パリの街燈 réverbère 15  ポン・ヌフ

   depuis  2001

セーヌ左派流のポン・ヌフとパリの街燈/ポン・ヌフ

右派流のポン・ヌフ(1578-1607)の街燈。

騎馬像はアンリ4世で、シテ島の下流端近くにあリ上流を向いている。

手前の2つと奥の街燈との違いが分かる。

アンリ4世(在位:1589-1610)の騎馬像はFrançois-Frédéric Lemot(1772-1827)の作品。

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パリの街燈 réverbère 13  ルーブル宮

   depuis  2001

ルーブル宮 Palais du Louvre に面する街燈には頭部に十字が付いている。

Cour Napoléon。

背後はドノン翼。

パヴィリオン Mollien の外壁は科学をテーマにした彫刻で覆われているが、左に半分だけ見えているのは<歴史と真実 L’Histoire et la Vérité>という  Pierre Loison 1857 の作品。

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エッフェル塔百態 81 カルーゼル凱旋門/カルーゼル広場

   depuis  2001

カルーゼル広場のカルーゼル凱旋門 Arc de triomphe du Carrousel とエッフェル塔。

カルーゼル凱旋門はチュイルリー宮殿(1871年に焼失)前のカルーゼル広場にオステルリッツの3帝戦などでの ナポレオン・ボナパルトの戦勝 を記念して1809年に設置された。

凱旋門の頭部には当初ナポレオンが ヴェネチア Venise のサン・マルコ寺院から奪った<サン・マルコの馬 Chevaux de Saint-Marc >が置かれていたが、
王政復古後の1828年に現在のものに置き直された。

フランソワ・ジョゼフ・ボシオ  François-Joseph Bosio により彫刻(コピー)された
凱旋と勝利を表すクアリガ Quadrige (4頭立ての一人乗り二輪戦車)の
両サイドに金色で平和の女神を配す。

オリジナルのサン・マルコの馬はヴェネチア美術館にある。    ナポレオン1世の皇帝章

Germany Flag

東西冷戦時ベルリンの東西を分けた ブランデンブルグ門 にも 勝利の女神の乗った<クアドリガ>が置かれているが、この門をくぐったのはベルリンの壁が取り壊されて(1989年)間もないころだった。

各所に壁の一部が残っていて、壁のコンクリート破片がお土産として売られていたころだ。

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今年の漢字は「 金  」になりました。

ロンドンオリンピック2012や
至近の山中伸弥京大教授からの連想が効いていると思います。

ルイ14世騎馬像/ヴェルサイユ宮殿

   depuis  2001

前回来た時には宮殿の中庭にあったルイ14世の騎馬像が2006年から3年間の修復作業を経て前庭に移されていた。朝靄で霞んでいるが左手奥が ヴェルサイユ宮殿 Châtau de Versailles 。

Pierre Cartellier (1757-1831) と Louis Petitot (1794-1862) の合作。
馬を ピエール・ Cartellier が、ルイ14世を ルイ・プティトーが彫像し 、
Charles Crozatier(1795-1855) がブロンズに鋳造した(1829)。

最初は、コンコルド広場にあって革命後破壊された Edmé Bouchardon(1698-1762)作のルイ15世騎馬像を作り直す予定だった(1816年にルイ18世が指示)ものが、
途中で14世の騎馬像に変更された経緯がある。

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ルイ14世騎馬像/ベルニーニ

   depuis  2001

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598-1680)原作のルイ14世騎馬像は1988年以来、ルーブル宮のピラミッドがあるナポレオンの中庭  Cour Napoléon にある(写真)。

バロックの巨匠ベルニーニ(イタリア・ローマ)に王自ら依頼したが、出来栄えが気に入らず破壊を命じたとされる。しかし、この原作にフランソワ·ジラルドン François Girardon (1628-1715)が帽子を被せ、足元に炎をあしらって残ったのがそれだ(レプリカ)。
背景はルーブル美術館のドノン翼/ドノン館 Pavillon Denon。

台座には作者として、後に Le Berni と呼ばれた G.L.Bernini とあり、ジラルドンの名は無い。

原像はベルサイユ宮殿にあるようだが、宮殿の前庭にある騎馬像は別物だ。

また、ジラルドン作のルイ14世騎馬像はヴァンドーム広場に置かれていたが、フランス革命後の1792年にヴィクトワール広場に置かれていたマルタン・デジャルダン Martin Desjardins (1637 – 1694)作の騎馬像と同様に破壊された。
ルーブル美術館にそのミニチュアが残っている。

エッフェル塔百態 79  大河の泉/コンコルド広場

   depuis  2001

ノエルと新年に向けての準備が整い、
多くの観光客とパリ市民で賑う薄暮のコンコルド広場から見るエッフェル塔。

手前に写っているのは、
広場にある二つの噴水のうち<大河の噴水 Fontaine des Fleuves>と呼ばれるもの。

広場の設計をしたのは アンジュ=ジャック・ガブリエル Ange-Jacques Gabriel (1698-1782)だが、
オベリスク/クレオパトラの針を挟んでセーヌ川側の<海の噴水  Fontaine des Mers >と対で噴水を配置した(1836)のは ジャック・イニャス・イトルフ  Jacques Ignace Hittorff (1792-1867) だ。

パリ1区と5区の区役所、パリ北駅、フランツ・リスト広場の Église Saint-Vincent-de-Paul も彼の作品。

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昨25日の昼は<フェルメット・マルブフ 1900>で星川君のパリ個展の成功裡での終了を祝した。来月のノエルまで暫しパリとお別れだ。

聖カトリーヌ Sainte Catherine d’Alexandrie の日

   depuis  2001

モントロン公園 Sq. Montholon にある 大理石製 Julien Lorieux の作品(1909)。La Sainte Catherine    À l’ouvrière parisienne (聖カトリーヌ 働くパリジェンヌ)とある。

25歳を超えた未婚の女性 (当時 Catherinettes と言われていたらしい) が11月25日に帽子を被る伝統があり、その様を題材にしたもの。

サン・カトリーヌ(287-305)は若い女性の守護聖人で、本日が<聖カトリーヌの日>だ。

因みに、ジャンヌ・ダルクの日は5月30日、ROSEの日は8月23日だ。

Julien Lorieux (1876-1915) の作品で<Les Catherinettes (1908)>。

La Sainte Catherine

ロータリーとモニュメント 74 ピエール・Lafue 広場

   depuis  2001

ドレフュス事件(1894-1906) についてはこれまでにいくつか紹介してきた。
(下にある<タグ>をクリックしてもらえば一覧が表示される。)

彼のブロンズの立像が ラスパイユ大通り Boulevard Raspail に6本の道路が集まるロータリー ピエール・Lafue 広場 Place Pierre Lafue にある。

漫画家・彫刻家だった ティム Louis Mitelberg dit TIM (1919-2002) の作品で、
文化とフランス語圏省が1985年に調達し設置した。

ドレフュス大尉に捧ぐ Hommage au Capitaine Dreyfus     TIM (サイン) と台座にある。

折れた剣を眼前に掲げているように見える。

また、案内板には ” Si tu veux que je vive,fais moi rendre mon honneur “ との記載が・・

Pl. Pierre Lafue

 Pierre Lafue (1895-1975) はフランスの作家でジャーナリスト。

メトロ  - PDF - 地図地下鉄ライン12をダウンロード新しいウィンドウ ノートルダム・デ・シャン Notre-Dame des Champs 下車。

ロータリーとモニュメント 73 ジャック・マレット 広場

   depuis  2001

3叉路のロータリーである ジャック・マレット 広場 Pl. Jacques Marette のモニュメントは2頭の雄牛(元はトロカデロ庭園にあった)と写ってはいないが手前にある花壇だ。

広場(公園の前庭でもある)の奥は
ジョルジュ・ブラッサンス公園 Parc Georges Brassens だ。

ジャック・マレット はここ15区選出の上院議員で郵政大臣を務めた。

左右二頭の<牡牛Taureau (1838) >は イシドールジュール·ボヌール Isidore Jules Bonheur (1827-1901) の作品。

フランスの詩人でシャンソン歌手だったジョルジュ・ブラッサンス(1921-81)はこの近くに住んでいた。公園内に彼の胸像がある(入ってすぐ左側の広場の奥。)。

鐘楼は公園になる以前馬のオークションが行われていた名残。

Parc Georges Brassens

ロータリーとモニュメント 71           ギルバート・ギョーマン広場

   depuis  2001

ギルバート・ギョーマン広場 Pl. Gilbert Guillaumin のモニュメントはバルザックの顕彰碑だ。

アントワーヌ・ブールデル Antoine Bourdelle (1861-1929)を教えたアレクサンドル・ファルギエル Alexandre Falguière (1831-1900) の作品 <Honoré de Balzac (1902) >。

 Sociéte des gens de lettres (作家の著作権協会)は バルザック  Honoré de Balzac (1799-1850) の発案により ヴィクトル・ユーゴー、アレクサンドル・デュマ(大デュマ)、ジョルジュ・サンドが参加して1838年に設立された。

手前の通りはフリドラン大通り Av. Friedland で左が凱旋門、右はオスマン大通り Bd. Haussmann に共に一直線。6本の内坐像の後ろを建物に沿って右斜めの道路はバルザック通り Rue Balzac で左斜めに広場を横切る。
石積み擁壁の上は庭部分が公園として開放されていて美しい。

ギルバート・ギョーマン(1801-64)はエコノミスト誌の創設者。

Pl. Gilbert Guillaumin

パリの街燈 réverbère 7  アルマ橋 Pont de l’Alma

   depuis  2001

アルマ橋の街燈。

低い交通標識のようなのがアルマ橋の街燈で左手橋詰のレジスタンス広場の街燈でもある。高い方が右岸橋詰のアルマ広場の街燈

  Ukraine Flag Turkey Flag Tunisia Flag アルジェリア 国旗

橋脚の像は勢力の衰えたオスマントルコの利権をナポレオン三世のフランス、ヴィクトリア女王のイギリス等の同盟軍がロシアと争ったクリミア戦争(1853-56)で活躍したズアーヴ兵 zouaves (アルジェリア人、チュニジア人で編成したフランス陸軍歩兵)だ。

フランス軍はこの外人部隊でクリミア半島での最初の戦いである<アルマの戦い(1854)>に勝利した。旧アルマ橋はその勝利を記念して架けられた(1854-56)。

戦後、仏英の発言力は高まり、サルデーニャ王として参戦したヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は5年後の1861年にイタリア統一を果たす。

1910年のセーヌ川の歴史的な大洪水時にはズアーヴ兵の肩まで水位が上がったという。

Georges Diebolt (1816-61) の作品(1858)。

  • 2016.06.02.のセーヌ川
-6キャプチャ.PNGアルマ橋
Statue de Zuavues / Pont de l’Alma / La Seine

ロータリーとモニュメント 70 テオドール・ヘルツル広場

   depuis  2001

テオドール・ヘルツル広場 Pl. Theodor Herzl のモニュメント。複雑なロータリー。

<ハーモニー Harmonie > Antoniucci Volti (1915-89)の作品。

Hungary Flag   Theodor Herzl(1860-1904)はハンガリーの(ブタ)ペスト生まれのユダヤ人ジャーナリストで、パリ特派員として係ったドレフュス事件(ユダヤ人のフランス陸軍大尉ドレフュスのドイツスパイ冤罪事件)1894-1906を通じてユダヤ国家の建設を主張するに至った。

案内板には「ジャーナリストで作家 ユダヤ人国家の主唱者」とある。

Pl. Theodor Herzl

広場の中にある メトロ  - PDF - 新規ウィンドウ地図地下鉄ライン3をダウンロード  - PDF - 新規ウィンドウ地図地下鉄ライン11をダウンロード アールゼ・メティエ Arts et Métiers 下車。

自由の女神像の原像が保管されている<国立技術博物館>は目の前。

ロータリーとモニュメント 67 オスマン男爵(広場)

   depuis  2001

<ギャラリー・ラファイエット>と<プランタン>の前を通るオスマン大通りにその名を残すオスマン男爵 Baron Georges Eugène Haussmann (1809-1891) の立像はオスマン大通りとミロメニル通りとが交差する7本の道路が集まるロータリーにある。オスマン広場と呼ぶべきかと思うが何故か広場に名は付いていないようだ。

オスマン男爵 Baron G.E.Haussmann はナポレオン3世のもとでパリを含むセーヌ県知事(1853-1870)としてパリを現在の形に改造し、世界に都市計画の範を垂れた人物だ。

彼の目はオスマン大通りからフリドラン大通りを通して一直線に凱旋門を見ている。

手前がオスマン大通りで右に行けばプランタンなどオペラ方面へ、像の向こうのラボルド通りを行けばサント・ギュスタン教会前を通ってサン・ラザール駅前へ出る。

クレマンソー広場にあるクレマンソーの立像の彫刻家 François Cogné の作品 (1889) 。

Baron G.E.Haussumann

セーヌ川の女神(寓意)/Louis Petitot

   depuis  2001

セーヌ川 La Seine の恵みを寓意する女神像だ。

ヴェルサイユ宮殿のルイ十四世の騎馬像の作者
Louis Petitot (1794-1862) による1846年の作品(石造)。

セーヌ川左岸とルーブル美術館を結ぶポン·デュ·カルーゼル Pont du Carrousel の左岸下流側の橋柱にあり、顔はやや左岸上流を向いている。
左脇に置かれた水瓶から溢れる水がセーヌの恵みを表す。

