Roue de Paris

   depuis  2001

ノエルの一環でパリの観覧車は、今、コンコルド広場にある。
Roue de Paris パリの歯車(車輪)とある。

ロンドンでは目に見え、パリでは車輪に見える。
アントワーペンではダイヤモンドに見えるらしい。

右側が凱旋門で左がチュイルリー公園。
左に見える馬の彫像は アントワーヌ·コワズヴォ Antoine Coysevox  (1640 – 1720) 作の<ペガサスに乗るメルキュール  Mercure monté sur Pégase (1699 – 1702) >。

Roue de Paris

Morocco Flag Maroc

モロッコのマラケシュ Marrakech の博物館で、
観覧車はアラブに起源を有するという説明を目にした。写真がそれ: 伝統のブランコ balançoires traditionnelles : で、この実物が展示されていた。

何よりも水が貴重な国の伝統のスパ(スーペリア)での4連泊は王侯貴族の気分を味わえて最高だった。お風呂も。モロッコの公用語はフランス語。フナ広場でその後乱射事件があった。

なお、カフェ/アン・キャンズでプリンに使用しているグラスはマラケッシュのもの。

1083

ノエル Noël の装飾                  ロワイヤル通り・マドレーヌ広場・サントノレ通り

   depuis  2001

ロワイヤル通り Rue Royale を中心に同一の飾りつけがされている。

写真はロワイヤル通りから東にサントノレ通りに入ったところにある< ロンシャン Longchamp >の例だ。ここでは3基が使用されている。左方向がロワイヤル通り。

Noël / Longchamp

エッフェル塔百態 80 オベリスク・海の泉/コンコルド広場

   depuis  2001

11月24日17時24分薄暮のコンコルド広場からのエッフェル塔 Tour Eiffel 。

ヒエログリフ(神聖文字)のオベリスク Obélisque を右に、
そして左には海の泉Fontaine des Mers 。

エッフェル塔は点灯したばかり。オベリスクはその前からライトアップされている。

302

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Hong Kong Flag

もう20年以上も前になりますが、香港の夕焼けと夜景を想い出します。最近の様子を知りたいものです。

Philippines Flag

35年も前ですが、マニラの夕日には感動しました。

エッフェル塔百態 79  大河の泉/コンコルド広場

   depuis  2001

ノエルと新年に向けての準備が整い、
多くの観光客とパリ市民で賑う薄暮のコンコルド広場から見るエッフェル塔。

手前に写っているのは、
広場にある二つの噴水のうち<大河の噴水 Fontaine des Fleuves>と呼ばれるもの。

広場の設計をしたのは アンジュ=ジャック・ガブリエル Ange-Jacques Gabriel (1698-1782)だが、
オベリスク/クレオパトラの針を挟んでセーヌ川側の<海の噴水  Fontaine des Mers >と対で噴水を配置した(1836)のは ジャック・イニャス・イトルフ  Jacques Ignace Hittorff (1792-1867) だ。

パリ1区と5区の区役所、パリ北駅、フランツ・リスト広場の Église Saint-Vincent-de-Paul も彼の作品。

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昨25日の昼は<フェルメット・マルブフ 1900>で星川君のパリ個展の成功裡での終了を祝した。来月のノエルまで暫しパリとお別れだ。

エッフェル塔百態 78  モンテーニュ大通り

   depuis  2001

ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼから直ぐの
モンテーニュ大通り Av. Montaigne からのエッフェル塔。

ノエル(クリスマス)の飾りつけが施された
モンテーニュ大通りの左手にエッフェル塔が顔を覗かせる。

突き当たりのアルマ広場とそこから右手に始まるジョルジュ・サンク大通りと手前のシャンゼリゼ大通りとで囲まれる黄金の三角地帯には高級店がひしめく。

シャンゼリゼ大通り 2012.11.22.

   depuis  2001

11月21日の夜、シャンゼリゼ大通りのイルミネーションが点灯された。

昨年からこのタイプになった。

上の写真はロン・ポアン・デ・シャンゼリゼからジョルジュ・サンクの方に少し寄った辺りから凱旋門の方向を、  下の写真はコンコルド広場の方を見たもの。

街燈の明かりが一直線にコンコルド広場に向かっている(下)のに比して、凱旋門に向かっては放物線を描いている(上)ことで凱旋門に向かっては上り勾配になっていることが伺える。

イルミネーションの両サイドには<マルシェ・ド・ノエル  Marchés de Noël(昼間も開店している夜店)>が連担しているのだから見物だ。。
この日もカメラを持った多くの観光客でごった返していた。

写真下右のロン・ポアン・デ・シャンゼリゼに近づいてみると。。。

<マルシェ・ド・ノエル>の様子。
写っている建物らしきものやテントは全て仮設だ。観覧車も。

パリの街燈 réverbère 10                   エリゼ宮 Palais de l’Élysée

   depuis  2001

エリゼ宮の街燈。  フォーブル・サントノレ通りの街燈が付いていないのは当然だ。

パリの街燈/エリゼ宮

エリゼ宮殿はアーマンド・クロード・モレ Armand-Claude Mollet の建築による1722年完成の古典主義の建物で、1873年(1870年から第3共和政)以降大統領官邸となった。

ポンパドール夫人(1753-64?)やナポレオン1世と皇后ジョセフィーヌ(1805)の邸宅であったこともある。

パリの街燈 réverbère 9 フォーブール・サントノレ通り

   depuis  2001

フォーブール・サントノレ通り Rue Faubourg Saint Honoré 、サントノレ通りの街燈は通りが狭いので沿道の建物に吊下げ型で付置されている。
写真はフランス内務省横の例で、左下に内務省の街燈も見える。

フランス革命後の1790年にルーブル宮にあった内務省は1861年に現在の オテル・ド・ボーヴォ Hôtel de Beauvau(1770竣工)(門扉の後方)に移った。

パリ西部の200人余りの小さな町マルセイユ Beauvau の騎士の後裔であるボーヴォの元帥 Le maréchal de Beauvau が1770年に名付けて賃借した。

手前のエリゼ宮との間、5本の道路が集まるロータリーはボーヴォ広場 Pl. Beauvau という。

パリの街燈/フォーブル・サント・ノーレ

門扉はルイ15世様式(風) ferronnerie Louis XV 。柱(列柱)はトスカーナ風。

ロータリーとモニュメント 71           ギルバート・ギョーマン広場

   depuis  2001

ギルバート・ギョーマン広場 Pl. Gilbert Guillaumin のモニュメントはバルザックの顕彰碑だ。

アントワーヌ・ブールデル Antoine Bourdelle (1861-1929)を教えたアレクサンドル・ファルギエル Alexandre Falguière (1831-1900) の作品 <Honoré de Balzac (1902) >。

 Sociéte des gens de lettres (作家の著作権協会)は バルザック  Honoré de Balzac (1799-1850) の発案により ヴィクトル・ユーゴー、アレクサンドル・デュマ(大デュマ)、ジョルジュ・サンドが参加して1838年に設立された。

手前の通りはフリドラン大通り Av. Friedland で左が凱旋門、右はオスマン大通り Bd. Haussmann に共に一直線。6本の内坐像の後ろを建物に沿って右斜めの道路はバルザック通り Rue Balzac で左斜めに広場を横切る。
石積み擁壁の上は庭部分が公園として開放されていて美しい。

ギルバート・ギョーマン(1801-64)はエコノミスト誌の創設者。

Pl. Gilbert Guillaumin

パリの街燈 réverbère 8   クレマンソー広場

   depuis  2001

クレマンソー広場 Place Clemenceau の街燈。

オテル・ド・ヴィル広場と同一のもの、シャンゼリゼ大通りのもの、メトロの街燈、 マルセル・プルーストの並木道 Allée Marcel Proust (プルーストは<失われた時を求めて>の作者でカフカとともに20世紀を代表するフランスの作家)の街燈と広場の高い街燈の5種が見える。

