パリの街燈 réverbère 13  ルーブル宮

   depuis  2001

ルーブル宮 Palais du Louvre に面する街燈には頭部に十字が付いている。

Cour Napoléon。

背後はドノン翼。

パヴィリオン Mollien の外壁は科学をテーマにした彫刻で覆われているが、左に半分だけ見えているのは<歴史と真実 L’Histoire et la Vérité>という  Pierre Loison 1857 の作品。

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ロートレック/オルセー美術館

   depuis  2001

改装なったオルセー美術館にロートレックを見に行った。
写真撮影がフラッシュなしでも禁止となったようだ。が、携帯で撮っている人は少なくない。
美術館ビジネスは日本程ではないにせよ世界中に蔓延している。有名どころはどこも人であふれていて昔のようにゆっくり見とれているというわけにはいかない。
学生や絵心のある人が模写している風景もあまり見かけなくなった。

メインの大作を二枚。これらは、                     2012.08.05.
踊っている ラ・グリュ La Goulue の家の装飾のために描いたパネル(1895)。
分割された(1926)パネルの復元(1930)跡が痛々しい。
上のパネルは、「ムーランルージュでのダンス La danse au Moulin Rouge」、「La Goulue et Valentin de désossé(ダンサー)」、下のパネルは「ムーア人の踊り La danse mauresque」等と個別に呼ばれる。踊り手は何れもラ・グリュだ。

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17時18分 新宿で震度3を観測。震源地は三陸沖で、最大震度5弱、マグニチュード7.3と発表。

気味悪い揺れで、震度3強という感じだった。

ロータリーとモニュメント 70 テオドール・ヘルツル広場

   depuis  2001

テオドール・ヘルツル広場 Pl. Theodor Herzl のモニュメント。複雑なロータリー。

<ハーモニー Harmonie > Antoniucci Volti (1915-89)の作品。

Hungary Flag   Theodor Herzl(1860-1904)はハンガリーの(ブタ)ペスト生まれのユダヤ人ジャーナリストで、パリ特派員として係ったドレフュス事件(ユダヤ人のフランス陸軍大尉ドレフュスのドイツスパイ冤罪事件)1894-1906を通じてユダヤ国家の建設を主張するに至った。

案内板には「ジャーナリストで作家 ユダヤ人国家の主唱者」とある。

Pl. Theodor Herzl

広場の中にある メトロ  - PDF - 新規ウィンドウ地図地下鉄ライン3をダウンロード  - PDF - 新規ウィンドウ地図地下鉄ライン11をダウンロード アールゼ・メティエ Arts et Métiers 下車。

自由の女神像の原像が保管されている<国立技術博物館>は目の前。

ロータリーとモニュメント 69  コスタ・リカ広場

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コスタリカ広場 Pl. de Costa-Rica のモニュメントは円形の花壇と時計付きの街燈だ。

正面真っ直ぐがパッシー通り Rue de Passy でオスマンによる三角形公園であるラヌナグ公園を経てブーローニュの森に至る。周辺は日本の駐在が多く住む高級住宅地だ。

左の Rue Raynouard  を暫く行くと<バルザックの家>が、反対に真っ直ぐロータリーを越えて Rue Bennjamin Franklin を行くと直ぐ<クレマンソー記念館>がある。

7本の道路が集まっているので通りの名前を確認するのが賢明だ。

バルザックの家がわざわざ急な崖地にあるのは債権者からの逃げ易さを重視したためだったといわれている。

Pl. de Costa-Rica

メトロ   - PDF - 新規ウィンドウ地図地下鉄ライン6をダウンロード Passy 駅下車。

メトロはセーヌ川を高架で渡ってパッシー駅から直ぐトンネルに入り広場のはるか下を通っている。つまりここは相当な高台なのだ。

ハイジュエリーという名の芸術展

   depuis  2001

今日は<パリ装飾芸術美術館>で行われている、
ヴァン クリーフ&アーペルの展覧会にいってきました。

まばゆい宝石が400点以上も集められ、でるのはため息ばかり・・

個人的には30-40年代の作品が一番印象にのこりました。

会期は2/10日までなので、パリにお立ち寄りの際はぜひ。

日本語版サイトもあります。↓

http://www.artdelahautejoaillerie-vancleefarpels.com/#

手紙と筆記の美術館へ

   depuis  2001

秋晴れのパリの午後、Musée des lettres et manuscrits へいってきました。

サンジェルマン大通りにひっそりとたたずむこの美術館は、私立美術館です。

王政時代の王様の手紙から、フランスを代表する文豪、画家、科学者、音楽家の手紙がたくさん展示されていました。

トゥールーズ・ロートレックの手紙もありましたが、写真を撮り損ねてしまいました・・が、こちらでその一部をみることができます。

http://www.museedeslettres.fr/public/sous-thematique/les-post-impressionnistes/91

小さな美術館ですが、みごたえはたっぷりありました。

エッフェル塔百態 74  カルーゼル公園

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カルーゼル公園 Jardin du Carrousel からのエッフェル塔。

前の人の流れは左手のカルーゼルの凱旋門から右手のチュイルリー公園へ、
あるいはその逆の動き。

手前の植え込みは迷路のようになっている。

公園内では複数の<マイヨール Aristide Maillol の彫像>を見れる。

写真では左手に Aristide Maillol 、右手に Le vase Médicis 。

Tour Eiffel / Jardin du Carrousel

少し右方向に移動して振り返ると。。。

中央にマイヨールの Air と題する作品、背景はルーブル美術館で左がリシュリュー翼、右がドノン翼、奥がシュリ―翼、彫像の右にカルーゼルの凱旋門。灌木の植え込みが迷路。

Jardin du Carrousel / Aristide Maillol

セーヌ川の女神(寓意)/Louis Petitot

   depuis  2001

セーヌ川 La Seine の恵みを寓意する女神像だ。

ヴェルサイユ宮殿のルイ十四世の騎馬像の作者
Louis Petitot (1794-1862) による1846年の作品(石造)。

セーヌ川左岸とルーブル美術館を結ぶポン·デュ·カルーゼル Pont du Carrousel の左岸下流側の橋柱にあり、顔はやや左岸上流を向いている。
左脇に置かれた水瓶から溢れる水がセーヌの恵みを表す。

左右岸の上下流に置かれたそのほかの3体、産業 L’Industrie 、豊饒 L’Abondance 、パリの街 La Ville de Paris の寓意像とセットになってパリを誇る。
後ろはルーブル美術館ドノン翼、下流の橋はロワイヤル橋。

La Seine

 

 

揺蕩えども沈まず/追補・再掲

   depuis  2001

 サン・ドニ門からサン・ドニ通りをパリの中心部に向かって歩いて右側にパッサージュ Passage du Grand Cerf を通り抜けたところでパリ市の市章を見つけた。

市立の保育園/幼稚園 e’cole maternelle の建物だ。

市章の上には国旗が、その上には自由・平等・友愛の文字が埋め込まれている。

<たゆとうとも沈まず> 帆船が市章になっているのは船頭の組合長が代々シテ島を支配してきたことに由来するといわれる。

もともと、パリの守護聖人 聖ジュヌヴィエーヴがフン族の侵略からパリを守った故事(464年)に起源するともいわれる。

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メトロTélécharger le plan Métro Ligne 1 - PDF - Nouvelle fenêtre の Hôtel de Ville  のタイル張り壁面にある市章は色つきでわかりやすい。

パリの市庁舎 Hôtel de Ville の2枚の飾り窓にある市章は。。。

オルセー美術館 Musée d’Orsay にある市章は。。。

15区区役所の市章
 まだまだあります。

エッフェル塔百態 72                         ロータリーとモニュメント 62  レジスタンス広場

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アルマ橋の左岸詰の レジスタンス広場 Place de la Résistance には5本のアヴェニューと1本のルーが集まる。RER の Pont de l’Alma の駅もある。

右側にセーヌ川が流れていて、アルマ橋を渡れば自由の炎のモニュメントのあるアルマ広場だ。

広場から緑の間を少し下流へケ・ブランリィ Quai Branly を行けばシラクの<ケ・ブランリィ美術館>だ。

コートールド と オルセー/セザンヌ と マネ

   depuis  2001

United Kingdom Flag  昨年 ロンドンのコートールド・ギャラリーに行った折に出会った                                                                                <セザンヌのカード遊びをする人々> と <マネの草上の昼食> ( いずれも写真の上 ) と

France Flag  オルセー美術館のそれら ( 写真の下 ) との対比。

セザンヌ

セザンヌ2

マネマネ2

オルセー美術館は改装が終わって、作品群が本来の位置に戻ってきたように思われた。

ピカルディー美術館/アミアン

   depuis  2001

アミアン Amiens はパリの北方ピカルディー地方の首府だ。ソンム川 Somme 氾濫原の湿地帯を活用した野菜の栽培地、水上庭園やアミアン大聖堂で名高い。

<ピカルディー美術館 Musée de Picardie> はあいにく模様替え中で全館を見ることはできなかった。

リモージュ焼 La porcelaine de Limoges

   depuis  2001

リモージュ Limoges はリモージュ焼で知られるフランス中部の都市で、

画家のルノワールや我が Rose の出身地だ。

Musée national Adrien Dubouché  に入れば、リモージュ焼の歴史や絵付けを見ることができる。

磁器 porcelaine の原材料であるカオリンの鉱床をリモージュの近郊で1768年に発見。1771年にアルトワ伯が工場を稼働させて磁器の生産が始まった。

1784年にセーブル王室工場(セーブル焼)に買いとられて以降デザイン等の洗練が進むことになる。

Musée national Adrien Dubouché

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    Spain Flag

スペインの<サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の道>の一つが通っているので、その道筋を示すサンジャックの埋め込みを町のそこかしこで見ることができる(写真下)。

photographie d'une coquille Saint-Jacques en cuivre insérée dans les pavés d'une rue de Limoges et marquant le passage de la Via Lemovicensis menant à Saint-Jacques de Compostelle

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古い町並みの残る Cour du Temple(写真左) 、聖シュテファン/サン=テティエンヌ大聖堂 St-Etienne cathedral (写真下)等が見どころ。

1737年設立で今はベルナルド Bernardaud の傘下にあるロワイヤル・リモージュ ancienne manufacture ROYALE de Limoges のポットを購入した(写真下)。

金色の擬宝珠と足、伝統文様がお気に入りの磁器(クラシック)だ。

ヤグルマギクと真珠でデザインした<マリー・アントワネット>シリーズの一つ。

Denmark Flag
中に入っているのはロイヤル・コペンハーゲンの<フィギュリン>で、コペンハーゲンに小旅行した時に古物商の店で買ったものの一つ。
デンマークではリモージュに遅れること2年、1773年から磁器の生産が始まった。

ブルトン美術館/ Musée Departemental Breton /keltia

        depuis  2001

 ケルト文化が色濃く残るブッターニュの(カンペール焼で名の通る)カンペール Quimper に
ブルトン美術館 Musée Departemental Breton がある。

ケルト文化の出土品やケルト(ブルトン)の民族衣装等が展示されている。

カンペールへは、パリ・モンパルナス駅から TGV で直行できる。

Musée Departemental Breton

中庭に何気にある彫像はケルトのデザインだ。

美術館内に過去の企画展のポスターがあったので紹介する。

ケルト celt の民族衣装がきれい。

コーンウォール cornouaille の職人達  をテーマにしたもの(1997-98)もある(2段目の右から2枚目)。

Musée Departemental Breton

右の写真はお土産で買ったブッターニュならではのウイスキー・フラスコ
keltia (ブルトン語:ケルト)とあって、その下に6本の国旗とケルトの文様が配されている。

上段左から右へ、スコットランド、アイルランド、ブッターニュ、下段同、ウェールズ、マン、コーンウォールのケルト6国だ。

ブッターニュの旗は現在、地域圏 Région Bretagne の旗として使われている。

その下はケルトの代表的な伝統文様の一つ。

ブッターニュは長らくイギリスの影響下にあり、はっきりフランス領となったのはフランス革命後のことだ。

セビリアの理髪師 Il Barbiere di Siviglia

   depuis  2001

5月はバレエに、オペラに楽しい演目がたくさんありました。

27日にオペラ・バスティーユで観劇したのはロッシーニの「セビリアの理髪師」

現代風にアレンジされた衣装であらわれるフィガロ、すべての登場人物がコミカルな動きをしながら、

歌でしっかりときかせる。お客さんも大喜びで大拍手のフィナーレでした。

ロッシーニ (1792-1868) はイタリア生まれだが、パリのイタリア座で活躍したオペラ作曲家。

他に<ウイリアム・テル>が有名。墓はペール・ラシェーズ墓地にある。

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  Spain Flag

<セビリア>を訪れた当時を思い出してしまいました。 未だデジカメのない時代でした。 リスボンで新年を迎えました。 晦日から新年にかけて街中大騒ぎでした。

la vert galant / アンリ4世

   depuis  2001

サン=ジェルマン=アン=レー城 Château de Saint-Germain-en-Laye で撮った写真。

HENRI IV /  LA VERT GALANT  とあってアンリ4世のエピソードが綴られているのだが、写真としてルーブル美術館の中でも注目・必見絵画の一枚 < ガブリエル・デストレとその妹 Gabrielle d’Estrées et une de ses sœurs >(1594年作品で作者は不明)が使われている。それもそのはず・・・

la vert galant とは<伊達男>の意で、アンリ4世の愛称。絵のガブリエル・デストレはアンリ4世の愛妾。

フランスルネッサンスはフォンテーヌブローで花開き、École de Fontainebleau フォンテーヌブロー派と呼ばれる。前期はルネッサンス王と呼ばれるフランソワ1世が、後期はアンリ4世が力を注ぎフランス絵画のその後の隆盛の礎を築いた。

