ロータリーとモニュメント 74 ピエール・Lafue 広場

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ドレフュス事件 (1894-1906) についてはこれまでにいくつか紹介してきた。
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彼のブロンズの立像が ラスパイユ大通り Boulevard Raspail に6本の道路が集まるロータリー ピエール・Lafue 広場 Place Pierre Lafue にある。
漫画家・彫刻家だった ティム Louis Mitelberg dit TIM (1919-2002) の作品で、
文化とフランス語圏省が1985年に調達し設置した。
ドレフュス大尉に捧ぐ Hommage au Capitaine Dreyfus     TIM (サイン) と台座にある。折れた剣を眼前に掲げているように見える。
また、案内板には ” Si tu veux que je vive,fais moi rendre mon honneur “ との記載が・・

Pl. Pierre Lafue

 Pierre Lafue (1895-1975) はフランスの作家でジャーナリスト。

メトロ 12号線 ノートルダム・デ・シャン Notre-Dame des Champs 下車。

ロータリーとモニュメント 70 テオドール・ヘルツル広場

   depuis  2001

テオドール・ヘルツル広場 Place Theodor Herzl のモニュメント。複雑なロータリー。
<ハーモニー Harmonie > Antoniucci Volti (1915-89) の作品。

Hungary Flag   Theodor Herzl (1860-1904) はハンガリーの (ブタ) ペスト生まれのユダヤ人ジャーナリストで、パリ特派員として係ったドレフュス事件 (ユダヤ人のフランス陸軍大尉ドレフュスのドイツスパイ冤罪事件) 1894-1906 を通じてユダヤ国家の建設を主張するに至った。
案内板には「ジャーナリストで作家 ユダヤ人国家の主唱者」とある。

Pl. Theodor Herzl

広場の中にある メトロ 3号線 、11号線 アールゼ・メティエ Arts et Métiers 下車。

自由の女神像の原像が保管されている<国立技術博物館>は目の前。

ロータリーとモニュメント 66  クレマンソー広場

   depuis  2001

日本で猛虎といえば阪神タイガースだが、
フランスではクレマンソーのことを猛虎宰相と呼ぶ。

「行動を自問するようでは行動的人間とは言えない。」と うそぶいたといわれるクレマンソー Georges Clemenceau (1841-1929) は   第一次世界大戦時のフランスの首相であり、
戦時並びにヴェルサイユ条約締結時のドイツへの強硬姿勢で知られる。

また、ジャーナリストとしてドレフュス事件でドレフュスを擁護した人権派としても有名。
エミール・ゾラ の 「われ、弾劾す。 1898 」は彼の主幹する新聞で公開された。
革命以後のフランスの栄光を代表する行動的政治家でありジャーナリストだ。

グラン・パレ、プチ・パレ、エリゼ宮の面するシャンゼリゼ大通りにクレマンソー広場 Place Clemenceau があり、クレマンソーの像 (François Cogné (1876-1952) の作) と噴水がモニュメントとしてある。2000年以降、反対側にド・ゴールの像もある。

後ろの建物はプチ・パレ、右側に見える通りがウィンストン・チャーチル大通り Av. W.Churchill で、その右手がシャンゼリゼ大通り、左手がセーヌ川でアレクサンドル3世橋からアンヴァリッドへと続く。

地下には メトロ1号線、13号線 Champs-Élysées Clemenceau 。

Pl. Clemenceau

Tunisia Flag

経済学者ケインズはヴェルサイユ条約締結時におけるフランス(クレマンソー)のドイツに対する強硬姿勢をローマのカルタゴに対するそれに例えて<カルタゴ式平和>と揶揄した。

カルタゴは三次にわたるポエニ戦争の結果、徹底的にローマに滅ぼされる(紀元前146年)まで地中海を支配した海洋都市国家だが、現在のチュニジアの首都チュニスにあたる。

