コンコルド広場の Sapin de Noël

   depuis  2001

背後はチュイルリー公園で、建物はオランジュリー美術館。

057

2013.01.06.には撤去作業が始まっていた。

街中でもサパンの片付が始まっている。

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Roue de Paris

   depuis  2001

ノエルの一環でパリの観覧車は、今、コンコルド広場にある。
Roue de Paris パリの歯車(車輪)とある。

ロンドンでは目に見え、パリでは車輪に見える。
アントワーペンではダイヤモンドに見えるらしい。

右側が凱旋門で左がチュイルリー公園。
左に見える馬の彫像は アントワーヌ·コワズヴォ Antoine Coysevox  (1640 – 1720) 作の<ペガサスに乗るメルキュール  Mercure monté sur Pégase (1699 – 1702) >。

Roue de Paris

Morocco Flag Maroc

モロッコのマラケシュ Marrakech の博物館で、
観覧車はアラブに起源を有するという説明を目にした。写真がそれ: 伝統のブランコ balançoires traditionnelles : で、この実物が展示されていた。

何よりも水が貴重な国の伝統のスパ(スーペリア)での4連泊は王侯貴族の気分を味わえて最高だった。お風呂も。モロッコの公用語はフランス語。フナ広場でその後乱射事件があった。

なお、カフェ/アン・キャンズでプリンに使用しているグラスはマラケッシュのもの。

1083

ロータリーとモニュメント 76  コロネル・ブルゴワン広場

   depuis  2001

シャラントン通りをはじめ6道路の集まる12区の コロネル・ブルゴワン広場 Pl. du Colonel Bourgoin のモニュメントは噴水と四角い街燈だ。
大佐の付く広場には他に コロネル・ファビアン広場 がある。

238

ブルゴワン大佐(Pierre-Louis Bourgoin 1907-70 は第二次大戦時に自由フランスのシリア戦線やノルマンジー上陸作戦の空挺部隊で活躍した英雄で、戦後は第5共和国の12区選出下院議員を4期12年務めた。

エッフェル塔百態 81 カルーゼル凱旋門/カルーゼル広場

   depuis  2001

カルーゼル広場のカルーゼル凱旋門 Arc de triomphe du Carrousel とエッフェル塔。

カルーゼル凱旋門はチュイルリー宮殿(1871年に焼失)前のカルーゼル広場にオステルリッツの3帝戦などでの ナポレオン・ボナパルトの戦勝 を記念して1809年に設置された。

凱旋門の頭部には当初ナポレオンが ヴェネチア Venise のサン・マルコ寺院から奪った<サン・マルコの馬 Chevaux de Saint-Marc >が置かれていたが、
王政復古後の1828年に現在のものに置き直された。

フランソワ・ジョゼフ・ボシオ  François-Joseph Bosio により彫刻(コピー)された
凱旋と勝利を表すクアリガ Quadrige (4頭立ての一人乗り二輪戦車)の
両サイドに金色で平和の女神を配す。

オリジナルのサン・マルコの馬はヴェネチア美術館にある。    ナポレオン1世の皇帝章

Germany Flag

東西冷戦時ベルリンの東西を分けた ブランデンブルグ門 にも 勝利の女神の乗った<クアドリガ>が置かれているが、この門をくぐったのはベルリンの壁が取り壊されて(1989年)間もないころだった。

各所に壁の一部が残っていて、壁のコンクリート破片がお土産として売られていたころだ。

* *

今年の漢字は「 金  」になりました。

ロンドンオリンピック2012や
至近の山中伸弥京大教授からの連想が効いていると思います。

ロータリーとモニュメント 75 フランツ・リスト広場

   depuis  2001

いまだ彼を凌ぐピアニストはいないといわれるフランツ・リスト Frantz Liszt (1811-86)の名を冠したロータリー フランツ・リスト広場 Pl. Franz Liszt のモニュメントは円形の植え込みと 新古典様式のサン・ヴァンサン・ド・ポール教会 St-Vincent de Paul 。
ラ・ファイエット道りを初め7道路が集まる。

<La Campanella >の演奏で一躍有名になった頃、フジコ・ヘミング とCDG空港(ロワシー空港)でたまたま話をする機会があった。
以降、彼女のアルバムはすべて手に入れたし、リトグラフを買ったりもした。

1830年代前半パリにいたころ、ショパン(1810-49)の 12の練習曲 作品10 がリストに献呈されているが、これだけは楽譜を見てすぐには弾きこなすことができなかったという逸話がついている。

Pl. Franz Liszt

メトロ 7号線  ポワソニエール Poissonniere 下車。

エッフェル塔百態 80 オベリスク・海の泉/コンコルド広場

   depuis  2001

11月24日17時24分薄暮のコンコルド広場からのエッフェル塔 Tour Eiffel 。

ヒエログリフ(神聖文字)のオベリスク Obélisque を右に、
そして左には海の泉Fontaine des Mers 。

エッフェル塔は点灯したばかり。オベリスクはその前からライトアップされている。

302

* * *

Hong Kong Flag

もう20年以上も前になりますが、香港の夕焼けと夜景を想い出します。最近の様子を知りたいものです。

Philippines Flag

35年も前ですが、マニラの夕日には感動しました。

エッフェル塔百態 79  大河の泉/コンコルド広場

   depuis  2001

ノエルと新年に向けての準備が整い、
多くの観光客とパリ市民で賑う薄暮のコンコルド広場から見るエッフェル塔。

手前に写っているのは、
広場にある二つの噴水のうち<大河の噴水 Fontaine des Fleuves>と呼ばれるもの。

広場の設計をしたのは アンジュ=ジャック・ガブリエル Ange-Jacques Gabriel (1698-1782)だが、
オベリスク/クレオパトラの針を挟んでセーヌ川側の<海の噴水  Fontaine des Mers >と対で噴水を配置した(1836)のは ジャック・イニャス・イトルフ  Jacques Ignace Hittorff (1792-1867) だ。

パリ1区と5区の区役所、パリ北駅、フランツ・リスト広場の Église Saint-Vincent-de-Paul も彼の作品。

* * *

昨25日の昼は<フェルメット・マルブフ 1900>で星川君のパリ個展の成功裡での終了を祝した。来月のノエルまで暫しパリとお別れだ。

Antiquités Brocante LA BASTILLE / PARIS

   depuis  2001

年に2回、5月と11月にバスティーユで開かれる
大規模骨董市 Antiquités Brocante にはじめていってきた。

バスティーユ広場の南側部分(メトロ1号線の駅上)とサン・マルタン運河の左右岸を利用した特設会場に350の古物商が店を張る。

8日から本日18日までの最終日とあって大勢の小金持ちで賑っていた。入場料:10€。

次回は来年5月3日から12日までの日程で開催される。

Antiquités Brocante LA BASTILLE / PARIS

ジダンの頭突き / ジョルジュ・ポンピドー広場

   depuis  2001

2006年のワールドカップ決勝戦での<ジダン Zinedine の頭突き事件>の瞬間のオブジェがポンピドーセンター前の広場に置かれた。

Algeria Flag

センターで開催中のアルジェリアの作家展の作品のひとつで、屋外に置かれたもの。

頭突きされているのはイタリアのマテラッツィ。

人種差別発言(問題)かと騒がれたが両者とも否定、侮辱発言によるものだったというのが定説のようだが真相は定かでない。

ジダンは退場処分を受け、フランスはペナルティー戦に負けて優勝を逃した。

フランスのサッカーはこれ以降低迷が続いている。

ロータリーとモニュメント 74 ピエール・Lafue 広場

   depuis  2001

ドレフュス事件(1894-1906) についてはこれまでにいくつか紹介してきた。
(下にある<タグ>をクリックしてもらえば一覧が表示される。)

彼のブロンズの立像が ラスパイユ大通り Boulevard Raspail に6本の道路が集まるロータリー ピエール・Lafue 広場 Place Pierre Lafue にある。

漫画家・彫刻家だった ティム Louis Mitelberg dit TIM (1919-2002) の作品で、
文化とフランス語圏省が1985年に調達し設置した。

ドレフュス大尉に捧ぐ Hommage au Capitaine Dreyfus     TIM (サイン) と台座にある。

折れた剣を眼前に掲げているように見える。

また、案内板には ” Si tu veux que je vive,fais moi rendre mon honneur “ との記載が・・

Pl. Pierre Lafue

 Pierre Lafue (1895-1975) はフランスの作家でジャーナリスト。

メトロ  - PDF - 地図地下鉄ライン12をダウンロード新しいウィンドウ ノートルダム・デ・シャン Notre-Dame des Champs 下車。

パリの街燈 réverbère 9 フォーブール・サントノレ通り

   depuis  2001

フォーブール・サントノレ通り Rue Faubourg Saint Honoré 、サントノレ通りの街燈は通りが狭いので沿道の建物に吊下げ型で付置されている。
写真はフランス内務省横の例で、左下に内務省の街燈も見える。

フランス革命後の1790年にルーブル宮にあった内務省は1861年に現在の オテル・ド・ボーヴォ Hôtel de Beauvau(1770竣工)(門扉の後方)に移った。

パリ西部の200人余りの小さな町マルセイユ Beauvau の騎士の後裔であるボーヴォの元帥 Le maréchal de Beauvau が1770年に名付けて賃借した。

手前のエリゼ宮との間、5本の道路が集まるロータリーはボーヴォ広場 Pl. Beauvau という。

パリの街燈/フォーブル・サント・ノーレ

門扉はルイ15世様式(風) ferronnerie Louis XV 。柱(列柱)はトスカーナ風。

ロータリーとモニュメント 73 ジャック・マレット 広場

   depuis  2001

3叉路のロータリーである ジャック・マレット 広場 Pl. Jacques Marette のモニュメントは2頭の雄牛(元はトロカデロ庭園にあった)と写ってはいないが手前にある花壇だ。

広場(公園の前庭でもある)の奥は
ジョルジュ・ブラッサンス公園 Parc Georges Brassens だ。

ジャック・マレット はここ15区選出の上院議員で郵政大臣を務めた。

左右二頭の<牡牛Taureau (1838) >は イシドールジュール·ボヌール Isidore Jules Bonheur (1827-1901) の作品。

フランスの詩人でシャンソン歌手だったジョルジュ・ブラッサンス(1921-81)はこの近くに住んでいた。公園内に彼の胸像がある(入ってすぐ左側の広場の奥。)。

鐘楼は公園になる以前馬のオークションが行われていた名残。

Parc Georges Brassens

ロータリーとモニュメント 72           ポール·ヴェルレーヌ広場

   depuis  2001

完全円形ロータリーであるイタリア広場から出るボビヨ通り Rue Bobillot を含めて10道路が集まるロータリーのポール·ヴェルレーヌ広場 Pl. Paul Verlaine のモニュメントはジュール・ボビヨ 軍曹の胸像や掘り抜き井戸(自噴水)だ。

ジュール・ボビヨ Jules Bobillot 工兵軍曹(1860-1885)は中国のトンキンTuyen-Quan での戦いで要塞の建設を指揮中に殉職した英雄。写真では後ろ向きに写っている。

ポール·ヴェルレーヌ の掘り抜き井戸は1863年にオスマン知事が掘削を許可1872年に供用開始した。現在では写真で見られるようにモダンな水汲み場となっていて三々五々ポリタンクを持参した人が行き交っている。

ポール·ヴェルレーヌ(1844-96)は知る人ぞ知るフランスの詩人。
リュクサンブール公園に彼の立像がある。

Pl. Paul Verlaine

ロータリーとモニュメント 71           ギルバート・ギョーマン広場

   depuis  2001

ギルバート・ギョーマン広場 Pl. Gilbert Guillaumin のモニュメントはバルザックの顕彰碑だ。

アントワーヌ・ブールデル Antoine Bourdelle (1861-1929)を教えたアレクサンドル・ファルギエル Alexandre Falguière (1831-1900) の作品 <Honoré de Balzac (1902) >。

 Sociéte des gens de lettres (作家の著作権協会)は バルザック  Honoré de Balzac (1799-1850) の発案により ヴィクトル・ユーゴー、アレクサンドル・デュマ(大デュマ)、ジョルジュ・サンドが参加して1838年に設立された。

手前の通りはフリドラン大通り Av. Friedland で左が凱旋門、右はオスマン大通り Bd. Haussmann に共に一直線。6本の内坐像の後ろを建物に沿って右斜めの道路はバルザック通り Rue Balzac で左斜めに広場を横切る。
石積み擁壁の上は庭部分が公園として開放されていて美しい。

ギルバート・ギョーマン(1801-64)はエコノミスト誌の創設者。

Pl. Gilbert Guillaumin

ロータリーとモニュメント 70 テオドール・ヘルツル広場

   depuis  2001

テオドール・ヘルツル広場 Pl. Theodor Herzl のモニュメント。複雑なロータリー。

<ハーモニー Harmonie > Antoniucci Volti (1915-89)の作品。

Hungary Flag   Theodor Herzl(1860-1904)はハンガリーの(ブタ)ペスト生まれのユダヤ人ジャーナリストで、パリ特派員として係ったドレフュス事件(ユダヤ人のフランス陸軍大尉ドレフュスのドイツスパイ冤罪事件)1894-1906を通じてユダヤ国家の建設を主張するに至った。

案内板には「ジャーナリストで作家 ユダヤ人国家の主唱者」とある。

Pl. Theodor Herzl

広場の中にある メトロ  - PDF - 新規ウィンドウ地図地下鉄ライン3をダウンロード  - PDF - 新規ウィンドウ地図地下鉄ライン11をダウンロード アールゼ・メティエ Arts et Métiers 下車。

自由の女神像の原像が保管されている<国立技術博物館>は目の前。

ロータリーとモニュメント 69  コスタ・リカ広場

   depuis  2001

コスタリカ広場 Pl. de Costa-Rica のモニュメントは円形の花壇と時計付きの街燈だ。

正面真っ直ぐがパッシー通り Rue de Passy でオスマンによる三角形公園であるラヌナグ公園を経てブーローニュの森に至る。周辺は日本の駐在が多く住む高級住宅地だ。

左の Rue Raynouard  を暫く行くと<バルザックの家>が、反対に真っ直ぐロータリーを越えて Rue Bennjamin Franklin を行くと直ぐ<クレマンソー記念館>がある。

7本の道路が集まっているので通りの名前を確認するのが賢明だ。

バルザックの家がわざわざ急な崖地にあるのは債権者からの逃げ易さを重視したためだったといわれている。

Pl. de Costa-Rica

メトロ   - PDF - 新規ウィンドウ地図地下鉄ライン6をダウンロード Passy 駅下車。

メトロはセーヌ川を高架で渡ってパッシー駅から直ぐトンネルに入り広場のはるか下を通っている。つまりここは相当な高台なのだ。

パリの街燈 réverbère 2  凱旋門 Arc de Triomphe

   depuis  2001

シャルル・ド・ゴール広場の街燈の一つ。

オテル・ド・ヴィル広場の街燈と同種のデザインだが少し異なる。

背景は エトワール凱旋門 Arc de triomphe de l’Étoile で、手前がシャンゼリゼ大通りでアーチを潜ればグランド・アルメ大通り。

レリーフは<1810年の勝利 Le Triomphe de 1810>と名付けられているもので、オステルリッツの戦いでのナポレオンの勝利を表す。

Arc のEU 旗とフランス国旗は EU発足15周年記念 のため。

下の街燈は別タイプの新しい街燈で左に比して高さが著しく高い。背後のレリーフは左と同じ。

ロータリーとモニュメント 68  ディアギレフ広場

   depuis  2001

バレエ・リュス Ballets Russes の創設者で芸術プロデューサーだった
セルゲイ・ディアギレフ Serge de Diaghilev (1872 – 1929 )の名を冠した
ディアギレフ広場  Pl.Diaghilev はオペラ座の裏手にある。

1906年のプチ・パレに始まりオペラ座やシャトレ座で絵画展、音楽会、バレエ公演等をロシアの芸術家を使ってプロデュースしパリを中心に活動し成功を収めた。

例えば、リムスキー・コルサコフ、ラヴェル、ラフマニノフ、スクリャービン、プロコフィエフ、ストラヴィンスキー、チャイコフスキー等ロシアの作曲家を世界に紹介した。

フランスでは、ピカソ、マチス、ローランサン、ドビュッシー、ココ・シャネル等も関った。

Pl. Diaghilev

6道路が交差し混雑が常態のロータリーで、モニュメントは植木鉢と街燈。

左の建物がオスマン大通りに面する <ギャラリー・ラファイエット Galerie Lafayette >、
右がオペラ座の裏。

真ん中の建物はいわゆるオスマン様式のそれで2層(3階と6階)のバルコニーがある。

一般的にオスマン様式といわれるアパートは、日本風でいうところの3階と6階部分にバルコニーがついているタイプのもので、不動産市場でも高く、人気があります。

ロータリーとモニュメント 67 オスマン男爵(広場)

   depuis  2001

<ギャラリー・ラファイエット>と<プランタン>の前を通るオスマン大通りにその名を残すオスマン男爵 Baron Georges Eugène Haussmann (1809-1891) の立像はオスマン大通りとミロメニル通りとが交差する7本の道路が集まるロータリーにある。オスマン広場と呼ぶべきかと思うが何故か広場に名は付いていないようだ。

