ロータリーとモニュメント 64 ジャンヌ・ダルク広場

   depuis  2001

7本の道路が集まるロータリー ジャンヌ・ダルク広場 Place Jeanne d’Arc の真ん中に Notre Dame de la Gare がある。パリ市に編入される以前の地区の聖母教会だ。広場名は編入時から。

下の写真は教会前からジャンヌ・ダルク通り Rue Jeanne d’Arc を見たもの。ジャンヌ・ダルク通りはジャンヌ・ダルクの立像のあるサン・マルセル大通り Bd. St-Marcel まで一直線。その先に、聖人ジャンヌ・ダルクの眠るパンテオンが見える。影は教会のもの。

左の写真は教会内にある彫像で十字剣を持つジャンヌダルクだと思われるが、何の記載も説明もない。

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ロータリーとモニュメント 63  ケベック広場

 depuis 2001

サン・ジェルマン・デ・プレ教会横のケベック広場 Place du Québec のモニュメント。
最近修復された。地震でタイル舗装が隆起し地下水が噴き出ているようなオブジェなので、清掃を欠かせない。

左右に横切るのがサン・ジェルマン大通り  Boulevard St-Germain で、モニュメントに沿って左からレンヌ通り Rue de Rennes が合流し、右からボナパルト通り Rue Bonaparte が教会前のサン・ジェルマン・デ・プレ広場 Place St-Germain des Prés  へ突き抜ける。さらに真っ直ぐ進めばボザールの横を通ってセーヌ川に出る。

左端に見えるのがレ・ドゥ・マゴ Les Deux Magos でその左のカフェ・ド・フロール Café de Flore とともにサルトルのカフェとして有名な老舗カフェだ。

Pl. du Québec

 

 Canada Flag

パリで好きな現代アートがおいてある広場のひとつです。記事にあるとおり、ブロンズでできた Fontaine (泉)となっていて、1984年にケベック州から寄贈されました。その後、1980年にこの広場はケベック広場の名称で呼ばれることとなりました。建築家アルフレッド Gindre と彫刻家チャールズ Daudelin とによる作品で、噴水は、セントローレンス川で春に崩壊する氷塊を表現しています。探検家ジャック·カルティエのカナダ発見450周年の記念。ブルトン人カルティエの胸像はカナダ広場にあります。

***

デ・プレ教会 (右端) 横のサン・ジェルマン大通りから見た両カフェ。2008.02.07.

Les Deux Magots / Café de Flore

レ・ドゥ・マゴには数回はいったことがありますが、カフェ・ド・フロールはまだありません。カフェ・ド・フロールのほうが最近は、若い人に人気のような感じです。日本人のギャルソンもいるようですよ。カフェ・ド・フロールの隣には日本食屋さん、「円」があります。

エッフェル塔百態 72                         ロータリーとモニュメント 62  レジスタンス広場

   depuis  2001

アルマ橋の左岸詰の レジスタンス広場 Place de la Résistance には5本のアヴェニューと1本のルーが集まる。RER の Pont de l’Alma の駅もある。

右側にセーヌ川が流れていて、アルマ橋を渡れば自由の炎のモニュメントのあるアルマ広場だ。

広場から緑の間を少し下流へケ・ブランリィ Quai Branly を行けばシラクの<ケ・ブランリィ美術館>だ。

ロータリーとモニュメント 6  レピュブリック広場

   depuis  2001

長方形ロータリーの レピュブリック広場  Place de la République

タンプル通り Rue du Temple & Rue du Faubourg du Temple が
中央を横切っている双子ロータリーだ。

広場にはホームレスなどもいるので、
この辺りではキョロキョロ・ウロウロしないのが賢明だ。
2012年2月現在、広場の改修中。終われば、観光客を取り戻せるかも。

1879年に第三共和国の発足 (1870) を記念して設置されたモニュメント。

フランス共和国を寓意するマリアンヌの像を<自由><平等><友愛>を象徴する3つの像が支え、さらにそれらを1789年のフランス革命時の「テニスコートの誓い」や「バスティーユの襲撃」など12のレリーフが支える設計になっている。
加えて、<勇気>を暗示するライオンを正面に配している。

右が「自由の女神像」で左手で自由の炎をかざしている。左が「平等の像」で右手に三色旗を持っている。マリアンヌが右手でかざしているのは平和を表すオリーブの木、
被っている帽子は自由を表すフリジア帽だ。