ガブリエル・デストレはアンリ4世の愛妾だが事実上の寵妃。

彼女がつまんでいる指輪は結婚を、妹が彼女の乳首をつまんでいるのはは妊娠(多産)を暗喩しているという。

<ナント勅令>の宗教戦争のさなか、28歳で3人の子供を残し死産で亡くなるまでの7年間の内助の功績は大きいといわれている。異例の国葬で葬儀が行われたことがその事実を示す。。

この絵は王が彼女の死後に描かせ風呂場のひとつに掲げていたものという。

下の写真はルーブル美術館 Musée du Louvre で撮影したもの。

Portrait présumé de Gabrielle d'Estrées et de sa soeur la duchesse de Villars / Musée du Louvre

Portrait présumé de Gabrielle d’Estrées et de sa soeur la duchesse de Villars / Musée du Louvre

<参考>アンリ2世の寵妃ディアーヌ・ド・ポワチエを描いた「Diane de Poitiers au bain」、François Clouet の作品。

ルイ13世騎馬像 / ヴォージュ広場

   depuis  2001

パリで最も古い橋は皮肉にも新しい橋ポン・ヌフであることはすでに紹介したが、パリで最も古い広場が ヴォ―ジュ広場 (1605-1612) だ。

いずれもフランソワ1世と並んで最も人気の高いフランス王アンリ4世の治世(1589-1610)の建造物だ。

この広場にアンリ4世の後のルイ13世の像が建てられたのが1639年で当初はCharles Dupaty (1771-1825) 作のブロンズ像だった。

ヴィクトワール広場 のルイ14世の騎馬像ともどもフランス革命後に取り壊されたが、1829年11月4日に現在の像に建て替えられた。Dupaty と Cortot によるマーブルの作品。

ヴォ―ジュ広場 Pl. des Vosges の周りは王の館(下写真上)、王妃の館(下写真下)を含め四角にコリドール付きレンガ造りの36の館が取り囲んでいる。

写真の樹木はマロニエだが、枯葉が舞う9月も風情がある。
広場に面する回廊も随分綺麗になってきた。

ヴィクトル・ユゴーが住んでいたところが
<ヴィクトル・ユゴー美術館> になっている(下写真上左奥)。

王の館

王妃の館

ロータリーとモニュメント 55  ロシャンボー広場

   depuis  2001

ロシャンボー広場 Place Rochambeau  のモニュメントは

アメリカ独立戦争の終盤の1780年7月にフランス遠征軍の最高司令官(当時中将)として参戦した

ロシャンボー元帥 Maréchal Comte de Rochambeau の立像、Fernand Hamar (1869–1943)の作(1933))だ。

翌1781年10月、大陸軍のワシントンとともに天下分け目のヨークタウンの戦いでコーンウォリス侯爵率いるイギリス軍を破った。

この戦いでは海上封鎖したグラース提督、ラファイエットの陸軍部隊も勝利に貢献した。

ロシャンボー伯爵はこの功績でアメリカ建国の父の一人に数えられている。

台座右横には<フランス軍最高司令官/1781年10月19日ヨークタウンの奪取を記念して/アメリカ独立戦争/1775-1782>とある。

<ガリエラ美術館>はこのロータリーに面してある。

エッフェル塔百態 62  ガリエラ美術館

   depuis  2001

<ガリエラ美術館 Musée Galliera (モード・衣装美術館 Musée de la Mode et du Costume )> 前からのエッフェル塔。中に入れば全景を撮れるのだが閉館中だった。またの機会にしよう。

Tour Eiffel / Musée Galliera

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.ガリエラ公爵夫人はジェノバの貴族出身で、同じく貴族出の夫がオルレアン鉄道(パリ駅が現オルセー美術館)社長など鉄道事業や金融業で成功、巨万の富を得た。

7月革命(1830)直後の夫の死にともなう相続財産の保全に追われることになった。

ガリエラ美術館もその一つでモードの変遷・歴史に興味ある方には見ごたえがあるでしょう。

ガリエラ宮殿 Palais Galliera がルネッサンス様式で建てられているのはジェノバ出身の証し。

朝市のプレジダン・ウィルソン大通りで<市立近代美術館  Musée d’Art Moderne de la Ville de Paris >の入っているパレ・ド・トキョー Palais de Tokyo と向き合っている宮殿裏の庭側(一部は公園として開放されている。)から見ると・・・

Palais Galliera

 Palais de Tokyo の名は宮殿の面するセーヌ川沿いの河岸道路(第二次大戦後ニュー・ヨーク大通りと呼ばれている。)を第一次大戦大戦勃発以降同盟国の日本をさしてトキョー大通りと呼んでいたことによる。

サン・ジェルマン・アン・レー / ドビュッシー博物館

   depuis  2001

ラヴェルとともに印象主義音楽家とされる<ドビュッシー Claude Debussy >は サン・ジェルマン・アン・レーの生まれで、その生家が<ドビュッシー博物館>になっている。ほんの数ヶ月で転居したようだが、当時の釣瓶井戸も残っている。

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< サン・ジェルマン・アン・レー/国立考古学博物館>に追補した部分を取り出した。

ロータリーとモニュメント 54 アメリカ合衆国広場 / La Fayette

   depuis  2001

イエナ広場からイエナ大通りを通って凱旋門に行く途中にロータリー/グラース提督広場 Place Amiral de Grasse と接してアメリカ合衆国広場 Place des États Unisがある。

グラース提督 (1722-88) はアメリカ独立戦争でヨークタウン攻略のためのチェサピーク湾の海上封鎖で勝利に決定的な貢献をしたフランスの海軍中将。

広場の一番奥(西側)にはラファイエット La Fayette と ワシントン (1732-99) の像 Monument à Washington et La Fayette があり、また、中ほどにジェファーソン公園もあり、全体が大きなロータリーになっている。

自由の女神像の作者として知らない人のいないアルザス/コルマール生まれのオーギュスト・バルトルディ Auguste Bartholdi (1834-1904)の作品(1895)。

<ギャラリー・ラファイエット>の名に使われている ラファイエット (1757-1834) はグラース同様侯爵で、駐フランス公使だったベンジャミン・フランクリンの支援要請に感銘し義勇兵として独立戦争に参加、ワシントン指揮下で少将として活躍した。後のフランス革命のフランス人権宣言の起草者として世界に知られている。

ギャラリー・ラファイエットの名は、オスマン大通りから始まるラファイエット通りとの角地に立地したことで商標登録したものらしいが、ラファイエット通り Rue La Fayette の名は1830年の7月革命時に国民軍司令官だったラファイエットを顕彰したものだ。

アメリカの学生たちが政治家・軍人・愛国者としてラファイエットに感謝をこめて建立した騎馬像がセーヌ右岸の Cours la Reine にある。

アメリカ合衆国の独立宣言を起草し、3代目の大統領となるトーマス・ジェファーソンはフランス革命勃発時のアメリカ合衆国駐フランス公使で、ジェファーソン公園にその記載がある。

<バカラ美術館>は広場の南側に面してある。10区にあったころ足繁く訪れたのが懐かしいが、ここに移ってからは一度きりだ。

 サラ・ベルナールとミュシャ Sarah Bernhardt / Alfons Maria Mucha

   depuis  2001

マキシム・アール・ヌーボー美術館でサラ・ベルナールの企画展が開かれていた。時間がなくて観ることはできなかったが、写真左はそのポスターだ。   ドアノブにも注目。

 ベルナール ルネサンス劇場 での彼女の芝居 <ジスモンダ GISMONDA> のポスター(写真右:転載)を描いた ミュシャ を一躍人気画家に変身させることになった当代一の舞台女優だった。1895年のことである。

ミュシャはアール・ヌーボーの G.D.として根強い人気があり、これまでにギャラリー・イグレックでも多数取り扱ってきた。

ウインドウショッピング 4  MAXIM’S

   depuis  2001

MAXIM'S

マキシムはその昔、パリの社交界での待ち合わせの場所。

あれは最近読んだ本の中で、題名は忘れたがマキシムを訪れたチャップリンがマキシムへいって、
とても可愛い人がいたので、「誘いたいんだけど」とお友達に相談をしたら、
「彼女に声をかけたら高くつくぞ」っと忠告されたとかいうエピソードがのっていた。
(声をかけたのは高級娼婦だったのだ)
あれは何の本だったか・・

今はピエール・カルダンの所有になっている。

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建物の中には、アールヌーボーの美術館もある(未訪問)。

今<ミュシャ>のポスターでも有名なフランスの女優サラ・ベルナールの展覧会をやっている(3/15日まで)
詳しくはこちらから。

パッサージュ Passage のクリスマス Noël

   depuis  2001

   クリスマスが近づき今年も残り少なくなりました。

北の方から連続する3つのパッサージュ

<パッサージュ・ヴェルドー Passage Verdeau >

<パッサージュ・ジュフロワ  Passage Jouffroy>

<パッサージュ・デ・パノラマ Passage Panoramas>

のクリスマス風景を紹介します。いずれも2010年のものですが…

パッサージュ・ジュフロワの中央突き当りは

<Hotel Chopin>、

写っていないが突き当りの右に

<Musée Grévin>蝋人形館がある。

パッサージュもそれぞれ個性的で、天蓋やランプや店の看板・舗装なども各様だ。クリスマスの飾りつけも当然異なる。

メトロTélécharger le plan Métro ligne 8 - PDF - Nouvelle fenêtreTélécharger le plan Métro ligne 9 - PDF - Nouvelle fenêtreリシュリュー・ドルゥオーかグラン・ブルヴァールが最寄ですが、オペラから緊張感を維持しつつぶらぶら徒歩が良いかも。

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(注) <IE> では画面が乱れるかもしれません。<Google Chrome> か <Mozilla Firefox>を使用して開いてみてください。

ナンシー派美術館 / 世界遺産・スタニスラス広場

   depuis  2001
  アール・ヌーボーでもナンシー派と呼ばれる
その総師<エミール・ガレ Charles Martin Émile Gallé >作のランプやベッド等を展示しているナンシー派美術館 Musée de l’École de Nancy を訪れたのは2005年8月のことだ。
美術館はパトロンの邸宅をそのまま利用しているので大きな家具を展示するには少々狭苦しい印象だった。
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鉄鉱石と石炭を巡って第一次・第二次大戦における仏・独の領土争いの地として世界史に登場するアルザス・ロレーヌ地方のロレーヌは843年以来の歴史を持つロレーヌ公の領地でその首都はナンシーだった。
ナンシーの中心であるスタニスラス広場 Pl. Stanislas はロココ Rococo 様式の建物・凱旋門・ゲートが並ぶ壮麗な大広場で中央にスタニスラスの立像がある。
1737年から1766年の間、ロレーヌ公であったスタニスラス Stanislas (娘はルイ15世の王妃)が国王ルイ15世を称えて国王広場 Pl. Royal として建造させたもの(1755年完成)で世界遺産に登録されている。
訪れた2005年は丁度広場建造250周年にあたっていたので建築物を含め広場全体の化粧直しがされていて素晴らしい状態だった。
アール・ヌーボーやロココ様式の建物が市内各所に観られるしまた訪ねてみたい街だ。
パリ東駅から Nancy Ville までTGV直行列車で1時間半強。

Maison de Victor Horta / オルタ美術館

            depuis  2001   Belgium Flag

アール  アール・ヌーボー Art Nouveau の本場といえばフランスではナンシー、ベルギーではブリュッセルだ。

ヴィクトール・オルタが私邸として建築した邸宅 Maison de Victor Horta がオルタ美術館 Musée Horta として公開されている。2000年に世界遺産に登録された。

旧市街からトラムに乗って最寄まで行けるのだが早めに下りてしまい随分と迷った末にたどり着いた苦い経験がある。分かり難いといえばその通りなので確かな地図でしっかり調べてから行かれることをお勧めする。

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ボジョレ・ヌーボー Beaujolais Nouveau は
11月17日に解禁だ。

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France Flag

改装なったオルセー美術館 Musée d’Orsay のアール・ヌーボー部門にオルタ Victor Horta のコーナーができたので紹介しておく。

Victor Horta / Musée d'Orsay

2012.08.05.