手前がウィンストン・チャーチル大通りで並木道の左にグラン・パレがあり、左右の通りがシャンゼリゼ大通りでその向こうも並木道だ。広告塔では2012年秋の催し案内がされている。

パリの街燈/クレマンソー広場

パリの街燈 réverbère 7  アルマ橋 Pont de l’Alma

   depuis  2001

アルマ橋の街燈。

低い交通標識のようなのがアルマ橋の街燈で左手橋詰のレジスタンス広場の街燈でもある。高い方が右岸橋詰のアルマ広場の街燈

  Ukraine Flag Turkey Flag Tunisia Flag アルジェリア 国旗

橋脚の像は勢力の衰えたオスマントルコの利権をナポレオン三世のフランス、ヴィクトリア女王のイギリス等の同盟軍がロシアと争ったクリミア戦争(1853-56)で活躍したズアーヴ兵 zouaves (アルジェリア人、チュニジア人で編成したフランス陸軍歩兵)だ。

フランス軍はこの外人部隊でクリミア半島での最初の戦いである<アルマの戦い(1854)>に勝利した。旧アルマ橋はその勝利を記念して架けられた(1854-56)。

戦後、仏英の発言力は高まり、サルデーニャ王として参戦したヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は5年後の1861年にイタリア統一を果たす。

1910年のセーヌ川の歴史的な大洪水時にはズアーヴ兵の肩まで水位が上がったという。

Georges Diebolt (1816-61) の作品(1858)。

  • 2016.06.02.のセーヌ川
-6キャプチャ.PNGアルマ橋
Statue de Zuavues / Pont de l’Alma / La Seine

パリの街燈 réverbère 5                     アレクサンドル3世橋 Pont Alexandre III

   depuis  2001

アレクサンドル3世橋 Pont Alexandre III の街燈。
<ピラミッド広場のジャンヌダルクの騎馬像>の作者、
エマニュエル・フレミエ Emmanuel Frémiet (1824-1910) の装飾デザイン。

左岸上流側から右岸を見たもので背後はCours de la Reine の緑道と
左にグラン・パレ右にプチ・パレの建物。

クール・ラ・レーヌは1616年にマリー・ド・メディシスにより造られたパリ最古の緑地公園でコンコルド橋からアルマ橋の間が女王の間と呼ばれていた。第一次大戦時以降アンヴァリッド橋下流区間は同盟国ベルギーの国王の名を付けクール・アルバートI世となる。

左端にアンヴァリッドから橋を越えてクール・ラ・レーヌまで続く街燈も見える。

パリの街燈 réverbère 4                      コンコルド広場 Pl.de la Concorde

   depuis  2001

エトワール凱旋門からシャンゼリゼ大通りを下って終点のコンコルド広場には複数の種類の街燈がある。広めに俯瞰すると・・・

金色の<クレオパトラの針>と呼ばれるオベリスクがシャンゼリゼ大通りからの中心で、シャンゼリゼはグラン・パレの方向に街路樹の切れ目のところを右斜めに走る。

手前2連の街燈はリヴォリ通りのもの(広場は擁壁から右)でオテル・ド・ヴィルのそれと同タイプ。その右の街燈がシャンゼリゼ大通りの街燈と同タイプ。
金色の街燈はコンコルド広場だけのもの。

コンコルド広場に設置されている金色の吻側・燭台型街燈。ヒットルフ Jacques Ignace Hittorff (1792-1867)の作品。左端の噴水/海の泉の左がシャンゼリゼ大通り。

ツール・ド・フランスの周回コースはシャンゼリゼからこの噴水の左へセーヌ河岸に出て、右のほうからシャンゼリゼに入る。街燈の手前は金色のゲートを通ってチュイルリー公園だ。

下はシャンゼリゼと同タイプの3連街燈。オベリスクから左端の方角にシャンゼリゼ。

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暗くなると。。。

パリの街燈 réverbère 3             シャンゼリゼ大通り Av. des Champs-Élysées

   depuis  2001

シャンゼリゼ大通りの街燈は二段構えになっている。

プラタナスの葉陰に収まる昔ながらの街燈とプラタナスの街路樹を上回る高さの新式の街燈の2層構造だ。

右はシャルル・ド・ゴール広場と同じタイプの低層街燈で、背景はシャンゼリゼに面する クルチザンヌのパイヴァ公爵夫人の館 Hôtel de la Païva 。右側がエトワール凱旋門。

左は左端に凱旋門のシャンゼリゼ大通りで、刈り込まれたプラタナスの下に右上の街燈が、プラタナスの上には今風のデザインの街燈が見える。街路樹の右側はシャンゼリゼの広い歩道になっているのだが、街燈はよくみると二股になっていて同じものが歩道側にもあることを窺える。

パリの街燈 réverbère 2  凱旋門 Arc de Triomphe

   depuis  2001

シャルル・ド・ゴール広場の街燈の一つ。

オテル・ド・ヴィル広場の街燈と同種のデザインだが少し異なる。

背景は エトワール凱旋門 Arc de triomphe de l’Étoile で、手前がシャンゼリゼ大通りでアーチを潜ればグランド・アルメ大通り。

レリーフは<1810年の勝利 Le Triomphe de 1810>と名付けられているもので、オステルリッツの戦いでのナポレオンの勝利を表す。

Arc のEU 旗とフランス国旗は EU発足15周年記念 のため。

下の街燈は別タイプの新しい街燈で左に比して高さが著しく高い。背後のレリーフは左と同じ。

ロータリーとモニュメント 67 オスマン男爵(広場)

   depuis  2001

<ギャラリー・ラファイエット>と<プランタン>の前を通るオスマン大通りにその名を残すオスマン男爵 Baron Georges Eugène Haussmann (1809-1891) の立像はオスマン大通りとミロメニル通りとが交差する7本の道路が集まるロータリーにある。オスマン広場と呼ぶべきかと思うが何故か広場に名は付いていないようだ。

オスマン男爵 Baron G.E.Haussmann はナポレオン3世のもとでパリを含むセーヌ県知事(1853-1870)としてパリを現在の形に改造し、世界に都市計画の範を垂れた人物だ。

彼の目はオスマン大通りからフリドラン大通りを通して一直線に凱旋門を見ている。

手前がオスマン大通りで右に行けばプランタンなどオペラ方面へ、像の向こうのラボルド通りを行けばサント・ギュスタン教会前を通ってサン・ラザール駅前へ出る。

クレマンソー広場にあるクレマンソーの立像の彫刻家 François Cogné の作品 (1889) 。

Baron G.E.Haussumann

ウインドウショッピング 18           Louis Vuitton de l’avenue des Champs-Élysées

   depuis  2001

猛虎宰相クレマンソーの亡くなった1929年に生まれたファッション・デザイナーの 草間 彌生 (画家・彫刻家)は例の水玉模様でルイ・ヴィトンとコラボレートしています。

<ラ・フェルメット・マルブフ1900>で食事した後、BVLGARI / George V、HERMES / George V や LOUIS VUITTON / Champs-Élysées の ウインドウショッピング を楽しみました。

写真の上段は、ルイ・ヴィトン本店のシャンゼリゼ大通りに面する大型ショウウインドウ。

下段は、ジョルジュ・サンク大通りに面するウインドウ。

なかなかの人気のようで日本人に限らず多くの観光客がカメラを向けていました。

2012.08.04.

