パリの街燈 réverbère 15  ポン・ヌフ

   depuis  2001

セーヌ左派流のポン・ヌフとパリの街燈/ポン・ヌフ

右派流のポン・ヌフ(1578-1607)の街燈。

騎馬像はアンリ4世で、シテ島の下流端近くにあリ上流を向いている。

手前の2つと奥の街燈との違いが分かる。

アンリ4世(在位:1589-1610)の騎馬像はFrançois-Frédéric Lemot(1772-1827)の作品。

ロータリーとモニュメント 76  コロネル・ブルゴワン広場

   depuis  2001

シャラントン通りをはじめ6道路の集まる12区の コロネル・ブルゴワン広場 Pl. du Colonel Bourgoin のモニュメントは噴水と四角い街燈だ。
大佐の付く広場には他に コロネル・ファビアン広場 がある。

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ブルゴワン大佐(Pierre-Louis Bourgoin 1907-70 は第二次大戦時に自由フランスのシリア戦線やノルマンジー上陸作戦の空挺部隊で活躍した英雄で、戦後は第5共和国の12区選出下院議員を4期12年務めた。

パリの街燈 réverbère 14  ヴォ―ジュ広場

   depuis  2001

パリで一番古い広場 (1612) であるヴォ―ジュ広場 Place des Vosges の街燈は懸垂式。

落葉の進んだマロニエの秋色と背後の建物との調和がいい。

広場(4区)と建物(3区)の間の道は、左へ マレ地区 Le Marais の目抜き通り フラン・ブルジョワ通り Rue des Francs Bourgeois に繋がる。フラン・ブルジョワの名は、市民税を払わないくて済むほど貧しい第三身分の平民(ブルジョワ)をこう呼んでいたことによる。中産階級の人々が住んでいたという意味ではない。

パリの街燈/ヴォ―ジュ広場

パリの街燈 réverbère 13  ルーブル宮

   depuis  2001

ルーブル宮 Palais du Louvre に面する街燈には頭部に十字が付いている。

Cour Napoléon。

背後はドノン翼。

パヴィリオン Mollien の外壁は科学をテーマにした彫刻で覆われているが、左に半分だけ見えているのは<歴史と真実 L’Histoire et la Vérité>という  Pierre Loison 1857 の作品。

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ノエル Noël の装飾                 ラ・ぺ通り・ヴァンドーム広場・カスティリオーヌ通り

   depuis  2001

ヴァンドーム広場を中心としてオペラに向かうラ・ぺ通り、チュイルリー公園に向かうカスティリオーヌ通りは電飾部材を各種に組み合わせた飾り付けで統一されている。

写真はヴァンドーム広場の様子で、広場に置かれた大きな集合飾りと、パーツを自在に組み合わせた左から宝石店 < Mauboussin> , <Chanel>, <Piaget >の装飾例を見れる。

右端はシーザー風ナポレオンを頂く Colonne の基部。

ショパン最後の家だった現< CHAUMET >の例(右端)。左端は PIAGET。テントは据付け工事用。

エッフェル塔百態 79  大河の泉/コンコルド広場

   depuis  2001

ノエルと新年に向けての準備が整い、
多くの観光客とパリ市民で賑う薄暮のコンコルド広場から見るエッフェル塔。

手前に写っているのは、
広場にある二つの噴水のうち<大河の噴水 Fontaine des Fleuves>と呼ばれるもの。

広場の設計をしたのは アンジュ=ジャック・ガブリエル Ange-Jacques Gabriel (1698-1782)だが、
オベリスク/クレオパトラの針を挟んでセーヌ川側の<海の噴水  Fontaine des Mers >と対で噴水を配置した(1836)のは ジャック・イニャス・イトルフ  Jacques Ignace Hittorff (1792-1867) だ。

パリ1区と5区の区役所、パリ北駅、フランツ・リスト広場の Église Saint-Vincent-de-Paul も彼の作品。

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昨25日の昼は<フェルメット・マルブフ 1900>で星川君のパリ個展の成功裡での終了を祝した。来月のノエルまで暫しパリとお別れだ。

パリの街燈 réverbère 10                   エリゼ宮 Palais de l’Élysée

   depuis  2001

エリゼ宮の街燈。  フォーブル・サントノレ通りの街燈が付いていないのは当然だ。

パリの街燈/エリゼ宮

エリゼ宮殿はアーマンド・クロード・モレ Armand-Claude Mollet の建築による1722年完成の古典主義の建物で、1873年(1870年から第3共和政)以降大統領官邸となった。

ポンパドール夫人(1753-64?)やナポレオン1世と皇后ジョセフィーヌ(1805)の邸宅であったこともある。

パリの街燈 réverbère 9 フォーブール・サントノレ通り

   depuis  2001

フォーブール・サントノレ通り Rue Faubourg Saint Honoré 、サントノレ通りの街燈は通りが狭いので沿道の建物に吊下げ型で付置されている。
写真はフランス内務省横の例で、左下に内務省の街燈も見える。

フランス革命後の1790年にルーブル宮にあった内務省は1861年に現在の オテル・ド・ボーヴォ Hôtel de Beauvau(1770竣工)(門扉の後方)に移った。

パリ西部の200人余りの小さな町マルセイユ Beauvau の騎士の後裔であるボーヴォの元帥 Le maréchal de Beauvau が1770年に名付けて賃借した。

手前のエリゼ宮との間、5本の道路が集まるロータリーはボーヴォ広場 Pl. Beauvau という。

パリの街燈/フォーブル・サント・ノーレ

門扉はルイ15世様式(風) ferronnerie Louis XV 。柱(列柱)はトスカーナ風。

パリの街燈 réverbère 8   クレマンソー広場

   depuis  2001

クレマンソー広場 Place Clemenceau の街燈。

オテル・ド・ヴィル広場と同一のもの、シャンゼリゼ大通りのもの、メトロの街燈、 マルセル・プルーストの並木道 Allée Marcel Proust (プルーストは<失われた時を求めて>の作者でカフカとともに20世紀を代表するフランスの作家)の街燈と広場の高い街燈の5種が見える。

手前がウィンストン・チャーチル大通りで並木道の左にグラン・パレがあり、左右の通りがシャンゼリゼ大通りでその向こうも並木道だ。広告塔では2012年秋の催し案内がされている。

パリの街燈/クレマンソー広場

パリの街燈 réverbère 7  アルマ橋 Pont de l’Alma

   depuis  2001

アルマ橋の街燈。

低い交通標識のようなのがアルマ橋の街燈で左手橋詰のレジスタンス広場の街燈でもある。高い方が右岸橋詰のアルマ広場の街燈

  Ukraine Flag Turkey Flag Tunisia Flag アルジェリア 国旗

橋脚の像は勢力の衰えたオスマントルコの利権をナポレオン三世のフランス、ヴィクトリア女王のイギリス等の同盟軍がロシアと争ったクリミア戦争(1853-56)で活躍したズアーヴ兵 zouaves (アルジェリア人、チュニジア人で編成したフランス陸軍歩兵)だ。

フランス軍はこの外人部隊でクリミア半島での最初の戦いである<アルマの戦い(1854)>に勝利した。旧アルマ橋はその勝利を記念して架けられた(1854-56)。

戦後、仏英の発言力は高まり、サルデーニャ王として参戦したヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は5年後の1861年にイタリア統一を果たす。

1910年のセーヌ川の歴史的な大洪水時にはズアーヴ兵の肩まで水位が上がったという。

Georges Diebolt (1816-61) の作品(1858)。

  • 2016.06.02.のセーヌ川
-6キャプチャ.PNGアルマ橋
Statue de Zuavues / Pont de l’Alma / La Seine

パリの街燈 réverbère 6  ヴァンドーム広場

   depuis  2001

ヴァンドーム広場 Place Vendôme の街燈

背後はオテル RITZ の玄関口でその門燈も写っている。

下は広場入口角の街燈。後ろは法務省。

パリ市庁舎前の街燈と同じだが、この写真でパリの市章がついているのが分かる。

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右上の写真で、金色の王冠の下にダブルエルLL。左にフル―ル・ド・リス。

パリの街燈 réverbère 5                     アレクサンドル3世橋 Pont Alexandre III

   depuis  2001

アレクサンドル3世橋 Pont Alexandre III の街燈。
<ピラミッド広場のジャンヌダルクの騎馬像>の作者、
エマニュエル・フレミエ Emmanuel Frémiet (1824-1910) の装飾デザイン。

左岸上流側から右岸を見たもので背後はCours de la Reine の緑道と
左にグラン・パレ右にプチ・パレの建物。

クール・ラ・レーヌは1616年にマリー・ド・メディシスにより造られたパリ最古の緑地公園でコンコルド橋からアルマ橋の間が女王の間と呼ばれていた。第一次大戦時以降アンヴァリッド橋下流区間は同盟国ベルギーの国王の名を付けクール・アルバートI世となる。

左端にアンヴァリッドから橋を越えてクール・ラ・レーヌまで続く街燈も見える。

ロータリーとモニュメント 69  コスタ・リカ広場

   depuis  2001

コスタリカ広場 Pl. de Costa-Rica のモニュメントは円形の花壇と時計付きの街燈だ。

正面真っ直ぐがパッシー通り Rue de Passy でオスマンによる三角形公園であるラヌナグ公園を経てブーローニュの森に至る。周辺は日本の駐在が多く住む高級住宅地だ。

左の Rue Raynouard  を暫く行くと<バルザックの家>が、反対に真っ直ぐロータリーを越えて Rue Bennjamin Franklin を行くと直ぐ<クレマンソー記念館>がある。

7本の道路が集まっているので通りの名前を確認するのが賢明だ。

バルザックの家がわざわざ急な崖地にあるのは債権者からの逃げ易さを重視したためだったといわれている。

Pl. de Costa-Rica

メトロ   - PDF - 新規ウィンドウ地図地下鉄ライン6をダウンロード Passy 駅下車。

メトロはセーヌ川を高架で渡ってパッシー駅から直ぐトンネルに入り広場のはるか下を通っている。つまりここは相当な高台なのだ。

パリの街燈 réverbère 4                      コンコルド広場 Pl.de la Concorde

   depuis  2001

エトワール凱旋門からシャンゼリゼ大通りを下って終点のコンコルド広場には複数の種類の街燈がある。広めに俯瞰すると・・・

金色の<クレオパトラの針>と呼ばれるオベリスクがシャンゼリゼ大通りからの中心で、シャンゼリゼはグラン・パレの方向に街路樹の切れ目のところを右斜めに走る。

手前2連の街燈はリヴォリ通りのもの(広場は擁壁から右)でオテル・ド・ヴィルのそれと同タイプ。その右の街燈がシャンゼリゼ大通りの街燈と同タイプ。
金色の街燈はコンコルド広場だけのもの。

