界初のアメリカの原子力潜水艦ノーチラスは誰でも知っているが、そもそもノーチラスはナポレオンが1800年に設計を命じた潜水艦の名で、海底二万里(1870)でもその名が使われている。

海底二万里は潜水艦ノーチラスに乗船した主人公の海洋生物学者の海底冒険小説でアトランティス大陸等も登場する。

 

タリス Thalys に乗ってみよう

   depuis  2001

France FlagBelgium FlagNetherlands FlagFrance Flag

この夏パリからアントウェルペン、アムステルダムに小旅行するのにタリス Thalys を利用した。以前にもブラッセルからの帰りに使ったことがある。ケルンへも行ける。

お勧めは<一等車で早めに予約を取っておく>ことで、インターネット上で簡単に手続きできる。

TGV 並の高速性と座席、車内サービスが気に入っている。

パリ・ノルド7時25分発、アントウェルペン9時27分着で、朝食が付く(写真上)。

さらに、途中、ブラッセルを過ぎると茶菓のサービスがある。

アムステルダム13時16分発、パリ・ノルド16時35分着で軽食(ワイン・ビール・ドリンク各種)が付く(写真下)。やはり、途中、茶菓のサービスがある。

アントウェルペンからアムステルダム1時間強でも軽食が出る。

今回取った切符の値段はアムステルダム・パリの例で8000円弱(シニア割引適用)だったが、もっと早くに取れればもう少し安い。日本の常識では信じがたいだろうが、日本の新幹線も航空機も高すぎるのだ。

なお、シニア割引を使った場合はパスポートまたはその写しを持参しておくこと。

ウインドウショッピング 15  Van Cleef & Arpels

   depuis  2001

ヴァンドーム広場のVan Cleef & Arpels。

反射で写っている写真左端が リッツ Ritz で改装工事中、まだしばらくかかる。右端のディオールも工事中。

オーステルリッツの三帝戦を制したナポレオンの立像が、中央に見える戦利品で建造した円柱 Colonne の上からカスティリオーヌ通り( Dior の左)を通してチュイルリー公園を望む。

Van Cleef & Arpels / Pl. Vendôme

ロータリーとモニュメント 65  カトルー将軍広場

   depuis  2001

マルゼルブ大通り Bd. Malesherbes と ヴィリエール大通りとが斜めに交差し長方形のロータリーに7本の道路が集まる カトルー将軍広場 Pl. Général Catroux 。旧名はマルゼルブ広場

愛称が長らくトロワ・デュマ広場であっただけにモニュメントは<岩窟王/モンテクリスト伯>のアレクサンドル・デュマ(大デュマ)、<椿姫>のアレクサンドル・デュマ(息子デュマ)等のモニュメントがある大広場だ。

大デュマ Alexandre Dumas 1802-1870 はナポレオンの配下にあった父デュマ将軍が白人と黒人とのハーフであったことで代々人種差別を受けていたことでも知られるフランスの著名作家。

大デュマは生誕200周年の2002年になってやっとパンテオンに祀られたが、その際シラクは人種差別の事実に言及し謝罪したという。

ドレ Paul Gustave Doré Louis Christophe (1832-83)の作品(1883)。

Pl. Général Catroux

< 足枷/手枷 Fers >

ナチ占領下の1913年に破壊されたデュマ将軍の功績碑に代わるものとして、功績碑と合わせて2008年にパリ市が設置した。

fers

カトルー Georges Catroux (1877-1969)将軍は第一次、第二次大戦のフランス、自由フランス陸軍の職業軍人であり外交官。

ロータリーとモニュメント 64 ジャンヌ・ダルク広場

   depuis  2001

7本の道路が集まるロータリー ジャンヌ・ダルク広場 Place Jeanne d’Arc の真ん中に Notre Dame de la Gare がある。パリ市に編入される以前の地区の聖母教会だ。広場名は編入時から。

下の写真は教会前からジャンヌ・ダルク通り Rue Jeanne d’Arc を見たもの。ジャンヌ・ダルク通りはジャンヌ・ダルクの立像のあるサン・マルセル大通り Bd. St-Marcel まで一直線。その先に、聖人ジャンヌ・ダルクの眠るパンテオンが見える。影は教会のもの。

左の写真は教会内にある彫像で十字剣を持つジャンヌダルクだと思われるが、何の記載も説明もない。

ロータリーとモニュメント 63  ケベック広場

 depuis 2001

サン・ジェルマン・デ・プレ教会横のケベック広場 Place du Québec のモニュメント。
最近修復された。

地震でタイル舗装が隆起し地下水が噴き出ているようなオブジェなので、清掃を欠かせない。

左右に横切るのがサン・ジェルマン大通り  Bd. St-Germain で、モニュメントに沿って左からレンヌ通り Rue de Rennes が合流し、右からボナパルト通り Rue Bonaparte が教会前のサン・ジェルマン・デ・プレ広場 Pl. St-Germain des Prés  へ突き抜ける。さらに真っ直ぐ進めばボザールの横を通ってセーヌ川に出る。

左端に見えるのがレ・ドゥ・マゴ Les Deux Magos でその左のカフェ・ド・フロール Café de Flore とともにサルトルのカフェとして有名な老舗カフェだ。

Pl. du Québec

 

 Canada Flag

パリで好きな現代アートがおいてある広場のひとつです。記事にあるとおり、ブロンズでできたFontaine(泉)となっていて、1984年にケベック州から寄贈されました。その後1980年にこの広場はケベック広場の名称で呼ばれることとなりました。建築家アルフレッドGindre と彫刻家チャールズDaudelin とによる作品で、噴水は、セントローレンス川で春に崩壊する氷塊を表現しています。探検家ジャック·カルティエのカナダ発見450周年の記念。ブルトン人カルティエの胸像はカナダ広場にあります。

***

デ・プレ教会(右端)横のサン・ジェルマン大通りから見た両カフェ。2008.02.07.