建築家と彫刻家のモーリス兄弟の作。

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2012年8月現在の広場の状況。

マリアンヌ像の左右の交通も遮断し広場全体を囲っての大改修中で、ロータリーの通行もこれまでとは全く違っている。もともと分かり難いのに変更されたバス停を覚えるのに一苦労だ。

看板に描かれている完成後の広場の予想図をみると、
横断する道路を廃して左右一体の大広場となるようだ。

工事期間は、2012年1月から2013年春までとなっている。
パリの他例から察すればきっと遅れることだろう。

Pl. de la République /2012.08.05

改装工事は終了し、バリアフリーの大広場として再生した。  2013.07.28.

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ロータリーとモニュメント 2  ナション広場

   depuis  2001

ナション 広場  Place de la Nation のモニュメントは Monument de la République だ。

Monument de la République -Nation

エメージュ・ダル― Aimé-Jules Dalou が20年をかけたといわれる代表作 Le Triomphe de la République (共和国の勝利あるいは共和国の凱旋) (1899) で女性はフランス共和国を象徴するマリアンヌだ。フリジア帽を被っている。

1889年のフランス革命100周年を記念したもので、自由・正義・教育・平和 を寓意したものだ。落成式の挙行された1899年は<ドレフュス事件>に転機が訪れた年でもある。歴史の妙というべきか?

像の向きはフォーブル・サン・アントワーヌ通りをとおしてバスティーユ広場、その先はエッフェル塔だ。

メトロ2号線、6号線の始発駅であり、1号線、9号線とRER  A線 の停車駅である Nation はエトワールと対をなす大型円形ロータリーの地下だ。12本の放射道路のうちヴァンセンヌへ一直線の Cours de Vincennes で開かれる朝市は規模の大きさで有名だ。

ニューヨークのバッテリーパークで到着列車が折り返すのではなくそのままぐるっと回って始発列車になるのに驚いたことがあるが、メトロ2号線は到着列車が進行方向を変えることなくそのまま始発列車になる。広場の大きさが想像できようというものだ。

* * *

ここしばらく続いていたナション広場の改修がほぼ一段落し、大木の伐採と潅木花木の植栽でモニュメントの見通しもよくなった。また同時に進行していた像後方の玉座の円柱 Colonnes du Trône の改装も終了した (写真2枚目の2本の円柱) 。Cours de Vincennes の大規模改良もトラムの新設工事に関連する部分を除き概成した。(2011年8月)

ポルト・ド・ヴァンセンヌ Port de Vincennes を通るトラムの工事はレールの敷設に続き架線も引き終わり植栽もされて開通が間近い。(2012年8月)

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2011/07/23 の朝市で・・ウサギ Lapin と花

ロータリーとモニュメント 47  ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼ

   depuis  2001

   ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼ Rond- Point des Champs-Élysées のモニュメントは6つの噴水と四季折々の花で彩られた花壇とマロニエの樹々だ。
ただここ数年噴水が出ているのを見た記憶がない。
チュイルリー公園やベルサイユ宮殿の造園家、
ル・ノートル Andre le Notre (1613-1700) の作 (1670) 。

拡大して見て欲しいが、シャンゼリゼ大通りの左右に花壇が見えるところが ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼ で、地下はメトロ1号線と9号線のフランクリン・ドラノ・ローズヴェルトの駅になっている。

左は2011年8月

*

右は2011年4月

このロータリーの正式名は Rond- Point des Champs-Élysées-Marcel Dassault (シャンゼリゼのロータリー:マルセル・ダッソウ) と長いのだが、マルセル・ダッソウは第一次世界大戦で使用されたフランス軍のプロペラ機を発明した航空実業家で第二次世界大戦後にはフランス一の軍用機メーカを設立した人物だ。第二次大戦占領下のフランスでドイツの協力要請を拒否したことでも知られる英雄でもある。

2012年8月4日
建物は最上段の写真でシャンゼリゼ大通りとロータリーとの角の建物。

Rond- Point des Champs-Élysées

エッフェル塔百態 71               ジョルジュ・サンド/ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ

   depuis  2001

パリ16区のジョルジュ・サンド通り Rue George Sand と ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ通り Rue Jean de la Fontaine との交差点から見えるエッフェル塔。