左右岸の上下流に置かれたそのほかの3体、産業 L’Industrie 、豊饒 L’Abondance 、パリの街 La Ville de Paris の寓意像とセットになってパリを誇る。
後ろはルーブル美術館ドノン翼、下流の橋はロワイヤル橋。

La Seine

 

 

ロータリーとモニュメント 66  クレマンソー広場

   depuis  2001

日本で猛虎といえば阪神タイガースだが、
フランスではクレマンソーのことを猛虎宰相と呼ぶ。

「行動を自問するようでは行動的人間とは言えない。」と うそぶいたといわれるクレマンソー Georges Clemenceau (1841-1929) は   第一次世界大戦時のフランスの首相であり、
戦時並びにヴェルサイユ条約締結時のドイツへの強硬姿勢で知られる。

また、ジャーナリストとしてドレフュス事件でドレフュスを擁護した人権派としても有名。

エミール・ゾラ の 「われ、弾劾す。 1898 」は彼の主幹する新聞で公開された。

革命以後のフランスの栄光を代表する行動的政治家でありジャーナリストだ。

グラン・パレ、プチ・パレ、エリゼ宮の面するシャンゼリゼ大通りにクレマンソー広場 Pl. Clemenceau があり、クレマンソーの像(François Cogné(1876-1952)の作)と噴水がモニュメントとしてある。2000年以降、反対側にド・ゴールの像もある。

後ろの建物はプチ・パレ、右側に見える通りがウィンストン・チャーチル大通り Av. W.Churchill で、その右手がシャンゼリゼ大通り、左手がセーヌ川でアレクサンドル3世橋からアンヴァリッドへと続く。

地下には メトロ -  PDF  - 新規ウィンドウ地図地下鉄1号線をダウンロード -  PDF  - 新規ウィンドウ地図地下鉄ライン13をダウンロード Champs-Élysées Clemenceau 。

Pl. Clemenceau

Tunisia Flag

経済学者ケインズはヴェルサイユ条約締結時におけるフランス(クレマンソー)のドイツに対する強硬姿勢をローマのカルタゴに対するそれに例えて<カルタゴ式平和>と揶揄した。

カルタゴは三次にわたるポエニ戦争の結果、徹底的にローマに滅ぼされる(紀元前146年)まで地中海を支配した海洋都市国家だが、現在のチュニジアの首都チュニスにあたる。

本日、当時アフリカといえばカルタゴのことであったといわれる現チュニジアからのアクセスがあった。アフリカからは今年の2月25日以降で初めでだ。

ロータリーとモニュメント 65  カトルー将軍広場

   depuis  2001

マルゼルブ大通り Bd. Malesherbes と ヴィリエール大通りとが斜めに交差し長方形のロータリーに7本の道路が集まる カトルー将軍広場 Pl. Général Catroux 。旧名はマルゼルブ広場

愛称が長らくトロワ・デュマ広場であっただけにモニュメントは<岩窟王/モンテクリスト伯>のアレクサンドル・デュマ(大デュマ)、<椿姫>のアレクサンドル・デュマ(息子デュマ)等のモニュメントがある大広場だ。

大デュマ Alexandre Dumas 1802-1870 はナポレオンの配下にあった父デュマ将軍が白人と黒人とのハーフであったことで代々人種差別を受けていたことでも知られるフランスの著名作家。

大デュマは生誕200周年の2002年になってやっとパンテオンに祀られたが、その際シラクは人種差別の事実に言及し謝罪したという。

ドレ Paul Gustave Doré Louis Christophe (1832-83)の作品(1883)。

Pl. Général Catroux

< 足枷/手枷 Fers >

ナチ占領下の1913年に破壊されたデュマ将軍の功績碑に代わるものとして、功績碑と合わせて2008年にパリ市が設置した。

fers

カトルー Georges Catroux (1877-1969)将軍は第一次、第二次大戦のフランス、自由フランス陸軍の職業軍人であり外交官。

ロータリーとモニュメント 63  ケベック広場

 depuis 2001

サン・ジェルマン・デ・プレ教会横のケベック広場 Place du Québec のモニュメント。
最近修復された。

地震でタイル舗装が隆起し地下水が噴き出ているようなオブジェなので、清掃を欠かせない。

左右に横切るのがサン・ジェルマン大通り  Bd. St-Germain で、モニュメントに沿って左からレンヌ通り Rue de Rennes が合流し、右からボナパルト通り Rue Bonaparte が教会前のサン・ジェルマン・デ・プレ広場 Pl. St-Germain des Prés  へ突き抜ける。さらに真っ直ぐ進めばボザールの横を通ってセーヌ川に出る。

左端に見えるのがレ・ドゥ・マゴ Les Deux Magos でその左のカフェ・ド・フロール Café de Flore とともにサルトルのカフェとして有名な老舗カフェだ。

Pl. du Québec

 

 Canada Flag

パリで好きな現代アートがおいてある広場のひとつです。記事にあるとおり、ブロンズでできたFontaine(泉)となっていて、1984年にケベック州から寄贈されました。その後1980年にこの広場はケベック広場の名称で呼ばれることとなりました。建築家アルフレッドGindre と彫刻家チャールズDaudelin とによる作品で、噴水は、セントローレンス川で春に崩壊する氷塊を表現しています。探検家ジャック·カルティエのカナダ発見450周年の記念。ブルトン人カルティエの胸像はカナダ広場にあります。

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デ・プレ教会(右端)横のサン・ジェルマン大通りから見た両カフェ。2008.02.07.

Les Deux Magots / Café de Flore

レ・ドゥ・マゴには数回はいったことがありますが、カフェ・ド・フロールはまだありません。カフェ・ド・フロールのほうが最近は、若い人に人気のような感じです。日本人のギャルソンもいるようですよ。カフェ・ド・フロールの隣には日本食屋さん、円があります。

ロータリーとモニュメント 6  レピュブリック広場

   depuis  2001

長方形ロータリーの レピュブリック広場  Place de la République

タンプル通り Rue du Temple & Rue du Faubourg du Temple が
中央を横切っている双子ロータリーだ。

広場にはホームレスなどもいるので、
この辺りではキョロキョロ・ウロウロしないのが賢明だ。

2012年2月現在、広場の改修中。終われば、観光客を取り戻せるかも。

1879年に第三共和国の発足(1870年)を記念して設置されたモニュメント。

フランス共和国を寓意する<マリアンヌ>の像を<自由><平等><友愛>を象徴する3つの像が支え、さらにそれらを1789年のフランス革命時のテニスコートの誓いやバスティーユの襲撃など12のレリーフが支える設計になっている。
加えて、勇気を暗示するライオンを正面に配している。

右が自由の女神像で左手で自由の炎をかざしている。左が平等の像で右手に三色旗を持っている。マリアンヌが右手でかざしているのは平和を表すオリーブの木、
被っている帽子は自由を表すフリジア帽だ。

建築家と彫刻家のモーリス兄弟の作。

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2012年8月現在の広場の状況。

マリアンヌ像の左右の交通も遮断し広場全体を囲っての大改修中で、ロータリーの通行もこれまでとは全く違っている。もともと分かり難いのに変更されたバス停を覚えるのに一苦労だ。

看板に描かれている完成後の広場の予想図をみると、
横断する道路を廃して左右一体の大広場となるようだ。

工事期間は、2012年1月から2013年春までとなっている。

パリの他例から察すればきっと遅れることだろう。

Pl. de la République /2012.08.05

改装工事は終了し、バリアフリーの大広場として再生した。  2013.07.28.

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ロータリーとモニュメント 2  ナション広場

   depuis  2001

      ナション 広場  Place de la Nation のモニュメントは Monument de la République だ。

Monument de la République -Nation

エメージュ・ダル― Aimé-Jules Dalou が20年をかけたといわれる代表作 Le Triomphe de la République (共和国の勝利あるいは共和国の凱旋) 1899年 で女性はフランス共和国を象徴するマリアンヌだ。フリジア帽を被っている。

1889年のフランス革命100周年を記念したもので、自由・正義・教育・平和 を寓意したものだ。落成式の挙行された1899年は<ドレフュス事件>に転機が訪れた年でもある。歴史の妙というべきか?

像の向きはフォーブル・サン・アントワーヌ通りをとおしてバスティーユ広場、その先はエッフェル塔だ。

メトロ2号線、6号線の始発駅であり、1号線、9号線とRER  A線 の停車駅である Nation はエトワールと対をなす大型円形ロータリーの地下だ。12本の放射道路のうちヴァンセンヌへ一直線のBd. Cour de Vincennes で開かれる朝市は規模の大きさで有名だ。

ニューヨークのバッテリーパークで到着列車が折り返すのではなくそのままぐるっと回って始発列車になるのに驚いたことがあるが、メトロ2号線は到着列車が進行方向を変えることなくそのまま始発列車になる。広場の大きさが想像できようというものだ。

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ここしばらく続いていたナション広場の改修がほぼ一段落し、大木の伐採と潅木花木の植栽でモニュメントの見通しもよくなった。また同時に進行していた像後方の Trône の改装も終了した(写真右の2本の円柱)。Cours de Vincennes の大規模改良もトラムの新設工事に関連する部分を除き概成した。(2011年8月)

ポルト・ド・ヴァンセンヌ Port de Vincennes を通るトラムの工事はレールの敷設に続き架線も引き終わり植栽もされて開通が間近い。(2012年8月)

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2011/07/23 の朝市で・・ウサギLapin と花

ロータリーとモニュメント 61  ラ・ソルボンヌ広場      秩序と進歩/ブラジル国旗

   depuis  2001

ブラジルの国旗 Brazil Flag にある<秩序と進歩 Ordem e Progresso>は
フランス革命後の社会の混乱を背景にその秩序と進歩を探求した 社会学の元祖オーギュスト・コント Auguste Comte(1798-1857) の言葉だ。

ブラジルが共和制になったのは1889年、フランス革命後100年目にあたる。

サンミッシェル大通り Bd. St-Michel に面する ラ・ソルボンヌ広場 Pl. de la Sorbonne  に彼のモニュメントがある。<全てに(色々)有難う>の落書きがみえる。
永遠を寓意する棕櫚を捧げているのは聖母子に擬えたクロティルデ・ド・ヴォー Clotilde de Vaux (1815-46)で、コントが熱烈に愛した(1844-46)詩人。右は学習中のプロレタリア。

ミラボー橋の4彫像の作者、Jean-Antoine Injalbert (1845-1933) の作品 Monument à Auguste Comte (1902) 。

エッフェル塔百態 69  アンリ4世騎馬像

   depuis  2001

シテ島(ポン・ヌフ橋)上のアンリ4世騎馬像 Statue équestre d’Henri IV を右端に、真ん中にフランス学士院を重層したエッフェル塔。

フランス学士院とエッフェル塔を除けば写っているのはすべてシテ島上。

騎馬像の向こうはシテ島の下流端の緑地  で、階段を下りると ポン・ヌフ公園 Parc du Ponu Neuf 。セーヌ河畔にも出られ、バトウ・ムッシュの乗船場でもある。

ポン・ヌフの起工はアンリ3世の治世だが、アンリ4世治世の1607年に竣工した。

台座にはラテン語で HENRICI MAGNI とあるが、これはアンリ4世の愛称である大アンリ Henri le Grand の意味だ。

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エッフェル塔の左に街燈とその足元に<ヴェリブ Vélib’>の貸し出し所が見える。

ロータリーとモニュメント 60  Michel Debré 広場

   depuis  2001

セーブル通りなど6本の道が交差する  Michel Debré 広場  Pl. Michel Debré  は                                                                          赤十字の交差点 Carrefour de la Croix Rouge と呼ばれていた。

カルフール  Carrefour は世界に展開するスーパーマーケットとしてお馴染みの名詞だ。

広場のモニュメントは彫刻家 César のケンタウルス Le Centaure ( 1985 ) だ。

フランス文化省が製作を依頼した。

右に見えているのがセーブル通りで、左奥の緑の先が Le Bon Marché 。

Pl. de la Croix Rouge

 Michel Debré (1912-96 ) はレジスタンスで、
戦後のド・ゴール政権下で大臣・首相を務めた。

エッフェル塔百態 67 パリの守護聖人聖ジュヌヴィエーヴ/トゥールネル橋

   depuis  2001

サン・ルイ島とセーヌ左岸に架かるトゥールネル橋上流、サン・ルイ島からのエッフェル塔。トゥールネル橋上のモニュメントが<パリの守護聖人聖ジュヌヴィエーヴ>だ。
パリの中心であるサン・ルイ島、シテ島から上流方向、つまり外を向いていることによってパリを守護していることを表現している。
ポール・ランドウスキー Paul Landowski (1875-1961)による彫刻( 1928)。

Brazil Flag
彼はリオ・デ・ジャネイロのコルコバード Corcovado の巨大キリスト像(1922-31)の作者として世界に知られている(初めて見て、山上の像の足元に立った時は本当に驚いた)。

Tour Eiffel / Pont de la Tournelle

 Tournelle は12世紀に建設された<フィリップ・オーギュストの城壁 Enceinte de Philippe Auguste>の四角い塔(砦)の名。
城壁で囲まれたここより下流、現芸術橋付近までがパリ市内だった。