Le Corbeau et Le Renard / カラスとキツネ

   depuis  2001

マルモッタン・モネ美術館の先のラヌラグ公園 Jardin du Ranelagh に
<カラスとキツネ>のブロンズ像がある。

17世紀のフランスの詩人・寓話作家であり劇作家でもあったジャン・ド・ラ・フォンテーヌ Jean de La Fontaine (1621-95)がイソップの寓話を書き換えたものの一つだ。

イソップではカラスがくわえているのは肉片だが、ジャン・ド・ラ・フォンテーヌではチーズだ。それを見守るマントを羽織った人物は勿論作者本人だ(マントは今年流行のファッションらしい)。

ブロンズ像はポルトガル生まれの彫刻家 シャルル・コレイア Charles Correia (1930-88)の作品<ジャン・ド・ラ・フォンテーヌに捧ぐ Hommage à Jean de La Fontaine >で、1983年に設置された。

ラヌラグ公園は1860年にオスマン男爵によって造成された。

メトロ最寄駅は9号線Télécharger le plan Métro ligne 9 - PDF - Nouvelle fenêtreラ・ミュエット La Muette 。
バスなら63番Ligne 63のバス停が美術館前にある。

マルモッタン・モネ美術館 Musée Marmottan Monet はモネのジベルニーのアトリエの<睡蓮>の大型習作を主に収蔵している。

邸宅そのものにも見ごたえがある。

美術館の外観は写真の通りで、右に歩けばラヌラグ公園はすぐそこだ。

美術館に行ったら是非寄ってみよう。

ロータリーとモニュメント 45  1940年6月18日広場

    depuis  2001

     1940年6月18日広場 Place du 18 Juin 1940 には特段のモニュメントは無いが、あえて言えば広場の名称そのものがモニュメントだ。

ドイツ軍の侵攻により1940年6月15日パリ陥落、ド・ゴール将軍は直ちにロンドンに亡命して、亡命政府自由フランスを結成し、対独抗戦とヴィーシー政府への抵抗をを呼びかける歴史的演説をした日である6月18日を記念したものだ。

左に見える超高層ビルがモンパルナスタワーだ。

広場正面は工事中の写真で分かりづらいが、モンパルナス大通り Bd. Montparnasse が広場を横切り、真ん前の通りがレンヌ通り Rue de Rennes でサン・ジェルマン大通り Bd. Saint Germain まで一直線の緩い下り坂だ(オスマン計画)。

尖がり帽子がゴシック様式のサン・ジェルマン・デ・プレ教会だ。

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それから4年後・・

ルクレール将軍が1944年8月25日にドイツのパリ防衛軍の降伏文書に署名したのもここモンパルナス駅でだ。

ルクレール元帥記念博物館がモンパルナスタワーの向こうまで後退したモンパルナス駅にある。

25年前出張でリヨンでジュネーヴに駐在していた案内の同僚と落ち合う途中、ポルト・マイヨーから地下鉄を乗り継いでメトロのモンパルナスからSNCFのモンパルナス駅までの長い長い歩く歩道に戸惑ったことがある。日本では1970年の大阪万博で梅田に登場したのが最初だ。

ロータリーとモニュメント 41  ドミニカ共和国広場

     depuis  2001

   クールセル大通りを合わせ7本の道路が集まる ドミニカ共和国広場 Place de la République Dominicaine のモニュメント。現在はモンソー公園 Parc Monceau が完全に交通遮断されていて写真のようにモニュメント/ロタンダ(円形の建物)La rotonde の真ん中に囲障柵がある。

新古典主義の建築家クロード・ニコラ・ルドゥー Claude-Nicolas Ledoux (1736-1806) による建築。パリに入る農産物への通行税徴税のために<シャルトルの関門 Barrière de Chartres >として建設された(1785-88)。

Pl. de la République Dominicaine

モンソー公園内からの写真でゲートの前が広場。モニュメントは無料トイレとして使用されている。

モンソー公園は土地の一部を資産家に売却することによって公園整備と合わせて周辺の超高級住宅地を実現したことで有名。代表例が Nissim de Camondo で、銀行家としてフランスに貢献しながら助けることができず家族をアウシュビッツで失うこととなったユダヤ人迫害の悲劇を邸宅 (ニシム・ド・カモンド美術館  Musée Nissim de Camondo) で偲ぶことができる 。

邸宅はアール・デコ、ニシムは第一次大戦で戦死した息子の名。恨みつらみを越えてフランスに寄贈しているのだから素晴らしい。

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モンソー公園の出入り口の鉄柵はサンミッシェルやフランソワ1世広場の噴水等を手掛けた折衷主義の建築家、ガブリエル・ダヴィウ Gabriel Davioud (1823-81)の作品。

Parc Monceau-1

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ロータリーとモニュメント 39  ユーロップ広場

       depuis  2001

 クロード・モネの<サン・ラザール駅>で有名な
サン・ラザール駅構内の橋上ロータリーである

 ユーロップ広場 Pl. de l’Europe のモニュメントは小さなビオトープだ。

広場の下はサン・ラザール駅構内の線路で手前が駅舎で前方はノルマンジー。

1837年に開業した最も古い鉄道で、ピサロのポントワーズ、シスレーのルーヴシエンヌ、モネのジヴェルニー・アルジャントゥイユ、ゴッホのオーヴェル・シュル・オワーズなど印象派の巨匠たちが制作の拠点としたのはいずれもこの沿線だ。

ロータリー(ヨーロッパ広場)には6本の道路が入っていていずれもヨーロッパ各地の都市名を冠している。右の建物沿い右にサン・ペテルスブール通り、時計回りにリエージュ通り、ロンドレ通り、ヴィエンヌ通り、マドリッド通り、コンスタンチノープル通りだ。

周辺にもローム通り、ダムステルダム通り、モスコウ通り、リスボン通り、、ブダペスト通り等多数ある。

モネの<サン・ラザール駅>はオルセー美術館にあるが、今夏のロンドン・ナショナルギャラリーで別作を鑑賞した。

エッフェル塔百態 52  ケ・ブランリィ美術館

   depuis  2001

    アフリカ・アジア・オセアニアなどの原始美術を展示する
ケ・ブランリィ美術館 Musée  du quai Branly からのエッフェル塔。

ブランリィ河岸はアルマ橋からエッフェル塔の前を通り過ぎてビル・アケム橋までの左岸道路で、パリ市長、フランス大統領を務めたシラク肝いりの美術館はアルマ橋からすぐのところだ。

これらの写真は2006年8月のもので、オープン後2か月の頃だ。造園家の Patrick Blanc による建物外壁の緑<生きた壁>は当時まだ珍しかった(写真:下左)。

河岸名になっている Branly は1890年に後にコンダクターと呼ばれるようになるコヒーラーという一種の検波器を開発した発明家・物理学者であり、ラジオ開発の初期を飾る人物の一人だ。

下写真の右上はエッフェル塔側から見た美術館入り口で前の道路が Quai Branly で
並木の左がセーヌ川、右下はリュクサンブール公園にある彼の彫像。

ロータリーとモニュメント 38  フランソワ1世広場

   depuis  2001

  フランソワ1世通りをはじめ広場を突き抜ける3本の道路、
合計6道路が集まるロータリーである

フランソワ1世広場 Pl.François 1er のモニュメントは噴水(マドレーヌ広場の泉)だ。

シャトレ座の建築家 ガブリエル・ダビウ(1823-81)の作品(1864)。

大理石で彫刻は Théophile Murguet による。

Pl.François 1er

フランソワ1世アンヴァリッド橋の右岸詰を直進せずに斜め左のフランソワ1世通り Av.François 1er (モンテーニュ大通りを横切りジョルジュ・サンク大通りに至る)を少し行ったところだ。

フランソワ1世(写真左)は晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチをアンボアーズ城に庇護したことで知られている16世紀前半のフランス王で、ルネッサンス王 Prince de la Renaissance と別称される。

<モナ・リザ>がルーブル美術館にあるのは彼のお蔭だ。

ゴーギャンを訪ねる・・・Pont-Aven

今となっては3年前のことになるが、ゴーギャン Paul Gauguin の足跡を求めてポン・タヴァン  Pont-Aven を訪ねた。ポン・タヴァンはブルターニュ地方Burtagne の小都市であるが彼が画家として制作の拠点としたところだ。フランスの西北端の大西洋に近いカンペール Quimper からバスで1時間余りを要した。カンペールは<カンペール焼>の本場として知られている町だ。地図で位置関係を案内板で彼の

画歴を見てみると・・・

1886年に本格的に画家としてPont-Aven で偉大な一歩を踏み出して1903年に亡くなるまでの経過が記されている。

ここに拠点を置いていたのは1894年までであったこと、1888年のゴッホとの共同生活と耳切り事件、1891年のタヒチ Tahiti への渡航、1901年の再渡航などが読み取れよう。

上の写真は村の中心地でポール・ゴーギャン広場 Pl.P.Gauguin 手前がラヴァン川 L’Aven 。突き当りを右に入ったところが村役場と美術館。

下写真に見る L’Aven 川の右側に街道が走っている。下方向が下流で南下して大西洋に注ぐ美しい小河川だ。

   depuis  2001

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  Netherlands Flag

2か月で破綻したアルルArles でのフィンセント・ファン・ゴッホとの共同生活の間にゴーギャンが描いた有名な<ひまわりを描くフィンセント・ファン・ゴッホ>はアムステルダムのゴッホ美術館にある。他の絵画作品と違ってこの絵はガラスケースの中に立てかけた状態で展示されている。

2012.08.10.

サン・ジェルマン・アン・レー / 国立考古学博物館 / ドビュッシー博物館

     <国立考古学博物館 Musée des Antiquites Nationales> は考古学博物館としてはヨーロッパ随一と言われる(ルネサンス様式)。

ヴァンセンヌからTélécharger le plan de ligne RER A - (Pdf < 200 ko - nouvelle fenêtre) RER  A1で約30分終点のサン・ジェルマン・アン・レーで下車すると目の前が<朕は国家なり>のルイ14世生誕のサン=ジェルマン=アン=レー城 ChâteauChâteau de Saint-Germain-en-Laye だ。博物館はその中だ。

Musée d’Archéologie Nationale も企画展を開いていた。

考古学博物館の様子は。。。

シャトウの中から外の様子を見ると。。。なんと広大な。。

ヴェルサイユ宮殿などフランス式庭園のルノートルAndré Le Nôtre(1613-1700)の設計だ。

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ラヴェルとともに印象主義音楽家とされるドビュッシー Claude Achille Debussy(1862-1918) は サン・ジェルマン・アン・レーの生まれで、その生家が<ドビュッシー博物館 Musee Claude Debussyになっている。
生まれてほんの数ヶ月で転居したようだが、当時の釣瓶井戸も残っている。

ロータリーとモニュメント 21 オデオン広場/ポール・クローデル広場

    depuis  2001

    オデオン広場  Place de l’Odéon のモニュメントは オデオン座 と カフェ。

Pl. de l'Odéon

下の写真はオデオン座の裏正面で、リュクサンブール公園に面していて ポール・クローデル広場 Place Paul Claudel と呼ばれる。

ポール・クローデル(1868-1955) は駐日大使を務めたこともあるフランスの外交官で、劇作家。

オーギュスト・ロダンの弟子で、ロダンとの愛憎でも知られる 彫刻家の カミーユ・クローデル Camille Claudel (1864-1943) は姉。

9月21日から10月29日まで<ロメオとジュリエット>が上演されるようだ。

Odéon

パイヴァ候爵夫人の館 Hôtel de la Païva

   depuis  2001

   7月最後の日曜日は、シャンゼリゼにあるパイヴァ候爵夫人の館の見学ツアーに参加してきた。

パイヴァ候爵夫人は、19世紀フランスで最も名を馳せた高級娼婦(クルチザンヌ)。 今はにぎやかな大通シャンゼリゼはその昔、チュルリーやルーブル宮にいくまでの馬車道でした。ここが開発されたとき、パイヴァ候爵夫人はその土地を購入、贅の限りをつくした自分の館を建てたのです。 この館を建てた頃には、高級娼婦の仕事からは足をあらい、文字通りパイヴァ候爵夫人となっていたわけですが、彼女の屋敷で開かれたサロンは著名人が集まりつつも、上流階級の人からは成金趣味と嫉妬の入り混じった眼で見られていたようです。 たしかに内装はちょっとゴテゴテした印象・・でも、オペラ座のホールの天井画を描いたポール・ボドリーによる天井画や、サン・ミッシェルの噴水広場の彫刻を担当したアンリ・アルフレッド・ジャックマールの彫刻を施した暖炉(写真左下)、香水入りの水がでる蛇口つきのクリストフル製の浴槽(写真右下)などその当時の贅を尽くした感じはそのままに残っていました。 4