コンコルド広場に設置されている金色の吻側・燭台型街燈。ヒットルフ Jacques Ignace Hittorff (1792-1867)の作品。左端の噴水/海の泉の左がシャンゼリゼ大通り。

ツール・ド・フランスの周回コースはシャンゼリゼからこの噴水の左へセーヌ河岸に出て、右のほうからシャンゼリゼに入る。街燈の手前は金色のゲートを通ってチュイルリー公園だ。

下はシャンゼリゼと同タイプの3連街燈。オベリスクから左端の方角にシャンゼリゼ。

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暗くなると。。。

パリの街燈 réverbère 3             シャンゼリゼ大通り Av. des Champs-Élysées

   depuis  2001

シャンゼリゼ大通りの街燈は二段構えになっている。

プラタナスの葉陰に収まる昔ながらの街燈とプラタナスの街路樹を上回る高さの新式の街燈の2層構造だ。

右はシャルル・ド・ゴール広場と同じタイプの低層街燈で、背景はシャンゼリゼに面する クルチザンヌのパイヴァ公爵夫人の館 Hôtel de la Païva 。右側がエトワール凱旋門。

左は左端に凱旋門のシャンゼリゼ大通りで、刈り込まれたプラタナスの下に右上の街燈が、プラタナスの上には今風のデザインの街燈が見える。街路樹の右側はシャンゼリゼの広い歩道になっているのだが、街燈はよくみると二股になっていて同じものが歩道側にもあることを窺える。

パリの街燈 réverbère 2  凱旋門 Arc de Triomphe

   depuis  2001

シャルル・ド・ゴール広場の街燈の一つ。

オテル・ド・ヴィル広場の街燈と同種のデザインだが少し異なる。

背景は エトワール凱旋門 Arc de triomphe de l’Étoile で、手前がシャンゼリゼ大通りでアーチを潜ればグランド・アルメ大通り。

レリーフは<1810年の勝利 Le Triomphe de 1810>と名付けられているもので、オステルリッツの戦いでのナポレオンの勝利を表す。

Arc のEU 旗とフランス国旗は EU発足15周年記念 のため。

下の街燈は別タイプの新しい街燈で左に比して高さが著しく高い。背後のレリーフは左と同じ。

パリの街燈 réverbère1  パリ市庁舎 Hôtel de Ville

   depuis  2001

パリの街中にはいろいろなデザインの街燈 réverbère があります。

それぞれが風景に溶け込んでいますので、街燈に目が行く人は少ないかもしれません。

そこで、街燈だけに注目して紹介してみることにしました。

まずは オテル・ド・ヴィル Hôtel de Ville パリ市庁舎の街燈からです。

背後の建物が市庁舎で、時計の下に左から<自由・平等・友愛>の文字が見えます。また、左の市旗と国旗とユーロ旗の下には<たゆたえども沈まず>の市章を見ることができます。
なお、樹木は
2008年8月のテンポラリーな造作(パリ・プラージュと同趣旨でヴァカンスのため)。

2008年は EU 発足15周年 でした。

ロータリーとモニュメント 68  ディアギレフ広場

   depuis  2001

バレエ・リュス Ballets Russes の創設者で芸術プロデューサーだった
セルゲイ・ディアギレフ Serge de Diaghilev (1872 – 1929 )の名を冠した
ディアギレフ広場  Pl.Diaghilev はオペラ座の裏手にある。

1906年のプチ・パレに始まりオペラ座やシャトレ座で絵画展、音楽会、バレエ公演等をロシアの芸術家を使ってプロデュースしパリを中心に活動し成功を収めた。

例えば、リムスキー・コルサコフ、ラヴェル、ラフマニノフ、スクリャービン、プロコフィエフ、ストラヴィンスキー、チャイコフスキー等ロシアの作曲家を世界に紹介した。

フランスでは、ピカソ、マチス、ローランサン、ドビュッシー、ココ・シャネル等も関った。

Pl. Diaghilev

6道路が交差し混雑が常態のロータリーで、モニュメントは植木鉢と街燈。

左の建物がオスマン大通りに面する <ギャラリー・ラファイエット Galerie Lafayette >、
右がオペラ座の裏。

真ん中の建物はいわゆるオスマン様式のそれで2層(3階と6階)のバルコニーがある。

一般的にオスマン様式といわれるアパートは、日本風でいうところの3階と6階部分にバルコニーがついているタイプのもので、不動産市場でも高く、人気があります。

エッフェル塔百態 74  カルーゼル公園

   depuis  2001

カルーゼル公園 Jardin du Carrousel からのエッフェル塔。

前の人の流れは左手のカルーゼルの凱旋門から右手のチュイルリー公園へ、
あるいはその逆の動き。

手前の植え込みは迷路のようになっている。

公園内では複数の<マイヨール Aristide Maillol の彫像>を見れる。

写真では左手に Aristide Maillol 、右手に Le vase Médicis 。

Tour Eiffel / Jardin du Carrousel

少し右方向に移動して振り返ると。。。

中央にマイヨールの Air と題する作品、背景はルーブル美術館で左がリシュリュー翼、右がドノン翼、奥がシュリ―翼、彫像の右にカルーゼルの凱旋門。灌木の植え込みが迷路。

Jardin du Carrousel / Aristide Maillol

エッフェル塔百態 73  オステルリッツ橋

   depuis  2001

ヴァルベール広場 Pl. Valhubert 前のセーヌ川に架かるオステルリッツ橋からのエッフェル塔。

セーヌ川の下流方向を見ていて、
左の左岸側にオステルリッツ駅 Gare  d’Austerlitz 、パリ植物園があり、右岸を直ぐ右折してディドロ大通り Bd.  Diderot に入ればリヨン駅 Gare de Liyon 前だ。

真ん中にエッフェル塔、左にパンテオン、そして右にパリ・ノートルダム寺院(シテ島)という配置で、下流に見える橋はサン・ルイ島に架かるシュリ―橋だ。

サン・マルタン運河は下流右岸直ぐのところから始まる。

ジュシ―タワー Tour Jussieu (Tour  Zamansky)と呼ばれる高層の建物と前、
横の建物はパリ第VI大学。、

ロータリーとモニュメント 63  ケベック広場

 depuis 2001

サン・ジェルマン・デ・プレ教会横のケベック広場 Place du Québec のモニュメント。
最近修復された。

地震でタイル舗装が隆起し地下水が噴き出ているようなオブジェなので、清掃を欠かせない。

左右に横切るのがサン・ジェルマン大通り  Bd. St-Germain で、モニュメントに沿って左からレンヌ通り Rue de Rennes が合流し、右からボナパルト通り Rue Bonaparte が教会前のサン・ジェルマン・デ・プレ広場 Pl. St-Germain des Prés  へ突き抜ける。さらに真っ直ぐ進めばボザールの横を通ってセーヌ川に出る。

左端に見えるのがレ・ドゥ・マゴ Les Deux Magos でその左のカフェ・ド・フロール Café de Flore とともにサルトルのカフェとして有名な老舗カフェだ。

Pl. du Québec

 

 Canada Flag

パリで好きな現代アートがおいてある広場のひとつです。記事にあるとおり、ブロンズでできたFontaine(泉)となっていて、1984年にケベック州から寄贈されました。その後1980年にこの広場はケベック広場の名称で呼ばれることとなりました。建築家アルフレッドGindre と彫刻家チャールズDaudelin とによる作品で、噴水は、セントローレンス川で春に崩壊する氷塊を表現しています。探検家ジャック·カルティエのカナダ発見450周年の記念。ブルトン人カルティエの胸像はカナダ広場にあります。

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デ・プレ教会(右端)横のサン・ジェルマン大通りから見た両カフェ。2008.02.07.

Les Deux Magots / Café de Flore

レ・ドゥ・マゴには数回はいったことがありますが、カフェ・ド・フロールはまだありません。カフェ・ド・フロールのほうが最近は、若い人に人気のような感じです。日本人のギャルソンもいるようですよ。カフェ・ド・フロールの隣には日本食屋さん、円があります。

エッフェル塔百態 72                         ロータリーとモニュメント 62  レジスタンス広場

   depuis  2001

アルマ橋の左岸詰の レジスタンス広場 Place de la Résistance には5本のアヴェニューと1本のルーが集まる。RER の Pont de l’Alma の駅もある。

右側にセーヌ川が流れていて、アルマ橋を渡れば自由の炎のモニュメントのあるアルマ広場だ。

広場から緑の間を少し下流へケ・ブランリィ Quai Branly を行けばシラクの<ケ・ブランリィ美術館>だ。

ロータリーとモニュメント 6  レピュブリック広場

   depuis  2001

長方形ロータリーの レピュブリック広場  Place de la République

タンプル通り Rue du Temple & Rue du Faubourg du Temple が
中央を横切っている双子ロータリーだ。

広場にはホームレスなどもいるので、
この辺りではキョロキョロ・ウロウロしないのが賢明だ。

2012年2月現在、広場の改修中。終われば、観光客を取り戻せるかも。

1879年に第三共和国の発足(1870年)を記念して設置されたモニュメント。

フランス共和国を寓意する<マリアンヌ>の像を<自由><平等><友愛>を象徴する3つの像が支え、さらにそれらを1789年のフランス革命時のテニスコートの誓いやバスティーユの襲撃など12のレリーフが支える設計になっている。
加えて、勇気を暗示するライオンを正面に配している。

右が自由の女神像で左手で自由の炎をかざしている。左が平等の像で右手に三色旗を持っている。マリアンヌが右手でかざしているのは平和を表すオリーブの木、
被っている帽子は自由を表すフリジア帽だ。

建築家と彫刻家のモーリス兄弟の作。

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2012年8月現在の広場の状況。

マリアンヌ像の左右の交通も遮断し広場全体を囲っての大改修中で、ロータリーの通行もこれまでとは全く違っている。もともと分かり難いのに変更されたバス停を覚えるのに一苦労だ。

看板に描かれている完成後の広場の予想図をみると、
横断する道路を廃して左右一体の大広場となるようだ。

工事期間は、2012年1月から2013年春までとなっている。

パリの他例から察すればきっと遅れることだろう。

Pl. de la République /2012.08.05

改装工事は終了し、バリアフリーの大広場として再生した。  2013.07.28.