フランスの哲学者モンテーニュ Montaigne / ソルボンヌ

   depuis  2001

<随想録 Essais >で知られる16世紀フランスの哲学者モンテーニュの像がソルボンヌの正面にある。ポール・ランドウスキー Paul Landowski (1875-1961)の作品(1933)で、オリジナルはマーブル。

写真で、右足の靴が輝いているのは学生が試験前に撫でる伝統があるからだそうだ。

台座には、「パリは私の子供の頃の私の心だった・・」と 随想録の一節が刻まれている。

モンテーニュはボルドー出身の市長も務めた大金持ちの跡取りで、自身も市長も務めた。

18世紀の啓蒙哲学者モンテスキューもボルドー出身。

像の前のSorbonne/パリ大学 Ⅳ Université de Paris と カルチェラタンを貫く Rue des  Écoles 。

Sorbonne

エッフェル塔百態 63  ジョフリ広場

   depuis  2001

旧陸軍士官学校前の ジョフリ広場 Place Joffre から見るエッフェル塔。

ジョフリ広場のモニュメントは第一次大戦時のフランス元帥(1916) Joffre の騎馬像で、
エッフェル塔の向こうに位置するトロカデロと11月11日広場のフランス元帥(1918) Foch の騎馬像とエッフェル塔を挟んで一直線上で向き合っている。

先輩であり、またパパ・ジョフリと愛称された人気のジョフリ元帥が
陸軍士官学校前を占めているわけだ。

Fontaine Louvois / 川の女神

   depuis  2001

オペラ大通りの近く日本食店の並ぶサンタンヌ通りを入ったところ (Square Louvois)  に川の女神をあしらった噴水がある。ルヴォアの噴水 Fontaine Louvois  だ。

フランスの4大河川である セーヌ川 (la Seine)・ロワール川 (la Loire)・ガロンヌ川 (la Garonne)・ソーヌ川 ( la Saône) に敬意を表したもので、マロニエを背にそれらの女神像が美しい。

ソーヌ川はリヨンでスイスのレマン湖からくるローヌ川 ((le Rhône) に合流する支流なのだが、ローヌ  が男性名詞なのでソーヌを使っているわけだ。

女神の乗る水盤を支えているのはやはり4体の<いるかに乗ったトリトン>だ。

トリトンはギリシャ神話の海神ポセイドンの息子で、波を操るホラ貝を手にし人魚のように具象される。

Fontaine Louvois

セーヌとガロンヌの女神は見えない。右の建物はリシュリュー通りに面するフランス国立図書館。

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左岸からルーブル宮に渡るカルーゼル橋の左岸下流側の橋塔はセーヌ川を表象する女神像(ルイ・プティトー作の坐像 1846) だ。左手に抱えた水瓶からこぼれる水でセーヌの恵みを表現している。

アルマ広場には LA SEINE の女性像があるがとても女神には見えない。

Saint Louis /ルイ9世

   depuis  2001

サン・ルイ島にその名が残り、シテ島のステンドグラスが最高のサント・シャペルの建設者である ルイ9世 は saint に列せられた唯一のフランス王(在位 1226-1270)である。

サン・ルイ伝に、ヴァンセンヌをたびたび訪れて
オークの木陰で民の調停をしたという記述がある。

下の写真はヴァンセンヌ城の正面右端にある Statue de  SAINT LOUIS (1906 Mony 作)。

第8回の十字軍遠征中チュニジアで病没、その遺灰がフランスに帰って700周年にあたった1971年にパリ市からヴァンセンヌ市に寄贈されたもの。

Statue de SAINT LOUIS

クリスタル・グラスのサン・ルイ。1767年にルイ15世から名前をもらって王立のガラス工場となり、1781年にクリスタルの開発に成功。
ラリック、バカラもいいが、長らく愛用しているのはサン・ルイだ。

セントルイスはアメリカ合衆国の中都市でリヨン市と姉妹都市。
セントルイスブルースはジャズの名曲。

ヴァンセンヌ城 Château de Vincennes の裏門、森の塔 Tour du Bois 前、ヴァンセンヌの森 Bois de Vincennes に面する大広場は Esplanade St-Louis と呼ばれる。

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サクレクール寺院正面左にサン・ルイの騎馬像がある
(右はサン・ジャンヌ・ダルクの騎馬像)。

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ヴァンセンヌ広場(大通り) Cours de Vincennes からナシオン広場への入口、王座の道に立つ王座の塔 Colonnes du Trône の右側はサン・ルイの立像だ。
左はフィリップ・オウギュストの立像。

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ヴァンセンヌの荘園にあったオーク chêne の大木の下で下々の争いごとの調停をしたというサン・ルイのオーク  Chêne votif de Saint Louis 。

現在のオークは、1952年にパリ大司教/枢機卿による祝福を受けて、ヴァンセンヌの副市長によって植樹されたもので60年を越す。ヴァンセンヌ城  Châtau de Vincennes  にある。

この日も強い日差しだったが、
オークの木陰でヴァンセンヌ城の見学者が車座に座って説明を受けていた。

093

パリの市章/たゆとうとも沈まず

   depuis  2001

 サン・ドニ門からサン・ドニ通りをパリの中心部に向かって歩いて右側にパッサージュ Passage du Grand Cerf を通り抜けたところでパリ市の市章を見つけた。

市立の保育園/幼稚園 e’cole maternelle の建物だ。

市章の上には国旗が、その上には自由・平等・友愛の文字が埋め込まれている。

<たゆとうとも沈まず> 帆船が市章になっているのは船頭の組合長が代々シテ島を支配してきたことに由来するといわれる。

もともと、パリの守護聖人 聖ジュヌヴィエーヴがフン族の侵略からパリを守った故事(464年)に起源するともいわれる。

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メトロTélécharger le plan Métro Ligne 1 - PDF - Nouvelle fenêtre の Hôtel de Ville  のタイル張り壁面にある市章 は色つきでわかりやすい。

ラテン語で<揺蕩えども沈まず>とあり、
レジョン・ドヌール勲章 Ordre national de la légion d’honneur、解放勲章 Ordre de la Libération(ロレーヌ十字 Croix de Lorraine )、第一次大戦の十字 Croix de guerre 1914-1918 が吊るされている。

パリの市庁舎 Hôtel de Ville の2枚の飾り窓にある市章は。。。

波と帆船の上に(王政時代から使われてきた王の紋章/青地に百合の花)
フランスの国花、百合。

シールド(盾)の左にオーク(永続)、右に月桂樹(勝利)の小枝をクロスに。
サミットに冠(王政時代のものではなく、城壁)。

オルセー美術館 Musée d’Orsay にある市章は。。。

15区区役所の市章

5区区役所の市章(パンテオン広場)
上段に<自由><平等><友愛>、中段に<5区区役所>とあって、その下の
パリ市章にラテン語で<揺蕩えども沈まず>とある。
133
3区区役所 マリア―ジュ Mariages の間のガラス窓に…
163

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街燈に市章が… 街燈の脚部の多くで見られるので、4754最も身近なパリの市章と言ってよい。写真はラ・ファイエット通り Rue La Fayette のもの。 例えば、ヴァンドーム広場に行かれたときには街燈にも目お向けてみてください。.

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<パリ市立プチ・パレ美術館  Musée des Beaux-Arts de la Ville de Paris > に入ったら天井を見上げてみよう。エントランス・ホール中央にパリ市章を見ることができる。 040 プチ・パレはW.チャーチル大通りを挟んで前のグラン・パレとセーヌ川に架かるアレクサンドル3世橋とともに1900年のパリ万博時に建設されたもの。
* * * 005
全国レジスタンス評議会 CNR (Conseil National de la Resistance) 70 周年の案内板に付けられたパリ市章。 2013.08.25.日の今日、パリ市役所前広場 Place de l’Hôtel  de Ville de Paris で16時30分から記念式典が公開で催される。 しかし、現地時間で午後4時にはCDG 空港に向けて出発するので、見ることはできなかった。 明日26日午後には環境が激変する。
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モンソー公園 Parc  Monceau も夏の日光浴に人気の公園だ。 リオ・デ・ジャネイロ広場前の門扉の塗装が新しくなってパリ市章が見易くなっていた。 1148
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ビュット・ショーモン公園の外周鉄柵にあるパリ市章。
左が月桂樹、右がオークになっている。

373

消防署に見られるパリ市章

左はパリの市章で、帆船の上に国花の百合が王の紋章風に置かれている。 4187

レピュブリック広場 Pl. de la République  の中心にある<フランス共和国(1870 から第3共和政)とパリ市の栄光を記念する碑 (1883)>の台座に取付けられた高浮き彫りのパリ市章。 現在の市章は帆一枚だが、ここでは3枚だ。レジョン・ド・ヌール章は付いていない。
また、左右の小枝は対称形で、いずれも月桂樹のように見える。 388

プチ・パレの玄関入り口のゲートにあるパリの市章。 1288豪華さに圧倒されて気付かないかも知れない。 1900年のパリ万博のもの。マストは3本だ。

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モンソー公園の池に架かる太鼓橋に取り付けられたパリの市章。 マストと帆は3本、3枚。 <Fluctuat nec mergitur. たゆたえども沈まず>は読みづらくなっている。 1143

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カルナヴァレ美術館で見られるパリの市章。 門扉のアーチ部の中心にパリの市章が付けられていて、フランス革命100周年の1889年が刻まれている。
オスマン男爵(セーヌ県知事)の勧告で1866年にパリ市が買収した。 188

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四季の泉に刻まれたパリの市章

グルネル通り、<マイヨール美術館 Musée Maillol >のエントランスにもなっている四季の泉に浅浮彫されたパリの市章。

082

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<聖ジュヌヴィエーヴの泉 Fontaine Sainte-Geneviève >にパリ市章。

聖ジュヌヴィエーヴが祈りのため上り下りした道として残っているラ・モンターニュ・サント・ジュヌヴィエーヴ通り Rue de la Montagne Ste-Geneviève の修道院がもう少しという所に円型の<聖ジュヌヴィエーヴの泉 Fontaine Sainte-Geneviève >がある。

聖ジュヌヴィエーヴの丘の頂上に近い険しいロータリーなのだが広場の名は付いていない。

泉のフェンスにはパリの守護聖人 / 聖ジュヌヴィエーヴ所縁の
パリの市章が取り付けられている。

パリ市の案内板の向いている方にラ・モンターニュ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りが急勾配で下っていて、泉の右側を上ると間もなく頂上だ。

パリの香りを嗅ぐ・・として
古い道で食材店やレストラン等が並ぶムフタール通り Rue Mouffetard (看板の向こうに歩けば通りに至る)等への散策路(徒歩・自転車)を案内している。

142

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パリ9区のサン・ジョルジュ支所(多分)に見られるパリ市章
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<揺蕩えども沈まず>とあり、フル―・ド・リスと3本マストの船のシールド(盾)の左に月桂樹、右にオークを置き、上に王冠風の城壁を乗せている。

1170

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元サン・マルタン・デ・シャン修道院:現国立工芸院の北西端にある

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<緑の森の泉 Fontaine du Vert bois >に見られるパリ市章。

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頭部にフランス王の紋章が付いているのはこの泉がルイ14世の命により建設されたからだ。

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パリ最古の泉は王の道:サン・ドニ通りに装飾目的で建設された

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<罪のない泉 Fontaine des Innocents (1549)>だが、

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この泉は公共用の給水所の第一号(1712)で、元は少し北側にあった。

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オスマン計画で障害となったが、ビクトル・ユゴーの嘆願により

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現在の場所に移転(1882)されて残った経緯を有している。手前の道路はサン・マルタン通り。

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制作者は古典主義の建築家 ピエール・ブレット Pierre Bullet (1639-1716) 。

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パリ5区のブーランジェ通り Rue des Boulangers にある小学校に見られるパリの市章 Blason

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マストは3本、月桂樹が左で右にオーク。

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パリでは過去において男女別学が多かったため、建物にも男子/女子いずれかが刻まれていることが多いが、

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ここは共学 Mixte と強調されている。

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レストラン KOKORO はこの向かい側左手にある。

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Emblème de Paris / École élémentaire Mixte / Rue des Boulangers

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パリの市章 / オテル・ポトツキー

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パリの市章 / Château de Champs-sur-Marrne

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Emblème de Paris / Château et Parc de Champs-sur-Marrne

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パリ市章 / 王座の円柱 Colonnes du Trône

Blason de Paris / Colonnes du Trône / Avenue du Trône

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ロータリーとモニュメント 56  ガイヨン広場

   depuis  2001

レストラン<ドゥルーアン>の面する
ガイヨン広場 Place Gaillon のモニュメントは泉 Fontaine だ。

建物にはめ込んだ型の(水飲み場・水道)泉 Fontaine で、
レストランの名が <La Fontaine Gaillon >だ。

写真の中央アーチの部分がフォンテーヌで、1707年に起源をもち、
1828年 (MDCCCXXVIII) に改修の終わった古い泉だ。
ルイ・ヴィスコンティ Louis Visconti (1791-1853) の作品。

彼は後に、モリエールの泉(1843)や
サン・シュルピスの噴水(1848)を手掛けることになる。

Pl. Gaillon

ルイ13世騎馬像 / ヴォージュ広場

   depuis  2001

パリで最も古い橋は皮肉にも新しい橋ポン・ヌフであることはすでに紹介したが、パリで最も古い広場が ヴォ―ジュ広場 (1605-1612) だ。
いずれもフランソワ1世と並んで最も人気の高いフランス王アンリ4世の治世 (1589-1610) の建造物だ。
この広場にアンリ4世の後のルイ13世の像が建てられたのが1639年で当初は Charles Dupaty (1771-1825) 作のブロンズ像だった。
ヴィクトワール広場 のルイ14世の騎馬像ともどもフランス革命後に取り壊されたが、1829年11月4日に現在の像に建て替えられた。Dupaty と Cortot によるマーブルの作品。