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現在はイギリスのトラベル・クラブが館を所有しているそうですが、そのお陰で館が建てられた当時の趣を残しているとのこと。暖炉それ以外の当時のシャンゼリゼの建物はすべて立て直しされ、シャンゼリゼはすっかりかわってしまいました。 みてのとおりほとんどが大型店舗にとってかわり、シャンゼリゼの両脇の建物や土地はほとんどアメリカなど外資のものらしいです。確かに今のシャンゼリゼはあまり行きたくない場所のナンバーワン。日本人会も引っ越したので年に1度いくかいかないかの場所になりました。スリも多いですし、ツーリストには狙われやすい場所がらなので、十分注意してください。 パイヴァの館の見学はフランス語で、パイヴァの館保存委員会のようなものが見学ツアーを定期的に企画しています。 入場料は17ユーロでした。

ロータリーとモニュメント 18   シャトレ広場

   depuis  2001

シャトレ広場 Place de Châtelet は
豪華なスフィンクスの台座に金色で目立つ彫像を乗せた泉 fontaine だ。

ヤシの泉あるいは勝利の泉 Fontaine du Palmier(ou fontaine de la Victoire)と呼ばれる。

ナポレオンがイタリア・エジプトに勝利したのを記念して
飲料用に建造(1806-08)された勝利の泉だ。

サミットに乗る金色の女神は両手に月桂樹 laurier の花輪を掲げて勝利を表している。
ルイ・ボワゾ Louis Boizot (1743-1809) 作の
<不滅 Immortalité >で、勝利 La Victoire を寓意している。

なお、円柱はパームを表す。ヤシ palme は不死/勝利の象徴だ。

オリジナルは<カルナヴァレ美術館 Musée Carnavalet> にある。

Pl. du Châtelet
Pl. du Châtelet

上の写真左の建物は パリ・シャトレ劇場 (シャトレ座) 。泉を挟んで対面に パリ市立劇場 (写真下の右の建物)がある。どちらも ガブリエル・ダヴィウ の建築だ。

右の写真で、台座の中央には月桂冠で囲まれた<カタジロワシ Aigle impérial >を置いて、ナポレオンの勝利と栄光を表している。これもルイ・ボワゾの彫刻。

その上には4つの彫像があり、慎重、節制、正義、力を寓意している。

下の写真は2008年2月の撮影で90度視点が異なるが落葉しているので広場とモニュメントが共に分かりやすい。中央右にサンジャックの塔 Tour St-Jacques が見えるがこの時点ではまだ改装工事中だ。

Pl. du Châtelet

ロータリーとモニュメント 8  イエナ広場

   depuis  2001

<ギメ美術館 Musée Guimet : Musée national Français d arts asiatiques>の面する イエナ広場  Pl. d’Iéna のモニュメントは<アメリカ合衆国の初代大統領 ワシントンの騎馬像>だ。

周辺には アメリカ合衆国広場 などアメリカの独立戦争以来の記念碑やウィルソン等の人名が多い。

Iéna

Musée National des Arts Asiatiques-Guimet

車が停車しているのが Av. du Président Wilson で騎馬像方向に トロカデロ広場 に至る。

アルマ・マルソーからイエナ間での道路分離帯で開かれる<イエナ・プレジダン・ウィルソンの朝市>は鮮度の良さで知られる超高級朝市だ。

東洋美術や陶磁器などのコレクションで知られるギメ美術館はジュール・シャトロン Jules Chatron (1831-84) による新古典主義の建築(1885)。

       メトロ9号線PA_metro_ligne_9 Iéna か Arma Marceau で下車。

Pl. d'Iéna

ロータリーとモニュメント 7  バスティーユ広場

   depuis  2001

  バスティーユ広場 Place de la Bastille のモニュメントは<7月革命の記念柱 Colonne de Juillet >だ。ジョセフ・ルイ・デュック Joseph-Louis Duc (1802-79) の作品(1840)。

Colonne de Juillet-11830年7月27~29日の市民革命により、1815年に王制復古したブルボン王朝を打倒し立憲君主制を発足させたいわゆる<7月革命>の記念柱だ。

左写真に<27 28 29 ・ Juillet 1830> の銘が、右写真の正面には<・・市民のために戦ったフランス市民の栄光のために>の記載がある。<栄光の3日3日間 Trois Glorieuses: 27.28.29>と呼ばれたりする。

1789年7月14日のフランス革命は当時この場所にあったバスティーユ(の監獄)の襲撃から始まった。      革命後取り壊されて広場になっていた。

写真には写っていないColonne de Juillet-2が広場に面するオペラバスティーユはバスティーユからヴァンセンヌに 至る元ヴァンセンヌ鉄道の駅舎の跡地だ。高架の鉄路は長い緑道(プロムナード・プランテ La Promenade Plantée)として残っているし、リヨン駅からサンテミリオンに至る高架下はお洒落なブティックなどに なっていて(ヴィアデュック・デザール Viaduc des Arts) 若者の人気が高いそうだ。。

また、広場の下にはサンマルタン運河が南北に横切っていて、メトロ1号線PA_metro_ligne_1のホームから運河を望める。      広場の北の運河上の緑道の一部はバスティーユの市場になっていて朝市で賑う。

Le Génie de la LibertéColonne de Juillet の先端には金色に輝く・・Le Génie de la Liberté(自由の守り神)が。。。      オーギュスト・デュモン Augustin Dumont 作(1835)。

ヴァンドーム広場の Colonne サミットのナポレオン Napoléon en César  も彼の作品だ。

   メトロPA_metro_ligne_7 Sully Morland  H.Galli  を出た所のアンリ・ガリ H.Galli 公園にバスティーユ監獄の基礎の一部が移設保存されている(写真下)。

バスチーユ(要塞)にあった8つの塔の一つであった<自由の塔 Tour de la Liberté>の基礎。

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セーヌ川側からアシュナル港 Port de l’Arsenal(サンマルタン運河 Canal Saint-Martin)を通して
<7月革命記念柱>を望む。

記念柱と緑がバスティーユ広場でその下が運河上にあるメトロ1号線PA_metro_ligne_1のバスティーユ駅。
右端にオペラ・バスティーユ Opéra Bastille も見える。

Canal St-Martin Bastille

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ドラクロワは早速この7月革命をテーマにした作品を発表した。ルーブル美術館所蔵の<民衆を率いる自由の女神 1831>がそれだ。中学時代の副読本で知って以来最も記憶に鮮明な作品だ。

この自由の女神は<マリアンヌ>で、解放を象徴するフリジア帽を被っている。

7月王政の安定により、作品はドラクロワの下に返されることとなり、再び日の目を見るのは7月王政を打倒した2月革命(1848)以降のことである。

ランスの夜……幽玄のランス大聖堂

   depuis  2001

フランク王国の流れから816年のルイ1世に始まりジャンヌ・ダルクのシャルル7世、太陽王ルイ14世、ギロチンのルイ16世など1825年のシャルル10世に至るまで25人のフランス王の戴冠式はランス大聖堂 Cathédrale Notre-Dame de Reims で行われた。

第一次世界大戦でランスの市街地はドイツ軍により徹底的に破壊されたが大聖堂も例外ではなかった。定礎以来800年に当たるこの5月6日その修復作業がやっと終了の運びとなった。ランス大聖堂

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それでは先ず1976年設置のシャガールのステンドグラスを見てみよう。

右写真では<2011/大聖堂800周年記念>の立て看板の左に見えている。

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右は案内板。

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昼間の大聖堂のフォアサイド

Cathédral Notre-Dame de Reims

夜11時から大聖堂は光の芸術のスクリーンとなる。

2段目左が <微笑む天使> 像。

下段右写真は聖堂正面中央ですが、ここに<微笑みの天使>が。。

探してみて。。。。。。

Musée Beaux-Arts de Reims

   depuis  2001

ランス Reims は今観光に力を入れている。大聖堂の修復、アールデコを中心とした街並みの美化、トラムの運行を始め芸術文化にも注力しているようだ。およそ10年ぶりの訪問とあってあまりの変わりように驚くばかりであった。

ランス美術館も当時あったのかどうか、訪れた記憶はない。ところが今や Foujita や コロー Camille Corot  を始め充実した美術館の呈をなしている。

フジタの作品はエソンヌ県の Musée Foujita からの借り物とはいえ1階左翼の大広間を占有している。コローの作品は風景画が主だが1階右翼に多数陳列されている。見落としがちなのがルノワール Renoir が描いた最も小さな少女像といわれる作品とミレー Milett の描いたドラクロワの肖像画だ。

館内は写真撮影が絵画を傷めるとかで禁止。今時と思うがそこがランスらしい。

Foujita の作品は別稿<Musée Foujita     藤田嗣治の足跡を追う>を参照のこと。

エッフェル塔百態 29  オランジュリー美術館

   depuis  2001

      オランジュリー美術Musée de l'Orangerie館正面右前からのエッフェル塔の冬景色。

Tour Eiffel

左にエッフェル塔、中央にシャイヨー宮、右にグランパレ。手前にコンコルド広場とセーヌを渡るコンコルド橋。

樹木落葉で見通しがよく、金色に輝いているのがアレクサンドル3世橋。

オランジュリー美術館といえば モネ だが、2010年の12月の企画展で見たマリー・ローランサンの絵を2枚載せておこう。

エッフェル塔百態 28  チュイルリー公園


   depuis  2001

    チュイルリー公園からのエッフェル塔3葉。

左にオルセー美術館が見える(写真右と下)。

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最上段と左写真の左側で金色はアンヴァリッドだが、その右の2本の尖塔はネオ・ゴシック様式のサント・クロチルド聖堂  Basilique Ste-Clotilde だ。

Palais de la Porte Dorée Aquarium Tropical / アール・デコ

   depuis  2001

アール・デコ様式 (Art Déco ) の<ポルト・ドレー宮殿>の中にある熱帯水族館。

旧植民地に棲息する熱帯魚が中心だ。が、鰐等もいる。

パリにまで来て熱帯魚を見る必要はないが、建物外壁の装飾は一見の価値がある。                             また、フランスだけに<ナポレオン>が王様らしく泳いでいるように見える。

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最寄駅はメトロ8号線 Porte Dorée 下車、徒歩で直ぐ。<ヴァンセンヌの森>も視界に入る。

 トラム3号線 ( T3a) は工事中。⇒供用中。

エッフェル塔百態 27  ロダン美術館

   depuis  2001

ロダン美術館 Musée Rodin に入って直ぐの前庭から見えるエッフェル塔。

Tour Eiffel

左がロダン美術館。建物の上部にアンヴァリッドの金色の先端が見える。
美術館の中からはエッフェル塔は見えない。

前庭を右側に進んでエッフェル塔に近ずくと…

<考える人 Le Penseur>の右側の小空間に小さくエッフェル塔がまた左手にアンヴァリッドが。。。

ロダン美術館については別稿(上記のタグのうちロダン美術館をクリック)を参照。

リヨン駅 (Gare de Lyon) に行かれたら

   depuis  2001

南仏の方面に旅行するとか<ル・トラン・ブルー>で食事するとかでリヨン駅に立ち寄る機会があれば、リヨン駅正面右手にある RAPT の本社ビルを訪れるのもいいかも。

馬車の時代から現在に至るパリの交通の歴史が一目瞭然だ。写真は馬車からバスへの歩みで外から見たもの。馬がバスの頭部になったというイメージ。

RAPT-1RAPT-2RAPT-3

Gare de Lyon

リヨン駅正面。 Maison de la RAPT は右側建物の道路を挟んで右奥。

Palais des Beaux Arts de Lille (リール美術館)

   depuis  2001

     パリ北駅から TGV でノンストップ一時間、リール (Lille) の町にフランスでルーブル美術館に次ぐ規模だといわれている美術館がある。Palais des Beaux Arts de Lille である。

ユーロスター Eurostar はここから方向を転じてロンドンに向かう。タリス Thalys は直進してブリュッセル・アムステルダム・ケルンへと向かう。

Palais des Beaux Arts de Lille -1

Palais des Beaux Arts de Lille -2

 上が入口、下が全景で入り口は建物の左端にある。一角は大きな広場を挟んで手前にも向き合って類似の建物があり正に宮殿だ。

玄関ホールはいかにも重厚な造りだ。

Palais des beaux-arts de Lille-3

階段部分のステンドグラスも中々綺麗だ。


Palais des beaux-arts de Lille-4

それでは展示作品のいくつかを紹介しよう。

 フランドル地方では何と言ってもブリューゲル。

リールは中世にはフランドル伯の領地であった。

Palais des beaux-arts de Lille-5

スペインの画家 ゴヤ の作品2点。

Palais des beaux-arts de Lille-6

 ビュッフェの作品           ピカソの作品

  ビュッフェの作品は    最近入手したもののようで、 ピカソの<毛皮の襟を着けたオルガ Olga au col de fourrure (1923) >と並べて絵画部門の部屋に入る最初の部屋に展示されていた。

