ブキニスト 2 / ノートルダム寺院

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ノートルダム寺院からセーヌ下流左岸のブキニスト。

シテ島のノートルダム寺院とパリ警視庁。
人だかりの橋はプティ・ポン橋 Petit –  Pont で上流の橋がドゥーブル橋 Pont au Double 。下を流れるのがセーヌ左派流。
下段の右・中央・下段の左とセーヌ川は流れてゆく。
下段右にはノートルダム寺院とパリ市立病院
中央には市立病院と警視庁
下段左には警視庁とサント・シャペル。

ブキニストはいつもすべての店が開いているわけではなく、大体こんなもの。

ブキニスト

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サマータイムへ

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今日からフランスはサマータイムへ移行しました。
日本との時差は1時間少なくなり、7時間となります。
緑もたくさん芽吹いてきて、ヴァンセーヌは初春の雰囲気であふれています。

ロータリーとモニュメント 55  ロシャンボー広場

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ロシャンボー広場 Place Rochambeau  のモニュメントは

アメリカ独立戦争の終盤の1780年7月にフランス遠征軍の最高司令官 (当時中将) として参戦したロシャンボー元帥 Maréchal Comte de Rochambeau の立像、Fernand Hamar (1869–1943)の作 (1933) だ。
翌1781年10月、大陸軍のワシントンとともに天下分け目の「ヨークタウンの戦い」でコーンウォリス侯爵率いるイギリス軍を破った。
この戦いでは海上封鎖したグラース提督、ラファイエットの陸軍部隊も勝利に貢献した。
ロシャンボー伯爵はこの功績で「アメリカ建国の父」の一人に数えられている。
台座右横には<フランス軍最高司令官 / 1781年10月19日ヨークタウンの奪取を記念して / アメリカ独立戦争 / 1775-1782>とある。
<ガリエラ美術館>はこのロータリーに面してある。

14区のレストラン、LES PETITS PLATS

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お友達に誘われて、14区の小さなビストロ <LES PETITS PLATS> へ。
メトロ4号線、アレジアの近くです。
このお店にたどり着くまでのRue d’alésiaはアウトレットのお店もあります。
SONIA RIKIELのアウトレットブティックもあったりするので、のぞいてみては。
ここのお店でユニークなのは、32ユーロのメニューを選ぶと、前菜、メイン、デザートのメニューからどれでも好きな4つの品を選べる点。
前菜で気になるものがあれば前菜3点+デザート1点でもいいし、逆にメイン+デザート3点でもOK。
日曜日はしまっていますが、人気のお店のようなので予約をおすすめします。
14区のアレジア付近は安全で色々なレストランもあるので好きな界隈の一つ。
でもすっかり地価があがって、賃貸のアパートでも結構高くなってきました。
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             LES PETITS PLATS

39, rue des Plantes
75014 Paris
01 45 42 50 52

エッフェル塔百態 62  ガリエラ美術館

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<ガリエラ美術館 Musée Galliera (モード・衣装美術館 Musée de la Mode et du Costume )> 前からのエッフェル塔。中に入れば全景を撮れるのだが閉館中だった。またの機会にしよう。

Tour Eiffel / Musée Galliera

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.ガリエラ公爵夫人はジェノバの貴族出身で、同じく貴族出の夫がオルレアン鉄道 (パリ駅が現オルセー美術館) 社長など鉄道事業や金融業で成功、巨万の富を得た。
7月革命 (1830) 直後の夫の死にともなう相続財産の保全に追われることになった。ガリエラ美術館もその一つで、モードの変遷・歴史に興味ある方には見ごたえがあるでしょう。ガリエラ宮殿 Palais Galliera がルネッサンス様式で建てられているのはジェノバ出身の証し。

朝市のプレジダン・ウィルソン大通りで<市立近代美術館  Musée d’Art Moderne de la Ville de Paris >の入っているパレ・ド・トキョー Palais de Tokyo と向き合っている宮殿裏の庭側 (一部は公園として開放されている。) から見ると・・・

Palais Galliera

 Palais de Tokyo の名は宮殿の面するセーヌ川沿いの河岸道路 (第二次大戦後ニュー・ヨーク大通りと呼ばれている。) を第一次大戦大戦勃発以降同盟国の日本をさしてトキョー大通りと呼んでいたことによる。

