アン・キャンズカフェは10月お休みさせていただきます(ロートンヌ展は行われます)

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 時のたつのは早いもので、ロートンヌ展まであと数日となりました。今年もたくさんの方をお迎えすべく、準備をすすめております。

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ロートンヌ展にあわせて今月からオープンする予定だった10月1日から15日までのアン・キャンズ・カフェ、実は店主が怪我をいたしまして今回は残念ながらおやすみさせていただくことになりました。楽しみにしていただいていた方には大変申し訳ありません。

ロートンヌ展のほうは10月1日から3日まで行っておりますので、どうぞ是非いらしてくださいね。よろしくおねがいいたします。

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鉄炮隊百人組出陣 50周年

新宿区無形民俗文化財に指定されている<鉄炮隊百人組出陣>50周年が開催された。皆中稲荷で出陣式を行い巡回して戻るのだが実技を行うメイン会場の西戸山公園の野球場で参加した。

東日本大震災の被災者が百人町にも多数避難されていることもあり、<がんばろう東北。百人隊応援出陣>として相馬中村藩古式炮術の友情出演があって大いに盛り上がった。

鉄炮隊百人組の謂れについては皆中 (かいちゅう) 稲荷のリンクに詳しいので読んでもらいたいが、徳川幕府は開幕時甲州街道の防御に重点を置いていて伊賀衆 (服部半蔵) にそれを受け持たせた。新宿駅付近の内藤新宿に配置していた鉄炮隊が定住したのが百人町で町名の縁起だ。今の皇居である江戸城の防備も担当していた。半蔵門はその名残でお濠を渡れば甲州街道だ。

ロータリーとモニュメント 38 フランソワ1世広場

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  フランソワ1世通りをはじめ広場を突き抜ける3本の道路、合計6道路が集まるロータリーであるフランソワ1世広場 Place François 1er のモニュメントは噴水 (マドレーヌ広場の泉) だ。

シャトレ座の建築家 ガブリエル・ダビウ (1823-81) の作品 (1864) 。
大理石で彫刻は Théophile Murguet による。

Pl.François 1er

フランソワ1世アンヴァリッド橋の右岸詰を直進せずに斜め左のフランソワ1世通り Avenue François 1er (モンテーニュ大通りを横切りジョルジュ・サンク大通りに至る) を少し行ったところだ。

フランソワ1世 (写真左) は晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチをアンボアーズ城に庇護したことで知られている16世紀前半のフランス王で、ルネッサンス王 Prince de la Renaissance と別称される。

<モナ・リザ>がルーブル美術館にあるのは彼のお蔭だ。

ロータリーとモニュメント 37  カルーゼル広場

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馬車の時代の名残だろう、今となっては公園管理の車などを除けば特に必要のない円形ロータリー。カルーゼル広場 Place du Carrousel のモニュメントはご覧の通り。

ルーブル宮のシュリ―翼からデファンスの方向を見ている。右側がリシュリュー翼で左側がドノン翼。間の Cour  Napoléon に大小二つのピラミッド、ルーブル美術館への出入り口になっている。

リシュリュー翼の右側にリヴォリ通りが走っていてデザインと高さを統一した建物がコンコルド広場まで連担しているのが分かる。

カルーゼル広場の向こうにカルーゼル凱旋門 Arc de Triomphe du Carrousel と凱旋門 Arc de Triomphe と重なって分かりずらいが 新凱旋門 Grand Arche との3つの凱旋門が見て取れよう。

ゴーギャンを訪ねる・・・Pont-Aven

今となっては3年前のことになるが、ゴーギャン Paul Gauguin の足跡を求めてポン・タヴァン  Pont-Aven を訪ねた。
ポン・タヴァンはブルターニュ地方Burtagne の小都市であるが彼が画家として制作の拠点としたところだ。フランスの西北端の大西洋に近いカンペール Quimper からバスで1時間余りを要した。カンペールは<カンペール焼>の本場として知られている町だ。地図で位置関係を案内板で彼の画歴を見てみると・・・

1886年に本格的に画家として Pont-Aven で偉大な一歩を踏み出して1903年に亡くなるまでの経過が記されている。
ここに拠点を置いていたのは1894年までであったこと、1888年のゴッホとの共同生活と耳切り事件、1891年のタヒチ Tahiti への渡航、1901年の再渡航などが読み取れよう。

上の写真は村の中心地でポール・ゴーギャン広場 Place Paul Gauguin 、手前がラヴァン川 L’Aven 。突き当りを右に入ったところが村役場と美術館。

左写真に見る L’Aven 川の右側に街道が走っている。下方向が下流で南下して大西洋に注ぐ美しい小河川だ。

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  Netherlands Flag 2か月で破綻したアルルArles でのフィンセント・ファン・ゴッホとの共同生活の間にゴーギャンが描いた有名な<ひまわりを描くフィンセント・ファン・ゴッホ>はアムステルダムのゴッホ美術館にある。他の絵画作品と違ってこの絵はガラスケースの中に立てかけた状態で展示されている。

2012.08.10.