当サイトへのアクセス数が多いので写真を三枚追加した。

エッフェル塔百態 21  ルーブル美術館

   depuis  2001

ルーブル美術館のシュリー翼に近いリシュリュー翼から対面のドノン翼を望むと
エッフェル塔 Tour Eiffel が見える。

Tour Eiffel - Musée Louvre

雨模様の日には美術館がもってこいだ。この日も人出が少なくゆっくり鑑賞できた。

中庭中央がピラミッド、対面がドノン翼、右端上にエッフェル塔 という構図だ。

バスが見えるところの右側に69番Ligne 69などのバス停があり、道路が

ルーブル美術館を貫いてリヴォリ通りとセーヌ川左岸を結んでいる。

  ルーブル美術館中庭 Cour Pyramide Napoléon から。

左はドノン翼、真ん中が カルーゼル凱旋門 Arc de Triomphe du Carrousel である。

凱旋門を潜るとカルーゼル公園を経てチュイルリー公園だ。

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ルーブル美術館の至宝の一つ<モナ・リザ>はガラスによる保護をとおり越していまやガラスケースの中に収まっている。しかもこのケースにすら触れられないようになっているのだ。

8月に訪れた大英博物館でも至宝<ロゼッタ石>は同様にガラスケースの中だった。ナショナルギャラリーやヴィクトリア・アルバート博物館でも絵画等はすべて保護されていた。30年前にはロゼッタ石に触れて写真を撮ったのに・・

ロートレックを訪ねて

   depuis  2001

      ロートレックを Naucelle に訪ねた。2005年11月のことである。

easy Jet でツールーズまで行き、あとは SNCF を使った。駅からはタクシーか徒歩20~30分なのだが時期外れのためかタクシーがなく駅員に相談したところ、電話をしてくれ迎えに来てくれるという。

Naucelle 駅は小さな田舎駅で、写真左はホームから出口を見たところである。左が Toulouse 右が Rodez  の方向である。

しばらく待っていると齢70代後半と思われる品の良い小柄なお婆さんが来てくれた。この方が Toulouse Lautrec の遠縁にあたる管理人さんであった。

家の案内、ロートレック幼少期の説明などお世話になったが、今もご健在だろうか?

7年近く経ちましたが、今もご健在だそうです。2012.05.25.

   ロートレックが幼少期に過ごした館である。アルビの生家から馬車で行き来していたという。

右の写真中央の出入り口に見える人影がロートレックの遠縁にあたる管理人さんである。

館の玄関口は写真の向こう側で、こちら側は下の写真で窺えるように、傾斜地を利用した広々とした庭園になっている。

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居間の壁に幼少期のロートレックが描いた絵がそのまま残されていた。

馬車と牛と馬だと思われるが才能を感じ取れるだろうか?

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ロートレックの生家のあるアルビ (Albi) はToulouse と Naucelle  の間の町である。

Albi にはMUSSE TOULOUSE LAUTREC (ツールーズ・ロートレック美術館)がある。

 左は駅舎で、手前が旧市街で坂道の多い高台になっている。鉄道右手で、ボルドーで大西洋に注ぐフランスの大河 ガロンヌ川の支流 Le Tarn を渡河する。美術館は徒歩で直ぐだ。

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美術館はBerbie 宮殿の一角 元司教館を改築したものである。

6年前にここを訪れた時には展示作品にこれといったものがなく、ロートレックが初めて手がけたポスターとして有名な AMBASSADEURS aristide BRUANT の畳半畳とか一畳もある習作がただ雑然とと言われても仕方のない状態で展示されていたことしか覚えていない。 きっとまだ整備中だったのだろう。

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 右が Berbie 宮殿。

下は旧市街の東端の古い橋と堰。この落差を利用して中央の建物で製粉が行われていた。閘門も付属している。

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d’Art Moderne の殿堂であるニューヨークの MOMA (The Museum Of Modern Art) に当時のムーラン・ルージュの人気ダンサーであった ラ・グリュー を描いた油絵がある。

「ムーラン・ルージュに入るラ・グリュー」 と呼ばれる油絵で、デフォルメがすばらしい。

Lautrec  MOMA

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それではムーラン・ルージュ ( Le Moulin Rouge ) に行ってみよう。

昔と違って随分今風に改装されてはいるが、暫くいると30年前を徐々に思い出す。薄暗い玄関ホールにロートレックのいた19世紀末から20世紀初頭のポスターや絵が飾られていたような記憶がある。中に入らなくても外見だけでも見てみよう。

左は外観。右は玄関入口。

メトロ2号線 Blanche が最寄駅。ここはモンマルトルの丘をサクレ・クール聖堂まで登って降りてくるプチトランの発着場でもある。

Moulin Louge - 3

入口左の壁に描かれたフレスコ画。左上にキャンパスに向かって絵筆をとるロートレックが描かれている。

映画 「ムーラン・ルージュ」 に これと同じ場面がある。

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2009年11月から12月にかけて東京渋谷の文化村で

<ロートレック・コネクションー愛すべき画家をめぐる物語>と題する美術展がありました。

会場入り口と入場券です。

Reinede Joie par Victor Joze.

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渋谷まで出向いたのは案内広告が入場券でも使われている<快楽の女王>であったからです。

デジタル技術を使用したリトグラフもどきが2万円程度で売られていたのには驚きました。フランス製です。素人目に区別は付きません。複製表示の義務付けもなしだそうです。

Reine de Joie  (1892) は 彩が鮮やかでお気に入りのコレクションの一つです。因みに、Victor Joze はポーランドの作家 Jose Dorbski のペンネームです。1892年の作品です。

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ロンドンの THE  COURTAULD  Gallery で TOULOUSE-LAUTREC AND JANE AVRIL   Beyond the Moulin Rouge と題してロートレック展が開かれていることを知ってロンドンを訪れた。

ギャラリーはサマーセット・ハウスのテームズ川の反対側に入っているがウォータールー橋に沿う川側から入られることをお勧めする。

Summerset House は巨大な建造物で右がテームズ川側を見たところで正面に見える建物が四角に中庭を取り囲んでいる。ギャラリーは手前で入り口正面が写真中央、ロートレックの企画展は左右の進入路から見えるように立て看板が置かれている。

978ムーランルージュを去るジェーンアヴリル

上の油絵は是非見てみたいと思っていた作品

<ムーランルージュを出るジェーンアヴリル> です。

ニューヨークの MOMA 美術館 からは3点の出展があったがそのうちの一点は既に紹介した作品

<ムーラン・ルージュに入るラ・グリュー>でした。

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ギャラリー・イグレックに展示中の2011/ロートレック展のポスター

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2012.08.10 オランダ・アムステルダムのゴッホ美術館を訪れた。3度目の訪問だ。

ゴッホ美術館のロートレック/アムステルダム

1886年にアントウェルペンからパリに出たゴッホは1887年11月にロートレックらと共同展を開いている。また同年、ロートレックはゴッホの肖像画を描いている。ゴッホ34歳、ロートレック23歳。

ゴッホ美術館はツールーズ・ロートレックの油絵(写真下/上はナショナル・ギャラリー所蔵))のほか、1300点近くのリトグラフを所蔵している。

数多くの所蔵コレクションの中から100点を選んで9月15日まで 特別企画展 Beauty in abundance を開催中であったので訪れることにした(14€)。

ギャラリー・イグレック所蔵の2作品も展示されていた。

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改装なったオルセー美術館にロートレックを見に行った。

写真撮影がフラッシュなしでも禁止となったようだ。が、携帯で撮っている人は少なくない。

美術館ビジネスは日本程ではないにせよ世界中に蔓延している。有名どころはどこも人であふれていて昔のようにゆっくり見とれているというわけにはいかない。

学生や絵心のある人が模写している風景もあまり見かけなくなった。

メインの大作を二枚。                     2012.08.05.

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La revue blanche / Misia Sert / Toulouse-Lautrec

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ミシア・セール Misia Sert (1872-1950) はピアニストであり、多数の画家や詩人の助言者 Égérie であり、20世紀初頭のミュージシャンだったとされ、パリの女王 Reine de Paris と呼ばれた。

19世紀末から20世紀初頭のパリの美術・文芸活動をリードした(1880-1903)文芸誌 La revue blanche の創業者の一人タデウシュナタンソン Thadée Natanson (1868-1951) の妻だった。

Toulouse-Lautrec (1864-1901) の< La revue blanche (1895)> は、この文芸誌のためのポスター(リトグラフ)を彼女をモデルにして描いたものだ。

ココ・シャネル Coco Chanel (1883-1971)が唯一信頼した女性とかでも大変有名なその時代のミューズだそうです。

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エーゲリア Égérie (ミューズ)はローマ神話の泉のニンフ(女神)で、女性の助言者を比喩する。ミューズはギリシャ神話の音楽・文芸の女神。

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ボレロを踊るマルセル・ランデ / ロートレック

   depuis  2001

ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901)が 1995-96 に描いた油絵
<ボレロを踊るマルセル・ランデ Marcelle Lender dansant le boléro dans Chilpéric >。

1900年当時のパリを彷彿させる象徴としてワシントン・ナショナルギャラリー National Gallery of Art, Washington からお里帰りしてきた。縦横ほぼ1.5mの大作。

マルセル・ランデ(1862-1926)はロートレックお気に入りのダンサーの一人。
1968年に京都で盗難事件のあった(7年の時効直後に見つかった)アルビのロートレック美術館所蔵の<マルセル Marcelle(1894)>と同一人物だ。

Marcelle Lender dansant le boléro dans Chilpéric / National Gallery of Art, Washington
Marcelle Lender dansant le boléro dans Chilpéric / National Gallery of Art, Washington

パリ市立のプチ・パレ美術館で開催されている<La Ville Spectacle  PARIS 1900>にて。2014.08.10.

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ロートレックの装丁画 / 闘牛

   depuis  2001

Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901)の描いた珍しい装丁画<闘牛 La Taureaumachie (1894)>がプチ・パレで催された<パリ1900展>で展示されていた。

ナンシーの René Wiener(1855-1939)が<裸のマヤ>のゴヤ Francisco de Goya(1746-1828)のエッチング集を出版するに当ってその表紙を飾る絵をロートレックに依頼したもの。

デザインを構想するため闘牛の見物をするなどして先ず油絵(1894・55.5x72cm)を描いた。ただし、-GOYA –   LA  TAUREAUMACHIE の文字はない。

La Taureaumachie / Henri de Toulouse-Lautrec
La Taureaumachie / Henri de Toulouse-Lautrec

2014.08.10.

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自由劇場 Le Théâtre-Libre とロートレック

   depuis  2001

パリ現代演劇の父とも言われるアンドレ・アントワーヌ André Antoine(1858-1943)が起こした<自由劇場 Le Théâtre-Libre> での公演プログラム。

<倒産及び詩人と金融資産家のプログラム Programme de Une faillite et Le poète et le financier,8novembre 1893.>、
ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) によるリトグラフと紹介されている。

<パリ市立歴史図書館 Bibliothèque historique de la ville de Paris> の所蔵。

演目「倒産」はノルウェーのノーベル賞作家ビョルンソンBjørnstjerne Bjørnson(1832-1910)の作(1874)で、
アンドレ・アントワーヌがステージングし主人公を演じた。

もう一つの演目はフランスの劇作家モーリス・ヴォガール(1863-1918)の作品だ。

Programme de Une Failliteet Le poète et le financier,8novembre 1893 / Théâtre-Libre / Henri de Toulouse-Lautrec
Programme de Une faillite et Le poète et le financier,8novembre 1893 / Théâtre-Libre / Henri de Toulouse-Lautrec

このリトグラフはギャラリー・イグレックでも所蔵している。

ピガール広場に至る 37 rue André-Antoine に自由劇場に関する 銘板が設置されている。

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竹久夢二展  ベル・エポックを生きた夢二とロートレック

   depuis  2001

竹久夢二(1884-1934)生誕130周年を記念して、岡山高島屋で竹久夢二展が開かれています。岡山・瀬戸内市の<夢二郷土美術館>等の主催です。

ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901)より20年後の生まれですが、
19世紀後半から1914年までのパリの良き時代/ベル・エポック Belle Époque を共に生きた世代ではあります。

サントリー・ポスターコレクションからディヴァン・ジャポネやムーラン・ルージュ グリュのポスター、週刊風刺雑誌「Le Rire」の表紙を飾ったロートレックの作品(コロタイプ)等の展示がありました。

夢二の木版画の記念限定増刷の予約が可能な作品があります。
増刷できる原版が在ること、再現できる刷師がいることが必須になりますが
これからは益々難しくなるようです。

木版画(夢二)にしろ石版画(ロートレック)や銅版画にしろ、原画を描いた画家(イラストレーター)の名は残りますが、彫師や刷師の名は残りません。学芸員の方から色々とお話を伺うことができました。