Les Deux Magots / Café de Flore

レ・ドゥ・マゴには数回はいったことがありますが、カフェ・ド・フロールはまだありません。カフェ・ド・フロールのほうが最近は、若い人に人気のような感じです。日本人のギャルソンもいるようですよ。カフェ・ド・フロールの隣には日本食屋さん、円があります。

エッフェル塔百態 72                         ロータリーとモニュメント 62  レジスタンス広場

   depuis  2001

アルマ橋の左岸詰の レジスタンス広場 Place de la Résistance には5本のアヴェニューと1本のルーが集まる。RER の Pont de l’Alma の駅もある。

右側にセーヌ川が流れていて、アルマ橋を渡れば自由の炎のモニュメントのあるアルマ広場だ。

広場から緑の間を少し下流へケ・ブランリィ Quai Branly を行けばシラクの<ケ・ブランリィ美術館>だ。

ロータリーとモニュメント 47  ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼ

   depuis  2001

   ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼ Rond- Point des Champs-Élysées のモニュメントは6つの噴水と四季折々の花で彩られた花壇とマロニエの樹々だ。
ただここ数年噴水が出ているのを見た記憶がない。

チュイルリー公園やベルサイユ宮殿の造園家、
ル・ノートル Andre le Notre  (1613-1700)  の作 (1670) 。

拡大して見て欲しいが、シャンゼリゼ大通りの左右に花壇が見えるところが ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼ で、地下はメトロ1号線Télécharger le plan Métro Ligne 1 - PDF - Nouvelle fenêtreと9号線Télécharger le plan Métro ligne 9 - PDF - Nouvelle fenêtreのフランクリン・ドラノ・ローズヴェルトの駅になっている。

左は2011年8月

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右は2011年4月

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このロータリーの正式名は Rond- Point des Champs-Élysées-Marcel Dassault (シャンゼリゼのロータリー:マルセル・ダッソウ)と長いのだが、マルセル・ダッソウは第一次世界大戦で使用されたフランス軍のプロペラ機を発明した航空実業家で第二次世界大戦後にはフランス一の軍用機メーカを設立した人物だ。第二次大戦占領下のフランスでドイツの協力要請を拒否したことでも知られる英雄でもある。

2012年8月4日

建物は最上段の写真でシャンゼリゼ大通りとロータリーとの角の建物。

Rond- Point des Champs-Élysées

エッフェル塔百態 71               ジョルジュ・サンド/ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ

   depuis  2001

パリ16区のジョルジュ・サンド通り Rue George Sand と ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ通り Rue Jean de la Fontaine との交差点から見えるエッフェル塔。

ジョルジュ・サンドはショパンやリスト等と浮名を馳せた誰もが知る女流作家で、銘板には< ジョルジュ・サンドとして知られるオーロール・デュパン Aurore Dupin (本名) 1804-1876  / 作家 >とある。

写っている通りはジャン・ド・ラ・フォンテーヌ通りで、交差するジョルジュ・サンド通りを左に行くと直ぐ Villa George Sand がある。

もう一方は、<すべての道はローマに通ず>でも、また、寓話詩人としても知られる(カラスとキツネで紹介した)ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ Jean de la Fontaine  の名を冠したもので、< ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ  Jean de la Fontaine  1621-1695 / 寓話作家 >とある。

ロータリーとモニュメント 61  ラ・ソルボンヌ広場      秩序と進歩/ブラジル国旗

   depuis  2001

ブラジルの国旗 Brazil Flag にある<秩序と進歩 Ordem e Progresso>は
フランス革命後の社会の混乱を背景にその秩序と進歩を探求した 社会学の元祖オーギュスト・コント Auguste Comte(1798-1857) の言葉だ。

ブラジルが共和制になったのは1889年、フランス革命後100年目にあたる。

サンミッシェル大通り Bd. St-Michel に面する ラ・ソルボンヌ広場 Pl. de la Sorbonne  に彼のモニュメントがある。<全てに(色々)有難う>の落書きがみえる。
永遠を寓意する棕櫚を捧げているのは聖母子に擬えたクロティルデ・ド・ヴォー Clotilde de Vaux (1815-46)で、コントが熱烈に愛した(1844-46)詩人。右は学習中のプロレタリア。

ミラボー橋の4彫像の作者、Jean-Antoine Injalbert (1845-1933) の作品 Monument à Auguste Comte (1902) 。

POMZE で 最後のデジュネ déjeuner

   depuis  2001

今回パリ最後の昼食を POMZE でとった。             レストラン POMZE

天気が良かったので、メトロ Télécharger le plan Métro Ligne 1 - PDF - Nouvelle fenêtre のシャンゼリゼ・クレモンソー Champs-Élysées Clemenceau からエリゼ宮の西側(マリグニー大通り)に沿ってプラタナスの落ち葉を踏みながらサンとノーレ通りまで、さらにギャラリーの多いミロメニル通りをオスマン大通りまで歩いた。さすがに、ギャラリーの大半はヴァカンスで閉店していた。

フランス人受けを狙った日本人シェフの創作料理で、小部屋もあり、主に接待に使われているようだ。

飲み物は リンゴ  pommes  のシードル にして、

アントレ は・・・

ガスパッチョ・リンゴ入り

カツオ・わらいぶし

サバ・あぶり

プラットは・・・

エビのリゾット

牛ヒレ肉・ジャガイモ添え

鴨のマグレ

フランスの国鳥/雄鶏 Coq    追記・再掲

   depuis  2001

日本の国鳥はキジですが、フランスはニワトリ(雄)coq です。

今回のパリ滞在で何となくパリらしいニワトリ(雌) poule の置物に出会ったので購入してみました。50ユーロはちょっと高かったかな?

雄鶏 coq はもっと高くて手が出ませんでした。

アン・キャンズ・カフェでお出迎えいたします。

2011.11.29

このたびの滞在で、雄鶏 coq を買いました。

9月にはアン・キャンズ・カフェでお出迎えします。

    2012.07.28

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エリゼ宮の門扉に輝く雄鶏 coq 。

羽を広げて踏ん張っています。

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Coq / Château de Saint-Germain-en-Laye

Coq / Château de Saint-Germain-en-Laye

 サン・ジェルマン・アン・レー城で時を告げる Coq を捉えました。
座っていたのに鳴く時には立ち上がります。
この Gaulois Dorée が<ガリアの雄鶏 Coq gaulois>に最も近い品種だとされている。

2014.07.26.