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ロータリーとモニュメント 47  ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼ

   depuis  2001

   ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼ Rond- Point des Champs-Élysées のモニュメントは6つの噴水と四季折々の花で彩られた花壇とマロニエの樹々だ。
ただここ数年噴水が出ているのを見た記憶がない。

チュイルリー公園やベルサイユ宮殿の造園家、
ル・ノートル Andre le Notre  (1613-1700)  の作 (1670) 。

拡大して見て欲しいが、シャンゼリゼ大通りの左右に花壇が見えるところが ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼ で、地下はメトロ1号線Télécharger le plan Métro Ligne 1 - PDF - Nouvelle fenêtreと9号線Télécharger le plan Métro ligne 9 - PDF - Nouvelle fenêtreのフランクリン・ドラノ・ローズヴェルトの駅になっている。

左は2011年8月

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右は2011年4月

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このロータリーの正式名は Rond- Point des Champs-Élysées-Marcel Dassault (シャンゼリゼのロータリー:マルセル・ダッソウ)と長いのだが、マルセル・ダッソウは第一次世界大戦で使用されたフランス軍のプロペラ機を発明した航空実業家で第二次世界大戦後にはフランス一の軍用機メーカを設立した人物だ。第二次大戦占領下のフランスでドイツの協力要請を拒否したことでも知られる英雄でもある。

2012年8月4日

建物は最上段の写真でシャンゼリゼ大通りとロータリーとの角の建物。

Rond- Point des Champs-Élysées

エッフェル塔百態 71               ジョルジュ・サンド/ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ

   depuis  2001

パリ16区のジョルジュ・サンド通り Rue George Sand と ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ通り Rue Jean de la Fontaine との交差点から見えるエッフェル塔。

ジョルジュ・サンドはショパンやリスト等と浮名を馳せた誰もが知る女流作家で、銘板には< ジョルジュ・サンドとして知られるオーロール・デュパン Aurore Dupin (本名) 1804-1876  / 作家 >とある。

写っている通りはジャン・ド・ラ・フォンテーヌ通りで、交差するジョルジュ・サンド通りを左に行くと直ぐ Villa George Sand がある。

もう一方は、<すべての道はローマに通ず>でも、また、寓話詩人としても知られる(カラスとキツネで紹介した)ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ Jean de la Fontaine  の名を冠したもので、< ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ  Jean de la Fontaine  1621-1695 / 寓話作家 >とある。

エッフェル塔百態 70  ラ・フェルメット・マルブフ1900

   depuis  2001

アールヌーボースタイルのレストラン <ラ・フェルメット・マルブフ1900> の正面から見えるエッフェル塔です。

街灯の建物がレストランの正面右側でマルブフ通りに面しています(Marbouf  は17世紀のバロック詩人の名です)。

左右の道をレストランに沿って右すぐにジョルジュ・サンク大通り、また、マルブフ通りを直進すれば写真の左の建物がジョルジュ・サンク大通りに面しています。

ところで、この美しいアールヌーボー式のレストランは、Langham邸のダイニングがベースとなっていて、今はSalle 1900という名称がついています。

1898年に当時の若い才能あふれる建築家と画家がこの館のダイニングの改装を手がけたのですが、長い間そのまま放置され、約80年ほどのときを経て1978年に建物に再び手がはいった際に、壁を壊したところ、このアールヌーボー式のキッチンが当時の形のままで見つかったという、なんとも御伽噺のようなストーリーがかくされているのです。

1993年にこの建物は歴史的建造物として登録されましたが、1982年に以前の姿を知るある紳士がこのSalle 1900をみたいとたずねてきた際に「まったく当時と同じだ!」と驚愕したそうです。

5000枚ものタイルをはめなおして行われた大改装工事の末、1898年そのままの姿でよみがえったレストランでは、手ごろな価格で定番のフランス料理が美味しくいただけます。

レストラン内部の様子は単調な造りでありませんのでなかなかお伝えするのが難しいです。。

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本日とったランチは、menu du marché  ( Entrée + Plat )  23.5 euros で、

前菜・メインとも3品から選べます。

前菜はガスパッチョ・サラダ・ムール貝、メインは生牛肉のタータル・鴨・鮭と鱈のグリルのそれぞれ3品です。

2012.08.19

天井

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エッフェル塔百態 69  アンリ4世騎馬像

   depuis  2001

シテ島(ポン・ヌフ橋)上のアンリ4世騎馬像 Statue équestre d’Henri IV を右端に、真ん中にフランス学士院を重層したエッフェル塔。

フランス学士院とエッフェル塔を除けば写っているのはすべてシテ島上。

騎馬像の向こうはシテ島の下流端の緑地  で、階段を下りると ポン・ヌフ公園 Parc du Ponu Neuf 。セーヌ河畔にも出られ、バトウ・ムッシュの乗船場でもある。

ポン・ヌフの起工はアンリ3世の治世だが、アンリ4世治世の1607年に竣工した。

台座にはラテン語で HENRICI MAGNI とあるが、これはアンリ4世の愛称である大アンリ Henri le Grand の意味だ。

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エッフェル塔の左に街燈とその足元に<ヴェリブ Vélib’>の貸し出し所が見える。

ロータリーとモニュメント 60  Michel Debré 広場

   depuis  2001

セーブル通りなど6本の道が交差する  Michel Debré 広場  Pl. Michel Debré  は                                                                          赤十字の交差点 Carrefour de la Croix Rouge と呼ばれていた。

カルフール  Carrefour は世界に展開するスーパーマーケットとしてお馴染みの名詞だ。

広場のモニュメントは彫刻家 César のケンタウルス Le Centaure ( 1985 ) だ。

フランス文化省が製作を依頼した。

右に見えているのがセーブル通りで、左奥の緑の先が Le Bon Marché 。

Pl. de la Croix Rouge

 Michel Debré (1912-96 ) はレジスタンスで、
戦後のド・ゴール政権下で大臣・首相を務めた。

ロータリーとモニュメント 59                    スターリングラード攻防戦広場

   depuis  2001

スターリングラード攻防戦を記念して命名された広場 Pl. de la Bataille de Stalingrad のモニュメントは Rotonde de la Villette (ラ・ヴィレットの円形建物)だ。

クロード・ニコラ・ルドゥー Claude-Nicolas Ledoux (1736-1806) による建築(1784-89)。パリに入る農産物への通行税徴税のため<ラ・ヴィレットの関門>として建設された。

10本の道路とサン・マルタン運河が交錯し、運河の上流側はラ・ヴィレットのドック  Bassin de la Villette となっていてルルク運河に接続する。

Russian Federation Flag  Germany Flag     スターリングラード攻防戦は東部戦線における独ソの戦いであり、フランスが係ったわけではないが、第二次大戦の優劣を転換することになるドイツの敗北であった。

 Pl. de la Bataille de Stalingrad / Rotonde de la Villette

写真を拡大してみれば、円形建物の右に高架でメトロTélécharger le plan Métro ligne 2 - PDF - Nouvelle fenêtreが走っている。

メトロの駅は Stalingrad  で、高架のTélécharger le plan Métro ligne 2 - PDF - Nouvelle fenêtreのほか地下にTélécharger le plan Métro ligne 5 - PDF - Nouvelle fenêtreTélécharger le plan Métro ligne 7 - PDF - Nouvelle fenêtre

パラソルが見えているのはこの辺り一帯が<パリ・プラージュ/ラ・ヴィレット Paris Plages / La Villette>だからだ。セーヌ川右岸側の河原だけではないのだ。

写真左手を流れるサンマルタン運河はこの部分で閘門になっているが、閘門をまたぐ橋上から上流のラ・ヴィレットのドックを望んだのが下の写真。奥にトラムウェイ T3b 。

近年この一帯は再開発されドックは大改修されて、水辺に展開する人気のゾーンとなっている。この時期はパリ・プラージュ/ラ・ヴィレットとなっていてパリに居ながらヴァカンスを味わえるというわけだ。

Bassin de la Villette

ロータリーとモニュメント 58  ヴァルベール広場

   depuis  2001

ヴァルベール広場 Place Valhubert にはモニュメントはいらない。

広場に面して植物園 Jardin des Plantes とオーステルリッツ駅 Gare d’Austerlitz が広がり、セーヌ川には オーステルリッツ橋 Pont d’Austerlitz が架かる(両方の写真の左側手前)。

オーステルリッツとは、皇帝ナポレオンが1805年2月にオーストリア帝国とロシア帝国の連合軍に勝利した    3帝戦と呼ばれる<オーステルリッツの戦い>に因んだものだ。 Czech Republic Flag(現在)

広場の名の ヴァルベール はその戦いで負傷し41歳で亡くなった将軍。
勿論、凱旋門にも名が刻まれている。

ヴァンドーム広場の Colonne Vendôme は戦利品の大砲で建造された。

Pl. Valhubert / Jardin des Plantes

上は植物園、下がオーステルリッツ駅。

オーステルリッツ駅はリモージュ、トゥールーズ方面行きのパリ駅だ。

Pl. Valhubert / Gare d'Austerliz

斜め右へオピタル大通り Bd. de l’Hôpital を進めばイタリア広場 Pl. d’Italie へ一直線だ。

ロータリーとモニュメント 57  オペラ広場

   depuis  2001

オペラ座の前の オペラ広場 Place de l’Opéra  には7本の道路が集まり、
常時観光バスなどで混雑している。

観光バスのいるところがカプシーヌ大通りで、オペラ広場を直角に横切る。

Opéra Garnier-5

反対にオペラ座の前から整然としたオスマン様式の建物の連担するオペラ大通りを見ると・・・

前の人だかりのところはメトロ・RERの出入り口で、その間で車の見える

左右の道路が カプシーヌ大通り Bd. des Capucines 。左の建物斜めにRue du Quatre Septembre,右の建物斜めにヴァンドーム広場に至るぺ通り Rue de la Paix。

突き当りはアンドレマルロー広場で、その向こうがルーブル宮。

Av. de l'Opéra

ルイ13世騎馬像 / ヴォージュ広場

   depuis  2001

パリで最も古い橋は皮肉にも新しい橋ポン・ヌフであることはすでに紹介したが、パリで最も古い広場が ヴォ―ジュ広場 (1605-1612) だ。

いずれもフランソワ1世と並んで最も人気の高いフランス王アンリ4世の治世(1589-1610)の建造物だ。

この広場にアンリ4世の後のルイ13世の像が建てられたのが1639年で当初はCharles Dupaty (1771-1825) 作のブロンズ像だった。

ヴィクトワール広場 のルイ14世の騎馬像ともどもフランス革命後に取り壊されたが、1829年11月4日に現在の像に建て替えられた。Dupaty と Cortot によるマーブルの作品。

ヴォ―ジュ広場 Pl. des Vosges の周りは王の館(下写真上)、王妃の館(下写真下)を含め四角にコリドール付きレンガ造りの36の館が取り囲んでいる。

写真の樹木はマロニエだが、枯葉が舞う9月も風情がある。
広場に面する回廊も随分綺麗になってきた。

ヴィクトル・ユゴーが住んでいたところが
<ヴィクトル・ユゴー美術館> になっている(下写真上左奥)。

王の館

王妃の館

ロータリーとモニュメント 55  ロシャンボー広場

   depuis  2001

ロシャンボー広場 Place Rochambeau  のモニュメントは

アメリカ独立戦争の終盤の1780年7月にフランス遠征軍の最高司令官(当時中将)として参戦した

ロシャンボー元帥 Maréchal Comte de Rochambeau の立像、Fernand Hamar (1869–1943)の作(1933))だ。

翌1781年10月、大陸軍のワシントンとともに天下分け目のヨークタウンの戦いでコーンウォリス侯爵率いるイギリス軍を破った。

この戦いでは海上封鎖したグラース提督、ラファイエットの陸軍部隊も勝利に貢献した。

ロシャンボー伯爵はこの功績でアメリカ建国の父の一人に数えられている。

台座右横には<フランス軍最高司令官/1781年10月19日ヨークタウンの奪取を記念して/アメリカ独立戦争/1775-1782>とある。

<ガリエラ美術館>はこのロータリーに面してある。

エッフェル塔百態 62  ガリエラ美術館

   depuis  2001

<ガリエラ美術館 Musée Galliera (モード・衣装美術館 Musée de la Mode et du Costume )> 前からのエッフェル塔。中に入れば全景を撮れるのだが閉館中だった。またの機会にしよう。

Tour Eiffel / Musée Galliera

..