本日、当時アフリカといえばカルタゴのことであったといわれる現チュニジアからのアクセスがあった。アフリカからは今年の2月25日以降で初めでだ。

ロータリーとモニュメント 2  ナション広場

   depuis  2001

ナション 広場  Place de la Nation のモニュメントは Monument de la République だ。

Monument de la République -Nation

エメージュ・ダル― Aimé-Jules Dalou が20年をかけたといわれる代表作 Le Triomphe de la République (共和国の勝利あるいは共和国の凱旋) (1899) で女性はフランス共和国を象徴するマリアンヌだ。フリジア帽を被っている。

1889年のフランス革命100周年を記念したもので、自由・正義・教育・平和 を寓意したものだ。落成式の挙行された1899年は<ドレフュス事件>に転機が訪れた年でもある。歴史の妙というべきか?

像の向きはフォーブル・サン・アントワーヌ通りをとおしてバスティーユ広場、その先はエッフェル塔だ。

メトロ2号線、6号線の始発駅であり、1号線、9号線とRER  A線 の停車駅である Nation はエトワールと対をなす大型円形ロータリーの地下だ。12本の放射道路のうちヴァンセンヌへ一直線の Cours de Vincennes で開かれる朝市は規模の大きさで有名だ。

ニューヨークのバッテリーパークで到着列車が折り返すのではなくそのままぐるっと回って始発列車になるのに驚いたことがあるが、メトロ2号線は到着列車が進行方向を変えることなくそのまま始発列車になる。広場の大きさが想像できようというものだ。

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ここしばらく続いていたナション広場の改修がほぼ一段落し、大木の伐採と潅木花木の植栽でモニュメントの見通しもよくなった。また同時に進行していた像後方の玉座の円柱 Colonnes du Trône の改装も終了した (写真2枚目の2本の円柱) 。Cours de Vincennes の大規模改良もトラムの新設工事に関連する部分を除き概成した。(2011年8月)

ポルト・ド・ヴァンセンヌ Port de Vincennes を通るトラムの工事はレールの敷設に続き架線も引き終わり植栽もされて開通が間近い。(2012年8月)

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2011/07/23 の朝市で・・ウサギ Lapin と花

ロータリーとモニュメント 28 Place de Victor et Hélène Basch

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オルレアン門 Porte d’Orléans  からパリ市内に入り、1944年8月25日広場  Place du 25 Août 1944  からルクレール将軍大通り Avenue du Général Leclerc  を進んで最初のロータリーが
ヴィクターとエレヌ・バッシュ広場 Place de Victor et Hélène Basch だ。

地下はメトロ4号線のアレジア Alésia で、モニュメントはヴェースに入れた棕櫚6本だ。

<パリは燃えているか?> ヒトラーのパリ焦土作戦を未然に防止し実行しなかった自由フランス軍のルクレール少将とドイツ防衛軍のコルテッツ大将とがモンパルナス駅で降伏文書を取り交わし、パリを開放した日が1944年8月25日だ。その日、ルクレールはオルレアン門 (Place du 25 Août 1944) からパリに入城し、アレジア、ダンフェール・ロシュローを辿ってパリ警視庁へと進軍したが、その広場と道とに記念の名を冠したものだ。

アレジアのロータリーは6本の道路が交差するのだが左右に抜けるアレジア通り Rue d’Alésia 等いずれも幹線でいつも混雑している。写真中央がルクレール将軍大通りでこの先が ダンフェール・ロシュロー広場だ。また、ネオロマネスク様式のサンピエール・ド・モンルージュ教会は歴史的建造物。

広場名になっているヴィクターとエレヌのバッシュ夫妻は1944年1月10日に殺害された。ヴィクター・バッシュはブダペスト生まれのフランス人権連盟の創設者であり哲学者で、当時の文壇の大御所エミール・ゾラが擁護したことでも知られるあの有名な<ドレフュス事件>にも関与している。