パリ猛暑 2012

   depuis  2001

こちらパリの8月18日から19日にかけて今夏最高の猛暑日でした。

8月に入ってからはいわゆる残暑で、夕方の西日がきつい日々が続いてきましたが、日が暮れる21時頃には気温が下がり始め、寝苦しいということはありませんでした。

土曜日の18日は気温が30度を上回る予報もあって、昼間の外出を避けて夕食をメトロ Télécharger le plan Métro ligne 7 - PDF - Nouvelle fenêtre ゴブラン Les Gobelins 下車直ぐの <Au Petit Marguery> で19時半に予約し、18時半頃出かけました。

風はそれなりにあったものの西日がきつく、猛暑でしたが、東京と違って汗ばむ程度で、フランス人も暑そうにしてはいますが汗を拭っている姿を見かけません。

行きはバス、帰りはメトロを乗り継いで23時前に帰宅して就寝してからが大変でした。

夜中の2時前に目が覚め温度計を見ると室温がなんと29.7度。窓を開けても温度が下がりません。寝苦しいのも無理ありません。

1時間ほど扇風機で涼んだ後眠りにつき、朝7時に起床すると室温は27.5度まで下がっていました。いつもの爽やかな朝に戻っていました。

それにしても今回の滞在の中で最も暑い夜ではありました。

朝市/バスティーユ

   depuis  2001

バスティーユの朝市はバスティーユ広場に面している立地の良さと規模の大きさで知られる。

店舗の下はサンタンヌ運河だ。記念柱の向こう、運河上にメトロTélécharger le plan Métro Ligne 1 - PDF - Nouvelle fenêtre の バスティーユ駅 がある。

写真は16日の木曜日のもので、朝市の真ん中付近で広場のモニュメントである7月革命記念柱をのぞんだ。つまり、手前に同等の店があるわけだ。

ヴァカンス中とあっていつもより店数が少なく、雑貨店が多い印象だった。

バスティーユ活性化のマルシェとして土曜日は全て10時から17時までオープンだそうだ。

朝市/Bastille

ウインドウショッピング 13  オメガ OMEGA

コンコルド広場とマドレーヌ広場間、ロワイヤル通りにあるRoyal Quartz  の ウインドウ。

オリンピックのオメガ を アピール。

オリンピック LONDON  2012は終わったが、ヴァカンスで休業とあってウインドウはそのまま。

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   depuis  2001

デルフトブルーの夜警/レンブラント Rembrandt

   depuis  2001

Netherlands Flag

レンブラント Rembrandt van Rijn (1606-1669)の代表作で、
かつ、名作の誉れ高い通称<夜警>、
実の名は<フランス・バニング・コック隊長の市警団>のデルフト焼きによる陶板画です。

Royal Delft の作品で、自慢の<デルフトブルー>が冴えています。

レンブラント/夜警

アムステルダム国立美術館の至宝<フランス・バニング・コック隊長の市警団 1642>は・・・

レンブラント/夜警

因みに、レンブラントの描いた原画はこれより大きく、1715年にダム広場の市役所に移した際に特に左側と上・下部をカットしたと言われています。

明らかにそれ以前のLundens (1622-83)による模写 ( 下の写真 ) がそれを裏付けています。

ルーベンス/夜警

デルフト/フェルメール Johannes Vermeer

   depuis  2001

Netherlands Flag

デルフト焼きとフェルメールでお馴染みのデルフトを訪れました。日本の近代治水では<神は人間を創ったが国土はオランダ人が造った>というオランダから多くを学んだのだそうですが、そのデルフト工科大学もあります。

デルフト焼きはオランダ東インド会社を擁した17世紀に日本・中国の影響を受けつつ発展した陶器です。

現在残っている二つのうちの一つ Royal Delft の工房を訪ねました。

フェルメールの地元とあって、フェルメールの<真珠の耳飾の少女><ワイングラスを持つ娘>のほか、デルフトの街を描いたたった2枚の風景画の内の一枚<小路>の陶板画が展示されていました。

同時代を生きたレンブラントの代表作<夜警>(オランダ国立美術館所蔵)の陶板画は圧巻でした。

フェルメールの作品は30数点に過ぎないとされていますが、そのうち4点をアムステルダム国立美術館が所蔵しています。すべて来日したことがあります。

デルフトと接するデン・ハーグのマウリッツハイス美術館は<ディアナとニンフたち><真珠の耳飾りの少女>の2点を所有していますが、現在全面改装中で閉館、その間、2点はいずれも日本でお仕事中です。

デン・ハーグにも寄りましたが現地では見れませんでした。

アムステルダム国立美術館は改装が終わって、所蔵の4点<青衣の女><恋文><牛乳を注ぐ女><小路>とも在席でした。9時の開館と同時に入館しましたのでゆっくりと鑑賞することができました。

パリで 絵が明るくなった ゴッホ/ゴッホ美術館

   depuis  2001

Netherlands Flag

故国オランダとベルギー・アントウェルペン時代の一貫して暗いゴッホ Vincent van Gogh (1853-90)の絵は1886年にパリ・モンマルトルに移って以降一転して明るくなった。

写真の上段は代表作のひとつ、<ジャガイモを食べる人々>(1885)でオランダ時代、

下段二枚はモンマルトルの風車を描いたフランス・パリ時代の作品(1887)。

ゴッホ/ジャガイモを食べる人々

ゴッホ/モンマルトルの風車ゴッホ/モンマルトルの風車

United Kingdom Flag

The Blute-Fin Windmill,Montmartre (1886)

 

パリに移り住んだ1886年にモンマルトルの風車を描いた<The Blute-Fin Windmill,Montmartre (1886)>がグラスゴーの<Kelvingrove Art Gallery and Museum>にあった。

2013.08.02.