ヴォ―ジュ広場 Place des Vosges の周りは王の館 (下写真上) 、王妃の館 (下写真下) を含め四角にコリドール付きレンガ造りの36の館が取り囲んでいる。

写真の樹木はマロニエだが、枯葉が舞う9月も風情がある。
広場に面する回廊も随分綺麗になってきた。

ヴィクトル・ユゴーが住んでいたところが
<ヴィクトル・ユゴー美術館> になっている(下写真上左奥)。

王の館

王妃の館

ロータリーとモニュメント 55  ロシャンボー広場

   depuis  2001

ロシャンボー広場 Place Rochambeau  のモニュメントは

アメリカ独立戦争の終盤の1780年7月にフランス遠征軍の最高司令官(当時中将)として参戦した

ロシャンボー元帥 Maréchal Comte de Rochambeau の立像、Fernand Hamar (1869–1943)の作(1933))だ。

翌1781年10月、大陸軍のワシントンとともに天下分け目のヨークタウンの戦いでコーンウォリス侯爵率いるイギリス軍を破った。

この戦いでは海上封鎖したグラース提督、ラファイエットの陸軍部隊も勝利に貢献した。

ロシャンボー伯爵はこの功績でアメリカ建国の父の一人に数えられている。

台座右横には<フランス軍最高司令官/1781年10月19日ヨークタウンの奪取を記念して/アメリカ独立戦争/1775-1782>とある。

<ガリエラ美術館>はこのロータリーに面してある。

詩人の夢 Le Rêve du Poète / カナダ広場

   depuis  2001

Canada Flag

グランパレの裏側 Cours la Reine からフランクリン・ルーズベルト大通りを入ってすぐの
カナダ広場 La Place du Canada に<詩人の夢 Le Rêve du Poète d’Alfred de Musset> と題されるモニュメントがある。

詩人の名は ジョルジュ・サンドとの色恋(ショパンの前)で知られるアルフレッド・ド・ミュッセ Alfred de Musset で、死後再評価されたフランスを代表する詩人のひとりだ。

彫刻家モンセル・ド・ぺリン伯爵 le comte de Moncel de Perrin 1907年の作品。

ミュッセの記念碑(坐像)はモンソー公園にある。

広場の一角は Jardin de la Vallée Suisse と呼ばれる小公園で、フランスによるカナダの植民地化につながる探検家 ジャック・カルティエ Jacques Cartier の像などがある立体的で独特の異空間となっている。

Le Rêve du Poète d'Alfred de Musset

パリ万博1900/スイス館の名残で Jardin de la Vallée Suisse と呼ばれていたが、現在は Jardin de la Nouvelle France と言うらしい。
カルチエのバストは公園内にあったと思ったが、今は地上にある。

Aou.2013.

ロータリーとモニュメント 54 アメリカ合衆国広場 / La Fayette

   depuis  2001

イエナ広場からイエナ大通りを通って凱旋門に行く途中にロータリー/グラース提督広場 Place Amiral de Grasse と接してアメリカ合衆国広場 Place des États Unisがある。

グラース提督 (1722-88) はアメリカ独立戦争でヨークタウン攻略のためのチェサピーク湾の海上封鎖で勝利に決定的な貢献をしたフランスの海軍中将。

広場の一番奥(西側)にはラファイエット La Fayette と ワシントン (1732-99) の像 Monument à Washington et La Fayette があり、また、中ほどにジェファーソン公園もあり、全体が大きなロータリーになっている。

自由の女神像の作者として知らない人のいないアルザス/コルマール生まれのオーギュスト・バルトルディ Auguste Bartholdi (1834-1904)の作品(1895)。

<ギャラリー・ラファイエット>の名に使われている ラファイエット (1757-1834) はグラース同様侯爵で、駐フランス公使だったベンジャミン・フランクリンの支援要請に感銘し義勇兵として独立戦争に参加、ワシントン指揮下で少将として活躍した。後のフランス革命のフランス人権宣言の起草者として世界に知られている。

ギャラリー・ラファイエットの名は、オスマン大通りから始まるラファイエット通りとの角地に立地したことで商標登録したものらしいが、ラファイエット通り Rue La Fayette の名は1830年の7月革命時に国民軍司令官だったラファイエットを顕彰したものだ。

アメリカの学生たちが政治家・軍人・愛国者としてラファイエットに感謝をこめて建立した騎馬像がセーヌ右岸の Cours la Reine にある。

アメリカ合衆国の独立宣言を起草し、3代目の大統領となるトーマス・ジェファーソンはフランス革命勃発時のアメリカ合衆国駐フランス公使で、ジェファーソン公園にその記載がある。

<バカラ美術館>は広場の南側に面してある。10区にあったころ足繁く訪れたのが懐かしいが、ここに移ってからは一度きりだ。

ロータリーとモニュメント 53  ルネ・カサン広場

   depuis  2001

ルネ・カサン広場 Place Renè Cassin はレ・アール Les Halles 地区の市場移転跡地一帯の再開発事業に伴って道路の地下化が図られたため
現在ではロータリーの機能は失われ緑地帯の一部になっている。

オブジェは L’Écoute (聞く)と題する Henri de Miller(アンリ・ド・ミラー)1986年の作品。

正面はサントゥスタッシュ教会 St-Eustache 。左に商・工品取引所、右にショッピングセンター( Forum des Halles ) がある。間の緑地はただ今改修中で立ち入り禁止。

Pl. R.Cassin

広場の名となっているルネ・カサンはフランスの法学者で国際連盟のフランス代表を長らく務めた。また、1948年に国連総会で採択された<世界人権宣言>の起草者としてノーベル平和賞を受賞している。

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オブジェ L’Écoute (聞く)を残して広場の掘削の進んだ工事の現況。     2012.11.14.

ロータリーとモニュメント 51 サン・ミッシェル広場 / Fontaine Saint Michel

   depuis  2001

オスマンのパリ改造計画の一環をなすサン・ミッシェル大通り Bd. Saint MIchel (写真左)とセーヌ川(写真手前)との交差部に設置された
サン・ミッシェル広場 Place St-Michel のモニュメントが Fontaine Saint Michel だ。

シャトレ広場で対をなすシャトレ劇場とパリ市立劇場の建築設計をした
ガブリエル・ダビウ Gabriel Davioud の設計で、
中央アーチで悪魔を踏みにじっているのはもちろん大天使ミカエルだ。

彫刻はフランシスカ・デュレ  Francisque Duret (1804-65) の作、
<Saint-Michel terrassant le dragon>。

噴水の両脇に配された一対の翼竜の彫刻家は
パイヴァ侯爵夫人の館の暖炉に彫刻を施したアンリ・アルフレッド・ジャックマール。

左右4本の石柱はコリント様式。
上部の銘板に MDCCCLX とあり、1860年に完成したことが分かる。

Pl. St-Michel

ロータリーとモニュメント 50  ポルト・ド・サン・クルー広場

    depuis  2001

10本以上の道路が複雑に集まる巨大ロータリー ポルト・ド・サン・クルー広場 Place de la Porte de Saint  Cloud のモニュメントは一対の巨大石柱(噴水)だ。

セーヌ川の水源をシンボライズした浅浮彫を施した二つの噴水で、
ポール・ランドウスキー Paul Landowski (1875-1961) の作品(1936)。

オペラ座近くのエドワード7世広場にある エドワード7世の騎馬像 は彼の作(1913)だ。

Pl.de la Porte de Saint Cloud

ロータリーとモニュメント 49  1944年8月25日広場

   depuis  2001

ルクレール将軍 Général Leclerc が1944年8月25日にドイツ占領下のパリに電撃入城を果たしたポルト・ドレアン Porte d’Orléans が1944年8月25日広場 Pl.du 25 Aoùt 1944 だ。

Pl.du 25 Aoùt 1944 7本の道路が集中する巨大なロータリーでモニュメントは第二次世界大戦時におけるルクレール将軍下の兵士達を慰霊する台座上で北方のパリ市内を見渡す将軍の立像とその前に展開する功績碑だ。2本のフランス国旗が像の左右に配されている。

正面の通りにはルクレール将軍大通りの名が冠されている。突き当りに見えるのがネオロマネスク様式のサンピエール・ド・モンルージュ教会だ。

ロレーヌの十字架はジャンヌ・ダルクが用いたもので、自由フランス軍がこの紋章を使った。Vとダブル十字で自由フランスの勝利を表している。

Pl.du 25 Aoùt 1944 -2

ルクレール将軍(1947年にアルジェリアで死去、45歳 元帥を追贈)は1944年8月25日にモンパルナス駅でドイツの降伏文書に署名、ヒトラーの焦土作戦指令(パリは燃えているか?)を回避した。また、1945年9月2日に東京湾上の戦艦ミズリーの甲板で行われた大日本帝国の降伏文書調印式にフランス代表として署名している。最近顕彰碑が置かれた(左)。ジャンヌ・ダルクが用いたロレーヌの十字架とフランス国土の紋章( Insigne de la 2 e division blindée )は<ノルマンジー上陸作戦>時のルクレール将軍率いる第二機甲師団(フランス軍)のものである。パリに電撃入城したのも第二機甲師団だ。(転載。リンクをクリックしてください。)

ギョーム・アポリネール Guillaume Apollinaire へのオマージュ / サン・ジェルマン・デ・プレ教会

<ミラボー橋の下をセーヌは流れる。私の恋も流れる・・>マリー・ローランサンとの愛とその終焉を詠った詩<ミラボー橋>の作者として、また<シュールレアリズム>の名付け親としても知られる詩人アポリネール(1880-1914)の顕彰碑がサン・ジェルマン・デ・プレ教会横のプラーシュ広場 Sq. L.Prache にある。

乗せられている彫像はドラ・マール Dora Maar (1907-97) をモデルにしたピカソの作品<Tête de femme (1941)>。

ドラ・マールはシュール・レアリズムの写真家・画家で、ピカソのモデルとしても著名。

背景の建物はサン・ジェルマン・デ・プレ教会で右端が正面。

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  depuis que 2001

ギャラリー・イグレックに

<巴里子>直筆の書がある。

モリエール / コメディ・フランセーズ

   depuis  2001

  コメディ・フランセーズの予約が取れた。病気もちでありながら大の医者嫌いだったモリエール Molière が得意とした医者物の喜劇の一つである<気で病む男 Le Malade imaginaire >が演目だ。

舞台の様子などは2月の下旬に紹介することとしたい。

コメディ・フランセーズはアンドレ・マルロー広場に面してあるが、パレ・ロワイヤルに沿って北上するとモリエールの彫像を配した泉 Fontaine Molière  がある。リシュリュー通りとモリエール通りがぶつかる三角の角地だ。

建築家 ルイ・ヴィスコンティ Louis Visconti (1791-1853) の作品。

台座には1622年1月15日にパリで生まれ、1673年2月17日にパリで死すと刻まれている。

ローマ数字でVは5、Xは10であるのはご存知だろうが、Mは1000、Cは100、Dが500、Lは50であることを覚えておけば銘板を見るのもまた楽しい。

座像上部の MDCCCXLIV は1844 (M:1000,D:500,CCC:300,XL:40,IV:4 ) で、

この泉が竣工した年を表している。

Fontaine Molière

2010年12月のチュイルリー公園

   depuis  2001

今年の師走はアン・キャンズ・カフェのため川之江に滞在しています。そこで昨年のパリを思い出してみました。寒そうな冬景色ですが体感ではさほどではありません。冬のパリは湿度が高く風がないからです。東京の冬は夏と反対に湿度が低く風があって気温以上に寒く感じられます。

下の写真は12月5日のもので、オランジュリー美術館の中からチュイルリー公園・コンコルド広場の方向を見たものです。今年もきっと同じでしょう。

コンコルド広場東端に仮設されている観覧車の右に透けて見えるのが旧海軍省でその左はクリヨンです。

Jardin des Tuileries/2010/12

真ん中はロダン Auguste Rodin作の L’Ombre(1880)。右がEve(1881)。アダムとイヴ。
左は La Méditation,avec bras(1881)。

砂漠のドラマ / モンスリー公園

   depuis  2001

モンスリー公園 Parc Montsouris に< 砂漠のドラマ Drame au désert >と名付けられたブロンズ像がある。子供を抱えた雌のライオンが蛇に苦しんでいる迫力満点の情景だ。

フランスの動物彫刻家であるジョルジュ・ガルデ Georges Gardet (1863-1939) が若干28歳の時にサロン・ド・パリ Salon de Paris に出展して評価され、彫刻家としての地位を獲得した作品だ。

アレクサンドル3世橋右岸詰の上下流に置かれている一対の<子供が制御するライオン Lion à l’enfant >の石像も彼の作品だ。        トラムウェイ3号線の Montsouris で下車。

Le Corbeau et Le Renard / カラスとキツネ

   depuis  2001

マルモッタン・モネ美術館の先のラヌラグ公園 Jardin du Ranelagh に
<カラスとキツネ>のブロンズ像がある。

17世紀のフランスの詩人・寓話作家であり劇作家でもあったジャン・ド・ラ・フォンテーヌ Jean de La Fontaine (1621-95)がイソップの寓話を書き換えたものの一つだ。