オスマン男爵 Baron G.E.Haussmann はナポレオン3世のもとでパリを含むセーヌ県知事(1853-1870)としてパリを現在の形に改造し、世界に都市計画の範を垂れた人物だ。

彼の目はオスマン大通りからフリドラン大通りを通して一直線に凱旋門を見ている。

手前がオスマン大通りで右に行けばプランタンなどオペラ方面へ、像の向こうのラボルド通りを行けばサント・ギュスタン教会前を通ってサン・ラザール駅前へ出る。

クレマンソー広場にあるクレマンソーの立像の彫刻家 François Cogné の作品 (1889) 。

Baron G.E.Haussumann

ロータリーとモニュメント 66  クレマンソー広場

   depuis  2001

日本で猛虎といえば阪神タイガースだが、
フランスではクレマンソーのことを猛虎宰相と呼ぶ。

「行動を自問するようでは行動的人間とは言えない。」と うそぶいたといわれるクレマンソー Georges Clemenceau (1841-1929) は   第一次世界大戦時のフランスの首相であり、
戦時並びにヴェルサイユ条約締結時のドイツへの強硬姿勢で知られる。

また、ジャーナリストとしてドレフュス事件でドレフュスを擁護した人権派としても有名。

エミール・ゾラ の 「われ、弾劾す。 1898 」は彼の主幹する新聞で公開された。

革命以後のフランスの栄光を代表する行動的政治家でありジャーナリストだ。

グラン・パレ、プチ・パレ、エリゼ宮の面するシャンゼリゼ大通りにクレマンソー広場 Pl. Clemenceau があり、クレマンソーの像(François Cogné(1876-1952)の作)と噴水がモニュメントとしてある。2000年以降、反対側にド・ゴールの像もある。

後ろの建物はプチ・パレ、右側に見える通りがウィンストン・チャーチル大通り Av. W.Churchill で、その右手がシャンゼリゼ大通り、左手がセーヌ川でアレクサンドル3世橋からアンヴァリッドへと続く。

地下には メトロ -  PDF  - 新規ウィンドウ地図地下鉄1号線をダウンロード -  PDF  - 新規ウィンドウ地図地下鉄ライン13をダウンロード Champs-Élysées Clemenceau 。

Pl. Clemenceau

Tunisia Flag

経済学者ケインズはヴェルサイユ条約締結時におけるフランス(クレマンソー)のドイツに対する強硬姿勢をローマのカルタゴに対するそれに例えて<カルタゴ式平和>と揶揄した。

カルタゴは三次にわたるポエニ戦争の結果、徹底的にローマに滅ぼされる(紀元前146年)まで地中海を支配した海洋都市国家だが、現在のチュニジアの首都チュニスにあたる。

本日、当時アフリカといえばカルタゴのことであったといわれる現チュニジアからのアクセスがあった。アフリカからは今年の2月25日以降で初めでだ。

ロータリーとモニュメント 65  カトルー将軍広場

   depuis  2001

マルゼルブ大通り Bd. Malesherbes と ヴィリエール大通りとが斜めに交差し長方形のロータリーに7本の道路が集まる カトルー将軍広場 Pl. Général Catroux 。旧名はマルゼルブ広場

愛称が長らくトロワ・デュマ広場であっただけにモニュメントは<岩窟王/モンテクリスト伯>のアレクサンドル・デュマ(大デュマ)、<椿姫>のアレクサンドル・デュマ(息子デュマ)等のモニュメントがある大広場だ。

大デュマ Alexandre Dumas 1802-1870 はナポレオンの配下にあった父デュマ将軍が白人と黒人とのハーフであったことで代々人種差別を受けていたことでも知られるフランスの著名作家。

大デュマは生誕200周年の2002年になってやっとパンテオンに祀られたが、その際シラクは人種差別の事実に言及し謝罪したという。

ドレ Paul Gustave Doré Louis Christophe (1832-83)の作品(1883)。

Pl. Général Catroux

< 足枷/手枷 Fers >

ナチ占領下の1913年に破壊されたデュマ将軍の功績碑に代わるものとして、功績碑と合わせて2008年にパリ市が設置した。

fers

カトルー Georges Catroux (1877-1969)将軍は第一次、第二次大戦のフランス、自由フランス陸軍の職業軍人であり外交官。

ロータリーとモニュメント 64 ジャンヌ・ダルク広場

   depuis  2001

7本の道路が集まるロータリー ジャンヌ・ダルク広場 Place Jeanne d’Arc の真ん中に Notre Dame de la Gare がある。パリ市に編入される以前の地区の聖母教会だ。広場名は編入時から。

下の写真は教会前からジャンヌ・ダルク通り Rue Jeanne d’Arc を見たもの。ジャンヌ・ダルク通りはジャンヌ・ダルクの立像のあるサン・マルセル大通り Bd. St-Marcel まで一直線。その先に、聖人ジャンヌ・ダルクの眠るパンテオンが見える。影は教会のもの。

左の写真は教会内にある彫像で十字剣を持つジャンヌダルクだと思われるが、何の記載も説明もない。

ロータリーとモニュメント 63  ケベック広場

 depuis 2001

サン・ジェルマン・デ・プレ教会横のケベック広場 Place du Québec のモニュメント。
最近修復された。

地震でタイル舗装が隆起し地下水が噴き出ているようなオブジェなので、清掃を欠かせない。

左右に横切るのがサン・ジェルマン大通り  Bd. St-Germain で、モニュメントに沿って左からレンヌ通り Rue de Rennes が合流し、右からボナパルト通り Rue Bonaparte が教会前のサン・ジェルマン・デ・プレ広場 Pl. St-Germain des Prés  へ突き抜ける。さらに真っ直ぐ進めばボザールの横を通ってセーヌ川に出る。

左端に見えるのがレ・ドゥ・マゴ Les Deux Magos でその左のカフェ・ド・フロール Café de Flore とともにサルトルのカフェとして有名な老舗カフェだ。

Pl. du Québec

 

 Canada Flag

パリで好きな現代アートがおいてある広場のひとつです。記事にあるとおり、ブロンズでできたFontaine(泉)となっていて、1984年にケベック州から寄贈されました。その後1980年にこの広場はケベック広場の名称で呼ばれることとなりました。建築家アルフレッドGindre と彫刻家チャールズDaudelin とによる作品で、噴水は、セントローレンス川で春に崩壊する氷塊を表現しています。探検家ジャック·カルティエのカナダ発見450周年の記念。ブルトン人カルティエの胸像はカナダ広場にあります。

***

デ・プレ教会(右端)横のサン・ジェルマン大通りから見た両カフェ。2008.02.07.

Les Deux Magots / Café de Flore

レ・ドゥ・マゴには数回はいったことがありますが、カフェ・ド・フロールはまだありません。カフェ・ド・フロールのほうが最近は、若い人に人気のような感じです。日本人のギャルソンもいるようですよ。カフェ・ド・フロールの隣には日本食屋さん、円があります。

エッフェル塔百態 72                         ロータリーとモニュメント 62  レジスタンス広場

   depuis  2001

アルマ橋の左岸詰の レジスタンス広場 Place de la Résistance には5本のアヴェニューと1本のルーが集まる。RER の Pont de l’Alma の駅もある。

右側にセーヌ川が流れていて、アルマ橋を渡れば自由の炎のモニュメントのあるアルマ広場だ。

広場から緑の間を少し下流へケ・ブランリィ Quai Branly を行けばシラクの<ケ・ブランリィ美術館>だ。

ロータリーとモニュメント 6  レピュブリック広場

   depuis  2001

長方形ロータリーの レピュブリック広場  Place de la République

タンプル通り Rue du Temple & Rue du Faubourg du Temple が
中央を横切っている双子ロータリーだ。

広場にはホームレスなどもいるので、
この辺りではキョロキョロ・ウロウロしないのが賢明だ。

2012年2月現在、広場の改修中。終われば、観光客を取り戻せるかも。

1879年に第三共和国の発足(1870年)を記念して設置されたモニュメント。

フランス共和国を寓意する<マリアンヌ>の像を<自由><平等><友愛>を象徴する3つの像が支え、さらにそれらを1789年のフランス革命時のテニスコートの誓いやバスティーユの襲撃など12のレリーフが支える設計になっている。
加えて、勇気を暗示するライオンを正面に配している。

右が自由の女神像で左手で自由の炎をかざしている。左が平等の像で右手に三色旗を持っている。マリアンヌが右手でかざしているのは平和を表すオリーブの木、
被っている帽子は自由を表すフリジア帽だ。

建築家と彫刻家のモーリス兄弟の作。

***

2012年8月現在の広場の状況。

マリアンヌ像の左右の交通も遮断し広場全体を囲っての大改修中で、ロータリーの通行もこれまでとは全く違っている。もともと分かり難いのに変更されたバス停を覚えるのに一苦労だ。

看板に描かれている完成後の広場の予想図をみると、
横断する道路を廃して左右一体の大広場となるようだ。

工事期間は、2012年1月から2013年春までとなっている。

パリの他例から察すればきっと遅れることだろう。

Pl. de la République /2012.08.05

改装工事は終了し、バリアフリーの大広場として再生した。  2013.07.28.

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ロータリーとモニュメント 2  ナション広場

   depuis  2001

      ナション 広場  Place de la Nation のモニュメントは Monument de la République だ。

Monument de la République -Nation

エメージュ・ダル― Aimé-Jules Dalou が20年をかけたといわれる代表作 Le Triomphe de la République (共和国の勝利あるいは共和国の凱旋) 1899年 で女性はフランス共和国を象徴するマリアンヌだ。フリジア帽を被っている。

1889年のフランス革命100周年を記念したもので、自由・正義・教育・平和 を寓意したものだ。落成式の挙行された1899年は<ドレフュス事件>に転機が訪れた年でもある。歴史の妙というべきか?

像の向きはフォーブル・サン・アントワーヌ通りをとおしてバスティーユ広場、その先はエッフェル塔だ。

メトロ2号線、6号線の始発駅であり、1号線、9号線とRER  A線 の停車駅である Nation はエトワールと対をなす大型円形ロータリーの地下だ。12本の放射道路のうちヴァンセンヌへ一直線のBd. Cour de Vincennes で開かれる朝市は規模の大きさで有名だ。

ニューヨークのバッテリーパークで到着列車が折り返すのではなくそのままぐるっと回って始発列車になるのに驚いたことがあるが、メトロ2号線は到着列車が進行方向を変えることなくそのまま始発列車になる。広場の大きさが想像できようというものだ。

* * *

ここしばらく続いていたナション広場の改修がほぼ一段落し、大木の伐採と潅木花木の植栽でモニュメントの見通しもよくなった。また同時に進行していた像後方の Trône の改装も終了した(写真右の2本の円柱)。Cours de Vincennes の大規模改良もトラムの新設工事に関連する部分を除き概成した。(2011年8月)

ポルト・ド・ヴァンセンヌ Port de Vincennes を通るトラムの工事はレールの敷設に続き架線も引き終わり植栽もされて開通が間近い。(2012年8月)

* * *

2011/07/23 の朝市で・・ウサギLapin と花

ロータリーとモニュメント 47  ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼ

   depuis  2001

   ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼ Rond- Point des Champs-Élysées のモニュメントは6つの噴水と四季折々の花で彩られた花壇とマロニエの樹々だ。
ただここ数年噴水が出ているのを見た記憶がない。

チュイルリー公園やベルサイユ宮殿の造園家、
ル・ノートル Andre le Notre  (1613-1700)  の作 (1670) 。

拡大して見て欲しいが、シャンゼリゼ大通りの左右に花壇が見えるところが ロン・ポワン・デ・シャンゼリゼ で、地下はメトロ1号線Télécharger le plan Métro Ligne 1 - PDF - Nouvelle fenêtreと9号線Télécharger le plan Métro ligne 9 - PDF - Nouvelle fenêtreのフランクリン・ドラノ・ローズヴェルトの駅になっている。

左は2011年8月

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右は2011年4月

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このロータリーの正式名は Rond- Point des Champs-Élysées-Marcel Dassault (シャンゼリゼのロータリー:マルセル・ダッソウ)と長いのだが、マルセル・ダッソウは第一次世界大戦で使用されたフランス軍のプロペラ機を発明した航空実業家で第二次世界大戦後にはフランス一の軍用機メーカを設立した人物だ。第二次大戦占領下のフランスでドイツの協力要請を拒否したことでも知られる英雄でもある。

2012年8月4日

建物は最上段の写真でシャンゼリゼ大通りとロータリーとの角の建物。

Rond- Point des Champs-Élysées

ロータリーとモニュメント 61  ラ・ソルボンヌ広場      秩序と進歩/ブラジル国旗

   depuis  2001

ブラジルの国旗 Brazil Flag にある<秩序と進歩 Ordem e Progresso>は
フランス革命後の社会の混乱を背景にその秩序と進歩を探求した 社会学の元祖オーギュスト・コント Auguste Comte(1798-1857) の言葉だ。

ブラジルが共和制になったのは1889年、フランス革命後100年目にあたる。

サンミッシェル大通り Bd. St-Michel に面する ラ・ソルボンヌ広場 Pl. de la Sorbonne  に彼のモニュメントがある。<全てに(色々)有難う>の落書きがみえる。
永遠を寓意する棕櫚を捧げているのは聖母子に擬えたクロティルデ・ド・ヴォー Clotilde de Vaux (1815-46)で、コントが熱烈に愛した(1844-46)詩人。右は学習中のプロレタリア。

ミラボー橋の4彫像の作者、Jean-Antoine Injalbert (1845-1933) の作品 Monument à Auguste Comte (1902) 。

ロータリーとモニュメント 60  Michel Debré 広場

   depuis  2001

セーブル通りなど6本の道が交差する  Michel Debré 広場  Pl. Michel Debré  は                                                                          赤十字の交差点 Carrefour de la Croix Rouge と呼ばれていた。

カルフール  Carrefour は世界に展開するスーパーマーケットとしてお馴染みの名詞だ。

広場のモニュメントは彫刻家 César のケンタウルス Le Centaure ( 1985 ) だ。

フランス文化省が製作を依頼した。

右に見えているのがセーブル通りで、左奥の緑の先が Le Bon Marché 。

Pl. de la Croix Rouge

 Michel Debré (1912-96 ) はレジスタンスで、
戦後のド・ゴール政権下で大臣・首相を務めた。

ロータリーとモニュメント 59 スターリングラード攻防戦広場

   depuis  2001

スターリングラード攻防戦を記念して命名された広場 Pl. de la Bataille de Stalingrad のモニュメントは Rotonde de la Villette (ラ・ヴィレットの円形建物)だ。

クロード・ニコラ・ルドゥー Claude-Nicolas Ledoux (1736-1806) による建築(1784-89)。パリに入る農産物への通行税徴税のため<ラ・ヴィレットの関門>として建設された。

10本の道路とサン・マルタン運河が交錯し、運河の上流側はラ・ヴィレットのドック  Bassin de la Villette となっていてルルク運河に接続する。

Russian Federation Flag  Germany Flag     スターリングラード攻防戦は東部戦線における独ソの戦いであり、フランスが係ったわけではないが、第二次大戦の優劣を転換することになるドイツの敗北であった。

 Pl. de la Bataille de Stalingrad / Rotonde de la Villette

写真を拡大してみれば、円形建物の右に高架でメトロ2号線が走っている。

メトロの駅は Stalingrad  で、高架の2号線のほか地下に7号線、5号線。

パラソルが見えているのはこの辺り一帯が<パリ・プラージュ/ラ・ヴィレット Paris Plages / La Villette>だからだ。セーヌ川右岸側の河原だけではないのだ。

写真左手を流れるサンマルタン運河はこの部分で閘門になっているが、閘門をまたぐ橋上から上流のラ・ヴィレットのドックを望んだのが下の写真。奥にトラムウェイ T3b 。

近年この一帯は再開発されドックは大改修されて、水辺に展開する人気のゾーンとなっている。この時期はパリ・プラージュ/ラ・ヴィレットとなっていてパリに居ながらヴァカンスを味わえるというわけだ。