ロータリーとモニュメント 36  ジョルジュ・ミュロー広場

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ジョルジュ・ミュロー広場  Place Georges Mulot は掘り抜き井戸のエンジニアで起業家のルイ・ジョルジュ・ミュローの名を冠した広場だ。モニュメントはもちろん彼の掘り抜き井戸の記念碑で、
1841年に初めて湧出した<グルネルの泉>と呼ばれるものだ。
パリ子午線で有名な天文学者で偏光を発見した物理学者でもあったアラゴ François Arago がパリ市長のころのものだ。
写真の面のメダリオンのバレンティン・アユイ Valentin Haüy  は1785年にはじめての視覚障害者のための学校を創設した人物で、通りの名が Rue Valentin Haüy。モニュメントの4面にメダリオンがあるがその内一枚はジョルジュ・ミュローだ。(下の写真:転載)

ロータリーとモニュメント 35 サン・シュルピス広場

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サン・シュルピス広場 Place St-Sulpice のモニュメントは建築家 ルイ・ヴィスコンティ Louis Visconti (1791-1853) 作の巨大噴水 (1847) だ。
長らく工事中だったがサン・シュルピス教会の修復と合わせて化粧直しが終わった。
ダヴィンチコードで一躍有名になったサン・シュルピス、イオニア・ドーリア式のファッサードのアンバランス (写真下段) はフランス革命の影響を受けている。

Pl. St-Sulpice

教会正面より。左手の建物は6区の区役所。イタリア料理の<サンタ・ルチア>は右手。

サン・シュルピスにあるドラクロワの壁画と天井画は必見。
天井画というと天竜寺の龍を描いた<加山又造>を思い浮かべる。

 

 

 

 

 

 

 

 

上右<天使とヤコブの戦い Lutte de Jacob avec l’ange (détail) >の部分写真。
フレスコ画ではなく、ワックス (蝋) 画 Encaustique であると説明にある。

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2011.02. のサン・シュルピス教会とサン・シュルピス広場。

St-Sulpice et Pl.St-Sulpice

ムフタール通り Rue Mouffetard

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<エッフェル塔百態 15  パンテオン>で紹介したパリの守護聖人サント・ジュヌヴィエーヴにあるローマ時代からの古道だ。

そのためオスマンのパリ改造計画でも手を付けられることなく今も昔の趣を残した通りとなっていて観光客で賑っている。どういうわけか日本人の旅行客は少ない。食料品店やカフェ・ブラスリー・レストランが多い。パンテオンの裏から入るとゴブラン織りの国立工場のあるゴブラン通りまで下り坂で1キロメートル足らずだ。

右の写真はムフタール通りの坂上から坂下を望んだところでほぼ直線通りだ。
パンテオンのちょうど裏側で右側に回ればパンテオンだ。
坂下には15世紀から18世紀にかけて建造されたゴシック様式のサン・メダルト教会がありこの地区の中心だ。

歴史建造物になっている建物を2葉とサン・メダルト教会。

ロートンヌ展2011とアン・キャンズ に備えて

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 今日9月16日からロートンヌ展 2011の準備に入ります。
関係者をはじめ出入りの方々には電話等で御連絡致しますのでよろしくお願いします。
お誘い合わせの上多数のご来場を歓迎いたします。

ロータリーとモニュメント 34  アンドレ・マルロー広場

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Pl. André Malrauxド・ゴール政権下の文化相として来日し今回被災した那智勝浦等も訪問したことを覚えている人も多いかと思うが、作家アンドレ・マルローの名を冠した広場 Place André Malraux のモニュメントは大きな噴水2基だ。
噴水は建築家ガブリエル・ダビウと複数の彫刻家の作品。

ガブリエル・ダヴィウ  Gabriel Davioud (1823-81) はオスマン男爵とパリ改造を具現化した建築家で、サン・ミッシェルやドメニルの噴水も手掛けた。

頂部に載るニンフは写真:上が川のニンフ、写真:下が海のニンフで、ペアになっている。
海のニンフ Nymphe marine の作者はアールヌーヴォーの先駆者の一人Carrier-Belleuse (1824-87) で、彼はロダンの師匠であったことでも有名。
川のニンフ Nymphe fluviale はマテュラン・モロー Mathurin Moreau (1822-1912) の作品。

Pl. André Malraux

オペラ大通りやサントノレ通りなど6道路が集まる。広場東端に<コメディ・フランセーズ・リシュリュー>が面している。川のニンフが載る上段の写真の右手がコメディ・フランセーズ (写真下3枚) だ。