エッフェル塔百態 61  ビュット・ショーモン公園

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オスマンがパリ東北部のベルヴィルの丘陵に計画したビュット・ショーモン公園 Parc Buttes Chaumont から南西方向にエッフェル塔を見ることができる。

天気がとりわけ悪いわけではないのだが、春霞で目を凝らさないと見えづらいエッフェル塔だ。右の大木の右手にはサクレ・クール聖堂が、また後方はサン・ドニまではっきり見える。

Tour Eiffel/Parc des Buttes Chaumont

ロータリーとモニュメント その43 カミーユ・ジュリアン広場 を追補しました。御覧ください。

サン・ジェルマン・アン・レー / ドビュッシー博物館

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ラヴェルとともに印象主義音楽家とされる<ドビュッシー Claude Debussy >は サン・ジェルマン・アン・レーの生まれで、その生家が<ドビュッシー博物館>になっている。ほんの数ヶ月で転居したようだが、当時の釣瓶井戸も残っている。

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< サン・ジェルマン・アン・レー/国立考古学博物館>に追補した部分を取り出した。

詩人の夢 Le Rêve du Poète / カナダ広場

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Canada Flag

グランパレの裏側 Cours la Reine からフランクリン・ルーズベルト大通りを入ってすぐの
カナダ広場 Place du Canada に<詩人の夢 Le Rêve du Poète d’Alfred de Musset> と題されるモニュメントがある。
詩人の名はジョルジュ・サンドとの色恋 (ショパンの前) で知られるアルフレッド・ド・ミュッセ Alfred de Musset で、死後再評価されたフランスを代表する詩人のひとりだ。
彫刻家モンセル・ド・ぺリン伯爵 le comte de Moncel de Perrin 1907年の作品。
ミュッセの記念碑 (坐像) はモンソー公園にある。

広場の一角は Jardin de la Vallée Suisse と呼ばれる小公園で、フランスによるカナダの植民地化につながる探検家 ジャック・カルティエ Jacques Cartier の像などがある立体的で独特の異空間となっている。

Le Rêve du Poète d'Alfred de Musset

パリ万博 1900/スイス館の名残で Jardin de la Vallée Suisse と呼ばれていたが、現在は Jardin de la Nouvelle France と言うらしい。
「カナダ」の命名者であり「ヌーヴェル・フランス」の宣言者 (1543) であるカルチエ Jacques Cartier (1491-1557) と「ヌーヴェル・フランスの父」と呼ばれたシャンプラン Samuel Champlain (1567 ou 1570-1635) のバスト Buste Hommage Jacques Cartier et Samuel Champlain 。

Jacques Cartier et Samuel Champlain / Place du Canada

Aou.2013.

ロータリーとモニュメント 54 アメリカ合衆国広場 / La Fayette

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イエナ広場からイエナ大通りを通って凱旋門に行く途中にロータリー / グラース提督広場 Place Amiral de Grasse と接してアメリカ合衆国広場 Place des États Unis がある。

グラース提督 (1722-88) はアメリカ独立戦争でヨークタウン攻略のためのチェサピーク湾の海上封鎖で勝利に決定的な貢献をしたフランスの海軍中将。

広場の一番奥 (西側) には「ラファイエット La Fayette と ワシントン (1732-99) の像 Monument à Washington et La Fayette 」があり、また、中ほどに「ジェファーソン公園」もあり、全体が大きなロータリーになっている。
自由の女神像の作者として知らない人のいないアルザス / コルマール生まれのオーギュスト・バルトルディ Auguste Bartholdi (1834-1904) の作品 (1895) 。

<ギャラリー・ラファイエット>の名に使われている ラファイエット (1757-1834) はグラース同様侯爵で、駐フランス公使だったベンジャミン・フランクリンの支援要請に感銘し義勇兵として独立戦争に参加、ワシントン指揮下で少将として活躍した。後のフランス革命のフランス人権宣言の起草者として世界に知られている。