Bassin de la Villette

エッフェル塔百態 66                        人権宣言(フランス革命)200周年記念碑

   depuis  2001

France Flag   今日7月14日はフランスの革命記念日(パリ祭) 14 Juillet だ。  France Flag

今年は明々後日の17日からの滞在なので
残念ながら新大統領オランドを肉眼で見ることはできない。

エッフェル塔はフランス革命100周年を記念して1889年に建設されたものだが、200周年の際の記念塔も シャン・ド・マルス公園 Parc du Champ de Mars の一角にある。

人権宣言200周年記念塔で、
1789<人間と市民の権利の宣言>1989  とある(写真下)。

フランス革命の基本理念である自由と平等などを謳ったいわゆる<人権宣言>(ラファイエット起草)の 宣言200周年を示す人権記念塔(イワン作)として建てられたものだ。

写真上の面には、アテネ、ローマ、ルクセンブルグ、
ボン、アムステルダム、コペンハーゲン、

裏面には、リスボン、マドリッド、パリ、ブラッセル、ロンドン、ダブリンの都市名がある。

エッフェル塔百態 65  グロー将軍広場

   depuis  2001

グロー将軍広場 Place du Général Gouraud からのエッフェル塔の夜景。

ライン42 Ligne 69 ライン87 のバス停 Rapp-La Bourdonnais より。写真の下方に逆向きのバス停が見える。

グロー将軍は第一次大戦の終盤、西部戦線で第4軍を率いてストラスブールを開放した。

右腕を失った将軍の半身像がアンヴァリッドの右翼、
アンヴァリッド大通りに面する Sq. d’Ajaccio にある。

(アジャクシオ Ajaccio はナポレオンの生まれたコルシカ島の都市名。)

 

Sq. d'Ajaccio

後ろはアンヴァリッド Hôtel de Invalides 。

ロータリーとモニュメント 58  ヴァルベール広場

   depuis  2001

ヴァルベール広場 Place Valhubert にはモニュメントはいらない。

広場に面して植物園 Jardin des Plantes とオーステルリッツ駅 Gare d’Austerlitz が広がり、セーヌ川には オーステルリッツ橋 Pont d’Austerlitz が架かる(両方の写真の左側手前)。

オーステルリッツとは、皇帝ナポレオンが1805年2月にオーストリア帝国とロシア帝国の連合軍に勝利した    3帝戦と呼ばれる<オーステルリッツの戦い>に因んだものだ。 Czech Republic Flag(現在)

広場の名の ヴァルベール はその戦いで負傷し41歳で亡くなった将軍。
勿論、凱旋門にも名が刻まれている。

ヴァンドーム広場の Colonne Vendôme は戦利品の大砲で建造された。

Pl. Valhubert / Jardin des Plantes

上は植物園、下がオーステルリッツ駅。

オーステルリッツ駅はリモージュ、トゥールーズ方面行きのパリ駅だ。

Pl. Valhubert / Gare d'Austerliz

斜め右へオピタル大通り Bd. de l’Hôpital を進めばイタリア広場 Pl. d’Italie へ一直線だ。

エッフェル塔百態 63  ジョフリ広場

   depuis  2001

旧陸軍士官学校前の ジョフリ広場 Place Joffre から見るエッフェル塔。

ジョフリ広場のモニュメントは第一次大戦時のフランス元帥(1916) Joffre の騎馬像で、
エッフェル塔の向こうに位置するトロカデロと11月11日広場のフランス元帥(1918) Foch の騎馬像とエッフェル塔を挟んで一直線上で向き合っている。

先輩であり、またパパ・ジョフリと愛称された人気のジョフリ元帥が
陸軍士官学校前を占めているわけだ。

Fontaine Louvois / 川の女神

   depuis  2001

オペラ大通りの近く日本食店の並ぶサンタンヌ通りを入ったところ (Square Louvois)  に川の女神をあしらった噴水がある。ルヴォアの噴水 Fontaine Louvois  だ。

フランスの4大河川である セーヌ川 (la Seine)・ロワール川 (la Loire)・ガロンヌ川 (la Garonne)・ソーヌ川 ( la Saône) に敬意を表したもので、マロニエを背にそれらの女神像が美しい。

ソーヌ川はリヨンでスイスのレマン湖からくるローヌ川 ((le Rhône) に合流する支流なのだが、ローヌ  が男性名詞なのでソーヌを使っているわけだ。

女神の乗る水盤を支えているのはやはり4体の<いるかに乗ったトリトン>だ。

トリトンはギリシャ神話の海神ポセイドンの息子で、波を操るホラ貝を手にし人魚のように具象される。

Fontaine Louvois

セーヌとガロンヌの女神は見えない。右の建物はリシュリュー通りに面するフランス国立図書館。

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左岸からルーブル宮に渡るカルーゼル橋の左岸下流側の橋塔はセーヌ川を表象する女神像(ルイ・プティトー作の坐像 1846) だ。左手に抱えた水瓶からこぼれる水でセーヌの恵みを表現している。

アルマ広場には LA SEINE の女性像があるがとても女神には見えない。

ロータリーとモニュメント 57  オペラ広場

   depuis  2001

オペラ座の前の オペラ広場 Place de l’Opéra  には7本の道路が集まり、
常時観光バスなどで混雑している。

観光バスのいるところがカプシーヌ大通りで、オペラ広場を直角に横切る。

Opéra Garnier-5

反対にオペラ座の前から整然としたオスマン様式の建物の連担するオペラ大通りを見ると・・・

前の人だかりのところはメトロ・RERの出入り口で、その間で車の見える

左右の道路が カプシーヌ大通り Bd. des Capucines 。左の建物斜めにRue du Quatre Septembre,右の建物斜めにヴァンドーム広場に至るぺ通り Rue de la Paix。

突き当りはアンドレマルロー広場で、その向こうがルーブル宮。

Av. de l'Opéra

ロータリーとモニュメント 56  ガイヨン広場

   depuis  2001

レストラン<ドゥルーアン>の面する
ガイヨン広場 Place Gaillon のモニュメントは泉 Fontaine だ。

建物にはめ込んだ型の(水飲み場・水道)泉 Fontaine で、
レストランの名が <La Fontaine Gaillon >だ。

写真の中央アーチの部分がフォンテーヌで、1707年に起源をもち、
1828年 (MDCCCXXVIII) に改修の終わった古い泉だ。
ルイ・ヴィスコンティ Louis Visconti (1791-1853) の作品。

彼は後に、モリエールの泉(1843)や
サン・シュルピスの噴水(1848)を手掛けることになる。

Pl. Gaillon

ルイ13世騎馬像 / ヴォージュ広場

   depuis  2001

パリで最も古い橋は皮肉にも新しい橋ポン・ヌフであることはすでに紹介したが、パリで最も古い広場が ヴォ―ジュ広場 (1605-1612) だ。
いずれもフランソワ1世と並んで最も人気の高いフランス王アンリ4世の治世 (1589-1610) の建造物だ。
この広場にアンリ4世の後のルイ13世の像が建てられたのが1639年で当初は Charles Dupaty (1771-1825) 作のブロンズ像だった。
ヴィクトワール広場 のルイ14世の騎馬像ともどもフランス革命後に取り壊されたが、1829年11月4日に現在の像に建て替えられた。Dupaty と Cortot によるマーブルの作品。

ヴォ―ジュ広場 Place des Vosges の周りは王の館 (下写真上) 、王妃の館 (下写真下) を含め四角にコリドール付きレンガ造りの36の館が取り囲んでいる。

写真の樹木はマロニエだが、枯葉が舞う9月も風情がある。
広場に面する回廊も随分綺麗になってきた。

ヴィクトル・ユゴーが住んでいたところが
<ヴィクトル・ユゴー美術館> になっている(下写真上左奥)。

王の館

王妃の館

ロータリーとモニュメント 55  ロシャンボー広場

   depuis  2001

ロシャンボー広場 Place Rochambeau  のモニュメントは

アメリカ独立戦争の終盤の1780年7月にフランス遠征軍の最高司令官(当時中将)として参戦した

ロシャンボー元帥 Maréchal Comte de Rochambeau の立像、Fernand Hamar (1869–1943)の作(1933))だ。

翌1781年10月、大陸軍のワシントンとともに天下分け目のヨークタウンの戦いでコーンウォリス侯爵率いるイギリス軍を破った。

この戦いでは海上封鎖したグラース提督、ラファイエットの陸軍部隊も勝利に貢献した。

ロシャンボー伯爵はこの功績でアメリカ建国の父の一人に数えられている。

台座右横には<フランス軍最高司令官/1781年10月19日ヨークタウンの奪取を記念して/アメリカ独立戦争/1775-1782>とある。

<ガリエラ美術館>はこのロータリーに面してある。

詩人の夢 Le Rêve du Poète / カナダ広場

   depuis  2001

Canada Flag

グランパレの裏側 Cours la Reine からフランクリン・ルーズベルト大通りを入ってすぐの
カナダ広場 La Place du Canada に<詩人の夢 Le Rêve du Poète d’Alfred de Musset> と題されるモニュメントがある。

詩人の名は ジョルジュ・サンドとの色恋(ショパンの前)で知られるアルフレッド・ド・ミュッセ Alfred de Musset で、死後再評価されたフランスを代表する詩人のひとりだ。

彫刻家モンセル・ド・ぺリン伯爵 le comte de Moncel de Perrin 1907年の作品。

ミュッセの記念碑(坐像)はモンソー公園にある。

広場の一角は Jardin de la Vallée Suisse と呼ばれる小公園で、フランスによるカナダの植民地化につながる探検家 ジャック・カルティエ Jacques Cartier の像などがある立体的で独特の異空間となっている。

Le Rêve du Poète d'Alfred de Musset

パリ万博1900/スイス館の名残で Jardin de la Vallée Suisse と呼ばれていたが、現在は Jardin de la Nouvelle France と言うらしい。
カルチエのバストは公園内にあったと思ったが、今は地上にある。

Aou.2013.

ロータリーとモニュメント 54 アメリカ合衆国広場 / La Fayette

   depuis  2001

イエナ広場からイエナ大通りを通って凱旋門に行く途中にロータリー/グラース提督広場 Place Amiral de Grasse と接してアメリカ合衆国広場 Place des États Unisがある。

グラース提督 (1722-88) はアメリカ独立戦争でヨークタウン攻略のためのチェサピーク湾の海上封鎖で勝利に決定的な貢献をしたフランスの海軍中将。

広場の一番奥(西側)にはラファイエット La Fayette と ワシントン (1732-99) の像 Monument à Washington et La Fayette があり、また、中ほどにジェファーソン公園もあり、全体が大きなロータリーになっている。

自由の女神像の作者として知らない人のいないアルザス/コルマール生まれのオーギュスト・バルトルディ Auguste Bartholdi (1834-1904)の作品(1895)。

<ギャラリー・ラファイエット>の名に使われている ラファイエット (1757-1834) はグラース同様侯爵で、駐フランス公使だったベンジャミン・フランクリンの支援要請に感銘し義勇兵として独立戦争に参加、ワシントン指揮下で少将として活躍した。後のフランス革命のフランス人権宣言の起草者として世界に知られている。

ギャラリー・ラファイエットの名は、オスマン大通りから始まるラファイエット通りとの角地に立地したことで商標登録したものらしいが、ラファイエット通り Rue La Fayette の名は1830年の7月革命時に国民軍司令官だったラファイエットを顕彰したものだ。

アメリカの学生たちが政治家・軍人・愛国者としてラファイエットに感謝をこめて建立した騎馬像がセーヌ右岸の Cours la Reine にある。

アメリカ合衆国の独立宣言を起草し、3代目の大統領となるトーマス・ジェファーソンはフランス革命勃発時のアメリカ合衆国駐フランス公使で、ジェファーソン公園にその記載がある。

<バカラ美術館>は広場の南側に面してある。10区にあったころ足繁く訪れたのが懐かしいが、ここに移ってからは一度きりだ。

ロータリーとモニュメント 53  ルネ・カサン広場

   depuis  2001

ルネ・カサン広場 Place Renè Cassin はレ・アール Les Halles 地区の市場移転跡地一帯の再開発事業に伴って道路の地下化が図られたため
現在ではロータリーの機能は失われ緑地帯の一部になっている。

オブジェは L’Écoute (聞く)と題する Henri de Miller(アンリ・ド・ミラー)1986年の作品。

正面はサントゥスタッシュ教会 St-Eustache 。左に商・工品取引所、右にショッピングセンター( Forum des Halles ) がある。間の緑地はただ今改修中で立ち入り禁止。

Pl. R.Cassin

広場の名となっているルネ・カサンはフランスの法学者で国際連盟のフランス代表を長らく務めた。また、1948年に国連総会で採択された<世界人権宣言>の起草者としてノーベル平和賞を受賞している。

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オブジェ L’Écoute (聞く)を残して広場の掘削の進んだ工事の現況。     2012.11.14.

ロータリーとモニュメント 52  ル・コルビジェ広場

    depuis  2001

ラスパイユ大通りにセーブル通りとバビロン通りが交差する ロータリー < セーブル・バビロン>に ル・コルビジェ広場 Pl. Le Corbusier がある。

ブシコー公園  Sq. Boucicaut に面して ル・ボン・マルシェ と ホテル・ルテシア が位置する。

また、セーブル・バビロンの交差点手前すぐのセーブル通りに アルニス と エルメス が向かい合っている。

写真の中央、公園の向こうに ル・ボンマルシェ  Le Bon Marché 、左がセーブル通り(交差点を突き抜ける)、右がバビロン通り、左右にラスパイユ大通り。

写ってはいないが左角にルテシア、交差点手前左にエルメス、右にアルニス。

(追)アルニスは2013年6月15日に閉店した。

Pl. Le Corbusier

広場の名称である ル・コルビジェ Le Corbusier (1887-1965)  はフランス・スイスをはじめ世界で多くの作品を残した近代建築の巨匠。スイス人だがセーブル通りに事務所を構えていた。

東京の国立西洋美術館が彼の作品であることをご存知の方は多いだろう。

航空機の機体をイメージした奇抜なブラジルの首都ブラジリアの都市計画でも有名だ。

オテル・ド・ヴィル広場の冬の夜

    depuis  2001

パリ市庁舎前の広場であるオテル・ド・ヴィル広場 Pl. de l’Hôtel de Ville では年中各種のイヴェントが催されているが、冬はスケート場になっている。

クリスマス時のニューヨーク・ロックフェラーセンターほど規模は大きくないようだが、早い夜ともなると市庁舎のイルミネーションが映えてヒューマンスタイルなところが何とも心地よい。

撮影ポイントは市役所正面の Av. Victoria 勝利の道だ。

正面左の噴水のところにはピラミッドが、リヴォリ通りを挟んでBHVが、また、右に目を向けるとノートルダム寺院のライトアップが観光客の目を楽しませてくれる。

Pl. de l'Hôtel de Ville

Pl. de l'Hôtel de Ville-2

ロータリーとモニュメント 51 サン・ミッシェル広場 / Fontaine Saint Michel

   depuis  2001

オスマンのパリ改造計画の一環をなすサン・ミッシェル大通り Bd. Saint MIchel (写真左)とセーヌ川(写真手前)との交差部に設置された
サン・ミッシェル広場 Place St-Michel のモニュメントが Fontaine Saint Michel だ。

シャトレ広場で対をなすシャトレ劇場とパリ市立劇場の建築設計をした
ガブリエル・ダビウ Gabriel Davioud の設計で、
中央アーチで悪魔を踏みにじっているのはもちろん大天使ミカエルだ。

彫刻はフランシスカ・デュレ  Francisque Duret (1804-65) の作、
<Saint-Michel terrassant le dragon>。

噴水の両脇に配された一対の翼竜の彫刻家は
パイヴァ侯爵夫人の館の暖炉に彫刻を施したアンリ・アルフレッド・ジャックマール。

左右4本の石柱はコリント様式。
上部の銘板に MDCCCLX とあり、1860年に完成したことが分かる。

Pl. St-Michel

ロータリーとモニュメント 50  ポルト・ド・サン・クルー広場

    depuis  2001

10本以上の道路が複雑に集まる巨大ロータリー ポルト・ド・サン・クルー広場 Place de la Porte de Saint  Cloud のモニュメントは一対の巨大石柱(噴水)だ。