ジョルジュ・サンドはショパンやリスト等と浮名を馳せた誰もが知る女流作家で、銘板には< ジョルジュ・サンドとして知られるオーロール・デュパン Aurore Dupin (本名) 1804-1876  / 作家 >とある。

写っている通りはジャン・ド・ラ・フォンテーヌ通りで、交差するジョルジュ・サンド通りを左に行くと直ぐ Villa George Sand がある。

もう一方は、<すべての道はローマに通ず>でも、また、寓話詩人としても知られる(カラスとキツネで紹介した)ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ Jean de la Fontaine  の名を冠したもので、< ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ  Jean de la Fontaine  1621-1695 / 寓話作家 >とある。

ロータリーとモニュメント 61  ラ・ソルボンヌ広場      秩序と進歩/ブラジル国旗

   depuis  2001

ブラジルの国旗 Brazil Flag にある<秩序と進歩 Ordem e Progresso>は
フランス革命後の社会の混乱を背景にその秩序と進歩を探求した 社会学の元祖オーギュスト・コント Auguste Comte(1798-1857) の言葉だ。

ブラジルが共和制になったのは1889年、フランス革命後100年目にあたる。

サンミッシェル大通り Boulevard St-Michel に面する ラ・ソルボンヌ広場 Place de la Sorbonne  に彼のモニュメントがある。<全てに(色々)有難う>の落書きがみえる。
永遠を寓意する棕櫚を捧げているのは聖母子に擬えたクロティルデ・ド・ヴォー Clotilde de Vaux (1815-46) で、コントが熱烈に愛した (1844-46) 詩人。右は学習中のプロレタリア。

ミラボー橋の4彫像の作者、Jean-Antoine Injalbert (1845-1933) の作品 Monument à Auguste Comte (1902) 。

POMZE で 最後のデジュネ déjeuner

   depuis  2001

今回パリ最後の昼食を POMZE でとった。             レストラン POMZE

天気が良かったので、メトロ 1号線 のシャンゼリゼ・クレモンソー Champs-Élysées Clemenceau からエリゼ宮の西側 (マリグニー大通り) に沿ってプラタナスの落ち葉を踏みながらサントノーレ通りまで、さらにギャラリーの多いミロメニル通りをオスマン大通りまで歩いた。さすがに、ギャラリーの大半はヴァカンスで閉店していた。

フランス人受けを狙った日本人シェフの創作料理で、小部屋もあり、主に接待に使われているようだ。

飲み物は リンゴ  pommes  のシードル にして、

アントレ は・・・

ガスパッチョ・リンゴ入り

カツオ・わらいぶし

サバ・あぶり

プラットは・・・

エビのリゾット

牛ヒレ肉・ジャガイモ添え

鴨のマグレ

パリ の ヴァカンス も終わり

   depuis  2001

今、パリの現地時間で朝8時30分。室内気温26度。
窓を開けると冷気が入り込んで寒いほどの爽やかな朝です。観光客はまだまだ多いですが、市民のためのパリ・プラージュも終わり、オテル・ド・ヴィル前特設のリゾートや給水所も片づけが始まりました。保育園なども今週はじめから始まりました。今週いっぱい休んでいるお店もありますが、ぼちぼち街中も普段のパリに戻ってきつつあります。
私たちも明日夕方の便で東京に戻ります。

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今年の夏は恒例のツールドフランス観戦からはじまり、アミアン、ロンドンオリンピック、
アントワープ、アムステルダム、ミュゼ、ベルギーからのお友達とのパリでの再会、
お友達とのホームパーティ・・などもりだくさんの夏休みとなりました。

大きなアクシデントもなく無事すごせてホッとしていますが日本との気温差が心配です。
まだまだ暑さが厳しいようですので、皆様もお体ご自愛ください!

ラ・フェルメット・マルブフ1900 でのデジュネ déjeuner

   depuis  2001

アミューズ・ド・ブッシュ は アボガド と クリームチーズのムース に 焼きチーズ乗せ。

飲み物は キールロワイヤル と シャブリ。

お皿は リモージュ焼き、ナイフ と フォーク は クリストフル。

アントレ は ガスパッチョ….

夏野菜のサラダ….

ムール貝のクリームソテーパイ皮挟み….

プラット は 鱈 と サーモンのデュオ….

