パリの街燈 réverbère 15  ポン・ヌフ

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セーヌ左派流のポン・ヌフと右派流のポン・ヌフ (1578-1607) の街燈。

騎馬像はアンリ4世で、シテ島の下流端近くにあリ上流を向いている。

手前の2つと奥の街燈との違いが分かる。

アンリ4世 (在位:1589-1610) の騎馬像は François-Frédéric Lemot (1772-1827) の作品。

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エッフェル塔百態 76  国民会議(ブルボン宮殿)

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ブルボン宮殿はルイ14世の庶子ルイーズ・フランソワーズ・ド・ブルボン Louise Françoise de Bourbon (1673-1743) により建造 (1728) されたが、フランス革命により接収 (1791) され下院にあたる国民会議の議場となる (上院にあたる元老院はアンリ4世の王妃でルイ13世の母、マリー・ド・メディチ改築 (1631) のリュクサンブール宮殿) 。

Tour Eiffel / Assemblée Nationale (Palais Bourbon)

 

アンリ4世とルーベンス/ルーベンスの家/アントウェルペン Anvers

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Belgium Flag

 ルーベンスはゴッホ等とは違って生前からの人気画家で当時の豪邸 (廃墟同然になっていた) が修復されて<ルーベンスの家>として公開されている。

写真は1590年3月のイヴリーの戦い ( イヴリーは、ノルマンディー地方のウール川沿いの小都市 ) で、カトリックの推すマリエンヌ公を破ったフランス王アンリ4世を描いた4点セットのうちの一枚だ。アンリ4世の騎乗する白馬の他は未完と思われる。

同様の戦いの場面を描いた絵は、フィレンツェのウッフィツィ美術館にも所蔵されている。
ナント勅令でユグノー戦争に終止符を打つのは1598年のことだ。

アンリ4世/イヴリーの戦い

エッフェル塔百態 69  アンリ4世騎馬像

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シテ島 (ポン・ヌフ橋) 上のアンリ4世騎馬像 Statue équestre d’Henri IV を右端に、真ん中にフランス学士院を重層したエッフェル塔。
フランス学士院とエッフェル塔を除けば写っているのはすべてシテ島上。
騎馬像の向こうはシテ島の下流端の緑地  で、階段を下りると ポン・ヌフ公園 Parc du Ponu Neuf 。セーヌ河畔にも出られ、バトウ・ムッシュの乗船場でもある。
ポン・ヌフの起工はアンリ3世の治世だが、アンリ4世治世の1607年に竣工した。
台座にはラテン語で HENRICI MAGNI とあるが、これはアンリ4世の愛称である大アンリ Henri le Grand の意味だ。

* * *

エッフェル塔の左に街燈とその足元に<ヴェリブ Vélib’>の貸し出し所が見える。

美しい絵ガラスの聖母/シャルトル大聖堂

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Cathédrale Notre-Dame de Chartres

シャルトル大聖堂 Cathédrale Notre-Dame de Chartres は聖母マリア信仰の拠点であることはもとより、ステンドグラスの美しさで世界に知られている。とりわけシャルトル・ブルーは有名だ。

25年ほど前になるが、パリ駐在の友人に「大聖堂を見るならシャルトルですよ。」と車で案内してもらったことがある。今回 「ツール・ド・フランス 2012 」の観戦に出かけて、久しぶりに見たシャルトルの街も大聖堂もその時の記憶とはしっくりこなかった。

恐らくノートルダム寺院を含むパリの街並みも、フランスの各都市もその間に格段に美化されてきたことと大聖堂が昔のままで時間だけが経過したということによるのだろう。

<美しい絵ガラスの聖母 Notre-Dame de la Belle Verrière >と呼ばれるステンドグラスは1194年の火事を生き抜いたもの。

赤い部分がそれで、周囲の天使は火災後復元して付け加えられた。

<ナント勅令>のアンリ4世はユグノー (プロテスタント) から カソリック への改宗絡みでランス大聖堂での戴冠式を行えず、シャルトル大聖堂での戴冠となった。

la vert galant / アンリ4世

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サン=ジェルマン=アン=レー城 Château de Saint-Germain-en-Laye で撮った写真。

HENRI IV /  LA VERT GALANT  とあってアンリ4世のエピソードが綴られているのだが、写真としてルーブル美術館の中でも注目・必見絵画の一枚 < ガブリエル・デストレとその妹 Gabrielle d’Estrées et une de ses sœurs >(1594年作品で作者は不明)が使われている。それもそのはず・・・

la vert galant とは<伊達男>の意で、アンリ4世の愛称。絵のガブリエル・デストレはアンリ4世の愛妾。

フランスルネッサンスはフォンテーヌブローで花開き、École de Fontainebleau フォンテーヌブロー派と呼ばれる。前期はルネッサンス王と呼ばれるフランソワ1世が、後期はアンリ4世が力を注ぎフランス絵画のその後の隆盛の礎を築いた。

ガブリエル・デストレはアンリ4世の愛妾だが事実上の寵妃。

彼女がつまんでいる指輪は結婚を、妹が彼女の乳首をつまんでいるのはは妊娠(多産)を暗喩しているという。

<ナント勅令>の宗教戦争のさなか、28歳で3人の子供を残し死産で亡くなるまでの7年間の内助の功績は大きいといわれている。異例の国葬で葬儀が行われたことがその事実を示す。。

この絵は王が彼女の死後に描かせ風呂場のひとつに掲げていたものという。

下の写真はルーブル美術館 Musée du Louvre で撮影したもの。

Portrait présumé de Gabrielle d'Estrées et de sa soeur la duchesse de Villars / Musée du Louvre

Portrait présumé de Gabrielle d’Estrées et de sa soeur la duchesse de Villars / Musée du Louvre

<参考>アンリ2世の寵妃ディアーヌ・ド・ポワチエを描いた「Diane de Poitiers au bain」、François Clouet の作品。

ルイ13世騎馬像 / ヴォージュ広場

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パリで最も古い橋は皮肉にも新しい橋ポン・ヌフであることはすでに紹介したが、パリで最も古い広場が ヴォ―ジュ広場 (1605-1612) だ。
いずれもフランソワ1世と並んで最も人気の高いフランス王アンリ4世の治世 (1589-1610) の建造物だ。
この広場にアンリ4世の後のルイ13世の像が建てられたのが1639年で当初は Charles Dupaty (1771-1825) 作のブロンズ像だった。
ヴィクトワール広場 のルイ14世の騎馬像ともどもフランス革命後に取り壊されたが、1829年11月4日に現在の像に建て替えられた。Dupaty と Cortot によるマーブルの作品。

ヴォ―ジュ広場 Place des Vosges の周りは王の館 (下写真上) 、王妃の館 (下写真下) を含め四角にコリドール付きレンガ造りの36の館が取り囲んでいる。
写真の樹木はマロニエだが、枯葉が舞う9月も風情がある。広場に面する回廊も随分綺麗になってきた。
ヴィクトル・ユゴーが住んでいたところが<ヴィクトル・ユゴー美術館> になっている (下写真上左奥) 。

王の館

王妃の館