セーヌ川の水源をシンボライズした浅浮彫を施した二つの噴水で、
ポール・ランドウスキー Paul Landowski (1875-1961) の作品(1936)。

オペラ座近くのエドワード7世広場にある エドワード7世の騎馬像 は彼の作(1913)だ。

Pl.de la Porte de Saint Cloud

ロータリーとモニュメント 49  1944年8月25日広場

   depuis  2001

ルクレール将軍 Général Leclerc が1944年8月25日にドイツ占領下のパリに電撃入城を果たしたポルト・ドレアン Porte d’Orléans が1944年8月25日広場 Pl.du 25 Aoùt 1944 だ。

Pl.du 25 Aoùt 1944 7本の道路が集中する巨大なロータリーでモニュメントは第二次世界大戦時におけるルクレール将軍下の兵士達を慰霊する台座上で北方のパリ市内を見渡す将軍の立像とその前に展開する功績碑だ。2本のフランス国旗が像の左右に配されている。

正面の通りにはルクレール将軍大通りの名が冠されている。突き当りに見えるのがネオロマネスク様式のサンピエール・ド・モンルージュ教会だ。

ロレーヌの十字架はジャンヌ・ダルクが用いたもので、自由フランス軍がこの紋章を使った。Vとダブル十字で自由フランスの勝利を表している。

Pl.du 25 Aoùt 1944 -2

ルクレール将軍(1947年にアルジェリアで死去、45歳 元帥を追贈)は1944年8月25日にモンパルナス駅でドイツの降伏文書に署名、ヒトラーの焦土作戦指令(パリは燃えているか?)を回避した。また、1945年9月2日に東京湾上の戦艦ミズリーの甲板で行われた大日本帝国の降伏文書調印式にフランス代表として署名している。最近顕彰碑が置かれた(左)。ジャンヌ・ダルクが用いたロレーヌの十字架とフランス国土の紋章( Insigne de la 2 e division blindée )は<ノルマンジー上陸作戦>時のルクレール将軍率いる第二機甲師団(フランス軍)のものである。パリに電撃入城したのも第二機甲師団だ。(転載。リンクをクリックしてください。)

モリエール / コメディ・フランセーズ

   depuis  2001

  コメディ・フランセーズの予約が取れた。病気もちでありながら大の医者嫌いだったモリエール Molière が得意とした医者物の喜劇の一つである<気で病む男 Le Malade imaginaire >が演目だ。

舞台の様子などは2月の下旬に紹介することとしたい。

コメディ・フランセーズはアンドレ・マルロー広場に面してあるが、パレ・ロワイヤルに沿って北上するとモリエールの彫像を配した泉 Fontaine Molière  がある。リシュリュー通りとモリエール通りがぶつかる三角の角地だ。

建築家 ルイ・ヴィスコンティ Louis Visconti (1791-1853) の作品。

台座には1622年1月15日にパリで生まれ、1673年2月17日にパリで死すと刻まれている。

ローマ数字でVは5、Xは10であるのはご存知だろうが、Mは1000、Cは100、Dが500、Lは50であることを覚えておけば銘板を見るのもまた楽しい。

座像上部の MDCCCXLIV は1844 (M:1000,D:500,CCC:300,XL:40,IV:4 ) で、

この泉が竣工した年を表している。

Fontaine Molière

2010年12月のチュイルリー公園

   depuis  2001

今年の師走はアン・キャンズ・カフェのため川之江に滞在しています。そこで昨年のパリを思い出してみました。寒そうな冬景色ですが体感ではさほどではありません。冬のパリは湿度が高く風がないからです。東京の冬は夏と反対に湿度が低く風があって気温以上に寒く感じられます。

下の写真は12月5日のもので、オランジュリー美術館の中からチュイルリー公園・コンコルド広場の方向を見たものです。今年もきっと同じでしょう。

コンコルド広場東端に仮設されている観覧車の右に透けて見えるのが旧海軍省でその左はクリヨンです。

Jardin des Tuileries/2010/12

真ん中はロダン Auguste Rodin作の L’Ombre(1880)。右がEve(1881)。アダムとイヴ。
左は La Méditation,avec bras(1881)。

ロータリーとモニュメント 48  ロン・ポアン・ドゥ・ポン・ミラボー

   depuis  2001

      ロン・ポアン・ドゥ・ポン・ミラボー Rond Point du Pont Mirabeau はミラボー橋左岸詰のロータリーでモニュメントは花壇だ。

建物中央の道路がアレジアからほぼ直線のコンヴァンシオン通りで真っ直ぐミラボー橋へ、左の建物沿いにエミール・ゾラ大通り Av.Émile Zola  、オートバイの通りはセーヌ川左岸沿いのアンドレ・シトロエン河岸道路。写真には写っていないが、右の建物沿いにもバラール通りがミラボー橋に向かってきて同様の花壇もある。

ミラボー橋左岸は元シトロエンの本拠地で今はアンドレ・シトロエン公園などになっている。

ロータリーとモニュメント 46  ヴァンドーム広場

 depuis 2001

  ヴァンドーム広場 Pl. Vendôme のモニュメントはナポレオンのオーステルリッツ(現チェコ)での戦勝記念柱だ。La Colonne とも Colonne Vendôme とも呼ばれる。

戦勝品の大砲を材料にしたPl. Vendôme-1ブロンズの浮彫がらせん状に円柱に巻きつけられ、塔頂にシーザーに扮したナポレオンの立像を配する。アウステルリッツの戦いはフランスとオーストリア・ロシアの3皇帝戦としても知られるナポレオンの戴冠式の一周年記念日にあたる1805年12月2日の会戦だ。1806年には凱旋門の建設を決定した。

リモージュ・ツールーズなどへの起点オーステルリッツ駅もこの会戦に由来する。トルストイの<戦争と平和>にも取り上げられている。広場の名はこの地が16世紀末にヴァンドーム公位を受けたアンリ―4世の妾の子セザールの館だったことに由来する。

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写真の手前がチュイルリー公園で奥はラぺ通り、JCBプラザはラぺ通りの右側にある。下の写真は台座部分。台座の右が<リッツ>。

Pl. Vendôme-2

ライトアップされると・・・

2008年のクリスマスでカスティリオーヌ通りとサントノーレの交差点付近から。

Pl. Vendôme-3

2010年のクリスマス。右に<ショーメ>左に<ピアジェ>が見える。飾り付けは毎年異なるがこの一帯は統一されている。

Pl. Vendôme-4

ロータリーとモニュメント 45  1940年6月18日広場

    depuis  2001

     1940年6月18日広場 Place du 18 Juin 1940 には特段のモニュメントは無いが、あえて言えば広場の名称そのものがモニュメントだ。

ドイツ軍の侵攻により1940年6月15日パリ陥落、ド・ゴール将軍は直ちにロンドンに亡命して、亡命政府自由フランスを結成し、対独抗戦とヴィーシー政府への抵抗をを呼びかける歴史的演説をした日である6月18日を記念したものだ。

左に見える超高層ビルがモンパルナスタワーだ。

広場正面は工事中の写真で分かりづらいが、モンパルナス大通り Bd. Montparnasse が広場を横切り、真ん前の通りがレンヌ通り Rue de Rennes でサン・ジェルマン大通り Bd. Saint Germain まで一直線の緩い下り坂だ(オスマン計画)。

尖がり帽子がゴシック様式のサン・ジェルマン・デ・プレ教会だ。

* * *

それから4年後・・

ルクレール将軍が1944年8月25日にドイツのパリ防衛軍の降伏文書に署名したのもここモンパルナス駅でだ。

ルクレール元帥記念博物館がモンパルナスタワーの向こうまで後退したモンパルナス駅にある。

25年前出張でリヨンでジュネーヴに駐在していた案内の同僚と落ち合う途中、ポルト・マイヨーから地下鉄を乗り継いでメトロのモンパルナスからSNCFのモンパルナス駅までの長い長い歩く歩道に戸惑ったことがある。日本では1970年の大阪万博で梅田に登場したのが最初だ。

ロータリーとモニュメント 44 エドゥアール・ルナール広場 

   depuis  2001

Viet Nam Flag

ポニアトースキ、スール大通り、ドメニル大通りなど5本が集まるロータリー
エドゥアール・ルナール広場 Place Édouard Renard のモニュメントは
金色のアテナ神とカスケードの泉 Fontaine de la Porte Dorée だ。

モニュメントはインドシナ戦争庭園 Sq.des Combattants d’Indochine と呼ばれる。

1165アテナ女神(兵士)像 La statue de la guerrière Athéna は左写真。Léon-Ernest Drivier (1878-1951) の作品(1931)。

ロータリーが大きすぎて全体を写せないので分かり難いが、像の後ろが環状道路 ドレ門 Porte Dorée でその先はヴァンセンヌの森 Bois de Vincennes だ。

また、像の左手後方に熱帯水族館が広場に面してある。

庭園の両サイドはドメニル大通り。手前はポニアトースキ大通り Bd. Poniatowsky、スール大通り Bd. Soult で、トラムT3a  が走る。

1954年5月ディエンビエンフーが陥落、1956年6月インドシナから完全撤退、80年に亘るフランスによる植民地支配が終わる。<ディエンビエンフー陥落>が新聞各紙の大見出しのトップ記事であったのを鮮明に覚えている。以降アメリカによるベトナム戦争へと引き継がれてゆくことになる。

広場の名称 エドワール・ルナール はセーヌ県知事(パリ県知事)の名。

* * *

(補足)金色のアテナ女神像は、右手で平和を表すオリーブを絡ませた槍を持ち、
左手で<勝利の女神ニーケ/ニケ>を掲げている。

左の足元には楯を置き、
後に王となる息子のエリクトニオスを暗喩する蛇が隠れていて顔を覗かせている。

フランスが植民地に平和と繁栄をもたらすという意味を持たせたといわれる。

台座には帆船を刻む。

ロータリーとモニュメント 43  カミーユ・ジュリアン広場

     depuis  2001

   カミーユ・ジュリアン広場 Place Camille Jullian の北端マルコポーロ公園 Jardin Marco Poro の一部 Place E.Denis のモニュメントはアフリカ、アメリカ、アジアとヨーロッパの女性4名が地球を支える噴水だ(1867-74)。

モニュメントの奥はマルコ・ポーロ庭園 Jardin Marco Polo 、突き当りにリュクサンブール宮殿が見える。
写真手前の突き当りがパリ天文台 Observatoire de Paris で、この直線の通りは天文台大通り Avenue de l’Observatoire と呼ばれる。それでこのモニュメントは<天文台の噴水>とも呼ばれる。

モニュメントが大きすぎるので噴水部分を大写しにすると…ウミガメやクジラが水を噴いているのが分かる。なお、モニュメントは4名の彫刻家の合作らしい。

広場の名称になっている<カミーユ・ジュリアン>はフランスの歴史家で、ガリア史を書き換えたことで有名。

リュクサンブール宮殿の右上に見えるのはモンマルトルの丘の上のサクレ・クール寺院(写真上)。

あとさきになるが、カミーユ・ジュリアン広場 の中心にあるモニュメントは、コーチシナの植民地化につながるカンボジアなどメコン川流域の測量などをした探検家フランシス・ガルニエ Francis Garnier (1839-73) の胸像だ。台座からカンボジアを感じ取れよう。

彫刻家は台座に銘があるように デニス・ピュエシュ Denys Puech (1854-1942) で<フランシス・ガルニエの灰を含むモニュメント>と名付けられている (1898)。ガルニエはコーチシナで虐殺された。

このモニュメントは真っ直ぐパリ天文台を向いており、モニュメントの背後は一直線でリュクサンブール宮殿だ。
上記のモニュメントはその線上にあり見えない。

また、上の写真で左の並木の左には、皇帝ナポレオンに<勇者の中の勇者 le Brave des braves >と愛称された ミッシェル・ネイの立像がある。台座正面に<ミッシェル・ネイ帝国元帥の記憶のために A La Memoire du Maréchal Ney >とある。François Rude (1781-1855) の作品(1853)。

エルチンゲン公爵でもあり、モスクワの王子でもあった。
ワーテルローの戦いで完敗しいわゆるナポレオンの100日天下が終わっておよそ6ヶ月後の1815年12月7日,この天文台大通りで戦犯としてギロチンの露と消えた。

最後の言葉は<フランス万歳 Vive la France !>だったという。

ロータリーとモニュメント 42  マドレーヌ広場

   depuis  2001

ロワイヤル通り、マドレーヌ大通り、マルセルブ大通りなど8本が集まるマドレーヌ広場 Pl. de la Madeleine のモニュメントはマドレーヌ寺院(右)だが、

2009年にはテンポラリーに…..(下)     Louis Derbré(1925-2011) の作品。リュクサンブール公園のメディチの泉にあったこともある。

寺院正面の通りがロワイヤル通りで手前がコンコルド広場。下の写真は寺院裏側で、左に<フォーション>、右に<エディアール>が広場に面している。

また、ロワイヤル通りの左側には<ラリック><クリストフル><マキシム><ベルナール>などの高級店が連なっている。<バカラ>は正面左手で広場に面している。

最近ユーロ安が進んでいるがもっと円高だった頃ラリックに通い詰たのが懐かしいが、掛かりつけだったB.Y.さんはその後どうしているのだろう?景気の低迷で店舗を縮小してから久しい。

マリアージュ・フレール>のお店もエディアールの横にあります。ただしマドレーヌ店はブティックのみ。サロン・ド・テはないので、お茶をしたい場合はフォーションか<ラデュレ>となりますか・・

* * *

マドレーヌ寺院の正面からブルボン宮を見ると(2006年8月)・・ロワイヤル通り Rue Royale

ロータリーとモニュメント 41  ドミニカ共和国広場

     depuis  2001

   クールセル大通りを合わせ7本の道路が集まる ドミニカ共和国広場 Place de la République Dominicaine のモニュメント。現在はモンソー公園 Parc Monceau が完全に交通遮断されていて写真のようにモニュメント/ロタンダ(円形の建物)La rotonde の真ん中に囲障柵がある。

新古典主義の建築家クロード・ニコラ・ルドゥー Claude-Nicolas Ledoux (1736-1806) による建築。パリに入る農産物への通行税徴税のために<シャルトルの関門 Barrière de Chartres >として建設された(1785-88)。

Pl. de la République Dominicaine

モンソー公園内からの写真でゲートの前が広場。モニュメントは無料トイレとして使用されている。

モンソー公園は土地の一部を資産家に売却することによって公園整備と合わせて周辺の超高級住宅地を実現したことで有名。代表例が Nissim de Camondo で、銀行家としてフランスに貢献しながら助けることができず家族をアウシュビッツで失うこととなったユダヤ人迫害の悲劇を邸宅 (ニシム・ド・カモンド美術館  Musée Nissim de Camondo) で偲ぶことができる 。

邸宅はアール・デコ、ニシムは第一次大戦で戦死した息子の名。恨みつらみを越えてフランスに寄贈しているのだから素晴らしい。

***

モンソー公園の出入り口の鉄柵はサンミッシェルやフランソワ1世広場の噴水等を手掛けた折衷主義の建築家、ガブリエル・ダヴィウ Gabriel Davioud (1823-81)の作品。

Parc Monceau-1

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ロータリーとモニュメント 40 ジャック・リュフ広場

   depuis  2001

シャン・ド・マルス公園 Parc du Champ de Mars の中にあるカルーゼル広場と同種のロータリー、ジャック・リュフ広場  Pl. Jacques Rueff のモニュメントは花壇だ。
100メートルx 30メートル位のスケールなので右側の一部しか写っていない。

市内観光バスや観光バスが必ず通りかつ一時停車してくれる、車窓からのエッフェル塔の撮影ポイントになっている。

バスに乗ったつもりでエッフェル塔を見れば・・・

ロータリーとモニュメント 39  ユーロップ広場

       depuis  2001

 クロード・モネの<サン・ラザール駅>で有名な
サン・ラザール駅構内の橋上ロータリーである

 ユーロップ広場 Pl. de l’Europe のモニュメントは小さなビオトープだ。

広場の下はサン・ラザール駅構内の線路で手前が駅舎で前方はノルマンジー。

1837年に開業した最も古い鉄道で、ピサロのポントワーズ、シスレーのルーヴシエンヌ、モネのジヴェルニー・アルジャントゥイユ、ゴッホのオーヴェル・シュル・オワーズなど印象派の巨匠たちが制作の拠点としたのはいずれもこの沿線だ。

ロータリー(ヨーロッパ広場)には6本の道路が入っていていずれもヨーロッパ各地の都市名を冠している。右の建物沿い右にサン・ペテルスブール通り、時計回りにリエージュ通り、ロンドレ通り、ヴィエンヌ通り、マドリッド通り、コンスタンチノープル通りだ。