竹久夢二展 / 高島屋 岡山
竹久夢二展 / 高島屋 岡山

パリを訪れたのは1932年のことです。

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ロートレック生誕150周年 / 2014 / アルビ Albi

   depuis  2001

昨年はトゥールーズ・ロートレック Toulouse-Lautrec (1864-1901) 生誕150周年だった。
ド・ゴール大通りに面したメディアテーク Médiathèque d’Albi-centre Pierre-Amalric (2001)に残るロートレックの大写真。今日も熱波に加えて日差しがきつい。

150ème anniversaire de la naissance de Toulouse-Lautrec / Médiathèque Pierre-Amalric / Albi
150ème anniversaire de la naissance de Toulouse-Lautrec / Médiathèque Pierre-Amalric / Albi
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ロートレックの生家 / アルビ Albi

   depuis  2001

トゥールーズ・ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) の生家 、
(旧)Hôtel du Bosc 。

アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック通り Rue Henri de Toulouse-Lautrec を右に進めばサント・セシル大聖堂 Cathédrale Sainte-Cécile は直ぐそこだ。

今回は猛暑のため、幼少期に馬車で遊びに行っていたという
<ボスク城 Château du Bosc >には行かなかった。

Maison Natale de Toulouse-Lautrec / Albi
Maison Natale de Toulouse-Lautrec / Albi
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サント・セシル大聖堂 と ロートレック美術館

   depuis  2001

サント・セシル大聖堂 Cathédrale Sainte-Cécile と<トゥールーズ・ロートレック美術館>を
サント・セシル広場に面したカフェから見た。

トゥールーズ・ロートレック美術館は大聖堂に隣接する(元)司教の宮殿 Palais de la Berbie にある。13世紀、タルン川 Le Tarn 畔に聳え立つ要塞として建設された。赤レンガ造りだ。

Cathédrale Sainte-Cécile / Palais de la Berbie / Musée Toulouse-Lautrec
Cathédrale Sainte-Cécile / Palais de la Berbie / Musée Toulouse-Lautrec
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トゥールーズ・ロートレック美術館 / アルビ Albi

   depuis  2001

宮殿に収容されている美術館内部は赤レンガ造りのアーチ群で修復されている(2012)。
前回訪れたとき(2000)の面影が探せない。

タルン川 Le Tarn を臨むバルコニー手前の近代的展示室。

奥に2点、Reine de Joie  (1892) 、右に2点、La revue blanche (1895)
ポスターと習作が並べて展示されている。

La revue blanche の習作のタデウシュナタンソン Thadée Natanson 夫人の顔が気に入った。

ギャラリー・イグレックではこれらのリトグラフを所蔵している。

Musée Toulouse-Lautrec / Albi
Musée Toulouse-Lautrec / Albi
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束の間の征服/ロートレック/オーギュスタン美術館

   depuis  2001

Conquête de passage / Henri de Toulouse-Lautrec / Musée des Augustins / Toulouse
Conquête de passage / Henri de Toulouse-Lautrec / Musée des Augustins / Toulouse

トゥールーズ Toulouse にあるオーギュスタン美術館 Musée des Augustins で、ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) の<束の間の征服 Conquête de passage (1896)>等を鑑賞した。別名<コルセットを着ける女>の方が分かりやすい。

キャンバスに張った Marouflé の紙に黒チョークとオイルで描いたチョーク画。

トゥールーズ・ロートレック伯爵アルフォンスが寄贈した(1904)もの。

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巻き髪をする女性 / ロートレック

   depuis  2001

Femme se frisant / Henri de Toulouse-Lautrec / Musée des Augustins / Toulouse
Femme se frisant / Henri de Toulouse-Lautrec / Musée des Augustins / Toulouse

 

トゥールーズ Toulouse にあるオーギュスタン美術館 Musée des Augustins で、ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) の<巻き髪をする女性 Femme se frisant (1891)>を見れる。
カールする女等と紹介されるこの絵は「厚紙に描いた油絵」で、父親であるトゥールーズ・ロートレック伯爵アルフォンスが寄贈した(1904)もの。

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新装なったロートレックの町 / アルビ Albi

   depuis  2001

昨年(2014)はロートレック生誕150周年でした。
また、「アルビの司教都市」として世界遺産になり(2010)町の整備が進みました。

写真はド・ゴール将軍大通り Avenue Général de Gaulle のアルビメディアセンター Médiathèque d’Albi-centre Pierre-Amalric 前からアルビ国立劇場 Scène Nationale d’Alb(2014)を見たところです。ロートレックの作品(左にもう4枚)で修景されています。

左突き当たりがラペルーズ広場 Place Lapèrouse でここから先が旧市街です。

150ème Anniversaire de la Naissance de Toulouse-Lautrec / Albi
150ème Anniversaire de la Naissance de Toulouse-Lautrec / Albi

右の絵は<クリスマスの晩餐会のメニューカード>にあるロートレック(1896)。

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ロートレックの版画集「彼女たち ELLES」

   depuis  2001.

ギュスターヴ・ペレGustave Pellet (1859–1919)が11点組み100部限定で出版した<ロートレックHenri de Toulouse-Lautrec (1864-1901)による 彼女たちElles (1896)>の内の2作品です。
彼女たちとは娼婦たちのことです。

Frontispice pour Elles / Femme en corset,conquete de passage / Henri de Toulouse-Lautrec / Musée Van Gogh
Frontispice pour Elles / Femme en corset,conquete de passage / Henri de Toulouse-Lautrec / Musée Van Gogh
Conquête de passage / Henri de Toulouse-Lautrec / Musée des Augustins / Toulouse
Conquête de passage / Henri de Toulouse-Lautrec / Musée des Augustins / Toulouse

右の作品はその扉絵「ロートレックによる彼女たち」(1枚目)をベースに、ラ・プリュム芸術出版社の「サロン・デ・サン Salon des Cent 」で展示会を開いた際に作製したポスターです。
左は「コルセットの女、束の間の征服」(9枚目)で、このリトグラフのための習作がオーギュスタン美術館にあります。
背景や紳士が習作とはかなり異なっています。
いずれも、クリーム・ウォーヴ紙 Papier vélin にプリントしたカラー・リトグラフです。

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ロートレックを魅了した女性

   depuis  2001

ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901)がセーヌ河口のル・アーヴル Le Havre からボルドーまでの船旅(1895)で乗り合わせたダカール行きの人妻です。リスボンまで同行してしまったそうです。友人がいなければ、ダカールまで行きそうだったと伝えられています。

1056プリュム誌 La Plume (1889)の創刊者、レオン・デシャン Léon Deschamps(1864-99) がボナパルト通りに開設した「サロン・デ・サン Salon des Cent 」で催した「国際ポスター展」の宣伝ポスターに彼女を描きました<Salon des Cent ,La passagère du 54 (1896)>。作品名を54号室の女性船客と名付けています。本を手にしています。

ロートレックの写真を多数撮った友人モーリス・ギベール Maurice Guibert (1856-1913) との旅でした。
プチ・パレ美術館で観たものです。

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黒の長手袋をイラストしたロートレック

   depuis  2001

ロートレックの世界で「黒い長手袋」といえば歌手のイヴェット・ギルベール Yvette Guilbert (1865-1944) を指します。レジオン・ドヌール勲章を受賞(1932)しています。

Couverture de l'Album Yvette Guilbert / Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Musée Van Gogh / Amsterdam
Couverture de l’Album Yvette Guilbert / Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) / Musée Van Gogh / Amsterdam

彼女のために、熱烈なファンだった美術評論家のギュスターヴ・ジェフロア Gustave Geffroy(1855-1926) がアルバムの発行を企画して、「レスタンプ・オリジナル(1893-95)」の発行者であるアンドレ・マルティ社  Chez André Marty に100部限定で制作を依頼、ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901)が挿絵を受け持ちました(1894)。
16ページ全てに彼女を描いた挿画があり、彼女が活躍していたカフェ=コンセール(演芸喫茶)の情景を評論しました。
写真はその表紙で、ピアノの上に置かれたイヴェット・ギルベールのトレードマークである「黒い長手袋」と「パフ」を簡潔・大胆にイラストレーションしています。下段に価格:50フランとあります。

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アンドレ・マルティの版画集とロートレック

   depuis  2001

アンドレ・マルティ André Marty が10回に亘って95点の作品を100部限定で頒布出版した(1893-95)版画集<レスタンプ・オリジナル L’Estampe originale>の第1号の表紙を飾ったロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) の6色刷りリトグラフ(1893)です。

刷師はロートレックが使っていたアンクール Edouard Ancourt 印刷所のコテル爺さん Père Cotelle、出来栄え(刷り具合)を観ているのはダンサーでありアートにも造詣の深かったジャンヌ・アヴリル Jane Avril (1868-1943)です。
版画家と刷師との関係を覗うことのできる作品です。

今日はロートレックの誕生日です。

Couverture de L'Estampe originale / Henri de Toulouse-Lautrec / Musée Van Gogh / Amsterdam
Couverture de L’Estampe originale / Henri de Toulouse-Lautrec / Musée Van Gogh / Amsterdam
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何気にロートレック / リッツ / ヴァンドーム広場

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Toulouse-Lautrec / Ritz / Place Vendôme
Toulouse-Lautrec / Ritz / Place Vendôme

ホテルリッツのブティック回廊に入る手前にトゥルーズ・ロートレック Toulouse-Lautrec (1864-1901)の画(段ボールにオイル)が飾られている。左は Toilet 。
キャンバスに張った Marouflé の紙に黒チョークとオイルで描いたもの。ジェーン・アヴリルの様にもラ・グーリュのようにも思えるが・・そうではなくて、横顔の女(マダム ルーシー)Femme de profil (Madame Lucy) のようだ。

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ロートレックによる<横顔の女>オルセー美術館

   depuis  2001

Femme de profil / Henri de Toulouse-Lautrec / Musée d'Orsay
Femme de profil / Henri de Toulouse-Lautrec / Musée d’Orsay

オルセー美術館 Musée d’Orsay 所蔵のロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) 作の<横顔の女 Femme de profil (1896)>。ダンボール紙 Carton に油彩。

 

Toulouse-Lautrec / Ritz / Place Vendôme
Toulouse-Lautrec / Ritz / Place Vendôme

先に紹介したリッツのそれと同じ構図だが、横顔の細部等の筆致は曖昧。サインも異なる。

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ブリヂストン美術館のロートレックをオランジュリー美術館で

<ブリヂストン美術館の名品−石橋財団コレクション展 Tokyo-Paris Chefs-d’œuvre du Bridgestone Museum of Art, Collection Ishibashi Foundation >がオランジュリー美術館 Musée de l’Orangerie で開催中(au 21 août 2017)。東京/八重洲は閉館中らしい。
ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) の油絵作品<サーカスにて: 舞台裏で (1887頃) Au cirque : dans les coulisses (vers 1887)>の展示があった。

Au cirque : dans les coulisses (vers 1887) / Henri de Toulouse-Lautrec

編集

Musée Foujita・・・藤田嗣治の足跡を追う 日本人留学生会館 カフェ ル・ドーム 藤田博物館 シャペル フジタ モンパルナス美術館 ランス美術館 ランス大聖堂

  depuis 2001

 パリで最も有名とされる日本人画家<藤田嗣治>の足跡を追ってみよう。

先ず、トラム3a に乗って Cité Universitaire で下車、
徒歩で<日本留学生会館>に行ってみよう。

数ある世界各国の会館に比べるとこじんまりとはしているが、
そのロビーに藤田の大作が寄贈されている。

写真でうかがえるように金屏風に描いたもののようだ。

Foujita

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Foujita

風格と力強さが伝わってくる超大作だ。  (2002.12 撮影)

異国の地にある留学生に日本人としての自信を与え続けてきたことだろう。

 * * *

モンパルナス大通りとラスパイユ大通りとの交差点に<カフェ Le Dôme >がある。

藤田がモンパルナス界隈で仲間の画家たちとたむろしていた頃のたまり場だ。

今ではちょっとした高級店になっているが、勇気を出して入ってみよう。

1898年 アールヌーヴォーの時代の建築で内装も同様式なので一見の価値がある。その片隅に当時の藤田らの写真が展示されている。モジリアーニ・ザッキン・ブラック・ピカソ等エコール・ド・パリ派の面々。https://galeriey.wordpress.com/2011/04/25/762/

Le Dôme

 メトロ4号線Télécharger le plan Métro ligne 4 - PDF - Nouvelle fenêtre Vavin で下車

この時期藤田が住んでいたアレジアの近くのトンベ通りを描いた絵があるのだが、現在ではその面影は全く残っておらず場所を特定できない。
モンパルナスといえどもその頃は片田舎の風情だったと思われる。