.ガリエラ公爵夫人はジェノバの貴族出身で、同じく貴族出の夫がオルレアン鉄道(パリ駅が現オルセー美術館)社長など鉄道事業や金融業で成功、巨万の富を得た。

7月革命(1830)直後の夫の死にともなう相続財産の保全に追われることになった。

ガリエラ美術館もその一つでモードの変遷・歴史に興味ある方には見ごたえがあるでしょう。

ガリエラ宮殿 Palais Galliera がルネッサンス様式で建てられているのはジェノバ出身の証し。

朝市のプレジダン・ウィルソン大通りで<市立近代美術館  Musée d’Art Moderne de la Ville de Paris >の入っているパレ・ド・トキョー Palais de Tokyo と向き合っている宮殿裏の庭側(一部は公園として開放されている。)から見ると・・・

Palais Galliera

 Palais de Tokyo の名は宮殿の面するセーヌ川沿いの河岸道路(第二次大戦後ニュー・ヨーク大通りと呼ばれている。)を第一次大戦大戦勃発以降同盟国の日本をさしてトキョー大通りと呼んでいたことによる。

ロータリーとモニュメント 52  ル・コルビジェ広場

    depuis  2001

ラスパイユ大通りにセーブル通りとバビロン通りが交差する ロータリー < セーブル・バビロン>に ル・コルビジェ広場 Pl. Le Corbusier がある。

ブシコー公園  Sq. Boucicaut に面して ル・ボン・マルシェ と ホテル・ルテシア が位置する。

また、セーブル・バビロンの交差点手前すぐのセーブル通りに アルニス と エルメス が向かい合っている。

写真の中央、公園の向こうに ル・ボンマルシェ  Le Bon Marché 、左がセーブル通り(交差点を突き抜ける)、右がバビロン通り、左右にラスパイユ大通り。

写ってはいないが左角にルテシア、交差点手前左にエルメス、右にアルニス。

(追)アルニスは2013年6月15日に閉店した。

Pl. Le Corbusier

広場の名称である ル・コルビジェ Le Corbusier (1887-1965)  はフランス・スイスをはじめ世界で多くの作品を残した近代建築の巨匠。スイス人だがセーブル通りに事務所を構えていた。

東京の国立西洋美術館が彼の作品であることをご存知の方は多いだろう。

航空機の機体をイメージした奇抜なブラジルの首都ブラジリアの都市計画でも有名だ。

オテル・ド・ヴィル広場の冬の夜

    depuis  2001

パリ市庁舎前の広場であるオテル・ド・ヴィル広場 Pl. de l’Hôtel de Ville では年中各種のイヴェントが催されているが、冬はスケート場になっている。

クリスマス時のニューヨーク・ロックフェラーセンターほど規模は大きくないようだが、早い夜ともなると市庁舎のイルミネーションが映えてヒューマンスタイルなところが何とも心地よい。

撮影ポイントは市役所正面の Av. Victoria 勝利の道だ。

正面左の噴水のところにはピラミッドが、リヴォリ通りを挟んでBHVが、また、右に目を向けるとノートルダム寺院のライトアップが観光客の目を楽しませてくれる。

Pl. de l'Hôtel de Ville

Pl. de l'Hôtel de Ville-2

ロータリーとモニュメント 51                    サン・ミッシェル広場 / Fontaine Saint Michel

   depuis  2001

オスマンのパリ改造計画の一環をなすサン・ミッシェル大通り Bd. Saint MIchel (写真左)とセーヌ川(写真手前)との交差部に設置された
サン・ミッシェル広場 Place St-Michel のモニュメントが Fontaine Saint Michel だ。

シャトレ広場で対をなすシャトレ劇場とパリ市立劇場の建築設計をした
ガブリエル・ダビウ Gabriel Davioud の設計で、
中央アーチで悪魔を踏みにじっているのはもちろん大天使ミカエルだ。

彫刻はフランシスカ・デュレ  Francisque Duret (1804-65) の作、
<Saint-Michel terrassant le dragon>。

噴水の両脇に配された一対の翼竜の彫刻家は
パイヴァ侯爵夫人の館の暖炉に彫刻を施したアンリ・アルフレッド・ジャックマール。

左右4本の石柱はコリント様式。
上部の銘板に MDCCCLX とあり、1860年に完成したことが分かる。

Pl. St-Michel

芽吹き始める PARIS / ビブリオテーク・ミッテラン

   depuis  2001

夕方には空港の今日は、ヴァンセンヌの日曜日の朝市と

Télécharger le plan Métro Ligne 1 - PDF - Nouvelle fenêtreルィイ ・ディドロ Reuilly Diderot で昨日今日の二日間開かれている骨董市を覘いてから、

バスLigne 57ライン47を使って<美麗邨酒家>でお気に入りのエビそばを始め

青梗菜・青菜・マーボー豆腐・炒飯と青島麦酒で昼食をとり、

Ligne 64でビブリオテーク・ミッテラン Bibliothèque François Mittterrand からバスLigne 325で帰宅した。

写真はシャトウ・ド・ヴァンセンヌ行きのミッテランのバス停からセーヌ川の方向を見下したものだが、アカシア(多分)の芽吹き始めが見て取れる。

因みにミッテランは元フランスの大統領の名だ。Bibliothèque François Mittterrand

ロータリーとモニュメント 49  1944年8月25日広場

   depuis  2001

ルクレール将軍 Général Leclerc が1944年8月25日にドイツ占領下のパリに電撃入城を果たしたポルト・ドレアン Porte d’Orléans が1944年8月25日広場 Pl.du 25 Aoùt 1944 だ。

Pl.du 25 Aoùt 1944 7本の道路が集中する巨大なロータリーでモニュメントは第二次世界大戦時におけるルクレール将軍下の兵士達を慰霊する台座上で北方のパリ市内を見渡す将軍の立像とその前に展開する功績碑だ。2本のフランス国旗が像の左右に配されている。

正面の通りにはルクレール将軍大通りの名が冠されている。突き当りに見えるのがネオロマネスク様式のサンピエール・ド・モンルージュ教会だ。

ロレーヌの十字架はジャンヌ・ダルクが用いたもので、自由フランス軍がこの紋章を使った。Vとダブル十字で自由フランスの勝利を表している。

Pl.du 25 Aoùt 1944 -2

ルクレール将軍(1947年にアルジェリアで死去、45歳 元帥を追贈)は1944年8月25日にモンパルナス駅でドイツの降伏文書に署名、ヒトラーの焦土作戦指令(パリは燃えているか?)を回避した。また、1945年9月2日に東京湾上の戦艦ミズリーの甲板で行われた大日本帝国の降伏文書調印式にフランス代表として署名している。最近顕彰碑が置かれた(左)。ジャンヌ・ダルクが用いたロレーヌの十字架とフランス国土の紋章( Insigne de la 2 e division blindée )は<ノルマンジー上陸作戦>時のルクレール将軍率いる第二機甲師団(フランス軍)のものである。パリに電撃入城したのも第二機甲師団だ。(転載。リンクをクリックしてください。)

ロータリーとモニュメント 48  ロン・ポアン・ドゥ・ポン・ミラボー

   depuis  2001

      ロン・ポアン・ドゥ・ポン・ミラボー Rond Point du Pont Mirabeau はミラボー橋左岸詰のロータリーでモニュメントは花壇だ。

建物中央の道路がアレジアからほぼ直線のコンヴァンシオン通りで真っ直ぐミラボー橋へ、左の建物沿いにエミール・ゾラ大通り Av.Émile Zola  、オートバイの通りはセーヌ川左岸沿いのアンドレ・シトロエン河岸道路。写真には写っていないが、右の建物沿いにもバラール通りがミラボー橋に向かってきて同様の花壇もある。

ミラボー橋左岸は元シトロエンの本拠地で今はアンドレ・シトロエン公園などになっている。

ロータリーとモニュメント 46  ヴァンドーム広場

 depuis 2001

  ヴァンドーム広場 Pl. Vendôme のモニュメントはナポレオンのオーステルリッツ(現チェコ)での戦勝記念柱だ。La Colonne とも Colonne Vendôme とも呼ばれる。

戦勝品の大砲を材料にしたPl. Vendôme-1ブロンズの浮彫がらせん状に円柱に巻きつけられ、塔頂にシーザーに扮したナポレオンの立像を配する。アウステルリッツの戦いはフランスとオーストリア・ロシアの3皇帝戦としても知られるナポレオンの戴冠式の一周年記念日にあたる1805年12月2日の会戦だ。1806年には凱旋門の建設を決定した。

リモージュ・ツールーズなどへの起点オーステルリッツ駅もこの会戦に由来する。トルストイの<戦争と平和>にも取り上げられている。広場の名はこの地が16世紀末にヴァンドーム公位を受けたアンリ―4世の妾の子セザールの館だったことに由来する。

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写真の手前がチュイルリー公園で奥はラぺ通り、JCBプラザはラぺ通りの右側にある。下の写真は台座部分。台座の右が<リッツ>。

Pl. Vendôme-2

ライトアップされると・・・

2008年のクリスマスでカスティリオーヌ通りとサントノーレの交差点付近から。

Pl. Vendôme-3

2010年のクリスマス。右に<ショーメ>左に<ピアジェ>が見える。飾り付けは毎年異なるがこの一帯は統一されている。

Pl. Vendôme-4

ロータリーとモニュメント 45  1940年6月18日広場

    depuis  2001

     1940年6月18日広場 Place du 18 Juin 1940 には特段のモニュメントは無いが、あえて言えば広場の名称そのものがモニュメントだ。

ドイツ軍の侵攻により1940年6月15日パリ陥落、ド・ゴール将軍は直ちにロンドンに亡命して、亡命政府自由フランスを結成し、対独抗戦とヴィーシー政府への抵抗をを呼びかける歴史的演説をした日である6月18日を記念したものだ。