周辺にもローム通り、ダムステルダム通り、モスコウ通り、リスボン通り、、ブダペスト通り等多数ある。

モネの<サン・ラザール駅>はオルセー美術館にあるが、今夏のロンドン・ナショナルギャラリーで別作を鑑賞した。

ロータリーとモニュメント 38 フランソワ1世広場

   depuis  2001

  フランソワ1世通りをはじめ広場を突き抜ける3本の道路、
合計6道路が集まるロータリーである

フランソワ1世広場 Place François 1er のモニュメントは噴水(マドレーヌ広場の泉)だ。
シャトレ座の建築家 ガブリエル・ダビウ(1823-81)の作品(1864)。
大理石で彫刻は Théophile Murguet による。

Pl.François 1er

フランソワ1世アンヴァリッド橋の右岸詰を直進せずに斜め左のフランソワ1世通り Av.François 1er (モンテーニュ大通りを横切りジョルジュ・サンク大通りに至る)を少し行ったところだ。

フランソワ1世(写真左)は晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチをアンボアーズ城に庇護したことで知られている16世紀前半のフランス王で、ルネッサンス王 Prince de la Renaissance と別称される。

<モナ・リザ>がルーブル美術館にあるのは彼のお蔭だ。

ロータリーとモニュメント 37  カルーゼル広場

   depuis  2001

馬車の時代の名残だろう、今となっては公園管理の車などを除けば特に必要のない円形ロータリー。

カルーゼル広場 Pl. du Carrousel のモニュメントはご覧の通り。

ルーブル宮のシュリ―翼からデファンスの方向を見ている。右側がリシュリュー翼で左側がドノン翼。間の Cour  Napoléon に大小二つのピラミッド、ルーブル美術館への出入り口になっている。

リシュリュー翼の右側にリヴォリ通りが走っていてデザインと高さを統一した建物がコンコルド広場まで連担しているのが分かる。

カルーゼル広場の向こうにカルーゼル凱旋門 Arc de Triomphe du Carrousel と凱旋門 Arc de Triomphe と重なって分かりずらいが 新凱旋門 Grand Arche との3つの凱旋門が見て取れよう。

ロータリーとモニュメント 36  ジョルジュ・ミュロー広場

   depuis  2001

ジョルジュ・ミュロー広場  Place Georges Mulot は

掘り抜き井戸のエンジニアで起業家のルイ・ジョルジュ・ミュローの名を冠した広場だ。モニュメントはもちろん彼の掘り抜き井戸の記念碑で、1841年に初めて湧出した<グルネルの泉>と呼ばれるものだ。

パリ子午線で有名な天文学者で偏光を発見した物理学者でもあったアラゴ François Arago がパリ市長のころのものだ。

写真の面のメダリオンのバレンティン・アユイ Valentin Haüy  は1785年にはじめての視覚障害者のための学校を創設した人物で、通りの名が Rue Valentin Haüy。モニュメントの4面にメダリオンがあるがその内一枚はジョルジュ・ミュローだ。(下の写真:転載)

ロータリーとモニュメント 35 サン・シュルピス広場

    depuis  2001

    サン・シュルピス広場 Pl. St-Sulpice のモニュメントは建築家 ルイ・ヴィスコンティ Louis Visconti (1791-1853) 作の巨大噴水(1847)だ。

長らく工事中だったがサン・シュルピス教会の修復と合わせて化粧直しが終わった。

ダヴィンチコードで一躍有名になったサン・シュルピス、イオニア・ドーリア式のファッサードのアンバランス(写真下段)はフランス革命の影響を受けている。

Pl. St-Sulpice

教会正面より。左手の建物は6区の区役所。

イタリア料理の <サンタ・ルチア> は右手。

サン・シュルピスにあるドラクロワの壁画と天井画は必見。

天井画というと天竜寺の龍を描いた<加山又造>を思い浮かべる。

上中央<天使とヤコブの戦い Lutte de Jacob avec l’ange (détail) >の部分写真。

フレスコ画ではなく、ワックス(蝋)画 Encaustique であると説明にある。

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2011・02のサン・シュルピス教会とサン・シュルピス広場。

St-Sulpice et Pl.St-Sulpice

ロータリーとモニュメント 34  アンドレ・マルロー広場

     depuis  2001

Pl. André Malraux ド・ゴール政権下の文化相として来日し今回被災した那智勝浦等も訪問したことを覚えている人も多いかと思うが、作家アンドレ・マルローの名を冠した広場 Pl. André Malraux のモニュメントは大きな噴水2基だ。

噴水は建築家ガブリエル・ダビウと複数の彫刻家の作品。

ガブリエル・ダヴィウ  Gabriel Davioud (1823-81) はオスマン男爵とパリ改造を具現化した建築家で、サン・ミッシェルやドメニルの噴水も手掛けた。

頂部に載るニンフは上が川のニンフ、下が海のニンフで、ペアになっている。

海のニンフ Nymphe marine の作者はアールヌーヴォーの先駆者の一人Carrier-Belleuse (1824-87) で、彼はロダンの師匠であったことでも有名。

川のニンフ Nymphe fluviale はマテュラン・モロー Mathurin Moreau (1822-1912) の作品。

Pl. André Malraux

オペラ大通りやサントノレ通りなど6道路が集まる。広場東端に<コメディ・フランセーズ・リシュリュー>が面している。川のニンフが載る上段の写真の右手がコメディ・フランセーズ(写真下3枚)だ。

ロータリーとモニュメント 33 ポルト・マイヨー広場

   depuis  2001

  ポルト・マイヨー広場 Place de la Porte Maillot は大緑地だ。

パリの外郭高速環状道路との出入りもあって10本を超える道路が集まっているため、緑地の中に入るにはアンダーパスを通らなければならない。が…そのアンダーパスは雨露を防ぐホームレスの格好の生活の場となっている。

プラタナスの樹列の間が中心軸で、左が凱旋門から下りの Av. de la Grande Armée 右が Av. Charles de Gaulle でデファンスヘ一直線だ。

ロータリーに面してブPalais des Congrès de Parisーローニュの森へと繋がる写真左の公園にモニュメント(写真下)が、右にパリの会議場 Palais des Congrès de Paris (同右)がある。

ケーニッヒ元帥の記念碑 Monument au Maréchal Koenig はAlbert Féraud (1921-2008) の作品。

ケーニッヒはパッシー橋を改名して名を残すリビアの<ビル・アッケムの戦い>を将軍として指揮した。

Monument au Maréchal Koenig

ロータリーとモニュメント 32  ブルボン宮広場

   depuis  2001

コンコルド広場からセーヌ川の方にギリシャ様式の国民会議(フランス議会下院)、ブルボン宮が見えるが、その裏側の下院  Assemblée Nationale (Palais Bourbon) の車寄せというか小さなロータリー、ブルボン宮広場 Place du Palais Bourbon のモニュメント。

<法 La Loi> と名付けられたジャン=ジャック・フッシェル Jean-Jacques Feuchère (1807-52) の作品(1852)で1854年に設置された。

写真下はコンコルド橋からのブルボン宮。

Pl. du Palais Bourbon

Assemblée Nationale (Palais Bourbon)

エッフェル塔百態 50  旧陸軍士官学校・フォントノア広場

   depuis  2001

フォントノア広場 Place de Fontenoy  から
旧陸軍士官学校 Ecole Militaire を通してみるエッフェル塔だ。

Ecole Militaire

両者の中心軸が一致しているので、
できるだけエッフェル塔が見えるように上の写真では故意に軸をずらせて撮影している。

Ecole Militaire をエッフェル塔側からつまりシャン・ド・マルス公園から見ると・・・

Ecole Militaire

士官学校前中央にジョフリ元帥の騎馬像が置かれ、  ジョフリ広場 Place Joffre と呼ばれる。

ジョフリ元帥はエッフェル塔の下部アーチを通して トロカデロと11月11日広場 Place du Trocadero et du 11 Novembre  のフォッシュ元帥と一直線上で向き合っている。

Drouant  / ドゥルーアン

   depuis  2001

日本の芥川賞にあたるゴンクール賞(アンドレ・マルロー も受賞者の一人)の選考会場として名の通る Drouant は日本語メニューを用意しているのでお勧めだ。ただ、ヴォリュームがあるのでお腹を空かして行かれるのが良いかも。オペラ大通りを東に入ってすぐの噴水のあるガイヨン広場 Pl. Gaillon に面している。

写真下2枚目の中央アーチの部分が<ドゥルーアン>の前にある建物にはめ込まれた昔ながらの(水飲み場・水道)泉 Fontaine で、レストランの名が <La Fontaine Gaillon >だ。

Droant-1Pl. Gaillon

この日注文したアントレとプラット

Drouant-2


ロータリーとモニュメント 31  ガンベッタ広場

   depuis  2001

 6本の道路が交差する円形ロータリー、
ガンベッタ広場 Pl. Gambetta のモニュメント…噴水。

パリ20区の区役所はこの広場に面していてこの視点は区役所前からだ。
パリ市役所の車が前に停まっている。ペール・ラシェーズ墓地は左の緑のすぐ先だ。

Léon Gambetta は1870年からの第三共和制の発足と安定に内務大臣として尽力、1881年から82年にかけて77日間首相を務めた。パリ20区選出の下院議員。

ロータリーとモニュメント 30  メキシコ広場

      depuis  2001

 真っ直ぐブーローニュの森に至るロンシャン通り Rue  de  Longchamp を含め7本の道路が集まる円形ロータリー、メキシコ広場 Place de Mexico (旧ロンシャン広場)。

中心にあるモニュメントは金属を用いたメキシコ生まれの女流彫刻家 アゲダ・ロサノ Agueda Lozano(1944-) による彫刻で<Terre du Mexique en terre de France>(2006)。

エッフェル塔の見える道路はサックス大通り Aveneu de Saxe から旧陸軍士官学校、シャン・ド・マルス、シャイヨー宮、トロカデロと11月11日広場を経てメキシコ広場までを一直線に結ぶエッフェル塔の主軸の一部を担うエロー大通り Avenue d’Eylau で、
左のロンシャン通りはイエナ広場に至る。

ロータリーとモニュメント 28 Place de Victor et Hélène Basch

   depuis  2001

オルレアン門 Porte d’Orléans  からパリ市内に入り、
1944年8月25日広場  Pl. du 25 Août 1944  から
ルクレール将軍大通り Av. du Général Leclerc  を進んで最初のロータリーが
ヴィクターとエレヌ・バッシュ広場 Pl. de Victor et Hélène Basch だ。

地下はメトロ4号線のアレジア Alésia で、モニュメントはヴェースに入れた棕櫚6本だ。

<パリは燃えているか?> ヒトラーのパリ焦土作戦を未然に防止し実行しなかった自由フランス軍のルクレール少将とドイツ防衛軍のコルテッツ大将とがモンパルナス駅で降伏文書を取り交わし、パリを開放した日が1944年8月25日だ。その日、ルクレールはオルレアン門 (Pl. du 25 Août 1944) からパリに入城し、アレジア、ダンフェール・ロシュローを辿ってパリ警視庁へと進軍したが、その広場と道とに記念の名を冠したものだ。

アレジアのロータリーは6本の道路が交差するのだが左右に抜けるアレジア通り Rue d’Alésia 等いずれも幹線でいつも混雑している。写真中央がルクレール将軍大通りでこの先が ダンフェール・ロシュロー広場だ。また、ネオロマネスク様式のサンピエール・ド・モンルージュ教会は歴史的建造物。

広場名になっているヴィクターとエレヌのバッシュ夫妻は1944年1月10日に殺害された。ヴィクター・バッシュはブダペスト生まれのフランス人権連盟の創設者であり哲学者で、当時の文壇の大御所エミール・ゾラが擁護したことでも知られるあの有名な<ドレフュス事件>にも関与している。

エッフェル塔百態 38  ブルトゥイユ広場

    depuis  2001

     ブルトゥイユ広場 Place de Breteuil からのエッフェル塔。

パスツールの坐像があるブルトゥイユ広場の正面はアンヴァリッドだが、左斜め45度の Av. de Saxe を見ると真正面にエッフェル塔を望める。

オスマンの設計でブルトゥイユ広場、ザックス大通りと旧陸軍士官学校、シャンドマルス公園、エッフェル塔、シャイヨー宮の中心軸とフォッシュの騎馬像とが一直線上にあるからだ。

Tour Eiffel - Place de Breteuil

エッフェル塔の足元、三色旗の掲揚されているのが旧陸軍士官学校。

並木道はザックス大通りでフォントゥノイ広場まで。

左手にユネスコ本部がある。

また、土曜日には朝市がる。

* * *

余談だが、手前の人だかりはエコなのか、健康なのか、懐具合なのか、最近流行の<バイクツアー>の連中だ。

列車やボートも組み合わせてヨーロッパを広く長期間にわたって周遊してるツアーもある。

Hôtel des Invalides - Pastuer

ロータリーとモニュメント 27  テルヌ広場

   depuis  2001

    やや長円形のロータリーであるテルヌ広場  Pl. des Ternes  のモニュメントは花市だ。

日本人に人気のフォーブルサントノーレ通り Rue de  Faubourg St-Honoré はこの交差点から東向きに始まる。1番地はショパン Chopin が愛用していたことでも有名なピアノのプレイエル Pleyer だ。 コンサートホールもある。

* * *

高校の後輩でピアニストの彼女が憧れのプレイエル社の支援で東京都庭園美術館で催したピアノ演奏会に出かけたことがある。

ロータリーとモニュメント 26  アルマ広場

   depuis  2001

アルマ広場 Place de l’Alma は8本の道路が集まる大きなロータリーだ。

シャンゼリゼ大通りと併せて黄金のトライアングルを形成するジョルジュ・サンク大通り(写真中央)とモンテーニュ大通り(写真右斜め方向)に加えて、凱旋門からのマルソー大通り、トロカデロから来るプレジダン・ウィルソン大通り(どちらも写真左斜め方向)にアルマ橋(写真手前)など大物揃いだ。

中央の尖塔はアメリカン・チャーチ American Cathedral in Paris 。

ロータリーの中心にはモニュメントは無いが周りに3つのモニュメントがある(2つは王妃 アストリッド広場)。

Pl. de l'Alma

ロータリーとモニュメント 25  コロネル・ファビアン広場

   depuis  2001

コロネル・ファビアン広場 Place du Colonel Fabien  のモニュメントは巨木だ。

8本の道路が集まる長円形の大きなロータリー。ファビアン大佐の像は見当たらない。

Pl. du Colonel Fabien

手前左側へ階段を下りて行くとサン・マルタン運河にいたる傾斜地を巧みに利用した緑いっぱいの高層住宅地になっている。また、右側のドームらしきモニュメントはこの奥の高層地区と一体をなすもので、コロネル・ファビアン広場の周辺ではサン・マルタン運河の環境整備と併せて再開発が進められている。

中央に パリ プラージュ の案内板が写っている。

ロータリーとモニュメント 24  ヴォーバン広場

   depuis  2001

ヴォーバン広場 Place Vauban は大型の半円ロータリーでモニュメントは二人の元帥像だが、
アンヴァリッドに位負けして影が薄い。注意して見れば左右にひとつづつ像を確認できる。

エッフェル塔は左45度の方角なのでこれらの写真では捉えられない。

ドーム Le dôme de Saint-Louis-des-Invalides  の破風に王の紋章が見て取れる(拡大すれば・・)。

Hôtel des Invalides

広場の名になっているヴォーバン Sébastien Le Prestre de Vauban (1633-1707) は、ルイ14世治世下の元帥であり、軍事(特に、要塞建設)のエンジニアでもあった。
アンヴァリッド正面右側のサルヴァドール・アジェンデ広場 Place Salvador Allende に彼の立像がある。

014012

ロータリーとモニュメント 23  カタロニュ広場

   depuis  2001

6本の道路が集まる円形ロータリー カタロニュ広場 Pl. de Catalogne のモニュメントは巨大な円形カスケードだ。パスツール大通りに向かって傾斜させた円形のカスケードだ。

Pl. de Catalogne

左へ向かう道路がパスツール大通りでこの道路の線上でエッフェル塔を望める。この地区はモンパルナス駅の数次にわたる移転、集約、改造に伴って出来上がった近代地区。モニュメントも現代的だ。評判の上がらないモンパルナスタワーも地区の一角でこの写真に見えているすべてがモンパルナス駅なのだ。

SNCF とモンパルナスタワーの線上がレンヌ通りで先はサン・ジェルマン・デ・プレだ。

ロータリーとモニュメント 22  パブロ・ピカソ広場

   depuis  2001

  パブロ・ピカソ広場 Place P.Picaso のモニュメントはロダン作のバルザックの立像だ。

A Balzac A Rodin
交差する7本の道路のうちモンパルナス大通に面して ルドーム  Le Dome  がある。Foujita の Le Dome だ。

