ギャラリー・イグレック の花々 83 ヨウシュヤマゴボウ

   depuis  2001

子供の頃熟した果実でインク遊びをした ヨウシュヤマゴボウ の花です。

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ギャラリー・イグレック の花々 82  コシロノセンダングサ

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雑草狩りで衣服について往生する ヒッツキムシ はコシロノセンダングサの実です。

右が花(花びら5枚のものが多い)ですが、左には開く直前の実が見えます。
除草の限界点です。

ヒッツキムシの東の横綱 オナモミ も同じキク科ですが、庭で見かけたことはありません。

ギャラリー・イグレック の花々 77  ヘクソカズラ

   depuis  2001

若木や潅木に纏わりついて成長を妨げるので、
その除去に苦労しっぱなしの ヘクソカズラ の花です。

小さな花ですがこうしてみるとやっぱり根性がありそうですね。

ノウゼンカズラ の花は撮るのを忘れてしまいました。今年の夏は終わりました。

ギャラリー・イグレック の花々 75  ヒガンバナ

   depuis  2001

今日は秋分の日です。今年のお彼岸は入りが19日で明けが25日です。

昨日の朝起きてみると 白の彼岸花 (シロバナヒガンバナ) が咲いていました。

赤い彼岸花 (曼珠沙華) は先週には咲きはじめていました。

ここ数日日中でも30度を下回る過ごしやすい日が続き、
暑い暑い夏もようやく終わりのようです。

ギャラリー・イグレック の花々 74  ベゴニア

   depuis  2001

シュウカイドウと同じベゴニア属の花ですが、雌雄異株です。繁殖力も違っています。退治しきったと思っていましたが、隅のほうでまた花をつけていました。

ルイ14世時代の1700年にフランスの植物学者プリュミエが命名したそうです。

ギャラリー・イグレック の花々 72  カンナ

台風一過の今日の天気は晴れ、気温は30度未満、少しばかり過ごしやすい昼過ぎです。

夜は虫の音、昼にはツクツクボウシが鳴いています。

今年の春に徹底的に抜いたはずなのに・・・夏の花 カンナ

9月のカフェ/アン・キャンズで使わせていただきました。もう終わりです。

風車の国の太陽光発電/I amsterdam

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Netherlands Flag

アムステルダム国立美術館の周辺この一帯は以前2度訪れた時とは風景がまるで変ってしまっていて戸惑いを隠せなかった。お目当ての店がこの辺りにあって、2度目の時は近々閉店するように言っていたのだが。。

このモニュメントから手前は水面を伴う広大な広場になっていて、地下は各種のツアーバスの発着場になっている。ただ、出来上がって間もないせいで樹木が小さく日陰に乏しい。

背景がアムステルダム国立美術館 (入口は左側) だが、見ての通り新築かと思うほどの全面改修で太陽光パネルがびっしりと屋根を覆っている。

I amusterdam

エッフェル塔百態 74  カルーゼル公園

   depuis  2001

カルーゼル公園 Jardin du Carrousel からのエッフェル塔。

前の人の流れは左手のカルーゼルの凱旋門から右手のチュイルリー公園へ、
あるいはその逆の動き。
手前の植え込みは迷路のようになっている。
公園内では複数の<マイヨール Aristide Maillol の彫像>を見れる。
写真では左手に Aristide Maillol 、右手に Le vase Médicis 。

Tour Eiffel / Jardin du Carrousel

少し右方向に移動して振り返ると。。。

中央にマイヨールの Air と題する作品、背景はルーブル美術館で左がリシュリュー翼、右がドノン翼、奥がシュリ―翼、彫像の右にカルーゼルの凱旋門。灌木の植え込みが迷路。

Jardin du Carrousel / Aristide Maillol

ウインドウショッピング 19  Le Bon Marché

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パリのファッションデザイナーである ソニア・リキエル、 イザベル・マラン、 ジャンポール・ゴルチェ  ブランドの商品を展示 (左より右へ) している。
履いている左右のパンプス escarpin はアントウェルペンのファッションデザイナーの一人  ドリス・ヴァン・ノッテン  のブランド商品のようだ。1ユーロ100円で勘定しても、靴まで入れると一式 20万~35万円。

2012.07.24.