ロータリーとモニュメント 66  クレマンソー広場

   depuis  2001

日本で猛虎といえば阪神タイガースだが、
フランスではクレマンソーのことを猛虎宰相と呼ぶ。

「行動を自問するようでは行動的人間とは言えない。」と うそぶいたといわれるクレマンソー Georges Clemenceau (1841-1929) は   第一次世界大戦時のフランスの首相であり、
戦時並びにヴェルサイユ条約締結時のドイツへの強硬姿勢で知られる。

また、ジャーナリストとしてドレフュス事件でドレフュスを擁護した人権派としても有名。

エミール・ゾラ の 「われ、弾劾す。 1898 」は彼の主幹する新聞で公開された。

革命以後のフランスの栄光を代表する行動的政治家でありジャーナリストだ。

グラン・パレ、プチ・パレ、エリゼ宮の面するシャンゼリゼ大通りにクレマンソー広場 Pl. Clemenceau があり、クレマンソーの像(François Cogné(1876-1952)の作)と噴水がモニュメントとしてある。2000年以降、反対側にド・ゴールの像もある。

後ろの建物はプチ・パレ、右側に見える通りがウィンストン・チャーチル大通り Av. W.Churchill で、その右手がシャンゼリゼ大通り、左手がセーヌ川でアレクサンドル3世橋からアンヴァリッドへと続く。

地下には メトロ -  PDF  - 新規ウィンドウ地図地下鉄1号線をダウンロード -  PDF  - 新規ウィンドウ地図地下鉄ライン13をダウンロード Champs-Élysées Clemenceau 。

Pl. Clemenceau

Tunisia Flag

経済学者ケインズはヴェルサイユ条約締結時におけるフランス(クレマンソー)のドイツに対する強硬姿勢をローマのカルタゴに対するそれに例えて<カルタゴ式平和>と揶揄した。

カルタゴは三次にわたるポエニ戦争の結果、徹底的にローマに滅ぼされる(紀元前146年)まで地中海を支配した海洋都市国家だが、現在のチュニジアの首都チュニスにあたる。

本日、当時アフリカといえばカルタゴのことであったといわれる現チュニジアからのアクセスがあった。アフリカからは今年の2月25日以降で初めでだ。

ロータリーとモニュメント 47  ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼ

   depuis  2001

   ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼ Rond- Point des Champs-Élysées のモニュメントは6つの噴水と四季折々の花で彩られた花壇とマロニエの樹々だ。
ただここ数年噴水が出ているのを見た記憶がない。

チュイルリー公園やベルサイユ宮殿の造園家、
ル・ノートル Andre le Notre  (1613-1700)  の作 (1670) 。

拡大して見て欲しいが、シャンゼリゼ大通りの左右に花壇が見えるところが ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼ で、地下はメトロ1号線Télécharger le plan Métro Ligne 1 - PDF - Nouvelle fenêtreと9号線Télécharger le plan Métro ligne 9 - PDF - Nouvelle fenêtreのフランクリン・ドラノ・ローズヴェルトの駅になっている。

左は2011年8月

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右は2011年4月

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このロータリーの正式名は Rond- Point des Champs-Élysées-Marcel Dassault (シャンゼリゼのロータリー:マルセル・ダッソウ)と長いのだが、マルセル・ダッソウは第一次世界大戦で使用されたフランス軍のプロペラ機を発明した航空実業家で第二次世界大戦後にはフランス一の軍用機メーカを設立した人物だ。第二次大戦占領下のフランスでドイツの協力要請を拒否したことでも知られる英雄でもある。

2012年8月4日

建物は最上段の写真でシャンゼリゼ大通りとロータリーとの角の建物。

Rond- Point des Champs-Élysées

POMZE で 最後のデジュネ déjeuner

   depuis  2001

今回パリ最後の昼食を POMZE でとった。             レストラン POMZE

天気が良かったので、メトロ Télécharger le plan Métro Ligne 1 - PDF - Nouvelle fenêtre のシャンゼリゼ・クレモンソー Champs-Élysées Clemenceau からエリゼ宮の西側(マリグニー大通り)に沿ってプラタナスの落ち葉を踏みながらサンとノーレ通りまで、さらにギャラリーの多いミロメニル通りをオスマン大通りまで歩いた。さすがに、ギャラリーの大半はヴァカンスで閉店していた。

フランス人受けを狙った日本人シェフの創作料理で、小部屋もあり、主に接待に使われているようだ。

飲み物は リンゴ  pommes  のシードル にして、

アントレ は・・・

ガスパッチョ・リンゴ入り

カツオ・わらいぶし

サバ・あぶり

プラットは・・・

エビのリゾット

牛ヒレ肉・ジャガイモ添え

鴨のマグレ

ラ・フェルメット・マルブフ1900 での                         デジュネ déjeuner

   depuis  2001

アミューズ・ド・ブッシュ は アボガド と クリームチーズのムース に 焼きチーズ乗せ。

飲み物は キールロワイヤル と シャブリ。

お皿は リモージュ焼き、ナイフ と フォーク は クリストフル。

アントレ は ガスパッチョ….

夏野菜のサラダ….

ムール貝のクリームソテーパイ皮挟み….

プラット は 鱈 と サーモンのデュオ….

鴨のソテー・パスタ添え

2012.08.19

エッフェル塔百態 70  ラ・フェルメット・マルブフ1900

   depuis  2001

アールヌーボースタイルのレストラン <ラ・フェルメット・マルブフ1900> の正面から見えるエッフェル塔です。

街灯の建物がレストランの正面右側でマルブフ通りに面しています(Marbouf  は17世紀のバロック詩人の名です)。

左右の道をレストランに沿って右すぐにジョルジュ・サンク大通り、また、マルブフ通りを直進すれば写真の左の建物がジョルジュ・サンク大通りに面しています。

ところで、この美しいアールヌーボー式のレストランは、Langham邸のダイニングがベースとなっていて、今はSalle 1900という名称がついています。

1898年に当時の若い才能あふれる建築家と画家がこの館のダイニングの改装を手がけたのですが、長い間そのまま放置され、約80年ほどのときを経て1978年に建物に再び手がはいった際に、壁を壊したところ、このアールヌーボー式のキッチンが当時の形のままで見つかったという、なんとも御伽噺のようなストーリーがかくされているのです。

1993年にこの建物は歴史的建造物として登録されましたが、1982年に以前の姿を知るある紳士がこのSalle 1900をみたいとたずねてきた際に「まったく当時と同じだ!」と驚愕したそうです。

5000枚ものタイルをはめなおして行われた大改装工事の末、1898年そのままの姿でよみがえったレストランでは、手ごろな価格で定番のフランス料理が美味しくいただけます。

レストラン内部の様子は単調な造りでありませんのでなかなかお伝えするのが難しいです。。

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本日とったランチは、menu du marché  ( Entrée + Plat )  23.5 euros で、

前菜・メインとも3品から選べます。

前菜はガスパッチョ・サラダ・ムール貝、メインは生牛肉のタータル・鴨・鮭と鱈のグリルのそれぞれ3品です。

2012.08.19

天井

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ウインドウショッピング 13  オメガ OMEGA

コンコルド広場とマドレーヌ広場間、ロワイヤル通りにあるRoyal Quartz  の ウインドウ。

オリンピックのオメガ を アピール。

オリンピック LONDON  2012は終わったが、ヴァカンスで休業とあってウインドウはそのまま。

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   depuis  2001

ジョルジュ・サンク George V はマロニエの並木道

   depuis  2001

シャンゼリゼ大通 Av. des Champs-Élysées ( プラタナスの並木道 ) との交差部にルイ・ヴィトン本店がある ジョルジュ・サンク大通り Av. George V はマロニエの並木道だ。

フォー・シーズンズ・ジョルジュ・サンク周辺の8月初めの様子。

Av. George V

今日から4泊5日で Belgium Flag  アントワープと Netherlands Flag  アムステルダム に小旅行してきます。

Chapelle expiatoire  マリー・アントワネット と ルイ16世

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<Chapelle expiatoire 贖罪の礼拝堂>は 皇帝ナポレオンの失脚後7月革命までの                                                                                                                             王政復古時代 Restauration (1814-30)に、

ナポレオンの百日天下を挟んで王位にあったルイ18世(在位1814-24)が兄のルイ16世とマリー・アントワネットのための礼拝堂として建設した後期新古典主義の建物だ(1826年完成)。

カルーゼル凱旋門 や シャトウ・マルメゾン を建築した ピエール・フランソワ・レオナール・フォンテーヌ Pierre-François-Léonard Fontaine(1762-1853)の作品。