鴨のソテー・パスタ添え

2012.08.19

エッフェル塔百態 70  ラ・フェルメット・マルブフ1900

   depuis  2001

アールヌーボースタイルのレストラン <ラ・フェルメット・マルブフ1900> の正面から見えるエッフェル塔です。

街灯の建物がレストランの正面右側でマルブフ通りに面しています(Marbouf  は17世紀のバロック詩人の名です)。

左右の道をレストランに沿って右すぐにジョルジュ・サンク大通り、また、マルブフ通りを直進すれば写真の左の建物がジョルジュ・サンク大通りに面しています。

ところで、この美しいアールヌーボー式のレストランは、Langham邸のダイニングがベースとなっていて、今はSalle 1900という名称がついています。

1898年に当時の若い才能あふれる建築家と画家がこの館のダイニングの改装を手がけたのですが、長い間そのまま放置され、約80年ほどのときを経て1978年に建物に再び手がはいった際に、壁を壊したところ、このアールヌーボー式のキッチンが当時の形のままで見つかったという、なんとも御伽噺のようなストーリーがかくされているのです。

1993年にこの建物は歴史的建造物として登録されましたが、1982年に以前の姿を知るある紳士がこの Salle 1900 をみたいとたずねてきた際に「まったく当時と同じだ!」と驚愕したそうです。

5000枚ものタイルをはめなおして行われた大改装工事の末、1898年そのままの姿でよみがえったレストランでは、手ごろな価格で定番のフランス料理が美味しくいただけます。

レストラン内部の様子は単調な造りでありませんのでなかなかお伝えするのが難しいです。。

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本日とったランチは、menu du marché  ( Entrée + Plat )  23.5 euros で、
前菜・メインとも3品から選べます。前菜はガスパッチョ・サラダ・ムール貝、メインは生牛肉のタータル・鴨・鮭と鱈のグリルのそれぞれ3品です。

2012.08.19

天井

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フランスの国鳥/雄鶏 Coq    追記・再掲

   depuis  2001

日本の国鳥はキジですが、フランスはニワトリ(雄)coq です。

今回のパリ滞在で何となくパリらしいニワトリ(雌) poule の置物に出会ったので購入してみました。50ユーロはちょっと高かったかな?

雄鶏 coq はもっと高くて手が出ませんでした。

アン・キャンズ・カフェでお出迎えいたします。

2011.11.29

このたびの滞在で、雄鶏 coq を買いました。

9月にはアン・キャンズ・カフェでお出迎えします。

    2012.07.28

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エリゼ宮の門扉に輝く雄鶏 coq 。

羽を広げて踏ん張っています。

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Coq / Château de Saint-Germain-en-Laye

Coq / Château de Saint-Germain-en-Laye

 サン・ジェルマン・アン・レー城で時を告げる Coq を捉えました。
座っていたのに鳴く時には立ち上がります。
この Gaulois Dorée が<ガリアの雄鶏 Coq gaulois>に最も近い品種だとされている。

2014.07.26.

パリ猛暑 2012

   depuis  2001

こちらパリの8月18日から19日にかけて今夏最高の猛暑日でした。
8月に入ってからはいわゆる残暑で、夕方の西日がきつい日々が続いてきましたが、日が暮れる21時頃には気温が下がり始め、寝苦しいということはありませんでした。

土曜日の18日は気温が30度を上回る予報もあって、昼間の外出を避けて夕食をメトロ 7号線 ゴブラン Les Gobelins 下車直ぐの <Au Petit Marguery> で19時半に予約し、18時半頃出かけました。風はそれなりにあったものの西日がきつく、猛暑でしたが、東京と違って汗ばむ程度で、フランス人も暑そうにしてはいますが汗を拭っている姿を見かけません。

行きはバス、帰りはメトロを乗り継いで23時前に帰宅して就寝してからが大変でした。
夜中の2時前に目が覚め温度計を見ると室温がなんと29.7度。窓を開けても温度が下がりません。寝苦しいのも無理ありません。1時間ほど扇風機で涼んだ後眠りにつき、朝7時に起床すると室温は27.5度まで下がっていました。いつもの爽やかな朝に戻っていました。
それにしても今回の滞在の中で最も暑い夜ではありました。