ルーベンス/ヴァン・ダイク/テニールス

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Belgium Flag

この3人は世界に知られている画家で、いずれもアントウェルペン生まれだ。

ヴァン・ダイク Antoon van Dyck (1599-1641) はイギリスの画家だと思っている人がいるほどイングランド王室の宮廷画家として1632年以降のイギリスの画壇を牽引した画家。

また、テニールス David Teniers (1610-1690) も当時ブリュッセルを支配していたオーストリア大公の宮廷画家として異国のブリュッセルで活躍した。

ルーベンス Petro Paulo Rubens (1577-1640) もイタリアのマントヴァ公とスペインのイサベラ王女の宮廷画家を務めた。スペイン王室の宮廷画家ベラスケスはヴァン・ダイクと同年の生まれだ。

アントウェルペンの目抜き通りと、隣接する広場に3人の立像がある。2人が教えを受けた先輩ルーベンスの像は広場にあり、没200年の1840年の記念碑で、背景はアントウェルペン大聖堂だ。

パリの消防/SAPEURS POMPIERS DE PARIS 追補・再掲

パリの消防/SAPEURS POMPIERS DE PARIS

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パリの消防は フランス陸軍の消防工兵部隊で平時は内務省とパリ警視総監の指揮下にあるパリ消防旅団 Brigade des sapeurs-pompiers de Paris (BSPP)  に委ねられている。

パリ1区の消防署(兵舎) Caserne Pompers の建物と消防車に SAPEURS POMPIERS DE PARIS (パリ消防士) とあり、また、大きく SAPEURS (工兵) の表示があるのがその辺の事情をうかがわせている。

7月14日の革命記念日のシャンゼリゼ大通りでのパレードではトリを務める。

入口上部のガレー船の船首は (消防がスポンサーによって運営されていた時期の) 当スポンサーのシンボルではないかと・・・

リヨン駅 Gare de Lyon 近くにある12区の Caserne Pompers 。正面左右に門番がいるが、これは消防服を着用した人形。従来は工兵が常駐していたのだろう。

セーヌ川の女神(寓意)/Louis Petitot

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セーヌ川 La Seine の恵みを寓意する女神像だ。

ヴェルサイユ宮殿のルイ十四世の騎馬像の作者
Louis Petitot (1794-1862) による1846年の作品(石造)。

セーヌ川左岸とルーブル美術館を結ぶポン·デュ·カルーゼル Pont du Carrousel の左岸下流側の橋柱にあり、顔はやや左岸上流を向いている。
左脇に置かれた水瓶から溢れる水がセーヌの恵みを表す。

左右岸の上下流に置かれたそのほかの3体、産業 L’Industrie 、豊饒 L’Abondance 、パリの街 La Ville de Paris の寓意像とセットになってパリを誇る。
後ろはルーブル美術館ドノン翼、下流の橋はロワイヤル橋。

La Seine

 

 

ウインドウショッピング 18           Louis Vuitton de l’avenue des Champs-Élysées

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猛虎宰相クレマンソーの亡くなった1929年に生まれたファッション・デザイナーの 草間 彌生 (画家・彫刻家) は例の水玉模様でルイ・ヴィトンとコラボレートしています。

<ラ・フェルメット・マルブフ1900>で食事した後、BVLGARI / George V、HERMES / George V や LOUIS VUITTON / Champs-Élysées の ウインドウショッピング を楽しみました。

写真の上段は、ルイ・ヴィトン本店のシャンゼリゼ大通りに面する大型ショウウインドウ。
下段は、ジョルジュ・サンク大通りに面するウインドウ。
なかなかの人気のようで日本人に限らず多くの観光客がカメラを向けていました。

2012.08.04.

ロータリーとモニュメント 66  クレマンソー広場

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日本で猛虎といえば阪神タイガースだが、
フランスではクレマンソーのことを猛虎宰相と呼ぶ。

「行動を自問するようでは行動的人間とは言えない。」と うそぶいたといわれるクレマンソー Georges Clemenceau (1841-1929) は   第一次世界大戦時のフランスの首相であり、
戦時並びにヴェルサイユ条約締結時のドイツへの強硬姿勢で知られる。

また、ジャーナリストとしてドレフュス事件でドレフュスを擁護した人権派としても有名。
エミール・ゾラ の 「われ、弾劾す。 1898 」は彼の主幹する新聞で公開された。
革命以後のフランスの栄光を代表する行動的政治家でありジャーナリストだ。

グラン・パレ、プチ・パレ、エリゼ宮の面するシャンゼリゼ大通りにクレマンソー広場 Place Clemenceau があり、クレマンソーの像 (François Cogné (1876-1952) の作) と噴水がモニュメントとしてある。2000年以降、反対側にド・ゴールの像もある。