ギャラリー・ラファイエットの名は、オスマン大通りから始まるラファイエット通りとの角地に立地したことで商標登録したものらしいが、ラファイエット通り Rue La Fayette の名は1830年の7月革命時に国民軍司令官だったラファイエットを顕彰したものだ。
アメリカの学生たちが政治家・軍人・愛国者としてラファイエットに感謝をこめて建立した騎馬像がセーヌ右岸の Cours la Reine にある。
アメリカ合衆国の独立宣言を起草し、3代目の大統領となるトーマス・ジェファーソンはフランス革命勃発時のアメリカ合衆国駐フランス公使で、ジェファーソン公園にその記載がある。
<バカラ美術館>は広場の南側に面してある。10区にあったころ足繁く訪れたのが懐かしいが、ここに移ってからは一度きりだ。

ウインドウショッピング 5  Viaduc des Arts

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古地図の修復や彩色を専門とするお店がヴィアデュック・デザール Viaduc des Arts にある。旧ヴァンセンヌ鉄道の高架下で、上はプロムナード・プランテだ (写真下) 。

写真の地図は Plan Roussel と呼ばれる1730年のパリの都市計画 Plan de Paris 図だ。

元の白黒の地図に手書きの彩色を施したもので、値段は3020ユーロ、内訳は白黒の原画355€、手書きによる彩色2050€、裏張り320€、フレーム295€ だそうだ。

Plan Roussel(1730)

当時のパリ市街地のスケールが西端をアンヴァリッド東端をバスティーユとする円形だったこと、近郊ではセーヌ川右岸でエトワール、ロンポアン、シャンゼリゼ大通り、トロン広場 (ナション) 、クール・ド・ヴァンセンヌ、パリ大通りなどが既にプランされていることが窺える。さらにセーヌ川左岸ではイタリア広場、ダンフェール・ロシュロー広場、ブルトゥイユ広場、シャン・ド・マルス等のプランが見て取れる。
Viaduc des Arts
高架の左方向がバスティーユ広場、並行して走る道路がド-メニル大通り Avenue Daumesnilでトラス橋の下を左右に横切るのがディドロ大通り Boulevard Diderot。
大通りの名となっている Diderot はダランベール d’Alembert とともに百科全書派と呼ばれる啓蒙主義の思想家で後のフランス革命に大きな影響を与えた。
ディドロ大通りを右に行くと Nation で放射道路の一つに同時代を代表する啓蒙思想家ヴォルテール Voltaire の名を冠したヴォルテール大通り Boulevard Voltaire がある。

この日は丁度骨董市 ANTIQITE-BROCANTE が開かれていた。

 サラ・ベルナールとミュシャ Sarah Bernhardt / Alfons Maria Mucha

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マキシム・アール・ヌーボー美術館でサラ・ベルナールの企画展が開かれていた。時間がなくて観ることはできなかったが、写真左はそのポスターだ。   ドアノブにも注目。

 ベルナール ルネサンス劇場 での彼女の芝居 <ジスモンダ GISMONDA> のポスター(写真右:転載)を描いた ミュシャ を一躍人気画家に変身させることになった当代一の舞台女優だった。1895年のことである。

ミュシャはアール・ヌーボーの G.D.として根強い人気があり、これまでにギャラリー・イグレックでも多数取り扱ってきた。

ロータリーとモニュメント 53  ルネ・カサン広場

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ルネ・カサン広場 Place Renè Cassin はレ・アール Les Halles 地区の市場移転跡地一帯の再開発事業に伴って道路の地下化が図られたため現在ではロータリーの機能は失われ緑地帯の一部になっている。
オブジェは L’Écoute (聞く) と題する Henri de Miller (アンリ・ド・ミラー) 1986年の作品。

正面はサントゥスタッシュ教会 St-Eustache 。左に商・工品取引所、右にショッピングセンター( Forum des Halles ) がある。間の緑地はただ今改修中で立ち入り禁止。

Pl. R.Cassin

広場の名となっているルネ・カサンはフランスの法学者で国際連盟のフランス代表を長らく務めた。また、1948年に国連総会で採択された<世界人権宣言>の起草者としてノーベル平和賞を受賞している。

* * *

オブジェ L’Écoute (聞く)を残して広場の掘削の進んだ工事の現況。     2012.11.14.