左に見える超高層ビルがモンパルナスタワーだ。

広場正面は工事中の写真で分かりづらいが、モンパルナス大通り Bd. Montparnasse が広場を横切り、真ん前の通りがレンヌ通り Rue de Rennes でサン・ジェルマン大通り Bd. Saint Germain まで一直線の緩い下り坂だ(オスマン計画)。

尖がり帽子がゴシック様式のサン・ジェルマン・デ・プレ教会だ。

* * *

それから4年後・・

ルクレール将軍が1944年8月25日にドイツのパリ防衛軍の降伏文書に署名したのもここモンパルナス駅でだ。

ルクレール元帥記念博物館がモンパルナスタワーの向こうまで後退したモンパルナス駅にある。

25年前出張でリヨンでジュネーヴに駐在していた案内の同僚と落ち合う途中、ポルト・マイヨーから地下鉄を乗り継いでメトロのモンパルナスからSNCFのモンパルナス駅までの長い長い歩く歩道に戸惑ったことがある。日本では1970年の大阪万博で梅田に登場したのが最初だ。

ロータリーとモニュメント 42  マドレーヌ広場

   depuis  2001

ロワイヤル通り、マドレーヌ大通り、マルセルブ大通りなど8本が集まるマドレーヌ広場 Pl. de la Madeleine のモニュメントはマドレーヌ寺院(右)だが、

2009年にはテンポラリーに…..(下)     Louis Derbré(1925-2011) の作品。リュクサンブール公園のメディチの泉にあったこともある。

寺院正面の通りがロワイヤル通りで手前がコンコルド広場。下の写真は寺院裏側で、左に<フォーション>、右に<エディアール>が広場に面している。

また、ロワイヤル通りの左側には<ラリック><クリストフル><マキシム><ベルナール>などの高級店が連なっている。<バカラ>は正面左手で広場に面している。

最近ユーロ安が進んでいるがもっと円高だった頃ラリックに通い詰たのが懐かしいが、掛かりつけだったB.Y.さんはその後どうしているのだろう?景気の低迷で店舗を縮小してから久しい。

マリアージュ・フレール>のお店もエディアールの横にあります。ただしマドレーヌ店はブティックのみ。サロン・ド・テはないので、お茶をしたい場合はフォーションか<ラデュレ>となりますか・・

* * *

マドレーヌ寺院の正面からブルボン宮を見ると(2006年8月)・・ロワイヤル通り Rue Royale

ロータリーとモニュメント 41  ドミニカ共和国広場

     depuis  2001

   クールセル大通りを合わせ7本の道路が集まる ドミニカ共和国広場 Place de la République Dominicaine のモニュメント。現在はモンソー公園 Parc Monceau が完全に交通遮断されていて写真のようにモニュメント/ロタンダ(円形の建物)La rotonde の真ん中に囲障柵がある。

新古典主義の建築家クロード・ニコラ・ルドゥー Claude-Nicolas Ledoux (1736-1806) による建築。パリに入る農産物への通行税徴税のために<シャルトルの関門 Barrière de Chartres >として建設された(1785-88)。

Pl. de la République Dominicaine

モンソー公園内からの写真でゲートの前が広場。モニュメントは無料トイレとして使用されている。

モンソー公園は土地の一部を資産家に売却することによって公園整備と合わせて周辺の超高級住宅地を実現したことで有名。代表例が Nissim de Camondo で、銀行家としてフランスに貢献しながら助けることができず家族をアウシュビッツで失うこととなったユダヤ人迫害の悲劇を邸宅 (ニシム・ド・カモンド美術館  Musée Nissim de Camondo) で偲ぶことができる 。

邸宅はアール・デコ、ニシムは第一次大戦で戦死した息子の名。恨みつらみを越えてフランスに寄贈しているのだから素晴らしい。

***

モンソー公園の出入り口の鉄柵はサンミッシェルやフランソワ1世広場の噴水等を手掛けた折衷主義の建築家、ガブリエル・ダヴィウ Gabriel Davioud (1823-81)の作品。

Parc Monceau-1

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ロータリーとモニュメント 40 ジャック・リュフ広場

   depuis  2001

シャン・ド・マルス公園 Parc du Champ de Mars の中にあるカルーゼル広場と同種のロータリー、ジャック・リュフ広場  Pl. Jacques Rueff のモニュメントは花壇だ。
100メートルx 30メートル位のスケールなので右側の一部しか写っていない。

市内観光バスや観光バスが必ず通りかつ一時停車してくれる、車窓からのエッフェル塔の撮影ポイントになっている。

バスに乗ったつもりでエッフェル塔を見れば・・・

ロータリーとモニュメント 39  ユーロップ広場

       depuis  2001

 クロード・モネの<サン・ラザール駅>で有名な
サン・ラザール駅構内の橋上ロータリーである

 ユーロップ広場 Pl. de l’Europe のモニュメントは小さなビオトープだ。

広場の下はサン・ラザール駅構内の線路で手前が駅舎で前方はノルマンジー。

1837年に開業した最も古い鉄道で、ピサロのポントワーズ、シスレーのルーヴシエンヌ、モネのジヴェルニー・アルジャントゥイユ、ゴッホのオーヴェル・シュル・オワーズなど印象派の巨匠たちが制作の拠点としたのはいずれもこの沿線だ。

ロータリー(ヨーロッパ広場)には6本の道路が入っていていずれもヨーロッパ各地の都市名を冠している。右の建物沿い右にサン・ペテルスブール通り、時計回りにリエージュ通り、ロンドレ通り、ヴィエンヌ通り、マドリッド通り、コンスタンチノープル通りだ。

周辺にもローム通り、ダムステルダム通り、モスコウ通り、リスボン通り、、ブダペスト通り等多数ある。

モネの<サン・ラザール駅>はオルセー美術館にあるが、今夏のロンドン・ナショナルギャラリーで別作を鑑賞した。

ロータリーとモニュメント 38  フランソワ1世広場

   depuis  2001

  フランソワ1世通りをはじめ広場を突き抜ける3本の道路、
合計6道路が集まるロータリーである

フランソワ1世広場 Pl.François 1er のモニュメントは噴水(マドレーヌ広場の泉)だ。

シャトレ座の建築家 ガブリエル・ダビウ(1823-81)の作品(1864)。

大理石で彫刻は Théophile Murguet による。

Pl.François 1er

フランソワ1世アンヴァリッド橋の右岸詰を直進せずに斜め左のフランソワ1世通り Av.François 1er (モンテーニュ大通りを横切りジョルジュ・サンク大通りに至る)を少し行ったところだ。

フランソワ1世(写真左)は晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチをアンボアーズ城に庇護したことで知られている16世紀前半のフランス王で、ルネッサンス王 Prince de la Renaissance と別称される。

<モナ・リザ>がルーブル美術館にあるのは彼のお蔭だ。

ロータリーとモニュメント 34  アンドレ・マルロー広場

     depuis  2001

Pl. André Malraux ド・ゴール政権下の文化相として来日し今回被災した那智勝浦等も訪問したことを覚えている人も多いかと思うが、作家アンドレ・マルローの名を冠した広場 Pl. André Malraux のモニュメントは大きな噴水2基だ。

噴水は建築家ガブリエル・ダビウと複数の彫刻家の作品。

ガブリエル・ダヴィウ  Gabriel Davioud (1823-81) はオスマン男爵とパリ改造を具現化した建築家で、サン・ミッシェルやドメニルの噴水も手掛けた。

頂部に載るニンフは上が川のニンフ、下が海のニンフで、ペアになっている。

海のニンフ Nymphe marine の作者はアールヌーヴォーの先駆者の一人Carrier-Belleuse (1824-87) で、彼はロダンの師匠であったことでも有名。

川のニンフ Nymphe fluviale はマテュラン・モロー Mathurin Moreau (1822-1912) の作品。

Pl. André Malraux

オペラ大通りやサントノレ通りなど6道路が集まる。広場東端に<コメディ・フランセーズ・リシュリュー>が面している。川のニンフが載る上段の写真の右手がコメディ・フランセーズ(写真下3枚)だ。

ロータリーとモニュメント 32  ブルボン宮広場

   depuis  2001

コンコルド広場からセーヌ川の方にギリシャ様式の国民会議(フランス議会下院)、ブルボン宮が見えるが、その裏側の下院  Assemblée Nationale (Palais Bourbon) の車寄せというか小さなロータリー、ブルボン宮広場 Place du Palais Bourbon のモニュメント。

<法 La Loi> と名付けられたジャン=ジャック・フッシェル Jean-Jacques Feuchère (1807-52) の作品(1852)で1854年に設置された。

写真下はコンコルド橋からのブルボン宮。

Pl. du Palais Bourbon

Assemblée Nationale (Palais Bourbon)

エッフェル塔百態 50  旧陸軍士官学校・フォントノア広場

   depuis  2001

フォントノア広場 Place de Fontenoy  から
旧陸軍士官学校 Ecole Militaire を通してみるエッフェル塔だ。

Ecole Militaire

両者の中心軸が一致しているので、
できるだけエッフェル塔が見えるように上の写真では故意に軸をずらせて撮影している。

Ecole Militaire をエッフェル塔側からつまりシャン・ド・マルス公園から見ると・・・

Ecole Militaire

士官学校前中央にジョフリ元帥の騎馬像が置かれ、  ジョフリ広場 Place Joffre と呼ばれる。

ジョフリ元帥はエッフェル塔の下部アーチを通して トロカデロと11月11日広場 Place du Trocadero et du 11 Novembre  のフォッシュ元帥と一直線上で向き合っている。

Drouant  / ドゥルーアン

   depuis  2001

日本の芥川賞にあたるゴンクール賞(アンドレ・マルロー も受賞者の一人)の選考会場として名の通る Drouant は日本語メニューを用意しているのでお勧めだ。ただ、ヴォリュームがあるのでお腹を空かして行かれるのが良いかも。オペラ大通りを東に入ってすぐの噴水のあるガイヨン広場 Pl. Gaillon に面している。

写真下2枚目の中央アーチの部分が<ドゥルーアン>の前にある建物にはめ込まれた昔ながらの(水飲み場・水道)泉 Fontaine で、レストランの名が <La Fontaine Gaillon >だ。