 

 

 

 

フランスの国旗  日本の国旗

Moulins et jardins à Montmartre (1886)

 

パリの「オランジュリー美術館」で開かれていた「ブリヂストン美術館の名品−石橋財団コレクション展」で、同時期の作品<モンマルトルにて風車と公園 Moulins et jardins à Montmartre (1886)>の展示があった。

2017.08.06.

 

ゴッホ美術館のロートレック/アムステルダム

   depuis  2001

1886年にアントウェルペンからパリに出たゴッホは1887年11月にロートレックらと共同展を開いている。また同年、ロートレックはゴッホの肖像画を描いている。ゴッホ34歳、ロートレック23歳。

ゴッホ美術館はツールーズ・ロートレックの油絵 (写真 上段:ガブリエルの肖像 Gabrielle はナショナル・ギャラリーの所蔵) のほか、1300点近くのリトグラフを所蔵している。

数多くの所蔵コレクションの中から100点を選んで9月15日まで 特別企画展 Beauty in abundance を開催中であったので訪れることにした(14€)。

ギャラリー・イグレック所蔵の2作品も展示されていた。

Toulouse-LautrecToulouse-Lautrec

アンリ4世とルーベンス/ルーベンスの家/アントウェルペン Anvers

   depuis  2001

Belgium Flag

 ルーベンスはゴッホ等とは違って生前からの人気画家で当時の豪邸 (廃墟同然になっていた) が修復されて<ルーベンスの家>として公開されている。

写真は1590年3月のイヴリーの戦い ( イヴリーは、ノルマンディー地方のウール川沿いの小都市 ) で、カトリックの推すマリエンヌ公を破ったフランス王アンリ4世を描いた4点セットのうちの一枚だ。

アンリ4世の騎乗する白馬の他は未完と思われる。

同様の戦いの場面を描いた絵は、フィレンツェのウッフィツィ美術館にも所蔵されている。

ナント勅令でユグノー戦争に終止符を打つのは1598年のことだ。

アンリ4世/イヴリーの戦い

ジョルジュ・サンク George V はマロニエの並木道

   depuis  2001

シャンゼリゼ大通 Av. des Champs-Élysées ( プラタナスの並木道 ) との交差部にルイ・ヴィトン本店がある ジョルジュ・サンク大通り Av. George V はマロニエの並木道だ。

フォー・シーズンズ・ジョルジュ・サンク周辺の8月初めの様子。

Av. George V

今日から4泊5日で Belgium Flag  アントワープと Netherlands Flag  アムステルダム に小旅行してきます。

コートールド と オルセー/セザンヌ と マネ

   depuis  2001

United Kingdom Flag  昨年 ロンドンのコートールド・ギャラリーに行った折に出会った                                                                                <セザンヌのカード遊びをする人々> と <マネの草上の昼食> ( いずれも写真の上 ) と

France Flag  オルセー美術館のそれら ( 写真の下 ) との対比。

セザンヌ

セザンヌ2

マネマネ2

オルセー美術館は改装が終わって、作品群が本来の位置に戻ってきたように思われた。

食事の後の美味しいケーキ/LAPÂTISSERIE

   depuis  2001

毎年恒例になってきた、お友達との夏のお食事会。

今回はLA PÂTISSERIE BY CYRIL LIGNAC のイチゴのケーキとマカロンを美味しくいただきました。

日本のケーキのように軽いようでありながら、

フランスのケーキらしい濃厚な乳製品の味もしっかりしていて

食事の後に大変美味しくいただきました。

2012.08.04.

エッフェル塔百態 69  アンリ4世騎馬像

   depuis  2001

シテ島(ポン・ヌフ橋)上のアンリ4世騎馬像 Statue équestre d’Henri IV を右端に、真ん中にフランス学士院を重層したエッフェル塔。

フランス学士院とエッフェル塔を除けば写っているのはすべてシテ島上。

騎馬像の向こうはシテ島の下流端の緑地  で、階段を下りると ポン・ヌフ公園 Parc du Ponu Neuf 。セーヌ河畔にも出られ、バトウ・ムッシュの乗船場でもある。

ポン・ヌフの起工はアンリ3世の治世だが、アンリ4世治世の1607年に竣工した。

台座にはラテン語で HENRICI MAGNI とあるが、これはアンリ4世の愛称である大アンリ Henri le Grand の意味だ。

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エッフェル塔の左に街燈とその足元に<ヴェリブ Vélib’>の貸し出し所が見える。

エッフェル塔百態 68  シャンジュ橋/コンシェルジュリー/パリ・プラージュ/時計の塔

   depuis  2001

シャトレ広場前のシャンジュ橋 Pont au Change からのエッフェル塔。

下流に見える橋がポン・ヌフ  Pont Neuf  。
左はシテ島で、化粧直しの終わったコンシェルジュリー。
エッフェル塔の左にフランス学士院。
セーヌ右派流に沿うパリ・プラージュは気温23度とあって閑散としている。

Tour Eiffel / Pont au Change

現在の橋はN のマークが付いていることから推察できるようにナポレオン3世時代(1858)のものだが、両替橋の名はその昔の橋上に両替商や宝石・金細工の店があったことに由来している。

フィレンツェのポンテ・ヴェッキオ(橋)を渡ったところのアパートが懐かしい。

2012.07.31.

コンシェルジュリーの<時計の塔 Tour de l’Horloge du palais de la Cité >の
壁時計部分だけが遅れていたが。。。

中央の時計の左右の彫像は、ファスケスを置き正義の手と法を持っている左が<法の力>、天秤と剣を持っている右が<正義・公正の執行>を寓意している。

François Christophe Armand Toussaint (1806-62) により改修された(1852)。

また、時計の頂部にはアンリ3世 Henri III (在位1574-89)の使った
二つの<王の紋章>が付いている。

父アンリ2世(母カトリーヌ・ド・メディチ)の<モノグラム>である HCC も見える。

アンリ3世が1350年にジャン王が設置した時計を1585年に取り換えた。

2012.11.19.