イソップではカラスがくわえているのは肉片だが、ジャン・ド・ラ・フォンテーヌではチーズだ。それを見守るマントを羽織った人物は勿論作者本人だ(マントは今年流行のファッションらしい)。

ブロンズ像はポルトガル生まれの彫刻家 シャルル・コレイア Charles Correia (1930-88)の作品<ジャン・ド・ラ・フォンテーヌに捧ぐ Hommage à Jean de La Fontaine >で、1983年に設置された。

ラヌラグ公園は1860年にオスマン男爵によって造成された。

メトロ最寄駅は9号線 ラ・ミュエット La Muette 。バスなら63番のバス停が美術館前にある。

マルモッタン・モネ美術館 Musée Marmottan Monet はモネのジベルニーのアトリエの<睡蓮>の大型習作を主に収蔵している。

邸宅そのものにも見ごたえがある。

美術館の外観は写真の通りで、右に歩けばラヌラグ公園はすぐそこだ。

美術館に行ったら是非寄ってみよう。

Fontaine Levassor

       depuis  2001

    Émile Levassor はフランスのエンジニアで自動車産業とカー・レーシングの先駆者。

1895年に行われた最初のパリ~ボルドー間の自動車レースに自ら制作した自動車で自ら出場し優勝したのを称える記念の噴水で、ポルト・マイヨー Porte Maillot 脇の緑地公園 Square Alexandre-et-René-Parodi にある。公園の名称になっているパロディ兄弟は解放の仲間のレジスタンスで、弟はゲシュタボに捕えられ自殺したが、兄はそのリーダーであり戦後は国連代表も務めた。

現在は水こそ出ていないものの何とも愉快なレリーフではないか。。。<Monument à Levassor>

ナションのマリアンヌを制作したジュール・ダルー Jules Dalou (1838-1902) の作品(1907)。

ロータリーとモニュメント 46  ヴァンドーム広場

 depuis 2001

  ヴァンドーム広場 Pl. Vendôme のモニュメントはナポレオンのオーステルリッツ(現チェコ)での戦勝記念柱だ。La Colonne とも Colonne Vendôme とも呼ばれる。

戦勝品の大砲を材料にしたPl. Vendôme-1ブロンズの浮彫がらせん状に円柱に巻きつけられ、塔頂にシーザーに扮したナポレオンの立像を配する。アウステルリッツの戦いはフランスとオーストリア・ロシアの3皇帝戦としても知られるナポレオンの戴冠式の一周年記念日にあたる1805年12月2日の会戦だ。1806年には凱旋門の建設を決定した。

リモージュ・ツールーズなどへの起点オーステルリッツ駅もこの会戦に由来する。トルストイの<戦争と平和>にも取り上げられている。広場の名はこの地が16世紀末にヴァンドーム公位を受けたアンリ―4世の妾の子セザールの館だったことに由来する。

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写真の手前がチュイルリー公園で奥はラぺ通り、JCBプラザはラぺ通りの右側にある。下の写真は台座部分。台座の右が<リッツ>。

Pl. Vendôme-2

ライトアップされると・・・

2008年のクリスマスでカスティリオーヌ通りとサントノーレの交差点付近から。

Pl. Vendôme-3

2010年のクリスマス。右に<ショーメ>左に<ピアジェ>が見える。飾り付けは毎年異なるがこの一帯は統一されている。

Pl. Vendôme-4

パラシュートの日 / モンソー公園

     depuis  2001

   モンソー公園 Parc Monceau にフレームレスのパラシュートの発明家である

André-Jacques Garnerin (1769-1823) を顕彰した銘板がある。

彼はモンソー公園で熱気球と絹製のフレームレス・バラシュートを備えたバスケットに乗り込み900メートルの上空まで上昇したのちバルーンを切り離しパラシュートを開いて無事地上に降り立つことに初めて成功したのだがその趣旨の記載がある。

レリーフはバルーン切り離し後パラシュートで降下中の場面で時は1797年10月22日だ。

因みに、10月22日は<パラシュートの日>なのだ。

ロータリーとモニュメント 44 エドゥアール・ルナール広場 

   depuis  2001

Viet Nam Flag

ポニアトースキ、スール大通り、ドメニル大通りなど5本が集まるロータリー
エドゥアール・ルナール広場 Place Édouard Renard のモニュメントは
金色のアテナ神とカスケードの泉 Fontaine de la Porte Dorée だ。

モニュメントはインドシナ戦争庭園 Sq.des Combattants d’Indochine と呼ばれる。

1165アテナ女神(兵士)像 La statue de la guerrière Athéna は左写真。Léon-Ernest Drivier (1878-1951) の作品(1931)。

ロータリーが大きすぎて全体を写せないので分かり難いが、像の後ろが環状道路 ドレ門 Porte Dorée でその先はヴァンセンヌの森 Bois de Vincennes だ。

また、像の左手後方に熱帯水族館が広場に面してある。

庭園の両サイドはドメニル大通り。手前はポニアトースキ大通り Bd. Poniatowsky、スール大通り Bd. Soult で、トラムT3a  が走る。

1954年5月ディエンビエンフーが陥落、1956年6月インドシナから完全撤退、80年に亘るフランスによる植民地支配が終わる。<ディエンビエンフー陥落>が新聞各紙の大見出しのトップ記事であったのを鮮明に覚えている。以降アメリカによるベトナム戦争へと引き継がれてゆくことになる。

広場の名称 エドワール・ルナール はセーヌ県知事(パリ県知事)の名。

* * *

(補足)金色のアテナ女神像は、右手で平和を表すオリーブを絡ませた槍を持ち、
左手で<勝利の女神ニーケ/ニケ>を掲げている。

左の足元には楯を置き、
後に王となる息子のエリクトニオスを暗喩する蛇が隠れていて顔を覗かせている。

フランスが植民地に平和と繁栄をもたらすという意味を持たせたといわれる。

台座には帆船を刻む。

ロータリーとモニュメント 43  カミーユ・ジュリアン広場

     depuis  2001

   カミーユ・ジュリアン広場 Place Camille Jullian の北端マルコポーロ公園 Jardin Marco Poro の一部 Place E.Denis のモニュメントはアフリカ、アメリカ、アジアとヨーロッパの女性4名が地球を支える噴水だ(1867-74)。

モニュメントの奥はマルコ・ポーロ庭園 Jardin Marco Polo 、突き当りにリュクサンブール宮殿が見える。
写真手前の突き当りがパリ天文台 Observatoire de Paris で、この直線の通りは天文台大通り Avenue de l’Observatoire と呼ばれる。それでこのモニュメントは<天文台の噴水>とも呼ばれる。

モニュメントが大きすぎるので噴水部分を大写しにすると…ウミガメやクジラが水を噴いているのが分かる。なお、モニュメントは4名の彫刻家の合作らしい。

広場の名称になっている<カミーユ・ジュリアン>はフランスの歴史家で、ガリア史を書き換えたことで有名。

リュクサンブール宮殿の右上に見えるのはモンマルトルの丘の上のサクレ・クール寺院(写真上)。

あとさきになるが、カミーユ・ジュリアン広場 の中心にあるモニュメントは、コーチシナの植民地化につながるカンボジアなどメコン川流域の測量などをした探検家フランシス・ガルニエ Francis Garnier (1839-73) の胸像だ。台座からカンボジアを感じ取れよう。

彫刻家は台座に銘があるように デニス・ピュエシュ Denys Puech (1854-1942) で<フランシス・ガルニエの灰を含むモニュメント>と名付けられている (1898)。ガルニエはコーチシナで虐殺された。

このモニュメントは真っ直ぐパリ天文台を向いており、モニュメントの背後は一直線でリュクサンブール宮殿だ。
上記のモニュメントはその線上にあり見えない。

また、上の写真で左の並木の左には、皇帝ナポレオンに<勇者の中の勇者 le Brave des braves >と愛称された ミッシェル・ネイの立像がある。台座正面に<ミッシェル・ネイ帝国元帥の記憶のために A La Memoire du Maréchal Ney >とある。François Rude (1781-1855) の作品(1853)。

エルチンゲン公爵でもあり、モスクワの王子でもあった。
ワーテルローの戦いで完敗しいわゆるナポレオンの100日天下が終わっておよそ6ヶ月後の1815年12月7日,この天文台大通りで戦犯としてギロチンの露と消えた。

最後の言葉は<フランス万歳 Vive la France !>だったという。

ロータリーとモニュメント 42  マドレーヌ広場

   depuis  2001

ロワイヤル通り、マドレーヌ大通り、マルセルブ大通りなど8本が集まるマドレーヌ広場 Pl. de la Madeleine のモニュメントはマドレーヌ寺院(右)だが、

2009年にはテンポラリーに…..(下)     Louis Derbré(1925-2011) の作品。リュクサンブール公園のメディチの泉にあったこともある。

寺院正面の通りがロワイヤル通りで手前がコンコルド広場。下の写真は寺院裏側で、左に<フォーション>、右に<エディアール>が広場に面している。

また、ロワイヤル通りの左側には<ラリック><クリストフル><マキシム><ベルナール>などの高級店が連なっている。<バカラ>は正面左手で広場に面している。

最近ユーロ安が進んでいるがもっと円高だった頃ラリックに通い詰たのが懐かしいが、掛かりつけだったB.Y.さんはその後どうしているのだろう?景気の低迷で店舗を縮小してから久しい。

マリアージュ・フレール>のお店もエディアールの横にあります。ただしマドレーヌ店はブティックのみ。サロン・ド・テはないので、お茶をしたい場合はフォーションか<ラデュレ>となりますか・・

* * *

マドレーヌ寺院の正面からブルボン宮を見ると(2006年8月)・・ロワイヤル通り Rue Royale

ロータリーとモニュメント 36  ジョルジュ・ミュロー広場

   depuis  2001

ジョルジュ・ミュロー広場  Place Georges Mulot は

掘り抜き井戸のエンジニアで起業家のルイ・ジョルジュ・ミュローの名を冠した広場だ。モニュメントはもちろん彼の掘り抜き井戸の記念碑で、1841年に初めて湧出した<グルネルの泉>と呼ばれるものだ。

パリ子午線で有名な天文学者で偏光を発見した物理学者でもあったアラゴ François Arago がパリ市長のころのものだ。

写真の面のメダリオンのバレンティン・アユイ Valentin Haüy  は1785年にはじめての視覚障害者のための学校を創設した人物で、通りの名が Rue Valentin Haüy。モニュメントの4面にメダリオンがあるがその内一枚はジョルジュ・ミュローだ。(下の写真:転載)

ロータリーとモニュメント 35 サン・シュルピス広場

    depuis  2001

    サン・シュルピス広場 Pl. St-Sulpice のモニュメントは建築家 ルイ・ヴィスコンティ Louis Visconti (1791-1853) 作の巨大噴水(1847)だ。

長らく工事中だったがサン・シュルピス教会の修復と合わせて化粧直しが終わった。

ダヴィンチコードで一躍有名になったサン・シュルピス、イオニア・ドーリア式のファッサードのアンバランス(写真下段)はフランス革命の影響を受けている。

Pl. St-Sulpice

教会正面より。左手の建物は6区の区役所。

イタリア料理の <サンタ・ルチア> は右手。

サン・シュルピスにあるドラクロワの壁画と天井画は必見。

天井画というと天竜寺の龍を描いた<加山又造>を思い浮かべる。

上中央<天使とヤコブの戦い Lutte de Jacob avec l’ange (détail) >の部分写真。

フレスコ画ではなく、ワックス(蝋)画 Encaustique であると説明にある。

490

2011・02のサン・シュルピス教会とサン・シュルピス広場。

St-Sulpice et Pl.St-Sulpice

ロータリーとモニュメント 34  アンドレ・マルロー広場

     depuis  2001

Pl. André Malraux ド・ゴール政権下の文化相として来日し今回被災した那智勝浦等も訪問したことを覚えている人も多いかと思うが、作家アンドレ・マルローの名を冠した広場 Pl. André Malraux のモニュメントは大きな噴水2基だ。

噴水は建築家ガブリエル・ダビウと複数の彫刻家の作品。

ガブリエル・ダヴィウ  Gabriel Davioud (1823-81) はオスマン男爵とパリ改造を具現化した建築家で、サン・ミッシェルやドメニルの噴水も手掛けた。

頂部に載るニンフは上が川のニンフ、下が海のニンフで、ペアになっている。

海のニンフ Nymphe marine の作者はアールヌーヴォーの先駆者の一人Carrier-Belleuse (1824-87) で、彼はロダンの師匠であったことでも有名。

川のニンフ Nymphe fluviale はマテュラン・モロー Mathurin Moreau (1822-1912) の作品。

Pl. André Malraux

オペラ大通りやサントノレ通りなど6道路が集まる。広場東端に<コメディ・フランセーズ・リシュリュー>が面している。川のニンフが載る上段の写真の右手がコメディ・フランセーズ(写真下3枚)だ。

ロータリーとモニュメント 33 ポルト・マイヨー広場

   depuis  2001

  ポルト・マイヨー広場 Place de la Porte Maillot は大緑地だ。

パリの外郭高速環状道路との出入りもあって10本を超える道路が集まっているため、緑地の中に入るにはアンダーパスを通らなければならない。が…そのアンダーパスは雨露を防ぐホームレスの格好の生活の場となっている。