後ろの建物はプチ・パレ、右側に見える通りがウィンストン・チャーチル大通り Av. W.Churchill で、その右手がシャンゼリゼ大通り、左手がセーヌ川でアレクサンドル3世橋からアンヴァリッドへと続く。

地下には メトロ1号線、13号線 Champs-Élysées Clemenceau 。

Pl. Clemenceau

Tunisia Flag

経済学者ケインズはヴェルサイユ条約締結時におけるフランス(クレマンソー)のドイツに対する強硬姿勢をローマのカルタゴに対するそれに例えて<カルタゴ式平和>と揶揄した。

カルタゴは三次にわたるポエニ戦争の結果、徹底的にローマに滅ぼされる(紀元前146年)まで地中海を支配した海洋都市国家だが、現在のチュニジアの首都チュニスにあたる。

本日、当時アフリカといえばカルタゴのことであったといわれる現チュニジアからのアクセスがあった。アフリカからは今年の2月25日以降で初めでだ。

エッフェル塔百態 73  オステルリッツ橋

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ヴァルベール広場 Place Valhubert 前のセーヌ川に架かるオステルリッツ橋からのエッフェル塔。

セーヌ川の下流方向を見ていて、
左の左岸側にオステルリッツ駅 Gare  d’Austerlitz 、パリ植物園があり、右岸を直ぐ右折してディドロ大通り Boulevard Diderot に入ればリヨン駅 Gare de Liyon 前だ。

真ん中にエッフェル塔、左にパンテオン、そして右にパリ・ノートルダム寺院 (シテ島) という配置で、下流に見える橋はサン・ルイ島に架かるシュリ―橋だ。サン・マルタン運河は下流右岸直ぐのところから始まる。
ジュシ―タワー Tour Jussieu (Tour  Zamansky) と呼ばれる高層の建物と前、横の建物群はパリ第 VI 大学 /ピエール・エ・マリー・キュリー大学。

May Milton / Toulouse-Lautrec

   depuis  2001

Netherlands Flag

かねてから鑑てみたいと思っていたロートレックのリトグラフ< May Milton >(1895) にアムステルダムのゴッホ美術館で遭遇した。平凡な構図だが、なぜか親しみやすい。パリでの公演時に次のニューヨーク公演のためのポスターとしてロートレックに依頼したもの。

イギリスのダンサーであった彼女はこのポスターのお蔭でその名を今に残しているが、風貌も才能もいまいちであったようだ。ロートレックがこのように描いているところを見れば美人だったように思えるが。

ウインドウショッピング 16  Le Passage des Princes

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おはようございます。 昨日川之江に帰ってきました。
パリ・アミアン・アントウェルペン・アムステルダム等で手に入れた品々も持ち帰りました。

イタリアン大通りからリシュリュー通りに抜けるパッサージュ・デ・プランスの鉛筆屋さんのウインドウです。
このパッサージュにはプラモデル屋さん、フィギュア屋さんなどもあり楽しいです。

これだけの生きたサンゴが。。Hotel Estheréa

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Netherlands Flag

3連泊したアムステルダムの Hotel Estheréa のロビーにいるサンゴの数々。写真では分からないが、すべてのサンゴが生きていて休むことなく動き続けているのには驚いた。

世界遺産に登録されているアムステルダムの地区内にある、運河に面した昔ながらのクラシックな四つ星ホテルで、何とも居心地がよかった。シャンデリア、ランプなど古くからのものに良き時代の贅を感じた。
部屋に冷蔵庫はあるがミニバーはなく、ロビーでカフェ・テ等のドリンク・菓子のサービスがあるのも珍しかった。

写真の上段が中央、中段が左側、下段が右側。

運河に面するホテルの外観だが、古のアムステルダムの風情そのままのところがよい。

ここからほど近い、面影を無くした<アンネ・フランクの家>を筆頭に激変するアムステルダムなのだが。。

揺蕩えども沈まず/追補・再掲

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 サン・ドニ門からサン・ドニ通りをパリの中心部に向かって歩いて右側にパッサージュ Passage du Grand Cerf を通り抜けたところでパリ市の市章を見つけた。