ロータリーとモニュメント 60  Michel Debré 広場

   depuis  2001

セーブル通りなど6本の道が交差する  Michel Debré 広場  Pl. Michel Debré  は                                                                          赤十字の交差点 Carrefour de la Croix Rouge と呼ばれていた。

カルフール  Carrefour は世界に展開するスーパーマーケットとしてお馴染みの名詞だ。

広場のモニュメントは彫刻家 César のケンタウルス Le Centaure ( 1985 ) だ。

フランス文化省が製作を依頼した。

右に見えているのがセーブル通りで、左奥の緑の先が Le Bon Marché 。

Pl. de la Croix Rouge

 Michel Debré (1912-96 ) はレジスタンスで、
戦後のド・ゴール政権下で大臣・首相を務めた。

人気の15ユーロ/アミアン Amiens

   depuis  2001

大聖堂横手のソンヌ川沿いのレストラン街の一軒でのサラダ。

多数の人が注文していたのでつられてみることにした。

スカンピ、ガンバ、サンジャックにイチゴ、スイカ、ドライトマト、ブラッドオレンジ、パイナップルと

ベビーリーフにメールアリコ。

中央凹の大皿からこぼれんばかりの盛り付け、食べても食べてもまだまだ。。(北海道を思い出してしまった。)

Belgium Flag  ベルギー Belge の Affligem の生ビールの大ジョッキも美味しかった。

United States Flag  この日の夜半にはハワイのスコールを思わせる雷雨があった。

パリを含むフランスの広域で雷雨があったようだ。

2012.07.27.

美しい絵ガラスの聖母/シャルトル大聖堂

   depuis  2001

シャルトル大聖堂 Cathédrale Notre-Dame de Chartres は聖母マリア信仰の拠点であることはもとより、ステンドグラスの美しさで世界に知られている。とりわけシャルトル・ブルーは有名だ。

25年ほど前になるが、パリ駐在の友人に「大聖堂を見るならシャルトルですよ。」と車で案内してもらったことがある。今回 ツール・ド・フランス 2012 の観戦に出かけて、久しぶりに見たシャルトルの街も大聖堂もその時の記憶とはしっくりこなかった。

恐らくノートルダム寺院を含むパリの街並みも、フランスの各都市もその間に格段に美化されてきたことと大聖堂が昔のままで時間だけが経過したということによるのだろう。

<美しい絵ガラスの聖母 Notre-Dame de la Belle Verrière >と呼ばれるステンドグラスは1194年の火事を生き抜いたもの。

赤い部分がそれで、周囲の天使は火災後復元して付け加えられた。

<ナント勅令>のアンリ4世はユグノー (プロテスタント) から カソリック への改宗絡みでランス大聖堂での戴冠式を行えず、シャルトル大聖堂での戴冠となった。

ピカルディー美術館/アミアン

   depuis  2001

アミアン Amiens はパリの北方ピカルディー地方の首府だ。ソンム川 Somme 氾濫原の湿地帯を活用した野菜の栽培地、水上庭園やアミアン大聖堂で名高い。

<ピカルディー美術館 Musée de Picardie> はあいにく模様替え中で全館を見ることはできなかった。

Eustoma grandiflorum/トルコキキョウ 

   depuis  2001

ヴァンセンヌの日曜日の朝市でトルコキキョウ Eustoma ( Lisianthus) の花を買いました。9€ でした。

原産地はUnited States Flag Mexico Flag 品種改良はJapan Flag

France Flag 27日から1泊2日でパリ北方の町 アミアン Amiens  に小旅行してきます。

United Kingdom Flag ロンドンオリンピックの開会式はホテルのテレヴィジョンで22時から観ることになります。

2012.07.27.    07:30   /  Vincennes

2012.07.27.  22:46    / Amiens

Paris Plages 2012 / Pont Neuf

   depuis  2001

7月25日はパリの猛暑だった。

昨年の今頃は薄手のセーターを欠かせないほど気温が低く、パリ・プラージュも今ひとつだったが、今日のセーヌ右岸のポン・ヌフ上流の様子は・・・

Paris Plages

ヴァカンスに出かけられないフランス国民が4割近くになって社会問題になっている。

政府が費用を補助する道を模索しているという。

今捥ぎってきたマロニエの実

   depuis  2001

今日25日は近年の体験の中では最高の暑さで、32度という表示を街中で見かけた。日陰に入れば爽やかで心地よいのだが、メトロとかバスとかが蒸し暑い。

帰り途中ヴァンセンヌの森の一角でもいできたマロニエの実。直径4センチぐらい。もう一月もすれば割れて落下する。

ロータリーとモニュメント 59 スターリングラード攻防戦広場

   depuis  2001

スターリングラード攻防戦を記念して命名された広場 Pl. de la Bataille de Stalingrad のモニュメントは Rotonde de la Villette (ラ・ヴィレットの円形建物)だ。

クロード・ニコラ・ルドゥー Claude-Nicolas Ledoux (1736-1806) による建築(1784-89)。パリに入る農産物への通行税徴税のため<ラ・ヴィレットの関門>として建設された。

10本の道路とサン・マルタン運河が交錯し、運河の上流側はラ・ヴィレットのドック  Bassin de la Villette となっていてルルク運河に接続する。

Russian Federation Flag  Germany Flag     スターリングラード攻防戦は東部戦線における独ソの戦いであり、フランスが係ったわけではないが、第二次大戦の優劣を転換することになるドイツの敗北であった。

 Pl. de la Bataille de Stalingrad / Rotonde de la Villette

写真を拡大してみれば、円形建物の右に高架でメトロ2号線が走っている。

メトロの駅は Stalingrad  で、高架の2号線のほか地下に7号線、5号線。

パラソルが見えているのはこの辺り一帯が<パリ・プラージュ/ラ・ヴィレット Paris Plages / La Villette>だからだ。セーヌ川右岸側の河原だけではないのだ。

写真左手を流れるサンマルタン運河はこの部分で閘門になっているが、閘門をまたぐ橋上から上流のラ・ヴィレットのドックを望んだのが下の写真。奥にトラムウェイ T3b 。

近年この一帯は再開発されドックは大改修されて、水辺に展開する人気のゾーンとなっている。この時期はパリ・プラージュ/ラ・ヴィレットとなっていてパリに居ながらヴァカンスを味わえるというわけだ。