プラタナスの樹列の間が中心軸で、左が凱旋門から下りの Av. de la Grande Armée 右が Av. Charles de Gaulle でデファンスヘ一直線だ。

ロータリーに面してブPalais des Congrès de Parisーローニュの森へと繋がる写真左の公園にモニュメント(写真下)が、右にパリの会議場 Palais des Congrès de Paris (同右)がある。

ケーニッヒ元帥の記念碑 Monument au Maréchal Koenig はAlbert Féraud (1921-2008) の作品。

ケーニッヒはパッシー橋を改名して名を残すリビアの<ビル・アッケムの戦い>を将軍として指揮した。

Monument au Maréchal Koenig

ロータリーとモニュメント 32  ブルボン宮広場

   depuis  2001

コンコルド広場からセーヌ川の方にギリシャ様式の国民会議(フランス議会下院)、ブルボン宮が見えるが、その裏側の下院  Assemblée Nationale (Palais Bourbon) の車寄せというか小さなロータリー、ブルボン宮広場 Place du Palais Bourbon のモニュメント。

<法 La Loi> と名付けられたジャン=ジャック・フッシェル Jean-Jacques Feuchère (1807-52) の作品(1852)で1854年に設置された。

写真下はコンコルド橋からのブルボン宮。

Pl. du Palais Bourbon

Assemblée Nationale (Palais Bourbon)

エッフェル塔百態 50  旧陸軍士官学校・フォントノア広場

   depuis  2001

フォントノア広場 Place de Fontenoy  から
旧陸軍士官学校 Ecole Militaire を通してみるエッフェル塔だ。

Ecole Militaire

両者の中心軸が一致しているので、
できるだけエッフェル塔が見えるように上の写真では故意に軸をずらせて撮影している。

Ecole Militaire をエッフェル塔側からつまりシャン・ド・マルス公園から見ると・・・

Ecole Militaire

士官学校前中央にジョフリ元帥の騎馬像が置かれ、  ジョフリ広場 Place Joffre と呼ばれる。

ジョフリ元帥はエッフェル塔の下部アーチを通して トロカデロと11月11日広場 Place du Trocadero et du 11 Novembre  のフォッシュ元帥と一直線上で向き合っている。

ロータリーとモニュメント 31  ガンベッタ広場

   depuis  2001

 6本の道路が交差する円形ロータリー、
ガンベッタ広場 Pl. Gambetta のモニュメント…噴水。

パリ20区の区役所はこの広場に面していてこの視点は区役所前からだ。
パリ市役所の車が前に停まっている。ペール・ラシェーズ墓地は左の緑のすぐ先だ。

Léon Gambetta は1870年からの第三共和制の発足と安定に内務大臣として尽力、1881年から82年にかけて77日間首相を務めた。パリ20区選出の下院議員。

ロータリーとモニュメント 30  メキシコ広場

      depuis  2001

 真っ直ぐブーローニュの森に至るロンシャン通り Rue  de  Longchamp を含め7本の道路が集まる円形ロータリー、メキシコ広場 Place de Mexico (旧ロンシャン広場)。

中心にあるモニュメントは金属を用いたメキシコ生まれの女流彫刻家 アゲダ・ロサノ Agueda Lozano(1944-) による彫刻で<Terre du Mexique en terre de France>(2006)。

エッフェル塔の見える道路はサックス大通り Aveneu de Saxe から旧陸軍士官学校、シャン・ド・マルス、シャイヨー宮、トロカデロと11月11日広場を経てメキシコ広場までを一直線に結ぶエッフェル塔の主軸の一部を担うエロー大通り Avenue d’Eylau で、
左のロンシャン通りはイエナ広場に至る。

ショパンのお墓/Cimetière du Père Lachaise

   depuis  2001

Chopinフレデリック・ショパン Frédéric François Chopin (1810-49) のお墓はペール・ラシェーズ墓地 Cimetière du Père Lachaise  にあります。

ジョルジュ・サンド夫人の娘ソランジュの夫で彫刻家のオーギュスト・クレサンジュ Auguste Clésinger の作 Euterpe (  音楽のミューズ)です (1850)。

400ヘクタールもある墓地で特定のお墓を探すことは仮令地図を手にしていても至難ですが、ショパンともなると近くにさえ辿り着けば人だかりと献花で察しがつきます。

ロッシーニのお墓を探している日本人の若いお嬢さんの二人連れに場所を聞かれて数分後に見つけましたが再び出会うことはありませんでした。みつけていればいいのですが。。。花が挿してあったりするのですがショパンの後で探していたのなら見つけるのが難しかったかも。。(写真下右)

Haussmann

パリの今を創ったといってよいオスマン男爵のお墓もここにある。(写真左)

今年140周年だったパリコミューンはこの墓地で終結したといわれ、コミューンの壁 Mur des Fédérés に向かう人影は多い。

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ミラボー橋のアポリネールとマリー・ローランサンのお墓も仲良くこの墓地にある。

また、藤田嗣治が一時期自分が死んだらその横に埋葬して欲しいと遺言していた モジリアー二の墓もある。

ショパンと親交がありルーブル美術館にショパンの肖像画を残しているドラクロワのお墓もペール・ラシェーズ墓地だ。最近改葬したようだ。石灰質の墓石が多いのだろうか?100年も経つと風化が進み作り直すようで、バルザックのお墓も改装中のようだった。

* * *

オスカー・ワイルドのお墓は落書きのオンパレードだ。

ロータリーとモニュメント 22  パブロ・ピカソ広場

   depuis  2001

  パブロ・ピカソ広場 Place P.Picaso のモニュメントはロダン作のバルザックの立像だ。

A Balzac A Rodin
交差する7本の道路のうちモンパルナス大通に面して ルドーム  Le Dome  がある。Foujita の Le Dome だ。

日本人としてはフジタ広場として欲しいものだ。

Pl. P.Picaso

ロータリーとモニュメント 19   エドモン・ロスタン広場

   depuis  2001

エドモン・ロスタン広場 Pl. Edmond Rostand のモニュメントは
<噴水 Fontaine du bassin Soufflot >だ。

 ガブリエル・ダヴィウ Gabriel Davioud (1823-81)の建築(1862)で、
Gustave Crauk(1827-1905)の彫刻(1864)。

写真手前はリュクサンブール公園、正面はパンテオン
この街燈と交通標識は被写体としては邪魔だが、街燈そのものは素敵だ。

エドモン・ロスタン(1868-1918)は舞台女優サラ・ベルナール(1844-1923)の活躍した時代に発表した戯曲<シラノ・ド・ベルジュラック>で知られる劇作家。

* * *

広場に面する<ダロワイユ DALLOYAU/Luxembourg>からの風景。

建物に沿って左から右に一直線のサン・ミッシェル大通り Bd. St-Michel 、
標識にあるように建物の間 スフロ通り Rue Soufflot を入ればパンテオン広場で、
パンテオンと5区の区役所がある。

右・黄金の柵で囲まれているのがリュクサンブール公園 Jardin de Luxembourg 。

Pl. Edmond Rostand

ロータリーとモニュメント 18   シャトレ広場

   depuis  2001

シャトレ広場 Place de Châtelet は
豪華なスフィンクスの台座に金色で目立つ彫像を乗せた泉 fontaine だ。

ヤシの泉あるいは勝利の泉 Fontaine du Palmier(ou fontaine de la Victoire)と呼ばれる。

ナポレオンがイタリア・エジプトに勝利したのを記念して
飲料用に建造(1806-08)された勝利の泉だ。

サミットに乗る金色の女神は両手に月桂樹 laurier の花輪を掲げて勝利を表している。
ルイ・ボワゾ Louis Boizot (1743-1809) 作の
<不滅 Immortalité >で、勝利 La Victoire を寓意している。

なお、円柱はパームを表す。ヤシ palme は不死/勝利の象徴だ。

オリジナルは<カルナヴァレ美術館 Musée Carnavalet> にある。

Pl. du Châtelet
Pl. du Châtelet

上の写真左の建物は パリ・シャトレ劇場 (シャトレ座) 。泉を挟んで対面に パリ市立劇場 (写真下の右の建物)がある。どちらも ガブリエル・ダヴィウ の建築だ。

右の写真で、台座の中央には月桂冠で囲まれた<カタジロワシ Aigle impérial >を置いて、ナポレオンの勝利と栄光を表している。これもルイ・ボワゾの彫刻。

その上には4つの彫像があり、慎重、節制、正義、力を寓意している。

下の写真は2008年2月の撮影で90度視点が異なるが落葉しているので広場とモニュメントが共に分かりやすい。中央右にサンジャックの塔 Tour St-Jacques が見えるがこの時点ではまだ改装工事中だ。

Pl. du Châtelet

ロータリーとモニュメント 17  ブルトゥイユ広場

   depuis  2001

   ブルトゥイユ広場 Place de Breteuil のモニュメントは狂犬病の予防接種で知られるパスツールの坐像だ。Jean Alexandre Joseph Falguière (1831-1900) の彫刻<Pasteur (1904)>で、Victor Peter (1840-1918) により完成された。

ウイルスがまだ知られていない時代にワクチンの予防接種に辿り着いた細菌学の元祖だ。

像もさることながら台座も素晴らしい。
如何に人々や家畜に慕われていたかを想像できるではないか。

像の正面はアンヴァリッド、後ろはプロムナードを経てパスツール大通りへ。メトロ  - PDF - 新規ウィンドウ地図地下鉄ライン6をダウンロード   - PDF - 地図地下鉄ライン12をダウンロード新しいウィンドウ Pasteur 駅 を右に折れると Hôpital Pasteur だ。
パスツール研究所はモンパルナス駅の西側にある。

ロータリーとモニュメント 16 サントギュスタン広場 / ジャンヌ・ダルク像

   depuis  2001

Pl. St-Augustin    サントギュスタン広場  Pl. St-Augustin  のモニュメントはジャンヌ・ダルクの騎馬像だ。

騎馬像のオリジナルはランス大聖堂前にある。

Paul Dubois (1829-1905) の作品(1895)。

このロータリは9本の道路が交差する変型交差点で非常に分かり辛く、

また、サン・ラザール駅に近接していることも手伝って交通渋滞が常態だ。

Pl. St-Augustin

上は教会の前からでサントギュスタン教会モニュメントは後ろ向き。

ジャンヌ・ダルク像は St-Augstin 教会の,真前中央だ。

教会前のマルゼルブ大通り Bd. Malesherbes はマドレーヌ広場に一直線だ。突き当りが広場。

反対に、マドレーヌ寺院のあるマドレーヌ広場から見たサントギュスタン教会が右の写真で、

上の写真からでは想像できない大教会なのだ。

上の写真では教会の大ドームが全く視野に入っていない。

ロータリーとモニュメント 15  マレシャル・ジュアン広場

   depuis  2001

マレシャル・ジュアン広場  Pl. du Maréchal Juin

は円形の大庭園となっていて Bd. Péreire の中央緑地帯であるプロムナードと一体になってポルト・マイヨー広場及び隣接するブーローニュの森に連続している。

Pl. du Mal Juin

10本の道路が集まる大きな円形ロータリー。

写真下の右奥はポルト・マイヨー広場でその左にはブーローニュの森が拡がっている。

ジュアン元帥とはイタリア広場に功績碑のあるアルフォンス・ジュアンのことだ。

Bd. Péreire-Promnade

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広場の一角に画家 Albert Besnard (1849-1934) の胸像が置かれている。作者は彼の息子で彫刻家だった Philippe Besnard (1885-1971) 。2013.09.19.追記。

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ロータリーとモニュメント 14  イタリア広場

   depuis  2001

      シャルル・ド・ゴール・エトワールやナションと並んで大型で完全な円形ロータリーである

イタリア広場 Pl. de d’Italie のモニュメントは噴水とアルフォンス・ジュアンの功績碑だ。

Tunisia Flag Italy Flag ジュアン元帥は第2次世界大戦においてチュニジアのチュニス戦線とイタリアの山岳戦で名を馳せた名将だ。

像の向いている方向はチュニジアとイタリアの方向である。

噴水の向こうに見えManufacture Nationale des Cobelinているのがパンテオンで広場からゴブラン大通りが延びている。元帥の右に透けて見えるのは13区の区役所だ。

国立ゴブラン工場 Manufacture Nationale des Gobelin (写真右)がゴブラン大通りの左側にある。

建物のレリーフが素晴らしい。是非クリックして拡大してください。

ロータリーとモニュメント 13   クリシー広場

   depuis  2001

       クリシー広場  Pl. de Clichy  のモニュメントは

モンセー元帥のクリシーでの戦い(1814年3月30日)の記念碑 Le monument à Moncey だ。

Amédée Doublemard (1826-1900) の作品(1870)。

写真手前側が Bd. de Clichy クリシー大通りで、ムーラン・ルージュのあるブランシュ広場を経てピガール広場に向かう。前方の緑はバティニョル大通りで、凱旋門に一直線だ。

モンセー Moncey はパリ国家警備隊を率いてクリシーにバリアーを築いてロシア等ナポレオン包囲同盟軍と戦うも武装解除を余儀なくされ、翌日の1814年3月31日にパリ陥落・ナポレオンは退位となる。