Droant-1Pl. Gaillon

この日注文したアントレとプラット

Drouant-2


ロータリーとモニュメント 31  ガンベッタ広場

   depuis  2001

 6本の道路が交差する円形ロータリー、
ガンベッタ広場 Pl. Gambetta のモニュメント…噴水。

パリ20区の区役所はこの広場に面していてこの視点は区役所前からだ。
パリ市役所の車が前に停まっている。ペール・ラシェーズ墓地は左の緑のすぐ先だ。

Léon Gambetta は1870年からの第三共和制の発足と安定に内務大臣として尽力、1881年から82年にかけて77日間首相を務めた。パリ20区選出の下院議員。

ロータリーとモニュメント 28 Place de Victor et Hélène Basch

   depuis  2001

オルレアン門 Porte d’Orléans  からパリ市内に入り、
1944年8月25日広場  Pl. du 25 Août 1944  から
ルクレール将軍大通り Av. du Général Leclerc  を進んで最初のロータリーが
ヴィクターとエレヌ・バッシュ広場 Pl. de Victor et Hélène Basch だ。

地下はメトロ4号線Télécharger le plan Métro ligne 4 - PDF - Nouvelle fenêtreのアレジア Alésia で、モニュメントはヴェースに入れた棕櫚6本だ。

<パリは燃えているか?> ヒトラーのパリ焦土作戦を未然に防止し実行しなかった自由フランス軍のルクレール少将とドイツ防衛軍のコルテッツ大将とがモンパルナス駅で降伏文書を取り交わし、パリを開放した日が1944年8月25日だ。その日、ルクレールはオルレアン門 (Pl. du 25 Août 1944) からパリに入城し、アレジア、ダンフェール・ロシュローを辿ってパリ警視庁へと進軍したが、その広場と道とに記念の名を冠したものだ。

アレジアのロータリーは6本の道路が交差するのだが左右に抜けるアレジア通り Rue d’Alésia 等いずれも幹線でいつも混雑している。写真中央がルクレール将軍大通りでこの先が ダンフェール・ロシュロー広場だ。また、ネオロマネスク様式のサンピエール・ド・モンルージュ教会は歴史的建造物。

広場名になっているヴィクターとエレヌのバッシュ夫妻は1944年1月10日に殺害された。ヴィクター・バッシュはブダペスト生まれのフランス人権連盟の創設者であり哲学者で、当時の文壇の大御所エミール・ゾラが擁護したことでも知られるあの有名な<ドレフュス事件>にも関与している。

エッフェル塔百態 38  ブルトゥイユ広場

    depuis  2001

     ブルトゥイユ広場 Place de Breteuil からのエッフェル塔。

パスツールの坐像があるブルトゥイユ広場の正面はアンヴァリッドだが、左斜め45度の Av. de Saxe を見ると真正面にエッフェル塔を望める。

オスマンの設計でブルトゥイユ広場、ザックス大通りと旧陸軍士官学校、シャンドマルス公園、エッフェル塔、シャイヨー宮の中心軸とフォッシュの騎馬像とが一直線上にあるからだ。

Tour Eiffel - Place de Breteuil

エッフェル塔の足元、三色旗の掲揚されているのが旧陸軍士官学校。

並木道はザックス大通りでフォントゥノイ広場まで。

左手にユネスコ本部がある。

また、土曜日には朝市がる。

* * *

余談だが、手前の人だかりはエコなのか、健康なのか、懐具合なのか、最近流行の<バイクツアー>の連中だ。

列車やボートも組み合わせてヨーロッパを広く長期間にわたって周遊してるツアーもある。

Hôtel des Invalides - Pastuer

ロータリーとモニュメント 26  アルマ広場

   depuis  2001

アルマ広場 Place de l’Alma は8本の道路が集まる大きなロータリーだ。

シャンゼリゼ大通りと併せて黄金のトライアングルを形成するジョルジュ・サンク大通り(写真中央)とモンテーニュ大通り(写真右斜め方向)に加えて、凱旋門からのマルソー大通り、トロカデロから来るプレジダン・ウィルソン大通り(どちらも写真左斜め方向)にアルマ橋(写真手前)など大物揃いだ。

中央の尖塔はアメリカン・チャーチ American Cathedral in Paris 。

ロータリーの中心にはモニュメントは無いが周りに3つのモニュメントがある(2つは王妃 アストリッド広場)。

Pl. de l'Alma

ロータリーとモニュメント 24  ヴォーバン広場

   depuis  2001

ヴォーバン広場 Place Vauban は大型の半円ロータリーでモニュメントは二人の元帥像だが、
アンヴァリッドに位負けして影が薄い。注意して見れば左右にひとつづつ像を確認できる。

エッフェル塔は左45度の方角なのでこれらの写真では捉えられない。

ドーム Le dôme de Saint-Louis-des-Invalides  の破風に王の紋章が見て取れる(拡大すれば・・)。

Hôtel des Invalides

広場の名になっているヴォーバン Sébastien Le Prestre de Vauban (1633-1707) は、ルイ14世治世下の元帥であり、軍事(特に、要塞建設)のエンジニアでもあった。
アンヴァリッド正面右側のサルヴァドール・アジェンデ広場 Place Salvador Allende に彼の立像がある。

014012

ロータリーとモニュメント 23  カタロニュ広場

   depuis  2001

6本の道路が集まる円形ロータリー カタロニュ広場 Pl. de Catalogne のモニュメントは巨大な円形カスケードだ。パスツール大通りに向かって傾斜させた円形のカスケードだ。

Pl. de Catalogne

左へ向かう道路がパスツール大通りでこの道路の線上でエッフェル塔を望める。この地区はモンパルナス駅の数次にわたる移転、集約、改造に伴って出来上がった近代地区。モニュメントも現代的だ。評判の上がらないモンパルナスタワーも地区の一角でこの写真に見えているすべてがモンパルナス駅なのだ。

SNCF とモンパルナスタワーの線上がレンヌ通りで先はサン・ジェルマン・デ・プレだ。

ロータリーとモニュメント 21 オデオン広場/ポール・クローデル広場

    depuis  2001

    オデオン広場  Place de l’Odéon のモニュメントは オデオン座 と カフェ。

Pl. de l'Odéon

下の写真はオデオン座の裏正面で、リュクサンブール公園に面していて ポール・クローデル広場 Place Paul Claudel と呼ばれる。

ポール・クローデル(1868-1955) は駐日大使を務めたこともあるフランスの外交官で、劇作家。

オーギュスト・ロダンの弟子で、ロダンとの愛憎でも知られる 彫刻家の カミーユ・クローデル Camille Claudel (1864-1943) は姉。

9月21日から10月29日まで<ロメオとジュリエット>が上演されるようだ。

Odéon

ロータリーとモニュメント 20  フォントノア広場

フォントノア広場  Place de Fontenoy  はEcole Militaire 前の半円ロータリーで
モニュメントは Monument de la Défense Nationale  だ。

ダンフェール・ロシュロー広場ではライオンの台座に刻まれているが、
ここでは石柱そのものだ。

モニュメントは写真下右の
旧陸軍士官学校の正面を向いていてその向こうにエッフェル塔が位置する。

建物は右ウイングに陣取る世界遺産のユネスコ本部だ。

下左は各国の世界遺産を例示した看板群のうち日本の事例で宮島、
中央はユネスコ本部入り口。

ロータリーとモニュメント 19   エドモン・ロスタン広場

   depuis  2001

エドモン・ロスタン広場 Pl. Edmond Rostand のモニュメントは
<噴水 Fontaine du bassin Soufflot >だ。

 ガブリエル・ダヴィウ Gabriel Davioud (1823-81)の建築(1862)で、
Gustave Crauk(1827-1905)の彫刻(1864)。

写真手前はリュクサンブール公園、正面はパンテオン
この街燈と交通標識は被写体としては邪魔だが、街燈そのものは素敵だ。

エドモン・ロスタン(1868-1918)は舞台女優サラ・ベルナール(1844-1923)の活躍した時代に発表した戯曲<シラノ・ド・ベルジュラック>で知られる劇作家。

* * *

広場に面する<ダロワイユ DALLOYAU/Luxembourg>からの風景。

建物に沿って左から右に一直線のサン・ミッシェル大通り Bd. St-Michel 、
標識にあるように建物の間 スフロ通り Rue Soufflot を入ればパンテオン広場で、
パンテオンと5区の区役所がある。

右・黄金の柵で囲まれているのがリュクサンブール公園 Jardin de Luxembourg 。

Pl. Edmond Rostand

ロータリーとモニュメント 18   シャトレ広場

   depuis  2001

シャトレ広場 Place de Châtelet は
豪華なスフィンクスの台座に金色で目立つ彫像を乗せた泉 fontaine だ。

ヤシの泉あるいは勝利の泉 Fontaine du Palmier(ou fontaine de la Victoire)と呼ばれる。

ナポレオンがイタリア・エジプトに勝利したのを記念して
飲料用に建造(1806-08)された勝利の泉だ。

サミットに乗る金色の女神は両手に月桂樹 laurier の花輪を掲げて勝利を表している。
ルイ・ボワゾ Louis Boizot (1743-1809) 作の
<不滅 Immortalité >で、勝利 La Victoire を寓意している。

なお、円柱はパームを表す。ヤシ palme は不死/勝利の象徴だ。

オリジナルは<カルナヴァレ美術館 Musée Carnavalet> にある。

Pl. du Châtelet
Pl. du Châtelet

上の写真左の建物は パリ・シャトレ劇場 (シャトレ座) 。泉を挟んで対面に パリ市立劇場 (写真下の右の建物)がある。どちらも ガブリエル・ダヴィウ の建築だ。

右の写真で、台座の中央には月桂冠で囲まれた<カタジロワシ Aigle impérial >を置いて、ナポレオンの勝利と栄光を表している。これもルイ・ボワゾの彫刻。

その上には4つの彫像があり、慎重、節制、正義、力を寓意している。

下の写真は2008年2月の撮影で90度視点が異なるが落葉しているので広場とモニュメントが共に分かりやすい。中央右にサンジャックの塔 Tour St-Jacques が見えるがこの時点ではまだ改装工事中だ。

Pl. du Châtelet

ロータリーとモニュメント 17  ブルトゥイユ広場

   depuis  2001

   ブルトゥイユ広場 Place de Breteuil のモニュメントは狂犬病の予防接種で知られるパスツールの坐像だ。Jean Alexandre Joseph Falguière (1831-1900) の彫刻<Pasteur (1904)>で、Victor Peter (1840-1918) により完成された。

ウイルスがまだ知られていない時代にワクチンの予防接種に辿り着いた細菌学の元祖だ。

像もさることながら台座も素晴らしい。
如何に人々や家畜に慕われていたかを想像できるではないか。

像の正面はアンヴァリッド、後ろはプロムナードを経てパスツール大通りへ。メトロ  - PDF - 新規ウィンドウ地図地下鉄ライン6をダウンロード   - PDF - 地図地下鉄ライン12をダウンロード新しいウィンドウ Pasteur 駅 を右に折れると Hôpital Pasteur だ。
パスツール研究所はモンパルナス駅の西側にある。