Bassin de la Villette

エッフェル塔百態 67 パリの守護聖人聖ジュヌヴィエーヴ/トゥールネル橋

   depuis  2001

サン・ルイ島とセーヌ左岸に架かるトゥールネル橋上流、サン・ルイ島からのエッフェル塔。

トゥールネル橋上のモニュメントが<パリの守護聖人聖ジュヌヴィエーヴ>だ。

パリの中心であるサン・ルイ島、シテ島から上流方向、つまり外を向いていることによってパリを守護していることを表現している。
ポール・ランドウスキー Paul Landowski (1875-1961)による彫刻( 1928)。

Brazil Flag

彼はリオ・デ・ジャネイロのコルコバード Corcovado の巨大キリスト像(1922-31)の作者として世界に知られている(初めて見て、山上の像の足元に立った時は本当に驚いた)。

Tour Eiffel / Pont de la Tournelle

 Tournelle は12世紀に建設された<フィリップ・オーギュストの城壁 Enceinte de Philippe Auguste>の四角い塔(砦)の名。
城壁で囲まれたここより下流、現芸術橋付近までがパリ市内だった。

ウインドウショッピング 11            Le Louvre des Antiquaires-2

   depuis  2001

ツール・ド・フランス2012 最終ステージ  la 20e étape はテレビで観戦することにした。

来年の100回大会はシャンゼリゼで是非。。。

Le Louvre des Antiquaires で見れる豪華なピアノ。

ツール・ド・フランス 2012/シャルトル Chartres

   depuis  2001

ツール・ド・フランス 2012/ la 19e étape 第19ステージ : タイム・トライアル を観戦するため早朝からシャルトルに向かいます。メトロTélécharger le plan Métro Ligne 1 - PDF - Nouvelle fenêtreNationTélécharger le plan Métro ligne 6 - PDF - Nouvelle fenêtreMontparnasse Bienvenüe, モンパルナス駅から約1時間の距離です。

Chartres はシャルトル大聖堂で有名です。

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残り1km地点を通過し、ゴールまでの上り坂に入る選手。

Tour de France 2012 / Ville de Chartres

最後の上り坂を必死でゴールへ。。

タイムトライヤルは2分間隔でのスタート。

Tour de France 2012 / Ville de Chartres

昨年に比べてスポンサーの街宣車が多いように思われた。

おかげで写真のようなグッズを手に入れることができた。

Tour de France / Ville de Chartres

来年はツール・ド・フランスも100回目、ナポレオンの出身地コルシカ島からスタートする。

果たしてどんな企画が。。

ロンドンオリンピックとヴァンセンヌ

   depuis  2001

United Kingdom Flag     ロンドンオリンピック開会まで一週間となった。

ヴァンセンヌ でも所縁の出場選手を紹介する立て看板が RER  ヴァンセンヌ駅前広場に置かれている。

テコンドー、アーチェリー、ジュウドー。。。10名。

後方真中の木はタイサンボク  magnolia à grandes fleurs で、花が咲いている。

En route pour Londres !

En route pour Londres !   (ロンドンへ いざ出陣!)

蒸し暑さから脱出:パリへ

   depuis  2001

Japan Flag     今日から40日間蒸し風呂から退避します。     France Flag

恐らく滞在期間中一滴の汗すら掻かないことでしょう。

電力消費の軽減に多少なりとも貢献します。

このところ100円割れの続いているユーロ安を生かせればとも思っています。

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ジェット気流が弱いのでしょう、予定より早くパリに着きました。

入れ違いに香港 Hong Kong Flag に発ったお友達は大変でしょう。

エッフェル塔百態 66                        人権宣言(フランス革命)200周年記念碑

   depuis  2001

France Flag   今日7月14日はフランスの革命記念日(パリ祭) 14 Juillet だ。  France Flag

今年は明々後日の17日からの滞在なので
残念ながら新大統領オランドを肉眼で見ることはできない。

エッフェル塔はフランス革命100周年を記念して1889年に建設されたものだが、200周年の際の記念塔も シャン・ド・マルス公園 Parc du Champ de Mars の一角にある。

人権宣言200周年記念塔で、
1789<人間と市民の権利の宣言>1989  とある(写真下)。

フランス革命の基本理念である自由と平等などを謳ったいわゆる<人権宣言>(ラファイエット起草)の 宣言200周年を示す人権記念塔(イワン作)として建てられたものだ。

写真上の面には、アテネ、ローマ、ルクセンブルグ、
ボン、アムステルダム、コペンハーゲン、

裏面には、リスボン、マドリッド、パリ、ブラッセル、ロンドン、ダブリンの都市名がある。

フランスの哲学者モンテーニュ Montaigne / ソルボンヌ

   depuis  2001

<随想録 Essais >で知られる16世紀フランスの哲学者モンテーニュの像がソルボンヌの正面にある。ポール・ランドウスキー Paul Landowski (1875-1961)の作品(1933)で、オリジナルはマーブル。

写真で、右足の靴が輝いているのは学生が試験前に撫でる伝統があるからだそうだ。

台座には、「パリは私の子供の頃の私の心だった・・」と 随想録の一節が刻まれている。

モンテーニュはボルドー出身の市長も務めた大金持ちの跡取りで、自身も市長も務めた。

18世紀の啓蒙哲学者モンテスキューもボルドー出身。

像の前のSorbonne/パリ大学 Ⅳ Université de Paris と カルチェラタンを貫く Rue des  Écoles 。

Sorbonne

リモージュ焼 La porcelaine de Limoges

   depuis  2001

リモージュ Limoges はリモージュ焼で知られるフランス中部の都市で、

画家のルノワールや我が Rose の出身地だ。

Musée national Adrien Dubouché  に入れば、リモージュ焼の歴史や絵付けを見ることができる。

磁器 porcelaine の原材料であるカオリンの鉱床をリモージュの近郊で1768年に発見。1771年にアルトワ伯が工場を稼働させて磁器の生産が始まった。

1784年にセーブル王室工場(セーブル焼)に買いとられて以降デザイン等の洗練が進むことになる。

Musée national Adrien Dubouché

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    Spain Flag

スペインの<サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の道>の一つが通っているので、その道筋を示すサンジャックの埋め込みを町のそこかしこで見ることができる(写真下)。

photographie d'une coquille Saint-Jacques en cuivre insérée dans les pavés d'une rue de Limoges et marquant le passage de la Via Lemovicensis menant à Saint-Jacques de Compostelle

