ジャンヌ・ダルクがパリ進撃前夜 (le 7 septembre 1429) を祈りで過ごしたサン=デニス·デ·ラ·シャペル Église Saint-Denys de la Chapelle です。
初期ゴシック建築 (1204) で、聖ジュヌヴィエーヴが古代ローマ遺跡の跡地に建設した礼拝堂(475) を再建したものです。礼拝堂には、サン=ドニ大聖堂に移される (636) までサン=ドニの遺物が収容されていました。
パリからサン=ドニ大聖堂に至るガレ・ローマン時代からの古い道 (サン=ドニ L’Estrée) 、シャペル通り Rue de la Chapelle に面しています。
この辺りはカルチェ・デ・ラ・シャペル Quartier de la Chapelle と呼ばれています。
ジャンヌ・ダルクがパリ進撃前夜 (le 7 septembre 1429) を祈りで過ごしたサン=デニス·デ·ラ·シャペル Église Saint-Denys de la Chapelle 横の<ジャンヌ・ダルク大聖堂 Basilique Ste Jeanne d’Arc >前に置かれているジャンヌ・ダルク像です。 フェリックス·シャルパンティエ Félix Charpentier (1858-1924) の作品 (1888) です。
本拠地だったボルドーにある、フランス革命時のジロンド党の大モニュメント Monument aux GirondinsBordeaux の一部を構成する噴水、コンコルドの勝利 Le triomphe de la Concorde (1900) の作者だ。
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火刑台上のジャンヌ・ダルク / サン=デニス·デ·ラ·シャペル
サン=デニス·デ·ラ·シャペルには、<火刑台上のジャンヌ・ダルク Jeanne au Bucher (1954)>と題された彫像が置かれている。
アルバート・パッシュ Albert Pasche (1873-1964) の作品です。
19歳のジャンヌ・ダルクがルーアンのヴィエ・マルシェ広場で処刑されるのは 30 Mai 1431 、17歳でこのシャペルに立ち寄った 7 septembre 1429 から1年8か月後のことだ。
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ジャンヌ・ダルクが負傷したサント・ノレ門
サン=デニス·デ·ラ·シャペル Église Saint-Denys de la Chapelle を出たジャンヌ・ダルクは古い道、サント・ノレ通りからパリ城内に入る<サント・ノレ門>に進撃した。
当時のサント・ノレ門 Porte Saint-Honoré はフィリップ・オウギュストの城壁を拡張したシャルル5世の城壁に在った (1636 撤去) 。現在のアンドレ・マルロー広場一帯である。
8 Septembre 1429、ここでのパリ包囲中に太腿に傷を負った記録がサント・ノレ通り161-3番地で見られる。
金色のジャンヌ・ダルク像がピラミッド広場に置かれているのもここから近いからだ。
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ジャンヌ・ダルクとブロア城 / オルレアンの包囲
後に、<オルレアンの乙女 Pucelle d’Orléans> と愛称されることになる
ジャンヌ・ダルク Jeanne d’Arc (1412-31) はここブロア城からイングランド軍に包囲されていた<オルレアンの解放>に出立した (1429.04.29.オルレアンに到着、05.08.開放) 。
ブロア城の礼拝堂において、ランスの大司教ルノー・シャルトル Renault de Chartres による祝福を受けた。約3か月後、ジャンヌ・ダルクの下、ランス大聖堂でシャルル7世の戴冠 (1429.07.17.) をした人物である。
ブロアの古い要塞跡であるフォアの塔 Tour de Foix (ブロア城の南西端にある円筒状の塔) で解放表明をしたと伝えられている。
左のゴシックの尖塔はサン・ロメ修道院 Abbaye Saint-Laumer 。
手前はロワール川 La Loire 、コンクリートのパラペットで護られている。
河岸への日常進入口として途切れている部分には、洪水時にゲートを挿入する。
崖上の要塞ブロア城は写真右半分で、入口は奥。