ロータリーとモニュメント 49  1944年8月25日広場

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ルクレール将軍 Général Leclerc が1944年8月25日にドイツ占領下のパリに電撃入城を果たしたポルト・ドレアン Porte d’Orléans が1944年8月25日広場 Place du 25 Aoùt 1944 だ。

Pl.du 25 Aoùt 1944 7本の道路が集中する巨大なロータリーでモニュメントは第二次世界大戦時におけるルクレール将軍下の兵士達を慰霊する台座上で北方のパリ市内を見渡す将軍の立像とその前に展開する功績碑だ。2本のフランス国旗が像の左右に配されている。

正面の通りにはルクレール将軍大通りの名が冠されている。突き当りに見えるのがネオロマネスク様式のサンピエール・ド・モンルージュ教会だ。

「ロレーヌの十字」はジャンヌ・ダルクが用いたもので、自由フランス軍がこの紋章を使った。Vとダブル十字で自由フランスの勝利を表している。

Pl.du 25 Aoùt 1944 -2

ルクレール将軍 (1947年にアルジェリアで死去、45歳 元帥を追贈)は1944年8月25日にモンパルナス駅でドイツの降伏文書に署名、ヒトラーの焦土作戦指令(パリは燃えているか?)を回避した。また、1945年9月2日に東京湾上の戦艦ミズリーの甲板で行われた大日本帝国の降伏文書調印式にフランス代表として署名している。最近顕彰碑が置かれた (左) 。ジャンヌ・ダルクが用いたロレーヌの十字とフランス国土の紋章 ( Insigne de la 2 e division blindée ) は<ノルマンジー上陸作戦>時のルクレール将軍率いる第二機甲師団 (フランス軍) のものである。パリに電撃入城したのも第二機甲師団だ。(転載。リンクをクリックしてください。)

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ロータリーとモニュメント 45  1940年6月18日広場

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 1940年6月18日広場 Place du 18 Juin 1940 には特段のモニュメントは無いが、あえて言えば広場の名称そのものがモニュメントだ。

ドイツ軍の侵攻により1940年6月15日パリ陥落、ド・ゴール将軍は直ちにロンドンに亡命して、亡命政府自由フランスを結成し、対独抗戦とヴィーシー政府への抵抗をを呼びかける歴史的演説をした日である6月18日を記念したものだ。

左に見える超高層ビルがモンパルナスタワーだ。

広場正面は工事中の写真で分かりづらいが、モンパルナス大通り Boulevard Montparnasse が広場を横切り、真ん前の通りがレンヌ通り Rue de Rennes でサン・ジェルマン大通り Boulevard Saint Germain まで一直線の緩い下り坂だ (オスマン計画) 。
尖がり帽子がゴシック様式のサン・ジェルマン・デ・プレ教会だ。

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それから4年後・・

ルクレール将軍が1944年8月25日にドイツのパリ防衛軍の降伏文書に署名したのもここモンパルナス駅でだ。
ルクレール元帥記念博物館がモンパルナスタワーの向こうまで後退したモンパルナス駅にある。
25年前出張でリヨンでジュネーヴに駐在していた案内の同僚と落ち合う途中、ポルト・マイヨーから地下鉄を乗り継いでメトロのモンパルナスから SNCF のモンパルナス駅までの長い長い歩く歩道に戸惑ったことがある。日本では1970年の大阪万博で梅田に登場したのが最初だ。

ロータリーとモニュメント 28 Place de Victor et Hélène Basch

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オルレアン門 Porte d’Orléans  からパリ市内に入り、1944年8月25日広場  Place du 25 Août 1944  からルクレール将軍大通り Avenue du Général Leclerc  を進んで最初のロータリーが
ヴィクターとエレヌ・バッシュ広場 Place de Victor et Hélène Basch だ。

地下はメトロ4号線のアレジア Alésia で、モニュメントはヴェースに入れた棕櫚6本だ。

<パリは燃えているか?> ヒトラーのパリ焦土作戦を未然に防止し実行しなかった自由フランス軍のルクレール少将とドイツ防衛軍のコルテッツ大将とがモンパルナス駅で降伏文書を取り交わし、パリを開放した日が1944年8月25日だ。その日、ルクレールはオルレアン門 (Place du 25 Août 1944) からパリに入城し、アレジア、ダンフェール・ロシュローを辿ってパリ警視庁へと進軍したが、その広場と道とに記念の名を冠したものだ。

アレジアのロータリーは6本の道路が交差するのだが左右に抜けるアレジア通り Rue d’Alésia 等いずれも幹線でいつも混雑している。写真中央がルクレール将軍大通りでこの先が ダンフェール・ロシュロー広場だ。また、ネオロマネスク様式のサンピエール・ド・モンルージュ教会は歴史的建造物。

広場名になっているヴィクターとエレヌのバッシュ夫妻は1944年1月10日に殺害された。ヴィクター・バッシュはブダペスト生まれのフランス人権連盟の創設者であり哲学者で、当時の文壇の大御所エミール・ゾラが擁護したことでも知られるあの有名な<ドレフュス事件>にも関与している。

ヴァンセンヌ/ヴァンセンヌの朝市/ジェラール・ミュロ

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ヴァンセンヌ市  Ville de Vincennes の市役所  MAIRIE DE VINCENNES  。

目の前にヴァンセンヌの森に至る大きなお庭が広がっています。
真っ直ぐに約一キロメートルに及ぶ緑地になっています。

市役所庁舎の中を覘いてみましょう。
ロビーから1階への中央階段です。

見上げてみると…

結婚式場です。

地上階の中央階段の左側から見ると・・

市庁舎から前庭を見たところ。約一キロ先がヴァンセンヌの森で、右側にヴァンセンヌ城が位置する。

 

 

 

 

地上階のロビーです。ガラス窓が素敵です。窓の向こうに道路をを挟んで新市庁舎があり、オフィスのほか劇場、図書館なども入っている。

 

 

 

前庭の名称はルクレール将軍広場 Place du Général Leclerc。

ルクレール将軍 (1947年にアルジェリアで死去、45歳 元帥を追贈) は1944年8月25日にモンパルナス駅でドイツの降伏文書に署名、ヒトラーの焦土作戦指令 (パリは燃えているか? )を回避した。また、1945年9月2日に東京湾上の戦艦ミズリーの甲板で行われた大日本帝国の降伏文書調印式にフランス代表として署名している。最近顕彰碑が置かれた (左) 。ロレーヌの十字架とフランス国土の紋章 ( Insigne de la 2 e division blindée ) は<ノルマンジー上陸作戦>時のルクレール将軍率いる第二機甲師団 (自由フランス軍) のものである。パリに電撃入城したのも第二機甲師団だ。

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ヴァンセンヌには火曜日、金曜日、日曜日に朝市が出ます。
今日はお花を買いました。今の季節はミモザが美しいです。

フランスでうれしいことの一つはお花が安く買えること。

おおぶりのカサブランカ、6ユーロ。とっても立派です。ユリはフランスの国花です。

今が季節のミモザは5ユーロ。

お花を生けるとすっかり家が明るくなります。

今日はお友達が<ジェラール・ミュロ Gérard Mulot >のケーキとマカロン、チョコレートを持ってきてくれました。

パッションフルーツとフリュイ・ルージュ(赤い実のフルーツ)、ピスタチオのケーキ。

マカロンは、塩キャラメルと、今月の限定ライチ、シトロン味。とーっても美味しくいただきました!
Aさん、ありがとう!

最後は日本茶を飲んでご満悦のポーズ。