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古い町並みの残る Cour du Temple(写真左) 、聖シュテファン/サン=テティエンヌ大聖堂 St-Etienne cathedral (写真下)等が見どころ。

1737年設立で今はベルナルド Bernardaud の傘下にあるロワイヤル・リモージュ ancienne manufacture ROYALE de Limoges のポットを購入した(写真下)。

金色の擬宝珠と足、伝統文様がお気に入りの磁器(クラシック)だ。

ヤグルマギクと真珠でデザインした<マリー・アントワネット>シリーズの一つ。

Denmark Flag
中に入っているのはロイヤル・コペンハーゲンの<フィギュリン>で、コペンハーゲンに小旅行した時に古物商の店で買ったものの一つ。
デンマークではリモージュに遅れること2年、1773年から磁器の生産が始まった。

巡礼の街 ルルド Lourdes / 奇跡の水

   depuis  2001

ピレネー山脈のフランス側の麓の町 ルルド Lourdes は巡礼の街だ。

1858年に<聖母マリアが出現>して以来、奇跡の水が信仰をよんでいる。

マッサビエルの洞窟(写真)から湧き出る<ルルドの泉>がそれだ。

ルルドの泉の水は写真の左手に多数の蛇口が用意されていてそこで頂けるようになっている。

マッサビエルの洞窟

聖母マリアが現れた場所に建てられた大聖堂 Basilique Notre Dame du Rosaiの長い階段を昇ったところにある入口前テラスから見たルルドの街。

右の丘の上に見えるルルド城 Château fort de Lourdes はローマ時代に起源をもつ要塞で、
夜にはライトアップされてさながら Czech Republic Flag チェコのプラハ城の趣だ。

Slovakia Flag プラハ城を訪れたのは未だチェコ・スロバキアの時代だ。

Korea, Republic of Flag 余談だが、韓国ドラマで最も気に入っているのが<プラハの恋人>だ。

Basilique Notre Dame du Rosaire

アクセスはフランス南西部の中心都市で、エアバス本社のある トゥールーズ から列車。空港もある。ボルドーからも列車で。

2006.08

エッフェル塔百態 65  グロー将軍広場

   depuis  2001

グロー将軍広場 Place du Général Gouraud からのエッフェル塔の夜景。

ライン42 Ligne 69 ライン87 のバス停 Rapp-La Bourdonnais より。写真の下方に逆向きのバス停が見える。

グロー将軍は第一次大戦の終盤、西部戦線で第4軍を率いてストラスブールを開放した。

右腕を失った将軍の半身像がアンヴァリッドの右翼、
アンヴァリッド大通りに面する Sq. d’Ajaccio にある。

(アジャクシオ Ajaccio はナポレオンの生まれたコルシカ島の都市名。)

 

Sq. d'Ajaccio

後ろはアンヴァリッド Hôtel de Invalides 。

ロータリーとモニュメント 58  ヴァルベール広場

   depuis  2001

ヴァルベール広場 Place Valhubert にはモニュメントはいらない。

広場に面して植物園 Jardin des Plantes とオーステルリッツ駅 Gare d’Austerlitz が広がり、セーヌ川には オーステルリッツ橋 Pont d’Austerlitz が架かる(両方の写真の左側手前)。

オーステルリッツとは、皇帝ナポレオンが1805年2月にオーストリア帝国とロシア帝国の連合軍に勝利した    3帝戦と呼ばれる<オーステルリッツの戦い>に因んだものだ。 Czech Republic Flag(現在)

広場の名の ヴァルベール はその戦いで負傷し41歳で亡くなった将軍。
勿論、凱旋門にも名が刻まれている。

ヴァンドーム広場の Colonne Vendôme は戦利品の大砲で建造された。

Pl. Valhubert / Jardin des Plantes

上は植物園、下がオーステルリッツ駅。

オーステルリッツ駅はリモージュ、トゥールーズ方面行きのパリ駅だ。

Pl. Valhubert / Gare d'Austerliz

斜め右へオピタル大通り Bd. de l’Hôpital を進めばイタリア広場 Pl. d’Italie へ一直線だ。

エッフェル塔百態 64  アンヴァリッド遊歩道

   depuis  2001

アンヴァリッド広場(遊歩道) Esplanade des Invalides からのエッフェル塔。

Tour Eiffel / Esplanade des Invalides

右側がセーヌ川で、
アレクサンドル3世橋の右岸下流側にグラン・パレ、上流側にプチ・パレ。(下の上)

左側にアンヴァリッド。(下の下)

両者の間が Champ de Mars と並ぶ広大な Esplanade des Invalides だ。

アレクサンドル3世橋

Hôtel de Invalides

ブルトン美術館/ Musée Departemental Breton /keltia

        depuis  2001

 ケルト文化が色濃く残るブッターニュの(カンペール焼で名の通る)カンペール Quimper に
ブルトン美術館 Musée Departemental Breton がある。

ケルト文化の出土品やケルト(ブルトン)の民族衣装等が展示されている。

カンペールへは、パリ・モンパルナス駅から TGV で直行できる。

Musée Departemental Breton

中庭に何気にある彫像はケルトのデザインだ。

美術館内に過去の企画展のポスターがあったので紹介する。

ケルト celt の民族衣装がきれい。

コーンウォール cornouaille の職人達  をテーマにしたもの(1997-98)もある(2段目の右から2枚目)。

Musée Departemental Breton

右の写真はお土産で買ったブッターニュならではのウイスキー・フラスコ
keltia (ブルトン語:ケルト)とあって、その下に6本の国旗とケルトの文様が配されている。