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いよいよ<Musée Foujita>に行ってみよう。

世界大戦のせいもあり日本とフランスを行ったり来たりだった<藤田嗣治>が晩年を過ごした住居とアトリエが Musée Foujita となっている。

アトリエ横の外壁に貼られた銘板には次の記載がある。

MAISON-ATELIER FOUJITA

Peintre de l’Ecole de Paris

1886-1968

アトリエの外観は写真左、メゾンは右のとおりでジベルニーのモネのそれと比すれば極めて質素なものだ。

しかし、中に入ると少なくとも私が他で見たことのない素晴らしさだ。
今にも藤田が 「ただいま。」 と言って帰ってきても不思議のない雰囲気が今も保たれているのだ。

彼は絵だけでなく額縁の制作からシャペルのデザインに至るまで多才で器用な人で、

だからこそあのパリ画壇を震撼させた乳白色の絵の具を開発できたのだろう。

Foujita Atelier

Chapell Foujita の模型が中央に見える。

絵筆、画材、工具など夥しい遺品が

藤田が今ちょっと外出しただけという雰囲気で展示されている。圧巻である。

それでは代表的な絵を2点。

 左は藤田と愛猫 ちょっと見ではどれも同じに見える多くのヴァリエーションがあるが、藤田の代表作の一つ。

右は<乳白色の女>でパリ画壇に新風を吹き込んだ藤田の絵そのもの。これは大作だが、この中の一体一体も作品として残されている。

徒歩で5~6分歩いて教会付属の墓地に行ってみよう。ここに藤田のお墓がある。

Foujita の墓碑

お参りに来ていた人の話だと、「現在は藤田の遺体はこのお墓にはない。」とのことであったが、墓標にたっぷりお水をかけてお参りをしておいた。

Musée Foujita (Maison-Atelier FOUJITA) へのアクセスはRER B4線に乗ってGif-sur-Yvette で下車、Bus でMairie du Villiers-le-Bâcle 下車。

 参考 : RER  Metro  Bus 路線図 (路線図をクリック、出た画面上でRER ならRER をクリックするとRER の路線図が出ます。)

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藤田の遺骸が<ランスの礼拝堂>に移されたのは 2003年10月6日、
死後35年目のことである。

奥に見えるのが Chapelle で、アトリエで見た宗教画のフレスコで内部が飾られている。

CHAPELLE FOUJITA

アトリエの模型と同じ形であるのが分かる。

ランス大聖堂に行かれる場合は是非立ち寄られることをお勧めする。ただし、開館しているのは5月2日から10月31日まで、かつ14時から18時の間のみであることに注意。

 アクセスはパリ北駅から TGV もしくは SNCF に乗車、Reims で下車。

Chapell Foujita

礼拝堂のフレスコ画とステンドグラスの一部。写真撮影は禁止。

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最後におまけで一枚。確かメゾンの方に展示してあったと思うが、Foujita らしさの漲る作品。

Foujita

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Belgium Flag

20世紀の終わり頃だったと思うが、家族でブリュッセルに牡蠣とムール貝を食べに行ったことがある。ついでに王宮美術館に寄った際、藤田の大作2枚が展示されていた。そのうち一枚は例のアトリエでの猫と自画像だった(上の写真はその部分図で川之江にあるのもそのひとつだ)。先だってリエージュを訪れるにあたってその作品を再見しようとブリュッセルにも1泊した。しかし、残念ながらどこにも藤田の絵を見つけることは出来なかった。今度せめて当時の写真でも探してみることにしよう。

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2004年に<モンパルナス美術館>で催された<藤田展>のポスターだ。

Foujita

Musée Montparnasse のある一角はまるで設立当時、藤田が徘徊していた当時そのままかと思えるほど周辺に対して異質の空間となっている。

メトロTélécharger le plan Métro ligne 4 - PDF - Nouvelle fenêtreTélécharger le plan Métro ligne 6 - PDF - Nouvelle fenêtreTélécharger le plan Métro ligne 12 - PDF - Nouvelle fenêtre Télécharger le plan Métro ligne 13 - PDF - Nouvelle fenêtreMontparnasse-Bienvenüe  下車。Av.du Maine 21 (写真右の前の通り)。このあたり非常に分かりにくいので焦らずに落ち着いて探してください。

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<Musée Beaux- arts  de la ville REIMS >に行ってみよう。

2009年4月25日に君代の遺灰が礼拝堂に入ったこともあって企画されたのであろうと思われる 2010年4月1日から6月28日まで開かれた Foujita monumental ! Enfer et paradis (地獄と天国) と題する企画展で展示された作品の一部が今も展示されている。

何れもすでに紹介済みのエソンヌ県にある Musée Foujita の所蔵である。

写真撮影は禁止だが粋な計らいによって3点5枚のうち2点2枚をゲットできた。

Musée Beaux- arts de Reims-1

Musée Beau-arts de Reims-2

Musée Beaux-Arts de Reims

Musée Beaux-arts de Reims

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<ランス大聖堂 Cathédrale Notre-Dame de Reims >は1959年に藤田が君代とともに洗礼を受けたところだ。心酔していたレオナルド・ダ・ヴィンチに因み洗礼名をレオナールにしたとされる。下の写真は<藤田の洗礼>と題して大聖堂の中に掲げられている藤田の略歴だ。

Cathédrale Notre-Dame de Reims

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ギャラリー・イグレックに展示中のポスター

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<パリ市立近代美術館 Musée d’art moderne de la ville de Paris >

久しぶりに パレ・ド・トウキョウ Palais de Tokyo の右翼に入っている<パリ市立近代美術館 Musée d’art moderne de la ville de Paris >を訪れた。
藤田嗣治の Nu à la toile de Jouy (1922) を観るために。

日本にも来たことがあるモンパルナスの<キキ>をモデルにした大作だ。

036

<パレ・ド・トウキョウ>と名が付けられているのは日本が第一次大戦の同盟国であったことに拠る。セーヌ川に面する前の道はトウキョウ大通りと呼ばれていたが、
第二次大戦後ニューヨーク大通りと改名された。

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<国立近代美術館 Musée National d’Arts Moderne>

ポンピドーセンター内の<国立近代美術館 Musée National d’Arts Moderne>が所蔵する藤田嗣治 Léonard Foujita (1886-1968) の作品の一つで藤田が寄贈した(1951)もの。

戦後、日本を離れてアメリカ等に旅行した時のニューヨークでの作品、
<カフェにて Au café, 1949>。

藤田の白(乳白色)、平面的な視点、繊細な線、藤田の特徴を窺える代表作品のひとつ。

Au café, 1949 / Léonard Foujita / Musée National d'Arts Moderne

 上のポスターにある<カフェにて>とは明らかに別ヴァージョンだ。右手が異なるとか・・

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< 東京国立近代美術館>

東京国立近代美術館が所蔵している「藤田嗣治」の全作品の展示が同美術館で行われている(2015.09.19-12.13)。入場料:¥430。65歳以上は無料。東京メトロ/東西線 竹橋下車。

乳白色の肌(女)で寵児となった時期の作品<五人の裸婦(1923)>と<タピスリーの裸婦(1923:京都国立近代美術館蔵)>を観れた。愛猫が見上げる自画像(1929)もあった。
<動物宴><ラ・フォンテーヌ頌(しょう)>(1949-60)は絵はもとより藤田自作の額縁に興味が行ったが、説明がなく、殆どの人は自作であることに気付かなかっただろうと思った。

写真は駄目なので、美術館のホームページからキャプチャーした<五人の裸婦>。
真ん中に視覚を置いて、左から触覚・聴覚・味覚・嗅覚の5覚を5人の裸婦像で寓意したもの。

キャプチャ1

ミロのヴィーナス…ルーブル美術館

  depuis 2001

何時みても心癒されるミロのヴィーナス (La Vénus de Miro) 像。

時計回りに一周してみましょう。

La Vénus de Milo-3

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1964年に日本で公開された際、京都市立博物館で初めて本物に出会ったものの、
押すな押すなの行列であっという間に正面から押し出される混雑で、
まともに鑑賞などできなかったことを思い出します。

それから18年経って約30年前にルーブル美術館で再会した時には何気に大広間に置いてあり、自由に触れることもできたことに非常に驚きました。

今では写真のように一応柵が張ってあり、触れることはできません。
事件があったこともあり、La Joconde (モナ・リザ Portrait de Mona Lisa ) も厳重なケースに入ってしまっています。

ランスと言えばジャンヌ・ダルク / Jeanne d’Arc

 depuis 2001

ランス Reims には数回寄ったことがありますが、

頭を過るのはいつも藤田嗣治とジャンヌ・ダルク (Jeanne d’Arc) です。

ジャンヌ・ダルク (1412-1431) に纏わる歴史の中でもオルレアンの解放とシャルル7世の戴冠式は重要です。イングランドとの百年戦争の最中、ランス大聖堂で戴冠式を行うことによりシャルル7世を正式のフランス王とし王の空白を解消したのです。

ジャンヌ・ダルクの騎馬像は金ぴかのせいだけではなく最も好きなモニュメントの一つです。

ルーブル宮の西北端 ピラミッド広場 にあります。
エマニュエル・フレミエの作(1889)です。

ジャンヌ・ダルクは1429年9月8日にこの付近にあったサントノレ門で行われたイングランドとの戦いで負傷しました。

ルーブル宮には、装飾芸術協会傘下の 装飾芸術美術館・モードと織物美術館・広告博物館 の3館が入っていて、入場すればすべてを鑑賞することが可能です。興味のある人には必見だと思います。

ところで、イングリッド・バーグマンが ジャンヌ・ダルク を演じた映画 Joan of Arc を覚えている方はおられるでしょうか? マラケシュに行った折、カサブランカ→イングリッド・バーグマン→ジャンヌ・ダルク と頭を過りました。

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リヴォリ通りに接するピラミッド広場はジャンヌ・ダルク像を中心に左右対称になっていて(下の写真)、右側に ホテル レジーナ が入っています。古い造りと調度品、特にステンドグラスの素晴らしさには驚きました(宿泊当時)。また、市内観光や近郊観光のプログラムを多数用意している シティラマ は右正面に入っています。

21世紀の新年は家族で レジーナ に宿泊して、リヴォリ通りを歩いて直ぐのコンコルド広場で迎えました。大型の送風機で紙吹雪を広場中に撒き散らしていたこと、リヴォリ通りがホコテンになっていたこと、広場に入りきれないほどの大勢の人出で賑っていたこと、雪がちらつく霙模様の寒い新年であったことなどを思い出します。

Pl. des Pyramides

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Reims に残るジャンヌ・ダルクの足跡をいくつか…..

Jeanne d'ArcMusée Hotel le VergeurRue Jeanne d'arc

写真上段はランス大聖堂の前にあるジャンヌ・ダルクの騎馬像。大聖堂を見上げています。

ポール・デュボア Paul Dubois(1829-1905) の作品 (1889)。

中央は Musée Hôtel le Vergeur の壁面にある500周年記念の銘版。

17Juillet 1429   CharlesⅦ の文字が見える。

<フルー・ド・リス二つと剣と王冠のジャンヌ・ダルクの紋章>も見える。

下段はランスのジャンヌダルク通り。

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サン・ラザール駅の西側、サントギュスタン教会の前にも<ジャンヌ・ダルクの騎馬像>がある(ワシントンにもある)。

ランス大聖堂前のオリジナル像のレプリカ。

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ジャンヌ・ダルク通り Rue. Jeanne d’Arc とマルセル大通り Bd. St-Marsel との交差点、小さなロータリーに<ジャンヌ・ダルクの立像(1891)>がある。

Émile-François Chatrousse (1829-96) の作品(1887)。

ジャンヌ・ダルク通りの起点でほぼ直線でジャンヌ・ダルク広場が終点。

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サクレ・クール聖堂正面入り口の上部に聖ルイ王(サン・ルイ) Saint Louis/ルイ9世 と対を成してジャンヌ・ダルクの騎馬像があるのをご存知だろうか?