エッフェル塔百態 50  T3 ガリリャーノ橋

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トラムウェイ T3 a の起終点 ガリリャーノ橋 Pont du Garigliano  駅からのエッフェル塔。

T3- Garigliano

駅から少しセーヌ川に架かるガリリャーノ橋の方へ寄った位置。左にセーヌ川が見えるが橋は映らない。樹木の横に一つ上流に架かるミラボー橋が見える。

下の写真は、ガリリャーノ駅。ここから乗車すれば、Porte de Vincennes 迄行け、T3 b に乗り換えて Porte de la Chapelle まで行けるようになった。2012.12.より。

T3-Pont du Garigliano

ロータリーとモニュメント 33 ポルト・マイヨー広場

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ポルト・マイヨー広場 Place de la Porte Maillot は大緑地だ。
パリの外郭高速環状道路との出入りもあって10本を超える道路が集まっているため、緑地の中に入るにはアンダーパスを通らなければならない。が…そのアンダーパスは雨露を防ぐホームレスの格好の生活の場となっている。

プラタナスの樹列の間が中心軸で、左が凱旋門から下りの Avenue de la Grande Armée 右が Avenue Charles de Gaulle でデファンスヘ一直線だ。

ロータリーに面してブPalais des Congrès de Parisーローニュの森へと繋がる写真左の公園にモニュメント(写真下) が、右にパリの会議場 Palais des Congrès de Paris (同右) がある。
ケーニッヒ元帥の記念碑 Monument au Maréchal Koenig はAlbert Féraud (1921-2008) の作品。
ケーニッヒはパッシー橋を改名して名を残すリビアの<ビル・アッケムの戦い>を将軍として指揮した。

Monument au Maréchal Koenig

マルクール核施設で爆発・・

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今日は帰りの電車でたまたまニュースをチェックしていたら、フランス南部の核施設で爆発、一人死亡のニュース。

少量の放射能を含む鉄くずを溶かす処理をしていた施設で爆発がおきたようです。

16時15分には事故は終結し、報道によれば「放射能漏れはない」とのこと。

でもフィガロ等のサイトをみていると、「フクシマも最初はほとんど影響がないみたいなことをいっていて、蓋を開けたら違った!」「放射能漏れが一切なかったなんて本当に言い切れるのか?」「フランスの原子力発電は絶対安心!なんてったってフランス人は一番優秀だからね~」などなど、

かなり疑ってかかっていたり、皮肉ったコメントがついてます。ちなみにこの核施設、2009年にもレベル2の事故を起こしているみたいです。

フランスはフクシマの事故ですぐに日本に協力を惜しまないといってサルコジ大統領まで訪日していましたが、フランスはとてもしたたかな国なので、

もちろん「ココゾとばかりに技術を売りつけてきた」面もあるわけですが(そして日本は藁をもすがる想いで期待をしたし、おそらく言い値で技術提供をお願いしたのだろう)、

ではフランスのアレバ社の技術が本当にフクシマ収束への効力を発しているのか・・は、その後の報道がないので、

いまひとつ不明。

確かフランスの雑誌のエクスプレスだったかに、フランスにおける原発事故の歴史を追った記事があったのだが、フランスとて大なり小なり状況は同じで、

原発推進のためにこれまでも事故はあまり報道されず、もちろん大きな利権、政治的な動きも絡んでいる。

今フランスで事故なんて起きたら、もう日本どころの騒ぎではなく、大騒ぎするフランス人の姿が今から目に浮かんでしまう。

株価も下落し、フランスの景気も後退しそうなここ数日の報道。

今回の事故をきっかけに原発に関する議論が熱を帯びれば、迫った大統領選挙も含めて、フランスの政治・経済が不安定になるかもしれない・・・?

東日本太平洋沖地震から6ヶ月

<黙禱>  早や6ヶ月が経った。付帯して生じた原発の事故もいまだ先が見えてこないし、津波による被災地の復興も政治に翻弄されて計画すら立てられない状況だ。被災者は誠にお気の毒だがそれほど事態は深刻だということだろう。

今日は昼から東大の弥生講堂で催された<東日本大震災:大学の責務と貢献を考える>と題したシンポジウムに参加してきた。旧7帝大を中心に11大学の中堅の文・理・工・医・経等の学者の 第一線の研究者からの発信 と題した講演と東・名・京の総長のパネル討議だったが、なかなか興味深い内容だった。

日本はこれを機会に原点-例えば66年前の敗戦時-に立ち返ってこれからの持続可能な進路を模索すべきではないかという意見が多かったように思った。地球規模でも然り、転換期に来ているとみている学者が多いようだ。