上段左から右へ、スコットランド、アイルランド、ブッターニュ、下段同、ウェールズ、マン、コーンウォールのケルト6国だ。

ブッターニュの旗は現在、地域圏 Région Bretagne の旗として使われている。

その下はケルトの代表的な伝統文様の一つ。

ブッターニュは長らくイギリスの影響下にあり、はっきりフランス領となったのはフランス革命後のことだ。

ポーランド風餃子/polskie pierogarnie /Cracovie

   depuis  2001

Poland Flag

このところ国内線の格安航空会社の就航が相次いでいるが、ヨーロッパの格安航空/easy Jet を利用して ポーランドの京都、クラコヴィ Cracovie (クラクフ)に旅行した時のことだ。

戦災を受けることなく古都の風情を残しかつ整備の行き届いた綺麗な街だ。3年前まで27年間 ローマ法王だったヨハネ・パウロ2世の出身地であったことや世界遺産になったためだろう。

物価は安く、おかげで超高級ホテルに滞在できたが、食べ物に難があった(高くても不味い)。唯一お勧めはポーランド風の餃子(団子)。これは美味しい。

polskie pierogrnie

Zapiecek という餃子屋さん。小さなお店なのだが有名らしい。店内には…

Zapiecek

2008.08

中世の街並み/アルザスのコルマール Colmar

   depuis  2001

コルマールは中世からルネッサンス期の街並みが保存されている町として知られる。

神聖ローマ帝国時代の自由都市として発展。仏独の領土争いが繰り返されてきたアルザス地方の街。

写真は プチ・ヴェニス Petite Venise  と呼ばれる水郷。

自由の女神の彫刻家フレデリク・バルトルディはコルマールの出身。

Colmar

2007.08

カンペール焼 / Faiences de Quimper を追補しました。御覧ください。

ストラスブール と ケール/Strasbourg – Kehr

   depuis  2001

France Flag 2007年6月にTGVがパリ・エストからストラスブールまでの運行を開始した。

ストラスブールは
仏独が歴史的に領土争いを繰り返してきたライン川沿いの都市で、フランス最大の河川港(日本では過って、淀川の伏見港)を持ち交通の要衝として栄えてきた水郷都市だ。

EU の欧州議会などが置かれていてブラッセルと並ぶEU 都市でもある。

Strasbourg

090

天文時計が見落とせないストラスブール・ノートルダム大聖堂は
ロマネスク様式とゴシック様式混淆で必見。

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Germany Flag ライン川を渡るとドイツの街ケールだ。

ストラスブールのサテライトとしてフランス領であったこともあって、
今も市民の往来が活発だ。

2007年の8月にはまだパスポートが必要であったが、ケール行きのバスはチェックなしだった(運転手にちょっと脅かされはしたが)。
ドイツの方が物価が安いとあって、市民はケールに買い物に行くのだそうだ。

ケールでは丁度骨董市だったので記念に皿を手に入れた。

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左の写真はケールの街中のモニュメント。

1870-1871とあるのはビスマルクのプロイセンがナポレオン3世のフランスを破った普仏戦争のこと。

ケールの属すバーデンがプロイセンと連合して勝利した記念碑。

この戦争を境にフランス第3共和制、統一ドイツ帝国の誕生となる。

2007.08

ウインドウショッピング 9  Egon Schiele

    depuis  2001      Austria Flag

2005年から2006年にかけてグラン・パレのナショナル・ギャラリーで催されたクリムトやシーレ等ウイーンの4画家展に行った娘からシーレの絵葉書 Nu à la pantoufle à carreaux (1917) をもらってファンになった。

パッサージュ・ジュフロワ Passage Jouffroy  の古美術書店で エゴン・シーレ Egon Schiele (1890-1918) のリトグラフを見かけた。(クリムト、ゴッホ、ムンクの影響を受けた。スペイン風邪で若死。)

オリジナルの20枚綴りで350€、旧価格800€とある。お買得のようだが。。。

2010.12

ウインドウショッピング 8  Articles de Dessin

    depuis  2001

RER線の地図をダウンロード - (PDF <200 KB - 新しいウィンドウ) Vincennes 駅近くのデッサン用品を扱うお店のショウ・ウインドウ。

レンブラントのパステル、90色セットで148€。エキストラ・ファインとあるがそんなにするの?

Articles de Dessin

2011.07

Chapelle expiatoire  マリー・アントワネット と ルイ16世

   depuis  2001

<Chapelle expiatoire 贖罪の礼拝堂>は 皇帝ナポレオンの失脚後7月革命までの 王政復古時代 Restauration (1814-30)に、ナポレオンの百日天下を挟んで王位にあったルイ18世(在位1814-24)が兄のルイ16世とマリー・アントワネットのための礼拝堂として建設した後期新古典主義の建物だ(1826年完成)。

カルーゼル凱旋門 や シャトウ・マルメゾン を建築した ピエール・フランソワ・レオナール・フォンテーヌ Pierre-François-Léonard Fontaine(1762-1853)の作品。

1793年にコンコルド広場においてギロチンで処刑されて後、サン・ドニ大聖堂に埋葬されることになる1815年までの間埋葬されていた元マドレーヌ墓地で、ルイ16世公園 Sq. Louis-XVI となっている。

見学は有料。メトロ9号線 St-Augustin 下車、オスマン大通りをサンラザール方向へ歩いて右側。

Chapelle Expiatoire / Square Louis XVI
Chapelle Expiatoire / Square Louis XVI

エッフェル塔百態 63  ジョフリ広場

   depuis  2001

旧陸軍士官学校前の ジョフリ広場 Place Joffre から見るエッフェル塔。

ジョフリ広場のモニュメントは第一次大戦時のフランス元帥(1916) Joffre の騎馬像で、
エッフェル塔の向こうに位置するトロカデロと11月11日広場のフランス元帥(1918) Foch の騎馬像とエッフェル塔を挟んで一直線上で向き合っている。

先輩であり、またパパ・ジョフリと愛称された人気のジョフリ元帥が
陸軍士官学校前を占めているわけだ。