1793年にコンコルド広場においてギロチンで処刑されて後、サン・ドニ大聖堂に埋葬されることになる1815年までの間埋葬されていた元マドレーヌ墓地で、ルイ16世公園 Sq. Louis-XVI となっている。

見学は有料。メトロマップメトロライン9をダウンロード - PDF - 新規ウィンドウSt-Augustin 下車、オスマン大通りをサンラザール方向へ歩いて右側。

Chapelle Expiatoire / Square Louis XVI
Chapelle Expiatoire / Square Louis XVI

パリ東西の主軸/シャンゼリゼ大通り           Av. des Champs-Élysées

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凱旋門の屋上から東南方向のシャンゼリゼ大通り。

街路樹はプラタナス。ロンポアン・デ・シャンゼリゼの先、広がっている緑はマロニエ。

コンコルド広場のオベリスクの向こう突き当りがルーブル宮。

右側地平線に突き出ているドームがパンテオン。
左手にポンピドー・センターと大屋根のマドレーヌ寺院。

グラン・パレの奥にはノートルダム寺院。

Av. des Champs-Élysées

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Av. des Champs-Élysées

ルーブル宮の左にポンピドー・センター、右にノートルダム寺院。

詩人の夢 Le Rêve du Poète / カナダ広場

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Canada Flag

グランパレの裏側 Cours la Reine からフランクリン・ルーズベルト大通りを入ってすぐの
カナダ広場 La Place du Canada に<詩人の夢 Le Rêve du Poète d’Alfred de Musset> と題されるモニュメントがある。

詩人の名は ジョルジュ・サンドとの色恋(ショパンの前)で知られるアルフレッド・ド・ミュッセ Alfred de Musset で、死後再評価されたフランスを代表する詩人のひとりだ。

彫刻家モンセル・ド・ぺリン伯爵 le comte de Moncel de Perrin 1907年の作品。

ミュッセの記念碑(坐像)はモンソー公園にある。

広場の一角は Jardin de la Vallée Suisse と呼ばれる小公園で、フランスによるカナダの植民地化につながる探検家 ジャック・カルティエ Jacques Cartier の像などがある立体的で独特の異空間となっている。

Le Rêve du Poète d'Alfred de Musset

パリ万博1900/スイス館の名残で Jardin de la Vallée Suisse と呼ばれていたが、現在は Jardin de la Nouvelle France と言うらしい。
カルチエのバストは公園内にあったと思ったが、今は地上にある。

Aou.2013.

 サラ・ベルナールとミュシャ Sarah Bernhardt / Alfons Maria Mucha

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マキシム・アール・ヌーボー美術館でサラ・ベルナールの企画展が開かれていた。時間がなくて観ることはできなかったが、写真左はそのポスターだ。   ドアノブにも注目。

 ベルナール ルネサンス劇場 での彼女の芝居 <ジスモンダ GISMONDA> のポスター(写真右:転載)を描いた ミュシャ を一躍人気画家に変身させることになった当代一の舞台女優だった。1895年のことである。

ミュシャはアール・ヌーボーの G.D.として根強い人気があり、これまでにギャラリー・イグレックでも多数取り扱ってきた。

ウインドウショッピング 4  MAXIM’S

   depuis  2001

MAXIM'S

マキシムはその昔、パリの社交界での待ち合わせの場所。

あれは最近読んだ本の中で、題名は忘れたがマキシムを訪れたチャップリンがマキシムへいって、
とても可愛い人がいたので、「誘いたいんだけど」とお友達に相談をしたら、
「彼女に声をかけたら高くつくぞ」っと忠告されたとかいうエピソードがのっていた。
(声をかけたのは高級娼婦だったのだ)
あれは何の本だったか・・

今はピエール・カルダンの所有になっている。

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建物の中には、アールヌーボーの美術館もある(未訪問)。

今<ミュシャ>のポスターでも有名なフランスの女優サラ・ベルナールの展覧会をやっている(3/15日まで)
詳しくはこちらから。

ウインドウショッピング 1  HEDIARD

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HEDIARDE

HEDIARDE

マドレーヌ広場にFOCHONとともにブティックをかまえるエディアールは、
フランスの植民地時代に、さまざまな国の食物や香辛料をとりあつかったのがはじまり。
まだ青いフルーツを生産者から購入し船にのせて輸出するやりかたで商売を広げ、
パリ万国博覧会が行われたころに大きく発展して、1880年に
今のマドレーヌ店をオープンしたのだそう。

2階にはサロン・ド・テもあるのですが、まだ行ったことがありません。

ラデュレ Ladurée のマンゴー・タルト・タタン

   depuis  2001

ラデュレといえばマカロン・・っとなりそうですが、
別のものを試してみたいなら、タルト・タタンはいかがでしょう?

りんごのタルト・タタンをいつも買うのですが、今日はマンゴーのタルト・タタンを発見!

お味は・・う~ん・・濃厚で美味しいっ。
でもこの濃厚でカロリー高め度がフランス菓子の醍醐味だと思います。

LADUREEこちらはラデュレのマドレーヌ店。

以前はカフェとマカロン・ケーキを購入する場所が一緒でゴチャゴチャしていましたが、
ひさしぶりに立ち寄ると売り場がカフェとわかれていて効率的になっていました。

2011年 シャンゼリゼのイルミネーションは・・

   depuis  2001

 クリスマスまであと1週間。

今年のシャンゼリゼのイルミネーションは・・・

街路樹に光の輪のループを3本づつつけて、少々近未来的。

でも個人的には過去におこなっていたクラシックなイルミネーションが一番と思うのですが、

芸術の都、パリとしては斬新なアイデアであたらしいものを提案していかないといけないという

プレッシャーもあるのかな、っと思いながら。

写真にとってみても、ちょっと微妙なのです・・・

*

2008年12月のシャンゼリゼ大通り

パラシュートの日 / モンソー公園

     depuis  2001

   モンソー公園 Parc Monceau にフレームレスのパラシュートの発明家である

André-Jacques Garnerin (1769-1823) を顕彰した銘板がある。

彼はモンソー公園で熱気球と絹製のフレームレス・バラシュートを備えたバスケットに乗り込み900メートルの上空まで上昇したのちバルーンを切り離しパラシュートを開いて無事地上に降り立つことに初めて成功したのだがその趣旨の記載がある。

レリーフはバルーン切り離し後パラシュートで降下中の場面で時は1797年10月22日だ。

因みに、10月22日は<パラシュートの日>なのだ。

ロータリーとモニュメント 42  マドレーヌ広場

   depuis  2001

ロワイヤル通り、マドレーヌ大通り、マルセルブ大通りなど8本が集まるマドレーヌ広場 Pl. de la Madeleine のモニュメントはマドレーヌ寺院(右)だが、

2009年にはテンポラリーに…..(下)     Louis Derbré(1925-2011) の作品。リュクサンブール公園のメディチの泉にあったこともある。

寺院正面の通りがロワイヤル通りで手前がコンコルド広場。下の写真は寺院裏側で、左に<フォーション>、右に<エディアール>が広場に面している。

また、ロワイヤル通りの左側には<ラリック><クリストフル><マキシム><ベルナール>などの高級店が連なっている。<バカラ>は正面左手で広場に面している。

最近ユーロ安が進んでいるがもっと円高だった頃ラリックに通い詰たのが懐かしいが、掛かりつけだったB.Y.さんはその後どうしているのだろう?景気の低迷で店舗を縮小してから久しい。

マリアージュ・フレール>のお店もエディアールの横にあります。ただしマドレーヌ店はブティックのみ。サロン・ド・テはないので、お茶をしたい場合はフォーションか<ラデュレ>となりますか・・

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マドレーヌ寺院の正面からブルボン宮を見ると(2006年8月)・・ロワイヤル通り Rue Royale

ロータリーとモニュメント 41  ドミニカ共和国広場

     depuis  2001

   クールセル大通りを合わせ7本の道路が集まる ドミニカ共和国広場 Place de la République Dominicaine のモニュメント。現在はモンソー公園 Parc Monceau が完全に交通遮断されていて写真のようにモニュメント/ロタンダ(円形の建物)La rotonde の真ん中に囲障柵がある。

