パリの街燈 réverbère 15  ポン・ヌフ

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セーヌ左派流のポン・ヌフと右派流のポン・ヌフ (1578-1607) の街燈。

騎馬像はアンリ4世で、シテ島の下流端近くにあリ上流を向いている。

手前の2つと奥の街燈との違いが分かる。

アンリ4世 (在位:1589-1610) の騎馬像は François-Frédéric Lemot (1772-1827) の作品。

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パリの街燈 réverbère 14  ヴォ―ジュ広場

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パリで一番古い広場 (1612) であるヴォ―ジュ広場 Place des Vosges の街燈は懸垂式。
落葉の進んだマロニエの秋色と背後の建物との調和がいい。

広場 (4区) と建物 (3区) の間の道は、左へ マレ地区 Le Marais の目抜き通り フラン・ブルジョワ通り Rue des Francs Bourgeois に繋がる。「フラン・ブルジョワ」の名は、市民税を払わないくて済むほど貧しい第三身分の平民 (ブルジョワ) をこう呼んでいたことによる。中産階級の人々が住んでいたという意味ではない。

パリの街燈 réverbère 13  ルーブル宮

 

   depuis  2001

ルーブル宮 Palais du Louvre に面する街燈には頭部に十字が付いている。
ナポレオンの中庭 Cour Napoléon。
背後はドノン翼のモリアン館。
パヴィリオン Mollien の外壁は科学をテーマにした彫刻で覆われているが、左に半分だけ見えているのは<歴史と真実 L’Histoire et la Vérité>という  Pierre Loison による1857年の作品。

ノエル Noël の装飾                 ラ・ぺ通り・ヴァンドーム広場・カスティリオーヌ通り

   depuis  2001

ヴァンドーム広場を中心としてオペラに向かうラ・ぺ通り、チュイルリー公園に向かうカスティリオーヌ通りは電飾部材を各種に組み合わせた飾り付けで統一されている。

写真はヴァンドーム広場の様子で、広場に置かれた大きな集合飾りと、パーツを自在に組み合わせた左から宝石店 < Mauboussin> , <Chanel>, <Piaget >の装飾例を見れる。
右端はシーザー風ナポレオンを頂く Colonne の基部。

ショパン最後の家だった現< CHAUMET >の例 (右端) 。左端は PIAGET。
テントは据付け工事用の仮設。

エッフェル塔百態 79  大河の泉/コンコルド広場

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ノエルと新年に向けての準備が整い、
多くの観光客とパリ市民で賑う薄暮のコンコルド広場から見るエッフェル塔。
手前に写っているのは、
広場にある二つの噴水のうち<大河の噴水 Fontaine des Fleuves>と呼ばれるもの。

広場の設計をしたのは アンジュ=ジャック・ガブリエル Ange-Jacques Gabriel (1698-1782) だが、オベリスク/クレオパトラの針を挟んでセーヌ川側の<海の噴水  Fontaine des Mers >と対で噴水を配置した(1836)のは ジャック・イニャス・イトルフ  Jacques Ignace Hittorff (1792-1867) だ。パリ1区と5区の区役所、パリ北駅、フランツ・リスト広場の Église Saint-Vincent-de-Paul も彼の作品。

* * *

昨25日の昼は<フェルメット・マルブフ 1900>で星川君のパリ個展の成功裡での終了を祝した。来月のノエルまで暫しパリとお別れだ。

パリの街燈 réverbère 12 リシャール・レノア大通り Bd.Richard Lenoir   

   depuis  2001

 リシャール・レノア大通りで催された<蚤の市>に出かけた。 メトロ5号線 Richqrd Lenoir 、大通りの中央分離帯の下はサン・マルタン運河。運河の上空を緑道公園化したのはオスマン知事。

街燈は大型でバスティーユ広場まで続く。

秋色のサン・マルタン運河もまた一興だ。奥右手がバスティーユ広場。

この日は写真手前で蚤の市が、奥でバスティーユの朝市が、バスティーユ広場の向こう(南側)では有料骨董市が開かれていた

2012.11.18.