ロータリーとモニュメント 32  ブルボン宮広場

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コンコルド広場からセーヌ川の方にギリシャ様式の国民会議 (フランス議会下院) 、ブルボン宮が見えるが、その裏側の下院  Assemblée Nationale (Palais Bourbon) の車寄せというか小さなロータリー、ブルボン宮広場 Place du Palais Bourbon のモニュメント。

<法 La Loi> と名付けられたジャン=ジャック・フッシェル Jean-Jacques Feuchère (1807-52) の作品 (1852) で1854年に設置された。写真下はコンコルド橋からのブルボン宮。

Pl. du Palais Bourbon

Assemblée Nationale (Palais Bourbon)

エッフェル塔百態 50  旧陸軍士官学校・フォントノア広場

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フォントノア広場 Place de Fontenoy  から旧陸軍士官学校 Ecole Militaire を通してみるエッフェル塔だ。

Ecole Militaire

両者の中心軸が一致しているので、できるだけエッフェル塔が見えるように上の写真では故意に軸をずらせて撮影している。

Ecole Militaire をエッフェル塔側からつまりシャン・ド・マルス公園から見ると・・・

Ecole Militaire

士官学校前中央にジョフリ元帥の騎馬像が置かれ、  ジョフリ広場 Place Joffre と呼ばれる。

ジョフリ元帥はエッフェル塔の下部アーチを通して トロカデロと11月11日広場 Place du Trocadero et du 11 Novembre  のフォッシュ元帥と一直線上で向き合っている。

エッフェル塔百態 47  アレクサンドル3世橋

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アレクサンドル3世橋右岸詰からのエッフェル塔。

右の刈込の緑道は<イリーヴァン公園 Jardin d’Erivan >で、ラファイエット侯爵の像 Statue de Marquis de Lafayette が見える。その右が<女王の間 Cours de la Reine >。
ジョルジュ·ガルデ Georges Gardet (1863–1939) のライオン像も見える。

右側はグランパレ、プチパレ (写真下の上) 。
左側はアレクサンドル3世橋とアンヴァリッド (写真下の下) 。

エッフェル塔百態 46  外務省

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Ministère des Affaires Étrangeres 

右の建物が外務省。右に回ればセーヌ川で正面はセーヌに面している。
道路は Rue de l’Université でサンジェルマン・デ・プレからエッフェル塔までのセーヌ川に沿う延長の長い通りだ。前の緑はアンヴァリッドとセーヌ川間の Esplanade des Invalides 。

セーヌ川を渡って対岸からフランス外務省を見ると・・・

Ministère des Affaires Étrangeres

中央右が外務省。左端がコンコルド橋で
対岸外務省左横三色旗が上がっているのがブルボン宮(下院)だ。

新学期と税金確定

   depuis  2001

9月にはいりました。突然の雷雨など不安定な気候がここ数日続いています。学校の新学期が始まる季節でもありますが、税金が確定する時期でもあります。

今日はその確定の通知が・・・

フランスでは収入の多い少ないにかかわらず確定申告をするのですが、いくら毎月払いにしているとはいえ、税金の申告が来るといい気持ちはしません。
このほかに住民税、家を買った人には固定資産税と、年末まで税金支払いラッシュです。

フランスの経済低迷をうけ、フランスの富豪が「私たちから税金をもっと徴収して!」と政府に訴えたとか・・・・フランスには桁違いの大金持ちがいるので、当然といえば当然ですが、それだけ貧富の差が激しいということでもあります。

これ以上景気が悪くなったら、暴動だっておきかねないので、なんとか踏ん張って欲しいところです。

Drouant  / ドゥルーアン

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日本の芥川賞にあたるゴンクール賞 (アンドレ・マルロー も受賞者の一人) の選考会場として名の通る Drouant は日本語メニューを用意しているのでお勧めだ。ただ、ヴォリュームがあるのでお腹を空かして行かれるのが良いかも。オペラ大通りを東に入ってすぐの噴水のあるガイヨン広場 Place Gaillon に面している。

写真下2枚目の中央アーチの部分が<ドゥルーアン>の前にある建物にはめ込まれた昔ながらの (水飲み場・水道) 泉 Fontaine で、レストランの名が <La Fontaine Gaillon >だ。

Droant-1Pl. Gaillon

この日注文したアントレとプラット

Drouant-2


ロータリーとモニュメント 31  ガンベッタ広場

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6本の道路が交差する円形ロータリー、ガンベッタ広場 Place Gambetta のモニュメント…噴水。パリ20区の区役所はこの広場に面していてこの視点は区役所前からだ。
パリ市役所の車が前に停まっている。ペール・ラシェーズ墓地は左の緑のすぐ先だ。

Léon Gambetta は1870年からの第三共和制の発足と安定に内務大臣として尽力、1881年から82年にかけて77日間首相を務めた。パリ20区選出の下院議員。