新古典主義の建築家クロード・ニコラ・ルドゥー Claude-Nicolas Ledoux (1736-1806) による建築。パリに入る農産物への通行税徴税のために<シャルトルの関門 Barrière de Chartres >として建設された(1785-88)。

Pl. de la République Dominicaine

モンソー公園内からの写真でゲートの前が広場。モニュメントは無料トイレとして使用されている。

モンソー公園は土地の一部を資産家に売却することによって公園整備と合わせて周辺の超高級住宅地を実現したことで有名。代表例が Nissim de Camondo で、銀行家としてフランスに貢献しながら助けることができず家族をアウシュビッツで失うこととなったユダヤ人迫害の悲劇を邸宅 (ニシム・ド・カモンド美術館  Musée Nissim de Camondo) で偲ぶことができる 。

邸宅はアール・デコ、ニシムは第一次大戦で戦死した息子の名。恨みつらみを越えてフランスに寄贈しているのだから素晴らしい。

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モンソー公園の出入り口の鉄柵はサンミッシェルやフランソワ1世広場の噴水等を手掛けた折衷主義の建築家、ガブリエル・ダヴィウ Gabriel Davioud (1823-81)の作品。

Parc Monceau-1

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ロータリーとモニュメント 39  ユーロップ広場

       depuis  2001

 クロード・モネの<サン・ラザール駅>で有名な
サン・ラザール駅構内の橋上ロータリーである

 ユーロップ広場 Pl. de l’Europe のモニュメントは小さなビオトープだ。

広場の下はサン・ラザール駅構内の線路で手前が駅舎で前方はノルマンジー。

1837年に開業した最も古い鉄道で、ピサロのポントワーズ、シスレーのルーヴシエンヌ、モネのジヴェルニー・アルジャントゥイユ、ゴッホのオーヴェル・シュル・オワーズなど印象派の巨匠たちが制作の拠点としたのはいずれもこの沿線だ。

ロータリー(ヨーロッパ広場)には6本の道路が入っていていずれもヨーロッパ各地の都市名を冠している。右の建物沿い右にサン・ペテルスブール通り、時計回りにリエージュ通り、ロンドレ通り、ヴィエンヌ通り、マドリッド通り、コンスタンチノープル通りだ。

周辺にもローム通り、ダムステルダム通り、モスコウ通り、リスボン通り、、ブダペスト通り等多数ある。

モネの<サン・ラザール駅>はオルセー美術館にあるが、今夏のロンドン・ナショナルギャラリーで別作を鑑賞した。

ロータリーとモニュメント 38  フランソワ1世広場

   depuis  2001

  フランソワ1世通りをはじめ広場を突き抜ける3本の道路、
合計6道路が集まるロータリーである

フランソワ1世広場 Pl.François 1er のモニュメントは噴水(マドレーヌ広場の泉)だ。

シャトレ座の建築家 ガブリエル・ダビウ(1823-81)の作品(1864)。

大理石で彫刻は Théophile Murguet による。

Pl.François 1er

フランソワ1世アンヴァリッド橋の右岸詰を直進せずに斜め左のフランソワ1世通り Av.François 1er (モンテーニュ大通りを横切りジョルジュ・サンク大通りに至る)を少し行ったところだ。

フランソワ1世(写真左)は晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチをアンボアーズ城に庇護したことで知られている16世紀前半のフランス王で、ルネッサンス王 Prince de la Renaissance と別称される。

<モナ・リザ>がルーブル美術館にあるのは彼のお蔭だ。

エッフェル塔百態 47  アレクサンドル3世橋

   depuis  2001

アレクサンドル3世橋右岸詰からのエッフェル塔。

右の刈込の緑道は<女王の間 Cours de la Reine >。

ジョルジュ·ガルデ Georges Gardet ( 1863–1939) のライオン像も見える。

右側はグランパレ、プチパレ(写真下の上)。
左側はアレクサンドル3世橋とアンヴァリッド(写真下の下)。

エッフェル塔百態 45  マティニョン大通り

   depuis  2001

7月14日の革命記念日の当日

パレードを見るため

メトロの開いている

マップメトロライン9をダウンロード - PDF - 新規ウィンドウ9号線ミロメニル Miromesnil で下車、

徒歩でマティニョン大通りを

シャンゼリゼ大通りに向かって歩く人々と

晴天に顔をのぞかせるエッフェル塔。

ロータリーとモニュメント 27  テルヌ広場

   depuis  2001

    やや長円形のロータリーであるテルヌ広場  Pl. des Ternes  のモニュメントは花市だ。

日本人に人気のフォーブルサントノーレ通り Rue de  Faubourg St-Honoré はこの交差点から東向きに始まる。1番地はショパン Chopin が愛用していたことでも有名なピアノのプレイエル Pleyer だ。 コンサートホールもある。

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高校の後輩でピアニストの彼女が憧れのプレイエル社の支援で東京都庭園美術館で催したピアノ演奏会に出かけたことがある。

ロータリーとモニュメント 26  アルマ広場

   depuis  2001

アルマ広場 Place de l’Alma は8本の道路が集まる大きなロータリーだ。

シャンゼリゼ大通りと併せて黄金のトライアングルを形成するジョルジュ・サンク大通り(写真中央)とモンテーニュ大通り(写真右斜め方向)に加えて、凱旋門からのマルソー大通り、トロカデロから来るプレジダン・ウィルソン大通り(どちらも写真左斜め方向)にアルマ橋(写真手前)など大物揃いだ。

中央の尖塔はアメリカン・チャーチ American Cathedral in Paris 。

ロータリーの中心にはモニュメントは無いが周りに3つのモニュメントがある(2つは王妃 アストリッド広場)。

Pl. de l'Alma

シャンゼリゼ大通りをクラシックカーが優雅に疾走

   depuis  2001

7月31日の日曜日クラシックカー愛好家の催しがあったのだろう、シャンゼリゼ大通りで多数のクラシックカーを目撃した。イギリスもアメリカも見たので世界的な行事かと。      クラシックカーの饗宴

クラシックカー-1クラシックカー-2クラシックカー-3

パイヴァ候爵夫人の館 Hôtel de la Païva

   depuis  2001

   7月最後の日曜日は、シャンゼリゼにあるパイヴァ候爵夫人の館の見学ツアーに参加してきた。

パイヴァ候爵夫人は、19世紀フランスで最も名を馳せた高級娼婦(クルチザンヌ)。 今はにぎやかな大通シャンゼリゼはその昔、チュルリーやルーブル宮にいくまでの馬車道でした。ここが開発されたとき、パイヴァ候爵夫人はその土地を購入、贅の限りをつくした自分の館を建てたのです。 この館を建てた頃には、高級娼婦の仕事からは足をあらい、文字通りパイヴァ候爵夫人となっていたわけですが、彼女の屋敷で開かれたサロンは著名人が集まりつつも、上流階級の人からは成金趣味と嫉妬の入り混じった眼で見られていたようです。 たしかに内装はちょっとゴテゴテした印象・・でも、オペラ座のホールの天井画を描いたポール・ボドリーによる天井画や、サン・ミッシェルの噴水広場の彫刻を担当したアンリ・アルフレッド・ジャックマールの彫刻を施した暖炉(写真左下)、香水入りの水がでる蛇口つきのクリストフル製の浴槽(写真右下)などその当時の贅を尽くした感じはそのままに残っていました。 4

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現在はイギリスのトラベル・クラブが館を所有しているそうですが、そのお陰で館が建てられた当時の趣を残しているとのこと。暖炉それ以外の当時のシャンゼリゼの建物はすべて立て直しされ、シャンゼリゼはすっかりかわってしまいました。 みてのとおりほとんどが大型店舗にとってかわり、シャンゼリゼの両脇の建物や土地はほとんどアメリカなど外資のものらしいです。確かに今のシャンゼリゼはあまり行きたくない場所のナンバーワン。日本人会も引っ越したので年に1度いくかいかないかの場所になりました。スリも多いですし、ツーリストには狙われやすい場所がらなので、十分注意してください。 パイヴァの館の見学はフランス語で、パイヴァの館保存委員会のようなものが見学ツアーを定期的に企画しています。 入場料は17ユーロでした。