パリの街燈 réverbère 11  Lescure

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コンコルド広場手前のリヴォリ通りを右へ Rue de Mondovi を入った突き当たりにあるレストラン Lescure 付近の街燈。
リヴォリ通りの街燈とは少し違う。
Lescure は1919年からの老舗で、デジュネのセット (アントレ・プラット・デザート・ワインハーフボトル) で25€ 。日本語メニューもある。

パリの街燈 réverbère 10 エリゼ宮 Palais de l’Élysée

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エリゼ宮の街燈。  フォーブル・サントノレ通りの街燈が付いていないのは当然だ。

パリの街燈/エリゼ宮

エリゼ宮殿はアーマンド・クロード・モレ Armand-Claude Mollet の建築による1722年完成の古典主義の建物で、1873年 (1870年から第3共和政) 以降大統領官邸となった。

ポンパドール夫人 (1753-64?) やナポレオン1世と皇后ジョセフィーヌ (1805) の邸宅であったこともある。

パリの街燈 réverbère 9 フォーブール・サントノレ通り

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フォーブール・サントノレ通り Rue Faubourg Saint Honoré 、サントノレ通りの街燈は通りが狭いので沿道の建物に吊下げ型で付置されている。
写真はフランス内務省横の例で、左下に内務省の街燈も見える。

フランス革命後の1790年にルーブル宮にあった内務省は1861年に現在の オテル・ド・ボーヴォ Hôtel de Beauvau (1770 竣工)  (門扉の後方) に移った。パリ西部の200人余りの小さな町マルセイユ Beauvau の騎士の後裔であるボーヴォの元帥 Le maréchal de Beauvau が1770年に名付けて賃借した。
手前のエリゼ宮との間、5本の道路が集まるロータリーは ボーヴォ広場 Place Beauvau という。

パリの街燈/フォーブル・サント・ノーレ

門扉はルイ15世様式 (風)  ferronnerie Louis XV 。柱 (列柱) はトスカーナ風。

パリの街燈 réverbère 8   クレマンソー広場

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クレマンソー広場 Place Clemenceau の街燈。

オテル・ド・ヴィル広場と同一のもの、シャンゼリゼ大通りのもの、メトロの街燈、 マルセル・プルーストの並木道 Allée Marcel Proust (プルーストは<失われた時を求めて>の作者でカフカとともに20世紀を代表するフランスの作家) の街燈と広場の高い街燈の5種が見える。

手前がウィンストン・チャーチル大通りで並木道の左にグラン・パレがあり、左右の通りがシャンゼリゼ大通りでその向こうも並木道だ。広告塔では2012年秋の催し案内がされている。

パリの街燈/クレマンソー広場

パリの街燈 réverbère 7  アルマ橋 Pont de l’Alma

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アルマ橋の街燈。
低い交通標識のようなのがアルマ橋の街燈で左手橋詰のレジスタンス広場の街燈でもある。高い方が右岸橋詰のアルマ広場の街燈

  Ukraine Flag Turkey Flag Tunisia Flag アルジェリア 国旗

橋脚の像は勢力の衰えたオスマントルコの利権をナポレオン三世のフランス、ヴィクトリア女王のイギリス等の同盟軍がロシアと争ったクリミア戦争 (1853-56) で活躍したズアーヴ兵 zouaves (アルジェリア人、チュニジア人で編成したフランス陸軍歩兵) だ。
フランス軍はこの外人部隊でクリミア半島での最初の戦いである<アルマの戦い (1854)>に勝利した。旧アルマ橋はその勝利を記念して架けられた (1854-56) 。
戦後、仏英の発言力は高まり、サルデーニャ王として参戦したヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は5年後の1861年にイタリア統一を果たす。

1910年のセーヌ川の歴史的な大洪水時にはズアーヴ兵の肩まで水位が上がったという。
Georges Diebolt (1816-61) の作品 (1858) 。

  • 2016.06.02.のセーヌ川
-6キャプチャ.PNGアルマ橋
Statue de Zuavues / Pont de l’Alma / La Seine

パリの街燈 réverbère 6  ヴァンドーム広場

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ヴァンドーム広場 Place Vendôme の街燈

背後はオテル RITZ の玄関口でその門燈も写っている。

下は広場入口角の街燈。後ろは法務省。

パリ市庁舎前の街燈と同じだが、この写真でパリの市章がついているのが分かる。

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右上の写真で、金色の王冠の下にダブルエルLL。左にフル―ル・ド・リス。

パリの街燈 réverbère 5 アレクサンドル3世橋 Pont Alexandre III

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アレクサンドル3世橋 Pont Alexandre III の街燈。
<ピラミッド広場のジャンヌダルクの騎馬像>の作者、
エマニュエル・フレミエ Emmanuel Frémiet (1824-1910) の装飾デザイン。