日本人としてはフジタ広場として欲しいものだ。

Pl. P.Picaso

ロータリーとモニュメント 21 オデオン広場/ポール・クローデル広場

    depuis  2001

    オデオン広場  Place de l’Odéon のモニュメントは オデオン座 と カフェ。

Pl. de l'Odéon

下の写真はオデオン座の裏正面で、リュクサンブール公園に面していて ポール・クローデル広場 Place Paul Claudel と呼ばれる。

ポール・クローデル(1868-1955) は駐日大使を務めたこともあるフランスの外交官で、劇作家。

オーギュスト・ロダンの弟子で、ロダンとの愛憎でも知られる 彫刻家の カミーユ・クローデル Camille Claudel (1864-1943) は姉。

9月21日から10月29日まで<ロメオとジュリエット>が上演されるようだ。

Odéon

ロータリーとモニュメント 20  フォントノア広場

フォントノア広場  Place de Fontenoy  はEcole Militaire 前の半円ロータリーで
モニュメントは Monument de la Défense Nationale  だ。

ダンフェール・ロシュロー広場ではライオンの台座に刻まれているが、
ここでは石柱そのものだ。

モニュメントは写真下右の
旧陸軍士官学校の正面を向いていてその向こうにエッフェル塔が位置する。

建物は右ウイングに陣取る世界遺産のユネスコ本部だ。

下左は各国の世界遺産を例示した看板群のうち日本の事例で宮島、
中央はユネスコ本部入り口。

ロータリーとモニュメント 19   エドモン・ロスタン広場

   depuis  2001

エドモン・ロスタン広場 Pl. Edmond Rostand のモニュメントは
<噴水 Fontaine du bassin Soufflot >だ。

 ガブリエル・ダヴィウ Gabriel Davioud (1823-81)の建築(1862)で、
Gustave Crauk(1827-1905)の彫刻(1864)。

写真手前はリュクサンブール公園、正面はパンテオン
この街燈と交通標識は被写体としては邪魔だが、街燈そのものは素敵だ。

エドモン・ロスタン(1868-1918)は舞台女優サラ・ベルナール(1844-1923)の活躍した時代に発表した戯曲<シラノ・ド・ベルジュラック>で知られる劇作家。

* * *

広場に面する<ダロワイユ DALLOYAU/Luxembourg>からの風景。

建物に沿って左から右に一直線のサン・ミッシェル大通り Bd. St-Michel 、
標識にあるように建物の間 スフロ通り Rue Soufflot を入ればパンテオン広場で、
パンテオンと5区の区役所がある。

右・黄金の柵で囲まれているのがリュクサンブール公園 Jardin de Luxembourg 。

Pl. Edmond Rostand

ロータリーとモニュメント 18   シャトレ広場

   depuis  2001

シャトレ広場 Place de Châtelet は
豪華なスフィンクスの台座に金色で目立つ彫像を乗せた泉 fontaine だ。

ヤシの泉あるいは勝利の泉 Fontaine du Palmier(ou fontaine de la Victoire)と呼ばれる。

ナポレオンがイタリア・エジプトに勝利したのを記念して
飲料用に建造(1806-08)された勝利の泉だ。

サミットに乗る金色の女神は両手に月桂樹 laurier の花輪を掲げて勝利を表している。
ルイ・ボワゾ Louis Boizot (1743-1809) 作の
<不滅 Immortalité >で、勝利 La Victoire を寓意している。

なお、円柱はパームを表す。ヤシ palme は不死/勝利の象徴だ。

オリジナルは<カルナヴァレ美術館 Musée Carnavalet> にある。

Pl. du Châtelet
Pl. du Châtelet

上の写真左の建物は パリ・シャトレ劇場 (シャトレ座) 。泉を挟んで対面に パリ市立劇場 (写真下の右の建物)がある。どちらも ガブリエル・ダヴィウ の建築だ。

右の写真で、台座の中央には月桂冠で囲まれた<カタジロワシ Aigle impérial >を置いて、ナポレオンの勝利と栄光を表している。これもルイ・ボワゾの彫刻。

その上には4つの彫像があり、慎重、節制、正義、力を寓意している。

下の写真は2008年2月の撮影で90度視点が異なるが落葉しているので広場とモニュメントが共に分かりやすい。中央右にサンジャックの塔 Tour St-Jacques が見えるがこの時点ではまだ改装工事中だ。

Pl. du Châtelet

ロータリーとモニュメント 17  ブルトゥイユ広場

   depuis  2001

   ブルトゥイユ広場 Place de Breteuil のモニュメントは狂犬病の予防接種で知られるパスツールの坐像だ。Jean Alexandre Joseph Falguière (1831-1900) の彫刻<Pasteur (1904)>で、Victor Peter (1840-1918) により完成された。

ウイルスがまだ知られていない時代にワクチンの予防接種に辿り着いた細菌学の元祖だ。

像もさることながら台座も素晴らしい。
如何に人々や家畜に慕われていたかを想像できるではないか。

像の正面はアンヴァリッド、後ろはプロムナードを経てパスツール大通りへ。メトロ  - PDF - 新規ウィンドウ地図地下鉄ライン6をダウンロード   - PDF - 地図地下鉄ライン12をダウンロード新しいウィンドウ Pasteur 駅 を右に折れると Hôpital Pasteur だ。
パスツール研究所はモンパルナス駅の西側にある。

ロータリーとモニュメント 16 サントギュスタン広場 / ジャンヌ・ダルク像

   depuis  2001

Pl. St-Augustin    サントギュスタン広場  Pl. St-Augustin  のモニュメントはジャンヌ・ダルクの騎馬像だ。

騎馬像のオリジナルはランス大聖堂前にある。

Paul Dubois (1829-1905) の作品(1895)。

このロータリは9本の道路が交差する変型交差点で非常に分かり辛く、

また、サン・ラザール駅に近接していることも手伝って交通渋滞が常態だ。

Pl. St-Augustin

上は教会の前からでサントギュスタン教会モニュメントは後ろ向き。

ジャンヌ・ダルク像は St-Augstin 教会の,真前中央だ。

教会前のマルゼルブ大通り Bd. Malesherbes はマドレーヌ広場に一直線だ。突き当りが広場。

反対に、マドレーヌ寺院のあるマドレーヌ広場から見たサントギュスタン教会が右の写真で、

上の写真からでは想像できない大教会なのだ。

上の写真では教会の大ドームが全く視野に入っていない。

ロータリーとモニュメント 15  マレシャル・ジュアン広場

   depuis  2001

マレシャル・ジュアン広場  Pl. du Maréchal Juin

は円形の大庭園となっていて Bd. Péreire の中央緑地帯であるプロムナードと一体になってポルト・マイヨー広場及び隣接するブーローニュの森に連続している。

Pl. du Mal Juin

10本の道路が集まる大きな円形ロータリー。

写真下の右奥はポルト・マイヨー広場でその左にはブーローニュの森が拡がっている。

ジュアン元帥とはイタリア広場に功績碑のあるアルフォンス・ジュアンのことだ。

Bd. Péreire-Promnade

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広場の一角に画家 Albert Besnard (1849-1934) の胸像が置かれている。作者は彼の息子で彫刻家だった Philippe Besnard (1885-1971) 。2013.09.19.追記。

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ロータリーとモニュメント 14  イタリア広場

   depuis  2001

      シャルル・ド・ゴール・エトワールやナションと並んで大型で完全な円形ロータリーである

イタリア広場 Pl. de d’Italie のモニュメントは噴水とアルフォンス・ジュアンの功績碑だ。

Tunisia Flag Italy Flag ジュアン元帥は第2次世界大戦においてチュニジアのチュニス戦線とイタリアの山岳戦で名を馳せた名将だ。

像の向いている方向はチュニジアとイタリアの方向である。

噴水の向こうに見えManufacture Nationale des Cobelinているのがパンテオンで広場からゴブラン大通りが延びている。元帥の右に透けて見えるのは13区の区役所だ。

国立ゴブラン工場 Manufacture Nationale des Gobelin (写真右)がゴブラン大通りの左側にある。

建物のレリーフが素晴らしい。是非クリックして拡大してください。

ロータリーとモニュメント 13   クリシー広場

   depuis  2001

       クリシー広場  Pl. de Clichy  のモニュメントは

モンセー元帥のクリシーでの戦い(1814年3月30日)の記念碑 Le monument à Moncey だ。

Amédée Doublemard (1826-1900) の作品(1870)。

写真手前側が Bd. de Clichy クリシー大通りで、ムーラン・ルージュのあるブランシュ広場を経てピガール広場に向かう。前方の緑はバティニョル大通りで、凱旋門に一直線だ。

モンセー Moncey はパリ国家警備隊を率いてクリシーにバリアーを築いてロシア等ナポレオン包囲同盟軍と戦うも武装解除を余儀なくされ、翌日の1814年3月31日にパリ陥落・ナポレオンは退位となる。

ロシア遠征に異を唱えていた彼は王政復古政府の大臣などを歴任することになる。

ロータリーとモニュメント 12  ヴィクトル・ユゴー広場

   depuis  2001

  ヴィクトル・ユゴー広場 Pl. Victor Hugo は噴水だ。

この広場は10本の道路が集まる円形ロータリーだ。

シャルル・ド・ゴール広場からブーローニュの森に至る Av.Victor Hugo 沿いは Av. Foch 沿いと並んで超高級住宅地だ。

在仏日本大使館勤務の後輩がこの辺りの家具、調度品付の邸宅に住んでいて食事に招待されたことを思い出す。当時はフランの時代だったが家賃は日本円で50万円程度といっていた。

ロータリーとモニュメント 11 レオン・ブリュム広場   

   depuis  2001

      レオン・ブリュム広場 Pl. Léon Blum の中心のモニュメントは・・・

オスマンのパリ改造計画の基幹の一つであるレピュブリック広場とナション広場(いずれも既 出)を繋ぐ直線のヴォルテール大通りが横切るほか7本の道路が放射する四角形のロータリーだ。正面建物に沿って右側にレピュブリック広場、左側にナション 広場だ。ビルの間のラ・ロケット通りはバスチーユに向かう。メトロ9号線Télécharger le plan Métro ligne 9 - PDF - Nouvelle fenêtreの Voltaire が広場の地下にある。

現在のモニュメントは今風のオブジェになっているが、以前は広場の名になっている Léon Blum の彫像が置かれていた。
( バスで行く区役所巡り その3 11区の写真 を参照されたい。 )

レオン・ブリュムはヨーロッパにファシズムの嵐が吹き荒れるなか1936年6月に発足した人民戦線内閣の首相であり、また第二次世界大戦後の臨時内閣の首相も務めた人物だ。

この地域から下院議員に初当選したことに因んで旧ヴォルテール広場を改称した。写ってはい ないが右側にある区役所巡りで紹介済みの11区の区役所の前庭に彫像は移設されている。ユダヤ系フランス人だったこともあり1940年パリ陥落後逮捕され ドイツの強制収容所に収容されるなど激動の人生だった。

モニュメントが夏には夾竹桃のヴェースに。右が区役所前に移設された<リオン ブリュム>像。

ロータリーとモニュメント 10  トロカデロと11月11日広場

   depuis  2001

トロカデロと11月11日広場 Place du Trocadero et du 11 Novembre のモニュメントは
FOCH の騎馬像だ。

   シャイヨー宮を通して真っすぐエッフェル塔・旧陸軍士官学校・
ジョフリ元帥の騎馬像を向いている。

Pl. du Trocadéro et du 11 Novémbre

FOCH は銘板から推測できるかも知れないが、第一次世界大戦時の西部戦線の仏英連合軍の総司令官であり、また1918年11月11日11時に交わされた休戦協定時のフランス元帥 Mareshal de France であった。

11月11日広場というのは第一次世界大戦の終戦記念広場の意だ。

隣接するパッシー墓地の壁面に <名も無き英雄たち> を称えるレリーフがある。

Pl. du Trocadéro et du 11 Novémbre

またフォッシュは銘板にあるようにイギリスとポーランドの元帥でもあったので、トラファルガー広場の近くにも FOCH の騎馬像がある。8月9日から13日までロンドンに滞在することとしているので今度は写真を撮ってこよう。(ロンドン Rondres の Foch は下に写真)

凱旋門からの Av. Foch は超高級住宅地を貫く広々とした大通りで、スエズ運河を開削したレセップスの大邸宅がブーローニュの森に向かって右側にあったはずだが・・・

よく出張するのでオルセー美術館で見れるとは限らないのだが、<草上の朝食><オランビア>で有名な マネ Manet などが眠るパッシー墓地は広場に接している。上写真のレリーフの擁壁の向こうが墓地だ。市内観光に便利な パリ・ルージュ の発着地点でもある。

セーヌ川をイエナ橋で渡河してブランリィ河岸 Quai Branly から振り返って見たシャイヨー宮である。解像度が悪くて見難いものの中央に FOCH  の騎馬像が・・そこが6本の道路が集まるロータリーだ。

* * *

United Kingdom Flag    ロンドンのFOCH  の騎馬像

ヴィクトリア駅を出て正面の公園の前にある。

ロータリーとモニュメント 9 ヴィクトワール広場   

   depuis  2001

     ヴィクトワール広場  Pl. des Victoires のモニュメントはルイ14世の騎馬像だ。

6本の道路が放射する円形ロータリー。

元々あった マルタン・デジャルダン Martin Desjardins (1637 – 1694)作の騎馬像は太陽王ルイ14世のせいだろう、フランス革命後に取り壊され王政復古後に再建されたとの記録がある。

フランソワ・ジョゼフ・ボジオ François Joseph Bosio (1768 – 1845)作。

有名なパッサージュ <ギャラリー・ヴィヴィエンヌ> のすぐ近くです。

広場の周りには若者むけのオシャレなブティックも並んでいます。

以前、正面の大通り右側にある中央郵便局の前にあった<コム・デ・ギャルソン>のお店に通ったものです。

手前に抜けると<京子食品>の面する Rue de Petit Champs  で、オペラ大通りに出るまでに<十字屋><やすべえ><来々軒><口悦>など日本料理店の多いサンタンヌ通り Rue Ste-Anne を横切る。

参照 : バスで行く区役所巡り 2区

ロータリーとモニュメント 8  イエナ広場

   depuis  2001

<ギメ美術館 Musée Guimet : Musée national Français d arts asiatiques>の面する イエナ広場  Pl. d’Iéna のモニュメントは<アメリカ合衆国の初代大統領 ワシントンの騎馬像>だ。

周辺には アメリカ合衆国広場 などアメリカの独立戦争以来の記念碑やウィルソン等の人名が多い。

Iéna

Musée National des Arts Asiatiques-Guimet

車が停車しているのが Av. du Président Wilson で騎馬像方向に トロカデロ広場 に至る。

アルマ・マルソーからイエナ間での道路分離帯で開かれる<イエナ・プレジダン・ウィルソンの朝市>は鮮度の良さで知られる超高級朝市だ。

東洋美術や陶磁器などのコレクションで知られるギメ美術館はジュール・シャトロン Jules Chatron (1831-84) による新古典主義の建築(1885)。

       メトロ9号線PA_metro_ligne_9 Iéna か Arma Marceau で下車。

Pl. d'Iéna

ロータリーとモニュメント 7  バスティーユ広場

   depuis  2001

  バスティーユ広場 Place de la Bastille のモニュメントは<7月革命の記念柱 Colonne de Juillet >だ。ジョセフ・ルイ・デュック Joseph-Louis Duc (1802-79) の作品(1840)。

Colonne de Juillet-11830年7月27~29日の市民革命により、1815年に王制復古したブルボン王朝を打倒し立憲君主制を発足させたいわゆる<7月革命>の記念柱だ。

左写真に<27 28 29 ・ Juillet 1830> の銘が、右写真の正面には<・・市民のために戦ったフランス市民の栄光のために>の記載がある。<栄光の3日3日間 Trois Glorieuses: 27.28.29>と呼ばれたりする。

1789年7月14日のフランス革命は当時この場所にあったバスティーユ(の監獄)の襲撃から始まった。      革命後取り壊されて広場になっていた。

写真には写っていないColonne de Juillet-2が広場に面するオペラバスティーユはバスティーユからヴァンセンヌに 至る元ヴァンセンヌ鉄道の駅舎の跡地だ。高架の鉄路は長い緑道(プロムナード・プランテ La Promenade Plantée)として残っているし、リヨン駅からサンテミリオンに至る高架下はお洒落なブティックなどに なっていて(ヴィアデュック・デザール Viaduc des Arts) 若者の人気が高いそうだ。。