朝市/バスティーユ

   depuis  2001

バスティーユの朝市はバスティーユ広場に面している立地の良さと規模の大きさで知られる。店舗の下はサンタンヌ運河だ。記念柱の向こう、運河上にメトロ1号線のバスティーユ駅 がある。
写真は16日の木曜日のもので、朝市の真ん中付近で広場のモニュメントである「7月革命記念柱」をのぞんだ。つまり、手前に同等の店があるわけだ。

ヴァカンス中とあっていつもより店数が少なく、雑貨店が多い印象だった。バスティーユ活性化のマルシェとして土曜日は全て10時から17時までオープンだそうだ。

朝市/Bastille

ウインドウショッピング 13  オメガ OMEGA

コンコルド広場とマドレーヌ広場間、ロワイヤル通りにあるRoyal Quartz  の ウインドウ。

オリンピックのオメガ を アピール。

オリンピック LONDON  2012は終わったが、ヴァカンスで休業とあってウインドウはそのまま。

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   depuis  2001

デルフトブルーの夜警/レンブラント Rembrandt

   depuis  2001

Netherlands Flag

レンブラント Rembrandt van Rijn (1606-1669) の代表作で、
かつ、名作の誉れ高い通称<夜警>、
実の名は<フランス・バニング・コック隊長の市警団>のデルフト焼きによる陶板画です。

Royal Delft の作品で、自慢の<デルフトブルー>が冴えています。

レンブラント/夜警

アムステルダム国立美術館の至宝<フランス・バニング・コック隊長の市警団 1642>は・・・

レンブラント/夜警

因みに、レンブラントの描いた原画はこれより大きく、1715年にダム広場の市役所に移した際に特に左側と上・下部をカットしたと言われています。

明らかにそれ以前のLundens (1622-83) による模写 (下の写真) がそれを裏付けています。

ルーベンス/夜警

デルフト/フェルメール Johannes Vermeer

   depuis  2001

Netherlands Flag

デルフト焼きとフェルメールでお馴染みのデルフトを訪れました。日本の近代治水では<神は人間を創ったが、国土はオランダ人が造った>というオランダから多くを学んだのだそうですが、そのデルフト工科大学もあります。

デルフト焼きはオランダ東インド会社を擁した17世紀に日本・中国の影響を受けつつ発展した陶器です。現在残っている二つのうちの一つ Royal Delft の工房を訪ねました。

フェルメールの地元とあって、フェルメールの<真珠の耳飾の少女><ワイングラスを持つ娘>のほか、デルフトの街を描いたたった2枚の風景画の内の一枚<小路>の陶板画が展示されていました。

同時代を生きたレンブラントの代表作<夜警>(オランダ国立美術館所蔵)の陶板画は圧巻でした。

フェルメールの作品は30数点に過ぎないとされていますが、そのうち4点をアムステルダム国立美術館が所蔵しています。すべて来日したことがあります。

デルフトと接するデン・ハーグの「マウリッツハイス美術館」は<ディアナとニンフたち><真珠の耳飾りの少女>の2点を所有していますが、現在全面改装中で閉館、その間、2点はいずれも日本でお仕事中です。デン・ハーグにも寄りましたが現地では見れませんでした。

「アムステルダム国立美術館」は改装が終わって、所蔵の4点<青衣の女><恋文><牛乳を注ぐ女><小路>とも在席でした。9時の開館と同時に入館しましたのでゆっくりと鑑賞することができました。

アントウェルペン と ルーベンス ~ネロ と パトラッシュ の物語

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Belgium Flag

フランスでは、今日8月15日は聖母昇天祭の祝日です。聖母マリアが肉体と霊魂を伴って天国にあげられたという<聖母被昇天>を記念する祝日です。

* *

アムステルダムに行く前に、途中、ベルギーのアントウェルペン (アントワープ) Anvers に立ち寄りました (2012.08.8-9) 。アントウェルペンは最近ではモードの街として一躍有名になりましたが、ダイヤモンド取引の町、ルーベンスの生まれ故郷として知られてきました。

アントウェルペン大聖堂では<フランダースの犬>にも登場する ルーベンスの絵 (聖母被昇天・キリストの昇架・キリストの降架・キリストの復活) を鑑賞することができます。

大聖堂の前にはトヨタから寄贈されたフランダースの犬の石碑モニュメントが設置されていて、今上天皇・皇后両陛下も来られたということです。しかし、観光局 (Office du tourisme)の人に話しを聞いてみたところ、日本人によってこの物語が逆輸入されたもののベルギーでの知名度は低いというのが実のところのようです。
日本人には涙を誘うネロとパトラッシュの悲哀の物語も、西欧人にはよく知られた厳しい中世の時代のごくありふれた日常だったのかもしれません。