ロータリーとモニュメント 16            サントギュスタン広場 / ジャンヌ・ダルク像

   depuis  2001

Pl. St-Augustin    サントギュスタン広場  Pl. St-Augustin  のモニュメントはジャンヌ・ダルクの騎馬像だ。

騎馬像のオリジナルはランス大聖堂前にある。

Paul Dubois (1829-1905) の作品(1895)。

このロータリは9本の道路が交差する変型交差点で非常に分かり辛く、

また、サン・ラザール駅に近接していることも手伝って交通渋滞が常態だ。

Pl. St-Augustin

上は教会の前からでサントギュスタン教会モニュメントは後ろ向き。

ジャンヌ・ダルク像は St-Augstin 教会の,真前中央だ。

教会前のマルゼルブ大通り Bd. Malesherbes はマドレーヌ広場に一直線だ。突き当りが広場。

反対に、マドレーヌ寺院のあるマドレーヌ広場から見たサントギュスタン教会が右の写真で、

上の写真からでは想像できない大教会なのだ。

上の写真では教会の大ドームが全く視野に入っていない。

ロータリーとモニュメント 15  マレシャル・ジュアン広場

   depuis  2001

マレシャル・ジュアン広場  Pl. du Maréchal Juin

は円形の大庭園となっていて Bd. Péreire の中央緑地帯であるプロムナードと一体になってポルト・マイヨー広場及び隣接するブーローニュの森に連続している。

Pl. du Mal Juin

10本の道路が集まる大きな円形ロータリー。

写真下の右奥はポルト・マイヨー広場でその左にはブーローニュの森が拡がっている。

ジュアン元帥とはイタリア広場に功績碑のあるアルフォンス・ジュアンのことだ。

Bd. Péreire-Promnade

.

広場の一角に画家 Albert Besnard (1849-1934) の胸像が置かれている。作者は彼の息子で彫刻家だった Philippe Besnard (1885-1971) 。2013.09.19.追記。

1124

ロータリーとモニュメント 14  イタリア広場

   depuis  2001

      シャルル・ド・ゴール・エトワールやナションと並んで大型で完全な円形ロータリーである

イタリア広場 Pl. de d’Italie のモニュメントは噴水とアルフォンス・ジュアンの功績碑だ。

Tunisia Flag Italy Flag ジュアン元帥は第2次世界大戦においてチュニジアのチュニス戦線とイタリアの山岳戦で名を馳せた名将だ。

像の向いている方向はチュニジアとイタリアの方向である。

噴水の向こうに見えManufacture Nationale des Cobelinているのがパンテオンで広場からゴブラン大通りが延びている。元帥の右に透けて見えるのは13区の区役所だ。

国立ゴブラン工場 Manufacture Nationale des Gobelin (写真右)がゴブラン大通りの左側にある。

建物のレリーフが素晴らしい。是非クリックして拡大してください。

ロータリーとモニュメント 13   クリシー広場

   depuis  2001

       クリシー広場  Pl. de Clichy  のモニュメントは

モンセー元帥のクリシーでの戦い(1814年3月30日)の記念碑 Le monument à Moncey だ。

Amédée Doublemard (1826-1900) の作品(1870)。

写真手前側が Bd. de Clichy クリシー大通りで、ムーラン・ルージュのあるブランシュ広場を経てピガール広場に向かう。前方の緑はバティニョル大通りで、凱旋門に一直線だ。

モンセー Moncey はパリ国家警備隊を率いてクリシーにバリアーを築いてロシア等ナポレオン包囲同盟軍と戦うも武装解除を余儀なくされ、翌日の1814年3月31日にパリ陥落・ナポレオンは退位となる。

ロシア遠征に異を唱えていた彼は王政復古政府の大臣などを歴任することになる。

ロータリーとモニュメント 12  ヴィクトル・ユゴー広場

   depuis  2001

  ヴィクトル・ユゴー広場 Pl. Victor Hugo は噴水だ。

この広場は10本の道路が集まる円形ロータリーだ。

シャルル・ド・ゴール広場からブーローニュの森に至る Av.Victor Hugo 沿いは Av. Foch 沿いと並んで超高級住宅地だ。

在仏日本大使館勤務の後輩がこの辺りの家具、調度品付の邸宅に住んでいて食事に招待されたことを思い出す。当時はフランの時代だったが家賃は日本円で50万円程度といっていた。

ロータリーとモニュメント 11                    レオン・ブリュム広場   

   depuis  2001

      レオン・ブリュム広場 Pl. Léon Blum の中心のモニュメントは・・・

オスマンのパリ改造計画の基幹の一つであるレピュブリック広場とナション広場(いずれも既 出)を繋ぐ直線のヴォルテール大通りが横切るほか7本の道路が放射する四角形のロータリーだ。正面建物に沿って右側にレピュブリック広場、左側にナション 広場だ。ビルの間のラ・ロケット通りはバスチーユに向かう。メトロ9号線Télécharger le plan Métro ligne 9 - PDF - Nouvelle fenêtreの Voltaire が広場の地下にある。

現在のモニュメントは今風のオブジェになっているが、以前は広場の名になっている Léon Blum の彫像が置かれていた。
( バスで行く区役所巡り その3 11区の写真 を参照されたい。 )

レオン・ブリュムはヨーロッパにファシズムの嵐が吹き荒れるなか1936年6月に発足した人民戦線内閣の首相であり、また第二次世界大戦後の臨時内閣の首相も務めた人物だ。

この地域から下院議員に初当選したことに因んで旧ヴォルテール広場を改称した。写ってはい ないが右側にある区役所巡りで紹介済みの11区の区役所の前庭に彫像は移設されている。ユダヤ系フランス人だったこともあり1940年パリ陥落後逮捕され ドイツの強制収容所に収容されるなど激動の人生だった。

モニュメントが夏には夾竹桃のヴェースに。右が区役所前に移設された<リオン ブリュム>像。

ロータリーとモニュメント 10  トロカデロと11月11日広場

   depuis  2001

トロカデロと11月11日広場 Place du Trocadero et du 11 Novembre のモニュメントは
FOCH の騎馬像だ。

   シャイヨー宮を通して真っすぐエッフェル塔・旧陸軍士官学校・
ジョフリ元帥の騎馬像を向いている。

Pl. du Trocadéro et du 11 Novémbre

FOCH は銘板から推測できるかも知れないが、第一次世界大戦時の西部戦線の仏英連合軍の総司令官であり、また1918年11月11日11時に交わされた休戦協定時のフランス元帥 Mareshal de France であった。

11月11日広場というのは第一次世界大戦の終戦記念広場の意だ。

隣接するパッシー墓地の壁面に <名も無き英雄たち> を称えるレリーフがある。

Pl. du Trocadéro et du 11 Novémbre

またフォッシュは銘板にあるようにイギリスとポーランドの元帥でもあったので、トラファルガー広場の近くにも FOCH の騎馬像がある。8月9日から13日までロンドンに滞在することとしているので今度は写真を撮ってこよう。(ロンドン Rondres の Foch は下に写真)

凱旋門からの Av. Foch は超高級住宅地を貫く広々とした大通りで、スエズ運河を開削したレセップスの大邸宅がブーローニュの森に向かって右側にあったはずだが・・・

よく出張するのでオルセー美術館で見れるとは限らないのだが、<草上の朝食><オランビア>で有名な マネ Manet などが眠るパッシー墓地は広場に接している。上写真のレリーフの擁壁の向こうが墓地だ。市内観光に便利な パリ・ルージュ の発着地点でもある。

セーヌ川をイエナ橋で渡河してブランリィ河岸 Quai Branly から振り返って見たシャイヨー宮である。解像度が悪くて見難いものの中央に FOCH  の騎馬像が・・そこが6本の道路が集まるロータリーだ。

* * *

United Kingdom Flag    ロンドンのFOCH  の騎馬像

ヴィクトリア駅を出て正面の公園の前にある。

ロータリーとモニュメント 9 ヴィクトワール広場   

   depuis  2001

     ヴィクトワール広場  Pl. des Victoires のモニュメントはルイ14世の騎馬像だ。

6本の道路が放射する円形ロータリー。

元々あった マルタン・デジャルダン Martin Desjardins (1637 – 1694)作の騎馬像は太陽王ルイ14世のせいだろう、フランス革命後に取り壊され王政復古後に再建されたとの記録がある。

フランソワ・ジョゼフ・ボジオ François Joseph Bosio (1768 – 1845)作。

有名なパッサージュ <ギャラリー・ヴィヴィエンヌ> のすぐ近くです。

広場の周りには若者むけのオシャレなブティックも並んでいます。

以前、正面の大通り右側にある中央郵便局の前にあった<コム・デ・ギャルソン>のお店に通ったものです。

手前に抜けると<京子食品>の面する Rue de Petit Champs  で、オペラ大通りに出るまでに<十字屋><やすべえ><来々軒><口悦>など日本料理店の多いサンタンヌ通り Rue Ste-Anne を横切る。

参照 : バスで行く区役所巡り 2区

ロータリーとモニュメント 8  イエナ広場

   depuis  2001

<ギメ美術館 Musée Guimet : Musée national Français d arts asiatiques>の面する イエナ広場  Pl. d’Iéna のモニュメントは<アメリカ合衆国の初代大統領 ワシントンの騎馬像>だ。

周辺には アメリカ合衆国広場 などアメリカの独立戦争以来の記念碑やウィルソン等の人名が多い。

Iéna

Musée National des Arts Asiatiques-Guimet

車が停車しているのが Av. du Président Wilson で騎馬像方向に トロカデロ広場 に至る。

アルマ・マルソーからイエナ間での道路分離帯で開かれる<イエナ・プレジダン・ウィルソンの朝市>は鮮度の良さで知られる超高級朝市だ。

東洋美術や陶磁器などのコレクションで知られるギメ美術館はジュール・シャトロン Jules Chatron (1831-84) による新古典主義の建築(1885)。

       メトロ9号線PA_metro_ligne_9 Iéna か Arma Marceau で下車。

Pl. d'Iéna

ロータリーとモニュメント 7  バスティーユ広場

   depuis  2001

  バスティーユ広場 Place de la Bastille のモニュメントは<7月革命の記念柱 Colonne de Juillet >だ。ジョセフ・ルイ・デュック Joseph-Louis Duc (1802-79) の作品(1840)。

Colonne de Juillet-11830年7月27~29日の市民革命により、1815年に王制復古したブルボン王朝を打倒し立憲君主制を発足させたいわゆる<7月革命>の記念柱だ。