ロータリーとモニュメント 16            サントギュスタン広場 / ジャンヌ・ダルク像

   depuis  2001

Pl. St-Augustin    サントギュスタン広場  Pl. St-Augustin  のモニュメントはジャンヌ・ダルクの騎馬像だ。

騎馬像のオリジナルはランス大聖堂前にある。

Paul Dubois (1829-1905) の作品(1895)。

このロータリは9本の道路が交差する変型交差点で非常に分かり辛く、

また、サン・ラザール駅に近接していることも手伝って交通渋滞が常態だ。

Pl. St-Augustin

上は教会の前からでサントギュスタン教会モニュメントは後ろ向き。

ジャンヌ・ダルク像は St-Augstin 教会の,真前中央だ。

教会前のマルゼルブ大通り Bd. Malesherbes はマドレーヌ広場に一直線だ。突き当りが広場。

反対に、マドレーヌ寺院のあるマドレーヌ広場から見たサントギュスタン教会が右の写真で、

上の写真からでは想像できない大教会なのだ。

上の写真では教会の大ドームが全く視野に入っていない。

ロータリーとモニュメント 13   クリシー広場

   depuis  2001

       クリシー広場  Pl. de Clichy  のモニュメントは

モンセー元帥のクリシーでの戦い(1814年3月30日)の記念碑 Le monument à Moncey だ。

Amédée Doublemard (1826-1900) の作品(1870)。

写真手前側が Bd. de Clichy クリシー大通りで、ムーラン・ルージュのあるブランシュ広場を経てピガール広場に向かう。前方の緑はバティニョル大通りで、凱旋門に一直線だ。

モンセー Moncey はパリ国家警備隊を率いてクリシーにバリアーを築いてロシア等ナポレオン包囲同盟軍と戦うも武装解除を余儀なくされ、翌日の1814年3月31日にパリ陥落・ナポレオンは退位となる。

ロシア遠征に異を唱えていた彼は王政復古政府の大臣などを歴任することになる。

ロータリーとモニュメント 5  コンコルド広場

   depuis  2001

      長方形のロータリーである コンコルド広場 Place de la Concorde のモニュメントは
<ルクソールのオベリスク>とも<クレオパトラの針>
とも呼ばれるオベリスク Obélisque だ。

そして、オベリスクを挟んで2つの噴水:                                                                                                <手前に大河の泉 Fontaine des Fleuves 、奥(南側)に海の泉  Fontaine des Mers  >がある。

写真上ギリシャ様式の国民議会下院のブルボン宮 (1728) と

写真下同様式(新古典・ネオクラシック)のマドレーヌ寺院  (1826) とは
セーヌ川を挟んで直線上にある。

写真下左はホテル・クリヨン L’hôtel de Crillon 右は旧海軍省 L’hôtel de la Marine で(ガブリエル Ange-Jacques Gabriel によるツインの古典様式建築 1774)、

パリの主軸であるリボリ通りはクリヨンで軸をずらせて シャンゼリゼ大通りへと向かう。

写真上でアンヴァリッド、モンパルナスタワー、ネオ・ゴシック様式のサント・クロチルド聖堂が見えるがエッフェル塔は視界に入らない。

写真上の左、下の右のチュイルリー公園から広場を見ると・・

中心軸から少し左にずらして撮影しているので、
オベリスクの向こうに凱旋門を見ることができる。

その間がシャンゼリゼ大通りだ。
金色のゲートの向こうがコンコルド広場、こちら側がチュイルリー公園。

曇天のようだが撮影ポイントはカンカン照り。

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このポイントだとモンパルナスタワーは入らない。

Pl. de la Concorde                                                                                                                                                                                    2012.08.07

ロータリーとモニュメント 1  シャルル・ド・ゴール広場   

   depuis  2001

完全なロータリー式交差点は日本では珍しいが、パリでは凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール・エトワールを代表に各所で見ることができる。
ロータリーとモニュメントとと題していくつかを案内しよう。

先ずは12本の道路が放射状に集まるシャルル・ド・ゴール・エトワール。全体が シャルル・ド・ゴール広場 と呼ばれていて中心に凱旋門 Arc de Triomphe が位置している。

手前はシャンゼリゼ大通りで、凱旋門を通して幽かにデファンスが望める。凱旋門は小山の頂上にあるため12本の道路はすべて下り坂になっている。また、ロータリーのためシャンゼリゼ大通りから直進して門を潜り抜けることはできない。屋上に見物客の姿が・・

エッフェル塔百態 34 凱旋門 Arc de Triomphe

   depuis  2001

手前の道路はテルヌ広場からの Av. du Wagram 。

Tour Eiffel-Arc de Triomphe

写真下の手前は Av. Carnot 。

エッフェル塔は凱旋門の左から右へ移動する。放射道路が12本のうえ外側に直ぐ環状道路があるので、この辺りでの知ったかぶりは禁物だ。方向感覚はすぐ失われるから。。。

Tour Eiffel-Arc de Triomphe-2

14 Juillet …革命記念日

   depuis  2001

今回明後日からの渡仏を決めたのは <パリ祭> に参加するためだ。これまではこの時期にパリを訪れるのは不可能だった。やっと念願がかなったというわけだ。

1789年7月14日にバスティーユの襲撃に端を発したフランス革命を記念する革命記念日のお祭りだ。シャンゼリゼでの軍事パレードはテレビやビデオでお馴染みだがぜひ現場の雰囲気を味わってみたい。

夜はオペラ・ガルニエで <天井桟敷の人々> を鑑賞することにしているので、今年の 14 Juillet  は忙しい。

パリ祭が過ぎればフランスはバカンスの幕開けだ。

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メトロ コンコルドが下車不可など会場周辺が広範囲にわたって交通規制されているため、2駅先のPA_metro_ligne_9PA_metro_ligne_13ミロメニル Miromesnil で下車徒歩でAv. Matignon から入って ロータリ- Rond Point des Champs-Élysées  に陣取ることにした。

サルコジ大統領は10時に Av. Friedland に到着後、軍用車で凱旋門からシャンゼリゼ大通りをコンコルド広場に向かう途中10時07分に前を通過した。

先頭車両の左、敬礼しているのがサルコジ大統領。

写真左の方が解像度がよい。上は敬礼していない。

* * *

14日の記念日の前夜祭がバスティーユ広場をはじめ各所で行われるのだが、ヴァンセンヌでも教会横の広場で

老若男女がダンスに興じた。屋台も出てビールやソーセージが安い値段で地元のおばさん連中によって振舞われていた。

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14日の革命記念日のトリはエッフェル塔を夜空に浮かび上がらせる花火だ。

ガルニエでバレーを鑑賞した後、腹おさえにオペラ直ぐのベトナム料理屋でホーを食べてからシャン・ド・マルス公園に向かった。

混雑を予想してメトロ8号線PA_metro_ligne_8でエコール・ミリテールをやり過ごしラ・モット・ピケ・グルネルまで行ってから徒歩を選んだ。

11時直前にはエッフェル塔のイルミネーションも消灯され、やっと暮れた夏の夜空に花火とエッフェル塔のシルエットが映えわたった。

レストラン POMZE

   depuis  2001

今日はパリのレストランをパリから紹介します。

りんごを使った料理がとても美味しくて、しかも日本人のスタッフの方がおり、メニューも日本語で書いてあるので

フランス語がわからなくても大丈夫!