大聖堂中央に位置する<聖母被昇天 1625-26>
こちらはオープンなのでネロも見ることができました。

ルーベンス/聖母被昇天

こちらがクローズされていてお金が無くては見れなかった
<キリストの昇架 1609-10><キリストの降架 1611-14>で、
当時から拝観料が必要だったため、貧しいネロは観たくても観れませんでした(涙)。

今は入場料 (5€) を払わなければ聖母被昇天すら観ることができません。教会で有料の他例を知りませんが、拝観料のおかげで大聖堂の大改装ももう一息とのコメントがありました。カンタベリー大聖堂が有料でした (2017.08.)。

ルーベンス/キリスト昇架

ルーベンス/キリスト降架

パリで 絵が明るくなった ゴッホ/ゴッホ美術館

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Netherlands Flag

故国オランダとベルギー・アントウェルペン時代の一貫して暗いゴッホ Vincent van Gogh (1853-90)の絵は1886年にパリ・モンマルトルに移って以降一転して明るくなった。

写真の上段は代表作のひとつ、<ジャガイモを食べる人々>(1885) でオランダ時代、
下段二枚はモンマルトルの風車を描いたフランス・パリ時代の作品 (1887) 。

ゴッホ/ジャガイモを食べる人々

ゴッホ/モンマルトルの風車ゴッホ/モンマルトルの風車

United Kingdom Flag

The Blute-Fin Windmill,Montmartre (1886)

 

パリに移り住んだ1886年にモンマルトルの風車を描いた<The Blute-Fin Windmill,Montmartre (1886)>がグラスゴーの<Kelvingrove Art Gallery and Museum>にあった。

2013.08.02.

 

 

 

 

フランスの国旗  日本の国旗

Moulins et jardins à Montmartre (1886)

 

パリの「オランジュリー美術館」で開かれていた「ブリヂストン美術館の名品−石橋財団コレクション展」で、同時期の作品<モンマルトルにて風車と公園 Moulins et jardins à Montmartre (1886)>の展示があった。

2017.08.06.

 

ゴッホ美術館のロートレック/アムステルダム

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1886年にアントウェルペンからパリに出たゴッホは1887年11月にロートレックらと共同展を開いている。また同年、ロートレックはゴッホの肖像画を描いている。ゴッホ34歳、ロートレック23歳。

ゴッホ美術館はツールーズ・ロートレックの油絵 (写真 上段:ガブリエルの肖像 Gabrielle はナショナル・ギャラリーの所蔵) のほか、1300点近くのリトグラフを所蔵している。

数多くの所蔵コレクションの中から100点を選んで9月15日まで 特別企画展 Beauty in abundance を開催中であったので訪れることにした(14€)。

ギャラリー・イグレック所蔵の2作品も展示されていた。

Toulouse-LautrecToulouse-Lautrec

アンリ4世とルーベンス/ルーベンスの家/アントウェルペン Anvers

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Belgium Flag

 ルーベンスはゴッホ等とは違って生前からの人気画家で当時の豪邸 (廃墟同然になっていた) が修復されて<ルーベンスの家>として公開されている。

写真は1590年3月のイヴリーの戦い ( イヴリーは、ノルマンディー地方のウール川沿いの小都市 ) で、カトリックの推すマリエンヌ公を破ったフランス王アンリ4世を描いた4点セットのうちの一枚だ。アンリ4世の騎乗する白馬の他は未完と思われる。

同様の戦いの場面を描いた絵は、フィレンツェのウッフィツィ美術館にも所蔵されている。
ナント勅令でユグノー戦争に終止符を打つのは1598年のことだ。

アンリ4世/イヴリーの戦い

ジョルジュ・サンク George V はマロニエの並木道

   depuis  2001

シャンゼリゼ大通 Avenue des Champs-Élysées ( プラタナスの並木道 ) との交差部にルイ・ヴィトン本店がある ジョルジュ・サンク大通り Avenue George V はマロニエの並木道だ。