ロシア遠征に異を唱えていた彼は王政復古政府の大臣などを歴任することになる。

ロータリーとモニュメント 11 レオン・ブリュム広場   

   depuis  2001

      レオン・ブリュム広場 Pl. Léon Blum の中心のモニュメントは・・・

オスマンのパリ改造計画の基幹の一つであるレピュブリック広場とナション広場(いずれも既 出)を繋ぐ直線のヴォルテール大通りが横切るほか7本の道路が放射する四角形のロータリーだ。正面建物に沿って右側にレピュブリック広場、左側にナション 広場だ。ビルの間のラ・ロケット通りはバスチーユに向かう。メトロ9号線Télécharger le plan Métro ligne 9 - PDF - Nouvelle fenêtreの Voltaire が広場の地下にある。

現在のモニュメントは今風のオブジェになっているが、以前は広場の名になっている Léon Blum の彫像が置かれていた。
( バスで行く区役所巡り その3 11区の写真 を参照されたい。 )

レオン・ブリュムはヨーロッパにファシズムの嵐が吹き荒れるなか1936年6月に発足した人民戦線内閣の首相であり、また第二次世界大戦後の臨時内閣の首相も務めた人物だ。

この地域から下院議員に初当選したことに因んで旧ヴォルテール広場を改称した。写ってはい ないが右側にある区役所巡りで紹介済みの11区の区役所の前庭に彫像は移設されている。ユダヤ系フランス人だったこともあり1940年パリ陥落後逮捕され ドイツの強制収容所に収容されるなど激動の人生だった。

モニュメントが夏には夾竹桃のヴェースに。右が区役所前に移設された<リオン ブリュム>像。

ロータリーとモニュメント 10  トロカデロと11月11日広場

   depuis  2001

トロカデロと11月11日広場 Place du Trocadero et du 11 Novembre のモニュメントは
FOCH の騎馬像だ。

   シャイヨー宮を通して真っすぐエッフェル塔・旧陸軍士官学校・
ジョフリ元帥の騎馬像を向いている。

Pl. du Trocadéro et du 11 Novémbre

FOCH は銘板から推測できるかも知れないが、第一次世界大戦時の西部戦線の仏英連合軍の総司令官であり、また1918年11月11日11時に交わされた休戦協定時のフランス元帥 Mareshal de France であった。

11月11日広場というのは第一次世界大戦の終戦記念広場の意だ。

隣接するパッシー墓地の壁面に <名も無き英雄たち> を称えるレリーフがある。

Pl. du Trocadéro et du 11 Novémbre

またフォッシュは銘板にあるようにイギリスとポーランドの元帥でもあったので、トラファルガー広場の近くにも FOCH の騎馬像がある。8月9日から13日までロンドンに滞在することとしているので今度は写真を撮ってこよう。(ロンドン Rondres の Foch は下に写真)

凱旋門からの Av. Foch は超高級住宅地を貫く広々とした大通りで、スエズ運河を開削したレセップスの大邸宅がブーローニュの森に向かって右側にあったはずだが・・・

よく出張するのでオルセー美術館で見れるとは限らないのだが、<草上の朝食><オランビア>で有名な マネ Manet などが眠るパッシー墓地は広場に接している。上写真のレリーフの擁壁の向こうが墓地だ。市内観光に便利な パリ・ルージュ の発着地点でもある。

セーヌ川をイエナ橋で渡河してブランリィ河岸 Quai Branly から振り返って見たシャイヨー宮である。解像度が悪くて見難いものの中央に FOCH  の騎馬像が・・そこが6本の道路が集まるロータリーだ。

* * *

United Kingdom Flag    ロンドンのFOCH  の騎馬像

ヴィクトリア駅を出て正面の公園の前にある。

ロータリーとモニュメント 9 ヴィクトワール広場   

   depuis  2001

     ヴィクトワール広場  Pl. des Victoires のモニュメントはルイ14世の騎馬像だ。

6本の道路が放射する円形ロータリー。

元々あった マルタン・デジャルダン Martin Desjardins (1637 – 1694)作の騎馬像は太陽王ルイ14世のせいだろう、フランス革命後に取り壊され王政復古後に再建されたとの記録がある。

フランソワ・ジョゼフ・ボジオ François Joseph Bosio (1768 – 1845)作。

有名なパッサージュ <ギャラリー・ヴィヴィエンヌ> のすぐ近くです。

広場の周りには若者むけのオシャレなブティックも並んでいます。

以前、正面の大通り右側にある中央郵便局の前にあった<コム・デ・ギャルソン>のお店に通ったものです。

手前に抜けると<京子食品>の面する Rue de Petit Champs  で、オペラ大通りに出るまでに<十字屋><やすべえ><来々軒><口悦>など日本料理店の多いサンタンヌ通り Rue Ste-Anne を横切る。

参照 : バスで行く区役所巡り 2区

ロータリーとモニュメント 8  イエナ広場

   depuis  2001

<ギメ美術館 Musée Guimet : Musée national Français d arts asiatiques>の面する イエナ広場  Pl. d’Iéna のモニュメントは<アメリカ合衆国の初代大統領 ワシントンの騎馬像>だ。

周辺には アメリカ合衆国広場 などアメリカの独立戦争以来の記念碑やウィルソン等の人名が多い。

Iéna

Musée National des Arts Asiatiques-Guimet

車が停車しているのが Av. du Président Wilson で騎馬像方向に トロカデロ広場 に至る。

アルマ・マルソーからイエナ間での道路分離帯で開かれる<イエナ・プレジダン・ウィルソンの朝市>は鮮度の良さで知られる超高級朝市だ。

東洋美術や陶磁器などのコレクションで知られるギメ美術館はジュール・シャトロン Jules Chatron (1831-84) による新古典主義の建築(1885)。

       メトロ9号線PA_metro_ligne_9 Iéna か Arma Marceau で下車。

Pl. d'Iéna

ロータリーとモニュメント 7  バスティーユ広場

   depuis  2001

  バスティーユ広場 Place de la Bastille のモニュメントは<7月革命の記念柱 Colonne de Juillet >だ。ジョセフ・ルイ・デュック Joseph-Louis Duc (1802-79) の作品(1840)。

Colonne de Juillet-11830年7月27~29日の市民革命により、1815年に王制復古したブルボン王朝を打倒し立憲君主制を発足させたいわゆる<7月革命>の記念柱だ。

左写真に<27 28 29 ・ Juillet 1830> の銘が、右写真の正面には<・・市民のために戦ったフランス市民の栄光のために>の記載がある。<栄光の3日3日間 Trois Glorieuses: 27.28.29>と呼ばれたりする。

1789年7月14日のフランス革命は当時この場所にあったバスティーユ(の監獄)の襲撃から始まった。      革命後取り壊されて広場になっていた。

写真には写っていないColonne de Juillet-2が広場に面するオペラバスティーユはバスティーユからヴァンセンヌに 至る元ヴァンセンヌ鉄道の駅舎の跡地だ。高架の鉄路は長い緑道(プロムナード・プランテ La Promenade Plantée)として残っているし、リヨン駅からサンテミリオンに至る高架下はお洒落なブティックなどに なっていて(ヴィアデュック・デザール Viaduc des Arts) 若者の人気が高いそうだ。。

また、広場の下にはサンマルタン運河が南北に横切っていて、メトロ1号線PA_metro_ligne_1のホームから運河を望める。      広場の北の運河上の緑道の一部はバスティーユの市場になっていて朝市で賑う。

Le Génie de la LibertéColonne de Juillet の先端には金色に輝く・・Le Génie de la Liberté : 自由のゲニウス(自由の守り神)が。。。      オーギュスト・デュモン Augustin Dumont 作(1835)。

ヴァンドーム広場の Colonne サミットのナポレオン Napoléon en César  も彼の作品だ。

   メトロPA_metro_ligne_7 Sully Morland  H.Galli  を出た所のアンリ・ガリ H.Galli 公園にバスティーユ監獄の基礎の一部が移設保存されている(写真下)。

バスチーユ(要塞)にあった8つの塔の一つであった<自由の塔 Tour de la Liberté>の基礎。

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セーヌ川側からアシュナル港 Port de l’Arsenal(サンマルタン運河 Canal Saint-Martin)を通して
<7月革命記念柱>を望む。

記念柱と緑がバスティーユ広場でその下が運河上にあるメトロ1号線PA_metro_ligne_1のバスティーユ駅。
右端にオペラ・バスティーユ Opéra Bastille も見える。

Canal St-Martin Bastille

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ドラクロワは早速この7月革命をテーマにした作品を発表した。ルーブル美術館所蔵の<民衆を率いる自由の女神 1831>がそれだ。中学時代の副読本で知って以来最も記憶に鮮明な作品だ。

この自由の女神は<マリアンヌ>で、解放を象徴するフリジア帽を被っている。

7月王政の安定により、作品はドラクロワの下に返されることとなり、再び日の目を見るのは7月王政を打倒した2月革命(1848)以降のことである。

ロータリーとモニュメント 5  コンコルド広場

   depuis  2001

      長方形のロータリーである コンコルド広場 Place de la Concorde のモニュメントは
<ルクソールのオベリスク>とも<クレオパトラの針>
とも呼ばれるオベリスク Obélisque だ。

そして、オベリスクを挟んで2つの噴水:                                                                                                <手前に大河の泉 Fontaine des Fleuves 、奥(南側)に海の泉  Fontaine des Mers  >がある。

写真上ギリシャ様式の国民議会下院のブルボン宮 (1728) と

写真下同様式(新古典・ネオクラシック)のマドレーヌ寺院  (1826) とは
セーヌ川を挟んで直線上にある。

写真下左はホテル・クリヨン L’hôtel de Crillon 右は旧海軍省 L’hôtel de la Marine で(ガブリエル Ange-Jacques Gabriel によるツインの古典様式建築 1774)、

パリの主軸であるリボリ通りはクリヨンで軸をずらせて シャンゼリゼ大通りへと向かう。

写真上でアンヴァリッド、モンパルナスタワー、ネオ・ゴシック様式のサント・クロチルド聖堂が見えるがエッフェル塔は視界に入らない。

写真上の左、下の右のチュイルリー公園から広場を見ると・・

中心軸から少し左にずらして撮影しているので、
オベリスクの向こうに凱旋門を見ることができる。

その間がシャンゼリゼ大通りだ。
金色のゲートの向こうがコンコルド広場、こちら側がチュイルリー公園。

曇天のようだが撮影ポイントはカンカン照り。

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このポイントだとモンパルナスタワーは入らない。

Pl. de la Concorde                                                                                                                                                                                    2012.08.07

ロータリーとモニュメント 4  ダンフェール・ロシュロー広場

   depuis  2001

メトロ4号線Télécharger le plan Métro ligne 4 - PDF - Nouvelle fenêtre、6号線Télécharger le plan Métro ligne 6 - PDF - Nouvelle fenêtreと RER B 線Télécharger le plan de ligne RER B - (Pdf < 200 ko - nouvelle fenêtre)が地下にある

ダンフェール・ロシュロー広場  Place Denfert Rochereau  のモニュメントは
<ベルフォールのライオン Lion de Belfort >のレプリカ(1880 設置)だ。

<自由の女神像>の作者、
オーギュスト·バルトルディ Auguste Bartholdi (1834-1904) の作品(1880)。

その台座に A LA  DEFENSE NATIONARE  1870-1871 とある。

鉄血宰相ビスマルクのプロイセンとの普仏戦争に敗れてナポレオン3世の第2帝政が崩壊したのち、プロイセン支配に反抗する臨時の国防政府が1870年に成立1871年パリコミューンまでの間存在した。

アルザスのベルフォールでの ダンフェール・ロシュロー大佐の英雄的抵抗 を記念する同名の彼の作品(石造) が ベルフォールの要塞にある(1875-79)。

第三共和制が始まるのは1875年である。

Denfert Rochereau

Pl. Denfert Rochereau

真ん中の建物はRER B 線Télécharger le plan de ligne RER B - (Pdf < 200 ko - nouvelle fenêtre)の駅舎で線路はその下にある。パリの国内線中心のオルリー空港へはRER B 線か駅前から出ているオルリーバスを利用するとよい。

右樹木奥にカタコンブの入り口がある(見学してから早や30年経った)。サルトル・ボーヴォワール・ボードレール・ザッキン等の眠るモンパルナス墓地も至近だ。左の緑地、フランスの科学者であり政治家でもあって大通りやメトロの駅名に名を留めるラスパイユの彫像(今は台座のみ)、カタコンブの出入り口、駅舎などを含むロータリー全体がダンフェール・ロシュロー広場になっていてスケールが非常に大きい。

ロータリーとモニュメント 3 (旧)ドメニル広場

   depuis  2001

メトロ6号線Télécharger le plan Métro ligne 6 - PDF - Nouvelle fenêtreと8号線Télécharger le plan Métro ligne 8 - PDF - Nouvelle fenêtreが交差する旧ドメニル広場 Pl.  Daumesnil ((現)Pl. Félix Éboué)  は

ライオンの噴水だ。

9本の道路が集まる大型の長方形ロータリーで中央に位置する円形の噴水も大型だ。

オスマン男爵とともにパリ改造に付帯するモニュメント等を多数手がけた建築家
ガブリエル・ダヴィウ Gabriel Davioud の作品、
<水のお城の泉 Fontaine du Château d’eau >と呼ばれる噴水で共和国広場から移築された。

クリスマスの時期にはイルミネーションが施される。セーヌ川に向かってベルシー ( Bercy ) へと下る  Bd.Reuilly  (写真左方向)沿い両側の朝市も中々だ。

現在の広場名になっている フェリックス・エブエ は
フランスの植民地で知事という高い地位を得た最初の黒人だ。
功績を称えられて遺骨がパンテオンに埋葬された最初の黒人フランス人でもある。

写真手前から中央やや左に抜けるドメニル大通りはバスチーユからヴァンセンヌに至る道路。

ナポレオン戦争時の将軍であり、
1814年3月プロイセンにパリを陥落された際<フォート・ド・ヴァンセンヌの防衛>としても名を残すことになるドメニル Le général Daumesnil の名を冠したものである。

ヴァンセンヌ市役所の中にその時の様子を描いた絵があり、前に銅像がある(写真下)。ヴァンセンヌ城内の王の宮殿にも立像がある。また、凱旋門にもその名が刻まれている。

将軍の左足は義足だ。

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モニュメントは解体して改装中。2012.08.