また、広場の下にはサンマルタン運河が南北に横切っていて、メトロ1号線PA_metro_ligne_1のホームから運河を望める。      広場の北の運河上の緑道の一部はバスティーユの市場になっていて朝市で賑う。

Le Génie de la LibertéColonne de Juillet の先端には金色に輝く・・Le Génie de la Liberté : 自由のゲニウス(自由の守り神)が。。。      オーギュスト・デュモン Augustin Dumont 作(1835)。

ヴァンドーム広場の Colonne サミットのナポレオン Napoléon en César  も彼の作品だ。

   メトロPA_metro_ligne_7 Sully Morland  H.Galli  を出た所のアンリ・ガリ H.Galli 公園にバスティーユ監獄の基礎の一部が移設保存されている(写真下)。

バスチーユ(要塞)にあった8つの塔の一つであった<自由の塔 Tour de la Liberté>の基礎。

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セーヌ川側からアシュナル港 Port de l’Arsenal(サンマルタン運河 Canal Saint-Martin)を通して
<7月革命記念柱>を望む。

記念柱と緑がバスティーユ広場でその下が運河上にあるメトロ1号線PA_metro_ligne_1のバスティーユ駅。
右端にオペラ・バスティーユ Opéra Bastille も見える。

Canal St-Martin Bastille

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ドラクロワは早速この7月革命をテーマにした作品を発表した。ルーブル美術館所蔵の<民衆を率いる自由の女神 1831>がそれだ。中学時代の副読本で知って以来最も記憶に鮮明な作品だ。

この自由の女神は<マリアンヌ>で、解放を象徴するフリジア帽を被っている。

7月王政の安定により、作品はドラクロワの下に返されることとなり、再び日の目を見るのは7月王政を打倒した2月革命(1848)以降のことである。

ロータリーとモニュメント 5  コンコルド広場

   depuis  2001

      長方形のロータリーである コンコルド広場 Place de la Concorde のモニュメントは
<ルクソールのオベリスク>とも<クレオパトラの針>
とも呼ばれるオベリスク Obélisque だ。

そして、オベリスクを挟んで2つの噴水:                                                                                                <手前に大河の泉 Fontaine des Fleuves 、奥(南側)に海の泉  Fontaine des Mers  >がある。

写真上ギリシャ様式の国民議会下院のブルボン宮 (1728) と

写真下同様式(新古典・ネオクラシック)のマドレーヌ寺院  (1826) とは
セーヌ川を挟んで直線上にある。

写真下左はホテル・クリヨン L’hôtel de Crillon 右は旧海軍省 L’hôtel de la Marine で(ガブリエル Ange-Jacques Gabriel によるツインの古典様式建築 1774)、

パリの主軸であるリボリ通りはクリヨンで軸をずらせて シャンゼリゼ大通りへと向かう。

写真上でアンヴァリッド、モンパルナスタワー、ネオ・ゴシック様式のサント・クロチルド聖堂が見えるがエッフェル塔は視界に入らない。

写真上の左、下の右のチュイルリー公園から広場を見ると・・

中心軸から少し左にずらして撮影しているので、
オベリスクの向こうに凱旋門を見ることができる。

その間がシャンゼリゼ大通りだ。
金色のゲートの向こうがコンコルド広場、こちら側がチュイルリー公園。

曇天のようだが撮影ポイントはカンカン照り。

***

このポイントだとモンパルナスタワーは入らない。

Pl. de la Concorde                                                                                                                                                                                    2012.08.07

ロータリーとモニュメント 4  ダンフェール・ロシュロー広場

   depuis  2001

メトロ4号線Télécharger le plan Métro ligne 4 - PDF - Nouvelle fenêtre、6号線Télécharger le plan Métro ligne 6 - PDF - Nouvelle fenêtreと RER B 線Télécharger le plan de ligne RER B - (Pdf < 200 ko - nouvelle fenêtre)が地下にある

ダンフェール・ロシュロー広場  Place Denfert Rochereau  のモニュメントは
<ベルフォールのライオン Lion de Belfort >のレプリカ(1880 設置)だ。

<自由の女神像>の作者、
オーギュスト·バルトルディ Auguste Bartholdi (1834-1904) の作品(1880)。

その台座に A LA  DEFENSE NATIONARE  1870-1871 とある。

鉄血宰相ビスマルクのプロイセンとの普仏戦争に敗れてナポレオン3世の第2帝政が崩壊したのち、プロイセン支配に反抗する臨時の国防政府が1870年に成立1871年パリコミューンまでの間存在した。

アルザスのベルフォールでの ダンフェール・ロシュロー大佐の英雄的抵抗 を記念する同名の彼の作品(石造) が ベルフォールの要塞にある(1875-79)。

第三共和制が始まるのは1875年である。

Denfert Rochereau

Pl. Denfert Rochereau

真ん中の建物はRER B 線Télécharger le plan de ligne RER B - (Pdf < 200 ko - nouvelle fenêtre)の駅舎で線路はその下にある。パリの国内線中心のオルリー空港へはRER B 線か駅前から出ているオルリーバスを利用するとよい。

右樹木奥にカタコンブの入り口がある(見学してから早や30年経った)。サルトル・ボーヴォワール・ボードレール・ザッキン等の眠るモンパルナス墓地も至近だ。左の緑地、フランスの科学者であり政治家でもあって大通りやメトロの駅名に名を留めるラスパイユの彫像(今は台座のみ)、カタコンブの出入り口、駅舎などを含むロータリー全体がダンフェール・ロシュロー広場になっていてスケールが非常に大きい。

ロータリーとモニュメント 3 (旧)ドメニル広場

   depuis  2001

メトロ6号線Télécharger le plan Métro ligne 6 - PDF - Nouvelle fenêtreと8号線Télécharger le plan Métro ligne 8 - PDF - Nouvelle fenêtreが交差する旧ドメニル広場 Pl.  Daumesnil ((現)Pl. Félix Éboué)  は

ライオンの噴水だ。

9本の道路が集まる大型の長方形ロータリーで中央に位置する円形の噴水も大型だ。

オスマン男爵とともにパリ改造に付帯するモニュメント等を多数手がけた建築家
ガブリエル・ダヴィウ Gabriel Davioud の作品、
<水のお城の泉 Fontaine du Château d’eau >と呼ばれる噴水で共和国広場から移築された。

クリスマスの時期にはイルミネーションが施される。セーヌ川に向かってベルシー ( Bercy ) へと下る  Bd.Reuilly  (写真左方向)沿い両側の朝市も中々だ。

現在の広場名になっている フェリックス・エブエ は
フランスの植民地で知事という高い地位を得た最初の黒人だ。
功績を称えられて遺骨がパンテオンに埋葬された最初の黒人フランス人でもある。

写真手前から中央やや左に抜けるドメニル大通りはバスチーユからヴァンセンヌに至る道路。

ナポレオン戦争時の将軍であり、
1814年3月プロイセンにパリを陥落された際<フォート・ド・ヴァンセンヌの防衛>としても名を残すことになるドメニル Le général Daumesnil の名を冠したものである。

ヴァンセンヌ市役所の中にその時の様子を描いた絵があり、前に銅像がある(写真下)。ヴァンセンヌ城内の王の宮殿にも立像がある。また、凱旋門にもその名が刻まれている。

将軍の左足は義足だ。

***

モニュメントは解体して改装中。2012.08.

* * *

改装なった Pl. Félix Éboué 。2012.11.22.

ノエル・新年の時期には電飾される。

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改装後初めてのもので、旧来のとは受ける印象が全く違う。

左のイルミネーションのある道路が両側で大規模朝市の行われるウイリー大通り Bd.Reuilly だ。         2013.01.05.

ロータリーとモニュメント 1  シャルル・ド・ゴール広場   

   depuis  2001

完全なロータリー式交差点は日本では珍しいが、パリでは凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール・エトワールを代表に各所で見ることができる。
ロータリーとモニュメントとと題していくつかを案内しよう。

先ずは12本の道路が放射状に集まるシャルル・ド・ゴール・エトワール。全体が シャルル・ド・ゴール広場 と呼ばれていて中心に凱旋門 Arc de Triomphe が位置している。

手前はシャンゼリゼ大通りで、凱旋門を通して幽かにデファンスが望める。凱旋門は小山の頂上にあるため12本の道路はすべて下り坂になっている。また、ロータリーのためシャンゼリゼ大通りから直進して門を潜り抜けることはできない。屋上に見物客の姿が・・

パリの広場とモニュメント

   depuis  2001

ロータリーとモニュメント

ピラミッド広場のモニュメントはジャンヌダルクの騎馬像だ。

パンテオン広場のモニュメントはパンテオンそのものだ。8本の道路に連携する反時計回りの基本的な円状ロータリーだ。

1940年6月18日広場 Pl. du 18 Juin 1940 には特段のモニュメントは無いが、あえて言えば広場の名称そのものがモニュメントだ。

ドイツ軍の侵攻により1940年6月15日パリ陥落、ドゴール将軍は直ちにロンドンに亡命して、亡命政府自由フランスを結成し、対独抗戦とヴィーシー政府への抵抗をを呼びかける歴史的演説をした日である18日を記念したものだ。

左に見える超高層ビルがモンパルナスタワーだ。

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ヴァンドーム広場のモニュメントはナポレオンを乗せた円柱だ。

ロータリーとモニュメント…..20事例

  depuis que 2001

    完全なロータリー式交差点は日本では珍しいが、パリでは凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール・エトワールを代表に各所で見ることができる。ロータリーとモニュメントとと題していくつかを案内しよう。

20を越えるロータリーとモニュメントは20事例を含めカテゴリー<広場とモニュメント>で個別に紹介しているのでそれを見ていただきたい。

先ずは12本の道路が放射状に集まるシャルル・ド・ゴール・エトワール。全体がシャルル・ド・ゴール広場と呼ばれていて中心に凱旋門が位置している。

手前はシャンゼリゼ大通りで、凱旋門を通して幽かにデファンスが望める。凱旋門は小山の頂上にあるため12本の道路はすべて下り坂になっている。また、ロータリーのためシャンゼリゼ通りから直進して門を潜り抜けることはできない。屋上に見物客の姿が・・

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ナション (  Nation ) 広場 のモニュメントは Monument de la République だ。

像の向きはフォーブル・サン・アントワーヌ通りをとおしてバスティーユ広場、その先はエッフェル塔だ。

メトロ2号線、6号線の始発駅であり、1号線、9号線とRER  A線 の停車駅である Nation はエトワールと対をなす大型円形ロータリーの地下だ。12本の放射道路のうちヴァンセンヌへ一直線のBd. Cour de Vincennes で開かれる朝市は規模の大きさで有名だ。

ニューヨークのバッテリーパークで到着列車が折り返すのではなくそのままぐるっと回って始発列車になるのに驚いたことがあるが、メトロ2号線は到着列車が進行方向を変えることなくそのまま始発列車になる。広場の大きさが想像できようというものだ。

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ここしばらく続いていたナション広場の改修がほぼ一段落し、大木の伐採と潅木花木の植栽でモニュメントの見通しもよくなった。また同時に進行していた像後方の Trône の改装も終了した(写真右の2本の円柱)。Cours de Vincennes の大規模改良もトラムの新設工事に関連する部分を除き概成した。(2011年8月)

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2011/07/23 の朝市で・・ウサギLapin と花



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メトロ6号線と8号線が交差する Daumesnil広場 はライオンの噴水だ。クリスマスの時期にはイルミネーションが施される。セーヌ川に向かってベルシー ( Bercy ) へと下る  Bd.Reuilly  (写真左方向)沿い両側の朝市も中々だ。

写真手前から中央やや左に抜けるドーメニル大通りはバスチーユからヴァンセンヌに至る道路。

ナポレオン戦争時の将軍であり、1814年3月プロイセンにパリを陥落された際<フォート・ヴァンセンヌの防衛>としても名を残すことになるドーメニルの名を冠したものである。ヴァンセンヌ市役所前に銅像がある。        また、凱旋門にもその名が刻まれている。

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メトロ4号線、6号線と RER B 線のダンフェール・ロシュホー ( Denfert Rochereau ) はライオンだ。

真ん中の建物はRER B 線の駅舎で線路はその下にある。パリの国内線中心のオルリー空港へはRER B 線か駅前から出ているロワシーバスを利用するとよい。

右樹木奥にカタコンブの入り口がある。サルトル・ボーヴォワール・ボードレール・等の眠るモンパルナス墓地も至近だ。左の緑地、駅舎などを含むロータリー全体がダンフェール・ロシュホー広場になっていてスケールが大きい。

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長方形のロータリーである コンコルド広場のモニュメントは

<ルクソールのオベリスク>とも<クレオパトラの針>とも呼ばれるオベリスクだ。

写真上ギリシャ様式の国民議会下院のブルボン宮と

写真下同様式のマドレーヌ寺院とは セーヌ川を挟んで直線上にある。

写真下左はホテルクリヨン右は旧海軍省で、

パリの主軸であるリボリ通りはクリヨンで軸をずらせて シャンゼリゼ大通りへと向かう。

写真上でアンヴァリッド、モンパルナスタワーが見えるがエッフェル塔は視界に入らない。

写真上の左、下の右のチュイルリー公園から広場を見ると・・

中心軸から少し左にずらして撮影しているので、オベリスクの向こうに凱旋門を見ることができる。

その間がシャンゼリゼ大通りだ。金色のゲートの向こうがコンコルド広場、こちら側がチュイルリー公園。

曇天のようだが撮影ポイントはカンカン照り。

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長方形ロータリーのレピュブリック広場

タンプル通りが中央を横切っている双子ロータリーだ。

広場にはホームレスなどもいるので、この辺りではキョロキョロ・ウロウロしないのが賢明だ。

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バスティーユ広場のモニュメントは7月革命の記念柱 Colonne de Juillet だ。

1830年7月27~29日の市民革命により、1815年に王制復古したブルボン王朝を打倒し立憲君主制を発足させたいわゆる<7月革命>の記念柱だ。

左写真に<27 28 29 ・ Juillet 1830> の銘が、右写真の正面には<・・市民のために戦ったフランス市民の栄光のために>の記載がある。

1789年7月14日のフランス革命は当時この場所にあったバスティーユ(の監獄)の襲撃から始まった。      革命後取り壊されて広場になっていた。

写真には写っていないが広場に面するオペラバスティーユはバスティーユからヴァンセンヌに至る元ヴァンセンヌ鉄道の駅舎の跡地だ。高架の鉄路は長い緑道として残っているし、リヨン駅からサンテミリオンに至る高架下はお洒落なブティックなどになっていて若者の人気が高いそうだ。。

また、広場の下にはサンマルタン運河が南北に横切っていて、メトロ1号線のホームから運河を望める。      広場の北の運河上の緑道の一部はバスティーユの市場になっていて朝市で賑う。

Colonne de Juillet の先端には金色に輝く・・Le Génie de la Liberté(自由の守り神)が。。。      

メトロ Sully Morland  H.Galli  を出た所の H.Galli 公園にバスティーユ監獄の基礎の一部が移設保存されている(写真右)。

セーヌ川側からサンマルタン運河と<7月革命記念柱>を望む。記念柱と緑がバスティーユ広場でその下が運河上にあるメトロ1号線のバスティーユ駅。右端にオペラバスティーユも見える。ボート群は大方ボートピープルだ。

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ギメ美術館の面するイエナ広場 Iéna  のモニュメントはアメリカ合衆国の初代大統領ワシントンの騎馬像だ。

Iéna

Musée National des Arts Asiatiques-Guimet

車が停車しているのが Av. du Président Wilson で騎馬像方向にトロカデロ広場に至る。

アルマ・マルソーからイエナ間での道路側帯で開かれる<イエナ・プレジダン・ウィルソンの朝市>は鮮度の良さで知られる超高級朝市だ。        メトロ9号線 Iéna か Arma Marceau で下車。

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 ヴィクトワール広場はルイ14世の騎馬像だ。6本の道路が放射する円形ロータリー。

騎馬像は太陽王ルイ14世のせいだろう、フランス革命後に取り壊され王政復古後に再建されたとの記録がある。

手前にヴィクトール門があり、抜けると<京子食品>の面する Rue de Petit Champs  で、オペラ大通りに出るまでに<十字屋><安兵衛><来々軒>など日本料理店の多いサンタンヌ通り Rue Ste-Anne を横切る。

参照 : バスで行く区役所巡り 2区

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トロカデロと11月11日広場のモニュメントは FOCH の騎馬像だ。