フォー・シーズンズ・ジョルジュ・サンク周辺の8月初めの様子。

Av. George V

今日から4泊5日で Belgium Flag  アントワープと Netherlands Flag  アムステルダム に小旅行してきます。

コートールド と オルセー/セザンヌ と マネ

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United Kingdom Flag  昨年 ロンドンのコートールド・ギャラリーに行った折に出会った <セザンヌのカード遊びをする人々> と <マネの草上の昼食> ( いずれも写真の上 ) と
France Flag  オルセー美術館のそれら ( 写真の下 ) との対比。

セザンヌ

セザンヌ2

マネマネ2

オルセー美術館は改装が終わって、作品群が本来の位置に戻ってきたように思われた。

食事の後の美味しいケーキ/LAPÂTISSERIE

   depuis  2001

毎年恒例になってきた、お友達との夏のお食事会。

今回はLA PÂTISSERIE BY CYRIL LIGNAC のイチゴのケーキとマカロンを美味しくいただきました。
日本のケーキのように軽いようでありながら、
フランスのケーキらしい濃厚な乳製品の味もしっかりしていて
食事の後に大変美味しくいただきました。

2012.08.04.

エッフェル塔百態 69  アンリ4世騎馬像

   depuis  2001

シテ島 (ポン・ヌフ橋) 上のアンリ4世騎馬像 Statue équestre d’Henri IV を右端に、真ん中にフランス学士院を重層したエッフェル塔。
フランス学士院とエッフェル塔を除けば写っているのはすべてシテ島上。
騎馬像の向こうはシテ島の下流端の緑地  で、階段を下りると ポン・ヌフ公園 Parc du Ponu Neuf 。セーヌ河畔にも出られ、バトウ・ムッシュの乗船場でもある。
ポン・ヌフの起工はアンリ3世の治世だが、アンリ4世治世の1607年に竣工した。
台座にはラテン語で HENRICI MAGNI とあるが、これはアンリ4世の愛称である大アンリ Henri le Grand の意味だ。

* * *

エッフェル塔の左に街燈とその足元に<ヴェリブ Vélib’>の貸し出し所が見える。

エッフェル塔百態 68  シャンジュ橋/コンシェルジュリー/パリ・プラージュ/時計の塔

   depuis  2001

シャトレ広場前のシャンジュ橋 Pont au Change からのエッフェル塔。

下流に見える橋がポン・ヌフ  Pont Neuf  。
左はシテ島で、化粧直しの終わったコンシェルジュリー。
エッフェル塔の左にフランス学士院。
セーヌ右派流に沿うパリ・プラージュは気温23度とあって閑散としている。

Tour Eiffel / Pont au Change

現在の橋はN のマークが付いていることから推察できるようにナポレオン3世時代 (1858) のものだが、両替橋の名はその昔の橋上に両替商や宝石・金細工の店があったことに由来している。フィレンツェのポンテ・ヴェッキオ(橋)を渡ったところのアパートが懐かしい。

2012.07.31.

コンシェルジュリーの<時計の塔 Tour de l’Horloge du palais de la Cité >
壁時計部分だけが遅れていたが。。。

中央の時計の左右の彫像は、ファスケスを置き正義の手と法を持っている左が<法の力>、天秤と剣を持っている右が<正義・公正の執行>を寓意している。
François Christophe Armand Toussaint (1806-62) により改修された (1852) 。
また、時計の頂部にはアンリ3世 Henri III (在位1574-89) の使った二つの<王の紋章>が付いている。
父アンリ2世 (母カトリーヌ・ド・メディチ) の<モノグラム>である HCC も見える。
アンリ3世が1350年にジャン王が設置した時計を1585年に取り換えた。

2012.11.19.

ロータリーとモニュメント 60  Michel Debré 広場

   depuis  2001

セーブル通りなど6本の道が交差する Michel Debré 広場  Place Michel Debré  は「赤十字の交差点 Carrefour de la Croix Rouge 」と呼ばれていた。カルフール Carrefour は世界に展開するスーパーマーケットとしてお馴染みの名詞だ。
広場のモニュメントは彫刻家 César のケンタウルス Le Centaure ( 1985 ) だ。
フランス文化省が製作を依頼した。
右に見えているのがセーブル通りで、左奥の緑の先が Le Bon Marché 。

Pl. de la Croix Rouge

 Michel Debré (1912-96) はレジスタンスで、戦後のド・ゴール政権下で大臣・首相を務めた。