露天神社 / お初天神

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梅の時期になると天神さんを思い浮かべます。今日は京都の北野天神社の京とうふ藤野の<京みやびきぬごし>と<京のお揚げ>をいただきました。

梅田の曽根崎にあり、<近松門左衛門の曽根崎心中>で有名になった露天神。

露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思出づれば

菅原道真公が筑紫に左遷され京から大宰府に向かう途中、おそらく、豊中の服部天神の次に立ち寄ったと思われる。

京を去る時の

東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ

と比べると・・・

時を経て、露天神のごく近くで、お初と徳兵衛の心中事件があり、当時勇名をはせていた近松門左衛門が早速書き下ろし、上演、絶賛を博した。それ以降<お初天神>と呼ばれるようになったとか。今では露天神といってもピンとくる人は少ない。

ロータリーとモニュメント 52  ル・コルビジェ広場

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ラスパイユ大通りにセーブル通りとバビロン通りが交差する ロータリー < セーブル・バビロン>に ル・コルビジェ広場 Place Le Corbusier がある。

ブシコー公園  Square Boucicaut に面して ル・ボン・マルシェ と ホテル・ルテシア が位置する。また、セーブル・バビロンの交差点手前すぐのセーブル通りに アルニス と エルメス が向かい合っている。

写真の中央、公園の向こうに ル・ボンマルシェ Le Bon Marché 、左がセーブル通り(交差点を突き抜ける) 、右がバビロン通り、左右にラスパイユ大通り。
写ってはいないが左角にルテシア、交差点手前左にエルメス、右にアルニス。
(追)アルニスは2013年6月15日に閉店した。

Pl. Le Corbusier

広場の名称である ル・コルビジェ Le Corbusier (1887-1965)  はフランス・スイスをはじめ世界で多くの作品を残した近代建築の巨匠。スイス人だがセーブル通りに事務所を構えていた。東京の国立西洋美術館が彼の作品であることをご存知の方は多いだろう。
航空機の機体をイメージした奇抜なブラジルの首都ブラジリアの都市計画でも有名だ。

ウインドウショッピング 4  MAXIM’S

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MAXIM'S

マキシムはその昔、パリの社交界での待ち合わせの場所。

あれは最近読んだ本の中で、題名は忘れたがマキシムを訪れたチャップリンがマキシムへいって、とても可愛い人がいたので、「誘いたいんだけど」とお友達に相談をしたら、
「彼女に声をかけたら高くつくぞ」っと忠告されたとかいうエピソードがのっていた。
(声をかけたのは高級娼婦だったのだ)
あれは何の本だったか・・

今はピエール・カルダンの所有になっている。

***

建物の中には、アールヌーボーの美術館もある(未訪問)。

今<ミュシャ>のポスターでも有名なフランスの女優サラ・ベルナールの展覧会をやっている(3/15日まで)
詳しくはこちらから。

ウインドウショッピング 3  HERMÈS

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HERMÈS

エルメスのウインドウはいつも素敵なアイディアでいっぱい。
左岸のエルメスはインテリアを中心にしているので、またちょっと違った感じのディスプレイになっています。
中にはいるのは勇気がいりますが・・・・・・・

***

反射がきついですが、向かいの ARNYS が写っています。    2012.0724.

* * *

ノエル・ヴァージョンです。   2012.11.16.

HERMÈS

ウインドウショッピング 2  ARNYS

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ARNIS

左岸のエルメスといわれるARNYS。今はお店の前にエルメスができましたが、昔はありませんでした。
紳士服がもう最高に素敵。日本では俳優の辰巳琢郎さんなどがよく立ち寄られるそうです。

メトロ10号線、12号線   Sèvres Babylone 下車。

ウインドウショッピング 1  HEDIARD

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HEDIARDE

HEDIARDE

マドレーヌ広場にFOCHONとともにブティックをかまえるエディアールは、
フランスの植民地時代に、さまざまな国の食物や香辛料をとりあつかったのがはじまり。
まだ青いフルーツを生産者から購入し船にのせて輸出するやりかたで商売を広げ、
パリ万国博覧会が行われたころに大きく発展して、1880年に
今のマドレーヌ店をオープンしたのだそう。2階にはサロン・ド・テもあるのですが、まだ行ったことがありません。

閉店していることに気が付きました。2017.08.

遅い梅の開花

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近所の<梅林のポケットパーク>の今。

パリに出かける半月前の2月初めにはすでにちらほら咲きだったのに、ひな祭りも過ぎた今もまだこんな状況で、多くの梅の木はつぼみ膨らむといったところです。ところで・・・豊中の梅の木は元気かな ?