   シャイヨー宮を通して真っすぐエッフェル塔を向いている。

FOCH は銘板から推測できるかも知れないが、第一次世界大戦時の西部戦線の仏英連合軍の総司令官であり、また1918年11月11日11時に交わされた休戦協定時のフランス元帥 Mareshal de France であった。

11月11日広場というのは第一次世界大戦の終戦記念広場の意だ。

隣接するパッシー墓地の壁面に <名も無き英雄たち> を称えるレリーフがある。

またフォッシュは銘板にあるようにイギリスとポーランドの元帥でもあったので、トラファルガー広場にも FOCH の騎馬像がある。8月9日から13日までロンドンに滞在することとしているので今度は写真を撮ってこよう。

凱旋門からの Av. Foch は超高級住宅地を貫く広々とした大通りで、スエズ運河を開削したレセップスの大邸宅がブーローニュの森に向かって右側にあったはずだが・・・

よく出張するのでオルセー美術館で見れるとは限らないのだが、<草上の朝食><オランビア>で有名な マネ Manet などが眠るパッシー墓地は広場に接している。市内観光に便利な パリ・ルージュ の発着地点でもある。

セーヌ川をイエナ橋で渡河してブランディ河岸 Quai Brandy から振り返って見たシャイヨー宮である。解像度が悪くて見難いものの中央に FOCH  の騎馬像が・・そこが6本の道路が集まるロータリーだ。

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レオン・ブリュム広場の中心のモニュメントは・・・

オスマンのパリ改造計画の基幹の一つであるレピュブリック広場とナション広場(いずれも既出)を繋ぐ直線のヴォルテール大通りが横切るほか7本の道路が放射する四角形のロータリーだ。正面建物に沿って右側にレピュブリック広場、左側にナション広場だ。ビルの間のラ・ロケット通りはバスチーユに向かう。              メトロ9号線の Voltaire が広場の地下にある。

現在のモニュメントは今風のオブジェになっているが、以前は広場の名になっている Léon Blum の彫像が置かれていた。       ( バスで行く区役所巡り その3 11区の写真 を参照されたい。 )

レオン・ブリュムはヨーロッパにファシズムの嵐が吹き荒れるなか1936年6月に発足した人民戦線内閣の首相であり、また第二次世界大戦後の臨時内閣の首相も務めた人物だ。

この地域から下院議員に初当選したことに因んで旧ヴォルテール広場を改称した。写ってはいないが右側にある区役所巡りで紹介済みの11区の区役所の前庭に彫像は移設されている。ユダヤ系フランス人だったこともあり1940年パリ陥落後逮捕されドイツの強制収容所に収容されるなど激動の人生だった。

モニュメントが夏には夾竹桃のヴェースに。右が区役所前に移設された<リオン ブリュム>像。

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ヴィクトルユゴー広場は噴水だ。

この広場は10本の道路が集まる円形ロータリーだ。

シャルルドゴール広場からブーローニュの森に至る Av.Victor Hugo 沿いは Av. Foch 沿いと並んで超高級住宅地だ。

在仏日本大使館勤務の後輩がこの辺りの家具、調度品付の邸宅に住んでいて食事に招待されたことを思い出す。

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クリシー広場は戦勝記念のモニュメントだ。

写真手前側が Bd. de Clichy クリシー大通りで、ムーランルージュのあるピガール広場に向かう。前方の緑はバティニョル大通りで、凱旋門に一直線だ。

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シャルルドゴールエトワールやナションと並んで大型で完全な円形ロータリーであるイタリア広場のモニュメントは噴水とアルフォンジュアンの功績碑だ。

ジュアン元帥は第2次世界大戦においてアルジェリアのチュニス戦線とイタリアの山岳戦で名を馳せた名将だ。

像の向いている方向はアルジェリアとイタリアの方向である。

噴水の向こうに見えているのがパンテオンで広場からゴブラン大通りが延びている。元帥の右に透けて見えるのは13区の区役所だ。

国立ゴブラン工場 Manufacture Nationale des Gobelin が通りの左側にある。

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Pl. du Mal Juin には特段のモニュメントはなく庭園となっていて Bd. Péreire の中央緑地帯であるプロムナードと一体になってマイヨー門広場及び隣接するブーローニュの森に連続している。

10本の道路が集まる大きな円形ロータリー。写真右奥はポルトドマイヨー広場でその左にはブーローニュの森が拡がっている。

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 サントギュスタン広場 Pl. St-Augustin  のモニュメントはジャンヌダルクの騎馬像だ。

このロータリは9本の道路が交差する変型交差点で非常に分かり辛く,またサンラザール駅に近接していることも手伝って交通渋滞が常態だ。

右は教会の前からでモニュメントは後ろ向き。

ジャンヌダルク像は St-Augstin 教会の,真前中央だ。

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ブルトゥイユ広場 Pl. de Breteuil のモニュメントは狂犬病の予防接種で知られるパスツールの坐像だ。

ウイルスがまだ知られていない時代にワクチンの予防接種に辿り着いた細菌学の元祖だ。

像もさることながら台座も素晴らしい。如何に人々や家畜に慕われていたかを想像できるではないか。

像の正面はアンヴァリッド、後ろはプロムナードを経てパスツール大通りへ。メトロ Pasteur 駅を右に折れると Hôpital Pasteur だ。

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シャトレ広場は豪華なスフィンクスの台座に金色で目立つ彫像を乗せた泉 fontaine だ。

写真左の建物はパリシャトレ劇場、泉を挟んで対面にパリ市立劇場がある。

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エドモンロスタン広場 Pl. Edmond Rostand のモニュメントは噴水だ。

写真手前はリュクサンブール公園、正面はパンテオン。この街燈と交通標識は邪魔だが、街燈そのものは素敵だ。

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Pl. de Fontenoy は Ecole Militaire 前の半円ロータリーでモニュメントは Monument de la Défense Nationare  だ。

モニュメントは写真下右の旧陸軍士官学校の正面を向いていてその向こうにエッフェル塔が位置する。

建物は右ウイングに陣取る世界遺産のユネスコ本部だ。下左は各国の世界遺産を例示した看板のうち日本の事例で宮島、中央はユネスコ本部入り口。

(未完)

そのほか56事例を別稿で紹介しています。

カテゴリー<広場とモニュメント>をクリックして御覧ください。

その続きは<ギャラリー・イグレックの日記帳-2>でご覧ください。

ランスと言えばジャンヌ・ダルク / Jeanne d’Arc

 depuis 2001

ランス Reims には数回寄ったことがありますが、
頭を過るのはいつも藤田嗣治とジャンヌ・ダルク (Jeanne d’Arc) です。

ジャンヌ・ダルク (1412-1431) に纏わる歴史の中でもオルレアンの解放とシャルル7世の戴冠式は重要です。イングランドとの百年戦争の最中、ランス大聖堂で戴冠式を行うことによりシャルル7世を正式のフランス王とし王の空白を解消したのです。

ジャンヌ・ダルクの騎馬像は金ぴかのせいだけではなく最も好きなモニュメントの一つです。ルーブル宮の西北端 ピラミッド広場 にあります。
エマニュエル・フレミエの作(1889)です。

ジャンヌ・ダルクは1429年9月8日にこの付近にあったサントノレ門で行われたイングランドとの戦いで負傷しました。

ルーブル宮には、装飾芸術協会傘下の 装飾芸術美術館・モードと織物美術館・広告博物館 の3館が入っていて、入場すればすべてを鑑賞することが可能です。興味のある人には必見だと思います。

ところで、イングリッド・バーグマンが ジャンヌ・ダルク を演じた映画 Joan of Arc を覚えている方はおられるでしょうか? マラケシュに行った折、カサブランカ→イングリッド・バーグマン→ジャンヌ・ダルク と頭を過りました。

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リヴォリ通りに接するピラミッド広場はジャンヌ・ダルク像を中心に左右対称になっていて(下の写真)、右側に ホテル レジーナ が入っています。古い造りと調度品、特にステンドグラスの素晴らしさには驚きました(宿泊当時)。また、市内観光や近郊観光のプログラムを多数用意している シティラマ は右正面に入っています。

21世紀の新年は家族で レジーナ に宿泊して、リヴォリ通りを歩いて直ぐのコンコルド広場で迎えました。大型の送風機で紙吹雪を広場中に撒き散らしていたこと、リヴォリ通りがホコテンになっていたこと、広場に入りきれないほどの大勢の人出で賑っていたこと、雪がちらつく霙模様の寒い新年であったことなどを思い出します。

Pl. des Pyramides

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Reims に残るジャンヌ・ダルクの足跡をいくつか…..

Jeanne d'ArcMusée Hotel le VergeurRue Jeanne d'arc

写真上段はランス大聖堂の前にあるジャンヌ・ダルクの騎馬像。大聖堂を見上げています。
ポール・デュボア Paul Dubois(1829-1905) の作品 (1889)。

中央は Musée Hôtel le Vergeur の壁面にある500周年記念の銘版。
17Juillet 1429   CharlesⅦ の文字が見える。
<フルー・ド・リス二つと剣と王冠のジャンヌ・ダルクの紋章>も見える。

下段はランスのジャンヌダルク通り。

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サン・ラザール駅の西側、サントギュスタン教会の前にも<ジャンヌ・ダルクの騎馬像>がある(ワシントンにもある)。ランス大聖堂前のオリジナル像のレプリカ。

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ジャンヌ・ダルク通り Rue. Jeanne d’Arc とマルセル大通り Bd. St-Marsel との交差点、小さなロータリーに<ジャンヌ・ダルクの立像(1891)>がある。
Émile-François Chatrousse (1829-96) の作品(1887)。
ジャンヌ・ダルク通りの起点でほぼ直線でジャンヌ・ダルク広場が終点。

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サクレ・クール聖堂正面入り口の上部に聖ルイ王(サン・ルイ) Saint Louis/ルイ9世 と対を成してジャンヌ・ダルクの騎馬像があるのをご存知だろうか?
下左の聖堂の写真をクリックして拡大してみてください。右の騎馬像がジャンヌ・ダルクです(右下の写真が見えます)。
イポリット・ルフェーブル Hippolyte Lefèbvre (1863-1935) の作品(1927)。

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ノートルダム寺院のジャンヌ・ダルク Sainte Jeanne d’Arc (1412-31)
ジャンヌダルクの再評価を決定したのはノートルダム寺院/パリであり、列福した (1909) のはノートルダム寺院だった。列聖はバチカンのサン・ピエトロ寺院 (1920) 。

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<ジャンヌ・ダルク>所縁のサン=デニス·デ·ラ·シャペル

ジャンヌ・ダルクがパリ進撃前夜(le 7 septembre 1429)を祈りで過ごしたサン=デニス·デ·ラ·シャペル Église Saint-Denys de la Chapelle です。
初期ゴシック建築 (1204) で、聖ジュヌヴィエーヴが古代ローマ遺跡の跡地に建設した礼拝堂(475) を再建したものです。礼拝堂には、サン=ドニ大聖堂に移される (636) までサン=ドニの遺物が収容されていました。
パリからサン=ドニ大聖堂に至るガレ・ローマン時代からの古い道 (サン=ドニ L’Estrée) 、シャペル通り Rue de la Chapelle に面しています。
この辺りはカルチェ・デ・ラ・シャペル Quartier de la Chapelle と呼ばれています。

左、ネオロマネスク様式の建物はジャンヌ・ダルク大聖堂 Basilique Ste Jeanne d’Arc(1964)で、前にジャンヌ・ダルクの像が置かれています。
第一次大戦における、第一次マルヌの戦い (1914) の勝利に感謝(ジャンヌ・ダルクに)して発意され、完成は勝利50周年にあたります。

Église Saint-Denys de la Chapelle / Basilique Ste Jeanne d'Arc / Rue de la Chapelle

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ジャンヌ・ダルク像 / ジャンヌ・ダルク大聖堂 前

Statue de Jeanne d'Arc / Basilique Ste Jeanne d'Arc / Rue de la Chapelle

ジャンヌ・ダルクがパリ進撃前夜(le 7 septembre 1429)を祈りで過ごしたサン=デニス·デ·ラ·シャペル Église Saint-Denys de la Chapelle 横の<ジャンヌ・ダルク大聖堂 Basilique Ste Jeanne d’Arc >前に置かれているジャンヌ・ダルク像です。
フェリックス·シャルパンティエ Félix Charpentier (1858-1924) の作品(1888)です。
本拠地だったボルドーにある、フランス革命時のジロンド党の大モニュメント Monument aux GirondinsBordeaux の一部を構成する噴水、コンコルドの勝利 Le triomphe de la Concorde (1900) の作者だ。

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火刑台上のジャンヌ・ダルク / サン=デニス·デ·ラ·シャペル

サン=デニス·デ·ラ·シャペルには、<火刑台上のジャンヌ・ダルク Jeanne au Bucher (1954)>と題された彫像が置かれている。
アルバート・パッシュ Albert Pasche (1873-1964) の作品です。

19歳のジャンヌ・ダルクがルーアンのヴィエ・マルシェ広場で処刑されるのは 30 Mai 1431 、17歳でこのシャペルに立ち寄った 7 septembre 1429 から1年8か月後のことだ。

Jeanne au Bucher / Église Saint-Denys de la Chapelle

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ジャンヌ・ダルクが負傷したサント・ノレ門

サン=デニス·デ·ラ·シャペル Église Saint-Denys de la Chapelle を出たジャンヌ・ダルクは古い道、サント・ノレ通りからパリ城内に入る<サント・ノレ門>に進撃した。
当時のサント・ノレ門 Porte Saint-Honoré はフィリップ・オウギュストの城壁を拡張したシャルル5世の城壁に在った (1636 撤去) 。現在のアンドレ・マルロー広場一帯である。
8 Septembre 1429、ここでのパリ包囲中に太腿に傷を負った記録がサント・ノレ通り161-3番地で見られる。
金色のジャンヌ・ダルク像がピラミッド広場に置かれているのもここから近いからだ。

Jeanne d'Arc / 8 Septembre 1429 / Porte Saint-Honoré

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ジャンヌ・ダルクとブロア城 / オルレアンの包囲

後に、オルレアンの乙女 Pucelle d’Orléans と愛称されることになる
ジャンヌ・ダルク Jeanne d’Arc (1412-31) はここブロア城からイングランド軍に包囲されていた<オルレアンの解放>に出立した(1429.04.29.オルレアンに到着、05.08.開放)。
ブロア城の礼拝堂において、ランスの大司教ルノー・シャルトル Renault de Chartres による祝福を受けた。約3か月後、ジャンヌ・ダルクの下、ランス大聖堂でシャルル7世の戴冠(1429.07.17.)をした人物である。

ブロアの古い要塞跡であるフォアの塔 Tour de Foix (ブロア城の南西端にある円筒状の塔)で解放表明をしたと伝えられている。
左のゴシックの尖塔はサン・ロメ修道院 Abbaye Saint-Laumer 。
手前はロワール川 La Loire 、コンクリートのパラペットで護られている。
河岸への日常進入口として途切れている部分には、洪水時にゲートを挿入する。
崖上の要塞ブロア城は写真右半分で、入口は奥。

Jeanne d'Arc / Château de Blois / Tour de Foix / Siège d'Orléans

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ジャンヌ・ダルクの騎馬像 / フレミエの立像

ピラミッド広場にある金色の<ジャンヌ・ダルクの騎馬像 (1889)>の彫刻家<エマニュエル・フレミエ Emmanuel Frémiet (1824-1910) の立像> がパリ植物園にある。
動物彫刻家とも言われるだけあって動物の骨学の研究者でもあった。
代表作の一つ <小熊狩り Dénicheur d’oursons (1885)>の縮小版を制作している様子。
台座に<ジャンヌ・ダルクの騎馬像の浅浮彫>が嵌め込まれている。
Henri Greber (1856-1941) の作品(1913)。
なお、現在の騎馬像は置き換えられた第二ヴァージョンで、最初のものは1874年に設置された。

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7本の道路が集まるロータリー ジャンヌ・ダルク広場 Place Jeanne d’Arc の真ん中に Notre Dame de la Gare がある。パリ市に編入される以前の地区の聖母教会だ。広場名は編入時から。

下の写真は教会前からジャンヌ・ダルク通り Rue Jeanne d’Arc を見たもの。ジャンヌ・ダルク通りはジャンヌ・ダルクの立像のあるサン・マルセル大通り Bd. St-Marcel まで一直線。
その先に、聖人ジャンヌ・ダルクの眠る<パンテオン>が見える。影は教会のもの。

右の写真は教会内にある彫像で十字剣を持つジャンヌダルクだと思われるが、何の記載も説明もない。