左写真に<27 28 29 ・ Juillet 1830> の銘が、右写真の正面には<・・市民のために戦ったフランス市民の栄光のために>の記載がある。<栄光の3日3日間 Trois Glorieuses: 27.28.29>と呼ばれたりする。

1789年7月14日のフランス革命は当時この場所にあったバスティーユ(の監獄)の襲撃から始まった。      革命後取り壊されて広場になっていた。

写真には写っていないColonne de Juillet-2が広場に面するオペラバスティーユはバスティーユからヴァンセンヌに 至る元ヴァンセンヌ鉄道の駅舎の跡地だ。高架の鉄路は長い緑道(プロムナード・プランテ La Promenade Plantée)として残っているし、リヨン駅からサンテミリオンに至る高架下はお洒落なブティックなどに なっていて(ヴィアデュック・デザール Viaduc des Arts) 若者の人気が高いそうだ。。

また、広場の下にはサンマルタン運河が南北に横切っていて、メトロ1号線PA_metro_ligne_1のホームから運河を望める。      広場の北の運河上の緑道の一部はバスティーユの市場になっていて朝市で賑う。

Le Génie de la LibertéColonne de Juillet の先端には金色に輝く・・Le Génie de la Liberté(自由の守り神)が。。。      オーギュスト・デュモン Augustin Dumont 作(1835)。

ヴァンドーム広場の Colonne サミットのナポレオン Napoléon en César  も彼の作品だ。

   メトロPA_metro_ligne_7 Sully Morland  H.Galli  を出た所のアンリ・ガリ H.Galli 公園にバスティーユ監獄の基礎の一部が移設保存されている(写真下)。

バスチーユ(要塞)にあった8つの塔の一つであった<自由の塔 Tour de la Liberté>の基礎。

023

セーヌ川側からアシュナル港 Port de l’Arsenal(サンマルタン運河 Canal Saint-Martin)を通して
<7月革命記念柱>を望む。

記念柱と緑がバスティーユ広場でその下が運河上にあるメトロ1号線PA_metro_ligne_1のバスティーユ駅。
右端にオペラ・バスティーユ Opéra Bastille も見える。

Canal St-Martin Bastille

* * *

ドラクロワは早速この7月革命をテーマにした作品を発表した。ルーブル美術館所蔵の<民衆を率いる自由の女神 1831>がそれだ。中学時代の副読本で知って以来最も記憶に鮮明な作品だ。

この自由の女神は<マリアンヌ>で、解放を象徴するフリジア帽を被っている。

7月王政の安定により、作品はドラクロワの下に返されることとなり、再び日の目を見るのは7月王政を打倒した2月革命(1848)以降のことである。

ロータリーとモニュメント 5  コンコルド広場

   depuis  2001

      長方形のロータリーである コンコルド広場 Place de la Concorde のモニュメントは
<ルクソールのオベリスク>とも<クレオパトラの針>
とも呼ばれるオベリスク Obélisque だ。

そして、オベリスクを挟んで2つの噴水:                                                                                                <手前に大河の泉 Fontaine des Fleuves 、奥(南側)に海の泉  Fontaine des Mers  >がある。

写真上ギリシャ様式の国民議会下院のブルボン宮 (1728) と

写真下同様式(新古典・ネオクラシック)のマドレーヌ寺院  (1826) とは
セーヌ川を挟んで直線上にある。

写真下左はホテル・クリヨン L’hôtel de Crillon 右は旧海軍省 L’hôtel de la Marine で(ガブリエル Ange-Jacques Gabriel によるツインの古典様式建築 1774)、

パリの主軸であるリボリ通りはクリヨンで軸をずらせて シャンゼリゼ大通りへと向かう。

写真上でアンヴァリッド、モンパルナスタワー、ネオ・ゴシック様式のサント・クロチルド聖堂が見えるがエッフェル塔は視界に入らない。

写真上の左、下の右のチュイルリー公園から広場を見ると・・

中心軸から少し左にずらして撮影しているので、
オベリスクの向こうに凱旋門を見ることができる。

その間がシャンゼリゼ大通りだ。
金色のゲートの向こうがコンコルド広場、こちら側がチュイルリー公園。

曇天のようだが撮影ポイントはカンカン照り。

***

このポイントだとモンパルナスタワーは入らない。

Pl. de la Concorde                                                                                                                                                                                    2012.08.07

ロータリーとモニュメント 4  ダンフェール・ロシュロー広場

   depuis  2001

メトロ4号線Télécharger le plan Métro ligne 4 - PDF - Nouvelle fenêtre、6号線Télécharger le plan Métro ligne 6 - PDF - Nouvelle fenêtreと RER B 線Télécharger le plan de ligne RER B - (Pdf < 200 ko - nouvelle fenêtre)が地下にある

ダンフェール・ロシュロー広場  Place Denfert Rochereau  のモニュメントは
<ベルフォールのライオン Lion de Belfort >のレプリカ(1880 設置)だ。

<自由の女神像>の作者、
オーギュスト·バルトルディ Auguste Bartholdi (1834-1904) の作品(1880)。

その台座に A LA  DEFENSE NATIONARE  1870-1871 とある。

鉄血宰相ビスマルクのプロイセンとの普仏戦争に敗れてナポレオン3世の第2帝政が崩壊したのち、プロイセン支配に反抗する臨時の国防政府が1870年に成立1871年パリコミューンまでの間存在した。

アルザスのベルフォールでの ダンフェール・ロシュロー大佐の英雄的抵抗 を記念する同名の彼の作品(石造) が ベルフォールの要塞にある(1875-79)。

第三共和制が始まるのは1875年である。

Denfert Rochereau

Pl. Denfert Rochereau

真ん中の建物はRER B 線Télécharger le plan de ligne RER B - (Pdf < 200 ko - nouvelle fenêtre)の駅舎で線路はその下にある。パリの国内線中心のオルリー空港へはRER B 線か駅前から出ているオルリーバスを利用するとよい。

右樹木奥にカタコンブの入り口がある(見学してから早や30年経った)。サルトル・ボーヴォワール・ボードレール・ザッキン等の眠るモンパルナス墓地も至近だ。左の緑地、フランスの科学者であり政治家でもあって大通りやメトロの駅名に名を留めるラスパイユの彫像(今は台座のみ)、カタコンブの出入り口、駅舎などを含むロータリー全体がダンフェール・ロシュロー広場になっていてスケールが非常に大きい。

ロータリーとモニュメント 3 (旧)ドメニル広場

   depuis  2001

メトロ6号線Télécharger le plan Métro ligne 6 - PDF - Nouvelle fenêtreと8号線Télécharger le plan Métro ligne 8 - PDF - Nouvelle fenêtreが交差する旧ドメニル広場 Pl.  Daumesnil ((現)Pl. Félix Éboué)  は

ライオンの噴水だ。

9本の道路が集まる大型の長方形ロータリーで中央に位置する円形の噴水も大型だ。

オスマン男爵とともにパリ改造に付帯するモニュメント等を多数手がけた建築家
ガブリエル・ダヴィウ Gabriel Davioud の作品、
<水のお城の泉 Fontaine du Château d’eau >と呼ばれる噴水で共和国広場から移築された。

クリスマスの時期にはイルミネーションが施される。セーヌ川に向かってベルシー ( Bercy ) へと下る  Bd.Reuilly  (写真左方向)沿い両側の朝市も中々だ。

現在の広場名になっている フェリックス・エブエ は
フランスの植民地で知事という高い地位を得た最初の黒人だ。
功績を称えられて遺骨がパンテオンに埋葬された最初の黒人フランス人でもある。

写真手前から中央やや左に抜けるドメニル大通りはバスチーユからヴァンセンヌに至る道路。

ナポレオン戦争時の将軍であり、
1814年3月プロイセンにパリを陥落された際<フォート・ド・ヴァンセンヌの防衛>としても名を残すことになるドメニル Le général Daumesnil の名を冠したものである。

ヴァンセンヌ市役所の中にその時の様子を描いた絵があり、前に銅像がある(写真下)。ヴァンセンヌ城内の王の宮殿にも立像がある。また、凱旋門にもその名が刻まれている。

将軍の左足は義足だ。

***

モニュメントは解体して改装中。2012.08.

* * *

改装なった Pl. Félix Éboué 。2012.11.22.

ノエル・新年の時期には電飾される。

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改装後初めてのもので、旧来のとは受ける印象が全く違う。

左のイルミネーションのある道路が両側で大規模朝市の行われるウイリー大通り Bd.Reuilly だ。         2013.01.05.

ロータリーとモニュメント 1  シャルル・ド・ゴール広場   

   depuis  2001

完全なロータリー式交差点は日本では珍しいが、パリでは凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール・エトワールを代表に各所で見ることができる。
ロータリーとモニュメントとと題していくつかを案内しよう。

先ずは12本の道路が放射状に集まるシャルル・ド・ゴール・エトワール。全体が シャルル・ド・ゴール広場 と呼ばれていて中心に凱旋門 Arc de Triomphe が位置している。

手前はシャンゼリゼ大通りで、凱旋門を通して幽かにデファンスが望める。凱旋門は小山の頂上にあるため12本の道路はすべて下り坂になっている。また、ロータリーのためシャンゼリゼ大通りから直進して門を潜り抜けることはできない。屋上に見物客の姿が・・

エッフェル塔百態 28  チュイルリー公園


   depuis  2001

    チュイルリー公園からのエッフェル塔3葉。

左にオルセー美術館が見える(写真右と下)。

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最上段と左写真の左側で金色はアンヴァリッドだが、その右の2本の尖塔はネオ・ゴシック様式のサント・クロチルド聖堂  Basilique Ste-Clotilde だ。

エッフェル塔百態 13  白鳥の小径 / Allée des Cygnes

  グルネル橋からセーヌ川の上流方向を望んだ白鳥の小径とエッフェル塔。
ビル・アケム橋からグルネル橋までの中洲の全体が白鳥の小径 Allée des Cygnes だ。

白鳥の小径-2

写真下左はグルネル橋と小径の最下流端で、
フランス革命100周年を記念して、また、お返しとして在仏のアメリカ人たちが贈った自由の女神像 Statue de la Liberté が置かれている。

写真下右は小径の上流端のビル・アケム橋で二層構造になっていて、

階段の上が車道・歩道でその上部をメトロ6号線Télécharger le plan Métro ligne 6 - PDF - Nouvelle fenêtreが走っている。

左側の河岸にパッシー駅があり、
駐在日本人も多い高級住宅地パッシー地区の最寄り駅となっている。

まだ20世紀のころ、
パッシー・ケネディを定宿にしていた時期があって一体何度歩いたことだろう?

白鳥の小径ー1

白鳥の小径ー3