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改装なった Pl. Félix Éboué 。2012.11.22.

ノエル・新年の時期には電飾される。

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改装後初めてのもので、旧来のとは受ける印象が全く違う。

左のイルミネーションのある道路が両側で大規模朝市の行われるウイリー大通り Bd.Reuilly だ。         2013.01.05.

ロータリーとモニュメント 1  シャルル・ド・ゴール広場   

   depuis  2001

完全なロータリー式交差点は日本では珍しいが、パリでは凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール・エトワールを代表に各所で見ることができる。
ロータリーとモニュメントとと題していくつかを案内しよう。

先ずは12本の道路が放射状に集まるシャルル・ド・ゴール・エトワール。全体が シャルル・ド・ゴール広場 と呼ばれていて中心に凱旋門 Arc de Triomphe が位置している。

手前はシャンゼリゼ大通りで、凱旋門を通して幽かにデファンスが望める。凱旋門は小山の頂上にあるため12本の道路はすべて下り坂になっている。また、ロータリーのためシャンゼリゼ大通りから直進して門を潜り抜けることはできない。屋上に見物客の姿が・・

エッフェル塔百態 20  リュクサンブール公園

    depuis  2001

     リュクサンブール公園からのエッフェル塔。エッフェル塔はこのポジションからしか望めない。

Tour Eiffel Jardin du Luxembourg

右端の建物はリュクサンブール宮でフランス国会の上院、中央緑の奥がリュクサンブール美術館。

間に金色のアンヴァリッドも顔を覗かせている。

少し左側に移動すると・・・2013.07.29.

ヨットの貸し出しがあって、
子供たちがヨットの動きに合わせて池の周りを走り回る夏の風物詩。

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4月初め新緑の公園の様子を3枚。

Jardin du Luxembourg
Jardin du Luxembourg
Jardin du Luxembourg

マロニエは花こそ咲いていませんが新緑そのもの、プラタナスは芽吹き始めるといったところでしょうか。      モニュメントを取り巻く花々も早春を感じさせてくれますね。

写真中段はラジオ開発のパイオニアー、ブランリィの石像。

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7月末 夏のリュクサンブール公園を3枚。

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ポール・ヴェルレーヌ Paul Verlaine

ランスと言えばジャンヌ・ダルク / Jeanne d’Arc

 depuis 2001

ランス Reims には数回寄ったことがありますが、
頭を過るのはいつも藤田嗣治とジャンヌ・ダルク (Jeanne d’Arc) です。

ジャンヌ・ダルク (1412-1431) に纏わる歴史の中でもオルレアンの解放とシャルル7世の戴冠式は重要です。イングランドとの百年戦争の最中、ランス大聖堂で戴冠式を行うことによりシャルル7世を正式のフランス王とし王の空白を解消したのです。

ジャンヌ・ダルクの騎馬像は金ぴかのせいだけではなく最も好きなモニュメントの一つです。ルーブル宮の西北端 ピラミッド広場 にあります。
エマニュエル・フレミエの作(1889)です。

ジャンヌ・ダルクは1429年9月8日にこの付近にあったサントノレ門で行われたイングランドとの戦いで負傷しました。

ルーブル宮には、装飾芸術協会傘下の 装飾芸術美術館・モードと織物美術館・広告博物館 の3館が入っていて、入場すればすべてを鑑賞することが可能です。興味のある人には必見だと思います。

ところで、イングリッド・バーグマンが ジャンヌ・ダルク を演じた映画 Joan of Arc を覚えている方はおられるでしょうか? マラケシュに行った折、カサブランカ→イングリッド・バーグマン→ジャンヌ・ダルク と頭を過りました。

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リヴォリ通りに接するピラミッド広場はジャンヌ・ダルク像を中心に左右対称になっていて(下の写真)、右側に ホテル レジーナ が入っています。古い造りと調度品、特にステンドグラスの素晴らしさには驚きました(宿泊当時)。また、市内観光や近郊観光のプログラムを多数用意している シティラマ は右正面に入っています。

21世紀の新年は家族で レジーナ に宿泊して、リヴォリ通りを歩いて直ぐのコンコルド広場で迎えました。大型の送風機で紙吹雪を広場中に撒き散らしていたこと、リヴォリ通りがホコテンになっていたこと、広場に入りきれないほどの大勢の人出で賑っていたこと、雪がちらつく霙模様の寒い新年であったことなどを思い出します。

Pl. des Pyramides

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Reims に残るジャンヌ・ダルクの足跡をいくつか…..

Jeanne d'ArcMusée Hotel le VergeurRue Jeanne d'arc

写真上段はランス大聖堂の前にあるジャンヌ・ダルクの騎馬像。大聖堂を見上げています。
ポール・デュボア Paul Dubois(1829-1905) の作品 (1889)。

中央は Musée Hôtel le Vergeur の壁面にある500周年記念の銘版。
17Juillet 1429   CharlesⅦ の文字が見える。
<フルー・ド・リス二つと剣と王冠のジャンヌ・ダルクの紋章>も見える。

下段はランスのジャンヌダルク通り。

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サン・ラザール駅の西側、サントギュスタン教会の前にも<ジャンヌ・ダルクの騎馬像>がある(ワシントンにもある)。ランス大聖堂前のオリジナル像のレプリカ。

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ジャンヌ・ダルク通り Rue. Jeanne d’Arc とマルセル大通り Bd. St-Marsel との交差点、小さなロータリーに<ジャンヌ・ダルクの立像(1891)>がある。
Émile-François Chatrousse (1829-96) の作品(1887)。
ジャンヌ・ダルク通りの起点でほぼ直線でジャンヌ・ダルク広場が終点。

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サクレ・クール聖堂正面入り口の上部に聖ルイ王(サン・ルイ) Saint Louis/ルイ9世 と対を成してジャンヌ・ダルクの騎馬像があるのをご存知だろうか?
下左の聖堂の写真をクリックして拡大してみてください。右の騎馬像がジャンヌ・ダルクです(右下の写真が見えます)。
イポリット・ルフェーブル Hippolyte Lefèbvre (1863-1935) の作品(1927)。

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ノートルダム寺院のジャンヌ・ダルク Sainte Jeanne d’Arc (1412-31)
ジャンヌダルクの再評価を決定したのはノートルダム寺院/パリであり、列福した (1909) のはノートルダム寺院だった。列聖はバチカンのサン・ピエトロ寺院 (1920) 。

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<ジャンヌ・ダルク>所縁のサン=デニス·デ·ラ·シャペル

ジャンヌ・ダルクがパリ進撃前夜(le 7 septembre 1429)を祈りで過ごしたサン=デニス·デ·ラ·シャペル Église Saint-Denys de la Chapelle です。
初期ゴシック建築 (1204) で、聖ジュヌヴィエーヴが古代ローマ遺跡の跡地に建設した礼拝堂(475) を再建したものです。礼拝堂には、サン=ドニ大聖堂に移される (636) までサン=ドニの遺物が収容されていました。
パリからサン=ドニ大聖堂に至るガレ・ローマン時代からの古い道 (サン=ドニ L’Estrée) 、シャペル通り Rue de la Chapelle に面しています。
この辺りはカルチェ・デ・ラ・シャペル Quartier de la Chapelle と呼ばれています。

左、ネオロマネスク様式の建物はジャンヌ・ダルク大聖堂 Basilique Ste Jeanne d’Arc(1964)で、前にジャンヌ・ダルクの像が置かれています。
第一次大戦における、第一次マルヌの戦い (1914) の勝利に感謝(ジャンヌ・ダルクに)して発意され、完成は勝利50周年にあたります。

Église Saint-Denys de la Chapelle / Basilique Ste Jeanne d'Arc / Rue de la Chapelle

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ジャンヌ・ダルク像 / ジャンヌ・ダルク大聖堂 前

Statue de Jeanne d'Arc / Basilique Ste Jeanne d'Arc / Rue de la Chapelle

ジャンヌ・ダルクがパリ進撃前夜(le 7 septembre 1429)を祈りで過ごしたサン=デニス·デ·ラ·シャペル Église Saint-Denys de la Chapelle 横の<ジャンヌ・ダルク大聖堂 Basilique Ste Jeanne d’Arc >前に置かれているジャンヌ・ダルク像です。
フェリックス·シャルパンティエ Félix Charpentier (1858-1924) の作品(1888)です。
本拠地だったボルドーにある、フランス革命時のジロンド党の大モニュメント Monument aux GirondinsBordeaux の一部を構成する噴水、コンコルドの勝利 Le triomphe de la Concorde (1900) の作者だ。

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火刑台上のジャンヌ・ダルク / サン=デニス·デ·ラ·シャペル

サン=デニス·デ·ラ·シャペルには、<火刑台上のジャンヌ・ダルク Jeanne au Bucher (1954)>と題された彫像が置かれている。
アルバート・パッシュ Albert Pasche (1873-1964) の作品です。

19歳のジャンヌ・ダルクがルーアンのヴィエ・マルシェ広場で処刑されるのは 30 Mai 1431 、17歳でこのシャペルに立ち寄った 7 septembre 1429 から1年8か月後のことだ。

Jeanne au Bucher / Église Saint-Denys de la Chapelle

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ジャンヌ・ダルクが負傷したサント・ノレ門

サン=デニス·デ·ラ·シャペル Église Saint-Denys de la Chapelle を出たジャンヌ・ダルクは古い道、サント・ノレ通りからパリ城内に入る<サント・ノレ門>に進撃した。
当時のサント・ノレ門 Porte Saint-Honoré はフィリップ・オウギュストの城壁を拡張したシャルル5世の城壁に在った (1636 撤去) 。現在のアンドレ・マルロー広場一帯である。
8 Septembre 1429、ここでのパリ包囲中に太腿に傷を負った記録がサント・ノレ通り161-3番地で見られる。
金色のジャンヌ・ダルク像がピラミッド広場に置かれているのもここから近いからだ。

Jeanne d'Arc / 8 Septembre 1429 / Porte Saint-Honoré

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ジャンヌ・ダルクとブロア城 / オルレアンの包囲

後に、オルレアンの乙女 Pucelle d’Orléans と愛称されることになる
ジャンヌ・ダルク Jeanne d’Arc (1412-31) はここブロア城からイングランド軍に包囲されていた<オルレアンの解放>に出立した(1429.04.29.オルレアンに到着、05.08.開放)。
ブロア城の礼拝堂において、ランスの大司教ルノー・シャルトル Renault de Chartres による祝福を受けた。約3か月後、ジャンヌ・ダルクの下、ランス大聖堂でシャルル7世の戴冠(1429.07.17.)をした人物である。

ブロアの古い要塞跡であるフォアの塔 Tour de Foix (ブロア城の南西端にある円筒状の塔)で解放表明をしたと伝えられている。
左のゴシックの尖塔はサン・ロメ修道院 Abbaye Saint-Laumer 。
手前はロワール川 La Loire 、コンクリートのパラペットで護られている。
河岸への日常進入口として途切れている部分には、洪水時にゲートを挿入する。
崖上の要塞ブロア城は写真右半分で、入口は奥。

Jeanne d'Arc / Château de Blois / Tour de Foix / Siège d'Orléans

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ジャンヌ・ダルクの騎馬像 / フレミエの立像

ピラミッド広場にある金色の<ジャンヌ・ダルクの騎馬像 (1889)>の彫刻家<エマニュエル・フレミエ Emmanuel Frémiet (1824-1910) の立像> がパリ植物園にある。
動物彫刻家とも言われるだけあって動物の骨学の研究者でもあった。
代表作の一つ <小熊狩り Dénicheur d’oursons (1885)>の縮小版を制作している様子。
台座に<ジャンヌ・ダルクの騎馬像の浅浮彫>が嵌め込まれている。
Henri Greber (1856-1941) の作品(1913)。
なお、現在の騎馬像は置き換えられた第二ヴァージョンで、最初のものは1874年に設置された。

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7本の道路が集まるロータリー ジャンヌ・ダルク広場 Place Jeanne d’Arc の真ん中に Notre Dame de la Gare がある。パリ市に編入される以前の地区の聖母教会だ。広場名は編入時から。

下の写真は教会前からジャンヌ・ダルク通り Rue Jeanne d’Arc を見たもの。ジャンヌ・ダルク通りはジャンヌ・ダルクの立像のあるサン・マルセル大通り Bd. St-Marcel まで一直線。
その先に、聖人ジャンヌ・ダルクの眠る<パンテオン>が見える。影は教会のもの。

右の写真は教会内にある彫像で十字剣を持つジャンヌダルクだと思われるが、何の記載も説明もない。