下左の聖堂の写真をクリックして拡大してみてください。右の騎馬像がジャンヌ・ダルクです(右下の写真が見えます)。

イポリット・ルフェーブル Hippolyte Lefèbvre (1863-1935) の作品(1927)。

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ノートルダム寺院のジャンヌ・ダルク Sainte Jeanne d’Arc (1412-31)

ジャンヌダルクの再評価を決定したのはノートルダム寺院/パリであり、列福した(1909)のはノートルダム寺院だった。列聖はバチカンのサン・ピエトロ寺院(1920)。

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<ジャンヌ・ダルク>所縁のサン=デニス·デ·ラ·シャペル

ジャンヌ・ダルクがパリ進撃前夜(le 7 septembre 1429)を祈りで過ごしたサン=デニス·デ·ラ·シャペル Église Saint-Denys de la Chapelle です。

初期ゴシック建築(1204)で、聖ジュヌヴィエーヴが古代ローマ遺跡の跡地に建設した礼拝堂(475)を再建したものです。礼拝堂には、サン=ドニ大聖堂に移される(636)までサン=ドニの遺物が収容されていました。

パリからサン=ドニ大聖堂に至るガレ・ローマン時代からの古い道(サン=ドニ L’Estrée)、シャペル通り Rue de la Chapelle に面しています。
この辺りはカルチェ・デ・ラ・シャペル Quartier de la Chapelle と呼ばれています。

左、ネオロマネスク様式の建物はジャンヌ・ダルク大聖堂 Basilique Ste Jeanne d’Arc(1964)で、前にジャンヌ・ダルクの像が置かれています。
第一次大戦における、第一次マルヌの戦い(1914)の勝利に感謝(ジャンヌ・ダルクに)して発意され、完成は勝利50周年にあたります。

Église Saint-Denys de la Chapelle / Basilique Ste Jeanne d'Arc / Rue de la Chapelle

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ジャンヌ・ダルク像 / ジャンヌ・ダルク大聖堂 前

Statue de Jeanne d'Arc / Basilique Ste Jeanne d'Arc / Rue de la Chapelle

ジャンヌ・ダルクがパリ進撃前夜(le 7 septembre 1429)を祈りで過ごしたサン=デニス·デ·ラ·シャペル Église Saint-Denys de la Chapelle 横の<ジャンヌ・ダルク大聖堂 Basilique Ste Jeanne d’Arc >前に置かれているジャンヌ・ダルク像です。

フェリックス·シャルパンティエ Félix Charpentier (1858-1924) の作品(1888)です。

本拠地だったボルドーにある、フランス革命時のジロンド党の大モニュメント Monument aux GirondinsBordeaux の一部を構成する噴水、コンコルドの勝利 Le triomphe de la Concorde (1900) の作者だ。

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火刑台上のジャンヌ・ダルク / サン=デニス·デ·ラ·シャペル

サン=デニス·デ·ラ·シャペルには、<火刑台上のジャンヌ・ダルク Jeanne au Bucher (1954)>と題された彫像が置かれている。
アルバート・パッシュ Albert Pasche (1873-1964) の作品です。

19歳のジャンヌ・ダルクがルーアンのヴィエ・マルシェ広場で処刑されるのは 30 Mai 1431 、17歳でこのシャペルに立ち寄った 7 septembre 1429 から1年8か月後のことだ。

Jeanne au Bucher / Église Saint-Denys de la Chapelle

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ジャンヌ・ダルクが負傷したサント・ノレ門

サン=デニス·デ·ラ·シャペル Église Saint-Denys de la Chapelle を出たジャンヌ・ダルクは古い道、サント・ノレ通りからパリ城内に入る<サント・ノレ門>に進撃した。

当時のサント・ノレ門 Porte Saint-Honoré はフィリップ・オウギュストの城壁を拡張したシャルル5世の城壁に在った(1636 撤去)。現在のアンドレ・マルロー広場一帯である。

8 Septembre 1429、ここでのパリ包囲中に太腿に傷を負った記録がサント・ノレ通り161-3番地で見られる。

金色のジャンヌ・ダルク像がピラミッド広場に置かれているのもここから近いからだ。

Jeanne d'Arc / 8 Septembre 1429 / Porte Saint-Honoré

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ジャンヌ・ダルクとブロア城 / オルレアンの包囲

後に、オルレアンの乙女 Pucelle d’Orléans と愛称されることになる
ジャンヌ・ダルク Jeanne d’Arc (1412-31) はここブロア城からイングランド軍に包囲されていた<オルレアンの解放>に出立した(1429.04.29.オルレアンに到着、05.08.開放)。

ブロア城の礼拝堂において、ランスの大司教ルノー・シャルトル Renault de Chartres による祝福を受けた。約3か月後、ジャンヌ・ダルクの下、ランス大聖堂でシャルル7世の戴冠(1429.07.17.)をした人物である。

ブロアの古い要塞跡であるフォアの塔 Tour de Foix (ブロア城の南西端にある円筒状の塔)で解放表明をしたと伝えられている。
左のゴシックの尖塔はサン・ロメ修道院 Abbaye Saint-Laumer 。

手前はロワール川 La Loire 、コンクリートのパラペットで護られている。
河岸への日常進入口として途切れている部分には、洪水時にゲートを挿入する。

崖上の要塞ブロア城は写真右半分で、入口は奥。

Jeanne d'Arc / Château de Blois / Tour de Foix / Siège d'Orléans

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ジャンヌ・ダルクの騎馬像 / フレミエの立像

ピラミッド広場にある金色の<ジャンヌ・ダルクの騎馬像 (1889)>の彫刻家<エマニュエル・フレミエ Emmanuel Frémiet (1824-1910) の立像> がパリ植物園にある。
動物彫刻家とも言われるだけあって動物の骨学の研究者でもあった。
代表作の一つ <小熊狩り Dénicheur d’oursons (1885)>の縮小版を制作している様子。
台座に<ジャンヌ・ダルクの騎馬像の浅浮彫>が嵌め込まれている。
Henri Greber (1856-1941) の作品(1913)。
なお、現在の騎馬像は置き換えられた第二ヴァージョンで、最初のものは1874年に設置された。

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7本の道路が集まるロータリー ジャンヌ・ダルク広場 Pl. Jeanne d’Arc の真ん中に Notre Dame de la Gare がある。パリ市に編入される以前の地区の聖母教会だ。広場名は編入時から。

下の写真は教会前からジャンヌ・ダルク通り Rue Jeanne d’Arc を見たもの。ジャンヌ・ダルク通りはジャンヌ・ダルクの立像のあるサン・マルセル大通り Bd. St-Marcel まで一直線。

その先に、聖人ジャンヌ・ダルクの眠る<パンテオン>が見える。影は教会のもの。

右の写真は教会内にある彫像で十字剣を持つジャンヌダルクだと思われるが、何の記載も説明もない。

ジョセフィーヌ・・・Château de Malmaison

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      シャトウ・ マルメゾン に展示されているジョセフィーヌの肖像画です。

1796年から1810年までのナポレオンの妻でした。

ルーブル美術館にある  Jacques-Louis David の大作<ナポレオンの戴冠式>で

皇帝ナポレオンから皇后の冠を受けているのがジョセフィーヌです。1804年のことです。

ジョセフィーヌはナポレオンがエジプト遠征中の1799年にこの土地を購入、

当時60ヘクタールを超える広さだったといいます。

                                 正面入口                  中正面                   寝室

ナポレオンの戴冠 (Le Sacre de Napoléon)

セーブル焼 Porcelaines des Sèvres ・・・国立磁器博物館 

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Sévres
Porcelaines des Sèvres

      フランスの磁器はマイセンに遅れること29年、1738年にヴァンセンヌ城の一角でスタートした(ヴァンセンヌ窯)が、後にセーブルに移った。セーブル焼 Porcelaines des Sèvres  とともに名の通ったリモージュ焼 Porcelaines de Limoges も同根である。

 ポンパドール夫人(ルイ15世)の館が国立磁器博物館となっていて  セーブル焼きの展示がされている。

ロココ様式の豪華な絵柄を好むフランス人は多い。
ただ、高価なので見て楽しむ人が大半だと思いますが…

ロケーションは、メトロ9号線PA_metro_ligne_9の終点 Pont de Sèvres 下車、
セーブル橋でセーヌ川を渡って直ぐ。

もしくは、トラム2号線  Télécharger le plan du Tramway T2 - (Pdf < 200 ko - nouvelle fenêtre) で Musée de Sèvres  下車。

メトロ1号線PA_metro_ligne_1の終点 La Défence Grand Arche  からセーヌ川左岸沿いの丘陵地を行くのが楽しいでしょう。

http://www.ratp.fr/fr/ratp/c_23634/plans-tramway/

なお、陶器ではカンペール焼 Faiences de Quimper が有名だ。

写真の聖母子像(1475頃)は、Luca della Robbia (1400-81) がフローレンスの工房で制作した陶器。

Musée National du Ceramique
Musée National de Ceramique

もう一つのロダン美術館 Musée Rodin -Meudon

   depuis  2001

メトロ12号線Télécharger le plan Métro ligne 12 - PDF - Nouvelle fenêtreの終点 Mairie d’Issy からバスを使ってもう一つのロダン美術館に行ける。

Musée Rodin -Meudon と区別されるが、表示は同じ Musée Rodin です。

アンヴァリッド東横のロダン美術館の屋敷を政府から借り受ける前の住家で、

小高い傾斜地になっているため、庭園からはパリの市街を見渡すことができます。

作品としては主に習作が展示されています。

Rodin-MeudonRodin-Meudon 内部1Rodin-Meudon 内部2

見てくださってる方が多いので若干記事の追加をします。先ず<カレーの市民>の習作です。

カレーの市民Musée Rodin次に、パリ市西部を敷地の北端付近より見下ろすと・・・

当時修復中の屋敷正面。

考える人 Le Penseur (1882)を載せているのがロダンのお墓。

Musée Rodin

バスで行く区役所巡り 10  パリ市役所

   depuis  2001

       最後は パリ市役所  (Mairie de Paris) 。

この3月28日は1871年3月28日に市庁舎で成立した

パリ・コミューン (Commune de Paris) から140年。

72日間という短命の革命政府ではあったが、世界初の労働者階級による民主国家、

政教分離、義務教育、女性参政権の導入など後世に与えた意義は大きい。

Hôtel de Ville ではその記録の展示会が開かれていました。

パリの<自由の女神像>三体

   depuis  2001

パリ工芸博物館(旧国立技術博物館)前 (原像は博物館内に保存・展示されている。)

グルネル橋・白鳥の小径

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     リュクサンブール公園
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リュクサンブール公園の自由の女神像だ。

アルザス地方のコルマール Colmar 出身の彫刻家フレデリク・バルトルディの作品。

エッフェル塔百態 12  アンヴァリッド

   depuis  2001

       アンヴァリッド Hôtel des Invalides 広場 Pl. des Invalides の東北端から見たエッフェル塔。

左に見えている建物が廃兵院で一部が軍事博物館として公開されている。

上の写真の左側に回ってアンヴァリッド正面(下、左)に向いて左手の前庭から見たエッフェル塔。

ロダン美術館 Musée Rodin

   depuis  2001

昨日とはうってかわった雨模様。少し雨がやんだところで朝から美術館にいってきました。
第一日曜日は美術館が無料です。ルーブルやオルセーにはたくさんの人が出ていました。
たくさんの人が利用するので、早めに出発するのが得策です。
今日訪ねたのは久しぶりのロダン美術館。何年か前に美術館の入り口の部分を改装し、すっかりモダンな感じになりました。
お庭も通常なら1ユーロの入場料が必要ですが今日はお庭も無料です。
メトロ13番線Télécharger le plan Métro ligne 13 - PDF - Nouvelle fenêtreでいくなら Varenne で下車、駅構内にもロダンの作品が飾ってあります。
今日はバスライン83でアンバリッドから徒歩で訪れました。

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お庭

とてもきれいなお庭には、新緑のめばえが。リラ(ライラック)の花も咲き零れています。

お庭から美術館を望む

庭奥からみた美術館外観

お庭、地獄門

お庭の地獄門。日本では東京上野の西洋美術館にありますね(右)。

パンサー(penseur)、考える人

お庭。カレー市民

カレー市民

お庭、ヴァルザック

バルザックとアンバリッド。

さて中に入ってみよう。日本人としてはやはり<花子>だろう。ロダンはモデルとして花子を重用し多くの作品を残しているが、下はそのうちの一つ。

日本人女優 花子 をモデルにした彫像

本名 太田ひさ は女優として、19世紀初頭から20年間にわたってヨーロッパ各地で活躍した。

ロダン美術館

入館者が多いせいロダン美術館だろう、床の傷みが激しく順次上のように改修しているようだ。

右の彫像がロダンらしくて好きなのだが、覗き込んでみている女性を見ると何故かこちらが恥ずかしい。

バスで行く区役所巡り 1  15区・16区

   depuis  2001

今パリにきています。今年2度目のパリです。

今回は、バスで区役所を巡っています。

パリ市民の多くが区役所のmariage hall で結婚式を挙げています。

つまり、どの区役所も区民のためのmariage hallを備えているのです。

その様子を紹介することも目的の一つにして、区役所をめぐることとしました。

15区と16区、どちらもなかなか立派です.

参考: バス路線図 (下のバスをクリックしてもみることができます。)

画面のBUS PARIS をクリック

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15区区役所 バス ライン39 ライン70

15e

Désiré Louis Henri Devrez (1824-1896)による建築(1876)。歴史的建造物。

右端にある彫像は15区の住民であった彫刻家ブールデル Émile-Antoine Bourdelle の作品です。

モンパルナス駅にほど近いブールデルのアトリエ兼住居は現在<ブールデル美術館 Musée Bourdelle >となっています。また、右側には、アドルフ・シェリウー広場 Pl. Adolphe-Chérioux が隣接しています。

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16区区役所     Ligne 63

トロカデロ広場から Av. Geroges Mandel を
ブーローニュの森の方へ下って Rue de la Pompe との交差点。

メトロ9号線PA_metro_ligne_9  Rue de la Pompe 下車。前の道路は Av. Geroges Mandel 。

16e