市立の保育園/幼稚園 e’cole maternelle の建物だ。

市章の上には国旗が、その上には自由・平等・友愛の文字が埋め込まれている。

<たゆとうとも沈まず> 帆船が市章になっているのは船頭の組合長が代々シテ島を支配してきたことに由来するといわれる。

もともと、パリの守護聖人 聖ジュヌヴィエーヴがフン族の侵略からパリを守った故事(464年)に起源するともいわれる。

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メトロTélécharger le plan Métro Ligne 1 - PDF - Nouvelle fenêtre の Hôtel de Ville  のタイル張り壁面にある市章は色つきでわかりやすい。

パリの市庁舎 Hôtel de Ville の2枚の飾り窓にある市章は。。。

オルセー美術館 Musée d’Orsay にある市章は。。。

15区区役所の市章
 まだまだあります。

アミアンのアール・ヌーボー/ジュール・ヴェルヌの家

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SF小説の元祖といわれている<海底二万里 Vingt mille lieues sous les mers >の作者ジュール・ヴェルヌ Jules Verne (1828-1905) は晩年を市会議員としてパリの北方ピカルディー地方の首府アミアン Amiens で過ごしたが、その屋敷はアール・ヌーボー様式で、現在でもその面影が残っている。
今は退役している世界初のアメリカの原子力潜水艦ノーチラスは誰でも知っているが、そもそもノーチラスはナポレオンが1800年に設計を命じた潜水艦の名で、海底二万里 (1870) でもその名が使われている。
海底二万里は潜水艦ノーチラスに乗船した主人公の海洋生物学者の海底冒険小説でアトランティス大陸等も登場する。

 

タリス Thalys に乗ってみよう

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France FlagBelgium FlagNetherlands FlagFrance Flag

この夏パリからアントウェルペン、アムステルダムに小旅行するのにタリス Thalys を利用した。以前にもブラッセルからの帰りに使ったことがある。ケルンへも行ける。

お勧めは<一等車で早めに予約を取っておく>ことで、インターネット上で簡単に手続きできる。TGV 並の高速性と座席、車内サービスが気に入っている。

パリ・ノルド7時25分発、アントウェルペン9時27分着で、朝食が付く (写真上) 。さらに、途中、ブラッセルを過ぎると茶菓のサービスがある。
アムステルダム13時16分発、パリ・ノルド16時35分着で軽食 (ワイン・ビール・ドリンク各種) が付く (写真下) 。やはり、途中、茶菓のサービスがある。
アントウェルペンからアムステルダム1時間強でも軽食が出る。

今回取った切符の値段はアムステルダム・パリの例で8000円弱 (シニア割引適用) だったが、もっと早くに取れればもう少し安い。日本の常識では信じがたいだろうが、日本の新幹線も航空機も高すぎるのだ。なお、シニア割引を使った場合はパスポートまたはその写しを持参しておくこと。

ウインドウショッピング 15  Van Cleef & Arpels

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ヴァンドーム広場のVan Cleef & Arpels。反射で写っている写真左端が リッツ Ritz で改装工事中、まだしばらくかかる。右端のディオールも工事中。
オーステルリッツの三帝戦を制したナポレオンの立像が、中央に見える戦利品で建造した円柱 Colonne の上からカスティリオーヌ通り(Dior の左) を通してチュイルリー公園を望む。

Van Cleef & Arpels / Pl. Vendôme

ロータリーとモニュメント 65  カトルー将軍広場

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マルゼルブ大通り Boulevard Malesherbes と ヴィリエール大通りとが斜めに交差し長方形のロータリーに7本の道路が集まる カトルー将軍広場 Place Général Catroux 。旧名はマルゼルブ広場。
愛称が長らくトロワ・デュマ広場であっただけにモニュメントは<岩窟王 / モンテクリスト伯>のアレクサンドル・デュマ(大デュマ)、<椿姫>のアレクサンドル・デュマ (息子デュマ) 等のモニュメントがある大広場だ。

大デュマ Alexandre Dumas (1802-1870) はナポレオンの配下にあった父デュマ将軍が白人と黒人とのハーフであったことで代々人種差別を受けていたことでも知られるフランスの著名作家。大デュマは生誕200周年の2002年になってやっとパンテオンに祀られたが、その際シラクは人種差別の事実に言及し謝罪したという。

ドレ Paul Gustave Doré Louis Christophe (1832-83) の作品 (1883) 。

Pl. Général Catroux

< 足枷/手枷 Fers >
ナチ占領下の1913年に破壊されたデュマ将軍の功績碑に代わるものとして、功績碑と合わせて2008年にパリ市が設置した。

fers

カトルー Georges Catroux (1877-1969) 将軍は第一次、第二次大戦のフランス、自由フランス陸軍の職業軍人であり外交官。