8区にあるPOMZEです。

ランチは30ユーロで、前菜+メイン+デザートですが、

おなか一杯になりますよ。                                                            POMZE で最後のデジュネ

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ツール・ド・フランス ( Le Tour de France ) 2010 シャンゼリゼ大通り

   depuis  2001

  今年のツール・ド・フランスの最終日は7月24日の日曜日に決まった。昨年はシャンゼリゼ通り、一昨年はビブリオテーク・ミッテランの国立図書館前で観戦したが、今年はどこにするかまだ決めていない。

一昨年の場所はセーヌ川をトルビアック橋で右岸から左岸に渡った直後、フランス国立図書館前の直線コースでスピードが落ち絶好の観戦ポイントだと思いきや、あっという間に集団が通過、いかにもあっけなかった。昨年のシャンゼリゼ大通りは周回コースのためスピードはさほどでなかったものの観戦者や各国のチームの応援団が多すぎて場所取りが大変だった。少なくとも4時間前には観戦場所を確保しておく必要があるから。

撮影地点は  ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼでフランクリン・ルーズベルト大通りとの交差点だ。

選手がシャルル・ド・ゴール・エトワールからコンコルド広場に向かって集団となって通過中だ。

実は、素人には選手団が到着する前に行われる車を使ったスポンサーによる広告宣伝が面白い。次から次へと時速40~50キロのスピードで走り抜けていく。それが2時間程度続くのだ。

お菓子類、水・ジュース類・帽子など様々な参加企業の商品が観客の方に投げられ、観客は我先にとこぞってそれを拾うわけだ。近年は安全を考えて投下される商品も限られてきて以前の賑いはない。

では、参加企業のいくつかを紹介して雰囲気を味わっていただこう。

 

 

左は2009年の物。Vittel のペットボトルなどにもロゴが入っていて、それを喜ぶ人もいる。<参加した>という気持ちになるのは確かだ。

エッフェル塔百態 19  ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼ

    depuis  2001

     四季の花々で年中埋め尽くされているロン・ポワン・デ・シャンゼリゼ Rond-Point des Champse-Élysées から見るエッフェル塔である。

この写真は今年の4月のもの。円形に配置されている花壇をさらにぐるっとマロニエの並木が取り囲んでいる。

エッフェル塔の方角はシャンゼリゼ大通りとジョルジュサンク大通りとともに黄金のトライアングルの一角を構成するモンテーニュ大通り。

2010年のツール・ド・フランスと2011年のパリ祭とはここに場所取りした。

エッフェル塔百態 18  コンコルド広場

    depuis  2001

      コンコルド広場から見たエッフェル塔である。

この日は2010年7月のツール・ド・フランスの最終日で、
コース管理の状況やディスプレイが覗える。周回するコンコルド広場と凱旋門との間シャンゼリゼ大通りは観戦者で最も賑わう場所である。

ツール・ド・フランスについては別稿で紹介する。

ランスと言えばジャンヌ・ダルク / Jeanne d’Arc

 depuis 2001

ランス Reims には数回寄ったことがありますが、

頭を過るのはいつも藤田嗣治とジャンヌ・ダルク (Jeanne d’Arc) です。

ジャンヌ・ダルク (1412-1431) に纏わる歴史の中でもオルレアンの解放とシャルル7世の戴冠式は重要です。イングランドとの百年戦争の最中、ランス大聖堂で戴冠式を行うことによりシャルル7世を正式のフランス王とし王の空白を解消したのです。

ジャンヌ・ダルクの騎馬像は金ぴかのせいだけではなく最も好きなモニュメントの一つです。

ルーブル宮の西北端 ピラミッド広場 にあります。
エマニュエル・フレミエの作(1889)です。

ジャンヌ・ダルクは1429年9月8日にこの付近にあったサントノレ門で行われたイングランドとの戦いで負傷しました。

ルーブル宮には、装飾芸術協会傘下の 装飾芸術美術館・モードと織物美術館・広告博物館 の3館が入っていて、入場すればすべてを鑑賞することが可能です。興味のある人には必見だと思います。

ところで、イングリッド・バーグマンが ジャンヌ・ダルク を演じた映画 Joan of Arc を覚えている方はおられるでしょうか? マラケシュに行った折、カサブランカ→イングリッド・バーグマン→ジャンヌ・ダルク と頭を過りました。

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リヴォリ通りに接するピラミッド広場はジャンヌ・ダルク像を中心に左右対称になっていて(下の写真)、右側に ホテル レジーナ が入っています。古い造りと調度品、特にステンドグラスの素晴らしさには驚きました(宿泊当時)。また、市内観光や近郊観光のプログラムを多数用意している シティラマ は右正面に入っています。

21世紀の新年は家族で レジーナ に宿泊して、リヴォリ通りを歩いて直ぐのコンコルド広場で迎えました。大型の送風機で紙吹雪を広場中に撒き散らしていたこと、リヴォリ通りがホコテンになっていたこと、広場に入りきれないほどの大勢の人出で賑っていたこと、雪がちらつく霙模様の寒い新年であったことなどを思い出します。

Pl. des Pyramides

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Reims に残るジャンヌ・ダルクの足跡をいくつか…..

Jeanne d'ArcMusée Hotel le VergeurRue Jeanne d'arc

写真上段はランス大聖堂の前にあるジャンヌ・ダルクの騎馬像。大聖堂を見上げています。

ポール・デュボア Paul Dubois(1829-1905) の作品 (1889)。

中央は Musée Hôtel le Vergeur の壁面にある500周年記念の銘版。

17Juillet 1429   CharlesⅦ の文字が見える。

<フルー・ド・リス二つと剣と王冠のジャンヌ・ダルクの紋章>も見える。

下段はランスのジャンヌダルク通り。

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サン・ラザール駅の西側、サントギュスタン教会の前にも<ジャンヌ・ダルクの騎馬像>がある(ワシントンにもある)。

ランス大聖堂前のオリジナル像のレプリカ。

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ジャンヌ・ダルク通り Rue. Jeanne d’Arc とマルセル大通り Bd. St-Marsel との交差点、小さなロータリーに<ジャンヌ・ダルクの立像(1891)>がある。

Émile-François Chatrousse (1829-96) の作品(1887)。

ジャンヌ・ダルク通りの起点でほぼ直線でジャンヌ・ダルク広場が終点。

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サクレ・クール聖堂正面入り口の上部に聖ルイ王(サン・ルイ) Saint Louis/ルイ9世 と対を成してジャンヌ・ダルクの騎馬像があるのをご存知だろうか?

下左の聖堂の写真をクリックして拡大してみてください。右の騎馬像がジャンヌ・ダルクです(右下の写真が見えます)。

イポリット・ルフェーブル Hippolyte Lefèbvre (1863-1935) の作品(1927)。

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ノートルダム寺院のジャンヌ・ダルク Sainte Jeanne d’Arc (1412-31)

ジャンヌダルクの再評価を決定したのはノートルダム寺院/パリであり、列福した(1909)のはノートルダム寺院だった。列聖はバチカンのサン・ピエトロ寺院(1920)。

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<ジャンヌ・ダルク>所縁のサン=デニス·デ·ラ·シャペル

ジャンヌ・ダルクがパリ進撃前夜(le 7 septembre 1429)を祈りで過ごしたサン=デニス·デ·ラ·シャペル Église Saint-Denys de la Chapelle です。

初期ゴシック建築(1204)で、聖ジュヌヴィエーヴが古代ローマ遺跡の跡地に建設した礼拝堂(475)を再建したものです。礼拝堂には、サン=ドニ大聖堂に移される(636)までサン=ドニの遺物が収容されていました。

パリからサン=ドニ大聖堂に至るガレ・ローマン時代からの古い道(サン=ドニ L’Estrée)、シャペル通り Rue de la Chapelle に面しています。
この辺りはカルチェ・デ・ラ・シャペル Quartier de la Chapelle と呼ばれています。

左、ネオロマネスク様式の建物はジャンヌ・ダルク大聖堂 Basilique Ste Jeanne d’Arc(1964)で、前にジャンヌ・ダルクの像が置かれています。
第一次大戦における、第一次マルヌの戦い(1914)の勝利に感謝(ジャンヌ・ダルクに)して発意され、完成は勝利50周年にあたります。