左岸上流側から右岸を見たもので背後は Cours de la Reine の緑道と
左にグラン・パレ右にプチ・パレの建物。

クール・ラ・レーヌは1616年にマリー・ド・メディシスにより造られたパリ最古の緑地公園でコンコルド橋からアルマ橋の間が女王の間と呼ばれていた。第一次大戦時以降アンヴァリッド橋下流区間は同盟国ベルギーの国王の名を付けクール・アルバートI世となる。

左端にアンヴァリッドから橋を越えてクール・ラ・レーヌまで続く街燈も見える。

パリの街燈 réverbère 4  コンコルド広場 Place de la Concorde

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エトワール凱旋門からシャンゼリゼ大通りを下って終点のコンコルド広場には複数の種類の街燈がある。広めに俯瞰すると・・・

金色の<クレオパトラの針>と呼ばれるオベリスクがシャンゼリゼ大通りからの中心で、シャンゼリゼはグラン・パレの方向に街路樹の切れ目のところを右斜めに走る。

手前2連の街燈はリヴォリ通りのもの (広場は擁壁から右) でオテル・ド・ヴィルのそれと同タイプ。その右の街燈がシャンゼリゼ大通りの街燈と同タイプ。
金色の街燈はコンコルド広場だけのもの。

コンコルド広場に設置されている金色の吻側・燭台型街燈。ヒットルフ Jacques Ignace Hittorff (1792-1867) の作品。左端の噴水/海の泉の左がシャンゼリゼ大通り。

ツール・ド・フランスの周回コースはシャンゼリゼからこの噴水の左へセーヌ河岸に出て、右のほうからシャンゼリゼに入る。街燈の手前は金色のゲートを通ってチュイルリー公園だ。

下はシャンゼリゼと同タイプの3連街燈。オベリスクから左端の方角にシャンゼリゼ。

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暗くなると。。。

パリの街燈 réverbère 3             シャンゼリゼ大通り Av. des Champs-Élysées

   depuis  2001

シャンゼリゼ大通りの街燈は二段構えになっている。

プラタナスの葉陰に収まる昔ながらの街燈とプラタナスの街路樹を上回る高さの新式の街燈の2層構造だ。

右はシャルル・ド・ゴール広場と同じタイプの低層街燈で、背景はシャンゼリゼに面する クルチザンヌのパイヴァ公爵夫人の館 Hôtel de la Païva 。右側がエトワール凱旋門。

左は左端に凱旋門のシャンゼリゼ大通りで、刈り込まれたプラタナスの下に右上の街燈が、プラタナスの上には今風のデザインの街燈が見える。街路樹の右側はシャンゼリゼの広い歩道になっているのだが、街燈はよくみると二股になっていて同じものが歩道側にもあることを窺える。

パリの街燈 réverbère 2  凱旋門 Arc de Triomphe

   depuis  2001

シャルル・ド・ゴール広場の街燈の一つ。

オテル・ド・ヴィル広場の街燈と同種のデザインだが少し異なる。
背景は エトワール凱旋門 Arc de triomphe de l’Étoile で、手前がシャンゼリゼ大通りでアーチを潜ればグランド・アルメ大通り。
レリーフは<1810年の勝利 Le Triomphe de 1810>と名付けられているもので、オステルリッツの戦いでのナポレオンの勝利を表す。
Arc のEU 旗とフランス国旗は EU発足15周年記念 のため。

下の街燈は別タイプの新しい街燈で左に比して高さが著しく高い。背後のレリーフは左と同じ。

パリの街燈 réverbère1  パリ市庁舎 Hôtel de Ville

   depuis  2001

パリの街中にはいろいろなデザインの街燈 réverbère があります。
それぞれが風景に溶け込んでいますので、街燈に目が行く人は少ないかもしれません。
そこで、街燈だけに注目して紹介してみることにしました。

まずは オテル・ド・ヴィル Hôtel de Ville パリ市庁舎の街燈からです。

背後の建物が市庁舎で、時計の下に左から<自由・平等・友愛>の文字が見えます。また、左の市旗と国旗とユーロ旗の下には<たゆたえども沈まず>の市章を見ることができます。
なお、樹木は
2008年8月のテンポラリーな造作 (パリ・プラージュと同趣旨でヴァカンスのため) 。

2008年は EU 発足15周年 でした。