鶯の声も聞こえませんし、姿もまだ見かけていません。(3月13日:鶯をマンション敷地内で見ました。)ヒヨドリだけは色気づいていて画面にも写っています。

オテル・ド・ヴィル広場の冬の夜

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パリ市庁舎前の広場であるオテル・ド・ヴィル広場 Place de l’Hôtel de Ville では年中各種のイヴェントが催されているが、冬はスケート場になっている。
クリスマス時のニューヨーク・ロックフェラーセンターほど規模は大きくないようだが、早い夜ともなると市庁舎のイルミネーションが映えてヒューマンスタイルなところが何とも心地よい。
撮影ポイントは市役所正面の Avenue Victoria 勝利の道だ。
正面左の噴水のところにはピラミッドが、リヴォリ通りを挟んで BHV が、また、右に目を向けるとノートルダム寺院のライトアップが観光客の目を楽しませてくれる。

Pl. de l'Hôtel de Ville

Pl. de l'Hôtel de Ville-2

ロータリーとモニュメント 51 サン・ミッシェル広場 / Fontaine Saint Michel

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オスマンのパリ改造計画の一環をなすサン・ミッシェル大通り Boulevard Saint MIchel (写真左) とセーヌ川 (写真手前) との交差部に設置されたサン・ミッシェル広場 Place St-Michel のモニュメントが Fontaine Saint Michel だ。

シャトレ広場で対をなすシャトレ劇場とパリ市立劇場の建築設計をしたガブリエル・ダビウ Gabriel Davioud の設計で、中央アーチで悪魔を踏みにじっているのはもちろん大天使ミカエルだ。
彫刻はフランシスカ・デュレ  Francisque Duret (1804-65) の作、<Saint-Michel terrassant le dragon>。
噴水の両脇に配された一対の翼竜の彫刻家はパイヴァ侯爵夫人の館の暖炉に彫刻を施したアンリ・アルフレッド・ジャックマール。左右4本の石柱はコリント様式。
上部の銘板に MDCCCLX とあり、1860年に完成したことが分かる。

Pl. St-Michel

エッフェル塔百態 60  ガリリャーノ橋

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ミラボー橋の一つ下流に架かる ガリリャーノ橋 Pont du Garigliano からのエッフェル塔。

Tour Eiffel / Pont du Garigliano

イタリアのモンテ・カッシーノのガリリャーノ川付近での4ヶ月に及ぶドイツ軍との戦いを勝利した (1944.05.19.) 記念の命名。連合国の自由フランス軍司令官はアルフォンス·ジュアン。

ジャン・ギャバン、フランソワーズ・アルヌール主演の映画<ヘッドライト / 原題:とるに足りない人々Des Gens Sans Importance (1956) >では、ガリリャーノ橋の旧橋であるオートゥイユ高架橋 (1863-1962) が映っている。トラックには身重で病気のアルヌールを乗せていて、彼女の故郷ボルドーへ向かうエピローグの始まり。

その後、洪水阻害と交通量の増加に対応して現橋に架け替えられ、橋名も現名になった(1966)。

Tour Eiffel / Des Gens Sans Importance
Tour Eiffel / Des Gens Sans Importance

SOLA par HIROKI 一つ星

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2月27日、ミシュランの2012年版が発表されて、先日いったレストラン、SOLA par HIROKIが一つ星を獲得したようです。そのほかの情報はこちらの記事から。
フランス語ですが、レストランの名前をは表示されているので参考になるのでは。
良心的なお値段に質の高い料理とくれば、パリでも予約がこれからとりにくくなるかもしれませんね。

ロータリーとモニュメント 50  ポルト・ド・サン・クルー広場

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10本以上の道路が複雑に集まる巨大ロータリー ポルト・ド・サン・クルー広場 Place de la Porte de Saint  Cloud のモニュメントは一対の巨大石柱 (噴水) だ。

セーヌ川の水源をシンボライズした浅浮彫を施した二つの噴水で、ポール・ランドウスキー Paul Landowski (1875-1961) の作品 (1936) 。オペラ座近くのエドワード7世広場にある エドワード7世の騎馬像 は彼の作 (1913) だ。

Pl.de la Porte de Saint Cloud