Église Saint-Denys de la Chapelle / Basilique Ste Jeanne d'Arc / Rue de la Chapelle

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ジャンヌ・ダルク像 / ジャンヌ・ダルク大聖堂 前

Statue de Jeanne d'Arc / Basilique Ste Jeanne d'Arc / Rue de la Chapelle

ジャンヌ・ダルクがパリ進撃前夜(le 7 septembre 1429)を祈りで過ごしたサン=デニス·デ·ラ·シャペル Église Saint-Denys de la Chapelle 横の<ジャンヌ・ダルク大聖堂 Basilique Ste Jeanne d’Arc >前に置かれているジャンヌ・ダルク像です。

フェリックス·シャルパンティエ Félix Charpentier (1858-1924) の作品(1888)です。

本拠地だったボルドーにある、フランス革命時のジロンド党の大モニュメント Monument aux GirondinsBordeaux の一部を構成する噴水、コンコルドの勝利 Le triomphe de la Concorde (1900) の作者だ。

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火刑台上のジャンヌ・ダルク / サン=デニス·デ·ラ·シャペル

サン=デニス·デ·ラ·シャペルには、<火刑台上のジャンヌ・ダルク Jeanne au Bucher (1954)>と題された彫像が置かれている。
アルバート・パッシュ Albert Pasche (1873-1964) の作品です。

19歳のジャンヌ・ダルクがルーアンのヴィエ・マルシェ広場で処刑されるのは 30 Mai 1431 、17歳でこのシャペルに立ち寄った 7 septembre 1429 から1年8か月後のことだ。

Jeanne au Bucher / Église Saint-Denys de la Chapelle

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ジャンヌ・ダルクが負傷したサント・ノレ門

サン=デニス·デ·ラ·シャペル Église Saint-Denys de la Chapelle を出たジャンヌ・ダルクは古い道、サント・ノレ通りからパリ城内に入る<サント・ノレ門>に進撃した。

当時のサント・ノレ門 Porte Saint-Honoré はフィリップ・オウギュストの城壁を拡張したシャルル5世の城壁に在った(1636 撤去)。現在のアンドレ・マルロー広場一帯である。

8 Septembre 1429、ここでのパリ包囲中に太腿に傷を負った記録がサント・ノレ通り161-3番地で見られる。

金色のジャンヌ・ダルク像がピラミッド広場に置かれているのもここから近いからだ。

Jeanne d'Arc / 8 Septembre 1429 / Porte Saint-Honoré

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ジャンヌ・ダルクとブロア城 / オルレアンの包囲

後に、オルレアンの乙女 Pucelle d’Orléans と愛称されることになる
ジャンヌ・ダルク Jeanne d’Arc (1412-31) はここブロア城からイングランド軍に包囲されていた<オルレアンの解放>に出立した(1429.04.29.オルレアンに到着、05.08.開放)。

ブロア城の礼拝堂において、ランスの大司教ルノー・シャルトル Renault de Chartres による祝福を受けた。約3か月後、ジャンヌ・ダルクの下、ランス大聖堂でシャルル7世の戴冠(1429.07.17.)をした人物である。

ブロアの古い要塞跡であるフォアの塔 Tour de Foix (ブロア城の南西端にある円筒状の塔)で解放表明をしたと伝えられている。
左のゴシックの尖塔はサン・ロメ修道院 Abbaye Saint-Laumer 。

手前はロワール川 La Loire 、コンクリートのパラペットで護られている。
河岸への日常進入口として途切れている部分には、洪水時にゲートを挿入する。

崖上の要塞ブロア城は写真右半分で、入口は奥。

Jeanne d'Arc / Château de Blois / Tour de Foix / Siège d'Orléans

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ジャンヌ・ダルクの騎馬像 / フレミエの立像

ピラミッド広場にある金色の<ジャンヌ・ダルクの騎馬像 (1889)>の彫刻家<エマニュエル・フレミエ Emmanuel Frémiet (1824-1910) の立像> がパリ植物園にある。
動物彫刻家とも言われるだけあって動物の骨学の研究者でもあった。
代表作の一つ <小熊狩り Dénicheur d’oursons (1885)>の縮小版を制作している様子。
台座に<ジャンヌ・ダルクの騎馬像の浅浮彫>が嵌め込まれている。
Henri Greber (1856-1941) の作品(1913)。
なお、現在の騎馬像は置き換えられた第二ヴァージョンで、最初のものは1874年に設置された。

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7本の道路が集まるロータリー ジャンヌ・ダルク広場 Pl. Jeanne d’Arc の真ん中に Notre Dame de la Gare がある。パリ市に編入される以前の地区の聖母教会だ。広場名は編入時から。

下の写真は教会前からジャンヌ・ダルク通り Rue Jeanne d’Arc を見たもの。ジャンヌ・ダルク通りはジャンヌ・ダルクの立像のあるサン・マルセル大通り Bd. St-Marcel まで一直線。

その先に、聖人ジャンヌ・ダルクの眠る<パンテオン>が見える。影は教会のもの。

右の写真は教会内にある彫像で十字剣を持つジャンヌダルクだと思われるが、何の記載も説明もない。

エッフェル塔百態 14  コンコルド橋

   depuis  2001

Pont de la Concorde / Pont Alexande III

コンコルド橋からセーヌ川の下流方向にアレクサンドル3世橋とエッフェル塔。

中央奥の建物はシャイヨー宮で、三色旗を掲げている方が右ウイング。

アレクサンドル3世橋はロシアのロマノフ王朝最後の皇帝として知られる

ニコライ2世が1900年に友好関係にあったフランス政府に贈ったものです。

 ここは、最も人気のあるセーヌ川のビュウポイントの一つです。

(写真上でクリックし、拡大した写真上でもう一度クリックしてみてください。)

早春のシャンゼリゼ・・・プラタナス platane

   depuis  2001

  マロニエ(栃の木)の芽吹きは3月末から始まり、4月初めには開花から一気に満開となりましたが、

パリの街路樹に多いプラタナス(鈴懸)は、比してやや遅れ気味になります。

シャンゼリゼ大通りの街路樹もプラタナスですので、4月初めはまだこんな感じで

建物や空が透けて見えています。既に、小さいながらも鈴を沢山付けています。

2011.04.09

http://www.youtube.com/results?search_query=%E6%97%A9%E6%98%A5%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%AA&aq=f

<早春のパリ> をご覧ください。

バスで行く区役所巡り 6  3区・8区・17区・19区

   depuis  2001

      パリ最終日を前に、今回最後(?)の区役所めぐり。

 3区区役所   ライン75

3e

シテ島の商事裁判所の建築家 アントワーヌ·ニコラ·ベイリー Antoine-Nicolas Bailly による設計。ネオ・ルネサンス様式(1868)。

パリの市章のある頭部破風の上に、誕生・結婚・投票・死を寓意するジャン・ラグランジェ Jean Lagrange のレリーフが載っている。風格を感じさせる外観だ。

3区の区民が結婚式を挙げるマリア―ジュ・ホールです(3葉)。

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区役所の正面に位置するテンプル公園 Square du Temple (1857)。

19e-parc

ジャン=シャルル·アルファン の設計で、人工池、ガブリエル・ダビウの鉄柵・野外ステージ等を配していて、パリを改造したナポレオン3世、第二帝政期の公園の典型と言われる。

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 8区区役所   ライン94

8e

マリア―ジュ・ホールは。。。

きれーっ・・ベルサイユ宮殿のようです。

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 17区区役所    ライン66

17e

パリの区役所で唯一近代的な建物。

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 19区区役所   ライン75

Gabriel Davioud (1823-81)と Jules Bourdais(1835-1915) の建築(1878)。
ガブリエル・ダビウ は
シャトレ広場の噴水やシャトレ座、サン・ミッシェル広場の噴水の建築家。

19e

前にはパリでも有数の広さを誇る ビュット・ショーモン公園 が広がっています。

                                                                                     きれいな階段の装飾

有名人の?写真とサイン。またまた照れちゃいます。

 

この続きは、また次回の滞在で!